Evergreen 3


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・艦橋〜MSデッキ

「距離700、レッド17、マーク22デルタに高速接近する熱源を確認。熱紋照合……インフィニットジャスティス」

───ジャスティス?! …アスラン…?

作戦室にひとり篭っていたキラは予想もしない機体の接近を耳にした。
確認のために艦橋に直接繋がるドアを開ける。オペレータの傍まで近づくと、同時に「機体識別信号を確認」の声が響く。オペレータが視線を落とす画面を見れば確かにジャスティスのようだ。そのパイロットから通信回線オープンを要求するコールが届く。
「通信入りました」
キラは搭乗者をまだ疑っていた。パーソナライズされた機体に乗るのはアスラン以外にいないはずなのに。
予告のない接近にやはり不審気な様子のアーサー・トラインに、キラは努めて冷静に「お願いします」といった。緊張した面持ちでアーサーはインカムをとる。
「こちらデーベライナー艦長アーサー・トラインです」
『…こちらはオーブ連合首長国特派大使、アスラン・ザラ』
通信用カメラから映しだされたその姿はまちがいなく彼だ。ヘルメットの影でわずかに表情が隠れているが、キラが見間違うはずもない。
『着艦許可されたし』
そして、その声も。

モビルスーツデッキに機体の着艦を知らせるアラート音が鳴り響いた。
自機の調整をしていたシンは予定にない突然の音に驚き、一瞬だけ身体を震わせた。すぐに操作を中断し、外の様子を窺うためにコックピットをせり上がらせてバッシュから顔を出す。
格納庫に直結するモビルスーツ専用ハッチのエアロックから姿を現したのは、見覚えのある真紅の機体。
「まさか?」
そんなの予定にあっただろうか、と考えながらシンはコックピットから飛び出した。まもなくしてその機体、ジャスティスから降りてきたのは、数日前の進宙式で顔を見たばかりのアスラン・ザラだった。
「アスラン! …なんで!」
「シン…」
驚きを隠さないまま大声で叫ぶと、こちらを向いたアスランがその名をつぶやいた。
「なんでアンタがここに…」
いいかけてシンははっとする。
「なんだよ、それ」
「………………」
それにアスランは何も応えなかった。そして、シンの問いかける視線を軽く流して、「ヤマト隊長は?」と訊ねた。
「ブリッジ。…それ、なに。なんであんたがそれ着てんの」
アスランが身につけていたパイロットスーツは、見慣れない色をしていた。だが間違いのないことは───。
「それ、ザフトのじゃんか」
「……しばらく…いや、当分のあいだ…といったほうがいいかもしれないが。ヤマト隊に配属されることになった」
「だから、なんで!」
異例づくめのあるこの艦にそれ以上の異例があっても不思議はない、などといった納得がそこにあるはずもなかった。他国の人間がザフトに出向してきた前例はキラだけということはないが、それでも隊長職にというのは異例中の異例だ。さらにまた、同じ国のオーブから“副官”と思しきカラーリングのパイロットスーツを着込んだ男を目の前に見れば、どんな理由を聞かされようと理不尽さが先にたつ。
「……そのまえに、隊長の配属受領がいるがな。だから、おまえの相手はそのあとだ」
アスランは詰め寄るシンの肩を押した。その反動でロッカー室の方向へと去っていく。
自分からの問いを後回しにされたことにシンは憤慨したが、その気持ちの奥には別の不満が沸き上がりつつあったことに、シン自身まだ気がついていなかった。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

アスランが何を考えているのかまったく判らなかった。
と、そういえば語弊のあることだが、つまりはこれほど周囲に影響のでそうなことを彼があえて手段にするとは、キラは想像すらしていなかったのだ。
「それで、おれはどこにいけばいい?」とアラート脇のロッカー室から訊ねられる。すかした態度に苛立った。こちらの驚きも戸惑いも、怒りも、すべて判っているというようなその表情に。
カメラフレームにある姿は彼の肩口まで映していて、傍で見ていたアーサーが何かをいいたげに荒い呼吸を繰り返す。アスランがここへくるまでにいったいどこで何をしてきたのか。想像に難くない。
とりあえず指揮官室にと呼んだのは彼とふたりきりで話をするためだ。念のためというアーサーの同席を断り、アスランを指揮官室まで連れてきた保安員も必要ないからと下がらせた。

彼を室内に招き、そのままふたりで閉じたドアの傍に立ち尽くす。キラはあらためてアスランの爪先から襟元までを眺めた。
「どういうつもり?」
問われた彼は涼しげな顔でいった。
「───デーベライナーの乗員名簿が、エヴァグリンに漏れた、と聞いて」
キラは一瞬息を詰まらせた。
その真相は、それを報告してきたキサカにその場で話した。確かにキサカに口止めをした覚えはなかったが、アプリリウスの大使館で務めていたはずの彼に、もうその情報が知れて追ってくるなどありえない。ましてや、オーブにあったジャスティスでくることなど。
彼はあのとき───オーブにいたのだ。
「判ったか。おまえのいたずらを監視にきたんだ」
いいながらアスランはデスクまで歩いて行き、そこに持参したアタッシェケースを置くと中から自身の携帯端末を取り出した。それからキラのデスクを勝手にあさり、見つけた虹彩認証用のセンサーをそれに繋ぐ。
「承認を、キラ。ジャスティスの追加配備、艦内での銃器携行許可…それから…」
キラはつきだされた端末の表示を目にして要求されている内容の主たるものを呆然とつぶやく。
「……特務隊アスラン・ザラ…護衛任務…による…配…属…」
それは、アスランが身に纏ってきた軍服を見れば判ることだった。
彼はエリートを示す赤の、ザフトの制服を着ていた。襟には、パールの光彩を放つ白い羽か花弁を模したような徽章も見える。キラの制服にも飾られているザフト特務隊、FAITHの証だ。
「……………」
キラはことばを失った。自分はアスランを、ついにザフトにもどしてしまったのか、と。
「もどるわけじゃない」
青ざめたキラの心中を察したのか、アスランは静かにそういった。
いっている意味は判っている。現在はFAITHの定義自体に変化があり、キラも含めて外部の人間がザフトへの協力のためにその徽章を預かることはめずらしくない。アスランもあくまでオーブ軍からの協力で、ということなのだろう。
だが、彼がその制服をふたたび身に纏っては、ザフトの中でアスランの立場がわるくなるだけなのだ。あるいはオーブの、ものわかりのわるい人間たちに。
「今はまだ、ザフトに属さない者は乗艦できないといわれれば、仕方ないだろう」
「…国連の設立まで待てばいいだけのことだろ」
「待てるものか。それまで誰がおまえを守る?」
キラはアスランの端末に落としたままだった視線をきっとあげた。
「誰だって! ぼくはこの隊の隊長だし、自分でだって自分の身くらい、」
「そのおまえ自身からは誰が守る」
「…え?」
いわれた意味が判らずキラは目を瞬かせた。そこで注視して見た静かなアスランの表情に、わずかだが苛立ちが含まれていることに気がつく。
「自分で自分の身を危険にさらすような莫迦な真似をするおまえを、ここにいる誰が止められるんだ」
プラントと何を取り引きしたのか忘れたのか、と、きついまなざしでアスランはキラを睨んだ。
「“おまえ自身”なんだぞ。それをぞんざいに扱えば紛れもない契約違反だ。そんなことはオーブも困る!」
アスランは明らかにキラが独断でおこなったエヴァグリンへの作戦を咎めているのだ。
キラは心中で舌打ちした。なんという、莫迦な理由をつくったのか。そして、その口実を与えてしまったのは他ならぬキラ自身だ。実際には、アスランは数日も以前からデーベライナーへくるための準備と根回しを進めていたのだろう。そこへオーブとプラントを納得させる決定的な理由を自分がつくってしまったのだ。
「だからといって、きみがくるなんて!」
「おれ以外に、誰がおまえを扱えるんだ」
「こんなこと、許可できない! きみにはシードコードの仕事を任せたはずだ!」
「おれじゃなくても進められる話だ。でもこれは、だめだ。おまえのことは」
アスランは譲らない瞳をしていた。
「おれ以上におまえを真剣に守ろうとする人間はいないだろう?」
握っている両手の拳が悔しさで震える。自分は本当にこの事態を予測し得なかっただろうか。先日まであっさりと引いてみせていた彼を少しでも疑うべきだったのだ。
「きみは……ずるい…っ…!」
「ずるいのはどっちだ」
そのひとことで、仕返しをされているのだと知った。自分の思いを優先しておこなってきたことがすべて許されていると、甘く考え過ぎていたのだ。
彼の心算を見抜けなかったこと、彼を動かしてしまったどこかのラインを見極められなかったこと、そして、結局は彼の思い通りになっていること。すべてのことに腹を立てた。
「……追って評議会からも正式通達がくる。それまでにサインをしろ。いっておくが、作戦にも口を出すからな。そのつもりで下手な考えはあらためることだ」
アスランも深く静かに怒っているのだろう。滅多に見ることのない強引さで、何もかも進めようとしていた。FAITHである以上、制服の色がどうであろうとキラと立場は対等だ。ましてや評議会からの辞令がくるのであれば、キラがこの専任の護衛を拒否することはできない。
アスランがふいに、怒りに震えるキラの手を取ろうとした。撥ねつけて彼を睨む。
「ぼくが嫌だっていうのが、判んないの?」
まるで駄々っ子のような反発しかキラには残されていなかった。
「……離れないと約束したことを、もう忘れたのか…?」
「それとこれとは、」
「同じことだよ、キラ。この数ヶ月だっておれは、がまんなんかできていなかった」
おまえは平気なのか、と問われる。怒りを表した瞳で。
「…ずるい……ぼくは…きみがこんなこと…」
アスランはもう一度乱暴にキラの手を取った。その手に認証デバイスを渡される。キラはのろのろとした動作でひとつひとつに承認をだし、アスランの手にもどした。アスランは黙ったままそれを見守って、自身の端末を受け取ると、少しだけ身に纏う空気を和らげた。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第一作戦室

