C.E.75 Mar メンデル


C.E.75 1 Mar

Scene L4スペースヤード・ザフト駐留基地

L4の研究施設コロニー、“メンデル”。

隆盛の当時は「禁断の聖域」「遺伝子研究のメッカ」などと呼ばれ、コーディネイターの開発と“先進的な”遺伝子操作研究などがおこなわれていた、という場所。実質的にそのコロニーと市場を独占していたGARM R&D社は、C.E.68年に発生したバイオハザードをきっかけに倒産し、すべての研究施設はコロニーごといったん遺棄された。
頽廃したはずのメンデルはだが、今度はプラントの主導によってまもなく蘇ろうとしている。次世代コーディネイター問題の解決を主眼にした研究機関が集められたほか、地球各国と共同のSEED研究プロジェクトの中心も同時に置かれることになっている。
当然ながらブルーコスモスの妨害、テロ行為が想定された。L4の中継ステーションで頻発しているアジテーションなどは、おそらくまだかわいいほうだろう。武力を伴う反発を見越して、関連各国の軍事機関や民間企業が警衛を請け負い、プラントからは現在ヤマト隊、ラコーニ隊が派遣されている。
メンデルに繋留された宇宙作業場スペースヤードにザフト駐留基地を置き、数日もまえからシンたちはそこで過ごしていた。再建工事はすでに始まっているが、内容としてはほぼコロニーを作り直すのと同等らしい。シンは長くなりそうな滞在期間を想像して嘆息し、窓の外をぼんやりと眺めた。

───レイとキラが生まれた場所、か。

シンは声に出さずつぶやいた。窓の外に見える、壊れた円盤付きのボトル。内部は研究棟や医学施設ばかりだったそうだ。あたりまえの生活がない世界で、彼らと、おそらく他にも多くの者が、誕生というよりは製造と呼ばれるような手順で生を受けた。
シンにはそれがいいことかわるいことかがよく判らない。だが、その過程もあったからこそ、コーディネイターは国家を立ちあげるほどに人口を増やしたのだと思っている。つまり、意味のない生などこの世にはないはずだ、と。
───もっと判らないのは、暴力でそれを奪おうってやつらだ。
すでに生まれて、生きている者を人と認めず。卑劣な手も厭わずに人殺しをする、ブルーコスモスの過激派。何度も嫌な思いをさせられている。
「シン?」
暗い怒りに沈んでいると、軽快で明るい声が彼に声をかけた。
「…隊長……」
「ここ、よく見えるんだね。メンデルが」
シンがいたのは広い会議室のひとつ。外壁側全面の窓が宙域の様子をよく見せていて、その視界はメンデルでほぼいっぱいになっている。キラはシンの横に並んで立ち、それを一緒に見た。
「アスランは…」
「ん?」
「一緒じゃないんですか」
キラがひとりでうろついていることはほとんどないといっていい。目障りな黒服が必ず傍にいるはずだった。
「ちょっと実験中」
「実験?」
───……いや、いいんだ。
アスランのことはいい。彼のことはもう考えないことにしたのだ。シンはそれ以上を追及しなかった。
キラもアスランのことで注意してきたのは一回きりで、その後はシンに何も訊こうとはしない。もう少ししつこいかと思っていたが、正直にいって放っておかれたままなのは助かっている。何故ならシンは彼に謝るどころか、啖呵まできってしまったのだから。
「──生まれた場所っていっても、記憶、ないしね」
「……え………」
「聞いてるんでしょう、アスランから」
「……あ…はい…。まぁ……」
正しくは、アスランから聞かされるまえから大筋は知っていたのだが。やはり感傷的になるだろうか。シンはこのメンデルの任務を少し心配していた。
「生まれたときのことなんて憶えてないから。そこにへんな感傷もないから気にしなくていいよ」
まるで心を読んだかのようにキラがいう。キラと会話をするとこういうことが度々あって、そのたびにどきりとさせられる。
「むしろ記憶にあることが問題……」
「はい?」
「……………」
キラは少し、本当にほんの少し、悲しげな風情の笑みをシンに返した。
「……ヤキン・ドゥーエ戦のときにこの辺りをけっこう長い間、うろついてたことがあったんだ。…だから、考えてしまうのはそのときのことなんだよね」
「…そう、ですか」
「うん、そう」
戦争中のことが、楽しい記憶のはずがない。先の戦争といえば、彼がGATシリーズの機体でザフトを苦しめていたときのことか。あるいはそのあとの、フリーダムでクライン派革命組織の羽翼だったときのことか。いずれにしろ、記憶しておきたくはないことのようだった。だが彼はそれを話したそうでもあり、その逆でいるようでもあり、シンはかけるべきことばに戸惑う。
「アスラン強いんだよね」
「は?」
頭から弾こうとしているその名前を突然聞かされ、しかも多少不愉快な形容がついていた。とにかくシンは、急な話題の転換にやたらと感情を乱される。
「モビルスーツ戦。昔から勝負ごとは何でも強いんだけどさ、勝負勘がいいっていうか。勝つための努力もちゃんとする人だし。でもMSの操縦は…あれは、ハマってるんだろうなぁ、彼に……」
シンとふたりきりでいるときに、キラがこうして突然アスランの話を始めるのは今までにもよくあった。この頃はその機会が少なくなっていただけで、いつもどおりのことではある。シンは少し落ち着こうと、わざとらしく深い溜息を吐く。
「……何がいいたいのか、ちょっとよく判りませんけど」
「アスランの話はしたくない?」
「………な、……いえ…」
確かに不愉快な話題ではあるが、キラにそれを悟られるわけにもいかない。ふだんの自分なら、と急ぎつつもじっくりと考えことばを選ぶ。
「……ただ、おれもパイロットっすから。あからさまにほかのパイロットを褒められるとイラっときますね」
本音も混じえて憮然として答えるのをキラは笑って見ている。
「判ってていってるんだけど、」
「はぁ?!」
「それできみが奮起して、アスランのシミュレーションの相手してくんないかなって……」
「………なんすかそれ…模擬訓練?」
「うん、そう。ぼくやりたくないから」
「……………」
またあんたは隊長のくせに、とかなんとかいろいろと。山ほどに飛び出そうになったことばをなんとか飲み込んだ、そのとき。
「キィラ!!」
「あ、見つかった」
キラが後ろを振り返る。シンもそちらを見ると部屋の戸口に少し息を切らせたアスランが立っていた。
「───っ、おまえな!」
わずかに怒っている風情のアスランが大股にキラへ近づく。シンは一歩、そこを離れた。
「思ったより早く気がついたね」
「─────……」
キラの言に何かをいおうとしたのか、口を開け息を吸い込む。が、次には口と目も閉じて片手で顔を覆った。
「対戦シミュレータにぼくのパターンを山ほど学ばせたAIを仕込んでね。途中で入れ替わったの。いつぼくじゃないって気がつくかなって」
キラはいくらか愉快そうにさきほどしてきたらしいいたずらを解説してくれた。なるほど、「実験」とはアスランがしていたのではなく、アスランが実験されていたようだ。
つまりこの結果を想定して、キラはシンにアスランの対戦相手を務めろ、と。どうにかうまい断り方ができないものか考えあぐねていると。
「シン、バッシュでリンナの慣熟訓練つきあってあげてくれる? システムにまだ慣れないみたいで」
「……了解」
想定した展開にならなかった。やはりキラはこちらの心を読んでいるのではないか。そうであれば、アスランに詫びていないこともばれているわけだが。
何にしろ助かった、とシンは会議室から出ていった。


部屋の戸が閉じられてふたりきりになると、静かで重い空気が流れた。キラが明るさを装うのをやめたからだ。
「いったじゃないか。……きみと戦うのは嫌だ」
パイロットに課せられている技術訓練のひとつ、実機やシミュレータを使ったモビルスーツの模擬戦。アスランがデーベライナーへきて以来ごまかし避けていたものの、さすがに隠し通しきれず、わずかなフラッシュバックがあることは明かしていた。
「今日のはシミュレータだろう」
「それでも嫌だ……なんでいじわるすんだよ……」
キラは淡々とするアスランを睨め上げた。その様子を見た彼はやっと理解したのか、眉尻を下げた。
「……すまない、そこまでとは思っていなかった。……ゲームならふつうに対戦してるじゃないか」
「うん、ゲームはね。……許すけど。……シンのやつ、まだきみに謝ってないね?」
「……………なんで急にその話になる」
キラがおもむろに切り込むと、アスランは目に見えて困ったように視線を逸らせた。
「なにやってんのかな、もう。謝れっていったのに」
薄々どころかはっきりとキラはそれに気がついていた。心を読むまでもない。ふたりとも態度にでていたからだ。ここまでくるとシンひとりの問題ではない。
「それはもう、いい」
予想どおりにアスランが流そうとする。
「アスランがそんなだから…」
「いいといってるだろう!」
キラは彼の鋭い声にびくりと身体を震わせた。予想もしなかった反応だった。
「………またなんかあったでしょ。きみたち……」
アスランは答えようとしなかった。キラはほんの少し、苛立ちを覚える。

彼はキラにいつもいうのだ。隠しごとをするなと。キラはその努力をしているつもりだった。だのに、そういう彼もずっと、キラに隠しごとをしてきたのだ、いろいろなことを。シンに護衛を依頼し、ザフト復帰を進めてデーベライナーを追いかけてきて、そのほかにも───。キラは忘れかけていた怒りまでふつふつと思い出し、彼をそのまま詰ってやりたいとさえ思った。
「…ぼくはだめで、きみが隠しごとをもつのはいいの?」
「……よくないよな。判ってる」
「よくないって判ってても、いわないんだ」
アスランはまた黙りこむ。
「隠してもいいことがないなんて、ぼくにだって判ってる。でも、いえないこともいいたくないことも、あるでしょふつうに。はじめから無理、なんだよ」
「…キラ違う。おれがいいたいのは、そんなことじゃない」
「じゃあどんなことだよ。きみの勝手な判断基準に合わせろってなら、ちゃんと教えろよ!」
「……………」
アスランはとことん煮え切らない。細かいところまで蒸し返すような気はなかったが、今はあの敵がすぐ、近くにいる。こちらの心を揺らすすべまで識っているような、あのロマン・ジェリンスキが。アスランとわだかまりを残したまま彼に対するのが危険だと、キラは得もいえぬ予感があるのだ。
「……それなら、きみが隠してると思うことを、ひとつ訊くから。正直に答えて」
彼はずっと逸らしていた視線をキラに合わせる。答える気があるといいたいのだろうか。キラは、ごまかしは効かないぞ、と彼を牽制するように見返した。
「きみはジェリンスキと同じ考えなの?」
その問いに数度まばたきをして、アスランは何をいっているのか判らないといいたげにした。
「シードコードが、プラントのことばかり考えてるって」
「……は? なにをいってるんだおまえは。おれは運用に関わってるんだぞ?」
「だから、それだよ。ぼくが頼んだから。…きみの主義に反しても手伝わざるをえないって……」
「だれがそんなことをいったんだ」
「……いってない。でも本意じゃないことは知ってる!」
「おい、何を根拠に!」
「ラクスのお父さん」
アスランは意表をつかれたとでもいうように止まったが、次のキラの言には顔色をわずかに変えた。

「シーゲルさんの“ナチュラル回帰論”、ぼくも読んだよ」

それはコーディネイターにはとても語れない内容のものだった。ナチュラルとの対立が激化し、パトリック・ザラが議長に就任し、ますます過激の様相を呈し始めた頃。シーゲル・クラインが、密かに認めていた書簡に記されていた思想だ。ブルーコスモスのような過激な話では、もちろん決してない。だが、コーディネイターはすでに時代の役割を終え、今後は自然に消えていく。そういう運命だろうという提言だった。戦後、彼寄りの者らが小さなネットワークをつくりそれを公開していたが、もちろんプラント国内で大きく取り沙汰されることはない。あからさまにではなく規制され、それを入手することも困難だった。
アスランがその書簡を読み、その考えに賛同し傾倒していることをキラは知っている。
「……なぜそれを…」
「エリカ・シモンズ」
「………あぁ、」
この一年ほど、キラとエリカはプライベートも交えてかなり親しくなっていた。遊びのプログラムを交換しあったり、趣味としての技術的な会話が楽しく、そのうちカガリや身近な人の相談もするようになっていた。その流れで、エリカは心配して教えてくれたのだ。アスランが、密かに漏らしたであろうことを。
「確かに彼女にしか、話した覚えがないからな……」
アスランは深く嘆息し、諦めたように語った。戦争のおりから警戒されたままでいる覚えがあり、オーブで腰を落ち着けようと思ったときに信用を得ておきたいとの意味もあって、彼女とその話をした、と。
「彼女がナチュラルだから話したんだ。隠していたつもりもないが、コーディネイターを相手にそうそういいたいことでもない。判るだろう」
「……判るけど……それ、ぼくにもなの」
「判った、わるかった…それは認める。……けど、彼女に心配されるような話なのか? 彼の意見に、同じ思いがあると感じているだけだ。何かしようってわけじゃない」
「…そんなの、エリカさんにいってよ、」
ぼくは…、と続けようとして、キラは口を閉ざす。彼に何をいおうというのか?
キラはこのことを知ったとき、かなりなショックを受けたのだ。彼が、シーゲル・クラインの遺した思想に傾倒していた、ということが。いや、でも。それを隠されてたと思ったことに動揺したのだろうか?…だが、今こうしてあっさりと白状する彼の姿を見て、そのときの衝撃が何も拭えていない。そんな説明のできない不安をどうしたらいいのか。
「それにキラ。SEEDはナチュラルだコーディネイターだって、関係ない話だろう。たまたま都合よくプラントの協力を得ているだけだって、おまえがいちばん判ってることじゃないか、そんなのは」
彼のいうとおり、判っている。だが、一度芽吹いてきたものを抑えるのに、キラは手こずっている。こんなことをきっかけに。ちょっと触れてみたことが膨れあがって手に負えなくなる。───自分のなかに、まだそんなものがある。たくさんある。判らないけれど、キラ自身にさえ隠されている。その不安に、だんだんと堪え切れなくなってきている……。
この頃どうしようもなくなっているのだ。アスランが傍にきてから。弱くなっていく自分を自覚しているのに、止められない。
「キラ」
アスランは突然に名を呼ぶとおもむろに手を掴み、手近な椅子を引いてキラをそこに座らせた。
「……アスラン」
自身は同じように椅子に座ることなくキラのまえに跪く。室温に冷えたキラの両手をまとめて、アスランはその手で──キラよりいくらか大きな手で、それを包んだ。暖かなぬくもりがとどく。
「もっと、訊けばいい」
「アスラン」
「いくらでも答える」
「うそだ」
早い返しにアスランは小さくため息と視線を落とした。だがすぐに顔をあげて、キラに少し微笑んでみせた。
「シンとはまたけんかした」
「え」
「ていうか、一方的に嫌われた。おれが気にくわないと」
「……………」
彼は苦笑いして、キラの手を大事そうに握る。
「腹いせかしらないが、おれから、おまえを取り上げようとしてる」
「ええっ?!」
「まぁ、無理だけどな。こればかりは、どう頑張られても」
「……………ぅ…」
「これ、おまえが聞きたかった話か?」
「……恥…ずかしいんだけど…」
「そうだな、おれもだ」
そういって視線を逸らし、照れたように微笑う。
「だからいいたくなかったのは、確かにそのとおりだ。…ごめん」
アスランは握っていた手を引き寄せて恭しくくちづけし、「一応だが、訊いておく」と続けた。下の目線から見上げてくるアスランの表情は仕事を忘れたもので、キラは鼓動を跳ね上げながら、何?と声にならない声で問う。
「シンになんか、懐柔されるなよ?」
「…………莫迦、そんなの…」
「ちゃんと聞きたい」
「……シンが、とかじゃなくて…ぼくが。アスランから離れる気がないってことくらい。知ってるでしょ……」
されたことのない確認と、強要された返事にわずかばかり戸惑う。だがそのあとの彼の嬉しそうな笑顔に引き込まれ、あまりの恥ずかしさにさきほどまで積もっていた猜疑心が吹き飛んでしまった。
まだ、そのままにしておけない何かが残っているという、一抹の不安がありながら。


