Evergreen 2


C.E.74 4 Aug

Scene オーブ軍本部・正門広場遊歩道

レドニル・キサカは、オーブ軍本部のヘリポートから戦略開発局へ向かっているところだった。聞けば今日、アスラン・ザラはヤラファス島での予定がないとのことなので、自分から出向くことにしたのだ。
その途中、本部棟へ向かう交差した通路に、これから会いにいこうという当人が立っている。
「こちらへこられると聞いたので」
キサカに気がつくとアスランは敬礼していった。いまや自分より官位がうえであるにも関わらず、この青年は相変わらず折り目正しい。
「こちらは人の出入りがちょっと多くて。…落ちつかないですから」
別の場所へいこうということだろう。キサカはそれでは、と屋外へ誘った。
軍施設の正面入口から一般見学展示棟の裏手に、芝生をぐるりと囲んだ遊歩道がある。ここは視界も広く見学会のない今日などは人目もほとんどない。遊歩道に点在しているベンチのひとつにキサカとアスランは座った。

キサカが所属する特殊空挺部隊は、その名が示す空挺作戦や潜入工作ばかりをおこなう部署ではない。情報収集、ときには情報操作など、国内外の情報戦が主要な任務だ。そして先日、東ユーラシア連邦での諜報任務からもどったばかりであった。
ユーラシア連邦は地球連合軍を構成するひとつの国家だったが、同盟国の大西洋連邦に反発する勢力が大きくなり、先の大戦後には西側が独立する形で分かれてそれぞれが国となっていた。東側は現在も地球連合軍に名を連ね分離まえの組織色を濃く残しており旧軍部データも残している。キサカはマルキオを通してジャンク屋ギルドから仕入れた情報を確かめるため、三年前の出来事についての諜報活動をおこなってきた。
「実は、ヒビキ博士…キラの実父だね。彼のコーディネイター開発でキラ以外に生き残っている者がいるという情報があった」
端正な眉をわずかに歪め、アスランはキサカを見た。彼は、今キサカも思い出しているのと同じように、三年前にメンデルで見た大量の人工子宮カプセルがならぶ開発施設を思い浮かべているのだろう。その開発実験では、数々の“失敗という結果”があったという。
「かなり悲惨なことでね。能力としてはかなりのものらしいが、予測データの数値が得られなかったという理由で彼は失敗とされた。“処分”は免れたが、旧ユーラシア連邦の軍部に拾われて、特殊能力を持つコーディネイター開発の実験体として使われていたという話だ」
───おぞましい。
アスランは嫌悪感から組み合わせていた両手に力を籠めた。
自分たちコーディネイターが誕生する影で、そのようなことが幾度も繰り返されてきたに違いない。キラのような「最高のコーディネイター」とする開発実験はその極みだ。難易度の高い開発ほど、“失敗”は数多く生まれる。
締めつけられるような胸の痛みを感じて瞼を閉じ、顔を俯かせる。当時、その事実を知ったキラが打ち拉がれた思いをあらためて感じていた。自分の足下に踏まれた者たちの影を、彼がどれほどに辛く思っていたことか──。
キサカは苦しむアスランの様子に気がつきながらも話を進めた。伝えることの核心はここではない。
「その人物は成長してからモビルスーツパイロットとして特務に就いていたそうだが、その後離反してね。作戦中に関わりがあったことで、マルキオ様のもとを何度か訪ねたこともあったそうだ。ちょうどきみらがいた頃だが…」
会ったことがあるかもしれないね、とキサカはいった。確かに、アスランたちが“祈りの庭”に滞在していたあいだ、マルキオを訪れる客は何人もいたのだった。その中のひとりに、その彼もいたのかもしれない。
「彼の話によれば、離反する直前にキラ・ヤマトを捕獲する作戦を任ぜられていたそうだ。───つまり“最高のコーディネイターと目される人物”を……ということだが…」
「───!」
アスランは衝撃に目を見開かせてキサカを見た。キラの出生の秘密がとうに旧ユーラシア連邦に露見していた。延いては、その先にあったブルーコスモスに。しかもそれを利用しようという動きがあったというのか。
「その特務の中心人物はジェラード・ガルシアという将校で、あのアルテミスの元司令官だ。…今回の調べでは、彼は個人的にエヴァグリンと繋がっていることが判った」

───“エヴァグリン”とは、今もっとも世界に名を広めているブルーコスモスの新興組織の名称だ。
今年に入ってからマスメディアを通じ、その発言と露出の幅を広げている。これまでの表立った活動にはテロ要素は一切なく、「平和的な対話による解決を主眼とする」コーディネイター“排斥”運動を展開している。ロゴスという強大なバックボーンはなくなったが、資金調達と情報操作のノウハウがわたっているという噂があり、そのために短期間で大きな組織へと成長したといわれている。各所に分散したロゴス関係者がそのまま幹部として極秘裏に在籍し、活動資金と人を集めているとの情報もあった。
メディアにでてくる表側の正規構成メンバーはひととおり過去を洗っているが、おおむね問題は見つかっていない。彼らにとってコーディネイターがいなくならない限り望む「解決」はないから、永遠に対話が続くニュアンスは否めないが、発言に過激なところはないし、実際に彼らは無害なのだろう。
……だが、彼らは“ブルーコスモス”であり、コーディネイター排斥を望む集団なのだ。
メディアに乗る広告塔としての彼ら以外の者らの正体など、想像に難くない。プラントとオーブの条約内容が明かされるようになってから、オーブ国内で集中して発生するようになったブルーコスモスの抗議、テロ活動。それらはオーブに住む個人や草の根によるものとされているが、それを指示する組織だった影は微かに感じられていた。
いずれもテロとエヴァグリンを結ぶ確定的な事実はなく、別の組織やいわれている通りの個人の犯行を疑うべきかもしれなかった。だが急成長し、さらに拡大しつつある組織をそのまま見過ごすこともできず、オーブ軍の情報局は水面下での諜報活動を進めているのだ。

───キラの出生の秘密は、もう秘密ではない。

ブルーコスモスの最大組織は確実にその存在を知っている。
アスランは何かのカウントダウンの存在を今知ったような気持ちだった。もとから沈鬱だった表情にさらに影を落とし、ことばを発する気力もなくなった。膝のうえで組まれた両の手が震えている。
黙して身動きもできなくなったアスランを見つめながら、キサカは彼の心の裡を想像して湧きあがる悲しみを表情に滲ませる。
何者かに望まれて誕生した彼らコーディネイターは、だが、彼ら自身が望んでそう生まれたのではなかった。ましてやそのために犠牲になった者がおり、また彼らを利用したがる者もいるということが、“宿命”というひとことで片づけるには大きく重すぎるとキサカは思った。とくに若い彼らには。
キサカはそれから長いあいだ沈黙し、アスランが落ちつくのを待った。

展示棟のホールから飲み物を手にアスランがもどると、キサカは礼をいって差し出された飲料缶を受け取った。
突然立ち上がって、「飲み物を持ってきます」というアスランをそのままいかせたが、今もどってくるまでのあいだに心を落ちつけることができたようだった。
もちろん、彼のその表情に晴れたところなどどこにもないが、キサカはもうひとつの話題を向けるタイミングだと思った。
「……ところでキラのこと、聞いたそうだね。当人とは話したかね?」
聞けば、キラは個人的な密約でプラント行きを彼の国と交わしてしまったとのことだ。そして、そのことでアスランの不興をかい、「最悪の空気だ」とカガリにいわれてきたのだった。
「話して、けんかの真っ最中です」
アスランはばつがわるそうに苦笑いをした。
「自分が心配するのは戦火の拡大です。キラの出生がプラントに明かされずとも、彼がその戦闘スキルをデータとして提供したら、コーディネイターの可能性のひとつが広がったと彼らは喜ぶでしょう。それを反対勢力がただ黙っているようにも思えません。…地球での戦闘用コーディネイター開発の再開を懸念する声もあります。さっきの話にもあったように、連合や他の国が動くことだって……」
「争奪戦になるというのかね」
「……『敵に奪われるくらいなら』、という考え方もありますよ…」
「………。これまでの戦争で、“生体CPU”のスペックがきみらのような優秀なコーディネイターには届かないと、判っていることだしね」

そもそもコーディネイターはナチュラルが生み出したものだ。まだこの分野での技術とノウハウはナチュラル側での蓄積が大きい。ブルーコスモスの強力なバックボーンが解体した今、遺伝子操作技術の幅を広げようという動きは少なからずある。トリノ議定書のため地上では表立った動きはないように見えるが、メンデル再開発の動きが実際にある。
プラント内部でも、次世代に未来がないのであれば技術でまかなえばいいという考えをかのパトリック・ザラが掲げ、その研究機関は存続している。
遺伝子操作技術の開発ブーム再来を予感する芽が、各所で見え始めたのが現状だった。

「何故おとなしくできないんでしょうね、あいつは。ことさらに、注目される条件を受け入れて…」
そう呟くアスランはとにかく不器用だ、とキサカは思う。杞憂を抱えているとはもちろんいわない。だが、事態はすでに動いており、そしてそこにはキラ自身の思惑も存在している。
「……だが、それでは聞くがアスラン。エヴァグリンなどのブルーコスモスをどうするね。彼らが何かをすると決まったわけではないが、こうなってはプラントのバックアップが彼には必要だと思わないか」
「判っています」
プラントからの戦闘能力研究協力の要請、というのは、プラントにキラ出生の秘密が公にされていない今は“SEED”の研究に主眼が置かれている。べつの特異性が名目なのだ。
「それにSEED研究についてはマルキオ師が代表となって、全世界的な規模の研究機関が構成されつつある。いわば国際要人として保護されることも将来あるのだよ。それでも心配かね」
「……理解はしているつもりです。だからこそ、これがおれの勝手ないい分で、個人的な感情だということも判ってます」

「それでもおれは、あいつがそんなものに関わる必要が、どこにあるんだと……」

───アスランの悩みは深い。
もう誰も、彼自身も含めて、彼を放っておいて欲しい。純粋に友を大事に思う、無事を願う気持ちがそこにあり、それが本心なのだった。アスランはすべてを理解し、ただ頭ごなしの拒否をいうのではなく、それゆえのジレンマがあることを、キサカは感じとった。


C.E.74 6 Aug

Scene アカツキ島・マルキオの孤児院跡地

アスハ家別邸から自家用ヘリを飛ばし、アスランはひとりでアカツキ島へきていた。マルキオの孤児院を建て直していると聞いたのでその様子を見に…だが、それは口実だ。だいたい、休日なので作業をしている者はひとりもいない。今日は護衛の同行も断った。苦い顔をされたが、ほぼ無人に近い場所へいくのだし、危険物の感知センサーと武器、GPSを携帯することで納得してもらった。
以前と同じ場所で、どうやら建物自体も以前と同じ造りになるようだ。まだ骨組みの段階だが、その組み方を見れば構造は判る。盲目であるマルキオにとっては、できるだけ慣れ親しんだ間取りがいいということなのだろう。
太陽からふりそそぐ日差しはじりじりとしていて、遮るものもなく受ける木造のそれはまさか燃えだしてしまうのではないかという熱さを蓄えている。触れてみた剥き出しの柱の下方には、やはり何度か様子を見にきているのであろうか、マルキオの元にいる子供のものと思われるいたずらが彫られていた。

アスランは柱だけの建物の中に入った。
───ここが、キラが使ってた部屋。
彼も泊まるときは、この部屋に簡易ベッドを運びこんで過ごした。決して広くはないこの部屋にそうしていたのは他に空き部屋もないからだった。
あれは一年と少しまえだ。大きなけがをしてしばらくこの家で静養したときも、やはりここでキラと過ごした。
キラの自閉したような反応の弱さがだいぶ回復し、声をあげて笑うことや、昔のことを長々と語り合うこともようやくできるようになった頃だった。それでもときおり忘我するような瞬間があり、アスランはキラを不安な目で見ることからまだ逃れきれないときでもあった。
けががいくぶんか回復し、そろそろアスハ邸へもどるから、といったその夜。
『もう大丈夫だから、アスラン』
何がとか、誰がとは、いわずに、キラはただそのひとことだけを告げた。アスランがよこす不安の視線を、彼はもちろん知っていたのだろう。