予定にはなかった人物が訪れてから二時間は経過しただろうか。その来訪者を伴って、このヤマト隊の隊長、キラ・ヤマトが艦橋へともどってきた。
キラの後ろについていた真紅の姿はアスラン・ザラ。
特派大使と名乗ったのだから、ザフトの制服を纏っていてもその身分はオーブからの派遣外交官のままなのだろうか。それでも彼は手慣れた仕草でザフト式の敬礼をして入ってきた。ブリッジオフィサーの面々がそれぞれに戸惑った顔をしている。おそらく自分自身も少しはそうであろうとアーサーは思った。
毅然とした態度のアスランを一方に、キラのほうは心なしか悄然として見える。軽く艦内の状況を聞いて何の異変もないことを確認すると、「作戦室へ」とアーサーを促した。
デーベライナーの第一作戦室は艦橋の脇というよりもその中にあるといっていい。艦橋の一角にある小部屋のようなそれは、ブリーフィング中にも艦の様子を即時把握できるよう、艦橋のオペレーションがすべて室内のスピーカーに流れてくる。そのために打合せに集中できないという難点もあるが、作戦中に内密な話をすぐにおこなうことができるため、指揮官にとっては有用な部屋だといえよう。
広さは十平米といったところで多人数向きではない。中央にはデスク式のシミュレーションボードが占めていてさらに定員数を減らしている。その筐体を回り込んで奥の、少しばかりスペースに余裕のある場所まで移動すると、キラとともに作戦室へ入室した彼にアーサーは自分から声をかけた。
「進宙式以来ですね、ザラ准将。それは、いったいどういうわけです?」
“それ”というときに視線を彼の制服と徽章に向けた。
一応他国の高官と認識しているため敬語を使って問いかけると、アスランはふっと目許だけを細めて微笑する。少し寂しい雰囲気のあるその表情は、彼自身複雑であることを表しているようだった。
「また、迷惑をかけます。トライン艦長」
見えているとおりのことか、とアーサーは嘆息する。所属する隊へ割り込むように彼が配属されてきたという経験は、アーサーにとってこれで二度目のことだ。またかと思わないわけでもない。それでもアーサーは辞令を受ける以前にヤマト隊の特務を説明されていたし、ゆくゆくは国連機関へと所属を変えて働くということも受け入れたために今ここにいるのだ。その組織への協力国として、プラントと肩を並べているオーブの介入が多少予定より早く大げさになったと思えば、こうした事態も予測の範囲内なのだろうと思った。
ましてや、彼──アスランが、本来的には単独での特務を負ってきたのだとあってはアーサーに口を差し挟む余地などない。
彼がFAITHとして、キラの警護のためだけにきたのだと、聞かされては。

FAITHはエルスマン議長の指示で一度解体し、メンバーもゼロからスタートし直した。任命には国防委員会および最高評議会の総意が必要となり、以前のような議長と国防委員会直属の意味合いはなくなっている。また、そのために幅が広がり、承認があれば他国の者を含めザフト外の人間でもその権限を与えることが許された。
もちろん、他国人あるいはザフトに所属しない者にはそれなりの契約が付加される。キラとアスランの場合は自国のオーブで軍に属していることもあり、外交官特権の一部放棄など厳しい条件があるはずだった。
そして例外はあるが、今では負った要務を完了すれば同時にFAITHからも解かれるため、任命される者は一時的な権限を持つに過ぎない。FAITHだから特務を与えられるのではなく、まず特別任務が先にあり、それに見合った人選がおこなわれるわけだ。
人物よりも運用に視点をあてた、より組織向きで合理的な機関となったそれだが、そうはいっても外国人を受け入れることは両国にとって面倒の多いことだ。それがふたりもこうして立て続けにある状況は、どう見ても不思議だ。それだけキラという人物のプラントでの重要度を表しているのだろう、としかアーサーには判らない。
アスランがキラの護衛に必要なのだ、といわれれば、そのことにはどこか納得する。キラがストライクフリーダムで出撃する可能性がある以上、彼を前線で護れる者が必要であり、アスランのモビルスーツ操縦の技量であればキラのフォローも可能であるはずだ。
なにしろキラの操縦が人並みを外れており、ありきたりのパイロットでは護衛どころか追いつくだけでひと苦労だろう。アーサーが見たところでは、それが適うのはアスランか、あるいはシンだけだろうと思っていた。
今目の前にいる白服の青年は、そんな重要性からは遠く離れて見えた。いや、たとえば深窓の御曹司とかで、それを隠し護るために必死だというなら納得もするが、見た目には華奢で優しげな印象ばかりある彼が、短い史上とはいえ最強を謳うモビルスーツのパイロットゆえだというのだから。

