ゴシップ

C.E.75 28 May

Scene デーベライナー・食堂

「な……っ…何故こいつがまたここにいるんだ?!」
アスランが「こいつ」と指した男は、士官専用の食堂で出されたランチプレートに舌鼓をうっているところ…らしかった。
「なんでって、さっき乗艦許可出したよ? 用事あるっていうから」
呆然としていたアスランを振り返ってキラがにこやかに告げる。アスランはそんな彼を、声を荒げて叱った。
「…おまえな…。昨日の今日で、こいつのその用事がなんなのか、考えたのか?!」
キラはアスランの剣幕にしゅんとなって俯く。ゆうべの折檻がまだ効力を持っているようだ。シンが“知っている”ということをアスランに教えなかったことで、アスランは昨日の夜かなりしつこくキラを責めた。
べつに仲間内に自分たちの関係を知られることは、やぶさかではない。問題はキラがそれに気がつきながら自分に知らせないことなのだ。いつだかフラガ夫妻にも突然からかわれて、アスランはいたたまれない思いをしたことがあった。彼らに知らせたならそれで、アスランにもひとことそういっておいて欲しかったのだ。
そして、ディアッカもそれは例外ではない。ただ、この状況と流れにおいては、彼に明かすことにかなりの抵抗がある。

「まぁ待てよアスラン、おれは今日はな、お姫様の名代なんだぜ? 追い返したりしてみろよ、どうなるかしらねーぞ」
ヘビとカエルになっていたアスランとキラに割って入ったのは、その問題のディアッカだった。
彼の不埒な目的などとうに知っている。そんなことのために今日もこのデーベライナーを訪れるなど、上官のイザークが許可を出すはずがない。そこへラクスに手を回したということか。しかし。
「名代だと?」
「そうそう」
ディアッカは信じられないことにラクスへ正直に目的を告げ、そのラクスから、
「アスランの想い人なんて、わたくしも気になりますわね。ぜひ探ってきてくださいませね、わたくしの代わりに」
……と、後押しされてきたのだという。
───……ラクス…ッ…知っているのに、何故っ…!
何故もない。彼女は完璧に面白がっているのだ。いや、もしかしたら、結婚を固辞したアスランに腹を立てているのかもしれない。その仕返しが始まったのだとしたら、これは少し考えなければならなかった。
「きみって遊ばれやすいよね……」
「……おまえがいうのか、それを…」
いったい誰のためにこんな目にあっているというのか、と呑気な感想をもらしたキラを再び睨む。だがキラはラクスが絡んできたと知って少し強気になったようだ。今度はアスランに気圧されることなく、笑顔を返してきた。