アスランは今も、あの頃のようにキラのことを心配していた。だが、過去にあった漠然としたことに対してではなく、もっとはっきりと具体化したものが心の中のざわめきとなっている。正体が見えながら、それを止める術をアスランは残念なことに知り得なかった。兆しを目の前にしながら、抱えていた不安のために気がつくこともできなかった過去を悔やんでも、もう遅いことだった。


「マルキオ様。その“シードを持つ者”というのは何でしょうか」
アスランが療養にきて十日目のこと。ときおりマルキオがキラやラクスを指していうそのことばの意味を、アスランは訊ねていた。
「アスランは、人の進化のお話など興味はございませんか?」
その質問に答えたのは、何故かラクスだった。一時期、各学会で大騒ぎされたお話ですわ、と続けていう。アスランもキラも知らなかった。
「限られた分野での話題でしたので、あまりご存知の方はいらっしゃいませんわね…」
それを知ってるラクスは何だろうとは思ったが、血のバレンタイン直後のことだというから、それは確かに専門分野の人間でなければ耳に入るものでもなかったのだろう。

───“SEED(シード)”。スペリオール・エヴォリューショナリ・エレメント・デスティンド・ファクタ。
コーディネイター、ナチュラルに関係なく若い世代に増えはじめた高次能力の発現は、人類進化の可能性をもつ因子として、そう呼ばれていた。
「それで──マルキオ様は…もしかして、キラたちにその進化の芽があると、おっしゃりたいのですか」
「そうですね。あなたもですよ、アスラン」
盲いたマルキオが「見えるのです」といった。アスランはキラと顔を見合わせる。しばらく全員の沈黙が続いてから、ふいにキラがぽつりといった。
「なんだか新鮮な話だね、アスラン」
「………ああ…」
新鮮過ぎて、アスランは興味が湧かなかった。正直にいえば“眉唾”ものの話題と感じ取っていた。以来、このことはすっかり忘れていたのだ。──ディアッカから再び、そのことばを聞くまでは。


キラは忘れることなく逆に興味をもってずっと情報を集め続けていたということを、アスランはごく最近に知った。マルキオを通じてその学説を発表した学者と、ネット上ではあるものの会見までしていた。
そこまで執着する理由も理解の外だったが、ましてや彼は、そのことのために自分自身をプラントに売ったのだ。

「ぼくは自分のことを知りたい。自分に何ができるのか知るには必要なことじゃないか。もう、メンデルで怖がって泣いた、あのときのぼくじゃない」

数日前のけんかでキラはそう叫んだ。
───判っている。
アスランは、あの頃の不安と心配を甦らせているだけなのだと。そうも指摘されて、返すことばなどなかった。

けんかの内容を思い出しては、自分の気持ちを自身で検証する。アスランは頭の中でそんな作業を繰り返していた。
気がつくと日が傾きかけている。そろそろもどらないと護衛官に怒られる。
───キラと、仲直りしないと。
互いに口もきかず、目も合わせず、そんな子供のようなけんかを長々と続けていた。いいかげんに、周囲の心配のほうが限界だろうとも思う。いつだって、そこまで考えてしまう自分のほうが根負けをするのだ。
───今回ももう、それでいい……。
アスランは、キラがいつのまにか自分の知らないところで、傷つき泣くようなことになるのが嫌だった。彼のさきをいって、あるいは隣にあって、そうした衝撃から彼を守りたい。それなのに、思い通りにならないキラと世界に。ただ自分は苛立ちを抱えているだけ。それだけのことなのだ。
諦めを含んだ考えをまとめると、アスランはその骨だけの家から立ち去った。


C.E.74 6 Aug

Scene オノゴロ島・アスハ家別邸近くの浜辺

アスハ家別邸へでかけたというアスランを追ってきたもののそこに彼の姿はなく、ヘリを借りてさらにアカツキ島へでかけたとマルキオから聞いた。用事がすめば必ずここへはもどるであろうからと、キラは邸近くの浜辺でぶらぶらしながら時間をつぶしていた。
「アスランの……莫迦」
キラは小声でつぶやきながら砂浜をけった。端から見れば、まったく子供のするような絵に描いた光景だ。
アスランと派手な怒鳴り合いのけんかをしてから一週間が過ぎていた。けんかが長引いている原因はひとつだけ。アスランが折れてこないからだ。
どちらもゆずれないけんかになったときは、たいていアスランのほうがさきに音をあげる。今回はキラのほうがもう、耐えられなくなっていた。
───ぼくから、謝ろう。
アスランの、自分を心配する気持ちは充分に理解している。その心が過ぎて頭ごなしにキラにいいきかせようとするのもいつものことだ。それを知っていながら頭に血が昇り、つい彼を怒らせることをいくつかいった。そのことには、キラは本当に心から詫びるつもりがあった。
それでも、自分がこうしようと心に決めたことを変える気はなかった。それはぜったいにゆずれない決意だから、どうしてもアスランに納得してもらわなくてはならない。うまく説得ができるかどうかは判らなかったが、いつか理解してくれると信じて話を重ねるしかない。
───アスランがいてくれなければ、ぼくはまえに進むことはできない。
頼りきりになっているつもりはなかったが、過去にあったすれ違いを繰り返したことが、ただキラを竦ませていた。

視線を海から後方に振り返れば、浜辺より高台にある道路の脇に護衛官がいる。アスランは今日、その護衛もつけず行ったという。自分が同じことをすればきっと彼は烈火のように怒るのに──。危険な身の上は、同じなのに。
ブレイク・ザ・ワールドの数ヶ月まえ。アスランは大きなけがを負ってマルキオの孤児院、“祈りの庭”へ療養にきた。カガリのボディーガードをしていて、そのとき暴漢に襲われたのだといった。
だがキラは、本当に襲われたのはアスランのほうだった、ということを知っている。カガリの身のまわりを世話しているマーナから聞いたのだ。
相手はアスハ家に近い者だったため、突然の襲撃に対応ができなかったという。それは、隠れたブルーコスモス主義者だった。そしてその立場のため、“アレックス・ディノ”をアスラン・ザラとして知る者でもあった。つまり「パトリック・ザラの息子だから」、というのがその動機だ。
アスランのけがをした姿にキラは衝撃を覚えたが、その真実を知ったときにも、めまいをおこすような驚愕と恐怖でわなないた。
久しぶりに心を訪れた激しく感情をゆさぶる出来事に、キラは自分をおぼろげにしていた心の殻から、完全に逃れた。
はっきりとしたのはあたたかく素直な感情で、長いあいだに積み重ねたアスランに向く気持ちのすべてが、恋のそれだったと自覚した。さまざまな虚飾と垢穢がはがれ落ちた自分の本当の心。ようやく気がついた深い感情の正体に、少しの哀しみも覚えた。それでも、もうキラには目を背けることも、ごまかすこともできなくなっていて、いつまでもその気持ちを大切にすることを自分自身に誓ったのだ。──彼の心の所在に如何なく。

あのときからのアスランを思う気持ちに、幾許の変化もなかった。いや、彼と心を通じてさらに増したかもしれない。
悲しみのない世界をつくりたい。アスランとアークエンジェルのデッキで、月の都市を思いながら誓いあった。そのために自分ができると信じることを、彼にだからこそ、理解してもらいたい。

視線をぼんやりと海に流したままアスランを説得するためのことばを胸に描いていると、赤く染まった空を機体に映したヘリがその場の静寂を破りながらもどってきた。
ヘリポートに降り立つと、操縦者は邸には入らずそのままキラの立つ浜辺へ向かってくる。キラはその姿を眺めるだけで迎えた。
「…怒ってる?」
キラは第一声にそういった。アスランはふいをくらったような表情をし、次には「あたりまえだ」と返事をする。だが、一週間も続いていた険しさは嘘のように消え、静かで優しい笑顔がこぼれていた。
「アスランぼくは……」
キラがいいかけるとアスランに抱き寄せられて、ことばが止まる。
強く締め付けてくるその腕を嬉しいと思ったが、キラは微かに身じろいだ。
「……後ろに護衛官がいる」
「見て見ぬふりくらいはするだろう」
そういいながらもアスランはその腕を静かに解いた。そして、さきほどの笑顔よりさらに優しく、あたたかくなった瞳で告げる。
「…キラは自由にしていい。おれを傍に置いてくれるなら、もう、なんでもいい」
投げやりになったともいえるその台詞に、キラは少なからず驚いてアスランをじっと見た。いつでも彼はそうして自分を容れてくれる。どうしてなのか、まったく判らなくなるほどに。
「アスラン、怒ってる?」
キラはもう一度訊いた。
「……もう怒ってない。…悔しいだけだ」
「悔しい?」
「…キラに、勝てないから」
アスランは静かに答えて、もう一度キラを自分の身体に引き寄せた。頭を傾けてわずかに低い彼の頭にすりつけ、頬にかかるキラの髪の感触を心地よさそうに楽しんでいる。
アスランの穏やかな空気を感じ取り、キラの心も緩む。アスランをとにかく説得するのだ、と緊張していた気持ちはまったくどこかにいってしまった。
「……アスラン、謎だね。きみ、不思議だね」
キラのつぶやきに「何が」と耳元でささやく。キラは無言を返してそれをごまかした。
“うまくいかない”と感じても、いつのまにか気がつくとアスランが“うまくいく”場所に立っている。いつもじたばたと慌てさせられても、最後にはどこかにすとんと落ちついている。
───アスランなら、アスランとなら、ぼくはきっとうまくいく。
もうぜったいに離さない、と何度思ったか知れないことを心に思いながら、キラはアスランの背中にまわした腕にそっと力をこめた。

それからふたりはならんで浜辺に座り、ずっとことばもないまま日の沈む海に視線を投げて、星が姿を現すのを待った。
あと少しで、この雄大な自然と離れたところでの生活が、再び始まる。包まれるようにあたたかいここではない、孤独を感じるあの場所で。
この海と宇宙はどこか似ているのに。その寂しさを不思議に思っていた。


C.E.74 22 Aug

Scene ヤラファス島・カウリホテル

キラがインフィニットジャスティスをプラントへ持っていくな、という。
「──何で」
ホテルのロビーで時間をつぶしているあいだにそんな話となった。アスランは横に座るキラに視線も向けず問う。
「いいじゃん。必要なときにオーブに取りにくればいいことじゃん」
プラントからオーブへもどるまでどれだけ時間がかかると思っているのか。アスランは憮然として、こいつはまた何をいいだしたんだとキラを横目で睨んだ。
「マルキオ様がおれも“SEEDを持つ者”だといってる。そうしたらおれだって、披検体ってことだろう」
「だから、必要になったら呼ぶってことで」
キラの考えなどアスランは見通している。要するに、彼をジャスティスに乗せて戦場へ向かわせるようなことをしたくないなどと思っているのだ。SEEDの覚醒状態になるタイミングは、戦場での緊張状態にあることがかなりの高確率と知られていた。つまり、有用なデータを採る必要があるというなら、戦場へは出なければならない。
「話にならない。おれしか乗れない機体を持っていかなくてどうする…」
しかし、とアスランは思う。
「……だが、“機構”の運用が開始されるまでは、確かに持ち込みは難しいな…」
政治的な事情だ。アスランはしばらくのあいだ、プラントへはただの外交官の立場で赴任する。初めから“シードコード”への協力態勢を取り次いでプラントへ渡るキラとはわけが違う。運用規定が定まらないまま他国に自機を持ち込めるはずもなく、またオーブ軍が許可するはずがなかった。
「でしょ?」とキラが勝ち誇ったようにいうので、アスランはもうひと睨みする。

SEEDの研究については、近々国際協力組織の設立が計画されている。その組織の名称は、SEED研究開発機構(SEED Co-Operation and Development Organisation)、略称を“シードコード”といった。
すでに各国が研究への参加と協力を申し出ている。現状の出資はオーブ連合首長国とプラントが中心となっているが、発言力を得るために他の国も進んで多額の出資を始めるであろう。キラはそうなるまえに、つまり、自分たちの影響力を保てるあいだに、できる限りの方向性を整えようとしていた。
公にはされないが、実は組織設立の発案者はキラだ。また、彼自身が特異性を持った披検体であることからも、シードコードの隠れた最重要人物となる。
キラはそのことを、ラクスを通して自分からプラントへ売り込んだ。「試験場」としての環境はザフトの新しく高度なテクノロジーで構成された世界が最適であるし、何より、今後地球圏の外へ向かっていく未来を考慮すれば、宇宙でのデータに重要性が置かれることになる。シードコードにプラントの協力は不可欠なのだった。

