C.E.75 Feb エヴァグリン


C.E.75 6 Feb

Scene デーベライナー・シンの個室

艦内を号笛が響いた。警報ではなく、これは隊の指揮官が帰艦したことを示すサインだ。シンはデーベライナーで割り当てられた個室から、それを遠くに聞いた。制服のまま横たわっていたベッドのうえで、ごろりと壁側へ転がる。
隊長のキラは、アスランを伴って昨日アプリリウスワン内部へ降り立った。本部へ報告書を提出し昨日のうちにもどると聞いていたが、遅れて今になったようだ。
「甘やかされた」ということは判っている。上官を殴っておいて懲罰房に入れられることもなく、こうして自室でごろごろとしていられるということ。おそらく、報告の仔細にもあがらなかったのだろう。
いつだったか、キラにいわれたことがあった。つまらない違反でつまらない処分を自分にさせるなと。それはふつうには、「面倒を起こすな」という意味をもつだろう。キラのことばの裏は違う。判っている。だから目をつぶったのかもしれなかった。
でも、判らない。シンが殴ったのはアスランだったからだ。彼に対する理不尽までを、キラが許すとは思っていなかった。このままひとこともなく、なかったことにされるのか。収まりのわるさを感じる。もちろん罰を望んでいるわけではないが、さすがに過ぎたことをしてしまった自覚はあった。

室内でつけっぱなしにしているテレビは、プラントにいくつかある民間放送のひとつにチャンネルが合わされたままだ。相変わらずアルテラの事件を報道している。だが、シンが知っている事実とは異なる内容となっていた。国家間での判断があり、報道管制が敷かれたのだ。プラントのステーションへ到着するまえに艦内も緘口令がでていた。
デーベライナーがプラントにもどるより早く、アルテラでのことは国内で報道が始まっていたようだった。小さいとはいえ基地がひとつ全滅させられて、騒ぎにならないはずがない。メディアでの公表は、大洋州連合の発表したアルテラ市民の暴動で一貫していた。そこにブルーコスモス関与の疑いがあることなど、ひとつも流れてはこない。話の焦点はただ、大洋州連合との同盟危機など、国同士の関係修復をどうするかに向けられていた。

今回のことでシンを責めるものは誰一人としていなかった。肩を叩かれ、慰められるだけだった。当然ではあるのかもしれない。だが、それでもシンの憤りは収まらず、彼に八つ当たりをした───といってもいいのかもしれない。もう何を理由に絡んでいったのか詳しく覚えていない。だが、現場指揮を誤ったのだと、上官に対して不遜を口にした。アスランは否定も肯定もしなかった。ただ黙って、シンのいわれるままになっていた。この、部屋で。
しばらく放っておいてくれればよかったのだ。「つらい思いをさせてすまなかった」などと、そんなことばを聞きたくはなかった。
それをいったのがキラだったなら、こうも自分を激昂させなかった。それだけは、はっきりとしていた。
アスランがザフトの制服で現れたあの日からずっと、もやもやとして晴れない心が燻っていた。自分でもよく判らない。何がそんなに気に入らないのか、と。大戦後に彼に対するわだかまりは消えたはずだった。ザフトへの復隊が不満なのか。───それは、ない。正直なところ、逆にそれを望む心があったことは、確かなのだ。確かだったはず、なのだが。

───ピ・ピ、と、サイドテーブルに置いた携帯端末がメモの受信を知らせた。シンは重くなった体を起き上がらせてその内容を確認する。発信者はキラだった。
『アスランがデーベライナーを離れるから、そのあいだぼくの護衛をお願い。二時間後にでかけるから、シャトルハンガーに』
シンはじっとそのメモを見つめたまま、長い間そこに佇んでいた。


C.E.75 6 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

アスランがいつもより少しばかり雑な様子で、アタッシェケースにものを放り込む。時間を気にして急いているのだろう。彼はこれから単独で地球のオーブへと向かう。
準備の時間を削られることが判っていながら、昨夜のうちに艦へもどる予定を今朝に変えたのは彼だ。それも、キラを思い遣ってのことだったと思う。そのことも含めて、ここ数日はアスランに甘やかされているという自覚がキラにはあった。
───そんなにひどい顔してたかな。
あいにく手近に鏡がなくて確かめられないが、キラは自分の顔色を想像し、無意識で両手を両頬に押し付けた。
ただ、キラが身も心もくたくたになっていたことは確かだった。終えたばかりの作戦はひどいものだった。それに、長期航行用の配慮がなされているとはいえ、閉塞感のある戦艦内での生活が続けばやはり疲れは溜まるものだ。
一晩だけでもちゃんとしたベッドで休もう、という彼に促されるまま。アスランがアプリリウスに用意した、自分たちの、という部屋。実はキラがそこへ足を踏み入れたのはゆうべが初めてだったのだけれど。
充分な広さのLDKとベッド二台が余裕で収まる寝室に、同じ広さをもつバス付きのゲストルームという間取り。最初はそちらをキラの私室に充てるつもりだったようだが、デーベライナーの進宙直後にいわれるまま送った私物の少なさを見て、アスランはそれをやめたという。地球から友人や家族を招くこともあるだろうと、ゲストルームはそのまま空き室だ。
───ゲストはいいけど…寝室にベッドがふたつ入ってるのはあんまり見られたくないなぁ。とくにカガリ、とか……。
彼女など訪れたらもちろん遠慮もなく、全部の部屋を見てまわるだろう。そのあたり、アスランは無頓着で困るところがある。
とはいえ、人を招くほどあの部屋で長く過ごせる時間がそうそうあるかというのが現実だろう。ここは、ダブルベッド一台じゃなかっただけましと思うことにして、キラはその問題を流すことにした。
「キラ」
益体もないことに考えを巡らせているうちに身支度が終わったらしい。閉じたケースを手にアスランが呼んでいる。その姿は、国防委員長の依頼を真正直に容れて黒の制服だ。ブーツだけが以前と同じ白なので、爪先から見上げたときの違和感が半端ない。それでも彼には似合って見えるのは欲目だろうか。
「うん、アスラン」
あれやこれやと思考を逸らせていたものの、いよいよもってごまかしも効かなくなった。
ジャスティスでキラの元へ駆けつけてからというもの、アスランはほぼ張りつくように彼の傍にいた。そのせいだろうか、去年はもっと長く会えない期間もあったというのに、たった数日の別れが、もう永遠の長さを感じさせる。そんな気持ちを出さないように気を遣いながら、送るためにドアのまえに立つ彼へ近づく。いつのまにかまた、彼を頼りにしようとする甘えた心が生まれていた。アスランはそれを望んでいるけれども、自分はそれではいけないのだ、と無理にいい聞かせる。
アスランの正面に佇むと、空いたほうの彼の手がさらりとキラの横髪を梳いた。それに名残惜しく自らの手を重ねてしまったことだけは許して欲しい。甘えることと、愛する者の温もりを未練がましくするのは別な意味を持つはずだ。
「きみがいないあいだの護衛はシンに頼むから」
微かにアスランの視線が揺れた、気がした。キラはそれに気がつかないふりをしながらも、彼の口元に残る痕跡にそっと触れた。
「ナカザワさんたちもきてくれるから、心配しないで」
「そうだな……。でも、くれぐれも気をつけてくれ」
「心配しすぎだと思う。きみがくるまでだってちゃんとやってたのに」
「……そう、かもな」
離れることの不満を隠さない、彼の表情。
「きみも気をつけて」
キラがいうとアスランは柔らかく微笑んで「判ってる」と返事をし、掠め取るようなくちづけを残して指揮官室を出ていった。
きざったらしめ、とキラはひとりごちて、ほんのしばらくのあいだ閉じた扉を見つめる。
「さて。ぼくは、と」
気持ちを切り替えて、携帯端末をポケットから取り出すとシンにショートメールを送った。


C.E.75 6 Feb

Scene アプリリウスフォー・繁華街

キラは私服に着替えてからデーベライナーの内火艇格納庫へ向かった。何しろ、今から向かう先で白服は目立ちすぎる。シンにも追って私服でくるように伝えた。キラに少し遅れてやってきた彼を確認すると、行き先をまず告げた。
「ラクスのところへ遊びに行くから」
もとよりプラント内では専任の護衛官が幾人かキラについてくる。今日も二名がランチボート内で先に待機していた。そのうえでシンまで連れ出そうという理由は察したのか、何を返すこともなく「判りました」といった。彼はふだんからそう無駄口のあるほうではない。それ以上に表情が実に多弁であるのだが、今日はそれなりのことをいわれる覚悟はできている、といったところだろうか。期待に応えボートに乗り込んですぐ、ならんで着席した横にキラは要件を告げる。
「報告は受けてないから、何も処分する気はないけど」
シンはそのことばに、「え」とも「う」ともつかない声を発した。
「アスランにちゃんと謝ってね」
「……………」
彼が、知らずとはいえ味方の乗る機体を撃破したことの忿懣と悲嘆を、その命令を直接降した相手にぶつけたことは判っていた。
だが、命令はアスランがいわなくともキラが降したことであろうし、それはすべからく組織としての、軍からの命令なのだ。そうして得た結果はすべて隊長のキラ、ひいては軍が負う。立場を別にしてもシンにアスランを責めるいわれはなかったし、そうすべきではない。シンもおそらくはそれを理解しているであろうが、まだ気持ちの部分が追いつけない、というのだろう。つまり、彼もまたアスランに甘えたのだ。そして、シンに“殴られた”アスランの優しさを、キラは間違っている、と思う。
「彼がもどるまで数日ある。そのあいだに気持ちが整理できないなら、軍なんかやめなよ」
本当はキラにも気持ちの整理などできてはいない。いつできるのかも、判らない。だが、だからといってこの状況を見過ごすのは、彼自身や周りの人間に死が近づくことになる。また、彼がこのまま表面に取り繕うことすらできないのであれば、本当に軍人など辞めてしまうほうがいい、と本心から思っていた。
「──判ってます」
小さな声で吐き出すようにいったその顔は激しく歪んでいた。彼がいちばんいわれたくないことばと、知っていて、告げた。
シンが本来、実に人間味あふれる人物だということは充分に判っている。そんな彼が戦場にいる理由も理解しているつもりだ。彼の心にのしかかる負担は大きいだろう。
───それでも……。
戦場には彼のような存在こそが欲しいのだ、とキラは考えていた。
「発進してください」
パイロットに告げると、ランチボートがふわりと揺れ動く。シンはキラから視線を逸らせたままおとなしかった。キラも、でかける先の四区に着くまで彼をしばらく放っておくことにした。