C.E.75 9 Mar

Scene メンデル・ビジターセンター

メンデルの改修工事は円盤パネル側の先端となる港湾部から始まったが、すでに半分近くが新しい外郭に覆われていた。AIで制御された自動造成ユニットが外壁の大方を進めるため、コロニーはその大きさを思うと戦艦の建造より早く仕上がるように錯覚をする。
だが、今の段階では工事が進むほどに警戒場所は増えてくるし、それこそもっとできあがって全域にセキュリティシステムが導入されれば、おおむねは機械任せとなって楽なのだろうが、キラは臨機応変な対応を迫られる現在の状況に心を落ち着かせることができない。今のところ何者かによる大それた動きはないが、もうひと部隊くらいはこちらによこせないか、プラントあるいは本国に打診してみようかと、ゆうべアスランと話し合ったばかりだ。
キラは視界にある景色に視線を注いだまま、それを思い出したわけでもなく深いため息をついた。過去に見た憶えのある寂れた建造物。いやな景色だ、と思った。
───早く終わればいいのに。
立場もあったから、メンデルでの任務に支障はないとシンにいった。その強がりの半分はたしかに嘘ではなく、自分の出生の事実を事実として受け止めることは数年前に乗り越えている。同じ事実を知っても変わらずキラに接してくれる皆のおかげでそれが叶ったともいえる。
だが本当の本音をいえば、ここはやはり長く留まりたい場所ではない。内部はまだ当時の様子を残しているから、どうしても過去の感情の部分が甦ってしまう。

戦争の合間にしては考える時間がありすぎて、それが却ってキラの精神を抉っていた、あのとき。
特殊な生まれに思う恐怖は、とくべつであるがゆえの疎外感なのだろう。考えるほどに周囲が気になり顔色を窺いすぎて、そのために自ら遠ざけるようなことすらしていたと思う。アスランを除いて。一時期にしろあの頃は、心の安定をアスランからしか得ることができなくなっていた。
不思議な安心感だった。その少し以前までは殺し合いすらした相手なのに。むしろ、だから、だったのかもしれない。キラを識っていながらキラをこの世界から除こうとした人。たとえキラがどのようなモノでもアスランならば、キラがどんな業をもっていても、もっていなくても、必要なときはキラを殺すことができるのだろう……と。そんな理由で安堵する自身をそうとう危ういと思いつつも、あのときキラはアスランに対してそんな理解をもっていた。キラのぼんやりとした自覚以上に、彼はアスランに対して生も死も投げ委せるような剣呑な甘えを覚えてしまった。
───ここまで頼っていながら、きみにすべてを預けることもしない……とんだわがままだ。
彼をごまかすことに、キラは疲れ始めていた。隠しきれていないことも含めて。アスランはすぐに気がついてしまう。今ひとりでここにいるという、新しくつくった内緒事もどうすべきか。素直に話すかどうかはこのあとに掛かっているともいえるが。内緒を内緒のままにすると判断したとして、それが叶うことなのか、どうか。
「……きみを困らせるのが…生きがいになってないかな、ぼくは……。ごめんね……」
この場にいない者へ寄せたことばは、キラ本人の耳にも届かないほどごく小さく。おそらく今、ホールの扉を開けたその男にも、聞こえることはなかっただろう。

メンデル内でいちばんに建て直されたビルのひとつ、ゲストを迎え入れるために用意されたビジターセンターの一角に、今、キラはいた。何かの行事に使うためと思しき大きめのホール。内装を残して放っておかれたままになっている。その入口の扉には「工事中」と表示されていた。ひと気はなく、邪魔も入らないだろうと思い、選んだ面会場所。つま先から十二メートル先の天井までのガラス窓、その傍にキラは佇んでいる。
その外はまだ空気も充填していない。重力システムの稼働開始は三日後、つまり現在は無重力。そんな状況でも、プラントからはコーディネイター開発の研究者、関係者が出入りをはじめている。地上からも含めたシードコードの関係者もすでに十数人、視察にきている。関係組織もひとつふたつではないから、日単位で雪だるま式に訪問者数が増えていった。そんな混沌とした状況だからこそ、入基者のチェックは厳重になっている。もとより“彼”は正式なシードコードの関係者であり、キラが報告していないので要注意人物とマークもされていない。その状況を利用したのは、キラのほうだった。
「早くふたりきりで話したいと思っていたんだが。きみたちは、いつも一緒にいるんだね」
「アスランは専任の護衛です。あなたのような人をぼくに近づけさせないためにいるんです」
それはどうも、といって相手は冷たさを感じる笑いをこぼした。そこに現れたのは、ロマン・ジェリンスキだった。

彼は床を蹴って、キラがいる巨大窓の中央まで体を流してきた。キラがしているように窓際にある手すりのようなポールに掴まって止まる。キラに充分手がとどく距離だ。こんなところをアスランが見たら目を剥くだろう、と頭の隅で思う。
前回やその前のときのようにロマンは仕立てのいいスーツを着ており、どこから見てもいかにもなビジネスマンだ。が、彼は戦闘用に特化されたコーディネイターで、衣服の下に鍛えた身体を備えていることも見て取れる。白兵訓練をまともに受けてないキラを、今ここで縊り殺せるだけの身体的な力を充分もっているだろう。
まったく警戒をしていないわけではない。だが、彼がここでキラに手を出すような浅はかな真似はしないということには確信がある。
「きみからコンタクトしてくるとは思っていなかった……」
「あなたの話を、あのとき全部聞けたようには思わなかったので」
再びキラに対話を求めてくることには予感があった。ロマンが望む“なにか”を、キラからまだ引き出してはいない。それが判っていたのだ。
「そうだね。……たとえばその鋭さは、SEEDのゆえなのか、特殊な設計のコーディネイターのゆえなのか。きみは自身でどう思っている?」
「……………」
ロマンは再び窓を背にし、キラの顔を覗きこんでそういった。
「それともそれが研究で判るとでも?……その出生を秘匿したままで、きみがどう研究の材料になると思う。きみはそのままではただの汚染された素材ではないのか」
キラは下唇をわずかに噛んで、視線を俯けた。つくづく彼はこちらの弱みを熟知しているのだ。無意識にポールに伸ばしていた腕を引き寄せて、身体をさらに窓へ寄せる。
「…それが……気に入らないんですか。ではぼくが生まれを明かせば、あなたは邪魔もしないと、そういうんですか」
「短絡に過ぎるよ。きみは自分を特別視しすぎるあまりに、SEEDが現れた意味も理解していないのじゃないか?」
呆れを混じえた体でキラを見下す彼は、身体を反転させて窓の外を向いた。
「SEEDで世界は変わろうとしている。判るだろう、SEEDの現れは我々コーディネイターの意味をなくしたということが。宇宙進出の黎明には必要な存在だったかもしれないが、それはもうとうに過ぎたということだ。今後、この宇宙を制するのはSEEDに目覚めた者たちになるだろう」
窓外の深淵を見つめてロマンが語る。ゆくすえはそうだろうとキラも理解はしている。シーゲル・クラインが予感したコーディネイターのいない世界に在るのは、そうなのだろうと。けれど、それは目の前のロマンも、キラさえも、生きている時代の話にはとても思えない。
「だからって今、捨てて、殺して、いいものだっていうんですか?宇宙開発は今このときもコーディネイターの力を必要としてるじゃないですか。すぐには変わらないってことも、判ってるでしょう」
キラの反論に、ロマンは「だからね」といかにも理解がない相手にする態度で応えた。
「……当のプラント自身はともかく…ナチュラルにも囲まれているきみなら、もう少し判っていると思ったんだがね。何なんだ、この施設は?誰のためのメンデルだ?」
ロマンは大仰に手を振り窓の外の荒んだ景観を指した。この窓から見えている方向にあるのは、次世代コーディネイター開発にプラントが買い上げたエリアだ。当時の最先端ではあっただろう研究棟は取り壊されることなく、内装と機器類を取り替えるだけにとどめる。再利用できるくらい施設の状態がよいからとはいうけれど、実際にはプラントの資金不足が本当の理由だ。当然だろう。次世代コーディネイターについて問題として抱えているのはプラントだけなのだ。地上でそれは他人ごとだから援助するいわれはない。ロマンはそれを揶揄していた。
「旧理事国の払い下げを嬉々として手を入れて、第三世代以上のコーディネイターを増やすって? 地上では誰もそこに期待などしていないよ。ただの第一世代の解禁だと受け止めてる。しかもプラント独占のね。プラントでばかり増えるようなコーディネイターにどう期待をよせろというんだ。ナチュラル…いや、地上が欲しているのは自国の力となるものだよ。宇宙居住者に等しく現れた兆し……SEEDが、彼らの新しい期待にシフトしていると見えているのに、どうしてコーディネイターがまだ必要などといえるんだ、きみは」
「足掻くことも許されないんですかプラントは。今すぐ諦めないと納得しないんですか、あなたは。そんなにコーディネイターは許されない存在なんですか?!」
ポールを掴むキラの手がぎりぎりと力を入れる。共存も理解もないというようなロマンの考えを知って、キラはその極端さを嫌悪した。コーディネイターとSEED因子保持者は並列に考えることではないと思うのに、彼は比べて優劣をつけたがっている。その理由など、推して知るべしだ。
そんな彼を見ているだけでキラは焦燥感にかられる。自分自身で思い通りにならない出自、そこへそうして誕生させられたことへの嫌悪を、少なからず理解ができるからだった。
だが、それは私怨だ。偏ったイデオロギーに頼って復讐したいだけではないのか。まさしくロマンは彼と一緒だ。ラウ・ル・クルーゼと……。この世界にはまだ彼のような存在があるのか。いなくなりは、しないのかもしれない。その覚悟はあった。彼らの気持ちが理解できるからこそ、キラは自身に彼らを止める役割を課している。起こってしまった間違いとその後の負の連鎖。強引でも断ち切るべきだと。そして、その苦しさの緩衝にこそSEEDがあるのだと。───キラは思っていたのに。
「エヴァグリンの創主っていうのは、あなたなんでしょう。あれを隠れ蓑に使って、コーディネイターにテロを引き起こしてるってことも、判ってます。アルテラのことだって……あなたが手引きしたんでしょう?!」
「……オーブが何か証拠を掴んだかね」
「いいえ。でも、判りますよ。あなたは才覚のある人だ。それに、目的のためには非情にもなれる。あなたのような人を知っています。戦争まで操ってみせようとするような、そんな人たちと同じなんですよ、あなたは」
無駄な指摘だ、とキラは思った。果然、ロマンはそれの何がわるいのかといいたげに薄笑いを浮かべたまま首を傾けてキラを見ている。
「……あなたもまた戦争を、したいんですか。コーディネイターとナチュラルで……」
「必要ない。ほっといてもコーディネイターが滅びるんだから」
決まりごとのようにロマンはいいきって肩をすくめた。キラはようやく観念して、彼を“どうにか”しないと、この先もテロ行為などによってコーディネイターに害が及ぶのだと認識をした。「対話」を求めてきた彼に、そうすることでわずかでも彼の意識を変えることができるかもしれないなどと、ほんの一瞬でも考えたことすら、軽はずみで浅薄だったのだとひどく思い知った。

「さて……互いに理解がないと判っただけでも今日は有意義だったけれどね、ヤマトくん」
俯きことばを失っているキラに、もう少し建設的な話をしようじゃないか、とロマンは続けた。
「わたしはご覧のとおりビジネスマンだ。きみと話したかった本来の目的はつまり、交渉、といったわけでね」
「………交渉?」
思いもしなかった単語にキラは困惑する。だがロマンの本題はまさしくここから、ということなのだろう。話に飽いたといわんばかりだった表情が変化していた。
「きみがシードコードから手をひく。もしくは、こちらで用意するSEED研究組織に入り、我々の被験体となる。希望としてはその両方だ」
「………そんな……こと……」
キラをSEED研究の中心から遠ざけたい、あるいは支配下に置きたい、ということなのか。だが、何故そうしたいのかは読めない。
「……ぼくにその条件をのむ理由が、あると思います?」
「あるんだよ。わたしがそう仕向けるから」
ロマンは、自分が新しい組織を立ち上げればナチュラル側の協力者や出資者はすべてこちらへ参画することになるだろう、といった。自信満々に語る彼を睨みつつも、キラは彼にそうするだけの力があることを知っていた。表の力も、裏の力も、大きく動かせるだけのものを、ロマンは間違いなく持っているだろう。
「地球側の資金提供者がなくなれば、さすがのきみたちも組織運営は難しい。ほそぼそとやったとしても、ナチュラルのSEED因子保有者が集まらないから、やがては研究そのものが頓挫するだろう。プラントのなかだけでそうやって遊ぶならいいだろうが、多額の出資と協力をしているきみの国、オーブはどうする?」
「……………」
そうなのだ。オーブはあえて選んだ諸刃の剣、地球側の協力を得る牽引となるはずだったのだ。現に今まではそうだった。このまま、ロマンの思惑どおりに別の組織が立ち上がってしまったら、SEED研究においてオーブは地球で孤立せざるを得ない。戦後プラントとの協力姿勢をよく思わない国民も相変わらず居り、こういったささやかなことをきっかけにして、国内のナチュラルとコーディネイターの対立を激化させる要因になることもあるだろう。それでなくとも、日々それを煽るためにブルーコスモス…エヴァグリンがオーブで活動しているのだ。
「仮にも母国だろう。姉上もいる。代表首長のね」
「……交渉、だなんてそれは……脅迫じゃ、ないですか……!」
本当の、本当に、浅はかだったとキラは気がついた。自分自身に向けられた鋭さに釣られて受けた、ふたりだけの話し合いの場。キラの存在に起因したことが、個人的な対処でどうにかなるとどうして考えてしまったのだろう。すでにキラ自身で、いろいろなものを───国さえも巻き込んでいたことだというのに。
ロマンは黙したままキラを見ている。あきらかに顔色が変わっただろうキラをどう思っているものか。優位にある者の存在をみせつけるような態度は最初からだ。彼がこの状況を楽しんでいると気がついて頭に血がのぼる。もう、どうすればいいのかも判らなくなっていた。彼の要求をのむことと、のまないことの、起こりうる事態に予測がつかない。つけられない。
───正しい選択を、しなくちゃいけないのに。
キラは場にそぐわず自分を嗤いたくなっていた。ひとりでできる、と。自分だけでなどと奢っていた自分自身に。ロマンを前に、手も足も出なくなってしまったではないか……。
だが、ぎゅっと目を閉じ頭を振る。弱気になる場面ではない。ひとりでこの場にきたその責任が自分にはあるのだから、と。キラは再び自分を奮い立たせた。
「理由を、教えてください。ぼくを引かせたい理由が何か、あるんですよね」
絞りだした声は、だが自分で思うよりはしっかりとした声になっていた。ロマンは相変わらずキラをじっと見つめ、そのままキラの心を探るかのように瞳を眇めた。
「……きみがわるいんだよ」
「───……」
そのひとことの合間に、ロマンから表情が消えていた。
「きみの存在は知っていたよ。このメンデルで、きみが生まれたときに。だから、どういう存在であるのかもきみが知る以前から知っていた。───だが、あの日きみが研究に関わっていると知るまでは、さして興味もなかった。きみのことなど」
表情のなさで冷淡を感じさせる視線は、背中が凍りつきそうな鋭さを裏に隠しもっていた。思わずその手に、銃のひとつもあるのではないかと疑うほどに。キラは恐怖心に負けてロマンからの視線を外さないよう必死に留めた。
「…いまは、存在自体が邪魔だ。無用どころか、邪魔にしかなっていないんだよ。最初にわたしがした質問を覚えているかい?」
ともに凍っていきそうになる思考を懸命に巡らせ、キラは思い出す。
「ぼくの特異性が……SEEDなのかそれとも…」
「最高のコーディネイターとして造られたから、なのか。その真実は判らない。きみを研究すれば本当に解明できることなのかもしれないが、困ることがある。───その解が、後者だったら」
確かに、キラは自分自身に「とくべつ」の烙印をさらに押し当てて、そのことに傷つく覚悟が必要だった。それを考えなかったはずがない。
だがキラは自分が傷つく恐怖で、外側にもたらす影響を軽んじていたのでは、ないだろうか。

「彼らの期待がコーディネイターにまた戻ってくること、とは、つまりそういうことなんだよ。特殊能力をもつコーディネイターの必要論が再び盛りあがるんだ。ナチュラルのあいだで」

この可能性に思い至らなかったのは、本当に迂闊だった。
プラントが行う次世代の開発とはまったく次元が異なる。機能の高い“道具”としての開発を求める声、ということだ。機運が高まればトリノ議定書による縛りなど意味がなくなることはすでに歴史が証明している。違法な開発が黙認される世界にまた逆もどりだ、とロマンは重ねていった。蒼白になっているキラをおいて、いや、むしろその様子に高揚しているのか、ロマンの声がわずかに高くなっていた。
「だから邪魔なんだよ。きみのようなモノを期待するような流れをつくることは、阻止しないと。よく判っただろう、“ユーレンの息子”は、そこにいるだけで危険な存在なんだということが。きみにだって理解できるだろう?」