今日はこのヤラファス島に各国の関係者や代表者などが集い、機構設立の準備を相談し合う。通常はネットワーク上でおこなわれることになるが、今回はキックオフミーティングであるため、表向きに発起人、組織代表となっているマルキオの住むオーブがその開催会場となった。
「あ、カガリだ」
キラがロビーの入口に現れた彼女を見て声を出す。カガリはすぐに気がついてふたりの傍まできた。
「だめじゃないか、おまえたち。ちゃんとマルキオ様についてないと」
いい様のわりに怒った様子はなく、逆に明るい笑みを浮かべている。彼女らしさの表れた挨拶替わりのことばだ。
「あそこで誰かと話してるんだよ。邪魔しちゃいけないと思って。視界にはきちんと入れてるから心配しないで」
そういいながらキラが視線で示した少し離れたところに、確かにマルキオが誰かと話をしているのが見える。カガリは素直に納得して、ふたりの正面のひとり掛けソファに座った。退屈そうな顔をしているアスランに気がつき、なんだおまえは、と声をあげて笑った。
「まだ興味ないんだろ、おまえ」
図星だった。キラが一生懸命になっているのでアスランはこまごまと協力を始めたが、やはりSEEDそのものについてはいまだそそるものがなかった。心の中でもやもやとした整理のついていない状態といえばいいだろうか。
カガリの言にキラがちらりとアスランを横目で見て、「スイッチはいらないとだめなんだ。昔からアスランは」という。
「おまえと違ってやるべきことはきちんとやるんだから、いいだろ」
退屈で不機嫌になっていた彼は、けんかを売るようにキラへ返した。当然キラはそれを買う。ふたりはしばらくどうしようもないいい合いを続けるが、カガリはめずらしく口を挟むことなくじっとその様子を眺めていた。
それに気がついたアスランはいたたまれず、莫迦ばかしいけんかをやめて口を噤む。
「……おとなしいなカガリ。どうしたんだ?」
その彼女はにかりと笑うと、「いや、久しぶりにおまえらの、そういう仲のいいところ見たから」といった。
アスランはあらためていわれたことの意味を考えてことばがでない。確かに少しまえに派手なけんかをやらかして周囲を心配させたばかりだが、それで今頃「久しぶりに」と指摘されるのもおかしな気がしていた。
意味を問おうとキラを見ると、耳まで赤くして俯いている。そのキラの様子にもアスランは訝しむ。釈然としないものを感じながらアスランは曖昧に「…そうか」とだけ返事をした。
いいながら時計を見ると、会議が始まる時間が迫っていた。
「そろそろ時間だな。……キラ」
「うん、マルキオ様のとこいこうか。…じゃあ、カガリ。またあとで」
ああ、と返事をするカガリと同時に立ちあがる。やはり同時に背を向け合うと、すぐに彼女が「あ」といってふたりのほうへ向き直った。気がついてアスランとキラも足を止めると、カガリはアスランの正面から真面目な目で見つめ、「アスラン。──キラを泣かせたら、オーブから追い出すからな」といい残し、再び背を向けて去っていった。
「………………」
アスランは呆然と人混みへ消えていく彼女の背を見つめる。カガリの意味深なことばと視線に、内心でぎくりとしていた。横にいるキラを見ると、やはり含みのある雰囲気で上目遣いにアスランを見ている。
「…キラ。もしかして……」
「うん。…いっちゃった、カガリに」
キラの返事にアスランはふうと一息吐いて、そうか、といった。
「あれ、それだけ?」
簡単なアスランの反応をキラが不思議がる。もともと彼女には自分の気持ちを知られていたのだ。キラとその気持ちを通じ合わせたことも知られたとして今更慌てることは何もない。
「いいから、行こう」
何かをいいたげなキラを促し行きかけたほうへまた歩き始める。
───いつも泣かされているのは、むしろおれのほうなのに。
アスランは先日のけんかのことも含めていろいろ思いめぐり、つくづく割を食っている自分に自分で同情していた。

「…あ……!」
議場へ一斉に向かう人混みの中で、キラがふいに声をあげた。
「……キラ?」
その声音に不穏なものを感じとったアスランは、心配になってキラを見る。彼の視線は、流れる人の波からは外れたところに佇んでいる年配の男に注がれていた。
キラは眉間に皺をよせ、その先にいる人物をじっと見つめている。まもなく向こうもキラに気がつき、驚愕と困惑をのせた表情になる。だが、すぐに嫌な印象の笑みを浮かべこちらへ近寄ってきた。先に声をかけたのはキラのほうだった。
「あなたが、シードコードに関わるんですか」
いくつも年上に見える相手に刺のあるひとことだった。キラが敵意を露にすることはめずらしい。アスランは対面した人物の正体を知ろうと自分の記憶を探る。この男の顔には見覚えがあった。
「──私用で昔の知り合いに会いにきたんだがね。その知り合いは、きみではなかったはずだが」
地球連合軍の軍服ではなくダークスーツを着込んでいたため多少印象が違って見えたが、彼はジェラード・ガルシア──旧ユーラシア連邦の宇宙要塞、“アルテミス”の元司令官だ。過去、アスランがザフトにいたときに一度攻略した相手であり、さらにはごく最近、キサカとの話でエヴァグリンの関係者だとして彼の名がでた。キラが嫌な顔をするのも無理はない、という経緯のある人物だった。
アスランは警戒して、キラよりわずかに身体をジェラードに近づけた。その動きに気がついて、向こうもその場で歩を止める。
「オーブにいると噂には聞いていたよ」
ふん、と鼻をならすように笑っていうその様子は、やはり印象がわるい。彼は次にアスランを見やる。
「きみも知っている顔だな。プラントの有名人だと思ったが、“それ”はオーブの軍服に見えるね」
アスランはその厭味を無視してキラに「行こう」といった。こんな男につき合っているあいだにマルキオに追いつかねばならない。キラも何もいわず、アスランの促しに従った。ジェラードもやはり黙したままその場に立ち尽くし、いつまでもふたりの背中を睨めつけていたが、キラはもう彼に一瞥もくれようとはしなかった。
ジェラードは度重なる作戦の失敗で軍部内で失脚したと聞いている。この場に現れたのは語ったとおりの私用らしく、議場へくる様子がないことに少しばかりほっとした。会いにきた相手のほうが、この会議の関係者なのだろう。その相手が誰なのだろう、ということがアスランは気にかかった。そのような問題を含む人物が関わってくることには不安がある。ましてや、キラに敵意を表す者など。

アスランからは「無関心」や「退屈」を示した先ほどの姿はどこかに消えていた。その思考の中ではもう、この会議の参加者リストの取り寄せなど、とるべき手配を巡らせている。そしてそれを押し隠しながら、難しい顔になったキラの肩に手を置き、見あげてきた視線に心配するな、と語りかける微笑みを見せる。キラはアスランに応えて口元を少し緩ませてから、気持ちを切り替えた眼差しで向かう前方に視線をもどした。
───それでいい。おまえはよそ見を、しなくていい。
誰にもキラの邪魔はさせない、と心に誓ってアスランもまえを見る。今から話し合われることは、彼らの見る先──未来に繋がる一端だ。
過去にいた者など置いていけばいい、とアスランは思った。


C.E.74 3 Sep

Scene オーブ軍本部・本部棟応接室

「だめ、キラ。やり直し」
向けられたスチルカメラのレンズをじっと見て、キラは深くため息を吐いた。さきほどから繰り返されるミリアリアのダメ出しに、となりに座るアスランへ助けを求める視線を送ってみるが、これは仕方ないだろうといいたげに首をふっている。
彼女がいうには、表情がどうも緊張していていつものキラとちょっと違う、とのことだ。長くつきあってきた彼女が気がつく程度の、「ちょっと違う」くらいだったらどうでもいいのじゃないかと思うが、彼女なりにプロとしてのこだわりがあるらしい。
オーブ軍の広報局に務める彼女は、その職務のひとつとして軍内広報誌の記者をやっていた。写真撮影の腕もさることながら記事も書ける彼女の存在はなかなかに貴重なのだと聞く。実際、高官フロアでカメラを抱えて走る姿をよく見かけるし、キラやアスランのところへ取材にくるのもこれが初めてのことではなかった。
「もういいわ。じゃあ先にインタビューさせて。話をしてるうちに、緊張も解けるかもしれないでしょ」
その言にキラはどうかな、と思う。今まで受けた取材は、自分の仕事の“ながら”で彼女と軽口をかわしつつコメントを落とす程度のもので、このように部屋のソファにちんまりと座っての対面インタビューなど初めてのことだった。おまけに、“音声”に録るという。
「アスランは写真、もういいけど。さすがに慣れてるのね」
ミリアリアはここまで撮り終えたカメラのデータを確認しながらいった。アスランは確かに慣れているのかもしれない。キラにはぴんとこないが、彼はプラントではずっと有名人であり続けていたのだから。いや、それ以前に性格的なものも、あるのかもしれないが。
「………………」
どぎまぎとしているキラを彼は彼で理解の外としているのか、アスランはしれっとした顔でソファにくつろいでいた。たかが写真じゃないか、とでも思っているのだろう。
「きみって厭味だよね、ほんと」
キラは照れくささの八つ当たりにそんなことをアスランにいった。
「……おれは何もいってないだろ」
「顔に書いてある」
「はいはい、けんかしないで。時間少ないんだから、そんなの取材が終わってからにして」
准将をふたり相手にミリアリアはしっかりと仕切り屋さんになっている。学生時代から比べると、彼女は本当にたくましくなったものだ。

今日の取材の内容はプラントと交わす軍事同盟のことや、来年から向こうで仕事を開始する面子の、いわゆる今後に向けた抱負というものだ。キラは一足早く来月プラント入りをする。アスランたち他の外交官も、事前調整のため11月に発ってしまうので、来年のことを今の9月にというのは先取りし過ぎた話でもなかった。
キラとアスランのふたり──とくにキラは、公にしていない特別の事情、特別の立場をさまざまに抱えているわけだが、実をいえばミリアリアにはあらかたのことは話していて、キラがザフトでSEEDの研究をすることや、SEED研究開発機構の設立に深く関わっていることなども知っている。それらはオーブ軍内でも多くの人間にまだ伏せられている事項だったので、「プラントへ行って何をするのか?」といった質問など、キラにはどう答えていいものやら判らない。インタビューの相手がミリアリアだからこそうっかりした話の融通はきかせてくれるものの、そういった細かい事情に配慮することに慣れず、キラの口は重かった。
もっとも、そんなことはすでにミリアリアに見抜かれていて、キラが返答に詰まるような質問は避け、避けきれないものはアスランにふった。アスランは深く突かれた質問にも“嘘をいわずに”流すことをして、やはり顔色のひとつも変えることがなかった。ほとんど録り直しをすることなくインタビューは進められた。
「───ありがとうございました。もうけっこうですわ。准将方」
質問用のリストをチェックしながら、ミリアリアが丁寧に告げる。レコーダーを止めると、いつもの明るい笑顔をキラとアスランに向けて、「お疲れさま!」といった。
「あ…、あと写真……だよね」
「なぁに。まだだめ?」
キラの沈んだ声音に仕方ないといいながら、ミリアリアはちらりと時計を見た。
「少し時間も残ってるし…。キラ、アスランとくだらない話でもしてなさいよ。緊張しないような内容で」
最後のひとことはアスランに顔を向けていった。急に課題を渡されてアスランは一瞬ぽかんとする。
「ミリアリア、そんなことふったら、今度はアスランが緊張するってば」
それもそうね、とミリアリアが高笑いをする。つられてキラも笑った。たったのひとことでからかいのネタにされたのだと気がついたアスランは、ひとり憮然とした顔をした。