「うわぁっ」

そのとき素っ頓狂な叫びが背後で聞こえた。今はふつうにランチタイムだ。食事にきたのであろう、シンだ。
「お、シン。メシだろ? こっちにこいよ、一緒に食おうぜ」
「…う………あ……」
「どうしたの、シン? ディアッカさんが呼んでくれてるのに」
シンと一緒にきたルナマリアがシンの背中をぽんと押した。その勢いで一歩ぱたりと食堂に入り、よたよたとそのままディアッカのほうへ向かう。
アスランの横をおそるおそるという様子で通りすがろうとしたとき、
「ひとことでもしゃべったなら、覚悟をしておけよ」
と釘を刺すと、びくりと身体を震わせてその場で立ち止まった。
「アスラン、やめなよ。かわいそうに」
本当にシンに同情しているらしいまなざしでアスランを見上げて、キラは柔かくこちらを諌めた。
「キラ。ちょっと」
「へ?」
人のいない食堂の端のほうへキラをひっぱり、こっそりと話す。
「どうするつもりなんだ、おまえ」
「え。どうするって…どうしようね?」
昨日の一騒ぎのあと、シンからあらためて艦内に広がっていたという“噂”の内容をすべてアスランは訊いていた。
細かな尾ひれ羽ひれが山ほどあったようだが、ごく単純な流れだけを追えば、まずコンドームを購入しているのだからアスランには恋人がいるのだということ。あれだけヤマト隊長に張りついていて、その恋人にあう時間がどこにあるのかという下世話な想像。そして、実はその隊長が恋人なんじゃないのかという疑いが、現在浮上中なのだということだった。
噂の端緒は事実ではなかったが、至ったところが事実になっていた。
「……婚約発表?」
訊ねる声音でキラが小首を傾げた。
「え?」
「まえにアスランいったじゃない。ラクスと婚約破棄したんだから、いいんじゃない、今度は」
「…でも…しかし…」
確かにキラ愛しさの勢いでそんなことを自分からいった覚えがある。だが、あの頃と今では状況が少し違う。キラはこの隊の隊長で、自分はその護衛と、副官としての立場もある。この関係でさらに恋人だなどとは、あんまりなうえに隊の士気にも関わるのではないか、とアスランは難しく考える。
戸惑いにいい淀んでいると、目の前のキラがみるみる不機嫌を露にしてきた。
「なんだよ、自分でいったくせに。もう嫌なんだ、ぼくと婚約するのが?」
「違う!」
ここだけはきっぱりといっておかなければならない。人目があるから抱きしめはしないが、代わりに真剣と愛情を込めた瞳でキラを見つめる。
「あのー……」
そこへ突然割り入ってきた勇者はシンだった。
「やばい感じです。やめたほうが……」
「………………」
気がつくと、食堂にいる全員がアスランとキラに注目している。キラは迷子の犬のような顔つきになった。
「シン、どうしよう?」
「…おれに訊かないでください」
「……もどろう、とにかく」
アスランはずかずかとディアッカのいるテーブルに向かった。
「キラ!」
部屋の隅で動かないままになっているキラを呼ぶ。キラはのろのろと近づいてき、シンがそのあとに従った。
とにかく、いつもと同じにしていればいい。そして、目の前の男は早いところ追い返し、折りをみてきちんとキラとの関係を話そう、と考えた。つまりことなかれ的対応だ。
「…それで恋人っていうのは、パイロットだったりするわけ? まさかあの子かな。オーブ出身の、あのカタそうな子。硬いところはおまえと似合いだけどな」
給仕にキラと自分のオーダーを伝えているあいだ、ディアッカはずけずけと独りごとを続けていた。アスランの隣に座ったキラは所在なくしていて、さらにディアッカの右隣に座ったシンも腰が落ちつかない様子でいる。拷問のようだが、耐えるしかない。
「キラ。このあとはフリーダムとジャスティスの運用テストだったな」
予定になかった予定を告げて、食事が終わればおまえをかまっている時間などない、と暗にディアッカに伝える。シンさえ黙らせておけば、あとは事実を噂でしか知らない人間ばかりだ。その中で何を聞こうが、真実は闇の中だろう。
「キラはもちろん、知ってるんだろ? アスランのカノジョ」
「え」
予想どおり、ディアッカは矛先をキラに変えてきた。
「おれが何でもキラに話してると思うな、ディアッカ」
「…話してくれて、ないの?」
キラは「どうして」と、信じたくないものを見るまなざしをアスランに向けてきた。
そこで何故おまえは反応する?!…と、アスランは心の中で叫ぶ。
「……話してるだろ」
「でもいま…」
「黙って食べろ」