『知ればだれもが望むだろう。きみのようでありたいと。きみのようになりたいと。ゆえに許されない。きみという存在は───』

繰り返される……キラは過去からの声を耳にした気がして、空いた片腕をその耳に押し当てた。そのままくしゃりと触れる横髪を掴む。
ロマンは自身の出自をひたすらに厭う者なのだ。この世界に必要なのか否かではない。必要だったとしても、それをただ許したくない人間で…そして、それを理解するキラに突きつけている。自分と同じ存在が再び生まれる世界を望むのか、と。
まだこの世界は未熟で、高みを望みながらも、それを受け入れられない。それは、キラも───。

───見誤っていた。ぼくはぼく自身の閉じた世界で、まだ夢を見ていた。

ロマンの要求を受け入れるしか、選択肢がない───。キラ自身がSEEDの研究材料にある危険性。だが自分を餌にして進んだこの状況を今更には……すなわちシードコードの解体しかない。

「……あなたの…要求内容は理解、したと思います。でもぼくは、シードコードに対して何の権限ももっていないんです」
「対外的にはね」
「ええ、そうです。かといってこの場で独断できる立場でもありません。───時間をください」
ここで決断をするほどキラは見失っていなかった。どれだけ時間をくれるのかも不明だが、ロマンはそれを許容する態度を見せた。そして不可解な言を追加した。
「何故ならわたしも確たる証拠を見ていないから、きみをどうするべきなのか、本当は判断つきかねている。はたして、きみでいいのかということが」
「……それは……どういう…意味ですか」
そのままの意味だよ、とロマンはいった。そしてそのあとはさらに理解のできない話だった。
「“ユーレンの息子”がその息子ではなかった可能性。きみ、一度でもそれを考えたことは?」


C.E.75 9 Mar

Scene デーベライナー・モビルスーツ格納庫

アスランは一昨日ヤマト隊に着任したばかりのモビルスーツパイロット、SEED因子保持者の三名それぞれと模擬戦を終えたところだった。
とくべつなプログラムはとくになく、演習弾装備の機体で自由に対戦するが、気持ちのうえでは「本気で」とのリクエストがキラからあり、相手からその本気を引き出すのがアスランの務めだったといえる。
彼らは年齢も軍歴もばらばら、当然ながらモビルスーツの操縦技量もばらばらで、うちのひとりは実戦経験がなく、まっさらな状態はことさらに読みにくい。そのうえアスランの搭乗機はストライクフリーダムだ。さすがの彼もこればかりは扱いにくく、対戦相手がどうこうよりむしろこちらのほうが問題だった。
模擬戦の目的は、キラ・カスタムの採集システムによる彼らの戦闘データ集積で、そのシステムはフリーダムにしか搭載されていなかったためやむを得ない事情だった。

ヤマト隊に配属となるSEED因子を持つ兵は、軍歴資料からキラがピックアップして決める。この選考は概ねキラの独断ともとれるが、ザフトからキラにあがってくる資料はおそらくSEED因子保持が確認された全員ということでもないだろう。フィルタリング不要とかなり強気に事前の要望はだしたらしいが、キラは「ばればれだよ」と鼻を鳴らして、それが遵守されていないことをこぼしていた。それをどうやって知ったのか、あるいはただの当て推量か、アスランはだが、それ以上を関知しないことにしている(彼は、知らぬが仏ということばを学習した)。
選抜をパイロットに限定しているのはプラントからの都合で合意事項だが、現段階では管理上の限界で最大十名までの上限もあるから、ザフトのフィルターをキラは知りながらも受け入れてはいた。

そうして、よくいえば選りすぐりの彼らがヤマト隊にきて行うことといえば、他の隊とも変わらぬ任務だ。隊長が一風変わった人物であることを除けば、彼らの兵士としての務めに気にするほどの支障はないだろう。
もっぱらイレギュラーな対応を強いられるのは管理する側で、キラは彼自身で何かを思って進めていることだから文句もないだろうが、彼に“合わせてる”立場のアスランとすれば気苦労も絶えなく頭を使うことも多く、今回に至ってはなるほど体を酷使する事態もあったかと嘆息した。
フリーダムのコックピットのなかで、アスランは疲労からこぼれるため息を、心のなかだけではなく実際に吐く。インフィニットジャスティスへ同じ採集システムを移植する時間が取れるかどうかを算段しながら、ふと落とした全方位モニターの下方に、新参のパイロットたちが並んでこちらを見上げているのが見えた。
「ああ……、待たせてたな」
つぶやきながら集めた情報を手早くメディアに移す。キラはこのデータを元にして、おそらく三、四日ほどで彼らに最適化したOSを仕上げるだろう。それからそれぞれの機体への搭載と調整にさらに二週間強。手間暇のかかる増員システムだが、単純な戦闘単位ではないため仕方がない。
まもなくアスランはコックピットを離れ、フリーダムの足元で待っていた三人の正面に立った。礼を交わしつつ見れば、最後に対戦した兵はまだ少し息をきらせている。彼らのなかでいちばんに若く、戦後のザフト入隊者だ。“まとも”な隊ならともかくも、最初の最初に特例部隊に配属されては戸惑いや不安も多いだろう。
───シンと組ませるか? ………いや、それはまずいか。
アスランはふてくされたシンの顔を思い出して考えなおす。平時に模範として新兵の傍に置くには最良の人選ではなかった。
あれからアスランはずっとシンから睨まれっぱなしで、あまり相手をしないようにはしているが、突っかかってくる態度はまるで一年とちょっと昔に逆もどりだ。よくあれだけ怒りを持続できるとも感心する。
───まぁ、それだけおれがあいつの怒りを煽ってしまったんだろうが…。
彼は少し首を振って雑念を振り払った。手元の携帯端末に目を落として、彼らの今後の予定を確認する。
「ここでは当面哨戒任務があるが、専用機がくるまでは今日使用したZGMF-2000に搭乗する。それと……ドラグーンにも慣れておく必要があるが、演習機体は明日届く一機だけだ。すまないが交代で使ってくれ」
バッシュの後継機体は新開発のドラグーンシステムが搭載されている。ヤマト隊ではリンナ・セラ・イヤサカがシステムの経験者だから、このあとのサポートは頼めるだろう。ついでにまとめて彼らの面倒を頼もうと、解散のあとリンナ宛にメモを送った。

「副長さん、乗る機体間違ってなかったかい?」
突然かかったからかいの声に、操作していた端末から顔をあげると、そこにヒルダ・ハーケンがいた。ヘルベルトとマーズも一緒だった。
「……ああ、」
アスランがフリーダムを降りるところから見ていたのだろう。ワケありで、と軽く流せば彼らはそれ以上を追求しない。
「それよりも、お疲れさまでした。今日まで力を貸していただいて、とても助かりました」
彼らドムトルーパーズは今までヤマト隊が一時的に借り受けていたチームだった。つまり、モビルスーツパイロットの頭数要員だ。彼らは昨日付けでその契約が切れ、十中八九、次はジュール隊に合流する。
アスランは挙手敬礼ではなく手を差し出し握手を求めた。もう部下ではない、ということもあるが、もともとラクスの親衛隊になるためにプラントにきたという“曰くつき”で、ザフト内の立場としては傭兵、客分だ。自分自身の過客のような立場のことも思い出したが、どちらにしろ同じ軍の兵同士といったような堅苦しいものとも異なる互いの関係性を思った。
握手のあとの軽い無駄話も終えてからヒルダが、いまさらのように「そういえば、隊長はどこ行ったんだい」と訊いてきた。
「もう時間だからあたしらは行くけど、よろしくいっといて」
「……指揮官室にいませんでしたか」
「ああ、いなかったね。そしたらフリーダムが模擬戦に出てるっていうから、てっきりこっちだとね。……まぁ、発つまえにちょいとアイサツに、って思っただけだから」
「そう、ですか」
腑に落ちないまま、その場で彼らの背を見送る。三人それぞれが自機のドムトルーパーに搭乗し、管制と発進の手続きを始めたところでアスランは踵を返した。
───あいつ、どこをうろついているんだ。
立ち会いもせずに新人の世話をアスラン任せにした当人は、その自室でひとりおとなしくしているはずだった。いつもなら、やむを得ずキラから離れる場合にはルナマリアに彼の護衛を任せている。今回はあいにく彼女が出払っており、オフタイムのシンを呼びつけようとしたところ、キラが「おとなしく部屋に引きこもってるから」と遠慮した。
アスランはパイロット室にはもどらず、格納庫出入口の脇に避け、個人端末でキラの位置情報を確認する。メンデルに降りている。予定のない行動にでるのはいつものことだが、ここまでの距離を勝手に動いたのは初めてだ。隊内部で共有している行動スケジュールを見る。
「関係者面会……聞いてないな」
人の動きが多くなってきたメンデルで、臨時や緊急にそういった予定が入ることもあるだろう───とも、思いつつ。
アスランはその場で自らの行動予定にも「メンデル」と入力し、格納庫をあとにした。


C.E.75 9 Mar

Scene メンデル・ビジターセンター

メンデル再開発地区のうち最初に整えられた一棟はビジターセンターとして利用されていた。そのロビー内はわさわさと忙しなく人が出入りしており、訪問者の人数が日を追うごとに増えているようにアスランは感じる。入り口から見渡し、人混みのなかからフロントロビーにぼうっとした様子で座っているキラを見つけた。案の定、護衛をつけていなかった。
「キラ」
彼の左斜め後ろから近づいたアスランは、キラが足音に気がついたのを確認しながらも名を呼ぶ。
「アスラン」
振り向いたキラは、彼を見ると少しの苦笑いでアスランを迎えた。
「……急な面会があったって?」
護衛を連れていないことへの小言は引っ込めた。面倒に思ったであろうキラの性格を考えず、彼をひとりにしたのは自分の落ち度だ。キラは訊ねたことに「そうだよ」と答え、相手について問うと協力国の議員だったといった。
「対面したことないから、って挨拶に呼ばれただけ。どうせもう会うこともないだろうからなまえも覚えなかった」
アスランは、そうか、といいながらキラの様子をあらためて探った。疲れているように、見えたからだ。政治家の相手ともなれば、それはキラも気疲れしようが、挨拶だけだったというならそれほどのこともないだろう。
ただ、状況として彼はザフトに入ってから体も心もともに、休む時間を十分にとれていない。とにかく今はメンデルの再開発事業が一段落みるのを待つしかないが、場合によっては強制的にオーブへ帰還させるつもりがアスランにはあった。それは当の本人から抗議がくるだろうが、かまってなどいられない。

キラにはモビルスーツでの戦闘に、わずかだがストレス障害があることをアスランは知った。
本人曰く、アスランと──まれにシンと──の、戦闘に限るとのことだが。彼のもともとの繊細な気質を考えれば起こりうることだったし、実際にヤキン・ドゥーエ戦のあとには長らく不安定な状態になっていたことも思い出される。本人はおおげさにすることではないというが、治療が適うことなのかどうかはともかく、このまま見過ごすことはできない。悪化しない保証もないのだから。
とりあえずのところ、訓練を含めてキラをモビルスーツに乗せることは極力避けるべきだろうと考えて、今日の模擬戦もアスランが買ってでたのだった。
「アスラン、着替えぐらいしてきたらよかったのに」
「え……。ああ」
さすがにビジターセンターのエントランスでパイロットスーツはわる目立ちするだろうか。一応周囲を目にして、好奇の視線が集まっていないことを確認する。工事中の状況もあって宇宙服の作業員もうろついてはいるから、それほどでもないようだ。キラもとくに気にしたわけではないようで、単にアスランの忙しない様子を揶揄したいだけのようだった。
「迎えにきてくれたの?」
「……くると思ってたんだろ」
呆れたようにいうとキラはくすりと笑った。
「そう、待ってたんだ。入れ違いになっても、あれだし」
そういいつつも、キラは立ち上がって艦に帰ろうとする様子を見せない。仕方がなくキラの横にアスランも座った。代わり映えしない指揮官室に篭っているよりは、人の行き来が多いここのほうが気分転換にもなるのだろう。

「考えてたんだ」
アスランが横で落ち着くのを待っていたかのようにキラがいった。
「ユニウスセブンのこと」
「……………」
“血のバレンタイン”の追悼式典は一ヶ月近く前に終わっている。何故今考えるのか、問おうとするまえにキラが答える。
「いつもね。2月14日が近づくと、アスランに訊かなきゃいけないって思ってたんだ。でもこないだは“あのひと”が現れるし……なんかタイミングがさ…」
「キラ」
無意識に呼んだ声にキラがアスランのほうを向く。何を、と問いかける眼差しだけを送り、キラを待つ。
「きみが軍に入った理由」
「───それは」
昔も、敵対した立場で責めるように問われて、答えを返した覚えがあった。憎しみを捨てられなかった頃。キラは違う答えを求めているはずだった。
「単純なことだ。……無力だと思ったからだ。いろんな意味で、自分が」
何かをしなくてはならないと、まず感情を突き動かされた。失った母の大きさと、人が変わってしまった父を目の当たりにして。
それで戦うことを選んでしまったのは確かに浅薄だったのかもしれない。
だが今は、あのときの選択がなければ、誰を守ることもできなかった───と。そのことにも気がついてしまった。イザークのいった“持てるだけの力”を、あの頃よりも欲しているような気持ちがしていた。
それ以上をことばにして答えなかったアスランに、キラは何も返さず視線を外して足元に落とした。彼が期待した答えではなかったのかもしれない。
「ぼく、ずっと知らなかったことが、あって」
「……なんだ?」
アスランからその表情が覗えないほど深く、頭を垂れたままのキラ。いい難いことがあるのだと判る。彼はできるだけ優しい声で問うた。キラは姿勢を変えずに消え入りそうな声で続ける。
「小母さんが、ブルーコスモスの標的になってたってこと」
「……………」
アスランは黙したまま、そうか、と思った。相手が傷つくことを恐れて問わずにいたこと。お互いにまだ、そんなものをもっていると、この頃は気付かされてばかりいる。キラには、なんでも答えるからなんでも訊けとついこのあいだもいったばかりだった。実践する彼の勇気が愛しくて、切なかった。
「それでユニウスセブン、か」
つぶやくようにいって視線を遠くにすると、がやつく周辺の雑音も遠くなる。キラは動かず、その話の続きを促すこともせず、静かなままでいた。

アスランの母、レノア・ザラは優秀な農学者で、ユニウスセブンからユニウステンの穀物生産プラント化に大きく貢献した人物でもあった。プラントによる独自の食料生産はシーゲル・クラインの指示でおこなわれたが、実現にいたる技術を開発した点で、理事国の反感を大きく買ったコーディネイターのひとりとなったのだ。
プラントによる食料の独自生産は、当時地球との戦争の引き金にもなったほど意味が深く重要なことだった。
ブルーコスモスの地球連合軍将校ウィリアム・サザーランドは、それを理事国に逆らった報復として、レノアが作った穀物生産プラントをレノアともどもに核で破壊。それが、“血のバレンタイン”だった。
彼の───アスランの父、パトリック・ザラの治まらなかった憎しみの根源がそこにある。
たまたま巻き込まれたのと、狙いを定められたのとでは大きな差がある。まさかプラントごと討たれるとも思わずに、コペルニクスから母子を早々に引き揚げさせたのは、その疑念をパトリックがもっていたからだったのだ。
「父が国防委員のひとりと話しているのを聞いてそのことを知った。それでザフトに入ると決めたんだ」
その後入隊してから、不確かな噂話という前提ではあるものの、パトリックが強硬派路線に進む理由として、軍内でも公然と囁かれてもいた話だったことを知った。ディアッカはもちろん、ラクスもおそらくは自身の父親からそんな話を聞いていたのかもしれない。彼らのいずれかが、キラに聞かせたということなのだろうか。
三年前の戦争の当時、アスランがキラと同じ陣営にきてから、キラはずっとアスランに直接、その過去を訊いてくることをしなかった。あるいはアスランと同じ気持ちで相手に触れることができず、ただ、知らないままでいることもできず、そうして周囲の人間に訊ねて。アスランにも身に憶えがありすぎるほどで、キラの周りのムウやマリュー、ミリアリアやサイ・アーガイルにこっそりと訊ねることが何度あっただろうか。

「どうしてなのか判らなかったんだ。コーディネイターの…小母さんにとっては、そう、家族が生きるために考えたことが。どうして命を狙われるほどの理由になるのか……判らないんだ……」