「答えにくい質問が多くてわるかったわね。取材の内容まで任せてもらえなかったから…」
緊張の緩んだキラにフレームを合わせながら、ミリアリアはアスランに話しかける。キラは自然とアスランに視線を移し、さっきのようにカメラを気にしなくなった。
「いや、問題ない。…きみがきてくれて助かった。何しろキラがこの通りだから」
今度はキラがむくれる番だった。ミリアリアは、とても広報誌に載せられないこの表情も含めて、キラの笑顔をいくつもカメラに収めた。こんなにほがらかでやわらいだ顔は学生だったとき以来ずっと見ることがなかった。戦争の緊張も消え去り、自閉していた頃のぎくしゃくとした微笑みのかけらもなく、心から和んで笑っている。
むしろ今のほうが、抱えているものは大きいだろうと思うのに。
ときおり剛胆なことをしでかす親友が今度は何をしようとしているのかなど、彼女には本当の意味では理解できていない。どんどん遠くへ、先へ行ってしまうということだけは知っていて、とにかくその背中から目を離すまいとは心に誓っているのだが。
ただ、彼はひとりで行こうとしているわけではない。今も横にいるアスラン・ザラが、キラの傍にいて支えてくれるのだろう。ひとりずつでは心配でも、ふたりが一緒であれば「まぁいいか」と任せる気持ちに、少しは思うことができた。

しかしこの場ではどうだろうか。流れるままキラとアスランに会話を任せていたが、どうもさきほどから少し不穏な空気になりつつあった。
「キラ、子供みたいよ。仕方ないじゃないの」
彼女としては親しいほうの友人を嗜める口調で割り込むしかない。キラはどうやら家にとんと帰らないアスランを非難したいようだった。
「家だって近いのに。官舎の仮眠室まで歩いていくのと、何分も違わない」
なのにアスランは、とぶつぶついっている。アスランがこの数ヶ月、もしや来月も、プラントとの条約や同盟のために忙殺されているのはミリアリアも知っていた。今日の取材も調整はかなり困難だったのだ。
「連日深夜に帰ったりしたらアスランだって家の人に気を遣うでしょうに」
そのひとことにキラは、「そうかもしれないけど」とつぶやくようにいいながら手元の制帽をぐしぐしといじりはじめた。アスランはといえばそんなキラをただ困ったものを見る視線で黙っているだけだ。これではまったく、仕事ばかりする夫を責める新妻の姿だ。
オーブへ落ちついてから半年ほどのこのふたりはまったくどうだろうと思わせるほどに仲がいい。確かに以前から仲はよかったのだろうが、いくらかの薄い壁も見えていたように思う。新婚の惚気にあてられるのはムウとマリューだけで充分だというのに、と思った自分の想像にはっとして、ミリアリアはもう堪えきれずに大爆笑をしてしまった。
ひとりで突然大笑いを始めたミリアリアを凝視してキラとアスランは固まっている。
「あはは、ご、ごめん! ……ねぇ、キラ、でもしょうがないって判ってるんでしょ? 家の中で悪者にしたいんじゃないんだったら、アスランを助けてあげなさいよ」
キラは一瞬目を丸くして眉尻を下げた。ようやく、わがままをいって彼を困らせていると判っただろうか。
「そんな、悪者なんて……。そんなんじゃないよ、アスラン」
「判ってる」
そういって交わしている視線も甘ったるいことこのうえない。真実を素直に映すフレームを通さなくても、彼らが思い合っていることはミリアリアには見えている。ブラックに淹れられたコーヒーに手をつけることなく、ミリアリアはカメラを抱えて立ちあがり「甘くておいしかったです。ごちそうさま!」とその部屋を後にした。


C.E.74 5 Sep

Scene ヤマト家〜オーブ軍官舎・1102号室

先日のミリアリアの助言を素直に容れ、キラはアスランが官舎に居を移すことを了承した。ただし、しつこいくらいに「今だけだからね!」と念を押し。さらには、週末はきちんと休暇を取りヤマト家へもどることも約束させていた。
「指切りげんまん、嘘ついたらぜったい針飲ます!」
アスランの目の前に小指を突き出し鼻息も荒く強要するキラに、彼は呆れた顔をしながら、それでもキラの小指に自分のそれを絡めた。

「それでキラはどうするの」
その最初の週末、キラが面白くもなさそうにキッチンでニュースを見ているとテーブルの向かいに座るカリダが突然そういった。
「え?」
前後の脈絡なく、どうするといわれて答えようもない。
「キラも一緒に大変なんじゃないの?」
ああ、アスランのことか、とキラは思う。アスランはゆうべ一度ヤマト家へもどり、カリダとハルマにも事情を丁寧に説明して週末だけの一家団欒に了解をもらっていた。しかし、今週の彼には“週末”も“一家団欒”もなかったらしい。つまり、そのあとまた軍へもどり、帰ってこなかった。
「なに見てるんだか。ぼくは休日返上するほど、軍に行ってないでしょ」
「あらそう? でも一緒にいて助けてあげたら?」
就いている仕事の内容が違う、と反論しようとしたキラに、カリダが追いかけて「仕事のことじゃなくて」といった。
「助けるっていっても。アスランが世話焼くだけなの母さん知ってるでしょ」
「それもそうね」
───あっさりそういわれても、なんか嫌だし…。
だが、少なからずキラにもそうしたい気持ちはあった。軍に行けば会えるといっても、それは互いに肩書きをもったままなのだ。住まいを別にしてしまえば、アスランとキラとして会える時間が本当になくなってしまう。
「家に帰って愚痴のひとつをこぼすでも、誰かいてくれるだけでいいことがあるんじゃないの?」
「……うん。それは、……うん…」
「急にひとりになって、アスランくんも寂しいんじゃない?」

「……て、母さんがいうんだけど」
「………………」
軍に用意してもらった官舎の一室、1102号室へ突然訪れたキラは、「昨日のことなんだけど」とその母親との会話を説明した。
「…………ど? ……それ、で?」
「うん。ぼくどうしたらいい?」
「……………」
アスランの思考はあまり回転していなかった。休日ではまだ朝も早いといえるこの時間。アスランはもう少しゆっくり眠ってその疲労を癒し、午後からヤマト家へ帰宅するつもりだった。通常には週末二日の休日、一日目の昨日は残念なことに無理だったが、しょっぱなから約束した週末の団欒を裏切るのは嫌だった。
そこを叩き起こされて、そのうえにキラのよく判らない訪問理由だ。
「……おれに決めさせるのか?」
「広いね!」
「は?」
会話が繋がっていない。
「もっと狭くて汚くてとか。仮眠室とたいして変わらないんだと思ってた」
「…学生寮じゃないぞ…」
それに一応ここは高官用のフロアだから、と断りをいれると、キラはいいなぁといった。
「ふたり住めるくらいだよね、広いから」
「……………」
キラの期待した眼差しでいわんとすることは判ったけれども、だったら何故素直にそういわないのかがアスランにはよく判らなかった。
「それは家族で移るケースも少なくないし…この部屋は単身用みたいだけど。…じゃなくてキラ、どうしたいんだ?」
「アスランは?」
「……………」
意図は判らないが自分にいわせたいのだということは、理解した。まだ眠い頭で。
「……判った。休みが明けたら申請しておく……同じ部屋でいいのか?」
「違うの? それ意味なくない?」
周りは他意をもつまいが、キラとふたりきりの部屋になることに多少の後ろめたさを感じて、アスランは若干のためらいがある。
「……いや……部屋を隣にすればたいして変わらないし」
「いや、変わるでしょ」
「……………」
とりあえず、これ以上の会話は不毛に感じ、アスランは諦めてバスルームに向かった。まだ寝間着のままだった。

顔を洗って身支度を整えていると、リビングからコーヒーの香りがしてくる。さきほどほったらかして置き去りにしたキラだが、勝手知ったるとでもキッチンで豆を探し出し淹れてくれたのだろう。
「アスラン、牛乳ないの?」
キラは自分のコーヒーにいつもたっぷりと牛乳を入れる。昨日の今日でこんな訪問があると思わないから、それを知ってても当然用意しているはずがない。
「ごめん、ないよ」
さっきまでの眠そうな顔をすっかり切り替えアスランがリビングにもどると、キラはまだ片付かない荷物が雑然としている床のうえにコーヒーカップをふたつ並べ、その傍らに座っていた。そうして残念そうな顔をアスランに向けている。
「砂糖いるか? 料理用のならあるから」
ブラックが飲めないわけじゃないし、とそれは断ってキラはコーヒーを少し啜った。アスランはその横に座り込み、同じようにコーヒーカップを手に取る。起き抜けにキラが淹れてくれたコーヒーを飲むなど、初めてのことじゃないだろうか、とアスランは思う。こういうことが、これから何度もあるのだろうかとあたたかな期待でふくらむ。
だがよくよく考えれば、今また一緒に住むことを決めたとしても、まもなくふたりは別れることになるのだ。アスランはすぐにキラを追いかけてプラントへ行くことになってはいるが、向こうで一緒に生活することまでは、その立場の違いを思えば叶えられないかもしれない。
───こんなことが、何度もあると思っちゃいけないな…。
そうであれば、このコーヒーも味わって飲むべきだろう。のんびりとした空気でカップに視線を落としているキラを眺めながら、アスランは少しだけ寂しい気持ちになった。
「キラ」
名前を呼んでキラの視線を向かせると、静かに体を寄せてその唇に軽くくちづけを落とした。鼻先を触れさせたまま彼の表情を窺うと、慣れないといいたいのか、戸惑いの色がある。
ふたりは半分けんか腰に思いを通じ合わせてから、まだ数えるほどしか唇を合わせてはいなかった。ひとつには、ふたりきりになれる時間がほとんどなかったこともあるが、何よりも幼馴染みで育った親友と思うと、どこか気恥ずかしさが残るせいもあった。
「…アスラン」
だが、キラの戸惑いに揺れる瞳は扇情的でもあった。恥ずかしいから、と告げるために名を呼んだ響きもどこか誘いを感じさせる。そんなはずはまったくないと思いつつもアスランは誘われて、二度目のキスをしかけた。


C.E.74 14 Sep

Scene オーブ軍本部・アスランの執務室

深更となっても明かりの灯るオフィスを見るに、真面目な彼であれば仕事に傾注しているのだろう、と誰もが思う。実際には片づけるべき仕事は二時間も前に終えていて、アスランはただだらだらと居残っているだけだ。理由といえばなんということもないが、官舎の自室にもどってもキラがいないからというのが、たぶん、いちばん大きい。
それでもいよいよやることがなくなって、重くなった腰をあげると同時に彼の執務室を訪れる者があった。来客に反応して、アスランが気がつくより早く彼の肩にあるものが動いて報せた。
「あれ、トリィ」
声のほうを見れば、ドアの前に目をまんまるにしたカガリが立っている。
「カガリ。どうしたんだ、こんなに夜遅くに」
「官邸に帰る前にちょっと寄ってみただけさ。それよりなんでいるんだ?」
「いる」とはアスランのことではなく、彼の肩にとまるトリィを指している。
キラは今朝方、衛星軌道──つまり宇宙に三日間の出張へと発ったが、その出がけに「なんだか調子がわるい。診て」といってトリィをアスランに預けていった。ばたついていて何がどう調子わるいのか訊きそびれ、今日は一日傍に置いて様子を見ていたのだ。幸いデスクワークの日だったので、鳴き声の音声をオフにしてしまえばかまわないだろうとオフィスに持ち込んだ。
「まさか、キラがいなくて寂しいから代わりに、なんてのじゃないだろうな?」
半分本気でそう思ってるといいたげな笑顔でいうカガリに、不興を隠さずひと睨みし「何いってるんだ」と否定する。
この場にいるふたりは数ヶ月前まで、噂でいわれていたほど甘いものでもなかったが、それでも周りの人間が気がつくくらいの関係を築いていた。それなのに今、なんのわだかまりもなくこうした会話ができるのは、ひとえにカガリのおかげといえた。

