Evergreen Interlude

C.E.74 3 Nov

Scene アプリリウスワン・ターミナルホテル

少しばかり気まずい思いがそうさせたのだろうが、キラはわざわざ受話器を使い、背後にいるアスランには会話を聞かれないようにこっそりとした声…けれど声音だけは平常を保って、通話の相手に説明をした。
「そりゃ何もないと思うけど、立場上一応ね。部屋の番号教えておくからメモして」
ザラ准将と仕事の話があって。遅くなりそうだから宿舎にもどるのはめんどうだし。アスランは気心のしれたともだちだから個人的にもつもる話が……。
───などと、さまざまないいわけを飲み込んで、本部への通信に出たシンには「今日はアスランのところに泊まるから」とだけいった。下手に理由を述べてもかえってわざとらしい、とそこまで考えて、まるで「ともだちの家に泊まるから」と親に嘘をついて外泊する女の子のようだとキラは思った。

一ヶ月ぶりの再会でまる一日一緒にいたけれども、もどったアプリリウスワンのターミナルホテルで夕食をすませた頃には、ふたりはすっかり離れがたくなってしまっていた。
それでも理性で宿舎へ帰ろうとしていたキラを引き止めたのは、アスランの「誕生日プレゼントくれないのか」のひとことだ。もとより、何か準備ができていればとうに渡している。それを知っていていうのだから、彼もたちがわるい。結局そのまま、アスランが滞在する部屋にキラは招かれた。
とりあえず居場所を自分の隊に伝えて通信を切ると、早速背後からアスランに抱きしめられる。
「キラ…」
右の耳のすぐ後ろで囁かれ、キラは思わず目を瞑った。
胸元で組まれた彼の腕に自分の手を絡ませると、旋毛のあたりに優しいキスを落とされる。そのまま、匂いを確かめるように髪に鼻先をこすりつけながら、後頭部やうなじにキスを繰り返した。
しばらくのあいだそうしていたが、突然首筋に歯をあててきたので、キラは思わずはっと息を飲んだ。押しあてられた歯と唇でそこを強く吸われる。アスランの意図を知ってキラは少し慌てた。
「…アスラン…痕なんか残さないでよ。…えっと…もうすぐ模擬戦闘訓練があって、着替えのときとか…ちょっと…」
「…ん……」
生返事はするもののキラの首もとのあたりに吸いつく行為をやめる気配はなく、その強さの度合いを心の中で量って、これは残りそう、これは大丈夫、と見当をつけた。
急にくるりと身体ごとをアスランのほうに向かされる。
「……何考えてる?」
集中してない、と目顔で叱られてキラは顔を逸らした。一瞬合わせたアスランの目はもう熱っぽくなっていて、乗り遅れたキラはただそれに気恥ずかしさだけを感じる。
「…ぁ…の…アスラン…」
もう少し話をしてリラックスしてからとか、バスで心の準備をしたいとか、とにかく何かの余裕が欲しかった。
背中をサイドボードに押しつけられ、アスランの腕はキラを逃さないように左右に置かれている。熱い視線はずっとキラにそそがれたままで、ことばも発しない。
そのまま一、二分はそうしていたように思う。
ふいにアスランが動いて、俯いたままのキラに顔を傾けて寄せてくる。唇が触れるのと、舌が挿し込まれるのは同時だった。
情熱をのせた舌を絡ませるくちづけを長く長く続けて、アスランはキラが追いつくのをそうして待ってくれた。決して追い立てるのではなく、誘うようなくちづけで。