沈黙を破って、幼い子供のような問いを綴ったキラに、アスランは少なからず戸惑った。
「本当にたった“それだけ”の、理由で、…小母さんは狙われていたの?」
アスランがその答えを知ってるとでもいうような眼差しで彼を見る。 だが、知るはずもない。本当の理由など。そもそもユニウスセブンとともに標的にされたという話でさえ、確証を得たものでも、声明されたものでもなんでもなかった。状況としてそうだった、というだけで。
「キラ。多くの一般市民が生活していたコロニーをまるごと破壊しようなんてこと、どんな理由があったところで理解できる話じゃない…」
唯一確かなのは、コーディネイターが同じ人間だと思われていなかったということ。それ以上でもそれ以下でもなく、あるかどうかも判らない本当の事情を確かにしたところで、レノアが泛ばれることもない。
「彼らは母上だけではなく、コーディネイターなら誰でもいいってことだったんだろう。ことさらに彼女だけが恨まれていたなんてこと、おれは考えてない」
確かではないから、それも嘘といえるだろう。だが、キラが聞きたい答えかもしれないと選んだことばだった。それにアスラン自身も父親を変えた理由などに深くつきあいたくはなかった。
「…そう…。きみがそう、思っているなら……」
敏いキラが納得した様子も見せずにそういって、その話は終わった。

アスランは気がつかなかった。このときキラがそのことばの裏で、本当は何を確認したかったのか。
十数分前にあったロマン・ジェリンスキとの対話を知らない彼には、知りようもないことだった。


C.E.75 11 Mar

Scene アプリリウスワン・オーブ大使館

「どうしてその話を今したいの?…こちらにもどってきたときじゃ、だめなの、キラくん」
『……………』
マリューの問いに、キラは黙ってしまった。オーブ大使館への突然の個人通話。それまでもなかったわけではないが、“ひとりで”連絡してきたのはこれが初めてだ。彼が───アスランが、キラのいるデーベライナーへ行ってからは。それもあってマリューは少しためらっていた。
「アスランくんは、今話していることを知ってるの?」
キラが少し、息を吸い込んだ気配がした。余計なことを訊いたかもしれない。
『べつに…いうつもりもないですけど。ぼくのこと、だし』
「そう、よね。でも通話記録、残るわよ」
『ええ、判ってます。…いいはしませんけど、彼に聞かれて困る話でもないです』
マリューは深くため息を吐いた。無意識だったが、わるいことにキラに気づかれてしまった。
『すみません、こんなことマリューさんに。本当は両親に…母に聞くことなんですけど……』
「いえ、それはいいのよ。お母さまには聞きにくいことでしょうし……。ただ……どうして?」
マリューはもう一度訊ねた。音声のみの通話だ。キラの表情は読めない。率直に訊く必要があった。
キラはマリューに、母親のことが聞きたい──と、いってきたのだった。カリダ・ヤマトのことではない。産みの母──ヴィア・ヒビキのこと、だった。

───もうあれから、四年になろうとしている。
ヤキン・ドゥーエ戦役の最なか、たまたま身を隠すのに都合がよかっただけのメンデルで、知ることになろうとは。キラ・ヤマトの出生の秘密を。そして、敵士官ラウ・ル・クルーゼとムウ・ラ・フラガの因縁を。

『やだな、マリューさん。なんか変なふうに心配してませんか』
急に明るくなったキラの口調で我に返る。
「…変って、キラくん。だってわざわざ通話で急に訊かれたら。どうかしたのかしらって思うわ」
『どうもしないですよ、べつに』
スピーカーから、肩の力が抜けたような笑い声が聞こえてくる。彼が聞きたいといった話の内容を重く考えすぎただろうか?───いや、しかし彼の出生のことを思えば、軽い話でもないことは確かなのだ。
『仕事の延長みたいなもので。ほら、ぼく自身が研究材料じゃないですか。特殊性を考えるのに、いろんなことちゃんと知っておく必要があるかもと思って』
キラの自身の形容に彼女は心をずきりとさせる。
───この子はまた…こんなことをいって……!
マリューはキラがときおり見せる感情を欠いたことばが嫌だった。もしかすれば、それは虚勢だと思わないでもない。でも、それでも嫌なのだ。どちらにしても、戦争が与えた彼の傷だと思うから。
『手始めにじゃないけど…思い立って、それだけなんですよ、ほんとに』
キラは本当になんでもないことを表すかのように声を軽やかにしていった。深刻にならないで、と。
「……そう。……判ったわ、キラくん…」
マリューは一抹の不安を少し横に置くことにした。確かに考え過ぎなのかもしれない。
それに、これが潮時というものかもしれない、とも思ったのだ。

キラが両親ではなくマリューにそれを訊ねてきた理由については心当たりがある。
戦後、オーブの孤島で静かに暮らしていた頃──キラが、心を遠くにしていた頃。キラの母親…育ての親であるカリダ・ヤマトとは、彼への心配の表れに、幾度となく互いとキラのことを話した。マリューからは、戦時中に知ってしまった彼の出生についても。知っていながら隠しておくことはできなかった。それをきっかけにして、カリダもすべてをマリューに語ってくれた。

キラ本人が実の親子ではないと知ったことについては、すでにカガリから聞かされていたようだった。
だがキラからはひとこともなく、その後からこれまでも、本当の両親について何を問い質すこともなかったという。
ただ、カリダは一方的にキラに伝えたことがあった。自分の口からは聞きづらいこともあるでしょう、と。知りたくなったのなら、マリューに聞きなさいと。マリューはもちろんカリダに託されて、そのときがきたのなら自分が話すと了承していた。予定されていたことではあったのだ。
「ヴィアさんはカリダさんの実のお姉さん。それは聞いてるわね?」
『…はい』
「とても仲のいい姉妹だったそうよ」
ヴィアが大学を卒業するまでは、親友のようにいつも一緒にいたといっていた。が、ヴィアは飛び級で進学した大学の研究室で外部研究員として訪れたユーレン・ヒビキと出会い、卒業まえに結婚。そのままユーレンの勤め先でもあるGARM R&Dへ入社し、同じ研究室で働き始めた。学生時代までを過ごしたオーブを遠く離れ、宇宙コロニー、メンデルへ行ってしまった。それからは研究も忙しかったためか、カリダとも疎遠になってしまったという。
「それからふたり、直接会うことはもうなかったそうなんだけど、連絡はなんとか取り合っていて。…はっきりとはいわなかったそうだけど、仕事の…研究のことでヒビキ博士とあまりうまくいっていなかったみたいで。会えないこともあって、ずいぶん心配だったそうよ」
一緒に研究を進めるにつれ、コーディネイターに対するユーレンとの意見の乖離が広がっていく一方だった、という。そして、ブルーコスモスの台頭で、研究自体にも不穏な気配がただよい始めていた。
「襲撃の予兆はあったらしいの。博士の人工子宮開発の成功はまだ発表準備の段階だったけれど。ほんの数日前にヴィアさんは危険を感じて、あなたとカガリさんをオーブへ…カリダさんの元へ逃したそうよ。テロでの襲撃事件はその頃、今よりもっと過激なものが多かったそうだけど。すべてニュースになっているから、そのことはキラくんも、もうどこかで見てるかもしれないけど」
『……………』
キラはほとんど声を発しないままマリューの話を聞いていた。一瞬、そこにいないのではないかと思うくらいに。彼が何を思っているのかも判らなかったが、マリューはいちばんに伝えるべきことをいっておかなければ、と思った。
「……キラくん。カリダさんがずっと心配しているのは…つまり、あなたがヴィアさんのことを訊かなかったことも含めて…あなたが望まれて、愛されて生まれたんじゃないって、そう思い違いしちゃってるんじゃないか、ってことなのよ。確かにヒビキ博士がしたことは心ないことだったかもしれない。でも、そうじゃないってことを…」
『……知ってます…』
「…え……?」
『写真を見れば、判ります。あの写真』
「……………」
生まれて間もない双子を抱いたヴィアの写真。マリューも見ている。確かにあれは、母親の慈しみが十分に伝わるものだった。二枚あったそれは、それぞれキラとカガリで一枚ずつ持っているはずだった。
『レノアさんとは、』
「え?」
キラが突然、話の流れからでてくるとは思わぬ人物の名を告げる。───レノア・ザラ。アスランの母親の名だ。マリューはもちろん名前だけだが、知っていた。
『レノアさん。アスランのお母さんです。レノアさんとは学生時代からの知り合いだって、母から聞いてて。その頃のこと何か聞いてますか?』
「え、ええ。話にでてきたことはあったわよ……。そう、レノアさんがヴィアさんがいた大学に在籍していたことがあって、それがカリダさんとも知り合うきっかけだったといっていたわ」
『それ……、両親の……その…ぼくの本当の両親がしてた研究にも関係していた、とかは』
彼は何を聞き出したいのだろう?───マリューはキラの質問に戸惑いながら、知っていることを答えた。
「大学では同じ研究室ではなかったそうだけど。でも農業分野でゲノム編集の論文を多くされていたみたいだし、どうかしらね。…さすがに、そこまでは判らないわ」
『…そう、ですよね……』
「───ねぇキラくん、」
『あ。もう時間だ。すみません、マリューさん。もどったときにまた、続きを聞かせてください』
唐突ではあったが、その会話の終わりに不自然さはとくべつ感じなかった。時計を見れば話し始めてからけっこうな時間が経っている。キラも忙しい身だ。むしろ、その彼の時間を取り過ぎたくらいには思う。ただ、まんじりともしない気持ちが残った。

通話を切ると、マリューは後ろを振り返ってそこにいるムウ・ラ・フラガを見た。
彼はキラとの通話が始まったごく最初のほうでこの執務室を訪れたが、いないふりをするようにジェスチャして伝えていた。キラに一対一と思わせておいたほうがいいという雰囲気を感じたからだった。
「やっぱり……何かあったんじゃないのか、あいつら」
察してずっと黙っていたムウは、開口一番に神妙な面持ちでそういった。
「……あいつ“ら”、って?」
「アスランさ」
マリューはえ?、とさらに問う。
「あいつ。ヤマト隊にいくまえだけど、訊いてきたんだよ、おれに。ヴィア・ヒビキのこと。あと、大学時代に自分の母親とも親交があったかどうかって。なんか知ってるか、って」
それは自分ではなくカリダに訊くのがいい、とその場は終わったらしい。確かにムウは知らないだろう。今キラに聞かせたことも、彼は半分ほどしか知らないはずだった。
「気にはなるよな、いまさら訊かれると。まぁ、今いる拠点がメンデルってことで、いろいろ思い出すこともあるんだろうけどさ」
また変なものが出てこなきゃいいけどな、と続けていった。
「でも……そのあたりの資料は」
「ああ、おれとアスランで処分した。あんときに」
メンデル近くでの潜伏期間は長かった。そのあいだにムウはアスランを伴って何度か研究棟へ行き、残っていたヒビキ博士の研究資料をすべて処分していた。もちろん、キラの将来を考えてのことだった。
「キラのやつ…もう、生まれのことはふっきれてるんだろうと思ってたよ。機構の拠点が決まったときも顔色ひとつ変えなかった。そこしかないと思ってた、とかいってさ…」
杞憂であればいいんだが。ムウはそういって難しい顔をしていた。
「本人はなんでもなさそうにいってたけど。やっぱりあなたも変に思う?」
「うーん…。判らんけどなぁ」
ムウはあたまを掻きながら、マリューが今まで使っていた通話機を使い、おもむろに各所へ連絡を取りだした。どうやら、メンデル視察の手配を始めたようだ。心配なら会いにいってしまえということか。
「いいかげんに子供扱いするべきじゃないって判ってるけど。……だめみたいね、ムウも、わたしも…」
もっともらしい理由を通話の相手に口説いている彼の背中を見ながら、マリューはそっとため息を吐いた。


C.E.75 27 Mar

Scene メンデル〜ザフト駐留基地

「フラガ、…さん」
自分を呼んだ少年はおそらく「少佐」と階級で呼称しようとし、一瞬詰まった。
スムーズに「フラガさん」とその口から出てくるまではもう少しかかりそうだなとムウは苦笑する。この状況で、もう少し打ち解けてくれもいいんじゃないのかと思うが、目上の者に対しての態度はとてもはっきりとしていた。気安い質のムウには「窮屈じゃないか」と思うこともあるが、キラによればこれが彼の“ふつう”だから気兼ねしなくていいと最初にアドバイスをもらった。
キラの幼い頃からの親友だという彼は、そのキラとはだいぶ様子が違っていた。自分自身をよくもわるくも律していて、おまけに絵に描いたように真面目だ。いや、真面目すぎた。誠実で真面目だからこそ、自軍の長である父親の行いが納得できないのだろう。割り切ることができないあたり、コーディネイターといえども年相応の少年としかムウにはみえない。
とはいえ、プラントでは彼はすでに成人年齢だ。責任の重さというものは十分に学んでいるだろう。ましてや軍にも志願したのだから学ばずとも識っているはずだ。いまのこの状況は──自軍から離脱した者らで集っているような状況は、望んだこととはいえ、真面目な彼の責任感を思うとだいぶ神経に負担だろうな、と同情する。
「よう。マリューか?」
ムウは“ここ”へ、ストライクできた。その位置までは特定できるから、ムウが気にしていたこの場所にいるだろうとあたりをつけた彼女が、アスランをわざわざ呼びによこしたのだろう。
「はい。端末もっていないですよね? 何度かコールしたそうです。心配、しています」
「あー、そっか。忘れてた、すまん」
ムウと、今やってきたアスランがいるここは、寂れた遺伝子研究所の一棟にあるユーレン・ヒビキのオフィスだった部屋だ。
ユーレンの研究内容なぞそもそもが門外漢であるし、そこにある研究資料を読んでも解ることは少ない。が、父親のクローンだと自称してきた存在の確かな証をその目にいくつかでも焼きつけなければ、到底起きた出来事を飲み込むことができない。ただなんとなく、そうした未練がましい疑念がムウの足をそこへと運ばせていた。
目の前にいる少年は彼の部下だったというから、彼の人となりを近くで見てきたのだろう。それをあえて訊く気はないが、“ここ”にある出来事にはアスランにも、いろいろな意味で深く関わっていることなのだとムウは思った。
『アスランくん?』
ザザッという雑音とともにアスランがもつ通信機からマリューの声が聞こえてきた。アスランがマイクをオンにする。
「はい、ラミアス艦長」
『彼はいた?』
「ええ。ここにいます」
アスランは少しゆるんだ表情でムウをちらりと見た。それへ頷き返す。
───まぁでも少しは、この子もおれに気を許すつもりはありそうだよな?
その育ちのことも考えれば、感情を押し殺すかなり読みにくい型だろうというのが第一印象だったが、実はちょっとした揺さぶりに弱く、殺しきれない気持ちがぼろぼろとこぼれだしてくるような子なのだと、もう気がついている。愛情が深く庇護したい者のために、本当に一歩おとなにすすんでしまっただけという感があった。
『そう。じゃあ、頼んでおいて申し訳ないんだけど、またすぐにもどってくれる?』
通信機の向こうのマリューの声がほんの少し硬かった。
「かまいません。何かありましたか」
アスランもそれを感じたのかそう返すと、キラくんが──とマリューがいいかけた。見ていたアスランの表情がすっと消える。
『…あなたを呼んでいるの。行ってあげてくれる。ムウも一緒にもどって』
アスランが判りましたと返事をする横で、ムウも「ラジャー」と返す。艦との通信をそうして切ると、アスランが促すようにムウを見る。
「なぁ、アスラン、今じゃなくていいんだが」
その場を動きながらムウはアスランに頼みごとをした。何も、もっと打ち解けてほしくてそうするわけではない。この頼みごとをするには、いまも聞いたとおりキラとの関係を考えると彼が適任だと思うからだ。
「今度もう一度、ここへ一緒にきちゃくれまいか」
アスランは「え?」とかすかに声にもらしてムウを注視した。
「……ここさ。ものがそのまま残っていすぎるっていうか…。その、キラのこと」
ムウとの関わりとともにラウ・ル・クルーゼが示した、キラの出生。
「いや、やつのいったこともまだ半信半疑なところがあるし。だから一応証拠を調べてから、な。…おれたちでちゃんと処分しておいたほうがいいんじゃないか、って思ってるんだが………どうだ?」
ことの重大性というのはまだよく飲み込めていなかったが、キラの両親、ヤマト夫妻がおそらくこれまでひた隠しにしてきたことが、これ以上誰かに知られるのは単純にまずい、と感じていた。
これが人目に触れることで、この先キラの人生にどういう影響を与えるか判らない。コーディネイターとしては成人扱いの年齢だろうが、関係ない。機動兵器の操縦技術が自分よりどんなに優れているとしても。ムウにとってキラは守ってやるべき対象なのだ。そしてこのアスランは、キラをそうしてずっと守ってきた人間のひとりだ。
「…ぜひ、手伝わせてください」
アスランは静かにそう返答した。