『おまえら、離れちゃだめだ。離れるな』

ギルバート・デュランダルを討つべく地球を発つその前日に彼女がアスランにいったことば。
カガリは、アスランがその戦いへの迷いを拭いきっていないことに気がついていた。このままではいけないが、こうすることも疑問なのだと、アスラン自身でさえはっきりと形にできていないことを、彼女は何故か理解していた。正しい答えはどこにもない。答えは永遠にでない。ならばキラの傍にいろ、と。カガリはそういった。
翌日彼女はアスランが贈った指輪をはずし、また、それ以来ふたりの間にあった甘い距離がもどることはなかった。いつまでも何においてもはっきりとできない自分を、見限ったというわけではないだろうが、合わないペースにもどかしかっただろうことはアスラン自身にも想像がつく。おそらく自分では曖昧に感じている本心の、その奥に固まっている答えすら、彼女にはとうに見えてしまっていたのだろう。

要するにこの世にある女性というものは察しがいい。キラがいなくて寂しいというのは、事実でもあった。見抜いた様子でカガリがトリィをつつきながらつぶやく。
「出張からもどっても、またすぐにプラントだな、キラは」
そして、プラントへは二、三日という話ではない。地球へひとり残ることを考えれば、カガリがいちばん寂しいといえるかもしれない。
キラが、カガリを自分のやろうとしていることから遠ざけようとしているのは判っている。危険が伴うことでもあるからだ。国家元首という何より守られる位置に安心して、キラは彼女にそこから動かないで欲しいと望んだ。もちろんそんな彼の思惑は置いても、カガリは自分のすべきことのためにそこから動く気は毛頭ないだろう。
ただ、彼女本来の大きな好奇心がSEEDに向いていることもまた事実だった。「ナチュラルの披検体が足りない…てことは、ないかなぁ」などと、キラにいいよっている姿もつい先日見かけていた。油断すれば視察のなんのとかこつけて、プラントへやってくるような気がしてくる。冗談まじりにそんなことをいえば、心外とばかり彼女は口を尖らせた。
「ふん、いってろ。わたしだってな、忙しいんだぞ」
だが、その表情を翻して瞬間真面目な顔になる。
「なぁ、遺伝って、関係あると思うか?」
「進化という定義なら、あるんじゃないのか」
「だったらわたしも、訓練とかでキラみたいになるんじゃないのかな」
キラのSEED発現の状態維持は特異だ。カガリはその特異性を自分ももつのではないかと、そういいたいのだ。

現在SEEDを“もつ”と報告のある全員が、発現状態について自在なコントロールができていないことが判っていた。ましてや、発現を自覚できない者もいる。どちらかといえばアスラン自身もそうだ。戦闘の興奮状態で覚えていない、ともいえるのかもしれない。
だがキラはその覚醒をはっきりと自覚しており、さらにその状態を自分の意識でコントロールできているという。SEED研究開発機構でいちばんの披検体といわれる所以だ。
同じくSEEDを“もつ”といわれたカガリは、やはり自覚のないタイプではあったが、彼との血の繋がりから自分自身も研究に協力すべきではないのか、と真剣に考えることがあるのだろう。
「カガリ、シードコードを始めたのはキラだ。ただキラが知りたいといって始めたことだろう?」
アスランのいう意味が読めないのか、訝しげにカガリは眉をひそめた。
「カガリが未来への貢献にそんなことを考えても、キラには通じないよ」
アスランに視線を固定したまま動かない彼女の思考はくるくると働き、次には目の前の相手のいわんとすることを悟ってこぼれるほどに瞳を見開いた。その様子につい笑いながらいう。
「あいつがわがままなのは、知っているだろう?」
キラが恣意だけで動いているのだと暗に告げ、またそれをまったく許容しているかのようなことをいうアスランに、カガリは「おまえも苦労性だな」と大きなため息とともにいった。
「苦労?」
「そうだろう。くそ真面目なおまえが、そんなことを本当に許しているとは思えない」
───ほら、女性は察しがいいのだ、とアスランは感慨深くなる。
それは事実で、諦めていることでもあって、だがアスランはそれでもいいと決めてキラの傍にいるのだ。
ゆったりと微笑んでいるアスランの開き直りっぷりに呆れたのか、カガリはその笑顔にことばもなく大きくため息だけを吐く。そんな彼女の感情の動きに反応して、アスランの肩でトリィがパタパタと羽をばたつかせた。


C.E.74 17 Sep

Scene オーブ軍官舎・1102号室

アークエンジェルの新エンジンやストライクフリーダム用のランチャーなど、短い期間にキラが開発に携わったものは多くあった。いずれも細かいものだったとはいえ、予定の工期をいくつも繰り上げ急いだのは、キラがじきにプラントへ行ってしまうからだ。出発を目前にして宙域でのテストなど他人に任せればよいものをと周りは引き止めたが、それは製作者としての責任でもあるし、フリーダムのものはキラでなければどうしようもない。なんとか予定を調整して三日半のテスト航行へでかけ、幸いにも良好な結果でほくほくと大気圏内へもどったのはつい三時間ほど前のことだ。

本当のところ期待していなかったのだ。出迎えなど。
一応、「もどったからね」とアスランにメールは入れておいた。彼がとても忙しいことは知っている。忙しいのであればそれを見るもの日付を越えて帰宅直前のことなのだろう、とキラは予測していた。だから、カグヤ島の宇宙港から真っすぐに官舎へ帰宅したキラは、夜中といえるこの時間でも同居人がもどっているなど、まったく頭になかった。
それなのに部屋の玄関にカードキーを通してドアを開ければ、室内は煌煌と明かりがついており、こちらの物音を聞きつけたアスランが笑顔とともに「おかえり」といってキラを出迎えてくれた。
「アスラン…まだ帰ってないと思ったのに」
それには応えないで呆然とするキラを双手に抱きしめてくる。
「おかえり、キラ」
耳元で再度囁かれ、キラは慌てて「ただいま」と応えた。アスランは挨拶にうるさく、返事をしないといつまでも「おかえり」をいわれることになる。そうこうしてキラが思わぬ出迎えに感激する暇もないままアスランはぱっとその体を放し、先に立って室内へと入っていった。それを追いかける彼へ、トリィは直しておいたぞ、と背中越しにいってまたキラを驚かせた。
「そんな時間あったの、アスラン」
リビングに足を踏み入れるとトリィが鳴いて主人の帰宅を歓迎する。さらに驚いたことは、ついさきほどまでアスランが作業していただろうと思われるテーブルに広げられた数々だった。
「……なにこれ…新しいハロまで作っちゃって…」
「キサカ一佐が条約策定委員会に入って、いろいろ負担を引き取ってくれたんだ。おかげで時間ができた」
C.E.75年から勤務が開始されるプラントへの派遣外交官リストにアスランが正式に入ったため、今のままではその準備もままならないとキサカが気を遣ってくれたとのことだ。
「プラントへ行く準備といっても…これしか思いつかなかった」
アスランは自嘲気味にテーブルにあるハロの作りかけを指差していった。ラクスのプラント帰還が決まったときから作ろうと考えていたらしい。何かの記念があれば彼女にハロを贈るのは、もはや習慣となっているようだった。傍目にはこういうのを“恋人への贈り物”とみるのだろうが、アスラン自身にそういった意味がすっぽりと抜けているところが実に不思議だ。
キラは荷物をそのへんに放り出してソファに座ると、さっそく彼の作品を観察した。製作途中のハロを見るのは初めてだ。
「壊すなよ」
いい置いてアスランが放り出した荷物を片づけてくれる。いつもなら小言がふってくるところだが、今日はサービスしてくれるらしい。
そのあとアイスココアを片手にもどったアスランは、キラにそれを手渡すと正面に座ることなくソファの隣へ無理矢理割り込んできた。
ふたり掛けとはいえ少し窮屈だなぁと文句をいおうとするが、アスランはそうして頼んでもいないのにキラの手に収まっている作りかけのハロの構造の解説を始めたので、キラは考え直して口を閉じる。
ハロにはひとつひとつ違ったおまけ機能を仕込んでいて、今回はこうしてみたとか、このあたりがうまくいかないんだとか、夢中になって話している。アスランは昔からこうした“熱中癖”があった。急にもてあます時間ができ、キラにトリィの修理も頼まれたきっかけもあり、つい工作ごとにハマってしまったのだろう。キラは話を半分ほど聞き流しながら、変わらないなぁとしみじみ過去に耽った。
「色がまだ決まってないんだ」
たいていの色はもう贈ってしまっていて、あとは基本色のバリエーションか、はたまた二色にしてみるとか、悩ましいところなのだという。
「ラクスに決めてもらえばいいんじゃない」
本人の希望に添うのは、それはまちがいなくいちばんであろうからとキラはアドバイスした。キラがそういうなら、とアスランは提案を容れて、「今日はもう終わりだ」と片づけを始めた。とはいってもなくしやすいパーツ類をまとめて工具箱に仕舞う程度のもので、明日にも続きをやるつもりなのだろう。
そうして三十秒にも満たない片づけが済むと、アスランはそのままキラに向き直って強引に肩を引き寄せた。
「うわ」
急に抱きしめられてバランスを崩しそうになり、そのまま彼へ倒れ込む。アスランといえば、近づいた顔を幸いにとキラの頬や額にいくつもキスを落とした。
「え…う……ちょ……やめてよ、アスラン」
「うん」
素直にそう返事をしてキスは止めてくれたが、抱きしめる腕は緩みそうになく、そのままキラの耳元に顔を埋めたまま動かなくなってしまった。
「……アスラン、もしかして寂しかった?」
突然の過剰なスキンシップに、頬が熱くなるのを感じながらも訊ねると、そうかも、と囁かれた。
「“かも”じゃなくて…寂しかったんでしょ」
「………………」
「……仕事が忙しくて顔も見ないことなんて、今までにもけっこうあったじゃない」
「…そうだけど」
アスランは、キラが先にプラントへ発ってしまう日のことを想像して思いを募らせているのかもしれなかった。予定ではその一ヶ月後にアスランもプラントへ行くのだが、ふたりの心が近づいた分だけそれを遠く感じてしまうのかもしれない。実際、キラも同じ思いがあった。
アスランはようやくキラを放して少しの距離をとった。狭いソファのうえの距離など、たいしたものではないのだが。
「置いていかれる気分がする」
思いがけず拗ねた子供のようなことをいわれ吹き出す寸前だが、彼の真剣なまなざしにそれを押しとどめる。どうしたものかと思うが、キラはふと思い出した過去を引き合いに出す。
「…そんなこといってさ、アスラン。きみだってぼくのこと置いてったことあったでしょ。二回も」
コペルニクスで最初に。次はつい一年ほど前、勝手にザフトへもどったときだ。
「そんな…好きで置いていったわけじゃないし…だいたいこのあいだのときは、おまえおれのものじゃなかっただろう?!」
「カガリも置いてったよね?」
「………………」
キラのわるふざけにアスランはことばに詰まる。先走って迷走したあの頃のことは、いまだ周囲の面々に頭のあがることではない。アスランの反省を思ってキラはあまり蒸し返すことはしないが、距離が縮まるとつい遠慮が薄くなることもある。さすがに傷をいじったと思い、キラは「もどってきたから、許すけど」と、つけ加えた。
口の重くなってしまったアスランの目を見ることができず、手元に落ちている彼の手を拾ってそっと握った。すぐに絡んでくる指先が、少し体温の高い彼のぬくもりを伝えてくる。
「さきにプラントへ行っちゃうけど、待ってるからね、アスラン」
そっと表情を窺うと、やはり寂しい、と訴える瞳がキラを見つめている。
「……キラ」
この瞬間にも自分を呼ぶ彼の優しい声が何より好きだと感じていた。
離れることが寂しいなど、アスランに負けないくらいにキラも思っている。不調で留守番にしてしまったトリィも傍になく、この三日間をキラがどれほど長く思っていたか。
彼に「寂しい」などと愚痴をいわれる筋合いはないのに、とキラはそっと心の中でつぶやいた。