息を整え終わってから数分後、となりで目を伏せているアスランにキラは誕生日おめでとうをいった。そういえばまだ直接いってなかったんだ、と思った途端、自然にこぼれた祝いのことばだった。
眠る呼吸ではないから聞こえていただろうが、アスランはなかなか目を開けなかった。だが焦れるほどには待たないうちにゆっくりと瞼があがり、翠色の瞳が見えると、顔ごとこちらを向いた。
「気に入ったよ…プレゼント…」
いたずらっぽく笑いながら静かにそういって、アスランはキラと彼の顔のあいだに投げ出してあった腕を動かして、指でキラの頬に触れた。
「いくらでもくれるって、いったな?」
「……や、その。プレゼントはほんとにちゃんと、用意したいから。…べつのもので」
「いいよ、気を遣わなくて。……ほんとにキラ以外、何も欲しいものないし」
うっすらと微笑んだ目で見つめられたまま口説かれる。頬をいじっていた指は激しい呼吸で荒れた唇を撫でて、指先に感じたがさつきを確かめるようにアスランの視線がそこへ落ちた。半身を起こしてくちづけをしてくる。そのあとそのまま唇を何度も優しく舐められて、それでは余計に荒れるからと止める暇もない。至近距離で互いに目を開けたまま、キスとは微妙にいえない行為が続いた。
「アスラン」
名を呼ぶと、最後に深いくちづけをひとつしてようやくその舌が離れた。だがアスランは身体までどかすことをせず、唇と入れ違いで額に額を合わせた。
「…明後日からアーモリーなんだな……。明日も会わないか。おれは時間とれると思うから」
「いいよ。ぼくも会議で報告出すくらいだし。終わったら連絡する」
遠距離が常態となることが判り、キラのなかではもう諦めができあがっている。月に一、二回はアプリリウスにもどることもあるから、まったく会えなくなるわけではないのだし、とよくいえばおとなの割り切りがあった。
アスランはまだふっきれてもいないようで、なんだか今日はずっと甘さが数割増しだったような気がしている。たった今も「足りない」と熱のこもった声で囁かれて、まだ汗の引いていない身体を抱き寄せられた。

まだ数えるほどしか重ねていない身体がどうしてこんなに馴染むのか、とキラは思う。
いつまでもぎこちなさを残したフレイとのことは、果たして互いの若すぎた年齢のせいだったのか、拭い去ることのできなかった遠慮のためだったのか。──あるいは、相手の練度の差か。
アスランの手慣れた動きを感じるたびに、彼と経験を積んだはずの“彼女”のことがよぎった。
「────っ」
胸が苦しい。こめかみがかっと熱くなり、何かを傷つけたい衝動にかられる。
アスランを手に入れたことで浮かれ続け、今まではぼんやりとしていたことが、何故か今日ははっきりとしていた。
「…や…だ……アスラン…嫌…だよ……」
「……なにが…キラ? …これ……こうするの、嫌なのか?」
拒否を示しても睦言のひとつとしか受け止められない。
交差した腕で顔を覆い、涙を隠す。隠しきれずに頬を伝うものも、行為ゆえの喜びとしか受け止められないだろう。実際、アスランが今与えてくるものは喜びも感じさせるものだから。
───悔しい。
すべてのことが。さっきは仕方がないと思えたことさえ。
ときおりにしか会えないなど、受け入れたくない。
キラに覆いかぶさっているアスランの腰に両足を絡ませて、自らの腰に引き寄せた。

「キラ…!」

優しく叱るような声にはっとする。
アスランがキラの腕を解こうとしている。
「……や…」
「…キラ……」
いいきかせるときのアスランの声音。
「キラ、見るんだ…」
アスランの半身の重さがキラの身体に伸しかかる。重みを支えていた彼の両腕は、組まれたキラのやはり両腕を掴んでいた。強制する力はなく、優しく添えるように。キラが頑に腕に力を入れていると、彼に晒している上腕の弱い部分をくすぐるように撫でられた。辿るように優しくくちづけも落とされて、日に焼けることのない箇所に火傷のような赤い痕を残す。
そして、腕で覆いきれていなかった唇に、アスランのそれが重なる。すぐに絡んでくる舌はいつも熱い。それにごまかされて、キラは腕の力をようやく緩ませた。
それでも続けられたくちづけからは、キラが息を乱す頃に解放され、アスランは互いの表情が確認できる位置まで身体を起こした。

「キラ……おれを見てるか?」
「………………」
「おれだけを見ていてくれ」
「………………」

ふっと。

キラを苦しくさせていた何かが軽くなる。何か我を失っていたようにも思う。目の前のアスランの───切ないだけの表情が、キラを目覚めさせていた。
「…なんで?」
あとから思えば莫迦なことを聞き返した。艶言を軽いことばで問い返されて、アスランはどれだけ困ったかと思う。
だが、彼は怯むことなく、おまえがぜんぶ欲しいからだ、と。いった。
「好きだ、キラ」
いいながら身体を繋げられた。
キラはアスランの望むとおりに目を逸らすことなく彼を見つめる。揺すられていたから、視界はぶれていたけれども。