クライン邸のあるアプリリウスフォーに降りたつのは、キラは初めてだった。見覚えのないシャフトタワーの繁華街を眺め、あらためてそう思う。ラクスからは、プラントへあがるまえから遊びにきてほしいと乞われていたというのに、自身の不義理を思って反省する。とはいっても、これまで忙しく時間が取れなかったことも言い逃れではない事実だ。彼女はそれを理解して責めることもしないだろうが、アスランがキラのもとへくるために力添えしてくれたことだけは直接会って礼をいいたかった。
「花がいいかな、やっぱり」
目的の場所へ向かうまえに、手土産を求めて街をぶらつく。年齢に相応の服装をしているキラとシンのその様子はその場にまったく違和感がないが、その後ろにつく二名の護衛官が少しばかり人目を引いた。要人の集まるアプリリウスワンではそんな光景も日常茶飯事だが、ここ四区ではそれなりに珍しいものだった。キラもシンも周囲の視線が気になっていたが、それをごまかすためにラクスへの手土産のことに集中する。「お菓子も好きそうですよね」というシンのぼそりとしたひとことが引っかかり、決められず両方を持参することになった。
「ふたりで行くから、お土産もふたつあってもいいよね」
あまり意味のないキラの理屈に「は?」といってから、シンははったと思い出したようにいった。
「おれはラクス様のお客さんじゃなくて、あなたの護衛できてんすけどね」
「何いってるの。ラクスがそんなの認めてくれないよ」
以前、彼女がオーブへきたとき護衛を務めたシンのことは気に入った様子で、キラにも「かわいらしい方ですわね」と評していたことがあった。今日シンを連れ出したのは彼の気持ちを宥める意味もあったけれど、一緒に行けばラクスが喜ぶかもしれないと思ったのも事実だ。
ふたりは時間をかけて手土産を物色し、花とお菓子のどちらを渡す担当になるかで揉めながら、エレカポートへ向かっていた。

「キラ・ヤマトさんではありませんか」

突然、名指しでかけられた声に、キラは驚くより先に、何故?と思った。この場所で知り合いなどいようはずがない。声のしたほうへ顔を向けると、キラについていた護衛官の一人が、視線を遮らない程度にその人物とキラのあいだに立った。
「ああ、すみません。あやしい者ではありません」
護衛官の動きに慌てたように、その人物は頭をさげた。品のよさそうなグレイのスーツに身を包んだ男性がひとり、そこに佇んでいた。年の頃は三十代前半といったところだろうか。キラは自分の名を知っているこの人物に見覚えがなかった。
「───あの……?」
「本当に申し訳ありません。こちらが一方的に存じあげているだけでした」
護衛される身分の者が警戒を解かれるまで握手すら許されないことを知っているのか、その男は護衛官をあいだに挟んだままそれ以上近づくようなことはしなかった。
「昨年の、SEED研究開発機構の会合でお見かけしておりまして」
そのときにお顔を、といった。キラはそれを訝しむ。キラはSEED研究開発機構においては、その役割や素性を詳らかにしていない。キックオフミーティングにも、対外的にはマルキオの護衛という立場で参加したのだ。彼が第一の披検体であることは、ごく一部の者しか知らないはずだった。だのに、キラの名も顔もその場で記憶に留めおくなどふつうに意味のないことだ。キラは深い関係者のうちのひとりだったかと思い、それを思い出せないことに焦った。
「マルキオ様とお話ししました際にオーブ軍の護衛の方と伺いました。お若いのに准将でおられると聞いて……いや、失礼。しかし、驚いて記憶に残りましてね。今はプラントにおられることもニュースで知りまして」
そういうことか、とキラは納得する。だが、心の中には変わらず何か引っかかるものがあった。

───このひとは、よくない。

何の根拠もなく、そう閃いた。キラはこうして訪れた自分の勘には絶対の自信がある。
「お名前を伺っていいですか?」
問われた相手は、「これはまた、名乗りもせずに失礼を」といった。
「ロマン・ジェリンスキといいます」
聞き覚えは、やはりなかった。
「キックオフではまだ着任しておりませんでしたが、今はSEED研究開発機構に大洋州連合のメンバーとして参加しています」
キラは背筋をぞくりとさせる。───この人物がシードコードに関わっている?
「またお会いすることがあると思います。わたしの顔を覚えてくださいますか」
「ええ、もちろん忘れません。お会いできてよかったです、ジェリンスキさん」
そっけなく返事をし、握手の手も差し出さないまま踵を返した。ふだんから見知らぬ者にも愛想のよいキラのそんな態度を不思議に思うのか、シンが問う眼差しでキラを見つめていた。
───どうしよう、本当によくない感じだ。
キラは別れた相手もその場から去ったことを確認すると、足をぴたりと止める。
「……シン、ごめん。今日はやめよう」
このままラクスのところへ行くには、心の中がざわつき過ぎていた。
「何ですか、あの人。何なんですか」
シンが問いつめる。
「───敵なんですね?」
そのことばにキラははっとしてシンを見返す。シンは紅い瞳を煌めかせて戦士の顔になっていた。
そうだ。“敵”だ。
まさしくそうだ、と思う。キラはあの男に、戦場で感じる悪寒と同じものを感じていた。それは、殺気といわれるものだった。


C.E.75 9 Feb

Scene オーブ内閣府官邸・代表首長執務室

アスランは壁面に投影された人物に視線を据えたまま、「見覚えがある」といった。
険のある表情をしてはいるが、思ったより落ち着いた様子を見せている。カガリはそれを確認して、伸ばしていた姿勢をゆっくり後ろへ倒した。代表首長の革張りの椅子をぎしりと鳴らし、そうしてことばなく、暫時黙ったアスランを待った。
「デーベライナーの進宙式典の会場。ベンフォードパークで──」
アスランの目の前で、シードコードへのザフト協力を揶揄していた、と。おそらくはわざと彼に聞かせるように。
「カメラの映像で、シードコードのキックオフ・ミーティングにも確かにいたことが判っている。照会もしてある。大洋州連合の出資協力をしている人物、だそうだ」
カガリは告げて共有するために映した壁面投影ではなく、デスク上の端末機器ディスプレイをじっと見た。壁のものは少し見あげる位置にあって首が疲れるからだ。
そこには写真つきの個人IDが表示されており、その横には同じ人物を映すカメラ映像や、情報媒体に載ったと思しきスチルが並ぶ。次にはそこから目を離し、彼女のデスクの横に立つキサカを見て訊ねた。
「どの国に対しても関係者には慎重を期しているはずだ。そうやってちょろちょろ近くを現れてたってことは、人物としては問題がないんだろ」
「疑わしいところは確かにない。経歴も“まっとう”といえるだろう」
キサカが静かに答えた。声がふだんより幾分も沈んでいた。

ディスプレイに映された人物───ロマン・ジェリンスキ。

彼はアプリリウスフォーでキラのまえに現れ、挨拶をしただけですぐに去った、という。アスランがオーブへ到着するより早く、キラからオーブへその人物の照会を求める通信があった。すぐにキサカが個人情報を集めた。

C.E.43年生まれ、ユーラシア連邦ウクライナ地区出身のナチュラル。C.E.58年、家族とともに大洋州連合へ国籍を移している。国内の大学で経済学の修士を修め、その間に兵役の義務も終えた。動乱の続く時代を生きながらそのプロフィールは地味で、学生のあいだで盛り上がっていた反戦などの活動行為にも参加はしなかった。そのあとは商社に就職して二年で退職、起業してあっというまに成功し……という、典型的ともいえるビジネスエリートだ。実業家で投資家、経営に関わっている企業は、公にされているだけでも十社を下らない。各所でアナリストとしての活動もおこなっており、その才幹も評判がいいとのことだった。
「だが、」
いいかけると、アスランはようやく映されたロマンを見るのをやめ、キサカ、カガリにと順に視線を巡らせた。
「キラが危険な人間だと判断している」
「……………」
キサカは黙したままアスラン以上に難しい顔をしていた。国をまたいで調査を続けてきて、わずかにも引っかかりのなかった突然の“危険人物”に、自らの責任を感じているのだろうか。カガリはだが、それを責める気もない。敵など思わぬところにいるものだろう。
「なぁ、ブルーコスモスに接点はないのか? ここで、この頃でいちばん疑わしいあたりに繋がってればいっそのことすっきりするがな」
「……エヴァグリンか?」
キサカが応える。
「…いったんは別のラインと考えて調べよう。先入観があると目が曇る。まず大洋州連合へ渡ってみることにする。いいか、カガリ」
「もちろんだ。頼む」
頷くとキサカは部屋を出て行った。
私的だといわれようとなんだろうとキラの身に関わるようなことにはいくらでも人手を使えと彼にいってある。キサカはそれに逆らわない。キラに恩があるといい、国にもカガリにも必要な人間だといつだかいっていた。だからいくらでもいわれたとおり動くと。それが義理や義務感だけでいっているのかといえば、彼がそんな男ではないことをよく知っている。おそらく年の離れた弟か甥か、身近にわく愛情をキラにもっているのだと、カガリはそう理解している。だからこそ任せることもできるのだ。