「アスランが持ってきた情報のなかに、アルテラとブルーコスモスの関連を示す資料があるっていうんで。とりあえず情報を少し整理して、対応策も練り直す必要があります」
キラはどこか弱い調子で告げる。なんというか、やはり機嫌のわるいおぼっちゃまといったところだ。ブルーコスモスが絡んでいると聞けばそれも仕方があるまい。
しかし、それ以外にもどこか、冷たい空気が流れているように感じた。
「ブルーコスモス、ですか…? なんとも厄介な」
この場の重い雰囲気が気になって、アーサーは無駄にことばがでてしまう。
「ジュール隊の応援を断ったと聞いた」
突然発言したアスランのことばに、キラがはっとして顔をあげた。アスランはその彼の視線を一度受け止めると、今度はアーサーにいった。
「それは撤回させました。アルテラには彼らの到着を待ってから降りることになります」
「な……いつそんなこと!」
「ここへくる途中、ラクスから聞いた。だからそのまま応援に寄越すよう要請しておいた」
向き直って続けたアスランにキラは驚きで目を丸くしながら憤る。自身の判断を勝手にひっくり返されれば、それは当然の反応だろう。しかし、驚いたのはアーサーも一緒だ。
「え、いやいや、待ってくれ。…作戦にも介入するつもりなのか、アスラン?」
「こいつ次第です。隊長自ら先陣きって飛び出すような作戦ばかりを立てるなら、おれの権限でリジェクトします」
「………………」
アーサーはアスランの乱暴なことばに面食らった。いつも慇懃で控えめな彼を目にするのが常だったからだ。
「───アスラン!」
「なんだ」
声を荒げたキラに彼が刺々しい返事をよこす。どうやらアスランは…アスランも、機嫌がわるいようだ。これはこの数時間のあいだにふたりでそうとう揉めていたのだろう。空気も冷えようというものだ。
睨みあう彼らをまえに、アーサーは困惑した。これを続けさせれば隊の士気に関わる。ここは年長の自分がおさめるシーンではないのかと思うが、ふたりの距離感も掴みかねた状態でのフォローは少しばかり難しい。
だが、キラよりは幾分か冷静をとりもどしたらしいアスランが、一度大きく息を吐きアーサーを向いて話を続けた。
「……艦内の必要な人間以外には、わたしがヤマト隊長の護衛できていることは伏せてください」
「───え? それはまた…どうして」
「…国内外にプラントが彼を重要視していることを明かすことはできないので」
キラが極秘裏に“披検体”としてプラントに招かれていることまでは承知していた。彼がもつ特異なMS操縦能力が“SEED”と呼ばれるものの所以で、なおかつ稀な発現を示す貴重な人材なのだと。そう聞いている。
「……それなら、どうでしょう。きみは作戦隊長として評議会が召還したことにすればどうかな? ここにきみがきた理由も何かないと、それはそれで難しいですよ、ヤマト隊長?」
アーサーはふたりを右と左に見て意見を述べた。
デーベライナーやヤマト隊には秘密が多すぎ、さすがにアーサーも話の帳尻を合わせることに慣れてしまっていた。
「ええ、それは…」
アスランが曖昧な同意を示す。問題はこの隊の最高責任者、キラがどう思うかだったが。
「……いいよ、それで。戦術はアスランのほうが優れてる。現場指揮はぼくより適任だよ。いいよねアスラン」
意外にもあっさりと認めた。しかるべきところは冷静にものが見えているらしい。アスランもそこは異論がないようで、判った、と短く返答した。
アーサーとしても、実際に作戦をこなすアスランを知っているので、正直なところそうしてもらったほうが安心できる。実戦でのキラの指揮を、まだ見たことがないからという単純な理由だったが。
キラはふいに室内の通信コンソールからオペレーターに声をかけ、シン・アスカとルナマリア・ホークを作戦室に呼ぶ指示をだした。訝しむ視線を向けるとキラは告げた。
「彼らにだけは事情を話します」
アーサーはますます眉間に皺をよせた。
「ルナマリアは情報管理官ですから、それは。…しかし、シン? 彼はパイロットですよ?」
一瞬、その質問にキラが少しばかりうろたえた。それをアスランの答えがかき消す。
「わたしが個人的にヤマト隊長の護衛を頼んでいたからです。オーブにいて、コーディネイターとして目立つ存在ではありましたから。ブルーコスモスの標的になっていることを考えてのことです」
淡々と説明するアスランをキラは弱々しく見ていた。思えば気の毒なことに、彼は自分よりいくつも若いのに、“特別な能力”だの“テロの標的”だのと、さまざまな苦労を背負っているのだ。おまけに国際貢献を見据えて、一時的にでも他国の一部隊を任されるなど、そのプレッシャーも相当なものに違いない。
アーサーは改めて、アスランがここへきたことを喜ぶべきではないかと思った。
今は衝突している様子だが、気心の知れている人間が彼を守り、支えになれば、キラの負担がいくらかでも軽くなるのではと思ったのだ。
最初は少しばかり面倒な、とは思ったが、アーサーはすっかりアスランの来訪を歓迎する気持ちになっていた。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

デーベライナーに到着してからアスランは特務のとおりキラの警護に徹していた。目の届く場所を離れず、可能な限り傍につき従った。アスランに個室の用意を、と環境整備チームに指示を出しかけたアーサーを断り、指揮官室で過ごすと伝えると嫌な顔をされる。艦内の人間も信用しないつもりか、といいたいのだろう。実際、アスランは信用していなかった。事実なのだから、そこで取り繕う必要はないだろうと思った。
「きみ、ぼくの傍にいたいだけなんじゃないの」
キラなりの厭味だったらしい。「そうだったら何か不満なのか?」と問うとそっぽを向く。そのままおとなしくなったのを幸いに、アスランはアルテラでの作戦立案に時間を使った。
ヤマト隊が今抱えているのはテロ事件が勃発したというコロニー、アルテラでの制圧任務だ。駐留するザフト基地が巻き込まれているということ、駐留基地以外にはコロニー内に軍事組織がないという理由で、プラントはアルテラの本国である大洋州連合から軍事支援の要請を受けた。現状、地上にしか軍配備を持たない大洋州連合は、まずプラントに頼ったのだ。押っ取り刀で地上から駆けつけたとしてもデーベライナーの二日は遅れることが予想できる。コロニーの多数を占める一般市民のことを思えば、できるだけ迅速な行動が必要だった。
最初の一報を最後にアルテラからの通信も途絶えたままになっている。事態が読めなくなり、あらゆる可能性を想定して作戦を練らなければならない。
加えてブルーコスモスの組織、エヴァグリンが関わっていることも、充分に考えるべき状況だった。

アスランはザフトの軍籍を得て初めて知った情報にこれ以上ないくらい苛立っていた。
キラはデーベライナーの出航までに、数件の報告を上申して艦のセキュリティ機構の強化を図っていた。乗員のリストも、ありえない回数、変更している。
───何の確信もなくあんな危険をおかすはずはないと、判ってはいたが……。
オーブで“たまたま”居合わせたために知った、キラ単独での情報作戦。彼はデーベライナーを狙った不審な動き──それは主に情報処理上のログなどからだったが──に、すぐ気がつき、その先にエヴァグリンがいることをあの作戦で突き止めたのだ。
アスランはそれを知ってすぐにキラを問い詰めた。
昨年の11月から、すぐに相談できる場所にアスランはいたのだ。アーモリーにも何度も足を運んでいた。直接会ったときに話す機会が、いつでもあったはずなのだ。
キラは、いえるはずがない、と答えた。「オーブ軍のきみに」と。
キサカのところへ情報が渡ったことを契機に“協力国”へ明かすことにはなったが、そもそもがこれは“ザフト”に起こった問題なのだ。たとえそのターゲットが“キラ個人”だったのだとしても。
淡々と正論を吐くキラにアスランはぞっとした。彼はそうしていつまでもアスランに「何か」を隠して、そのままプラントでの仕事を続けるつもりだったのだろう。
───冗談じゃない。
アスランはキラを守りたかった。それには、ただプラントに駐在する武官では身動きがとれないと思い、無理な根回しで自身のザフト復帰を図った。周囲に大きく迷惑がかかったが、その行動は正しかったと今思う。こうして、同じ立場にならなければ明かせぬことがあるのだとキラからはっきり告げられたのだから。
「……ほかに隠していることはないだろうな」
「ないんじゃないかな」
アスランが確認すると真面目とも思えない返事がかえる。
「どうだか。ここ何ヶ月で、おまえがおれにいわなかったことがどれだけあると思っているんだ」
研究組織の設立、ザフトへの身売りに今回のことといい、どれも話が重すぎる。あとから聞かされて肝を冷やすこちらの身にもなってくれ、とアスランは深く息をついた。
隠し事がある相手を守りきるのは難しい。それでも守ると、ただの意気込みだけではなく現実にするために、アスランは苛立ちを抑えて考えられる限りのことを考え続けなければならなかった。