ベッドのうえから聞こえるカタカタという音はさぞや寝覚めに不愉快だろうと思ったが、キラはそこから離れたくなかった。だが、今日これから会議で報告する事項を、ざっとでもまとめておかなくてはならず。
眠るアスランの横に半身を起き上がらせた格好で、服どころか下着も身につけないままで、キラはずっとパソコンでレポートを書いていた。
さっきから、アスランも目覚めていることは判っている。何か身動いだわけでも声を出したわけでもなかったが。
「───おれを嫉妬で殺す気なのか」
キーを叩くリズムで作業が終わったことを察したアスランがようやく声を出した。
「おはよ。なにいってんのアスラン」
「…おはよう、キラ…」
朝の挨拶はいつも実にさわやかな彼だが、今日は声のトーンが果てしなく低い。
剣呑な気配に、ぱたりとノートパソコンを閉じて急いでナイトテーブルに置く。パソコンを取り上げられて壁に投げつけられても困る。
「…あ、ちょっと!」
ナイトテーブルへ半身をひねった態勢で腰に抱きつかれ、あやうくバランスを崩しそうになる。幸いパソコンは無事テーブルのうえで安定していた。
「仕事に嫉妬なんてやめてよ、みっともない」
「ひと月ぶりの再会でそれなのか?」
やっぱり昨日今日のアスランは甘味料を頭からかぶったかのようだ。都合のいいことには、キラは甘いものが好物だった。
身体に回されたアスランの腕を解きながら、キラからくちづけを落とす。おはようのキスというには少しばかり濃厚に過ぎるもので。
「…ゆうべはかわいかったのに…」
唇を離すと、途端に紡がれる囁き。ぼっと赤くなる自分の顔を感じて、呻きながらアスランの顔に右手を押しあてた。
───嫉妬していたのは、自分のほうだ。
いつでも、昔から、彼の心が自分にしかないことは知っているけれども。それを無駄にしたのは自分のほうだということも判っているけれども。

「大使館のなかに住めるんじゃないの? なんかもったいなくないかな、いろいろ。護衛もつけないとならないんじゃないの」
ホテルのラウンジで朝食を摂りながら、キラはアスランからこれからのことを聞き出していた。まずは住む場所のことだが、キラが次回アプリリウスにもどるときにはその場所も決まっているだろうから、どこへいけば会えるかという意味合いだ。
「居住スペースはもちろんあるが。…護衛を雇うくらいの財産はある」
いいところのおぼっちゃんはいうことが違うやとキラは嘆息する。ちなみにこれは呆れるほうのため息だ。大使館だと気兼ねがどうとかいっているが、要はめんどくさいからだろう。
「まさか昨日とか、家を整理したのはこのため?」
アプリリウス、とくにこの第一区で居住のための場所を持つなどセレブもいいところだ。しかも、理由はめんどくさいとか、職場から近いとか、そんなことで。
「贅沢をするわけじゃないんだぞ。イザークの紹介でコンドミニアムを安く借りるだけだ。VIPが多いそうだから、セキュリティ面も問題ないし…」
それでもキラにとっては贅沢にしか思えない。自分自身もそれができるだけの身分ではあるが、慣れないものは仕方がない。
「キラがアプリリウスにもどったときに帰る場所にしたい」
食後のコーヒーを手にしながら、アスランは微笑んでそういった。その笑顔が優しくて眩しくて、キラはくらくらとする。
「……いいのかな…それ」
「…なにいってるんだ、いいにきまってるだろ? 一緒に暮らせないなんて、ごめんだからな」
それがたとえ、月に三、四日のことであろうと。まさか、そのために、と。
「キラは?」
真剣なまなざしで訊ねられる。訊かなくても判っているはずなのに。そう訊ねたとき、彼の瞳の奥に一瞬不安の翳りが見えた。
同じ、なのだと思った。
互いがいいと互いしか見えないといいながら、それでも融け合ってひとつになることはできないから。そこから生まれる不安を消すことはできない。
「ぼくも、アスランとずっと一緒にいたい」
直接告げるのは慣れなくて恥ずかしいとキラは思ったが、彼が持つ身に覚えのある不安を消してあげたいと感じる気持ちのほうが強かった。