キサカを見送って残ったアスランが、何歩かカガリの机に寄ると正面から神妙な顔をしていった。
「すまない、カガリ。少しでもキラの傍を離れるべきではなかった」
確かに彼には、キラと一緒にいろといった覚えがあるし、そのために必要があるならと代表権限を利用して各方面に無茶ぶりまでした。ただ、だからといって24時間365日べったりしていろとまではいってないし、いった意味合いとはズレている。
だいたい、そんなのは無理な話だ。今だとて必要があってアスランはここ──地上オーブにもどっているというのに。
「ちゃんと護衛をつけて出たといってたぞ。シンも連れてったってさ。……おまえ、もどってからキラにいちいち小言をいうなよ?」
「何がだ」
案の定、図星を指されたという顔をしている。カガリは惚けようとする彼を許さなかった。
「勝手に出歩くなとか何とか、心配の裏っ返しでキラを叱りつけるのは目に見えてるんだよ」
「…そんなことは……」
「いいぞ、入れてくれ」
抗議しようとするアスランを無視し、デスクのインターフォンで秘書官に声をかける。ほどなくして、ミリアリア・ハウが入室してきた。
「ハァイ、アスラン。久しぶりね。キラは元気?」
「ミリアリア」
「キラは元気だぞ。今こいつにキラの話をさせないでくれ。うっとうしいからな」
アスランはまた何かをいいたげにしたが、それも無視をした。ミリアリアが笑って肩をすくめる。
「待たせてすまなかったミリアリア。頼む」
そういってカガリは立ち上がってデスクを回り込み、その手前にある応接にふたりを促し、自らもそこへ座った。
そもそもがアスランがオーブへもどった理由は、エヴァグリンに関する情報を交換するためにあった。ミリアリアがこれから話す過去の情報から、何かが導き出せないかというものだった。

ミリアリアは第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦からのち、アークエンジェルを降りて戦場カメラマンとして数年を活躍していた。ただし取材の先は戦地にとどまることなく、彼女が興味をひくものに幅を広げることもあったようだ。そのなかでも外せなかったのは、ブルーコスモスについての動向だった。いや、かつての混乱は彼らとコーディネイターとの対立戦争だったのだから、その仕事に外れたことでもなかったかもしれないのだが。
彼女はその一環で、設立間もない頃にエヴァグリンを取材していた。どうやら新興のブルーコスモス組織には手当たり次第にしてきたらしい。
彼女は持ち込んだ多数のデータディスクをぱらぱらとセンターテーブルに広げ、「おみやげ」といって、アスランに目配せした。
「ずいぶんあるんだな」
「関係なさそうなことも全部そろえたの。わたしじゃ気がつかない何かに、あなたやキラが気がつくかもしれないでしょう」
「……ありがとう。助かる」
「まぁ、ほとんどキサカさんも把握してるようなことでしょうけどね」
彼女の謙遜に、カガリは「いや」と異論した。
「ミリアリアは当事者や関係者を、“取材”して民間の視点で見てきたのだから。キサカみたいな情報機関の人間とはまた違った意見もあるだろう。キサカもぜひきみに聞くべきだといっていたんだ」
「そこまでいってもらえると嬉しいわね。エヴァグリンについては、ここ一年ほどであまりよくない話に絡んでくることが増えてたから、実はとくに気にして情報を集めることにしてたの」
ミリアリアはそういって、その場で説明に使うためのノートを開いた。

「じゃ…あらためてエヴァグリンのことを解説するね。設立はC.E.71年。代表者は、レナード・ヘッカーリングという人物。メディアでよく見る人ね。代表といってもトップではなくて、シンボル的な存在みたい。創設者が別にいて、実質はその人がトップで中心ていうことみたいなんだけど」
カガリは組織の細かいことまで把握していなかった。そのトップがどこのどういう人間なのかを訊ねる。
「素性は公表されてないのよね。本名不明、性別・年齢・人種などの個人情報も一切不明。もちろん人前に出てくることもなくて、実際には存在していないんじゃないかって噂もあるくらい…」
すでに怪しげだ。素直にそう思った。
「この人物については?」
アスランがノートに映されたヘッカーリングのスチルを示して訊いた。
「このひとも得体が知れないのは確かではあるけど、なんていうか、昔あったっていう“宗教団体の教祖”っぽい感じ。自分は“創主”の代弁者で───設立者を創主と呼んでいるんだけど、講義ではいっつも『創主のおことばを伝える』で始まるのよね」
「なんかもう、胡散くさいなー!」
ミリアリアはカガリのことばに笑って同意し、続けた。
「まぁ、そこはね。でも表面的には組織活動は真面目で堅実な印象。宇宙空間でコーディネイターに頼らない枠組みの取り組みと提言とか。これがそのリスト」
そういってテーブルに広げたディスクのひとつを指した。
「唯一過激なのは、コーディネイターとの混血禁止デモかな。オーブでもよくやってるけど」
「……だが、テロ行為の逮捕者でエヴァグリンの構成員が増えているとも聞いている。国外からの流入者で占められていて、組織関与を示す確実な証拠を掴むのは難しい、ということらしいが」
アスランのいう通りだった。オーブは中立国という理由で、もとよりブルーコスモスの標的になりやすい。たちのわるいことには、国民に過激な主義者が多いということではなく、外からやってきた主義者たちがオーブ人のふりをしてオーブ内でいらぬ騒ぎを起こすわけだ。年々増加するそれらの活動に、エヴァグリンに関連する人間が中心にたびたびいることは、事件増加の比率以上に増えているようだった。
カガリは腕を組んで唸った。
「どれもこれも組織声明じゃ関与を否定してきてるんだ。今のところ、逮捕者については情報開示にも協力的だっていうし。まぁ国外の人間だから、こっちじゃどうしようもない話にしかならんのだけどな」
「捕まえられたところでメンバーはずっと増え続けているもの。尻尾切り要員がいくらでもいるんでしょうね」
彼らが難しいのは、まさにそこだった。個々人のみならず、企業など団体で支援者・賛同者としているところが多くあるが、いずれもそれらが問題を起こしても知らぬ存ぜぬ、個人の、団体の一存でしょうといわれて終わりだ。
「そこは重箱の角をつつくようにしてくしかないかな、とは思うのね。それでね、」
ミリアリアはまたテーブルのディスクを掻き回して、「いやなもの見つけちゃって」といいながら、探し当てたそのひとつを示した。
「エヴァグリンじゃなくてシードコードの資料なんだけど」
「え?」
カガリとアスランが同時に声をあげた。
「東ユーラシアからの協賛企業のひとつに大手の医療機器メーカーがあるんだけど、戦時中、工場のひとつで軍需企業の委託生産を請け負ってたっていう黒い噂があったらしいの」
「……ユーラシア?」
さっきもなんかちらっと聞いたなアスラン、とカガリは顔を向けた。彼は目で頷いた。
「戦争の混乱で真実は闇の中だけど、モノフェーズ光波技術で使われているライセンスのひとつをこの会社が持ってるっていうのが、その噂の元なわけ」
「───あ…」
ふたりはまた同時に声をあげた。
───ハイペリオン。
「…そうか……ユーラシアだもんな。噂は事実なんだろ、そりゃ。戦時下なんかよくある話だ」
ミリアリアはそして意味ありげに微笑んで、これが最後だけど、といった。
「あとね。エヴァグリンは大西洋連邦がずっと中心拠点になってて知ってる人も少ないんだけど、わたしが取材した当時の、つまり設立当初の拠点は元ユーラシア連邦のウクライナ」
「……………」
「……ロマン・ジェリンスキ」
カガリとアスランは再び顔を見合わせた。カガリがつぶやいた名に、彼の話を知らないミリアリアは「誰?」と問う。彼女は、アルテラ事変に関わったハイペリオンに着目をしただけだった。
「ただの偶然かも知れないが。キサカ一佐には大洋州連合じゃなく、東ユーラシアから調べてもらったほうがいい」
「ああそうだな…伝えておく」
カガリが応えるとアスランは立ち上がり、ミリアリアの「みやげ」を制服のポケットに収めた。
「ありがとう、ミリアリア」
彼女にもう一度礼をいって、退室しようとドアへ向かう。
「アスラン、次はキラも連れてこいよ」
カガリが背中に声をかけると「できるだけそうする」と応えて出ていった。

「相変わらず慌ただしいのね、彼」
ミリアリアの感想に、まぁ早く帰りたいんだろ、キラのところに……といいかけて止める。カガリはキラから直接聞いて彼らの関係を知っているが、オープンなことなのかは定かではない。親しい仲間でも余計なことはうっかりいうまい、と思ったのだが。
「ま。キラのところに早く帰りたいんでしょうね」
「………なんだ。知ってたのか、ミリアリア」
「え?」
一瞬というには長めの時間、ミリアリアはきょとんとした顔をしてカガリをじっと見た。
「…知ってるって…キラとアスランのこと?」
ああ、と頷く。
「具体的には何も知らないけど、見てれば判るじゃない」
「うーん……そうか…」
「それとも、具体的にご存知なの代表?」
「いやー、それは……だなー」
ごまかそうと思ったが、すでに白状したも同じだった。


C.E.75 10 Feb

Scene 地球低軌道・インフィニットジャスティス

地球の大気圏を離脱し、インフィニットジャスティスからブースターを切り離すと、アスランはそのコントロールを地上のオーブ宇宙管制センターへ渡した。センターの受信を確認すると、まずの一仕事に息を吐く。ここからザフトのステーションまでまる一日半の孤独な航行。まもなく近づくデブリ帯はマニュアルで対応する必要があるが、そこをやり過ごせば基本的にはジャスティスの自動操縦だけで頑張ってくれる。
気が急いてはいたが、カガリにも窘められ、ヤマト夫妻と過ごす時間も少しだが取ってきた。キラの様子を訊かれ「元気です」としかいえないことにずいぶんな歯がゆさを感じたが。
元気──健康体であることは事実だが、実際のところキラの周囲は落ち着く気配がなく、そのことが悩ましい。
───こんなこと、長くは続けさせられない。
キラは心理的な圧力や攻撃に本当は弱い、とアスランは思っていた。大胆な振る舞いを続ける彼に周囲はそう思っていないかもしれないが、素は繊細だということを長いつきあいのなかで知っている。おまけに、他人に対して容易に壁をつくるようになってしまった。見た目には判りにくい、心にほんの小さな距離を感じさせるような壁を。それはまさに自身を守るための防壁だと思っているのだが。
そのことにアスランは先の大戦中、プラントからキラのもとにもどって以降、薄々と気がついていた。アスランに対してもその態度が同じだったから。
どんなに心を砕いて口説いても、伝わってはいるはずなのに、キラの心を覆う薄い膜のようなものが取り払えない。恋人の関係になり、アスランにすっかり身体を預けるようになってもそれは変わらない。
キラ自身にその自覚はあるのだろうか。それもアスランにはよく判らない。
───このままだとおれも自信をなくすな…。
三年は続いている奮闘を思って難しい顔のまま、操縦桿を握り直した。光学モニターにデブリの群れが見えている。

その途端、アラートが何かの接近を告げてけたたましく鳴り響いた。
「───?」
PAレーダースコープを確認すると、自機の位置を示す中央にふたつの光点が高速で近づきつつある。熱源の規模はモビルスーツのようだが、“彼我不明機アンノウン”を示していた。ザフト、オーブ軍のデータベースにない機体だ。
「IFF反応なし……艦影もなし。モビルスーツだけでうろつくような宙域じゃないだろう…」
アスランは自分を棚にあげてつぶやく。
「どこかの国の試験航行か? フライト情報はないようだが……」
短距離指向性のレーザー通信を向けて、接近する彼らに声をかけてみるがこれも応答がない。光学映像で視認できる距離になると、それを見たアスランは戦慄した。

───ハイペリオンか!