作戦を練るために指揮官室にこもり続けて数時間。
双方の機嫌が快方に向かう様子もなく、部屋のなかではそれぞれがキーボードを打つ音しか聞こえてこない。会話もずっとなかったが、アスランは頭を使うことに忙しく気を遣う暇はない。キラはキラで、さきほどからずっと自身のデスクで端末に向かい何かの作業をしていた。やがて手が止まると、沈黙を破って突然声をかけてきた。
「アスラン」
「……どうした…?」
キラを見ると、彼はそこを動かぬままディスプレイに視線を落としている。アスランは集中を解かれて小さくため息をつき、座っていたサイドデスクから立ち上がり、キラの傍まで行った。
キラの端末のディスプレイを覗くと、そこに開かれているコマンドインタプリタの作業内容ログが目に入り、アスランは「えっ」と声をあげた。
「何をしてるんだ、おまえ…」
「アルテラに接続してみた」
「なに?」
「回線が全部繋がってないみたいな、変な報告が本部からきてたでしょ。だからアルテラ周辺のネットワークを全部見てたんだ」
コロニーの中央コントロールどころか、草の根のような民間ネットワークの通信網までもが遮断された状態となった今の状況は、コロニー内部ではなくその外にある通信衛星や中継地点から切断されている疑いがあった。キラは通信網を調べあげて、アルテラとの通信すべてを遮断できるいくつかのポイントを見つけ、その中からこっそりと生きているネットワークを探し出し、そこへ割り込んだ、という。
「…それは…もしかして」
「そうだね。敵の通信回線じゃないかな」
あっさりと答えてみせる彼に、見つかるんじゃないか、というと、上目使いにちらりとアスランを見た。
「そんなへましない。そのかわり、同じラインの傍受も無理だけど」
その回線上には、パケット式で複雑に暗号化された搬送波のやりとりがおこなわれているようだった。キラはそのパケットを利用して、敵の通信にうまく紛れ込ませているのだといった。それ以上の動きをとれば、見つかる恐れがある。
「受け取り側が気がついてくれなきゃだめだけど…」
「どこにコンタクトしてるんだ」
「………CCPサイバークライムポリス
「………………」
CCPとは、警察のネットワーク犯罪を取り締まる部門だ。キラはそこへ“ハッキング”でコンタクトをとっているという。
「だって政府機関は監視されてるからだめだし、そしたらちょうどいいのってここくらいしかなくって…」
「CCPも監視下にあるかもしれないだろう」
「同じ搬送波が流れてないのを確認したから大丈夫」
「そこにおまえが流したら…」
「途中からコロニー内の回線に入ったから。大丈夫だってば、ぬかりないよ」
「………………」
アスランはふたたびことばをなくした。キラは昔からこうした犯罪めいたいたずらをして遊んでいた節がある。つまり、“慣れて”いるのである。
このままそれを見逃すことには疑問だが、今の状況の一助になるかもしれないと考えれば、ここは素直に褒めてやるべきだろうかとも思う。しかし、アスランは仕方がないといった風情でため息をつき、ただキラの頭に手をやるだけにとどめた。キラはそれに気をよくした様子もなく艦橋の通信士を呼び出し、CCPへのコンタクトの監視を引き継いだ。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第一作戦室

デーべライナーはアルテラへの道程を予定より減速して航行していた。理由は追ってくるジュール隊と合流するためだ。
ランデブーポイントまでは、あと約十時間。
アスランはそれを待たずに作戦計画をまとめあげたが、本人曰く、今回は人を振り分けるだけの作業とのこと。抱えている各チームの特性を把握して適材適所に充てるだけと簡単そうにいう。
キラは第一作戦室で、シミュレーションボードの映像を交えながらその計画の説明を受けていた。ざっくりとしたことは外交ルートで知っていたとはいえ、追っかけの短時間でヤマト隊全体の把握には骨を折ったことだろう。それなのに、自分よりよっぽど隊を掌握していると感嘆した。同時に、アスランがデーべライナーへくるまえ、おぼろげに頭のなかで構成していた自分の計画の甘さを各所で思い知ることになった。
「本当に厭味だな、きみ」
「……なんの話だ。説明をちゃんと聞いてろ」
ため息混じりの独語を咎められ、もちろん聞こえるようにいったのだが、それからはとりあえず黙ってアスランの声を聞く。
一次作戦としてまず基地を刺激せずに政府との接触に重点をおくことは、事前のキラの要望を容れている内容だ。締めくくりに「あとは現場で直接指揮をとる」とアスランがいった。
「……きみ、降りるつもりなの?」
「おまえ、降りるつもりだろう」
問いかけを問い返され、というよりも断言されてキラは黙りこむ。確かにキラは、アルテラとの交信を受けて、コロニー内に直接自身で降り立つつもりになっていた。

