Evergreen Interlude

C.E.74 22 Dec

Scene アーモリーワン・アスタアパート

ぱちん。

と。小気味よい音が天井に響いた。ほかに音のないこの部屋で、その響きだけが間をおいて繰り返される。
寝転がった床から頭だけをもちあげると、視線の先にはアスランの背中があった。キラの左足を抱えこんで、さきほどからその爪を切ってくれている。遠くからきた客人が、訪れたその日にすることがそれなのか。
不精をしていたわけではない。足の爪まで気が回るような時間がもてなかったのだ。そんなキラのいいわけを一蹴して彼は「爪切りをかせ」といった。
キラはすでに切り揃えられている右足で、アスランの背中を、ぐい、と押す。
「…痛かったか?」
「痛くない」
「じゃまをするな。もう少しだ」
親指から順番に、今は薬指。自由を奪われた退屈で、キラは仰向けたそのまま目を閉じた。
そういえば以前にもアスランに爪を切ってもらったことがあった。そのときは手の爪だったけれど。
オーブの孤島で過ごしていた朧げな日々のひとつ。頻繁に訪れることはしなかった彼が、ある日始めたぎこちない触れ合いの儀式だった。
「外側」と壁をつくっていたキラに不器用なアスランはことばが長くは続かなくて。彷徨わせた視線の先の放り投げたキラの腕に気がついて「おれがやろうか」、と。自分ではない誰かに爪を切らせることなど、それこそ幼少期の母親以外にいなかったとあとになって思った。
それからは自分も含めて誰の手入れも拒んだので、伸びた爪の長さはそのまま彼が空けた時間になった。一度、伸びきった爪の先が割れてしまったとき、久々に訪れたアスランがそれを見てひとこと、すまなかった、といった。

───謝らないで。
触れ合うための、ただの口実なのだから。

「キラ」
呼ばれて目を開けると、キラの左足を抱えたままでアスランがこちらを振り返っていた。
「終わったの」
「終わった」
「そう。ありがとう」
キラがその姿勢のまま上半身を起き上がらせると、座るアスランの背中から抱きつくような格好になる。アスランがキラの左足をどかすことをしないので、右足も彼のまえに回して両足で彼の腰を抱え、腕は首に回し、ほぼ「おんぶ」に近い体勢になると、彼の背中が少し笑ったように動いた。
「どうするんだ、それ」
「ちょっとだけ。あったかい、背中」
べつに部屋は冷えていなかったけれど。触れていたくて、触れると嬉しくて、しばらく会えなかった分を補うためなのだからと心のなかでいいわけまでも用意した。
アスランはアスランでキラのペースを意に介することなく、目線にきたキラの手を掴んでしばらくまじまじと見つめていた。
「手はちゃんとしているな」
そういいながらキラの指を伸ばしたり手のひらをもんだり、遠慮のない仕草でアスランが触れる。唇でも、触れる。回想したあのときの彼も、同じように───。
「まえにアスラン、よく爪切ってくれたよね。手のだったけど」
「…気がついてたのか」
「気がついてたよ。今みたいにキスしてくれたのも、覚えてる」
「……………」
それがアスランの秘密だったことは判っている。黙りこんでしまった彼の表情は見えない。
「きみの愛情を感じたよ」
「……なにいってるんだ…」
「ぼくきっと根負けしたんだよね」
「何に」
「きみの愛に」
「……………」
「……………内緒だったんだけど、教えようか?」
「……何を」
ようやくアスランが、ゆっくりと振り向いた。背中にはりつくようにしていたキラと間近で視線が合う。思っていたとおり、さっきの会話の流れで何をいわれるのかと困惑した表情を彼はしていた。
───アスランが爪を切ってくれて。その度に求婚されている気分だった、と。
緊張したように冷たかった彼の指先や、微かに震えながら触れてきた唇が。そうして繰り返されたことが。記憶からすっかりと甦って、いいかけたキラ自身が恥ずかしさに苛まれはじめた。あの当時はそうはっきりとも感じてはいなかったことなのに。
「…やっぱ、よす」
「なんだよ」
安堵とも残念ともつかない声でアスランがため息を吐く。それからゆっくりと、アスランの全身に絡みついていたキラの腕だの足だのを解き、自身の体を反転させ、向かい合って座った。
「……キラに触りたいってことしか…考えてなかったよ。あのときは。……必死だったからな」
キラを、そこにとどめようと。
「…知ってる……ちょっとね…重かったかな、それが」
自分のことだけでいっぱいだった頃。アスランの気持ちを嬉しく思う反面、煩わしく思う気持ちもあったことは確かだった。それを正直にいってしまっては彼は傷つくのだろうが、隠したところで彼もすでに知っている。
「内緒って、そのことか?」
キラはそれに答えず、今度は正面からアスランの首に腕を回した。
「あのとき重かったのも、今思い出すと、きみにキスしたくなるような気持ちにしかならないの。これ、負けだよね?」
「……そんなこと…知るか」
「だからキスするけど、いいよね」
「………どうぞ」
急に潔く瞳を閉じたアスランの瞼に、笑いながら触れた。そこじゃない、と不平を漏らしたその唇にも、キラのぬくもりで優しく触れた。