アルテラでボルテールを急襲した機体とはまた異なっているが、同系統であることは間違いない。同じ正体とも知れないが、この状況で彼らが何をしに現れたかなど、容易に予測がついた。それを裏切らず二機のハイペリオンからロックオンがかかる。
「くそっ」
アスランは素早くジャスティスを旋回させて“敵機”に掃射のタイミングを逸らせる。しかし、反応よく彼らは左肩部に備えたグレネードランチャーから連射した。ジャスティスは旋回を繰り返しながら弾のいくつかは高機動で躱し、残りはビームライフルで撃ち落とす。だが、彼らは懲りずにジャスティスに向けて次から次へと雨のように撃ってきた。
「何者なんだ!?」
いらえがないことを判りつつ叫ぶ。正体を知るために、できればパイロットを生かしたまま捕らえたい。だが相手の操縦を見れば、かなりの技量を持つ者であることが判る。それを二機相手にしては、アスランも手加減する余裕などなかった。
ハイペリオンは左右に分かれて腰部の高出力ビームサーベルを抜き放ち、ジャスティスを挟み撃ちにしてきた。
今までに見ない長大なブレードにほんの一瞬間合いを見損なう。だが、アスランは勘働きでそれをすれすれに躱した。二機目のハイペリオンに、避けた姿勢から流れるように回転して脚部のグリフォンビームブレードを食らわせる。サーベルを持つ左腕が砕けて爆発した。間も置かずに、回転しながら手にしたビームサーベルを今度はサブマシンガンを持つ相手の右腕に振りおろし、直後にジャスティスは一機目のハイペリオンへ突進する。その背後でサーベルに分断されたハイペリオンの右腕が吹き飛ぶ。
そこまではまさに一瞬の動きだった。敵機のパイロットはそのスピードに目を剥いているに違いない。
ハイペリオンはモノフェーズ光波防御シールドを展開されると厄介だった。ふつうであれば、中距離を保ってシールドを展開しつつ戦闘をおこなうのがこの機体の有効な使い方だ。さいわいにも向こうからこちらに近づいてきたおかげで、近接戦闘を得意とするアスランのペースとなっていた。
しかし、突進した一機目のハイペリオンは寸でのところでその光波シールドを展開する。
「───ちッ!」
アスランは咄嗟にジャスティスのシールドを前方に突き出した。同じ光波防御システムの盾と盾がぶつかり合い、その衝撃に双方が跳ね飛ばされた。
姿勢を制御すると、効力がないと知りつつライフルを構える。だが、二機のハイペリオンはそのままもときた方向へ去ろうとしていた。
───どうする、追うべきか…?
アスランはだが、迷いの一瞬後に決断して深追いをやめる。今は一刻も早くキラのところへもどることが最優先に思ったのだ。
シールドを展開したハイペリオンは、両碗を削がれたもう一機をシールドの内に保護してスラスターを最大出力にふかした。ジャスティスを警戒したまま遠ざかっていく。アスランはその姿を見ながらつぶやいた。
「……何故地球の機体に……」
機体の動きを見れば、それがナチュラル向けのものではなくコーディネイター用のオペレーションシステムが搭載されていると判る。そのうえで、高いレベルでの操縦技術は、搭乗者がコーディネイター、あるいはエクステンデットであることを表していた。


C.E.75 12 Feb

Scene L5軍事ステーション・デーベライナー

「おまえ本当に自分の立場が解っていないな?!」
「あーっもう、うるっさい!」
艦の作戦指揮官二名があたりはばからず、怒鳴り合いながら艦橋脇の作戦室から出てきた。キラとアスランはそのまま口げんかをわあわあと続けながら、艦橋を素通りして出ていく。
アーサー・トラインはじめ、ブリッジクルーは呆れながらそれを見送った。ドアが閉まると、アーサーはため息混じりに「まだ若いんですねぇ」と苦笑する。と、同時に艦橋のドアがふたたび開く。
不機嫌もあらわなキラが無言で室内にもどり、艦橋中央の隊長席にどっかりと座った。アスランはその背後から腕組みをしてキラを睨んでいる。
「アーサー、フライトチェック」
「ア、アイ、ヤマト隊長……?」
ふたりの雰囲気にのまれて困惑気味に返事をする。キラは席の通信コンソールを操作して全艦放送をはじめた。
「……こちらキラ・ヤマト、」
「“キャプテン”といえ」
「───こちらキャプテン、キラ・ヤマトッ」
努めて平静な声を装っているようだったキラだが、アスランの細かい手順指摘であからさまに荒い声音になった。こんなに判りやすく変わるキラを、アーサーは初めて見るかもしれない。
「今からヤマト隊は、ユニウスワンへ“血のバレンタイン”追悼式の警護任務に向かう。オールデッキ発進準備。───これで満足した?!」
「当然だ」
通信スイッチを切るなり背後を振り返り、キラはアスランに怒鳴りつける。アスランはそれを冷ややかに受け流したが。アーサーはそのまえに受けた指示実行も忘れ、はらはらとふたりを見守っていた。キラがくるりとそんな彼に向き直る。
「アーサー、あとお願いしていいですか?」
「……了解であります、隊長」
アーサーにかけた口調はいくらか普段どおりにもどしたが、キラはすぐにむっつりとして椅子を降り、そのまま無言でふたたび出口に向かった。アスランが遅れずそのあとを追っていく。
「……………」
「けんかばかりされていますね」
口をぱかりと開けたままになっていたアーサーは、声をかけられてはっと我に返った。アーサーが立つ傍にいた操舵士が、おろついている艦長を気の毒そうに見ながら「フライトチェック、終わってますよ」といった。彼がすすめてくれたようだった。
「あー…いやぁ、すまんすまん……」
アーサーは艦長席に落ち着きながら「なかなか刺激的な艦だね」と空笑いした。

『繋留アーム、解除オーケー。管制指示オールクリア』
『外部慣性制御外せ。スラスター点火。──デーベライナー発進』
操舵士とアーサーのオペレーションが艦内に流れている。通路を進むふたりは、艦橋を出てからは口を閉ざしたきりになって、デーベライナーの発進シークエンスを聞いていた。だがその表情は冷めない苛立ちで双方ともに険しいままだ。すれ違う兵のうち勘のよい者は、ふたりに礼をしたあと、去っていく彼らの背中をちらりと見た。それだけ険悪な雰囲気を纏っていた。
「どこへ行くんだ」
指揮官室のある第三デッキへ向かっていると思っていたアスランは、キラがエレベータで第二デッキのボタンを押したのを見てそういった。
「食堂。きみ食べてないんじゃないの、まる一日くらい」
だから苛ついてるんでしょ、と続けていった。
「関係ない。……苛ついてもいない。おまえが、」
「もう判ったから、アスラン」
到着を知らせる「ポン」という軽快な音が鳴ったと同時に、アスランの手がエレベータの停止ボタンを押した。エレベータはそのままがくりと止まり、キラは怪訝な視線をアスランに投げかける。しかし彼は何もいわず、こわばった表情でじっとキラを見おろしていた。さきほどまでの苛ついた様子は消えているが、上機嫌でもないことは確かだった。
「だから、ごめん」
キラとしては、護衛官をつけシンも連れての外出が迂闊な行為だったとは露ほども思ってはいない。けれど結果としてアスランを心配させたことは判っているので、キラはそのことを謝った。
アスランにしても、どちらかといえばキラの外出を問題にしているのではなく、目が届かないあいだに起きることに対して、自身に抜かりがあったと憤っている。
「おれがいないあいだくらい、おとなしくしててくれてもいいだろう」
困ったように眉根をよせていうアスランを見て、キラが唐突に声を出して笑った。
「なんかきみさ。昨日見たドラマと同じ台詞いったよ、今」
「ドラマ?…そんなもの見てたのか」
「暇だったんだもん。昼メロ。浮気症の恋人におんなじこといってた、主役の女が」
「……っ、なんだよそれは」
大笑いしながらキラは停止ボタンを解除する。エレベータのドアがすぐに開いた。先へ出るキラに「くだらないものを見てるなよ」と不満をいいつつ、アスランがそのあとを追った。

食堂に着いたふたりは、その一画に備えつけてある軽食用の自動給仕機に向かった。朝食の時間帯には早すぎるため厨房に人影はなく、広い食堂内にもふたりばかり見かけるだけだ。アスランは給仕機からサンドイッチをワンセット取り、キラはコーヒーボトルをふたり分手にして手近な席に並んで座った。
「ユニウスに着くまで仮眠もしておいたら? 睡眠もずっととってないでしょ」
久しぶりの食事に感動もなく黙々とサンドイッチをつまむアスランを見つめながら、優しい声でキラがいった。双方の雰囲気はすでに穏やかになっていた。
「いや、少しは寝てるし……大丈夫だ」
気遣うキラに微かな笑顔を表してアスランは答える。その柔らかな笑みを受け取りながらも、少し沈んだ声音でキラは本音をいった。
「……ぼくだって、ぞっとしたよ。襲撃されたなんて……」
ジャスティスを操るアスランが無敵なのは知っているが、それでも予想しなかった報告を受けてキラは身震いした。
いまだ正体のぼんやりとした敵は、このデーベライナーに緊急で着任したにも関わらず、ジャスティス──アスランも含めてターゲットと認めているのだ。こちらはよく判らないことばかりなのに、敵はおそらくこちらをよく知っている。その敵はエヴァグリンと定めていいのか、もしくは別なのか、複数いるのか、ロマンは何者なのか、一度に押し寄せたできごとに混乱しかかっていた。
「敵はミラージュコロイドを装備した戦艦も持ってる」
コーヒーをひとくち飲んでから、アスランがそうぽつりとつぶやく。その横顔は、さきほどもどった穏やかな様子がまた消えていた。
「おそらく近くに隠していただろう。モビルスーツだけでそうそううろつくものでもない。それに引き際を見ても、あれは試験運用を兼ねてる───ふざけた話だ」
刺々しく嗤笑して顔を俯けた。
キラも、アスランに向けていた視線をカップに落とし、まもなくおこなわれるイベントを心配していた。
14日は“血のバレンタイン”の追悼慰霊式典がある。プラントの要人や地球各国の代表などが、ユニウスワンの会場に集まるのだ。これまで現れた敵が同一であるならば、またもや奇襲などのテロ行為で注目を得ようとするのは想像の範囲だ。もとより、かなり厳重な警戒が敷かれることになってはいるが、これで少しの油断も考えられなくなった。
───本国に追加配備を進言しよう。アスランが式典に出ないとかいいだすまえに。
このイベントで、デーベライナーもユニウスの警戒配備となっていたが、遺族のアスランは式典への参加が認められている。各隊隊長は任意となっているので、キラも同行するつもりだった。
「……アスランは、とにかくもう休んで。報告はぼくが出しておく」
「すまない」
キラは、アスランの左目をわずかに隠す前髪をそっとはらった。続いた緊張と寝不足でなのか、指に触れた額が冷えていた。