アルテラとは一時間ほどまえに通信が繋がった。
CCPはコンタクトとともに渡していたキラの指示に従い、アルテラ政府の人間に渡りをつけていた。向こう側で対応にでたのは、知事本局外務部と基地対策部を兼任する人物だった。
入念に通信経路をつくったとはいえ、慎重を期して最少量のデータ送信で済ませるためにテキストベースの情報交換をおこない、そのために映像での確認はできなかったが、内部の状況をいくつか把握することはできた。
プラントの軍事基地は占拠されたままで、テロリストは沈黙を保っているらしい。つまり、状況が硬直しているのだ。アルテラには警察以外に武装集団がなく、その唯一といえる戦力は市民の混乱の鎮圧と避難処理の手配で手一杯。だが爆発などによる破壊等はなく、ザフト基地以外とりあえず無事ではあるようだ。現在は政府から基地への呼びかけを続けるのみで、有効な対策は何もなされていない。ただ本国からの助けを待つだけの状況のようだった。
何をぼんやりしているとも思うが、かつての大戦からも取り残されるほどの辺境にあって、長い年月一般市民が穏やかに暮らすだけの平和な場所だったということなのだろう。
キラは、ある日突然にその平和がもろく崩れることがあると知っている。もしかしたら本当は、郷愁めいたその気持ちがこの判断を降したのかもしれない。しかしキラは、その場ではないと“隠されたもの”を見抜くのは難しいと考えて、アルテラに降りることを決めていたのだ。
「フリーダムじゃなく、その身で降りるつもりなのか?!」
「そうだよ。だめかな」
「だめだ」
「知事に会いたいんだ。フリーダムはいらない」
「許可できない」
室内の空気が一気に冷たくなっていた。キラが生身のまま降りるつもりを伝えた途端、そこまで考えていなかったのかアスランがまた険しくなり、それに反発するようにキラも頭に血がのぼりかけていた。
「コックピットから知事と会見しろっての」
「デーべライナーまでこさせる」
「内部の様子も見たいし、」
「おまえは指揮官だ。報告を待っていればいい!」
「直接でなきゃ、働く勘もない。ぼくの特命を邪魔する権限まではきみにない!」
最後のことばにアスランの眉がますます吊り上がった。
キラはSEED研究の一番の披検体だ。作戦中はその能力──SEEDによる力を如何なく発揮しなくてはならない。そのために、最前線への出動も積極的に引き受ける。自分から危険へ飛び込むことを、プラントと約束しているのだ。
いつかプラント行きを明かしたときにアスランと大げんかになったのは、この条件のせいだ。誰よりも自分のことをなくしたくないと思っている人間が、そんな約束を歓迎するはずがない。危険を回避できると思っていた密約が、別の危険を呼んだのだ。
それでもキラ自身で決めたことを、最終的にアスランは受け入れた。キラが自分で選んだ道を阻む者になりたくはない、と。それが、彼にとってどんなに苦しいことなのかキラにはよく判る。その立場が反対だったらと想像すれば、アスランの気持ちを理解することは容易い。
───そんなことは、ぼくだって絶対に許したくはない。
でも、この状況が現実だ。そのことで、アスランに譲る気はキラに少しもありはしない。だが。
「……いいかげんにしろキラ! だったらおまえはおれがここに“赤”を着てくることまで判ってたっていうのか?!違うだろう!」
とうとうアスランが取り繕った仕事モードを捨てて、感情的な表情で怒鳴りはじめる。
「判ってたよ!」
咄嗟の嘘を取り繕うかのように、思っていたより強くことばがでる。本当は想像することさえも避けていた。予感というよりは認識で、彼がそういう行動にあるだろうこともキラには予測できたはずなのに。そのことをずっと腹立たしく思っている。だからこれは、八つ当たり、なのに。
「いつまでもぼくのすることが気にいらなくて、怒りたくて、それできたんだろ。理解したふりなんかしといて、きみはオーブで準備してたんだろ。じゃなかったら……こんな、タイミングよく、きみが、ここに、あんなもので、くるはずがないッ!」
キラはそういって乱暴に壁を殴った。彼を振り回している自分への苛立ちが抑えられない。彼から“赤”を着る気概を奪ったのも、いま彼にザフトへの忠誠をよそにそれを纏わせたのも、自分だ。真面目でエリートの彼に道を外させているのは自分なのだ。
「そういうことをするな!」
アスランは壁に打ち付けたキラの腕を強く掴んだ。昔から、キラが怒りを抑えられず自傷するようなことをすればアスランはいつも叱った。キラが傷つくのが、嫌なのだろう。ほんの小さなカスリ傷でさえも。
「…話をすり替えるんじゃない」
掴んでいる手の力が俄に強くなった。キラは自分で叩いた痛みとその力の痛みに少しばかり表情を歪め、数度腕を引く。しかし、アスランはますます力を入れてその手を放してはくれなかった。
「……キラ…。曖昧な力を頼りに自分を危険に晒すような真似を、おれが許すと思っているのか」
低く静かになっていくアスランの声音に、キラは少しずつ頭を冷やした。彼は本気で怒っている。取り乱したままでは、彼を納得させることもできない。
「…プラントとの約束だ。シードコードが力をつけるまではそうするしかない」
だが、納得もなにもない。アスランははじめからキラを助けるためにここへきたのだろう。連れもどすためではなく。彼は最初から、キラのわがままを聞くつもりなのだ。それが不本意だから、怒っているのだろう。それを知っていても。
「成績を残して、証明しないとアスラン。でなければ今度は、さすがにプラントもぼくを消そうとするよ」
「……………」
もどれないことを始めてしまったのだ、と。だから守ろうとしてくれているのだと、判っていた。
今、表情を消してしまった目の前の彼の手が、また一段と強くキラの手首を握る。が、急に興味をなくしたかのように次にはそれを放した。
「アスラン」
キラの呼び掛けを無視してアスランは踵を返し艦橋へもどった。それを追いかけてキラも作戦室を出る。
「現場指示は任せる。隊の人間は好きに使ってくれてかまわない。ジュール隊にはぼくから話す」
その場にいるブリッジ士官を意識してキラはわざとよそよそしく告げた。アスランはそんな彼を一瞥し、返事もなくオペレータに向かった。
「シン・アスカ、リンナ・イヤサカと僚艦のパイロット、各小隊の責任者を第二作戦室へ」
キラはでてきた扉のまえに佇みアスランの背中を見つめた。すぐに動いて振り向いた彼は、表情を消しているけれどもやはりまだ怒っていると判る。そのまま艦橋を出る扉へ向かうが、キラを無視することなく、傍で一度立ち止まった。
「……行くぞ、キラ」
その声は重く低かった。ふだんならこういうとき、彼はひとりでどこかへいって頭を冷やしてくる。冷静な型に見えて、根は激情家なのだ。今もまだ、キラに対して腑が煮えくり返る思いをしているに違いない。
それでも今は片時も離れる気はないのだろう。隊に到着してから、アスランはキラにも自分の傍を離れることを許さないといった。そのことについてキラは何もいうことをせず、彼に従うままにしている。
第二作戦室へと向かう通路で、キラは後ろを護るアスランに手を伸ばしその腕に触れた。あがった視線はキラに不機嫌を隠そうともせず翡翠の色にのせていた。
どうすればいいのか。
彼は本当は、かつてのようにキラにはオーブの島で隠棲して過ごして欲しいと望んでいるのかもしれない。争いごとと縁のない、平穏な時間のなかで。
───でも、もうそれができなくなってしまったぼくを、あのまま閉じ込めることも、きみにはできないくせに。
自分自身をないがしろにして、その望み通りにすれば。それはまた矛盾しているようだが、アスランが望まないことなる。だからキラにできるのはただひとつ、追ってきてしまったアスランの傍を離れずにいること。さまざまなジレンマをやり過ごして、目を瞑って。
腹立たしさよりもやりきれなさが勝って、キラはもしかしたら泣きそうな表情をしていたのかもしれない。アスランはひとつため息をつくと、キラが掴んでいた袖とは反対の手でキラの手の甲に重ねてきた。
そして、腹は立つが仕方ない、といいたげな顔をした。


C.E.75 1 Feb

Scene デーべライナー・保安部

ルナマリアは今作戦からヤマト隊保安部の情報セクションに籍を置くことになった。
保安部員は隊内部において警官と同じ権限を有し、艦内での武装も許可されている。所属隊指揮官や来艦の要人警護など、対外的な立ち回りもあるがそれはたまの任務といってよく、常時神経を遣るのは実のところ艦内兵士の動向だ。
それを荷が重いなどと思うことはないが、やはり一歩引いて同僚を監視する立場というのは、正直につらいことではあった。これまではパイロットとして、チームを信頼して連携することを重要にして軍に務めていたのだ。それにもともと、仲間に疑いの目を向けることは性分にない。
その彼女の心情を知ってか知らずか、ついさきほど“新任の上官”からは「全員を疑うべき立場だ」と釘を刺されたところだ。
ブルーコスモスといえばナチュラルなのだろうが、その思想に偏向するコーディネイターがいないとはいいきれない。また、どういう利害の一致で彼らに手を貸す者がいるともしれない。疑い始めればきりがないのは確かだった。彼のいうことは正しいのだろう。だが、他国からきたあなたがそれをいってはと、その言動に非難ではないおもいがうかぶ。
彼女は小さな溜息とともに、常に携行している愛用の拳銃と警備用の自動小銃をチェックするとそれらをその身に携えた。
それから周囲に視線を巡らせてみれば、室内──保安部室にはデスクに張りつき監視機構をチェックする同僚の姿がある。先に知らされた状況を話そうかとためらうが、自分の役割ではないと自重して口を開くことはしなかった。それに、もう間もなく知れることだ。

数時間ほどまえのこと。
ルナマリアとシンのふたりが呼ばれた部屋には、アスラン・ザラがザフトの赤服を纏って立っていた。
同盟のオーブ軍は、アルテラの事件にブルーコスモスの新興勢力が関与する証左を持つとザフトに進言し、キラあるいはヤマト隊が標的となる可能性を示した。そのため最高評議会と国防委員会は、その特使であるアスランをFAITHに任命しキラの専任護衛に付けたということだった。
傍らにいたキラは不服そうな面持ちで、彼の任務を円滑にするため保安部長と戦術作戦主任をアスランに譲るという。特殊機動部隊として最小構成からなるヤマト隊は、それらをキラが兼任していた。つまり、その場でルナマリアの直上の上司がキラからアスランになったということだ。
ルナマリアは急展開にことばを失い、隣に立つシンを見る。シンはひたすらむっつりとして──その理由は不明だが──何も声に出さない。いつもならこの状況に生意気な厭味や態度を見るのに、むしろそのおとなしさが不気味だった。
パイロットのシンがその場に一緒に呼ばれたことは不思議だったが、それらのことに困惑した表情に気がついたのか、私生活も含めたキラの護衛を個人的に依頼していた、とアスランが説明した。
───そうまでして護衛する理由が、何か?
思考にのぼってすぐ口をついた質問は、何か失礼なものいいだっただろうか。ほんの一瞬沈黙したアスランはルナマリアを見、そしてシンは視線だけをルナマリアのいる反対の方へ投げた。だが意外にもその答えはそのままのシンから返された。
「このヒト、オーブ代表の血縁だろ。たまたま知ってるおれにちょっと警戒しとけって、そんだけのことだよ」
公表はされていないがキラとカガリが双子のきょうだいなのだということは、ジュール隊にいたころに聞かされた。もちろん、そんな話がでたのはその隊長と副隊長、シンの四人だけがいたという状況で。そんな隠しごとを漏れ聞くほどには、彼女もそれを共有する仲間と認められていたのだと。つまり、たまたま知っていて、護れるほど近くキラのそばにいたのはシンだけではないということが、ルナマリアには少しばかり不満になった。あまり大事にできない事情もあったかもしれないが、自分にだって彼を護ることくらいできるのに、と。ましてや軍令ではなく、アスラン──知己の頼みごとだ。水くさい、と思った。
だが、そんな不満を彼女は、いまやいえる立場ではなくなっていることをすぐに思い出したのだが。