C.E.74 21 Sep

Scene オーブ軍本部・本部棟食堂

「え?! マリューさん、退役するんですか?」
「…まったく…なんでおまえがそれを知らないんだよ。同じ所属だろう」
「アスランだって知らなかったくせに」
「そ……っ…。仕方、ないだろう、こないだまでずっと官邸に拘束されてて…」
「そこ、情報がいちばん落ちるとこじゃん」
さきほどからキラとアスランのじゃれ合いが目の前で展開されていた。マリューはにこにこ、ムウはにやにやと、その様子を眺めている。
四人揃ってでは久しぶりの昼食だった。主にはアスランが不在であることが多く、もうオフィスをヤラファス島にしたほうがいいのではないかという毎日だったが、この頃は少し余裕があるらしい。
珍しく見かけたふたり一緒の席に割り入ったものの、隣に座りあう彼らの睦まじさは新婚の自分たちに負けず劣らずの様子だった。それでもときおりアスランのほうが自制してみせる努力がなんとも微笑ましく、破顔したままことばを挟むことなくふたりのやりとりを眺めて楽しむ。横にいるムウと目線を合わせると、彼も同じことも思っているように微笑んでいた。

マリューが彼らと出会ってから三年が経つだろうか。
身近にはなかったコーディネイターであるキラにはさまざまな衝撃を受けることも多かったが、中身はごくふつうのどこにでもいる少年だった。アラスカで死線を乗り越えて現れたときにはいささか冷めた印象を伴ってきたが、アスランがアークエンジェルと共闘を始めた頃には、また年相応の少年らしさを垣間見せるようになっていた。それはもちろん、今のようにアスランと一緒にいるときのことだ。
幼少の頃に結んだ絆の深さはいつでも過去へ引きもどすのに違いない。
いつかアークエンジェルの展望室で、近づく月の都市をふたりでただ黙って見つめているのを見かけたことがあった。肩を寄せ合って、本当にことばもなく、思いを馳せるようにゆっくりと迫る月に視線を送っていた。実際には会話もしていたのだろうが(実際、マリューは話し声を聞きつけその場所へいった)、ことばにのせる必要のない記憶をふたりは共有しているのだ、とその時マリューは知ったのだ。
そうして、今も自分が彼らから目を離すことができずにいるのは、そんな彼らに憧憬を抱いているからだと思っている。

マリューがひとり思いを巡らせていると、アスランをやり込めて満悦らしいキラがこちらのほうを向き、難しい顔を見せた。
「マリューさん家庭に入るってことですか? …プラント、いかないんですか?」
早とちりするキラに彼女は慌てて「いくわよ、もちろん!」と答える。マリューはオーブの特命全権大使として、プラント行きメンバーの筆頭に名を連ねていた。
「大使が武官っていうのも殺伐とした感じだからって。…ね?」
そういって視線を向けた先のムウが頷く。同じく彼は大使館付武官補佐官に決定している。
「確かに今後ザフトとは、そういう結びつきが強くなるんだろうけどな。まぁだからこそ、多少は柔らかく見せたいってものだろ、とくに“地球のみなさん”にはな」
地球連合の力が衰え、あたりは弱くなったとはいっても、オーブとプラントの軍事同盟の決定に連合加盟国からの批判は続いていた。地上での勢力図が描き変わる事態なのだから仕方のないことではある。できるだけ穏便にまとめるため、オーブの外交筋は日々頭を悩ませている。
そういった中にスタンドプレイともいえる交渉をプラントに持ち込んだことで、政治家からのキラに対する圧力は多い。もはや国の枠が視点にないキラにとってはどうにも小さな嫌がらせなのであろうが、朗らかに見せている影で心労が多いことをマリューは知っている。アスランが唯々諾々とカガリの要請につきあい、軍務よりも政治的立場に寄った活動を続けていたのも、ひとえにキラを守ろうとする所以ではないかと思っている。
そしてふたりのどちらも、そうしたことを指摘しても互いの相手を見て否定するだろうことは判っていた。

プラントへ行っても別の問題があるだろうことは容易に想像できるが、少なくともオーブにいるよりはいいのではないか、などとマリューは考えてしまう。ささやかにはあろうとも、彼らが互いに気を遣うほどでいなければならないことなど、彼女にとってはそちらのほうが理不尽に思えてくる。
「じゃあ、退役パーティしませんか?!」
耳に飛び込んできたキラの明るい声は、そうしたマリューの不満や心配をかき消した。自分には彼らを信じる力があり、それが彼らへの力にもなる。あなたたちの味方だ、と見せることしかできない自分にとっては、このあとのこともそうして見守ればいいのだと思う。
「あー、それはもう確かミリアリアが動いてくれてるな…。でも日程はキラがプラントへいったあとじゃないのか?」
退役はプラントへの異動直前になるので、キラがオーブを去ってその一ヶ月後のことになる。ムウの残念な発言に、キラは「えぇー……」とデザートスプーンを子供がするように口にあてた。アスランはそれを見て早速「キラ、行儀がわるい」と小言をいっている。
「あら、わたしは二回お祝いしてくれるっていうなら、やってくれてもぜんぜんかまわないのよ?」
マリューの意見にふたたびキラの目が輝く。ムウがそういうことなら、と提案を出した。
「じゃあ、あれだ。キラの壮行会とマリューの退役記念てことで。来週どっかで一緒にやるか?」
賛成!と大声を出したキラに、食堂内の注目が集まる。さすがにしまったと身を縮めるが時すでに遅く、彼の隣の親友までが呆れながらも少し恥ずかしそうにしている。
その一瞬前、「キラの壮行会」ということばにアスランが微かに反応していたことを、マリューは正面に座る席から認めていた。

キラのプラント出発は十日後に迫っていた。


C.E.74 22 Sep

Scene オーブ軍官舎・1102号室

───人の気配に、目が覚めた。

常夜灯は点けていないので、遮光カーテンの隙間から漏れる月の明かりくらいしか、目に入る光がない。そんなほぼ真っ暗闇の状態で、そこに立ち尽くす人影だけが見えている。シルエットで誰かは判る。
「……アスラン?」
部屋の入り口でずっと動かなかった影は、キラが声をかけると微かに揺れて、キラの傍まで静かに寄ってきた。
ぎしり、とベッドのきしむ音がする。
アスランは横たわったままのキラの傍に片手をつき、顔を寄せた。至近距離になり、ようやくその表情が見える。…が、それを確認できないままになってしまったのは、見えなくなるほどにアスランとの距離が縮まったことと、口元に感じた彼の吐息の熱さに、思わず目を瞑ってしまったからだった。
───アスラン。
キラは戸惑って心の中でアスランを呼ぶ。どうしたの、と。声にだして呼ぶことはできない。吐く息をすべて、アスランの唇に奪われていたからだ。それは誘うための、優しい、くちづけだった。
自然にキラの片腕があがり、アスランの肩を静かに抱く。挿し込まれた舌を吸って応じる意思を伝えると、くちづけはすぐに情熱的なものに変化した。
急激なことについていけないキラの戸惑いをよそに、アスランは身体の上へ覆いかぶさり、その体重を乗せてくる。激しく絡めてくる舌の力強さで息を乱し、自然と喉の奥が鳴る。アスランの左手はキラの頭を押さえ、顔を背けて逃げることも叶わない。アスランの突然の行為が嫌なのではなく、ただ、乱された息を整えたかった。本能的な動きだったのに、まるでいうことをきかせようとするかのように、右手はキラの左肩を押さえつけた。
「…………は…」
ようやく唇が離れ、思いきり酸素を吸い込む。だが、アスランがキラの身体に与えはじめた刺激のために、今度は自ら息を詰まらせ、そのために喘ぐことになった。

ゆっくりと時間をかけ、素肌のすべてにアスランが触れた。さんざんに高まりまで攻めたてたその口で、限界を訴えるキラに容赦ないひとことを落とす。
「だめだキラ。一緒が、いい」
それが、アスランが部屋に入ってきてから最初に発したことばだったことに気がついて、キラは少し、笑った。
けれど、そのあとはそんな余裕も消し飛ぶ。キラが求める中心には触れずに、アスランが求める箇所を焦らすように慣らされて、いわれたことばの意味も存分に思い知らされた。
三年前に交わしたあの熱とは比べようもないほどの、情熱。キラがふたりの関係を押しとどめてから、その間に、いつのまに、アスランはこれほどの熱を育てていたのだろうか。そのせいで余計に彼の熱をあげてしまったのではないだろうか。
だとすれば、このまま燃やされて、融かされて、死んでしまっても、仕方がない。自分がわるいのだから。

───アスラン…。

切なくて、何度も名を呼ぶ。
悦楽に眉を寄せて、激しく息を乱す彼の名を。
見おろしているその表情は艶かしく、優しくて、そして少し微笑んでいた。
もっと欲しくて、キラはその頬に双手を伸ばす。届いた指をとられて口に含まれ、音を立てながら味わう彼の姿が、朦朧としたキラの瞳に映っている。甘噛みされた指に伝わる刺激は不思議なことに背筋を通っていった。あからさまに感じているのだと判る喘ぎがこぼれて、アスランの微笑みはますます艶を帯びる。
終わりがくるのか判らなくなるほど長く愉悦に浸り、アスランが告げた望みを達したのは、キラが我を忘れて彼のその肩に深い爪痕を残した瞬間だった。

───朝の光で、目が覚めた。

カーテン越しの薄い光は、それでも白いシーツに反射してまぶしさをキラの目に落とす。眠い目をしばしばとさせながら、不自然に空いたとなりの空間をじっと見る。それ以外はいつもの朝の光景だった。
眠る前の暗闇にあった甘い時間は、今映るものとあまりにもかけ離れた世界だったような気がして、不自然に重く感じるこの身がなければ夢でも見ていたかと思うところだ。
部屋の向こうには、やはりいつもどおりの人の気配とコーヒーの香りがある。キラは自分の身体に残された痕跡を見ないように努めながら服を身につけた。
「おはよ」
「…おはようキラ」
いつもどおりに挨拶をして、いつもどおりにふたりで朝食を摂った。今日はシフトも同じなので一緒にでかける。少し構えて交わした朝の挨拶から、予想に反してアスランはまったくいつもと同じだった。ゆうべのことは「変な夢を見た」程度の遠い感覚になる。
ふたりの部屋のフロアからエレベータに乗って一階のボタンを押した。玄関を出てからここまで他の人間に会うことはなかったが、それでも家の中とは違うのでふたりとも口を噤んだままでいた。
「ゆうべは…」
何かをいおうと思っていったわけではなかった。ただ、ころりと日常にもどれたことに、ゆうべはなんだったのかな、という気持ちがつい独りごとになってキラの口に上ったのだ。
静かなエレベータの中で、小さなつぶやきはしっかりと隣に立つ人の耳にも届いている。しまったと思いながらちらりとアスランの顔を覗き見ると、困惑をのせた表情でキラのほうを見ていた。
「………………」
複雑さを表したその顔にキラは口を開けたまま声が出せない。そうしているうちにエレベータがエントランスフロアに到着し、ドアが開いた瞬間に「ごめん」、とアスランが小さく囁いた。先に降りた彼のその耳が、赤く染まっているのが見えた。

「…謝らなくていいのに。ぼくは、嬉しかったし」
微妙に早足なアスランのあとを慌てて追いかけてそう話しかけると、
「…ちょっと一方的だったかなと思って…」と、小声のままの返事がかえってくる。
「べつに、嫌なら嫌だっていうし。そしたらきみだって無理にはしないでしょ」
「……それは、そうだけど…」
いい澱む声は自信がなさそうだった。アスランはゆうべ、何度かキラの嫌がる声を無視して強引にしてきた記憶がある。キラは判っていてちょっとしたいじわるでそういった。困って照れているアスランが、どうしようもなくかわいい。
「……本当に嫌だったら、殴っていいからな」
「判った」
そんな瞬間がこないよう祈りつつ、ふたりは軍本部のゲートをくぐった。