C.E.75 14 Feb

Scene ユニウスワン・追悼式典会場

広々とひらけた視界に入ってくるものは、真っ直ぐに伸びる一本の四角柱。白いその棟は、地面近くで末広がりのなだらかな曲線を描き、巨木が大地へ根を延ばしているようにも見える。
棟の先端にある大きな鐘が時間を表して鳴り響いた。
“血のバレンタイン”で亡くなった人々の家族や親族、あるいは仲間といった者たちが一堂に会す今日ばかりは、後ろを振り返り泣くことを許される。人々は棟に向かい黙祷し、還らない命を悼んだ。

昨年は戦乱の最中にあって、追悼式典の会場となったこのユニウスワンまで訪れることができなかった者も多かった。アスランもそのひとりだ。アークエンジェルとともにコペルニクスにいた頃で、式典を映すテレビの映像でこの光景を見ていた。
その前年もそのまえも、プラントへは容易に行けない身にあり、さらにその前年はやはり大戦中にあって、追悼式に参加したことは今日まで一度もなかった。
アスランも鐘に合わせそっと睫を伏せると、心の中で今日までの不義理を母に詫び、ただひたすらに彼女の死を悼む。ふだんは優しく思い出される過去のさまざまなことも、今このときは心の痛みが伴った。

───この悲劇を繰り返さぬ。

父パトリックをはじめ、各国の為政者が口々にいったものだが、そういう者らの手にもよって、血のバレンタイン以降も殺戮は重ねられている。この痛みと現実を決して忘れてはならない。
───ここにいる誰もが、そう思っているはずなのに。
世界はアスランの望むように動いてなどいなかった。コペルニクスでのキラとの平和な生活を忘れ、復讐のために入隊した過去のある彼が、そうして怒りに掻き立てられることを知っている者が、どうやってその他者の同じ怒りを鎮めることができようか。理解できるからこそ難しく、それができた試しもない。
だが、諦めてはならないということだけは判っている。イザークの勧めるようにプラントへ正式にもどり、政治に関わり、国を変え、関係する国にも影響を与えていく。彼はそれがもっともな手段だといい、アスランにそうするだけの力があるといってもくれる。だが、アスランには───。
アスランが彼の右隣を窺うと、傍らのキラは真っ白な慰霊塔を見つめていた。オーブで迎えたこの日の二度とも、アスランは近くの浜辺で黙祷を捧げてきたが、いつも傍らには彼がいて、同じように水平線の向こうを見つめていた。母を亡くした痛みも虚しさも、黙ってつき添う彼の存在に慰められたように思う。今年もキラが傍にいることに感謝を捧げ、その気持ちを伝えようと微かに触れていただけのキラの手を握った。見上げてきた彼の目は少し潤んでいたけれど、何かを思う力強い色もたたえている。アスランはその見つめる瞳に勇気づけられた。
アスランには、キラの傍らを離れることがもう考えられない。何かを成すべきだというのなら、彼の横でそれを成したい。彼がなくてはもう何も行動することもできないと思うのだ。

追悼式が終わると三々五々に人が散らばり、無秩序に動く波に少しばかり翻弄されそうになる。アスランは握ったままのキラの手を放さないように引き寄せて肩に腕を回した。
「うわっ」
強引にその細い身体を振り回したので、驚いたキラが声をあげた。
「…ごめん」
乱暴にしたことを謝る。ザフト関係者だけで固まったこのあたりといえども、各方面から人が集まるこうしたイベントの中では警戒が必要だった。できるだけ早く人に揉まれる状態から逃れようとする。人の流れの脇に避けると、護衛官が彼らを見つけてすぐに寄ってきた。
「キラ、艦にもどろう」
「…え、いいの?」
このあとには追悼慰霊のイベントが引き続き催される。アスランは返事をするまえにキラを促しながら歩き出した。
「ソトの状況のほうが気になる」
それに、とアスランは続ける。
その視線の先には、ごく最近、データで目に焼きつけた人物がひとり立っていた。
キラもすぐに気がついたようで、肩に添えていた手にほんのわずか、びくりとした震えを伝えた。
「………ロマン・ジェリンスキ。……どうしてこんなところに…」
キラがほぼ口の中だけでつぶやいたことばを、アスランはしっかりと耳にしていた。
ロマンはあきらかにこちらを見ていて、愉快とも思えない印象の微笑みを向ける。次にはこんにちは、と、声もかけてきた。アスランとキラは歩みを止めて距離をとった。それを構いもせずに、彼は自分の用件を一方的に告げる。

「今日は、キラ・ヤマトくんに話があって、きました」


C.E.75 14 Feb

Scene ユニウスワン・ターミナルラウンジ

「失礼ながら、所持品の検査はさせていただきます」
アスランは護衛官にロマンの身体検査を命じた。ロマンはそれを不快に表さず、検査機を手にした護衛官が近づくとリラックスして両手をあげる。

「かまいませんよ。必要でしょう。シードコード第一の披検体と話すには」

得体の知れない男は、すべてを知っているとでもいいたげに、非公開にされているそのひとつをさらりと告げる。キラの表情が険しくなった。

キラは、彼と話す、といったのだった。
アスランはそれを受けて、シャフトタワー内のターミナルビルにあるVIP専用の個室ラウンジを手配した。キラの決意に同意したものの、ロマンを直接目の前にしてわずかに逡巡する。彼の纏う空気はプロフィールにあった“ただのビジネスマン”ではない。身のこなしも隙がなく、殺気を知る者がもつ鋭さがあった。

手間を経て貴賓室に入ると急に静けさが広がった。軍靴の音も吸収する厚手のカーペットが設えられているせいだろう。
キラは、ロマンにひとり掛けソファのひとつをすすめると、その向かいのひとつに座った。アスランはキラの傍らに立ち、ふたりの様子を黙って見守った。護衛官は部屋の外で待機させたままにしている。どんな話になるのか、予測がつかなかったからだ。
「ジェリンスキさん。申し訳ありませんが、軍務がありますのでそれほど時間はとれません」
ロマンはキラの断りを聞いて、もの解りよさそうに軽く頷いた。
「お話というのは、シードコードに関することですか」
切り出すと、ロマンは「それよりも、まず」と返す。
「わたしが知っているということを、話さなくてはね」
「知っている、こと?」
キラの問いにロマンはくすりと笑う。
「たとえば、さきほどのような?」
アスランが先をとって訊ねると、「そう、いろいろな」とつぶやいて一度目を伏せた。
「……あなたは…、ガルシア元アルテミス司令をご存じですね」
突然問うたアスランをキラは訝しげに見あげる。彼に目配せし、すぐロマンに視線をもどした。同じようにキラもロマンを見る。
「そうだよ」
あっさりとした回答にキラが押し黙る。知らなかったのだろう。アスランも事実として知っていたわけではない。もっている情報からの結論だ。ジェラード・ガルシアがエヴァグリンと繋がっていることはキサカの報告で知っていた。そして、彼らが知り合いだということは、つまり。
「キックオフの会場にヤマトくんがいると教えてくれたのは、彼だ。ガルシアとはそう長いつきあいではないが、互いの情報はよく共有している。それでまぁ、いろいろとね……」
───キラが“どういう存在であるか”、ほかにも「知っている」といいたいのか。
やはりロマンもエヴァグリンと繋がりがあるとの確信が芽生える。狙いがキラであることは明白だ。───が、その生命かと問われればアスランは腑に落ちない。かつてジェラードが考えたように「利用」───か……。
アスランは真意を探るようにロマンを見つめる。彼は、その隠している鋭さを抜きにすれば表面上には品のある物腰だった。ビジネスの世界で長らくトップを走っていたことも偽りではないのだろうと判る。ロマンはそのプロフィールらしく、駆け引きをキラに持ちかけるつもりかもしれない。
ふたりがそれぞれに黙してロマンを見つめたままでいると、彼は「わたしはきみ自身が知らない、きみのことも知っているんだよ」といった。
「きみは自分の母親を見たことがあるかい?」
続いた突然の質問にキラがびくりと反応する。
「きみは、面影がよく似ている。ヴィア・ヒビキに」
「…ぼくの母は、カリダ・ヤマトです」
「フィジカルデータを改竄された書類上での、だろう」
「……………」
キラは、肘掛けに乗せていた両手を強く握った。アスランはその様子を横目に見る。
───落ち着け、キラ……。
彼の生い立ちについては、もとより各所へ漏れていたのだ。アスランは何度かそれを思い知らされていたが、都度キラに話すことはなかった。
禁忌だと思うからだ。三年前の、アスラン自身も知ったあの日から。
だから、キラがそのことについて───自身の生い立ちについて何を考えているのか、どう思っているのか、とくに感情の面での彼の思いを、アスランは彼に訊いたことがなかった。それを聞く権利があるのは関係しているムウやカガリだけで、立ち入ってはならない問題だとアスランは考えていた。
それがこの場で裏目にでたことを知り臍を噛む。キラはあきらかに動揺していた。
「そう、育ての“親”ともいうだろうね。でも遺伝子を直接継いでいるのはヴィアとユーレンから、だ。……いや、あまり直接…ともいい難い」
「……何をいっているんです」
「きみは、複雑な設計デザインで生まれたコーディネイターだといっているんだよ」
「何を仰りたいのか、よく、判りません」
「つまり───親近感をもっている、といいたいんだ」
視界の端にあるキラの肩が震える。アスランもそこに含まれた意味に気づいてロマンを瞠目して見た。
彼は、ラウ、レイのように。メンデルでの開発のなかから生を受けた者。それを匂わせたのだ。
「今日は腹を割って話をしたいんだ。そのためにわたしの秘密も打ち明ける」
そういってからロマンはアスランにひたと視線を向けた。
「貴国の情報部も知らないことだ。わたしの身元をいくら調査したところで判らないと、そちらのキサカくんに伝えてくれ。最近やたらとうるさいんでね」
ロマンはキラに目をもどすと、組んでいた足を組み替える。
「わたしの本当の名はロマン・ジェリンスキではない。……生まれてからもらった名はIDだけだった……」
そこで一度ことばを区切ると、ロマンは皮肉っぽい微笑みを表し、
「わたしはきみと同じメンデルで生まれた。戦闘用コーディネイターとして」
と、いった。