不穏な空気を背負ったまま、ただ黙々と食事を続けた。シンと一緒にきたはずのルナマリアはひとつ離れた席にいて、こちらの様子を窺っている。食堂内の人数はそう多くはないが、その場の全員が固唾を飲んでこちらを見守っているようだった。
「…ディアッカさ、なんでそんなに知りたいんだよ、アスランの恋人のこと」
キラが突然沈黙を破った。このまま気まずさをやり過ごせば、ここから逃げ出せたかもしれないというのに。
「知りたいだろうがふつうは。こいつ、昔から浮いた話はひとつも出てこなかったんだぜ? まぁ、婚約者がいたからってのもあるけどな」
それは事実ではある。ラクスへの手前もあったから、アカデミーからその手のことに隙を見せたことはなかった。そして、しばらく音信不通になっていたから、ディアッカはオーブでそれなりに知られていたカガリとのことを知らない。
「知ってどうするんだよ。…からかうの?」
いくぶん低くなった声音でキラは続けてディアッカに訊ねた。彼は不機嫌になっているのだった。よせばいいのに、と思うが、八つ当たりにディアッカに絡みだしたのだ。
「え? そういわれるとな。えっと…そうそう、祝福してやるよ。心から」
「祝福?」
「そう、こいつも人並みに、キラ以外の人間が好きになれるんだなって」
「………………」
沈黙のなか、がちゃりとフォークを取り落としたのはアスランだった。
キラは瞠目してディアッカを見つめる。
「ディアッカ、知ってんの?」
「え、知ってるさ。見てりゃ判ることだろ」
な、と横にいるシンに同意を求める。シンはおろおろと視線を泳がせた。
アスランはもうことばも出ない。人目をはばかるとか、節度を保つとか、態度にあふれてしまうキラを想う気持ちを必死に押し隠し、それなりに努力をしてきたはずだった。護衛だ副官だととりつくろってキラの傍にいて、それさえも端から見て判る人間には判っているということなのだろう。噂になってしまうほどなのだから。
アスランは取り落としたフォークをきちりと揃えて置くと、大きなため息を吐いた。
隣のキラを見れば、彼もあまりすすんでいないようだが、もう食べる気分ではないのだろう。フォークを手に持ってはいるものの、それを動かす気配は少しもなかった。
「もういい。キラ、いこうか」
静かに立ち上がり、キラの肩に手を添えて促す。キラは素直に従って一緒に立ち上がった。
「おい、食後のコーヒーくらい飲んでいけよ。キラもさ。くちなおしくちなおし。な?」
真剣にアスランを落ち込ませたことに気がついたのか、ディアッカが宥める方向に口調を変えてきた。これで今日は彼もこれ以上かまいかけてくることはないだろう。だが、しかし。
「くちなおし、か」
打ちのめされて開き直ったあとのアスランは、いつでも男の本領を発揮した。
「おれなら、コーヒーよりこっちだ」
「……えっ…」
キラの肩に添えていた手をそのままぐいと掴むと、反対の手でその腰を抱き寄せ、アスランはキラにくちづけをした。
部屋の数カ所で女性クルーの雄叫びが聞こえる。
触れ合わせるだけのものではなくしっかりと舌を挿し入れて、呆気にとられたままのキラの歯列を割り口内をぐるりとひと舐めし、最後に脱力している薄い舌に絡めて、吸って、離れた。
周りを見ると、面白いくらいに皆が口をぽっかりと開けてこちらを見ている。その様子が本当におかしくてアスランは少し笑った。
「ほら、キラ。いくぞ」
放心したままのキラをひっぱって、食堂をあとにする。
いっそ清々しく、アスランはすっかり気持ちが軽くなっていた。
「ア…アスラン…」
心を少しとりもどしたキラが戸惑う声でアスランを呼ぶ。
「…おれとしては、もうこのまま籍を入れてもいいんだけど」
微笑みかけてそう告げれば、キラの頬に赤みがさす。
「……な…っ…、あの…」
「それにはオーブにもどらないとならないしな。とりあえず婚約でいいよな」
わるノリは徹底すべきだし、本心はできれば隠さないほうがいい。噂などというものは真実が判ればその収束は早く、そしてたいてい、事実はすぐに飽きる。キラの立場を考えもするが、彼が嫌がるのであればどうとでもごまかす方法はある。だが、キラにその様子はなく、ただ「まいったな、もう」などとつぶやいて照れているだけだ。
「莫迦だな、きみって…」
「そうだな、本当に」
まだ休憩時間は終わっていない。あたりはばかることなく、アスランはキラの手をぎゅっと握った。同じように握り返してくる手のぬくもりに、よりいっそうの力を込めた。愛しさをともに。

─End─