C.E.74 1 Oct

Scene プラント中継ステーション・アークエンジェル

アークエンジェルのモビルスーツデッキからストライクフリーダムの駆動音が響いた。
───もう、この機体のこの音を、この場所で、自分が聞く機会はないかもしれない。コジロー・マードックは感慨深げに目を眇めてフリーダムを見上げた。
「じゃあ、マードックさん。いきます」
「おう、元気でな、ぼうず」
スピーカーでなく、わざわざ一度コックピットから顔を出したキラは、長年自分の機体の面倒を見てくれた整備主任に別れの挨拶をした。ばいばい、と最後に手を振ってフリーダムの中に収まる。まだ会う機会はいくらでも訪れようが、とりあえずの別れの儀式だ。
「キラ・ヤマト、フリーダムいきます!」
カタパルトから勢いよく発進したフリーダムは、プラント──アプリリウスワンのドッキングベイへ飛び立ち、あっという間に小さくなっていった。
続けて、ドムトルーパー三機が発進する。搭乗するのはヒルダ・ハーケン、ヘルベルト・フォン・ラインハルト、マーズ・シメオンの三人だ。
その様子を見送って、アスランは自分が乗るランチボートに向かって床をけった。ボートに乗り込むと操縦席にはムウが座っている。
「お嬢ちゃんは?」
「……え…さきに乗るように、いっておいたんですが…」
もどって半身をボートの外に出すと、「すみません!」という声が聞こえて、メイリンが文字通り飛んできた。慌てた勢いを抑えるようにアスランがメイリンの手をとる。
「す、すみません…!」
今度はそのことに謝って、メイリンはぺこぺこと頭を下げた。
「いいよ。どうかした?」
ごく間近になったアスランのきれいな笑顔に見蕩れて一瞬詰まりつつも、メイリンは制帽を探してて、と遅れたいいわけをした。

今日、メイリンはザフトの軍服を着ている。
名目上オーブ軍捕虜という扱いで今回の帰国を果たすことになり、彼女は一応軍人の格好をしてはいるが、その後は除隊処分となることが確定していた。
「最後まで力になれなくて、すまなかった…」
アプリリウスワンに向かって発進したボートの中で、アスランは何度目か判らない謝罪を口にする。メイリンもその度にする同様の仕草…顔のまえで両手をぱたぱたと振ると、「そんな、とんでもないです! プラントにもどれるだけで、すごいことです!」ということばをアスランに返す。
実際、ザフト復帰を目の前にしながら拒絶したのは当の本人だった。
スパイ嫌疑捏造の件を盾にすればごまかしがきく書類ができていたにも関わらず、メイリンはアスランの脱走幇助の動機を「私的理由」と正直に証言してしまったのだ。
確かに、戦後オーブに降りたとき、「除隊は考えていたことです」と話していた。彼女をその気にさせたのは脱走時のレイのひとことと、その後いわれない罪を着せられたことによる。自身のこれまでの貢献心を挫く事件ではあった。
また、メイリンには別の本心もあった。今この目の前にいるアスランやキラ、ミリアリア…。彼らが軍人を続けることの志を思い、自分がただ流されるようにその職を選んだことに恥ずかしさを覚えている。もちろん、復隊したとすれば心を入れ替えて励むこともしたであろうが、我ながらその生き方が似合っているとは思わなかった。
「でも、ザフトに入隊したことは本当によかったと思っています。いろいろありましたけど、アスランさんたちに出会えましたし。勉強になることもたくさんありました」
メイリンは新しい旅立ちに似合いの、晴れやかな笑顔をしていた。アスランにもそれが彼女の本心であることが伝わり、少しばかり安心した。


C.E.74 1 Oct

Scene アプリリウスワン・ドッキングベイ

プラント首都、アプリリウス市。
十基のコロニーで構成されているその市のうちの一区、アプリリウスワンには最高評議会ビルのほかザフト本部など、プラントの中枢となる機関が多数存在していた。
いわゆる“砂時計”中央のくびれに位置する港には、首都中枢区だけあってひっきりなしに要人の乗るシャトルが出入りする。それだけに警戒態勢は非常に強力だ。
ザフトのシン・アスカとルナマリア・ホークは、オーブ連合首長国からの国賓を迎えるべく、ボーディングピアを急ぎ移動していた。港のゲートで、軍籍である自分らの認識票を確認しながらも複数回のボディチェックと軍本部への確認連絡がおこなわれ、そこへ足を踏み入れるまでに予定より時間を要した。
───こういうの緊張すんな…。
知人であるとはいえ、“来賓”の護衛任務に就くのは初めてのことだ。おまけに新しい上官も一緒だ。シンは歩きながら、身に纏う赤い軍服の襟元をもう一度整えた。

異動辞令を受けたのは昨日のことだった。
『シン・アスカならびにルナマリア・ホークは、明日一〇・〇〇ヒトマルマルマルよりヤマト隊へ異動。以後、キラ・ヤマト隊長麾下にて作戦を遂行のこと』
「──また異動っすか!」
途端に、べしーっという音が痛みとともに後頭部に炸裂した。ルナマリアがひっぱたいたのだ。
「おまえらタライ回しにされてるなぁ」
笑いながらいうのは、たった今、本日までの所属と判明したこのジュール隊の副官、ディアッカ・エルスマンだ。
メサイア攻防戦で隊長を失ったグラディス隊の面々は散り散りバラバラにされ、なおかつその配属はしばらく落ちつくことがなかった。たまたまふたり一緒に6月からこの隊への配属となり、やっと落ちつくことができたと思っていたのだが。
「まぁいいから。復唱のうえ“はい”のお返事」
通信モニターの向こうでは連絡員の女性が少し困った顔をしていた。彼らの背後で一緒に通達を聞いていたディアッカは、早く通信受領をしろと促す。
「……シン・アスカ、明日一〇・〇〇よりヤマト隊にてその任遂行します」
「同じくルナマリア・ホーク」
ふたりは連絡員に告げてから受領サインを送った。
「それにしてもキラのところかぁ。……まぁ、いろいろあるかもしれねぇけど、頑張れよな」
「いろいろ……そりゃあるでしょうね、あのひとんところなんか…」
ディアッカのちょっとした含みには気がつかず、シンはそういって不満そうに返した。
問題など、あるだろう。その人キラ・ヤマトは、プラント国民でもなければザフトの正規軍人でもないという立場で、ここプラントへやってくるのだ。しかも、指揮官として。そんな前例はもちろん聞いたことがなく、また、なんでそういうことになったのかなどシンの考えがおよぶところではなかった。
「……まぁ、なんかあったら相談にのるから、おれにいえよ。な」
ヤマト隊が荒れるだろうことなど、ディアッカにも容易に想像ができた。そのうえこんな問題児をあずけていいのか、と。シンのことはけっこう気に入っているディアッカだったが、まだまだ跳ねっ返りであることは否定できなかった。

シンたちが向かう方向から、知った顔が三人と知らない顔が三人、一団となって歩いてきた。自分らが迎えるべき目的のご一行様だ。ふたりはそこで敬礼し、挨拶はルナマリアが切り出した。
「お待ちしておりました、プラントへようこそ」
「あ、こんにちは!」
この場に不似合いな一声に、一瞬全員が固まる。
それを発したキラ・ヤマトの背中を、左斜め後方に立つアスラン・ザラが小突いた。三人おいて一番後ろにいるメイリン・ホークがそれを見て、肩を震わせて笑いを堪えているのが、見える。
「あっと、すみません。だって、ふたりとも会ったことあるからつい、ね?」
キラはこの6月に会ったときの雰囲気とは少し違って見えた。ルナマリアは常々妹のメイリンからその人柄を、「優しくて、穏やかで、明るくて、かわいい系の人」という説明で聞いていた。とすれば、今のほうがおそらく“素”に近いのだろう。最後の「かわいい系」というのは容姿ではなく、性格のことだ。いわゆる天然タイプということらしい。こうして目の前でその笑顔を見れば、性格だけではなく見た目もかわいい系であることがよく判る。
「キラ・ヤマトです。よろしくシン、ルナマリア」
キラはザフト式の敬礼であらためて挨拶をした。
「…本日付けでヤマト隊配属になりましたシン・アスカであります」
「同じくルナマリア・ホーク。今日は随行してオーブ特派大使アスラン・ザラ様護衛の任につきます」
その言に今度はアスランが「すまないな、よろしく」、といった。

その後、ラウンジに移動すると残る初顔、ヒルダ、ヘルベルト、マーズの紹介を受けた。モビルスーツのパイロットでそのままキラと一緒にヤマト隊の配属になるのだという。
気がつけば、オーブからの一行だというのに、アスラン以外は全員がザフトの軍服を着ている。シンはますます複雑な心境になった。
───部下つきでくるって。…どんだけ…。
そんなシンの胡乱な目つきにアスランはすぐ気がついた。考えていることが手に取るように判り、無理もないな、と自然に苦笑がこぼれる。
アスランはシンの傍に寄った。
「シン、今日の予定を確認したい」
「あ? あ……はい」
ポケットから携帯端末を取り出し確認する。
一一・三〇ヒトヒトサンマル、ラクス・クライン氏と会見、続けて昼食。一四・〇〇ヒトヨンマルマル、隊長はエルスマン議長と会見、終了しだいプレス会見。他のみなさんはその間ザフト本部へ…」
「おれもか?」
思わずあいだを切ってアスランが訊く。
「……本部についたらあんただけでカシム国防委員長と会見」
呆れたような声音でシンが返事をする。
うっかり“つきそい”だけできたつもりでいたアスランは、単身の予定に少しばかり驚いた。しかし、よく考えれば来月から駐在武官としてこちらへくる身だ。自分を棚上げに考える癖にアスランは自嘲した。
その様子にシンは辛辣だ。
「何が面白いんすか。気味わりィっすよ。……一八・〇〇ヒトハチマルマル、隊長の着任式。んでもって、そのあとささやかながら歓迎会があります」


C.E.74 1 Oct

Scene 最高評議会ビル・タッドの執務室

しんとした議長執務室に軽快な電子音が鳴り響いた。
「きたのかね。通してくれたまえ」
プラント最高評議会議長タッド・エルスマンは、秘書に応えると席を立ち、やがて目の前に現れる人物を待った。間をとらずシュッとドアが開き、ザフト隊長格の白服を身に纏った細身の青年が入室した。
「キラ・ヤマトくん」
「議長閣下」
初対面のふたりは握手で挨拶を交わし、タッドは来客用のソファをキラにすすめた。

こうして実際にキラを目の前にし、タッドはつくづく印象の違うことに驚いた。
かつてヤキン・ドゥーエ戦役でザフトを悩ませたストライク、そして今はフリーダムのパイロット。いつか映像で見たフリーダムの戦闘記録は驚くべき運動性能を映していた。生体工学の出身でそちらの技術には暗いタッドでも、その操縦には並の技量では追いつかないことが判る。
そのうえ彼は、正攻法とはいえない手段でこのプラントに取り引きを求めてくるという大胆な内面も持っている。仲立ちをしたラクス・クラインの話ではそれは、オーブ国民としての立場ではなくキラ個人としての申し出だという。オーブ軍准将という身分にあってそれが国内でどんな非難があることなのか想像に難くない。単純に若いが故の向こう見ずなのか、大戦を終結に向かわせた“英雄”のスケイルなのか、まだタッドには判断できない。
いずれにしろ、目の前にいる人物はどこから見てもその行動にそぐわない容貌と穏やかな声音を持っていて、それを微かに頼りなく感じている自分がいることに苦笑した。
───人は見かけによらないとは、本当にこのことではないか。
意味ありげな笑みをこぼしたタッドに、キラは「どうか?」と訊ねる。その小首を傾げるさまを見れば、誰もタッドを責めることはできまい。

素直に「意外に思えて」と自分についての感想を述べられ、キラは微笑した。すでにオーブ国内で聞き慣れた感想でもあったが、こうはっきりと告げてくる人は、そうはいない。
キラはラクスから「信頼に足るお方です」といわれ、アスランからは「議長はなにもかもご存知だ」といわれていた。タッドの息子であるディアッカからも、文官らしくないまっすぐな人だから、と教えられていた。
彼らのことばを信用し、タッドには事前に自分の目的を隠すことなく伝えている。それを容れ、かつ実行に必要な地位まで用意してくれた。過去の経緯から、議長といえど軍部に理由なき権限を振りかざすことは難しくなっている。それを通して準備したのは、その政治手腕も相当なものと想像ができた。