「フラガ一佐」
その声が、思い出していた過去と重なった。彼は状況とはいえ相変わらず堅苦しくムウを階級で呼称している。そういえばあの頃は、結局ちゃんとさん付けで呼べるようになってくれたんだったっけ?と振り返る。考えと一緒にその体をくるりと反転させた。モビルスーツ格納庫の入り口にアスランが真っ直ぐな姿勢で立ってこちらを見ている。
「どうかしましたか」
「いや、見てたんだよ。ストライクフリーダムを、な」
庫内で駆動音を響かせる機体から視線を外し、ムウは片手に触れていた壁を押してアスランの立つ場所へと進んだ。入り口の縁を使って無重力に流れる体を止め磁場のある床に足をおろし、彼の横に並んで立つ。そこからもう一度フリーダムを見上げた。
「このカラーリングは初めて見たなぁ。電圧配分はどうなってるんだ?」
「以前と同じですよ。素材や電荷量に関係なく装甲面の発色を百パーセント制御できるようにしたんです」
VPS装甲がアクティブモードのフリーダムは、白と濃灰のツートーンになっていた。一部アクセントに赤も入っているが、全体的に白い面が増やされてザフトでいう“隊長機”のイメージが強くなった。聞けば、アスランが開発を主導した新機能で、ここでのテストが終わればオーブ軍にも技術が共有されるとのことだ。彼自身が乗るインフィニットジャスティスの色はどう変えるのか訊いたところ、それはいまのままでと素っ気なかった。おそらく頓着がないか、今の紅が気に入っているのだろう。
彼の説明を聞き終えてもそのままフリーダムに目を遣り続けるムウに、アスランは「心残りがありますか」といった。これは機体ではなく、機体の中にいるキラのことをいっている。
「本当はキラの様子を見にきたんでしょう」
「はは…まぁ、そうなんだけど。おまえさんも、ここでどうしてるかと思ってさ」
ムウは再開発計画の視察を口実にして二日ほどまえにこのメンデルへ来たが、もうあと一時間後にはアプリリウスへもどるシャトルに乗らなければならなかった。
「なんだろうなぁ、親心みたいなもんだと思ってくれよ。余計な心配とは思わずに」
そんなふうには思いません、とアスランは柔らかく微笑んだ。以前から落ち着いた子ではあったが、この頃はさらに余裕まで感じさせる。そんな笑顔だった。
「適当な用事つくって来たはいいけど、なーんか適当だったはずがさぁ…なんやかんや時間とられちまって。結局あんまり、きみらといる時間つくれなかったな」
「機会がまだいくらでもあるでしょう…」
でも───と、アスランが続ける。
「そのまえにキラをオーブにもどすかもしれません。気が付かれたんでしょう」
「…まあな……」
安定しきったアスランに対して、キラの様子は“おかしかった”。身近な者が気にして見ていたら気づく程度のもので、場合によってはムウも見過ごしたかもしれない。そのくらいの小さな違和だ。
会話するぶんにはいつもどおりだ。それに、アスランがいつも傍にいることも気づかせるまで時間がかかる要因だったとは思う。だがほんの二、三度、キラがひとりでいる状況に出くわしたとき──虚空を見るあの表情に。
「…覚えがあるんだよ。まえの戦争でな」
出会ってから──マーシャル諸島でキラが消息を断つまでのあいだ。戦争に巻き込まれた子供の重圧なのだろうから、この様子はあたりまえだと軽々に見過ごしていた。その実は彼がもっと重い板挟みにあって、幼馴染のこのアスランと戦っていたのだと。キラは誰にも何もいわず、ひとりで耐えようとしていた。その頃の微かな仄暗さが、どうしてかいまのキラとだぶって見える。
「おれはあいつに信頼されるような人間に、なれてなかったんだなぁ…」
思い悩むことのすべてとはいわないまでも、明かして相談してくれていたのなら。昔と重ねて、あとで悔やむようなことになるのが嫌だった。だが、彼を重くする何かを明かす相手はキラ本人が決めることだ。選ばれないもどかしさと苛立ちと、それでも何かをしたいという焦燥感と、結局ムウはここへ来たときと同じ気持ちのまま帰ることになってしまった。
「そういうことでは、ないでしょう。あれはキラ自身の問題です。昔は…あんなふうに抱え込むようなやつじゃなかった」
意外にも同じ気持ちでいるらしいアスランのことばに、ムウは驚く。
「……きみにも何もいわないのか、あいつは」
「ロマン・ジェリンスキの件がだいぶ堪えてるということぐらいです。といっても、今キラの周囲にある問題はそれだけなので」
つまりは、相談もなにも、近くにいるから判っている程度のことなのだとアスランはいっている。ふたりで考えているというロマンへの対応策などは、アスランがカガリへのホットラインで報告をしているとは聞いていて、“キラがひとりで抱えている”ような状況ではないことが明らかだ。
「……一応聞いとくが、夜のほうはどうなんだ?」
「─────」
ムウの突然の振りに、アスランから息を飲む気配がした。さきほどからふたりは目の前に立つフリーダムを眺めながら話し、あまり互いの顔を見てはいなかったが、ムウは気を遣って殊更にいまはアスランを見ないでいてやろうと思った。
「………とくに何も」
彼はからかいのネタではないと理解はしたのか、無視したりはぐらかすことはせず、だがことばを選びに選んだかのように返答をよこした。
キラの過去について、ムウはフレイ・アルスターとの“仲”のことを思い起こしていたのだ。ひらたくいってしまえば友人のガールフレンドを寝取ってしまったわけだ。兵士が肉体的手段でストレス管理を行うのはめずらしいこととはいえない。ただ、彼の性格とも思えないそんな行為をしてしまうほどに彼女を必要とした状況は、やはりそれなりに彼が異常に陥っていたといえるだろう。
うまく隠そうとはしているようだが、そんな頃の雰囲気をわずかでも感じさせる今のキラが、同じフィジカルな手段に頼っていることは十分に想像できる。アスランがフレイのことをどこまで知っているか定かではないからそのまま訊くこともできないが、遠回しに訊くこともできない話ではあった。
「直球すぎてわるかったな。いや、なんか様子が判りやすいとこだと思ってさ……ちゃんとしてるんだろ、きみら」
「…これ以上その話をする気はありません」
頑ななアスランがムウには相当な奥手にみえて異なる心配が過ぎったが、「何もない」というのであれば、おそらく大丈夫なのだと思うしかなかった。
ムウはやれやれと頭をかき、それでもアスランとこの場でした会話で彼自身の様子には問題がないことは飲み込めた。
「おまえさんのことも心配だったっていうのはさ。ほら、ちょっとまえにおれに聞いてきたことが、こないだキラがマリューに聞いてきたこととなんだか符号して、」
「はい。通信記録は見ました」
知っている、とすぐに口を挟んだアスランの顔をまじまじと見つめた。ログに残ることは了承済みだと本人もいっていたが、まさか本当に監視をしていたとは。
「おい…おまえさ……、アスラン」
「キラは承知です。……それから、彼を庇っていうんじゃありませんが、キラはああみえて抱え込んだり隠したりしないように、努力してるんです」
下手には違いないがとそのあとにアスランは付け足して、「だからそれ以上のことは暴きようがない」と、諦めているかのようにいった。ことばのうえだけでは。
「ただ、いまはキラの傍にいて、何があっても即応できるようにしています。キラが思い悩むような火種は検討がつくし、可能な限りそれを消すこともしてきました」
滔々と続けたアスランはそれから「フラガさん」と、ムウを呼んだ。

「あのときこのメンデルで、あなたとここで得た秘密を処分した。…あの日からずっと、そうしています」
「……………」

──ああ、そういうことか──本当に、彼は。
「感謝しているんです、あのときおれに付き合わせてくれたことを。あの時点ではおれは、あなたにとってただの他人だったと思います。キラのためだったかもしれませんが、それでも。──関わらせてくれて、ありがとうございます」
ムウは目の前の青年の想いに打たれていた。彼はキラのために一歩おとなに進んだだけではなかったのだ。あの日を境に、男にさせてしまっていたのだ、と。ムウはいま知った。
「…おれは、さ。知らなかったよ。もう、ほんとに任せてていいんだな…」
唐突なムウのものいいに、アスランは少しだけ困った顔をした。
「キラは相変わらず心配だよ。でも、何があってもおまえさんが守る気でいるんだな。だから任せるよ」
頼んだぜ、とアスランの肩を叩く。彼はまだ少し釈然としていないようだが、頼まれたことには素直に「判りました」と返事をしていた。

それからしばらくそのままアスランと雑談を交わしていると、フリーダムの駆動音が変わり機体がディアクティブモードになった。中にいるキラが、なんらかの作業を終わらせたのだろう。まもなくふたりが見守るところから彼が顔を覗かせた。
「ムウさん!そろそろ時間ですよね!?」
いわれて時間を確認すれば、確かに出発の準備をするべき刻限となっていた。時計を見ているあいだにコックピットから降りてこちらへ近づいていたキラに、アスランが手を伸ばして受け止める。
「勢いをつけすぎだぞ、キラ!」
距離に対して蹴った力の強さに文句をいい、それでも手を差し出すアスランの慥かさに感心も呆れもした。呆れるとはつまり、アスランが止めると知ったうえで蹴ったキラを、それをまた知っていながら手を差し出す甘やかしのことだ。仲を知っているから気になるだけなのかもしれないが、人前での近すぎる距離感がムウは心配になった。
「おいこら、きみたち。ここ隊の規律はどうなってんの。出向先で困るよ、そんなの」
キラはなにをいわれたのか理解していない顔をみせていたが、その横でアスランは苦笑いをする。
「キラはちゃんとやってますよ。大丈夫です」
いや、おまえも含んでの苦言なのだが、とムウは思ったが、時間がないと仕方なくとりあえず置き、そのまま見送りについてくる様子のふたりを伴って格納庫をあとにした。

歩きながら、ムウは用意してきたデータメディアを制服のポケットから取り出しアスランに手渡す。メンデルへ行くといったらキサカが託してきたものだ。
「時間があれば直接報告しとこうと思ってたんだが、ちょいとばたばたになったからな。あとで見といてくれ。エヴァグリン関連の最新情報だ」
「……………」
キラが押し黙って表情を変える。ムウはその反応を気にしてアスランにそっと視線を送ると、彼もこちらを見てすぐに逸らせた。
「簡単にいっておくと、どうもエヴァグリン疑いのテロはもう証拠がでそうにないってことでな。内偵とかいろいろ進めてるうちに、どうやら“本当に”エヴァグリンは指示していないかもしれん、と」
「───じゃあ、一体誰だと…」
アスランが難しい顔をしてつぶやく。
「疑いがかかった所以は無視もできない。つまり、エヴァグリンであってエヴァグリンでないものだろうさ」
───ロマン・ジェリンスキ。
彼と組織が繋がっている確たる証拠もこれまでにあがらなかった。だが、ユニウスワンでロマン自身が関わっていることをにおわせている。ムウは足を止めて、同時に止まったふたりを見て続けた。
「ヘッカーリングはシロだ。彼は一連のテロ事件に対して組織内で少しでも関わったと思しき人間たちを切り始めてる。今までのような体面を気にした尻尾切りとも違う。…どうやら本当に、疎ましく思っているようなんだ…」
エヴァグリンとその周辺でなにが起きているのか、はっきりと判ることはなかった。だが、確実になにかが起きて、事態が動こうとしている気配がある。ムウはそんな予兆めいたことを告げてその場を去った。

───そして、その晩。
メンデルはハイペリオンの強襲を受けることになったのだ。


C.E.75 27 Mar

Scene L4スペースヤード・デーベライナー

「───キラ?」
はっとして顔をあげた。さきほどから二度も名を呼ばれていたことを耳では聞いていたのに、頭まで届いていなかったようだ。
「あ、ごめん。なに?」
少し心配げな面持ちでアスランがこちらを見ている。
「ジャスティスの調整に出てくる。キラも行く?」
「……もう少しこれ読んどく」
“これ”とは、昼にムウから渡されたエヴァグリンに関する新たな情報だ。内容としてはムウが立ち話で説明してくれたことが全てで、こと細かな経緯説明や傍証、裏付けといったものが堅苦しくまとまっているだけのものではあった。いったんは最後までアスランとともに目を通したが、考えながらもう一度読んでおきたいとキラは思っていた。
「判った。できるだけ早くもどる…ちゃんとおとなしくしてろよ」
アスランはそういってドアを開け、返事をしなかったキラを振り返る。いちいち小言めいている彼に舌を出して返すと、苦笑して出ていった。
だがしかし、そのあとキラはデスク端末の資料に目を落とすことをしなかった。
片手を口のあたりにあてた格好でぴくりとも動かず、視線は空に留めたまま。頭の中といえば実は忙しなかったけれど、正直なところその考えのほとんどは資料から逸れたことだ。
───ぐるぐる同じところを回ってるな…。
考えが膠着状態に陥っていることを自覚する。
キラは立ち上がり、部屋を出てラウンジに向かった。とりあえず気分を変えて、思考も切り替える必要がありそうだった。

たとえ艦内でも、ひとりで出歩くとアスランに怒られることが今でもある。だめなときといいときの判断はよく判らない。
艦内各員の再チェックなど、アスランからみて気になるような人物の洗い出しや対応は、ルナマリアの協力も得ながらとうに済んでいるだろう。いまはスペースヤードのザフト駐留基地内にデーべライナーが碇泊している状況で、部外者の出入りをすべて遮断してもいるし、アスランがそこまで警戒し続ける理由は本当に不明だ。
キラの安全を担保するための行動を彼は怠ることなくいつのまにかすすめてくれているらしいが、「おれのやることは気にするな。キラはキラの仕事をしろ。おれもそうしているだけだ」というので、いわれた通りあまり気にしないようにしている。
今回はアスランのほうから目を離しキラをひとりにしたのだから、つまりは艦内であれば彼もそう怒りはしない。それが判ればとりあえず十分だった。