戦闘用コーディネイターは、当時のプラント理事国が兵器として開発した特殊なコーディネイターだ。その名の通り、戦闘能力に向けた遺伝子操作が施されており、試作期よりあとの開発ではさらに服従性行動を操作され、まさに兵器として人の扱いを受けずに誕生した者たちである。
ブルーコスモス勢力の台頭とともにその開発は中止され、ブーステッドマンなど強化人間の開発にシフトした結果、無残にも彼らは大半が“処分”されることになったと聞く。しかし戦後再び地球の旧勢力で、秘密裏にその開発気運が高まりはじめたという状況もあった。
彼らはさらに、人権上の問題から当然、公に語られる存在ではない。国、軍部でもそれを「事実」として把握しているのは上層部と一部の者たちだけだ。一般兵のなかでは「そんな噂が」ていどの認識で、それを憶測で語ることは禁じられていた。アスランは父パトリックを通じて知識しており、キラにはアスランが戦時中に教えた。敵対する勢力のなかにパイロットとして現れる脅威が少なからずあったからで、その戦闘力の高さについて警戒を促すためだった。

「初めて見るかい。“戦闘用”というのは」

ふたりの沈黙をどう受け取ったのか、ロマンは憫笑していった。彼が嘘をいっているとは思えない。そうする理由もないだろう。
「見た目にはまったく判らないだろう。持てる能力を発揮せず、フィジカルデータを改竄すれば、ナチュラルを名乗って生きていくことも可能だ」
地球上の各国内でも、コーディネイターであることを隠して生活している者が多数存在していることも、知識としては知っている。もしかしたら、知らないだけで、身近にもそんな人間がいるかもしれない。
そして、確かにオーブの調査で知り得たなかからは、その偽りの出生はもとより、ロマンがナチュラルであることを疑うものが何もなかった。若くして複数の企業を経営する有能な実業家ではあるが、それはコーディネイターでなければ成せない偉業というわけではない。
「“ふつう”にしていれば、コーディネイターとナチュラルとの差異など実際には瑣末なことだから、それもできる。いわゆる一般的なコーディネイターの設計自体がそのレベルであったのだし、または技術の点においても、自然に生まれることでの偶然性と何ら変わらない、設計通りに誕生しない事実があったのだから」
ロマンの講釈が続く。キラからは口を挟む余裕も感じられない。その理由はアスランにも判る。何故なら、ロマンはエヴァグリン、ブルーコスモスの疑いがあるからだ。彼がコーディネイターであるならば。では、彼はキラに何を───?
「……だからこそ、きみとわたしのような者たちは、そこが本質的に異なるということが判るだろう。“ただのコーディネイター”と同じであるはずがない」
「……………」
キラは沈黙したままロマンを見ていた。
───これはよくない話だ。キラには。
キラの孤独を煽り自分に引き寄せようという思惑が見て取れる。キラがそれに気がつかないはずはない。だが。
「が、親近感をもっているのは、ヤマトくん」
ロマンの話には続きがあった。
「我々の生まれの特殊性だけではない。きみがSEEDに着目した慧眼にこそだ」
意図が読めなくなったロマンを注視する。キラからも戸惑う雰囲気を、アスランは感じていた。
「あなた……機構に…関わってるって、いってましたね」
訊くべきことを思い出したように、キラが乾いた声をだす。キックオフ・ミーティングに参加していたことは、自身で語ったことからも判っている。あの場にいた、というだけでただの関わりではないことの証左だ。このまま彼を関わらせておくことに危険を感じる。が、そのあとは思わぬ展開になった。
「そう、大洋州連合の政府と、公にはしていないが、その他にもいくつかの国と企業の出資に協力しているよ。だが申し訳ない。近々それらはSEED研究開発機構から手を引く予定だ」
「───え…?」
「SEED研究に関する他の出資先ができるからね」
「…他の…?」
腰をあげかけたキラの肩を抑える。アスランを振り仰いだキラに、彼は答えた。
「動きがあることは聞いている」
「……………」
プラントとオーブの発言力に反抗する勢力が、対抗する目論見のあることはマルキオからの情報にあった。それでも、親プラントの大洋州連合が離反することまではそこになかったはずだ。アスランはしまったと内心思ったが、平静を装ってロマンに問うた。
「仕組んだんでしょう。あなたが、かどうかは、判らないが」
そこまで告げてキラがはっとする。
「……アルテラ…ッ?!」
凝然とつぶやいたキラを見ながらロマンは黙っていた。その口元だけを薄笑みに歪ませて。
「どうして、そんなことを!!」
「……提唱者を引き入れたというだけで独占したつもりだったのか? あれはもう彼の手からすら放れた、人類全体の命題なんだよ。大小を問わなければ既存の関連研究機関などいくらでもあるし、これからもでてくるだろう。だから忠告をしておく。正直、コーディネイターにばかり都合のいい研究では困るんだ。人類の大多数を占めるナチュラルが喜ぶような話を、きみたちはいったいどのくらい用意できている?」
アスランとキラの問いには答えず、ロマンはキラを責めた。
「ぼくらがバイアスをかけてるっていうんですか?!」
「きみがザフトに出向までしてコーディネイターに限定した研究艦など作ったのがその証拠だろう」
「それは、コーディネイターに発現者が多いからで、」
「そうではないよ。知っているくせに。SEED因子は地球重力圏外での出生が関わっていると。母数が多いだけということをきみたちは隠している」
「それは……! 違います!」
正直、痛いところを突かれていた。隠していたわけではなく、公表するだけのデータがまだ充分ではなかったのだ。ロマンのいっていることは真実で、キラがいっていることも詭弁ではなく、彼が事を成しやすい道を選んで進んできただけのことだった。
「ぼくは───コーディネイターのためだけの研究をしたいわけではありません!」
「そうか。では、気がついただろう。きみは自分の思惑でものごとを動かしているつもりでも、実際には狡猾な周囲の掌のうえで踊っているだけだということに」
「……誰が、そんなことをしてるっていうんです?! プラントですか? コーディネイターがまたナチュラルに敵対するとでも?」
「───キラ」
アスランはキラを再度制した。コーディネイターとナチュラルの対立は難しい問題だ。キラが今、ザフトに身を置いている以上、軽々しくそれを口にしてはならない。
「メンデルを動かす理由にもなっているじゃないか。きみらはここへきてまだ、“量産”したいんだろうコーディネイターを。宇宙に対する人類の革新を隠れ蓑にしておきながら、いずれはそれを潰す気だ。自分たちの存在意義のためにね」
「そんなことプラントはしませんよ! SEEDとは別にコーディネイターがコーディネイターとして続くことを考えて、何がだめなんですか? あなたも…コーディネイターでしょう。どうしていずれ潰すだろうなんてこと、いうんです!」
不安の表れた声。キラは両の手に固く握りこぶしをつくって震わせていた。

「……では、訊こう。人を人とも思わず開発して造るなどという奢った行為。その結果としてのわたしが、その“製造”が続くことに反感を抱かないと、なぜ思う?」
ロマンはいいながらソファから静かに立ち上がった。

「わたしは、“青き清浄なる世界のために”に生きる者だよ。きみはどうなんだね?」

「……………」
キラは再びことばを失っていた。呼吸をしているのかも判らないほど静かになったまま───。そんなキラを一瞥し、ロマン・ジェリンスキ…と称する者が、部屋を出ていく。
「……だって…コーディネイター……なんでしょ?」
閉じた扉を見て、やっと声を発したキラ。だが声ともいえないほど小さく、吐息と変わらないような音だった。
ブルーコスモスにコーディネイターがいないわけではなかった。いずれも彼のように自分の出自への嫌悪を露わにし、ナチュラルよりも過激になりがちだという事情も事実としてあった。もとより彼はそれを疑われ、疑った通りのことが、今この場で確信となった。だが。
「…そんな……アスラン…でも、ぼくは───」
キラはアスランに何かをいいかけたようで、だがそれきりまた黙ってしまった。
“親近感がある”という者の真意を知って、自分も同じだと、あるいは決して同じではないと。肯定か否定か、何かいい訳を口にしようとしたのではなかったのか。
アスランは訊かないままにしていたことを後悔していた。
彼がシードコードを始めたのは。そこへ駆り立てたのはなんだったのか、と。


C.E.75 17 Feb

Scene デーベライナー・“庭”

デーベライナーの第七デッキは艦に新鮮な食料と酸素を供給する植物プラントで占められているが、その一角に“庭”と呼ばれる区画がある。栽培区と文字通り地続きで、床は土を盛った上に芝生が張られ、中央や周縁は常緑の低木や小低木が所々に植えられている。見た目にはまったく公園のような場所だった。
つまるところ乗員の休憩エリアであって自由に使うことができる。日照時間に合わせて日の出、日の入りの光量が再現され、タイミングがよければ第六デッキに吹き抜けている天井と壁のホログラムがそれに合わせた空や森林の景色を映す。今のように、L5プラント内の港に碇泊しているときは常時のことだ。
プラントへもどってからというもの、キラはアスランとトリィを伴って“庭”で休憩することを日課にしていた。そこへ踏み入ると、靴底の裏に感じる柔らかな感触に休まる心地がする。キラはそれが好きだった。