ふたりはしばらく会話し、時間を告げる秘書のコールで同時に立ちあがった。このあとはふたりともに広報局で会見をおこなうことになっている。
執務室をでるまえに、タッドは自分のデスクのうえに置いてあった小さなケースを手にした。
それはいつか、キラも一度だけ見たことがあるもの──特務隊、FAITHの徽章だった。
「わたしがつけてあげよう。これからテレビに映るのだから、曲がらないようにしないとね」
タッドの申し出に少し驚いたが、「お願いします」と頼んだ。この人物もなかなか見た目とは違いフランクな人のようだ。キラはこのときに初めて、この議長がディアッカの父親であることに得心がいった。


C.E.74 1 Oct

Scene ザフト本部・射撃訓練室

“なつかしい”ザフト本部ビルの中ほどにあるフロアのラウンジには、おもにザフト上層部の人間や彼らに招かれた外部の人間がうろついている。部屋の中央にある丸く太い柱はソファがぐるりと囲ってあり、さらにその上部には複数のテレビモニターが同じように囲ってある。
その場にいる大方の人間は、そこから放送されている会見に注目していて、オーブ軍服に身を包んだアスランがラウンジに入室しても気がつかない。それでも数人は「あっ」という顔をして彼の顔をまじまじと見つめてきたが、その誰もがアスラン自身が知らない人物だったのでそのまま素通りをした。
テレビにはザフト広報局の記者会見が放送されていて、そこには新議長のタッド・エルスマンとオーブから特務のため招聘されたキラ・ヤマトの姿が映っている。時間的なことを考えれば、それは録画された映像を再放送しているもののようだが、業務上などでリアルタイムな放送を逃した者も多いのか食い入るように見いっている人の数は多かった。
次の予定にはまだ時間がある。
たった今アスランが会見してきた相手、戦後新しく国防委員長に就任したアリー・カシムとは話が弾むことなく、予定の何分も繰り上げてその部屋を辞してきたところだった。
アスランは後ろにつき従う(見張られているともいう)人物を振り返り訊ねた。
「シン。この上のフロアにいってもいいか?」
いわれてシンは困ったように片眉をあげた。この上のフロアは関係者以外の入室はふつうに断られるエリアだ。とはいっても、軍の大事な情報端末があるわけでもなく、ザフト兵がふだん過ごしている休憩室や訓練室、食堂といったものがあるだけだ。ものめずらしさに、ザフト兵の随行で見学にいく部外者がないこともない。アスランはもちろんそれを知っていて、「久しぶりだから、ちょっと見たいだけだ」と他意のないこともシンに告げた。
「まぁあと三十分くらいですからね。暇つぶしのネタも思いつきませんし」
携帯端末で時間と予定を確認しながらシンがいった。

エリート集団のクルーゼ隊に配属されていたアスランたちは、入隊当初はこの本部に身を置き、自室も本部に隣接する宿舎にあった。パイロットの宿命ゆえにヘリオポリスの作戦からほぼもどれることはなくなり、馴染んでいたはずのフロアはただなつかしさだけが残っている。さらには見知った顔が数少なく、その間におきた二度の大戦で多くの命が散ったことを実感させられた。
「おれ、あんまり本部判んないんすよね。入隊からずっとアーモリーにいたし。最近はアプリリウスフォーだったし」
ことばを発しないアスランに気を遣っているのか、シンは後ろで勝手に話しはじめる。単に黙々と男ふたりで歩く沈黙が耐えられなかっただけかもしれない。
「…ああ、ラクスのところか…。このあとは?…ヤマト隊はどこが拠点になるんだ?」
「艦がまだできてないっすから。やっぱりアーモリーでしょうね」
アーモリーか、とアスランはため息を吐く。工廠が集中するアーモリーは、プラント本国のあるL5とは離れたL4に位置していた。あまり気軽に通える距離ではない。来月からアスランが身を置くことになるのは、アプリリウスなのだ。

ふと顔をあげた先の部屋のドアに、キラに随行していたルナマリアがぼうっと立っている。
「え、おいルナ。なにやってんだ、こんなとこで」
「あんたこそ、シン。…アスランも」
おれたちは暇つぶし、とシンが答えるとルナマリアは自分たちもそうだといって、彼女がたつ背後のドアを指した。そこは拳銃の射撃訓練室だ。
「隊長がちょっと遊びたいっていって。しょうがないから見張り。他の兵に見せるわけにもいかないでしょ」
「……ゲームセンターと勘違いしてないか?」
アスランは渋面をいっぱいにした。横ではやはりシンが呆れたように息を吐いている。ふたりにそのまま待機をいい置いてアスランは訓練室に入った。

個別にセパレートされた射台のひとつに、白い背中が見えた。重たい射撃音が間を置いて二発鳴り、轟音からくる耳鳴りを余韻にしながら静まる。ほぼ真後ろからそれを見ていたアスランは、動きを止めてしまったその背中にそっと近づいた。ザフトの白い制服では、その細い身体がより強調されて見える。後ろから抱きしめるように彼の背中を覆い、銃をかまえる腕に手を添えた。
「…肘がまがってる」
イヤーマフもつけずにいたキラの耳元で囁くと、その身体がびくりと震えた。
キラに銃の訓練をしろといったのはアスランだ。どこにいても危険のあるその身で、いつでも自分が守れるとは限らないからと思うところもあった。銃を持つことすら嫌がっていたキラだが、アスランの心配を知ると素直に従って訓練も真面目に受けた。もとからあるポテンシャルは高いため、キラはすぐに上達した。
今更ながらに、アスランはそれが哀しい、と思う。
「ひと月も、耐えられるかな…」
アスランの心に同調するかのようにキラがつぶやく。
「すぐに傍に、くるよ」
アスランがプラントにきてもその距離が縮まらない、とさきほど知ったばかりだったが、心からの約束をする。
「おまえの傍からは離れないと、決めてるんだ」
そのことばに、力の入っていたキラの肩と腕がふっと緩む。銃を持つ細めの両手を自身の双手で覆い、その冷たく重いものをキラから奪い取った。静かに台に置き、そのまま腕でキラを抱きすくめる。うなじや耳の後ろにくちづけを落としながら、新しい軍服の匂いに消されそうになるキラの匂いに縋りついて、アスランはいつまでもその腕を放すことができなかった。


C.E.74 1 Oct

Scene ターミナルホテル・レセプション会場

シャフトタワーにある軍御用達の豪奢なホテルでその歓迎レセプションは開催されていた。
当然ながら、キラにとってプラント内は知らない人間ばかりだ。アスランに会場内を引き摺り回され次から次へと人を紹介されたが、すでにその名前と顔は一致していない。何十人と挨拶を交わしたのか、これ以上は無理と覚える気力をなくした頃、キラの様子を察したアスランは今度はひとりでどこかにいってしまった。
さすがに神経が疲れ、ほっと一息ついていると、ずっと傍についていたルナマリアが話しかけてきた。
「…ほんとに“ささやか”で驚きました?」
「え? …あ、とんでもない!」
こんなに人が集まるイベントなのだとは知らなかったキラは、ここまで派手にしなくても、といたたまれない気分だった。
実は昨日の夜から嫌な予感だけはしていた。
「スピーチがある」とアスランに予告され、テキトーに挨拶すればいいんでしょといえば、そういうと思った、と眉間に皺をよせ準備してくれたらしい草稿を手渡された。その内容の堅苦しさに、キラはめまいがしていたのだった。
「デーベライナーの進宙式典はもっと派手になると思いますよ?」
瞳をくるくるとさせながらルナマリアが追い打ちをかけた。
“デーベライナー”とは、ヤマト隊の旗艦となる宇宙戦艦だ。隊長の到着を待ってまだ建造の途中にある。進宙は数ヶ月後のことになるが、その先のことを想像してキラはうんざりする。
「そんなぁ、まだやるの?! それもう、ちょっと、大袈裟にすぎないかな…!」
「なにいってるんだ、新造戦艦つきの指揮官なんだぞ。大袈裟なことなんだ」
すぐ背後から声がかかる。振り返れば、どこかへいったと思ったアスランが、にこやかな黒服をひとり連れて立っていた。
「やぁ、どうも。すいません、挨拶が遅れまして。…デーベライナー艦長を務めますアーサー・トラインであります」
キラは彼には見覚えがあった。昼にラクスと最高評議会ビルで会見したとき、彼女の後ろにイザークらとともにいた人物だ。慌ただしくしていて紹介がなかったが、あの場にこの人物がいた理由が判った。
「はじめまして、キラ・ヤマトです」
自分の艦のパートナーにキラは笑顔で手を差し出す。
「キラ。彼はミネルバで副官の任に就かれていた方だ」
アスランがそう紹介するとキラは少しばかり戸惑ったが、アーサーはそれを察したふうもなく「これからは協力してやっていきましょう」とキラに握手を返した。

うろうろとしていると壁際にひとりで佇んでいるアスランを見つけた。視線の先は固定されていて、そこにはアーサー・トラインと楽しそうに談笑しているキラ・ヤマトがいる。
───そんなふうに眺めてんなら自分もまざってくりゃいいのに。
自分には理解しにくいところでいろいろと遠慮がちなアスランの姿を見て、相変わらずだなとシンはつぶやいた。一応はゲストなので放っておくこともできずアスランに近づき声をかける。…というよりは、シンのほうが実は放っておかれていたので、その不満を彼にぶつけるために近づいていった。
シンはこの会場に入ってから、「ここでいちいちついてこなくていい」とアスランに押しとどめられ、つまり今日の役目をとりあげられて、会場の脇でずっと所在なくしていた。任務中なのでパーティに混ざりお酒を飲むわけにもいかず、帰ることもできず、その文句をそのままアスランにいうと、「すまない」といってシンの飲み物をオーダーした。あっさりとアルコールを手渡され、任務中だからと辞退すれば、隊長の許可があればいいんだろと返される。
「…あのね。…隊長はあっちです」
「ああ、知ってる。キラなら許可するから、気にするな」
───どういうんかな…もう。
新しい上官と元上官はツーカーの仲だとはすでに本人の口から聞いている。とりあえずそれを信用して、シンはもらったジンをあおった。正直のどが渇いていた。

アスランはシンが傍にきてもはばからずキラのほうをじっと見つめていた。その顔をこっそりと覗き見れば、何かを考えているようでもありまったく何も考えていないようでもある。キラばかり見ているのも、他に視線を移すのがめんどくさいからといいだしそうな雰囲気があった。あまり社交的な人間ではないことは、シンは彼の配下にいたときに見知っている。
「あんたはプラントにもどらないんですか」
ふたりで黙ってるのもなんだから、とシンは相変わらずの失礼と丁寧をごっちゃにしたことばでアスランに話しかけた。
咄嗟に出たこのことばの裏には、わずかにもどって欲しいという気持ちが混じっているのかもしれない。
シンのアスランに対する気持ちはいまだに複雑なものがあった。だが、嫌いというわけではない。先の戦争中、あれほど困らせ悩ませ、しかも彼が乗る機体を墜としさえしたのに、匙を投げることなくいまだに自分を気にかけてくれている。同じ隊にあったときには、それまでに見てきた上官や先輩と違い、自身の戦歴に奢る態度もなく、自分の力を認めて作戦を任せてくれたりもした。嫌う理由など、どこにもなかった。
自分で告げた質問に逡巡している間に、その彼は一度シンに視線を落とし、またすぐにもどした。
「……もどれると思うのか?」
目を逸らされたまま、逆に問われる。さすがにそれはないだろうなと思いつつも、アスランは以前そうして復隊した経緯がある。必要とされる力を持つ者は、無理をして腕を引かれるものだ。
だが、以前と違って彼がオーブで無為に過ごしているわけではないことをシンは知っている。それなりの地位にあり、戦後ずっとプラント、オーブ間の条約、同盟締結に奔走していたことも聞いている。アスランがいるべき立場ですべきことをしているのであれば、気軽にいえる話ではなかったとシンは反省する。
ところが、思いもしないことをアスランが続けて発した。
「来月からこっちにくるけどな」
「───は?」
意味を掴みかねたその反応に、なんだ知らなかったのか、とアスランが振り返る。
「オーブの軍人外交官ということで、常駐なんだ」
「───え?!」
「だから、ザフトにもちょくちょくいくかもな」
「──────」
シンはことばをなくした。