時間としては夕食後のひとときといったところ。第五デッキのラウンジはオフタイムの兵らがまだまばらに残っていた。
「──あ、隊長」
なかへ入るとひとりで壁際のベンチに座っていたシンと目が合った。
彼には最近チームをもたせたので、ひとりでいるところを見かけることも少なくなっているが、ちょっとした休憩時間はルナマリアといるか、ひとりのことが多いようだった。
目が合ってすぐに声をかけてきたということは、なにか話したいことでもあるのだろうか。気分転換にきた理由もあるので、キラはそのまま真っ直ぐシンに近づいた。一応は礼をとる様子で立ち上がりかけたシンを制して横に座る。
「…食事したんすか。食堂にいなかったですね今日は」
「ああ、うん。部屋で摂ったんだ。ちょっとオーブからきた情報読んでて」
「情報?……そーですか…」
アスランがいれば軽々しく部下に話すなと目くじらをたてるところだが、情報の内容まで話すわけではないから構わないだろう。シンだって弁えて訊いてきたりはしない。
「隊長、訊いてもいいっすか」
「うん。……あれ?」
「え? あの、昨日今日きてた大使館の人…」
「あ、そっちね」
予想に反したかと思ったがやはり情報の中身についてはスルーだ。
「なんなんすか、あの人。オーブ大使館にいた人ですよね」
「なんなん、ていわれても。大使館の人ですよ。見たとおり武官の参事」
そういえば大使館へシンを連れて行ったことがあったと思い出した。あのあとアスランからメールで小言があったが。シンをムウに引き合わせるなんて、と。
「なんかすげー馴れ馴れしかったんですけど。『今日は時間ないからおまえとはまた今度な〜』とかいわれて。知り合いかよと思いましたよ」
「ああ……。なるほど」
先の大戦での因縁があることにシンはまだ気がついていない。聞いた様子ではムウ自身隠すつもりはないようであるし、自分が明かしてもいいか、とキラは思う。いい頃合いだろうし、キラが話すことでシンがいきなりムウに殴りかかるという事態は避けられる。
「あの人はね、ムウ・ラ・フラガ一佐。元地球連合軍パイロットで、いうなればぼくの最初の同僚…てか先輩かな。当時彼はモビルアーマー乗りだったけど。右も左も判らなかったぼくにいろいろしてくれた、恩人だよ」
シンは「へー」と気のない相槌をしたが、パイロットと知って興味をわかせてはいるようだった。
「第二次ヤキン・ドゥーエでMIAになってね。そのあと生きてはいたんだけど、ファントム・ペインで指揮してたんだ」
「え?」
「ファントム・ペイン」
キラは繰り返しそういってシンの顔を意味ありげに見る。彼は瞠目して口を開けたままになった。もう察しただろう。少なくとも一度、当時の彼と対面はしていたそうだから。
キラはシンの怒号や問い詰めを覚悟していたがそれはなく、二、三度まばたきをしたあと開いていた口をぱくりと閉じた。
「あいつ、“ネオ”……」
「うん」
「……………」
それからシンは正面へ視線を外して黙してしまったので、キラは勝手にムウの話を続けた。ロゴスに洗脳されて使われていたこと、三隻同盟にもいたこととその経緯。…レイ・ザ・バレルとの関わりについては迷ったがとりあえず今回は省くことにした。急には情報量が多すぎるだろう。
シンはそのあいだずっと黙って聞いていた。しかも、伝わってくる彼の心はなぜか凪いでいる。
「……怒ってないの、シン」
「おれはあんたも許した男ですよ。──あ、いや。百パーは許しちゃいないけど」
百パーじゃないんだ、とキラは心のなかで思いつつ、「彼を許せるの」と訊いた。
「…おれ、オーブ軍に恩人がいたんです」
訊いたことに真っ直ぐ答えなかったが、キラは先を促すように口を開かずそのまま聞いていた。
「家族を一気に失くしたあと、いろいろ考えてくれて。最後はプラントに移住する手配までつけてくれた人で。…ただその場に居合わせたってだけだったのに」
「……………」
「そんで、去年オーブに行ったとき、また会えないかなってちょっと思って。アスランとかに頼んで探してもらったんだけど」
キラはそこまで聞いて話の先がみえ気鬱になったが「戦死してた?」と先をとって訊ねた。
「………おれが沈めた艦の艦長やってたって」
「……………」
ことばがなかった。前線任務ならよくある話なのだろうが、割り切れる者などそうはいない。
そのあとシンはその恩人の家族に会ってみることも考えたらしいが、あわせる顔がなく結局やめた、ということだった。
「……まぁつまり、そういうことです。あの人許すとか許さないとか。どの口がって話ですよ」
そりゃあまだ感情が追いつかないから、やっぱり百パーじゃないんですけど、とシンは続けていった。
キラは視線を足元に俯向けてシンを慰めることばを探してみた。気持ちが判りすぎて、過去のいろいろなことが頭を過ぎってしまう。たくさんの人を殺めて、その周囲にいた人たちのこともいくらか知る機会はあって。バルトフェルドのような敵対関係だった者も知ったがために、敵ゆえに最後は許される理由になってしまうことがあるのも戦争なのだと。
「そういえばムウさんが昔いってたな。敵のことなんて、知らないほうがいいんだ……って」
「……敵、か……」
「うん」

「敵になってたことにも、気がついてなかったな」

キラはシンのそのことばにずきりとしたものを感じた。心臓が嫌なリズムで早鐘を打つ。
「───っ……」
「………隊長…?」
冷や汗が額を滲んできて、苦しさにきつく目を閉じる。……まさか、たかだかそんなことで、と。
「…………なんでもない、だいじょうぶ…さわがないで…」
過去の感情を刺激されたのだった。フラッシュバック症状が悪化している。キラは堪えて波をやり過ごす。それよりも、こんな人目のある場所でシンがすぐ横でオロオロとしているのがまずい。
キラは立ち上がり足早にラウンジを離れた。シンが追いかけてくる。
「──隊長!」
「……静かにしてって、いってんの…!」
「……………」
歩きながらキラはだいぶ落ち着いてきたが、シンは心配そうにしてそのまま指揮官室までついてきた。
「ごめん、もう大丈夫だから」
ドアのまえでそういってはみたが、彼はすぐに引き返そうとしなかった。それはそうだろう。
「…あの…、訊いてもいいですか」
「ぜったいだめ」
「……………」
「もう行きなよ。まだアスランに謝ってないんでしょ。彼、もうすぐもどってくるよ」
この空気感のままアスランに見つかるのがまずいのはキラも同じだ。キラはシンを早く返そうとするが、動こうとしなかった。
「しょうがないな…。行く気がないならここでアスランに土下座してもらうけどいいの?」
「は? いいわけないっしょ。てか、なんでそういう話になんです?」
シンはぎゅっと眉間に皺を寄せ、苛つきはじめる。キラは大仰にため息を吐いた。
「あのさぁ。ムウさんは許せてなんでアスランはだめなの」
「そんなの、あんたやネオを許すのとワケが違いますよ! あいつは──!」
キラの冷めた視線に気がつき、シンはそこで止めた。顔を逸らせて黙り込む。キラは、シンがプライドを傷つけられてアスランに怒っていることまでは思い至らず、アルテラ事変以来、ただの子供っぽい反発を続けているのだと捉えたままだった。
「……そろそろどうにかしてくんないと、ほんとに作戦から外すしかなくなるよ」
「判ってますよ」
「判ってないよ」
「……………」
タイミングがいいのかわるいのか、そのとき通路の先からアスランがもどってくるのが見えた。彼がふたりの雰囲気を読んで、少し顔を曇らせる。
「どうすんのシン」
キラが急かすと、シンは一瞬アスランがくる方向を睨んだがすぐにもどし、「おれ、そろそろアラート任務ですから」と告げて、彼が向かってくる方向とは反対の通路へ去っていった。


C.E.75 27 Mar

Scene デーベライナー・指揮官室

待機任務の時間だからと去っていくシンの背中を見つめながら、キラは深くため息をついた。
「……待機室、そっちじゃないし………」
「どうしたんだ」
つぶやいたところでアスランがキラの傍らまでたどりつく。
「どうもしない。…アスランこそそんな顔して。シンとふたりでいたからって妬いたの」
「…その程度でしてたら身がもたないだろう。ただちょっと、気になったから」
キラはアスランの声を聞きながら指揮官室のドアを開け中に入った。
「あいつのことはあまり叱らないでやってくれ」
アスランも続いて入り、ドアを閉めてから心静かにそういった。
「っとに。アスランは優しいなぁ。それとも逆にぼくに嫉妬させようとしてるとか?」
「……なにをいってるんだ、おまえは」
そういって彼は緊張を解いたように肩を落とす。キラはそれを確認して、ドアからすぐのソファにどさりと座った。ひとまず調子を崩したことまではアスランに悟られなかったはずだ。いま疲れた様子をだしたとしても、シンへの心労だと思ってくれるだろう。

まさかあんな簡単な──ひとことで。

アスランと戦っていた過去の感情を引き戻されるとは思ってもいなかった。彼がいなかったほんの一時間ほどで負ってしまった疲労は容易に抜けそうにない。キラは嘆息して背もたれに身体を預けた。
───アスランが一緒だったら、きっと大丈夫だった。
根拠なくそう思う。いや、根拠は、ある。
もしかしてアスランは、キラの精神安定剤のつもりででもいるのだろうか。自分をひとりにさせない判断はひょっとしてそこにあるのではないかと、キラはなんとなく思い当たってしまった。
仰向いてすぐ横に立つ彼のほうへ顔を向けると、アスランはキラの様子を窺うように首を傾げこちらを見ていた。目が合うと、ことりと逆へ傾ける。表情は穏やかだったが、その目元だけが心配を少しのせている。
「大丈夫か、キラ」
目を細め、気遣わしげにアスランが訊ねる。優しい声が耳と心に心地良くてキラはほっと息を吐いた。数年前この場所にいたときも、こんなふうにアスランだけがキラを落ち着かせることができた。彼はそれを覚えていたのだろうか。それは、そうだろう。あれだけあからさまに縋っていたのだから。
「大丈夫だよ…アスラン……」
口先だけで返しながら、あの頃に物懐かしさを感じてキラは手を伸ばした。
「キラ? 疲れたなら、もう…」
アスランに届いた瞬間に、黒服の袖を掴んで強く引き寄せる。
「──寝るか?」
引っ張られるに任せたまま話しかけていたアスランは、キラの耳元のゼロ距離で最後のことばを囁くようにいった。まったくのことば通りでそういった意味でいってはいないと思うのだが、今はキラの心がそれを誘惑と受け取りたがっている。彼の首にしがみつき、自分の体を横に滑らせ傾けた。されるままだったアスランは、キラに乗りあげそうな体をソファの背に置いた片腕と座面に乗せた片膝で支えて止まり、顔を寄せた目の前の耳孔をひと舐めしてきた。キラがその感触に肩を震わせると、彼は少し笑った声で「誘ってるのか?」とひとこと訊き、耳朶を啄み口に含んで弄い始めた。
「……ん…」
答える気もなかったが、思わず喉から漏れた音はどこにも否定を含まない。しばらくアスランをそのまま好きに遊ばせてから、前触れなく肩を少し押し止めた。
隙間の時間のちょっとした戯れだと彼は思っているようだった。視線を交えると、気が済んだのか、と問うような翠色がキラを見つめる。
「まて、まだロックかけ──」
再び強引に頭を両手で引き寄せて、キラははじめから深くくちづけをした。目を見てキラの意図を察したアスランが何かをいいかけたようだが、今は瑣末事に気を取られていてほしくない。キラは懸命に誘いをかけた。

舌を絡ませながらアスランの口の中をひと舐めするごとに、体を支えている彼の腕と肩から力が抜けていく。体重をキラに乗せて、背や腰へ腕をさまよわせはじめるまでそう時間はかからなかった。
「…キラ……」
唇が一瞬離れたときの熱い息で名を呼んで、今度は彼がキラの口腔内を侵し始める。けれども仕掛けた強引さに便乗するのではなく、あらためてゆっくりと唆して、キラの誘惑よりも淫猥に煽り立ててくる。唇を外さないまま、組み敷いた体の膝をゆっくりと割って動き、それによって浮いた膝の裏から臀部まで大きな掌が撫であげた。そのままその手がキラの真ん中で不埒に及んで、アスランの上腕を掴んでいた手に思わず力がこもる。
「…ん………っ…」
苦しげに聞こえた喉声を受けたのか、少し緩んだ舌の動きは掠れた音の息継ぎを挟んでから唇の裏側をなぞっていく。下唇をやわく咥えてそこも舌で辿り、そうしてけしかけておきながら、求めて蠢いたキラの舌を宥めるように押し止めてくる。
知らずに送られてきた唾液を飲み込んで喉が動くと、アスランは唇を放さないままで深く息を吐いた。些細なことで昂る彼のかわいさに背を抱けば、掌に伝わる体温がほんの少しばかり高いと感じてキラも昂揚する。
もっと──と、いうように全身でせがんで口説き、何度も絡め合って吸い合って、もうあとに引けなくなったとキラが感じはじめたところで、アスランがふと唇を離す。まだ吐息のかかる距離にあることが判ってキラは続きを待った。
「キラ、ほんとになにもないのか?」
「え」
通常の会話と変わらない声音でアスランが訊いてくる。その声に気をもどされてキラは閉じていた目をぱちっと開け、覆い被さったままの彼を仰ぎ見た。
「………っ!」
目が合った瞬間、制服の裾から忍んだ手がキラの形を確かめるように包んで強く動く。アスランは話を続けつつも手を休める気はもうない様子だ。それに安堵しながらも、正気ぶった視線のまえで乱されてキラは必死に取り繕う。
「なんで…そんな……」
キラの顔を見ていたアスランが一瞬下方に目をやり、もどして薄く笑む。キラが真似をして彼の裾から手を入れたからだ。
「そうあんまり、心配しなくても…大丈夫だから…」
ことばと一緒に手にあるものを柔らかく揉みしだくと、アスランは素直に感じて息を詰まらせる。それをごまかすかのようにキラの唇を一度吸ってから、そうじゃなくて、と続けた。
「フラガさんが夜の心配までしてきた」
「………なにそれ」
ただの出歯亀じゃないのかと思いつつ、キラはようやく、ムウが突然予定をつくって視察にきた理由を知った。おそらく元はマリューにした通話だ。
「それで…なんか答えたの」
「…まぁ、ご心配なくみたいなことを」
ガードの堅いアスランにそんなことまで訊くとは、ムウの意気もたいしたものだ。ただ、それだけいろいろと心配をかけさせてたことは理解する。彼は、キラがメンデルで任務に就くことを知ったときも苦い顔をしていたのだった。
そんなことを思い出している隙に、アスランはキラの襟を開けて首筋への愛撫を始めていた。軽くくちづけて吸ってを繰り返し、鎖骨にかるく歯をたて辿る。何度か鬱血を残す強さを感じて、無意識に「だめだよ」とつぶやく。それは譫語のようなものでアスランは止める気配もない。擽るように耳の下まで舐めあげられて、ぞくぞくと湧き上がる昂奮にキラもじっとしていられなくなる。顎をあげて彼に喉を差し出しながら、うなじから濃藍の髪に指を差し入れ頭を抱くようにして相手の頬や耳元をそのまま触り続けた。
「……アスラン…は…どう思ってるの…」
あがる息を堪えながら訊けば、アスランは「ん?」と鼻にかかった音を返してキラの首から唇を離した。
「…今日は少し積極的だな、くらいかな。それは歓迎するけど──」
「うわ!」
抱え込まれた腕でそのまま予告なくぐいと抱きあげられ、キラは思わず声をあげた。アスランは楽しげに笑っている。
実際にはメンデルに移動してから箍が外れているのは、こんなふうにアスランのほうだ。彼曰く、作戦行動中はともかく駐留任務で慎む筋合いはない、だそうだが。
物事の筋道で一線を決められる彼が、この数日ベッドの中で本当はキラに何を思っているかなど計り知れない。キラ以上にキラの状態を察してくるアスランが、当の本人を差し置いて何かを感じ取っているのなら。こうしてメンデルに居ることが今のキラには、本人が思う以上に“よくない”ことだと考えているかもしれなくて。
「…ちょっと…、アスラン?」
「抱えるのでぎりぎりだな。キラ、ドアロックして」
キラの不満な声を無視したアスランは、キラを正面に抱えあげた状態で背をドアパネルに向けた。不服顔をしてみせても、いまの体勢で彼にキラの顔は見えない。同年の男子に軽々と持ち上げられ、同じことをやり返せる自信のないことに深くため息をつく。ぎりぎりといいつつその実アスランから余裕が伝わってくることにも多少苛つきながら、その背中越しに手を伸ばしていわれた通りにした。
軽い電子音が鳴ってロック状態を知らせると、アスランはキラを抱えたままで寝室へ移動する。ベッドの上に降ろされ、ブーツを脱がされ、次にはムードのない雰囲気で上着を脱ぎはじめたアスランだが、キラを見つめた視線だけはこちらが蕩けそうな媚を帯びていた。追いかけて自ら制服の前を外しはじめたキラの手を途中で遮り、甘く笑んでそれを引き継ぐ。
「…アスラン…」
「キラ」
小声に紡いだ彼の名。アスランはすぐに呼び返して応えた。
視線は合わせたままで、艶めいた面差しをキラに向け距離を詰める。横たえたキラの首を片腕で支え、肩から脱がせた制服を背中とシーツのあいだを滑らせて器用に奪い取ると、再び包むようにキラの体に覆い被さった。
体温が近くなったけれど、ふたりともにまだ着衣は残している。最後の最後に小心なキラの気が逸れる。
「…まだオンタイムだった、かも」
「誘っておいてそれか?」
アスランがくすりと笑った。
「気にするな。指揮官はもとからオンもオフもないだろ……」
素肌を直接触れ撫でるようにアンダーシャツをたくしあげ、アスランはゆっくりと顔を落とし、キラの唇を唇で割った。
「───ふ…」
本気になった官能的な舌の動きが、キラの思考を一瞬で真っ白にさせる。ふいに襲われたあの悩乱の痕跡すらも消していく。
唇を触れ合わせたままときおり小さく名を囁かれると、そのことが、意識のすべてをキラに向けているのだと判らせているようで、彼の心がすぐここにあるようで、なにかよく判らない暖かなものがキラを満たす。
これが、愛している、ということなのだろうかと思う。あのときメンデルで、無意識に彼から欲しがっていたものが、そうだったのだと。
「…まえに、ここに、いた…ときのこと……」
思いついたままにでたキラのことばに、アスランが少し心の空気を変えたような気がした。