ゲートを抜けてすぐ、トリィのスリープモードを解除する。目を覚まして動き出したトリィは周囲の環境を感知し、勝手にキラの手を離れていった。残されたふたりは“庭”の奥にあるベンチに並んで座った。
「……あそこ、シンがいるね」
何気なく見た周辺の向こう。離れたところの木陰に、無防備に寝転がって投げ出された足だけが見えていた。赤い制服でシンだと判る。アスランはキラの指摘にその場所を一瞥したが、それだけで何をいうこともなかった。
───シンはアスランに頭を下げただろうか。
それがあってもなくても、ふたりともキラに何もいうまい。キラが聞こうとしなければ。
「キラ、端末」
そういって急にアスランが差し出した右手は、キラがいつも持ち歩いている個人端末をよこせといっていた。
「……何する気?」
そういいながら警戒もなくそれをアスランに手渡す。部屋を出るときに彼が工具を手に持っていたから、トリィのメンテナンスをするものだと思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。
「個人情報を見る気はないから」
キラが気にしないことにアスランは断りをいれて、端末の外装カバーを外した。持参した自作風のチップを内部に取り付けている。いつのまにそんなものを作ったのかとキラはアスランの器用な手の動きを見てぼんやり思った。
「同じものをおれの端末にも取り付けてある。双方間で機能する測位システムだ」
つまり、これで互いの居所をいつでも確認できるということだろう。差し込んだフラッシュメディアからドライバをインストールしてキラに使い方を説明する。キラはおとなしく説明を聞いてはいたが、ずっと胡乱げなまなざしだった。
「きみ、そういうの得意だよね。トリィにもそういうの仕込んであるでしょ。なんか、ぼくの生体波とか受信するようなの」
「キラの声紋に反応してるだけだぞ、あれは」
「そんなはずない。L4うろついてた頃、なんかしたの知ってるんだからね」
アスランは少し嫌そうな顔をした。図星だったのかなと覗きこむと視線を外された。
「いったい、いつの話をしてるんだ」
「ごまかそうとしてる?」
「そうじゃない………そこまで高度な機能は無理だった……おまえ、おれのPCノートを黙って見ただろう?」
「……見てない…」
「設計は確かに考えた。無線でトリィに収まるほどの小型化は無理だったけど。見たんだろう、それを」
「知らない」
「……………」
藪蛇になった。キラの惚けは確実にアスランにばれている。それをキラが察していることまでばれている。だが、アスランはこの程度で怒らない。呆れているかもしれないが。キラは、何を思ってか黙りこんでしまったアスランに矛先を向けごまかそうとした。
「ストーカーっぽいなぁ。そこまでする必要がある?」
「あると思ってるからやってる。───嫌なのか?」
軽口で嫌に決まってるよといいかけて、やめた。手を止め、こちらを見ていたアスランのその表情で。
「……何をしても許してるよ。きみなら」
彼の硬い表情は少し変化したが、でも、少し、だけだった。アスランは再び視線を落として、手元の片付けにかかりはじめる。外装カバーを元にもどすと、小さなため息をひとつ、吐いた。こんな仕込みをすることで安心したわけでもあるまい。血のバレンタイン追悼式の日から、アスランはそれまでより一層キラの周辺を警戒するようになった。それに対して、もういい、ということもできない。彼の気の済むようにさせるしか手立てがなかった。
「キラ、ロマンのいったことは…」
「プラントのことは信じてるよ。心配しないで」
「……………」
あれから、ロマンをどうするか何度もふたりで話し合った。カガリとキサカにもすぐに情報を共有し、エヴァグリンとアルテラ事件に彼が関わっていたという証拠を、小さなことでもいいから見つけてほしいと伝え。もしも彼が本当に関わっているのなら、どんなことをしてでも捕らえなければならないと。そうアスランと決めた。
だが、キラはプラントにはロマンのことを報告しなかったのだ。前回も、シードコードの関係者と出会ったとしかレポートに出していなかった。プラント、エルスマン議長を疑っていないことは本当だったが、この問題を上にあげて手放しさせられて、他人ごとのように預けてしまうのは耐えられないのだ。アルテラ事件のように。
「きみのいいたいことは判ってるよ。でもカシム委員長だってまだあんなじゃない。変な騒ぎになって、変に疑われても困るし……。オーブにだって、カガリとかキサカさんたちにしか、話せない。……だって、あのひと……なんだか…」
もうひとつの理由はキラ自身にあった。ロマンから、キラ個人に向けられた敵意を感じていた。そのこと自体も、事態は組織的に取り組むべきことなのだろうかとキラに疑問をもたせている。もう、自分から、その出生から、何が出てくるのか判らない。それに竦んでいるのも確かだった。クルーゼのことを何度も思い出し、ダブらせて繰り返して彼の真意を探ってみた。同じようなことをいっていたのだ。自身が“誕生させられた”こと、それを疎んでいると。
「投資企業はいくらでもいるが……大洋州連合が抜けるのは痛いな」
キラがぐるぐると考えていると、アスランが話題を逸らしてきた。
彼はずっと辛抱強くキラを見てくれていた。プラントにも報告すべきだと彼はいい、その考えはきっと今も同じだろう。だがキラが渋るのを知ると、それ以上強くはいわなかった。
「……対外的に、ってことだよね。ずっと親プラントの国だったのに……」
「それはいろいろ動くさ。ユーラシアも西側は今、親プラントだ」
「そうだね………ごめん、ね」
「何を謝る?」
振り向いた彼の瞳を受け止められなくて、キラは放り投げ組んでいる自分の足元を見た。
「どういってもさ…プラントはきみの故郷だもん」
「キラ」
キラは自分に故郷はないと思っている。国籍でいうならオーブで、出身でいうならメンデルなのかもしれない。
───でも、故郷なんて、呼べない。
「アスランが大事にしたいものなら、ぼくは守りたいんだ。ぼくが今ここにいることで、もっと役に立てると思ってたのに。ちょっと違ってたみたいだ……」
「……………」
アスランは何も応えなかった。黙ったままでいられることに気まずさがあるわけでも、何かをいって欲しかったわけでもない。ただ、その沈黙から彼の考えていることが読めなかったので。何か怒らせてしまったかもしれない、と。
アスランはこの頃、キラとふたりきりでいても押し黙ったままになることが増えていた。それがあまりに頑なで、容易に感情を読み取らせることも拒んでいた。判っているのは、彼をずっと困らせたままでいる、ということだった。メサイア攻防戦が終わってからずっと、……いや、フリーダムに再び乗ってしまったあのときから。なにごともない、やさしくゆるやかな生活をキラがずっと続けることをアスランは望んでいた。だが、それを知っていて裏切ったのは仕方のないことだった。
キラも間違いなく兵士が負う闇をもっていて、彼自身が“なにごともなく”生きることなど許されてはいない、と思っている。自分が生きている意味を問いなおすことは、最初の戦争から何度もあった。それは自閉しているあいだにも。安易に消えることも何度となく考えた。それなのに、あの戦争で手から取りこぼしたものが、キラの背中をずっと押し続けてもいる。苦しくても、止まることは「許さない」と。
もしかしたら、キラに故郷がないなどと思わせることも、そこに原因があるのかもしれなかった。故郷と呼べるようなやさしいものは、すべて自分の手で壊してきただろうに、と。

ふいに、遠くなりかけた心が引きもどされた。ベンチの座面に投げ出していた手に感じた温もりのせいだった。
「アスラン?」
「……今は、もう。ごくたまに、なんだけどな……」
低く抑えられた、キラにしか聞こえない声。それまでも、例えばその先にいるシンにまで聞こえるような音量で会話はしていなかったけれど。隣を見ると、アスランは何か痛みを隠しているような表情をしていた。
「おまえはおれのものじゃないと思わされるときがある」
「───え……」
唐突に明かされたその内容に、キラは何故だかひどく動揺した。
「なんでそんなこと、急に、」
「あたりまえの話だけどな。例えばおれが強引におまえをオーブに連れ帰って島のどこかに閉じ込めたとしても、キラにはキラの意思があって、それはいつでも自由でだれにも縛れるものじゃない」
そこまで答えて、アスランは一度、重ねていただけのキラの手を強く握った。それを振り払おうとする衝動まであることに気がつく。キラがその焦燥を隠そうとするより早く、彼は視線を正面にもどして、遠くを見るような眼差しをした。
「本当につらいのは、十三で別れてからの三年と“戦っていた”半年……おれが知らないキラがそこにいたということだ。おれは訊かなかったな。どうしてだか、判るか?」
───アスラン……。
動揺した原因に思い当たって、キラは驚愕する。
───見透かされたと思ったんだ、今。ぼくは。
キラは気がついたことに少しばかり恐慌状態になっていたが、上辺だけはなんとか取り繕って会話をつなげようとする。
「……ぼくがなにもいわなかったから…?」
それにアスランは少し口の端をあげ、キラを見た。翠色が暗く陰っている。
「それは理由では、ないな」
握られていた片手を強引にひかれてキラは上半身のバランスを失った。いとも簡単にアスランの胸に抱かれて拘束される。
「シンがいるっていったじゃん」
「とうに出ていった」
束縛された状態から無理に首を動かしてそこを見れば、確かにいなくなっている。他に人もなく、入り口からは死角になっているから入ってきた者がいたとしても見つかることもないだろうとは、思うのだが。
「アスラ……」
制止の途中で声を塞がれた。引き寄せられた肩を掴んだ彼の掌にいっそうの力が籠められる。
深くなるくちづけに戸惑いながら、キラはアスランの心を理解した。
彼がその倫理観で、艦内でキラとの直接的な接触を避けようとしていることは知っている。ベッドで抱き枕にされる以外にはそうそう抱きしめられることもなく、それも睡眠中の襲撃を警戒して備えている意味が幾ばくかあることは判っていたし、アルテラからの帰りにあったことは、キラのほうに理由があってのことだったと理解している。
そんなふうに自分で求めることを禁めていた彼がそれをこんな場所で覆す理由など、彼自身が不安で息を詰まらせている証しなのだ、と。そしてその不安をかきたてたのは。
「キラ」
まだ開放する気がない距離で囁かれた名。
───今のは、ぼくなの?きみなの? ……だめだ、アスラン。きみは。
もしかしたら、と。思うと。キラはいたたまれなくなった。
「───どうして、……」
つぶやきに漏れてしまったことばはさきの話に奇しくも繋がる。アスランは唇が微かに触れる位置から離れようともせず答えた。
「おれのものじゃなかった事実を思い知るからだ───キラ……」
だが、次にはゆっくりとキラを抱きしめ直し、さきほどの激しさを捨てて包むような腕が背にあった。首元からキラにだけとどく声。
「……プラントのことはいい。いいんだ。それがおれのためだというならなおさら」
「アスラン」
「いったじゃないか…。おれはもう全部、おまえのものだから……」
代わりにおまえの全部が欲しい、と。ことばにはされなかったが、充分に伝わる話だ。
───無理だよ、そんなの。
それが証拠に、キラはひとつの可能性に大きく恐怖したばかりだった。
彼がもしも一歩進んでしまったのなら。キラがもつエンパシーのようなものがアスランにあったら、と考えて、キラは動揺したのだ。
繋がった会話はキラがそのとき思い起こしていた過去に、あまりにもシンクロしていた。偶然だったのかもしれない。だが、そうでなかったのなら。怖くて彼に確かめることすらできない。そうして自分自身の見えなかった本音をひとつ知る。───“SEED”が、真実にはまるで受け入れられていなかった、と。このときキラははじめて悟ったのだ。