室内の壁際、艦内監視のターミナル画面が並ぶ席から小さなどよめきがあがった。
その話し声はこちらに届かないが、内容の察しはつく。おそらく各員の個人端末に追加配備の全艦通達が届いたのだろう。追加配備とは、要するに件のアスラン・ザラとインフィニットジャスティスだ。続けてブリーフィングを報せる艦内放送があり、こちらも予定時刻通りだ。
「作戦会議の警備任務にいくわ」
それを受けてルナマリアが誰にともなく声をかけると、いちばん近くにいた同僚が応えた。
「ブリーフィングに、か? そんな命令、誰が…」
艦内での作戦会議にキラはこれまで警備を置くことをしなかった。彼の疑問はもちろん理解した。
「新しい保安部長よ。少し厳しくなりそうだから、覚悟しておいたほうがいいみたい」
ルナマリアはいつになく威圧感が漂っていたアスランを思い起こし、そう忠告する。会話を聞いていた室内が、また少しざわつく。
実をいえば、アスランがザフトにもどることを心情的に歓迎する者は少なくない。だが、混乱させるだろうことも事実だった。
アスランの二度の脱走が、その一度目はギルバート・デュランダル当時議長のはからいから不問、異例の離隊の扱いで複隊し、驚くことには二度目はその後の追撃で軍籍上“死亡”のままとなっている。彼はあくまで“死んだアスラン・ザラと同名のオーブ人”で、ザフトに出向中のオーブ軍人なのだ。それを表すように認識番号も新しく発行されている。真っ白になったザフトでの彼の経歴に、それをさらう誰もが不審に思う。そして時間が経つほどにいらぬ憶測を増して広がるだろう。
単なるエージェントにとどまらないアスランのポジションに、彼女の同僚は次々と困惑を口にする。彼らの気持ちはもちろん、充分なほど判っている。しかし、ルナマリアはついに黙っていられなくなった。
「ちょっとあんたたち。ヤマト隊長についていくって決めてここにいるんでしょ」
ざわめきがぴたりと止まる。
「でも、このくらいのイレギュラーで動揺してるようじゃ無理ね。こんな、何させられるか判らないような隊にきたのは、みんな何か理由もあったんでしょうけど。残念ながら覚悟のほうは足りなかったみたいって、そう隊長に報告するけど、どう?!」
「…ちょっとまてよルナマリア、少し驚いただけのことだろう」
そういって先の同僚が「わるかった」と彼女を引き止めた。それならいいけど、とルナマリアは踵を返し、保安部室をそのまま後にする。
彼らはこの程度のちょっとした釘刺しで充分だろう。所属を移してから打ち解けて話すあいだに、彼らは存外に無邪気で「おもしろそうだから」という理由でヤマト隊の配属を希望した者が多いことを知った。もちろん、そうであっても職務には忠実で優秀な人材であることも確かだ。上層部の指示に異を唱える者などいない。
「むしろ問題はわたしよ。……気が重いわ」
彼女ひとりのつぶやきに、今度は応える者がその場にいなかった。ふいに襲ってきた孤独感と向き合い、それを難なくやり過ごすには、彼女の質は人好きで開放的過ぎたかもしれない。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第二作戦室

エレベータが目的のフロアに到着し、開いた扉の五メートル先に佇む二名の上官を認めるとルナマリアはあっと息を詰めた。
「遅くなりまして、申し訳ありません!」
考えごとに捕らわれてついゆっくりとしてしまったか。
第二作戦室の入口のそこへ小走りに駆け寄りぴたりと足を止め、目の前のキラとアスランに敬礼する。
アスランは表情なく静かに返礼して、その腕をもとあったウェストの後ろにもどした。左腕は端末ボードを抱えている。キラはそれと同じ方の手で制帽を抱えているだけだった。どうやらコロニー降下後の作戦指揮を、本当にアスランに任せるつもりらしい。
「ごくろうさま。遅くなんてないよ。ぼくたちが早すぎたんだから」
静かに微笑んでそう返すキラのさきで、参集した兵たちが戸口に立つ上官に恐縮しながら敬礼し部屋へと入っていく。確かに彼らは早かったようだ。せめて、扉の外ではなく室内へ入っていてくれれば、彼らも中へ入りやすかろうと思う。
「ごくろうさま、シン」
キラが声をかける方向を見やると、不機嫌も顕なシンがやってくるところだった。かなり適当ではあったが一応の敬礼をして作戦室へと入っていく。彼は今日ずっと機嫌がわるいままだ。アスランがきっかけだったことはなんとなく察しているが、はっきりと理由を聞いたわけではない。機嫌がどうでも、このまま彼がおとなしくしてくれていればいいのだが───。
ルナマリアが思うことは、揉めごとはとにかく勘弁してもらいたい、ということだった。ただでさえ、この作戦で新規の人員が増えた分、気苦労が増えているのだ。
今回急場で集められたとはいえ、タスクで参入した兵はそれほど、いうなれば品のない者たちではない。ザフト幹部がそれなりにオーブに対して気を遣っているらしい。だとしても、最初から特命で配属されている兵らとはまた意識が違うだろう。キラやヤマト隊に対して。さらに、シンを見て判るように、アスランは元の隊員にも複雑な事項だ。いくら規律を勤勉に守る態度の良い者たちでも、今後いくらかのトラブルを起こすかもしれないと頭の隅で想像し、彼女はうんざりしているのだ。

先走った想像に疲れて大きなため息がでそうになったとき、「ここを頼む」のアスランの呼びかけがルナマリアを正気づかせた。とうに予定時刻となっていた。
いい置いた彼はキラを残し、ひとりで扉の中に向かっていってしまった。おや、と彼女が気がつく間に、キラが「アスラン」と呼び止める。彼はすぐに振り返ったが一言も発することなく、ただ見据えるように少しだけ顎を引き、キラを見た。それだけで向き直し作戦室へと去ってしまう。そしてその扉はすぐに閉められてしまった。
ルナマリアがそっとキラの表情を伺うと、閉じた扉をじっと見つめる横顔はいつもの読めない表情になっていた。
今のは何だったのか。必要と思われる会話が欠けているのは、幼馴染ということだから、それこそ阿吽の呼吸というやつなのかもしれないが、周りにいる人間にとってはどうにも取り残された気分だ。
それはともかく、その場に佇んだままになったキラにルナマリアは話しかけた。
「あの、隊長は、中へは……」
「うん、もう任せたから。アスランに」
急な命令系統の変更は部隊が戸惑う。この作戦会議にキラが同席しないことで、兵らに直上の指揮官を明確に刷り込ませようというのだろう。そんなことはすぐに察した。
「……え、と………」
「このくらい自分でどうにかするだろうし」
そういうことではない、と否定すると「アスランのことを心配してるんじゃないの」と彼は小首を傾げた。
ブリーフィングが彼自身のことで多少荒れたところで、アスランはそれなりに対処できるであろうことをルナマリアは以前に見知っている。
「あのー、隊長がこのままここで、その…なんていうか、」
「ぼーっと立ってるのが変?」
「そうです」
非難めいた声になってしまった。用事がないなら自室か艦橋にでももどればいいことだ。少なくとも、この艦内でいちばん偉い立場にある人間がぼんやり廊下で待機など聞いたことがない。
「離れると怒られるし。アスランに」
「そんな理由ですか!」
「さっき、ここから動くなって目配せしてったでしょ」
「いえ、判りません、そんなこと」
「退屈だから話し相手にルナもここに呼んでくれたんだろうけどさ」
「それは違うと思いますけど?!」
んふふ、と笑って、彼はそれきり黙った。軽口のどこまでが本気か判らない。