第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦が始まるまえの、二ヶ月ほどの期間。戦況は大きく動かず、むしろ生命維持に必要な物資の確保のために皆で考えたすえの潜伏場所。とくにメンデルが都合よかったのだ。ずっとそこに留まっていたわけでもないが、まとまった落ち着いた状況をつくることができたのは、続いた戦闘の疲れを癒やすのにも役立った。
けれど、キラとアスランにとっては大きな変化を受けたばかりのあまり思い出したくはない頃だったから、今こうしてメンデル配備を命じられて過ごしながらも、ふたりのあいだで当時の話題をあえて口に出してこなかったのは確かだ。
「思い出したくは、ない?」
キラが訊ねるとアスランは何も答えなかった。が、キラの体を撫でる手を休め、かわりに額に落ちる前髪を指で払い横髪を梳く。そうしながらキラをまっすぐに見つめ、何ごとか考えている表情でいた。
「……ぼくはアスランにすごく甘えてたよね。きみだって小父さんとのことでつらかったはずなのに、ずっと傍にいてくれて、甘やかしてくれた」
キラがいうことにゆっくりとまばたきをして聞き、いい終えれば静かに伏せて視線を左に流した。
「そんなつもりはなかったよ」
低く、静かな声でアスランが否をいう。
「たぶん、きっと…あのときにはもう、おれがただ…」
───キラが欲しくてたまらなくて、離れられなかっただけなんだ。
途中何度かことばを切りながら、それでも迷いのない声でそういった。
それから彼はうっとりとした微笑みを浮かべ、恭しくキラに唇を合わせてくる。薄く開いたキラの口に舌先だけを挿し入れて歯列を舐め、唇を啄むように吸って音を立てる。
くちづけを少しずつ深くしていきながら動きを再開した彼の手は、すぐキラの昂りに触れてきた。刺激にキラの息がすすり泣くように震える。
彼と自分のあいだに手をやって伸ばし、熱く硬くなった相手のものにキラからも触れると、至近距離にあった薄い瞼がゆるりと動いて濃い翡翠を覗かせた。
唇を完全に離すことなく、アスランが囁く。
「……あのときも、こんなふうに、おまえと…」
それは本当に触れ合わせただけのものだった。けれど。
あれほどに満たされたことは、なかった。きっかけはどうあれ、あれは決して心の慰め合いを体に移しただけのものではなかった。
それなのに見ないふりをして遠ざけて、彼にも留まるように強要し。人を愛することを識るまえから出会っていた愛情を、まるでなかったことにするように。
───あぁ……。
やはりここでの過去はまだ触れるべきものではなかったのか。自分の後悔までも思い出してキラは嘆いた。
「アスラン──」
その先のことばが続かない。
どうしてこんなにも竦んでしまうのか、理由など判っている。心に広がってしまった負い目ががんじがらめにキラを縛り付けている。それを許せるのも解けるのも、目の前にいるアスランだけ。でも許されることを望んでいるのではない。罰してほしいのだと昏い思いがキラを占めている。それなのに彼は。
「昔から、今もこのさきも…ずっとおれにはキラだけだ…」
───どうして、きみは……。
涙がひとしずく、キラの頬をすべって落ちた。
それを見つけたアスランが一瞬目を瞠る。だが、その意味を問うこともせずに舌で拭い、キラの中心に絡めていた指を急に激しくした。
「………あっ……や…っ…」
ぞくりと背中を駆け上がる電流に身体を反らせて、背けた顔の片側をシーツに押しつける。動かしている彼の手首を掴んだせいで、おくられる快楽と同じリズムで腕が揺れる。まるで、自分でしているかのように。
「……もう、おれのことだけ考えて……」
微かな苛つきが滲んだ声で告げたアスランの瞳からは、それまでの愛撫に感じていた慈しみや暖かさが消えていた。強慾とも呼べそうな、それは欲張りに飢えた切望だった。
その証に、続いたくちづけはただ激しくて、溶かすような誘いなどもう忘れたかのようにキラを煽り奪っていく。申しわけ程度で体に残っていた衣服も剥がされて投げ捨てられた。それでも彼の変わり身に恐怖を感じないのは、アスランの希いに応えたい奥底の想いのせいだろうか。
───いえたらいいのに。いえばいいのに。
その、心を。けれどキラの口から零れるのは、なにも表さない淫らな声ばかり。それに焦れたのかそれとも煽られたのか、アスランもそのあとは意味をもつことばを忘れ、口と躰を使ってキラを翻弄するだけになった。

ゆっくりとした動きでアスランがキラの中を掻き回す。
「…アスラ…ン、っ……」
それを止めようとしているのか促そうとしているのか、自分でもどうしたいのかが判らない。目的を見失った両手が相手の脇腹にしがみつく。アスランが上体を落とせばその腕を背中まで伸ばし、溺れるまいとするように掻き抱く。
「あ、あ……アス、……、」
「…もっと…、呼んで……キラ…」
「……ア、……ンッ…」
請われるまま思考なく呼び続けているのに、アスランはそれを自ら邪魔して何度も唇を塞いだ。激しくなっていく動きに彼自身が息を切らせ、身体を揺らしながらキラの名を呼ぶ。
「…は、…っ、あ……キラ…」
切羽詰まった声はそれだけでキラを追い上げた。たまらずに頭を抱え込めば首元を噛まれ、それはこのまま咋われてしまうと錯覚する激しさで。貪るように突き込まれる楔も、その動きのたびに心臓が破裂しそうな悦楽をキラに与えて。いっそのこともう一度、その手で、身体で、この命を、と思うほどに──。
「ッアッ、アスラ…、あ…ッ──」
身体がこわばってひくつき、内にあるものの存在をいっそう強く感じる。アスランの手で先端を包むように扱かれていたキラの熱がその瞬間にはじけて、その絶頂に啼いた声は自分の喉からでた音なのか定かでない響きを帯びていた。沸騰して霞んだ意識の片隅で、遅れて躰を震わせた彼がキラの中に放っている。それにも感じ入って声をあげながら相手の肩を擦ると、これ以上ないほどの強い力で抱きしめられた。
キラの耳元に響いていた喘ぎはやがて荒い呼吸に変わり、その腕の力も解かれていく。汗の浮いた背中に手を回すと彼の身体が呼吸に合わせて動く様子が伝わり、どうしてだかそれに安堵した。
「……アス……ラン…」
ほどなくして、整わない呼気をそのままにアスランが淡いくちづけをくれる。
「………キ、ラ…」
囁いた声は音になるまえの吐息と同じで。同じように呼び返せば、またくちづけを返してくる。穏やかさをもどしたらしい彼は柔らかい心をまとってキラを体ごと包んだ。
急な情動に流されながらも決して乱暴にはしなかったアスラン。それでも、ひどくしなかったかと訊ね、ごめん、という。だから仕方がなかった。あまり目を見てはいえないので、抱き寄せて彼の片頬に感じたままを告げる。
「キラ…」
首元から引き剥がされて顔を覗き込まれ、それでも視線を逸らして逃げて。含み笑いの気配にいたたまれなくなって、キラからのくちづけでそれをごまかした。
そのまま、思いを伝え合うように繰り返し互いの唇を求め続けて、「まいったな、止められない」とアスランが自嘲する。終わっても微かに蠢かせていた箇所はまだ硬さを保っていたから、あるいは続きを仄めかしたのかもしれない。
「…きみさ、ここへきてちょっと羽目を外してるよね?」
ついにキラから意見するとアスランは悪怯れる様子もなく、今度ははっきりと笑った。
「それは付き合ってくれる相手がいるからだろう?」
キラは不本意を唱えるようにアスランを睨んでみせたが、忘我できる時間を引き伸ばしたいと思っていたのは紛れもない事実だった。求めればアスランは拒まないだろうが、自重しないキラを不審には思うかもしれない。それではムウの心配を笑い事で収められなくなる。

漸く体を解き、けれどまだキラの上に留まったアスランとしばらくことばもなく見つめあう。
直接触れ合っている肌はまだ熱く、この躰に溶けてしまいたい衝動をまだ身に感じる。この熱をどうしてあのとき手に入れてしまわなかったのか。キラが考えるのはそんなことばかり。きっとなにかが、今とは変わっていたはずなのに。そんな後悔をするのは、たぶん今が恐ろしいから。
「…なに、考えてる、キラ?」
どうしたのか、と今日は何度も訊かれている。心を読んだようなタイミングはおそらく偶然ではないのだろう。自覚はないのかもしれないが。
「────」
キラは口を開きかけたが、相変わらずいいわけのことばすらもみつからない。
「……キラが───」
それに焦れたふうでもなく、アスランは応えを待たずに続けた。
「おれになにかを隠したがってることは判ってる」
「──アスラン、」
身動いだキラの口元に人差し指をあて遮ってアスランは続けた。
「それでもおれは、隠すなとはいうが。……それは責めているんじゃない」
彼の指がキラのこめかみのあたりにそっと触れた。二、三度髪を梳くようにして動かし、顔の輪郭をたどって首を触わり、頸動脈を探るような手つきで撫で擦る。
「おれはいつまでだって、待てる」
キラは首にある彼の手に自分の指を絡めた。
「…ほんと……なんできみって、そんなに優しいんだろ…」
もう片方の手でアスランの頬に添えると、彼は同じように空いた手で重ね、顔を少し動かしてキラの指にくちづけをした。
「もっと甘えてもいいんだぞ…」
ふと微笑って、今度はキラの唇に、静かに──。
「キラなら、許すよ。いくらでも」
一瞬離してそう囁いて、また優しく、くちづけていく。
差した光のようにふわりとした暖かさを感じてキラは瞼をおろした。昏い陰りが伝わって移り暖められて返されて。
───でも、アスラン。
こんなふうに大切にされていることを知ると、泣いて叫んで、手を振り払い、自分を責め、彼さえも責め、逃げ出してしまいたくなる。彼は待つといったけれど、こんな心を知って欲しくはない。
キラが伝えたいのは、そんな思い。
───明かせるはずがない…。
奥底に凝った、こんな思いは。


C.E.75 28 Mar

Scene メンデル・外周域

『───総員、コンディション・レッド発令。デーベライナー緊急発進。対艦対モビルスーツ戦闘用意。繰り返す──』

深更にけたたましく鳴った艦内警笛。追っての全艦放送に、眠りに落ちていたキラはアスランとともにベッドで飛び起きた。
次いでベッドサイドの通信コンソールが直通コールを鳴らした。キラは反射的にそこへ手を伸ばす。
「アーサー!?」
『隊長、彼我不明艦アンノウンによる奇襲です。ギンズブルグがやられています!』
モニターは開いていないが、スピーカーの向こうは緊張した声。一気に目が覚めた。
ギンズブルグはヤマト隊と同様メンデルに配備されたラコーニ隊の旗艦だ。時間的には哨戒中だったはず。そちらから緊急出動が入ったのだろう。
「艦よりモビルスーツをさきに! シンは?」
『発進スタンバイ』
「すぐ行かせて。ぼくとアスランも出る」
通話を切るとアスランが無言のままキラに制服を投げてよこした。彼は慣れたものでもう袖を通し襟もきっちりと留めている。
『三隻の戦艦捕捉、ライブラリ照合なし、ギンズブルグからはすべてガーティ・ルー級と推測。ボギーワンからスリー』
再びの全艦放送を耳にして、キラは着替えの手を一瞬止める。
「…ガーティ・ルー」
ミラージュコロイドステルスを装備していると思われる艦からの攻撃。であればおそらく───。
「ハイペリオンがくるな」
つぶやきに答えるようにアスランがそう予言した。キラはそれに頷く。
『左舷カタパルト、グフ全機スクランブル』
『フリーダム、ジャスティスもすぐに出るぞ、準備急がせ!』
スピーカーのやり取りを耳にしながらふたりは指揮官室を出た。途端、アスランが戸口でキラの腕をとる。
「一応いってみるが、キラはブリッジに…」
「だめだ、そんなの」
「……………」
譲らない表情を正面から受け取ったアスランは、着崩したままのキラの襟に手をかけながら「判った」と短く応える。
「……襟はちゃんとしておけよ」
その場で直されて、こんなときまで小言がでてくるかとキラは呆れた。
「隊長なんだからっていうんでしょ。判ってるけど、どうせすぐ着替えるじゃないか」
「……そうじゃなくて……まぁ、それもそうなんだが…」
いいながらアスランが移動レールのグリップを掴み、キラを促すように手を伸ばした。その手を取り彼の肩に掴まると、緊急時スピードで移動し始める。
「…すまない、ふざけすぎた」
「なにが?」
「見えてるから」
───ゆうべの痕が。
そこだけ小声にいったアスランがさきほどからなんの話をしているのか思い当たって、キラは心のなかで悲鳴をあげた。が、それを引き摺る状況でもなく、意識して今のやりとりを頭から追い出す。
それからすぐに通路を突き当たり、エレベータに乗ってデッキを移動する。そのあいだに難しい顔をしたアスランが「おれの指揮下に入ってくれるんだよな?」と確認をしてきた。
「まえに現場指揮は任せるっていったし」
大局をみるのは苦手だし、今はとくにものごとを冷静に判断できるか自信がない。
「判った。あとのことは展開状況をみて指示する」
アスランはキラが素直に従うと知っても様子を険しくしたまま続けた。
「──“あれ”のテストまだだったな。ジャスティスのは昨日調整したばかりだ」
「装備どうする?」
「…いや、使おう。…面倒事を引き摺りたくない。今日は全機堕とす気でいく」
彼が出撃前にこんな強気をいうのはめずらしい。こういうことはたぶん自分自身を奮起させるためにわざと口にだすようなことなのだろうが、彼はそんなタイプではない。つまり含んだ意味もなく、ことばそのままに今から実行することを告げているのだ。
表面では控えめなアスランが、その内面では大胆な気性を持ち合わせていることはよく判っている。不思議なことではない、とキラは自分にいいきかせるが、不確実な事態をいまさら思って無意識に自分の両腕を抱きしめた。
「終わらせよう、キラ」
その声でキラは顔をあげる。アスランはこちらを見てはいなかったが、それまでの鋭さをほんの少しばかり丸くしていた。
「ジェリンスキはぼくに任せて。──お願い」
雰囲気を変えたアスランに押されるようにしてキラはいうべきことを告げた。
そのタイミングでエレベータが指定階で止まり、扉が開く。アスランはキラの背を押して、今度は彼を先に行かせる。それで今の返事はとキラが振り向くと、アスランは否とはいわず、「いると思うのか?」とだけ訊ねた。
「……そうだね…いるよ…」
それだけは妙な確信がある。
いや、ある意味それは“約束”だった。「次は戦場で」といったのだ彼は。数日前の、別れ際に。アラートのロッカー室でパイロットスーツを身に着けながら、あの日の話し合いを──アスランには秘密の対話を、ありありと思い出す。決着をつけなければならない。アスランも早く終わらせたがっている。もちろんキラも…。
でなければ、もう心が保ちそうにない──。
「キラ」
呼ばれて、スーツ姿になったアスランを一瞬横に見た。自分の表情を意識しながらぱたりとロッカーを閉め、足元のヘルメットを抱えてアスランと向き合う。いま心に過ぎった弱音は押し込まなければならない。彼はグローブを整えながらキラを見ていった。
「ジェリンスキが自分でいったように“そう”、だとして…おそらく複数人、戦闘用コーディネイターが向こうにはいるだろう」
「……うん」
「こうなってくると傭兵もあり得る。そうであればさらに厄介だ。判ってるな、キラ」
硬い表情。少しの油断もするな、ということだ。アスランはいうほどキラの腕を信用していないわけではない。それはもう、まったくといっていいほどに。でなければ今頃は特務権限で艦橋に縛りつけられている。
問題は心のほうだとキラ自身が判っている。自分でもどうにもならない。どうしようもできない。彼は、アスランはそれすらも容れている。そして抑えきれない不安がこうして彼を厳しくさせている。彼にまで心に無理を強いているのだろう。それが、自分という存在───。
「……ありがとう、アスラン」
いわれて口を開いたまま止まった彼の、硬質なスーツの襟をぐいと引く。
「…キ……」
少しの抵抗を受けながらもキラは唇を合わせた。それでも触れれば丁寧に、そして少し情熱的に返してくれるアスランに…ただ、愛しさしか感じない。
襟を掴んだ手を緩めると、彼は「作戦中だぞ」と少し困ったようにいい、キラの頭をぽんと叩くようにして手を置いて、そのままモビルスーツ格納庫に通じるハッチへと促した。