C.E.75 17 Feb

Scene デーベライナー・食堂

ユニウスワンの港に接舷したまま数日を経過し、デーベライナーは現在、半舷上陸に入っている。シンは当直だが平時にパイロットができることというのは、あまりない。艦内待機を守るだけだ。訓練規定と自機のメンテナンスも終えて時間をもてあますと、こういった“庭”のような休憩場所をうろつくことになる。今は低木の固まる隠れスポットめいた場所に寝転がり、ひとりでぼうっとしていた。
遠くで語る声が耳に入り、注意がそちらへ向く。さきほどから何人か出入りをしているから、それを気にすることもなかったが、今聞こえた声の主は、この隊の隊長とその副官だった。
彼らが落ち着いたベンチは、シンのいる場所から会話の内容が聞こえないくらいの距離がある。寝転がったままのシンの頭のほうはアセビが茂って彼らから見えないだろうが、胸のあたりから下は向こうにも丸見えのはずだ。彼らもシンがそこにいることに気がついてはいるだろう。何しろ、今艦内で赤を着ているのはシンだけなのだから。
茂み越しにそちらへ顔を向け、キラとアスランをそっと窺う。キラは、この庭ではいつもそうしているようにメカのペット鳥を連れている。もしかするとここでペットを散歩(?)させているのかもしれなかった。アーモリーでも時折連れているのを見かけたが、いずれもプライベートな時間ではあった。まさか艦内にまで持ち込んでいるとは思っていなかったから、最初に見たときはちょっとばかり驚きつつも、キラらしい感じもして、さほど違和感をもたなかった気がする。持ち込むほど大切なものなのだろう、とも思う。
見ている先のふたりは何事か話しながら、アスランは手元で何かの作業をしている。彼らは非番だというのに、その表情にくつろいだものはなかった。その雰囲気を見て、シンはその場でまたごろりと仰向けになる。このエリアでは上下間の礼儀も不要とキラが決めているから別にかまいはしないだろう。
どうせ頭を下げるなら、ふたりともいるときのほうが面倒が少なくていいだろうと考えもする。長引かせていいことではないのだろう。だが、キラのまえでアスランに折れてみせるのはどうにも耐えられない。やはり、自分は彼を上官と認め難く思っている。そうでなければ手をあげることもしなかった。昔から、上官には甘えて突っぱねる癖はあったものの、さすがに手をあげるようなことまではしなかった。
自分でもこんなに訳の判らないことをどう片付ければいいのだろう。いっそ、そのままぶつけてみればいいのだろうか。どう応えるのだろうか。どんなふうに映っているのか。あの男にとって、自分は───?

───そんなことが、どうして今更気になるんだ。

戦争が終わって、いい関係が築けそうな気がしていたのに。自分からそれを壊そうとしている。頭の中を整理しても、掴めそうで掴めないこの苛立ちの理由は、きっとアスランにある。シンはそれを振り切るように勢いよく起き上がり、何かから逃げようと“庭”を離れた。彼らを振り返ることはできなかった。

その夜間───。
食事時間を外した、一般兵用の食堂。厨房のカウンターは閉じられ、テーブルに着く者も今はいない。この時間ここを訪れるのはシンのように飲み物か、ちょっとした軽食を取りにくる者だけだろう。
そんなひっそりとした食堂の入り口で、シンは棒立ちになったまま中へ入ることをためらっていた。
飲料の自動給仕機と並んで立つコーヒーメーカーをまえに、誰かがこちらに背を向け佇んでいる。手にはコーヒーボトル。コーヒーを淹れにきて、そのままそこで物思いにふけっている様子であることは見てとれる。肩を落として、何かにひどく疲れているようにも見えた。思っていたよりも早く、彼がひとりでいるところに遭遇してしまった。…アスランに。
キラにいいつけられたことを済ませるには良い機会だと気がついたのに、シンはその場で固まって動けずにいた。
すると、給仕機に半ば寄りかかるようにしていたアスランが、ふいに背筋を伸ばし首だけを後ろへ向けた。
「───あ……」
かけそびれていた声。気配を読まれ、急な喉の渇きを覚えた。
「シン、休憩か?」
「………、はい」
飲み物をとりにきたのは、実際そのとおりだった。アスランは気がついたように一歩下がって給仕機のまえをどく。
何もなかったかのような、声音と態度。シンはそんなことにすら微かな苛立ちを感じつつ、そこへ近づく。
「ついてなくていいんですか。たいちょーに…」
それでも気まずさから黙ったままでもいられず、飲料を選ぶ素振りで視線を逸らしたまま話しかけた。
「今、カガリと通話中だ。プライベートな会話に割り込むのもわるいから、ここで潰しているんだ」
そんな遠慮がアスランにあることをシンは知らなかった。キラとカガリが、公にされてはいないが実は姉弟で、キラとアスランは、兄弟のように一緒に育った幼馴染みだとは聞いた。アスランとカガリが一緒にいるところは初陣の頃に見ている。彼らのあいだにも遠慮めいたものは見当たらなかった。表面的には。
「そんな気遣いする間柄とは、思いませんでしたね…」
シンは率直にそのままをいってしまった。性分だから、仕方がない。アスランは、そうなんだけどな、と少し笑った。
「実際、オーブの代表よりもあなたとのほうが長いんじゃなかったでしたっけ。隊長とは。つきあいが」
「…きみには、話したんだったな」
静かな声だった。感情の読み取れない。キラとはまた違った心の殺し方を、彼は心得ていると思った。静かすぎて、勘ぐることしかできない。もちろん、わるい方向に。その声を、後悔、しているのかと、シンは受け取ろうとしていた。
───どうして。
シン自身が後悔しているからだ。彼らの秘密を共有してしまったことに。
それはたまたまのことだったかもしれない。だが、おそらくそれがわるかったのだとシンは思った。
───望まれてない。
そんな気もなかったくせに。信頼すら、していなかった。
キラを本当の意味で護れるからと、託してくれたと思っていたのに。それなのに、今彼が目の前にいる理由は───ここへきた理由は?
取り上げた飲料ボトルに我知らず力がはいる。満たされて密閉された容器の蓋が、圧力でわずかに盛り上がったのが見えた。
「…べつに…あんたたちのことも───隊長のことも。誰にもいう気なんか、ありませんから」
アスランは怪訝を表す面持ちでシンを見た。
「…急に、どうした…? ……そんなことを疑ったりはしていない、はじめから。でなければ話したりしない」
耳障りのいいことをいって、ひとを持ち上げて。もう騙されるものか。
「シン、何が不満だ。変だぞおまえ。このところずっと」
「不満なんかありません」
「そんな顔をしておきながら嘘をつくな。顔だけでなく口にもだしていう分、以前のほうがましだったぞ。いう気がないのならその顔もやめておけ」
ポーカーフェイスなどもっとも不得意とするところだ。思うことを口にしないのも、好きではない。そう思うと、今シンの目の前にいる男とはまったく対立しているようにも感じた。
「おれが不満だって、そう見えるって?」
シンはアスランをはっきりと睨めあげる。相手は構えたようにシンを見た。
「おれがいいたいのは、こうですよ。こうやってここまできておきながら、本音をいわないですまそうとするあんたが気に食わない。満足ですか、これで」
「おれの、本音?」
端正な顔を顰めてアスランが問うた。本当に自覚などないのかもしれないが、だとしたらなおさらにたちがわるい。
「あんた勝手だよ。信用する気がないなら、なんでおれにあんな話をしたんだよ!」
シンはとうとうそれまで心の裡にあった───本人すらはっきりと自覚していなかった不満を堰をきったように吐きだした。
「なんで追いかけてきたんだよ! おれじゃだめだって、そういうことだろ?!」
シンのことばを受けてアスランははっとしたように固まった。見たことか、図星だろう、と自嘲する。
キラを護れといった、そのことを。シンに頼んだままにすることなくキラを追いかけてきたのは───ザフトに復隊してまできた理由など、考えるまでもない。シンに預けることを諦めたからだ。シンには任せられない、とアスランがそう判断したからなのだ。
「いっとくけどな。いや、いったよな、おれ…」
憤りを少し抑え、そのために握り込んだ拳が震えていた。アスランは黙したまま、ただシンを見つめている。
「おれは、おれがそうしたいから隊長を護るんだ。あんたがきたからってそれは変わらないんだよ」
「シン、おまえ……」
「隊長はおれが護る。オーブへ帰れよ。あんたの居場所じゃないんだよ、ここは!」
アスラン・ザラを相手にたいした捨て台詞だ。どこかでそう自分を揶揄する声が聞こえる。しかし、怯む心などどこにもありはしない。プライドを傷つけることだけは許さないと、相手がそれを思い知るまでは、こちらから頭を下げることもぜったいにしてやるものかと、シンはこれ以上ないくらいに熱りたっていた。