それからしばらくの沈黙が続いた。人の行き来がある通路というわけでもなく、閉ざされた目の前の作戦室からは何も聞こえてはこない。そこは完全防音になっているのだからあたりまえだ。
この状況が気まずい相手というわけでもないが、暇つぶしは必要だろう。冗談ではなく話し相手になることはやぶさかでない。
「アスランがきたこと、何か不満なんですか?」
我ながらその話題の選択はいかがなものかとは思った。だが、ずっと引っかかっていたことではあるし、アスランがいるところで聞けることでもないので迷いはしなかった。キラが困る話題なら彼自身がうまくはぐらかすだろう。
「なんで、そう思うの」
小さく苦笑をこぼして彼は聞き返してきた。
「さっきは不機嫌そうに、見えましたから」
めったにあることではない。元の性格なのか、それともそれなりに指揮官として自重しているのかは判らないが、まぁ前者なのだろうとルナマリアは想像している。
キラはポーズをとるようにひとつため息をつき、小脇に抱えていた制帽を手前にいじりながら語りはじめた。
「うん。不満ていうか、今回は失敗しちゃったと思って」
「…失敗?」
「アスランを引っ張りだす気はなかったんだ。彼がいると、めんどくさいんだよね、いろいろと」
「……はぁ……」
専任護衛の秘匿のために今作戦の指揮まで負うことになって、面倒になっているのは実はアスランだけのようにも見えるが。
「シンがやたらとぼくの護衛任務に就きたがってた意味もやっと判ったし。アスランて無言実行なんだ、昔から」
私的護衛の件が当人を差し置いた話だったことはさきの会話の流れでなんとなく察した。そして、アスランが世話をやきたがる質だということは、キラから何度か聞いた昔話で知っていた。
確かに彼の行動は過剰ではないだろうか。ザフト内に信頼する者も少なくないだろうに、自分自身がここへくることは確かに面倒が多く、合理的でもない。だが。
「ぼくがプラントにくるって決まったときから、根回ししてたんだろうな、きっと」
「…アスランがここへきたこと、ですか。そりゃ、取り次ぎが早いなぁとは思いましたけど…。でも、だったら始めから一緒にくればよかったんじゃないですか?」
「だから、それはめんどくさいことになるから、ぼくはそういう話題を避けてたわけ。アスランもひとこともいわないし、そんなこと」
「何がそんなにめんどくさいんです」
「なにもかもだよ」
キラは投げるようにそういって唇を尖らせた。
予想はしていたが、なんというか友人間の、というよりは兄弟げんかの愚痴を聞いている気分になってきた。ルナマリアは嘆息して、これ以上を詮索するべきかどうかの判断に迷う。
その間にキラは制帽をきちんとかぶり直し、急に雰囲気を変えてこういった。
「結果的に、きみの仕事も面倒なことになってるでしょ?」
何をいわれたのか。そのまま保安部の仕事のことをいっているのか。───否、と悟ってルナマリアは一瞬冷水を浴びた気分になる。凝視したキラの顔は、穏やかに微笑んでいたが。
「……あの…」
まさか、と彼女は思う。
「きみは判ってると思うけど、ぼくもアスランもプラントが困るようなことは考えてないよ。だからきみもあまり困らないで」
キラはそして、ごめんねルナマリア、と付け足した。見つめ合ったまま、少しの沈黙が落ちる。
「……ご存知、なんですか…」
「知りはしないけどさ。察することはできるよ。あんまりデーべライナーが自由にしてるもんだから、国防委員長から煙たがられているし」
ルナマリアはそれを聞いてうっと詰まった。
「ラクス・クラインと議長の権力の庇護下にあって。オーブ代表に近い人間だって切り札までもってるって。そんな話でも聞かされたんじゃないの」
苦笑を交えて、キラは滔々といい当てた。
確かにルナマリアはデーべライナーに乗る直前、機密取扱資格を取るためにもどったアプリリウスで、アリー・カシム国防委員長からいい渡されたのだ。“部外者”の好きにさせないようヤマト隊の監視をしろと。実際にはキラが用意したものを、そのための資格と所属なのだとまでいわれた。
もちろん、アリーが疑うようなものがキラにあるとは思っていない。だからこそ引き受けることもできたのだ。むしろ、自分がそうしたほうが、キラを守ることになるかもしれないと。
「内務監査局を動かす正当な理由を探してるってところでしょ。パイロットから外したことで、きみがぼくに対して隔意があると踏んだんだろうね。それともきみがわざとそう仄めかしたりした?」
「……何のお話か、わたしには判りません」
あまりにも見透かされているためにルナマリアは口を噤んだ。この相手に対し、これ以上明かすことはない。無論、本来明かしてはならないことなのだ。キラはそれも理解して自らこうして口にするのだろう。ルナマリアの心情すらも見透かし、もしや、それで彼女が隠していることを負担に思わないように、と?
キラはごまかしたルナマリアを気にすることなく続けた。
「ああでも、アスランのことは多少悪し様に報告してもかまわないよ。早く艦を降りて欲しいし」
「何いってるんですか。隊長の護衛に必要な方です。いてもらわないと」
キラに敵が多いことは確かなのだ。それは、今自分が明かさなかったことひとつをとっても、そうなのだ。そこへ自分自身への風当たりを知りながら駆けつけた人を、どうしてこの人から引き離すことができるだろうか。