まだ近い距離の、彼の横顔をそっと覗き見て、キラは心に改める。

───答えは決まっている。ぼくにはきみが必要なんだ。
きみのいない世界に、ぼくはいられない───。


キラはストライクフリーダムのコックピットに収まり、システムを起動させながら艦橋に状況を確認する。パイロットスーツに着替えているあいだにギンズブルグが交信途絶との報せをすでに聞かされていた。そちらの安否も気になるが、まずは。
「モビルスーツ確認できてる?」
『現時点で二十三。こちらへ九。艦の有効射程まで発進ぎりぎりです。ボギースリーからモビルアーマーも展開』
「なら先に出て片付ける。モニターきてない、早く」
デーべライナーが捕捉したデータをもらうと、デブリベルトでジャスティスが遭遇したハイペリオンと同じ熱紋を確認する。情報はそのまま味方全機にも共有した。
『光学で後方にハイペリオン三機確認。ブリッツっぽい先頭機体と二十秒でエンゲージ』
すでに出撃しているシンから視認での報告が入った。モニター上ではさらに捕捉数が増えている。敵の機動兵器部隊は複数に分かれる様子だ。メンデルを囲い、デーべライナーのように発進する艦を頭で叩くつもりだろうか。どうするか考えるより先にアスランがチャンネルにマイクを開けた。
『アスラン・ザラだ、戦闘指揮を執る。先行チームとギンズブルグの残存はおれとこい。フリーダムはデーべライナーの発進を援護。エターナルはシュペングラーと基地後部セクターからくるボギーツーだ。管轄際だから他国と連携しろ、だが頼るな。確実に叩いていけ』
「アスラン」
『判ってる。捕捉したら知らせる』
状況をみているのは理解しているが、さきの頼みをアスランが守る気があるのか、その確認だった。
『それに、おまえの勘なら向こうから…』
「そうだね」
確かに彼のいう通り、ロマンのほうからキラを狙ってくるであろうことは判っていた。コックピットカメラに写ったアスランを見ると、もう行くぞというように目線で合図をよこす。
『ジャスティス出る!』
インフィニットジャスティスが間髪いれず発進し、バッシュの会敵ポイントへ真っ直ぐに進んでいった。キラもカタパルトにスタンバイし、いま出撃しようとしたところで──。
『敵がさらに分散してる!こっちはおれのチームだけで足りる!』
シンがアスランに反発をしはじめたのだった。話には聞いていたが本当に指揮官泣かせだ。
───ぼくがいったこと、ほんっっとに判ってない!!
キラはとりあえずストライクフリーダムを発進させ、デーべライナーに近づくモビルアーマーをロックオンする。
「シン、そっちハイペリオンいるんだろ?!」
『やれますよ!』
「光波シールドは未経験じゃないか。ちょっとは警戒しろよ!」
『シミュレーションはできてます』
「こっちのフォーメーション指示があるんだから!」
まだパイロットたちに展開していなかったが、対ハイペリオンのマニュアルはできている。だが、キラが任せろと何度いってもシンは「できます」「やれます」の一点張りだ。
このやりとりはアスランも聞いているはずだが、なにを考えているものか口を出してこない。アスランに対して意地を張っている彼は、キラの話なら聞くだろうとでも思っているのか。だとしても面倒くさいことを押し付けられているような気分になって、キラは苛々がつのった。
「いいからアスランのいうことを聞け!たかがパイロットひとりでどれだけの責任がとれるっていうんだ!!」
『───』
たまりかねて怒鳴ったキラだが、シンは黙っている。こんなときに世話を焼かせるなよ、と心の底で悪態をつきながら、キラはデーべライナー発進の邪魔になりそうな機動兵器をフルバーストで次々と撃破していった。一掃したところで個人間通話が入る。アスランだった。
『シンには逆効果だぞ』
「判ってるよ!」
苛立ちの収まらないままアスランにまで怒鳴って返し、そこでキラはやっと腹に凝った緊張をわずかに解く。
「…口出してごめん」
『かまわない。あとは任せてくれるか?』
「……うん…」
どうやら放っておく気はなかったらしい。シンの扱いには彼なりの考えがちゃんとあったのだろう。
「大丈夫だよね、アスラン」
『ああ、問題ない』
キラに即答したアスランはそのあと全機チャンネルに変えて、シンに指示した。
『シン、チームを置いてもどれ。おまえはフリーダムの支援だ』
───ちょっとなんで?!なんでそうなるの!!!
キラは理解不能なアスランの命令替えにもう一度個人間通話を開けようとしたが。
『今回は譲ってやる。集中して死ぬ気で護れ』
と、低めの声でシンに続けた。
「─────ア……ッ」
───の、莫迦!みんな聞いてるったら、莫迦ッ!!
よくよく聞けば、それはデーべライナーを護れといっているように、ふつうはには捉えるいい方ではあったのだ。が、キラ、もちろんシンもアスランが実際には“何”を護れといってるのかすぐに理解した。
『デーべライナー発進!』
キラが動揺するあいだに旗艦が動き始め、次の敵機動兵器も迫りつつあった。シンはその後方だがこちらへやってくる。
「ったく……シン、フルバーストいくから下手に動いて当たらないでよ!」
『ハッ、冗談でしょ』
声音からすでに上機嫌な様子を察して、なるほどこれは感心するしかないとキラは思った。
コンセントレーションスコープを持ち上げてマルチロックオンする。バッシュ前方で迫るモビルスーツは八機。が、うち二機いたハイペリオンが反転し、モノフェーズ光波防御シールドを全方位展開してバッシュを襲った。
「まずい」
照準に入った六機を漏らさず墜として急ぎバッシュを追った。デーべライナーの艦砲がその横で明るい線を描く。さらに後方からボギースリーと番号を振られたガーティ・ルー級が迫りつつあった。
『っ、!! くっそアンチビームなのに!』
バッシュは二機のハイペリオンのシールドに挟撃され、近接展開になっていた。シンはバッシュ肩部特殊兵装のブレードに施してある対ビームコーティングが光波防御シールドに有効だとは知っていたようだが、新型のハイペリオンなのだから敵も知られた弱点をそのままにしておくはずがない。
猛スピードで混戦に突っ込んだフリーダムはシュペールラケルタを振り回して、敵機のうち片方の左腕にあるシールド発生装置のひとつを、“光波防御シールドをすり抜けて”払い落とした。
「こっちだって時間は十分もらったよ…!」
シールドに穴を開けた瞬間をシンはまったく見逃さず、ビームサーベルをハイペリオンの機関部に突き込んで大破させた。もう一機はそれに怯んだのか彼らからすぐ距離をとった。
『な、なんで?!』
「だから人の話を聞けっていっただろ!」
ビームキャノンの砲撃を避けながらキラはバッシュに二本のシュペールラケルタの一方を投げ渡す。
「対光波防御シールドに改良してあるから、これで」
武器・装備は双方相手の上をいく対策など考えるに決まっていて、このあたりイタチごっこではあるのだが、ハイペリオンがその強みを捨てない限り技術的な予想対策範囲は限られる。比較的短期間で対抗武器を仕上げることはでき、同じサーベルはジャスティスも装備していた。
『さきにいってくださいよ!』
「できたばっかりなの!!」
実はテストもまだだったが、とりあえず有効であることはたったいま証明された。が、警戒した残る一機は近接を許さず、弾幕で対抗してくる。さらにブリッツの改造機らしい複数がハイペリオンの援護に参戦してきた。
それを見てキラははっとした。
「シン、ハイペリオン三機っていったよね? 最後の一機は?!」
キラも確かに熱源モニターでは最初に三機を見ていた。そしてその瞬間、キラはフリーダムのなかで被弾による大きな衝撃を受けた。
「───っっ!!」
『隊長っ!!』
シンが叫んだ。すかさず少し離した距離を詰めて、続いたブリッツの攻撃からフリーダムを護る。
「……くっそ、……しまった…ミラージュコロイド……!」
フリーダムは背面にビームキャノンの砲撃をもろに受けたのだ。アクタイオン・インダストリーで固めた部隊ということに警戒が足りなかった。
キラはダメージコントロールをしながら、バッシュと交換したビームサーベルで近接していたブリッツ二機の武装とメインカメラを墜とす。
『大丈夫なんですか?!』
「ごめん、油断した。大丈夫だから」
そうはいうものの実際には微妙なところだ。フリーダムは機動性を活かすために「被弾しない前提」で装甲が弱くなっているところがあるため、攻撃を一度くらってしまうと実は脆い。それをカバーするための高機動を実現する背面部のスラスターはいまの攻撃でだいぶやられてしまった。
しかしキラはいまそれどころではない。キャノンを受けた方向に姿を表した三機目のハイペリオン。

───ロマン・ジェリンスキ…!

「……やっぱり、あなたが!」
目の前の敵に、キラは叫んだ。


C.E.75 28 Mar

Scene メンデル・外周域

「…ちょっ……隊長、隊長っ!!」
シンは戦闘を続けながら通信パネルを操作する。突然個人間チャンネルのバンドを変えられて、キラにこちらの声が届かない。
「おい! ──ンのやろ、たいちょ…、キラーーッ!!」
ストライクフリーダムはステルスを解除して出現した三機目のハイペリオンを追い、どんどんと遠くへ離れていく。残る一機と三機のブリッツが邪魔だった。
「くそっ。死ぬ気で護れつったって本人がおとなしくしててくれてなきゃあ、」

───それでも、おれなら護るけどな。

心のなかで、勝手なアスランの声が聞こえてくる。シンはひとり熱りたちカッとなった。
───立つ瀬がないっていうんだよ!!
アスランが譲ってきた機会。これで護りきれなかったら───。

シンはいったんフリーダムを追うのをやめた。キラから借りたシュペールラケルタとバッシュのビームサーベルを両刀に構えて急反転し、四機の敵モビルスーツへ突っ込んでいく。
「だったら、まずはこうだろ!!」
ここまでの鍔迫りあいで、敵モビルスーツに搭乗しているのはやはりコーディネイターなのだろうと踏んでいる。だが。
「アルテラのザフト兵に比べたら手応えが足りないぜ」
勢いにまかせて先頭のブリッツに飛び込む。反転からの速すぎたスピードに間合いを見損ねた敵機はやすやすとバッシュのビームサーベルを機体に飲ませた。シンは残り三機の墜とす順番を数えながら目に捉える。その向こうではボギースリーと仮名を振られたガーティ・ルー級と相対するデーべライナーが見えていた。
「すぐに片付けてやる」
敵戦艦も視野に入れて、シンは不敵にそう呟いた。


メンデルの警護は現在ザフトのほか、シードコードに参画する地球の数カ国が雇い入れた民間軍事会社が請け負っている。ザフトから戦艦四隻、民間からは二隻が配備されていた。
テロリストはおそらくミラージュコロイド・ステルスでの接近でまず哨戒中だったギンズブルグを急襲し、続けて僚艦のシュペングラーを追った。同時に別動でヤマト隊が駐留するプラントのスペースヤードに機動兵器の群れを送ってくる。ザフトが狙いなのは明らかだ。
───キラは予感していたのに。
部隊増援の要請を本国がもたもたとしているうちにこの事態だ。形骸化した禁止条約はもとより、こうしてテロリストに軍事技術を濫用されるのは厄介にすぎる。自然の摂理を曲げるのは嫌いでも、ルールを曲げるのは嫌いではないらしい彼らを相手には、不測の事態といういいわけも微妙だ。
アスランは舌打ちたい気持ちでボギーワンに迫った。機動兵器運用を主眼にした高速駆逐艦は火力に乏しく、モビルスーツが取りつけば墜ちるのは早い。ナスカ級やデーべライナーもそれは同様だが、少なくともヤマト隊旗艦は今隊長自らで護っている。フリーダムであれば艦にモビルスーツを寄せ付けないだろう。
逆にアスランは攻め手として早々に艦を狙う腹積もりだ。そのためにバッシュで敵機動兵器を散らしてもらいたかったのだが、長引く意地っ張りに呆れと嫌気が差し、ついついシンに譲歩してしまった。彼がキラを譲ること自体に問題はなにもない。かえってそれでパフォーマンスをあげてくれるならいっそそのほうがいい。幸い遊撃の手は「残念ながら」足りている。
アスランは感情をごまかすように彼我戦力の状況を読む。敵は新興のテロリスト…やはり素人の寄せ集めだ。機動兵器パイロットの練度はばらつきが激しく、それだけに読みにくい部分はありつつも、エース級が揃うヤマト隊が負けることはありえない。なにしろ、“SEED”で反応速度や先読みに優れた者の集団なのだ。
それを知ったうえで物量作戦かと思うほど、あとからモビルスーツとモビルアーマーがいくつも追加で捕捉された。これは歴戦のラコーニが迂闊だったこともないだろう。むしろ、こうも“資金力で”攻めてくることは想像し難いことだ。
「たいした人間だ、と。いいたいが……」
口に呟きながら、アスランはジャスティスに立ちはだかった前方のブリッツを二刀連結にしたラケルタ・ビームサーベルを旋回して両断した。

ロマン・ジェリンスキは自らを戦闘用コーディネイターだといった。それは、戦闘に効果をあげる能力を高い設定値でデザインされたコーディネイターということだ。だが、ビジネス面での才覚は、おそらく自前のものだっただろう。自ずと得た能力を復讐ともいえる行動のためにすべて注ぎ込んで、虚しさを感じることはないのだろうか。
戦闘中にこうした益体もないことを頭の隅で考えてしまうのはアスランの悪い癖だ。それでも集中していないわけではない。サーベルを振り下ろしたその途中で何かに気がついた彼は、わずか旗艦方向にいた僚機まで猛スピードで後退する。少し足りないか、とシャイニングエッジを投擲して苦戦していたグフの対手を跳ね飛ばした。そのまま移動スピードを下げずに追いつき、追い越しざまに敵機の推進部と武装をサーベルで切り落とす。投げたビームブーメランを迎えにもいく要領でジャスティスはすでにその場を去っていたが、助けたパイロットからは『申し訳ありません!』とひとことがくる。
「ここはいい、きみはデーべライナーの支援に回れ」
ラコーニ隊の残存兵だったが、こちらに加えるには少しばかり足手まといの腕だった。
アスランはボギーワンとの距離をすぐもどし、追いすがる敵機動兵器をすべて払い除けて、敵艦の高エネルギー収束火線砲をビームライフルで次々と撃破する。それに奮起したように遊撃のグフイグナイテッド二機がボギーワンを護ろうとするブリッツを掃討して援護し、最後にはファトゥム-01のハイパーフォルティスが艦機関部を撃ち抜いて終わった。
敵艦の数と機動兵器の可能搭載予測数が合わないため四隻目を警戒したが、大駒は尽きていたようだ。それを悟ったアスランはすぐデーべライナー、フリーダムのいるポイントへ向かった。
距離を離したため状況が掴めなくなっている。バッシュを残したといっても、キラがロマンに対して動揺し続けているのが気がかりだった。いまフリーダムの背後を護るのが自分ではないことにアスランは歯噛みする。しかも自分自身の采配で。
───だから“黒”は嫌だと…。
できるものならシンのように勝手わがままをいってフリーダムの傍を離れずにいたかった。本当に誰を侮っているわけでもなく、キラが目の届くところにいないと───ただ、不安なのだ。
ロマンはおそらくこの戦場にいる。あるいは自分よりもキラの近くに。ハイペリオンはその表徴に違いないからだ。ヤマト隊旗艦にその全機が集中したのを見てもそうだろう。
「…キラ……」
だが、声に漏れるほど気が急くのは、キラ自身にその原因があった。

───「ありがとう、アスラン」

とつぜんすぎた、感謝のことば。いやな思いが過っていた。あれは何に対してだったのか。
声音が過去と重なる。再会して、殺し合って、また再会した──あの、オーブで。
───「ありがとう、アスラン。話せて、嬉しかった」
そんなおとなびた顔で自分に礼をいうようなキラをそれまで知らなかった。そしてあれは、そのあとを覚悟したことばなのは確かだった。ああまで一方的な感謝と、その奥に潜んでいた別れの予感。それを向けられたと思った──。
───そんな勝手、許さないぞキラ…。
アスランはそのさきの思考を頭を振って追い出した。距離が届いて、バッシュがボギースリーにすでに取り付いていることをモニターで確認する。続けて、少し離れた僚艦の状況も確認しようとしたところでボギーツー轟沈の報。二隻で攻め、ドラグーン・システムを備えたリンナ・セラの“アルムクィスト”も行かせている。油断がなければ当然の決着だった。
最後にアスランはフリーダムを確認して目を剥いた。あろうことか、単機でデーべライナーを離れている。
「───シン!おまえなにをやっているんだ!」
『勝手に行っちまったんだ! おれだってこんな…』
「早くボギースリーそれを墜として追ってこい!」
『ちょ、』
アスランはいうだけをいって通信をぶつりと切り、ジャスティスのスラスターを全開にしてフリーダムを追いかけた。