C.E.75 2 Feb

Scene デーべライナー・指揮官室

標準時にして深夜の時刻へ差しかかる頃、キラはアスランとともに休息に入った。とはいっても、コロニーへの降下作戦をまえに規則通りの時間を休めるわけではない。本来ならキラと交代で指揮が可能な人間の増員だったが、キラ付きの専任護衛とあってはそれもままならない。人的資源の足りないザフトにおいて、これ以上贅沢なアスランの使い方があるだろうかとキラは嘆息した。
「───どうする、今日」
そういって制服の襟をくつろげ、ベッドのうえに制帽を放り投げる。アスランは何も応えずに放った帽子を手に取り、壁にある専用フックにかけた。その行為をどうにも厭味っぽく感じ、キラは不機嫌が加速する。
アスランは次に据え付けのクローゼットを開き、赤い上着を脱ぎ始めた。キラはその色をじっと見つめる。
“ザフトレッド”───アカデミーで卒業成績上位、かつパイロット志願で特殊訓練と技量をクリアした者のみが与えられる色。心技体ともに優秀で少数、そのうえで最も死に近い最前線へ自ら進む者に血と同じ色を与えるなど、平和ボケしていた頃には皮肉としか受け取れなかったものだが。
エリートの証は同時にその気概なのだ、と以前ディアッカから教えてもらったことがある。だが、私意で動いたアスランにもうそんなつもりもないだろう。むしろ、赤を受け取ったその最初から、そういうことには頓着しなかったのではあるまいか。負けず嫌いではあるが、エリートらしからぬプライドの欠け方をしている彼だ。
「どうすんのアスラン」
キラはもう一度訊いて、脱いだ制服もまたベッドに放った。さらに、自分の身体をそのうえに投げ出す。アスランはキラの身体を器用に転がして、下敷きにした制服の上着を取り上げた。
「何が」
部屋にもどって最初に聞いた彼の声音は少しも優しいところがなかった。今日はそんな声しか聞いていない。
アスランがキラの制服をきれいに整えてハンガーにかける。見つめる先の背中は赤ではなく、身体の線がくっきりと浮いたアンダーシャツになっていた。
「する?」
キラの問いに一瞬アスランが止まる。だがすぐに動いて、今度は白のブーツと制服の下を脱ぎ始めた。応えはない。その気がないならそれでもいいとキラは息を吐き、腕を枕に横を向いた。
寝室のベッドは当然だがひとつしかない。自身の部屋の用意を断った彼がどこに寝るつもりなのか知らないが、まさか執務室の方のソファとかいうつもりはないだろう。同じベッドに寝るのなら、そういうこともするかもしれないと思っただけのことだった。何しろ、前回肌を合わせたのは年が明けるまえのことになるのだし。
そんなことを考えながらウトウトしかかったところで、臍の下あたりをごそごそといじられる。
「なに」
頭をあげて見ると、アスランがキラのウェストホックを外しにかかっていた。
「……すんの?」
「そのまま寝るな。皺になる」
ブーツに続いてずるりとスラックスを脱がされる。小言がなければアスランではないが、いいかげんに放っておいて欲しい。世話を焼かれるのは面倒くさい。とくに今は、そういう気分なのだ。
「したいのか?」
再びクローゼットを向いた背中がそういった。
「判ってると思うが、おれは今日機嫌がよくないぞ」
自分勝手にするぞ、ということだろう。
「そんなの、ぼくだって機嫌わるいよ」
「……だったら誘うな」
ばたん、と大きな音をたててクローゼットの扉が閉まる。確かに機嫌がわるいのだろう。
キラは「ふん」と鼻を鳴らして目を閉じた。それでもベッドの左へ動いてアスランが寝るための場所を空けてやる。背中を向けた先がベッドへとあがってきて、スプリングがきしんだ。枕だけは譲ってやるものかと片腕でしっかりと押さえて、顔をそこに埋めた。
「───キラ」
小さく低く落とされた声が落ちてくる。キラは枕を抱えたまま振り返って相手を見た。思ったより近い位置に彼の顔がある。アスランは両手をついてキラの顔を覗き込むようにしていた。
「…機嫌を直せとはいわないが…」
「……いわないの」
「………おれが直せないからな」
「頑固だね。知ってるけど」
次の応酬に身構えたが、アスランはそこで黙ってしまった。
「直せとはいわないけど、なに」
なかなか続けない彼に焦れて、結局キラからアスランがいいかけた続きを促す。
アスランはそれでも何もいわず、静かにキラを見下ろしていた。
「…なに…アスラン」
キラは無理な体勢で捻っていた体を仰向けにもどして転がった。その先でじゃまになったアスランの片腕はキラの動きに合わせて自然にあがり、キラの顔の脇に置かれる。
アスランはそのまま、何かをいいだせないかのように何度か口を開きかけ、閉じる。キラは彼をよく知っているが、いいだせないのではなく、いいたいことがありすぎてことばを選べないのだろう。こういうとき、何を選んで告げるかによって男の評価が決まる気がするが───。
「眠いから明日にしない?」
そういったときのアスランの絶望したような呆れたような表情が、そのまま夢にでてきそうだと思いながらキラは枕を抱え直した。

そして、慣れたと思ったらこれだ。
しばらく遠のいていたはずのぬくもりがもどった途端、わずかでも離れれば気がつく。こんなに甘やかされた自分でいいはずがない。
キラはふいの目覚めにそれだけのことを思考した。
昨夜、一方的にキラが告げたおやすみのあと、アスランはため息をつきながらも背中を向けるキラをその背後から抱えるように腕に閉じ込めて眠りについた。今はそれがない。はっきりとした覚醒の一瞬まえ、キラは自分の腕がそのぬくもりを探して彷徨ったことに気がついた。探し当てることができずに目が覚めたといってもいい。
軽く舌打ちをしてもぞもぞと起きだし、時刻を確かめると、体力を回復させるくらいの時間は経過していた。

「……おはよ…」
「おはよう」
執務室へ行くと、アスランは指揮官室出入り扉の脇にあるソファでコーヒーを啜っていた。手前のローテーブルには淹れたてと思しきコーヒーがもうひとつ置かれている。キラが起きて支度する気配を知って、彼の分も淹れたのだろう。自分のコーヒーがあるとなれば、キラもデスクではなくソファへ向かうことになる。
「ランデブーにはまだ時間あるよ。…きみ、休息足りてないんじゃない」
アスランの対面に座りながらキラはいった。実際にはデーべライナーがプラントを発つより早くジャスティスで地球を離れていたアスランだが、この艦へ合流するために相当な身体的負担を強いたのは違いない。
「無茶ばかりしてさ。立場のことも考えて欲しいし。怖くてプラントにもどれないよ」
「起き抜けに説教か。キラも偉くなったんだな」
憎まれ口をいう彼の顔を睨むふりでよく見たが、疲れを残している様子はほぼなく、キラはそっと胸をなでおろした。
「一晩で機嫌は直らなかったようだな」
キラがコーヒーの入ったカップを持ちあげるのと入れ替わりにカップをテーブルに置きながら、アスランがつぶやくようにいった。ただ、視線はまっすぐキラに向けられ、宥めようとか茶化そうとかそういった雰囲気は一切ない。
「…認めてないからね。きみのしたことなんて」
「かまわない。おれは、おまえの傍にいることがいちばんいいと決めたんだ。あとは瑣末なことだ」
キラは冷たく返事をしたが、対するアスランもわずかに硬い声でそういいきった。
「ぼくがしてることを見抜けなかったのがそんなに悔しいの。代理のお目付けじゃ足りないってわけだ。そうまでして───」
「判ってないようだなキラ」
キラを遮って急に立ち上がったアスランにほんのわずか怯み、口を噤む。だが、アスランは自分のカップを取るとキラが座るソファの後ろを過ぎて部屋の脇にある簡易キッチンへ向かった。

アスランの様子は、昨日より憤っても見えない。キラの不機嫌につきあっているだけだろう。それも判っているのに、キラは彼が立ち上がった一瞬、叩かれるとか、そういうことを想像して身構えた。
自分の勘違いが何故だかおかしかった。アスランがキラに暴力をふるうようなことは考えられない。だから、キラ自身がアスランに対して負い目を抱えていることの表れなのだろうと思った。
観念するしかないということなのか。
アスランを少しでも、この場から遠ざけることができたならと、思っていたのに。
キラはプラントと前線勤務を約束している。SEED研究の被験体の活用も義務となっている。アスランがここまできてしまっては、“リスト”に入る彼も被験体として取り扱う義務が生じてしまう。それを割り切れる自信がない。冷静を欠くかもしれない。判断を誤るかもしれない。そして、彼が傍にいることで緩みが生じるかもしれない。
これはすべて、キラ自身の弱さだ。ウィークポイントはできるだけ遠くにしておきたい。でもそれは手前勝手なことで、アスラン自身の意思をすべてどこかに置いた話だった。
キラが思うのと同じように、アスランにとってキラが彼の弱点となることは知っている。アスランがそれを自覚していることも。
でも彼はキラのように逃げることを許さず、それを覆しにきたのだ。それを「認めない」などと、いったいどの口がいったのか。
キラは思い切るようにカップに残されたコーヒーをあおった。
「………判ってるよ」
だが、意を決したはずのことばは小声になってしまった。それが、投げ遣りや厭味で返したのではない証しになっただろうか。
背後から急に伸びた腕が、キラが持つカップを奪い、片付けられる。
「────あ…」
───ありがとう、ごめん。
そういえばいいのに、と。
「判ってない、少しも」
座るキラの背後から落ちてくる声。
「だから、思い知らせるためにきたんだ。おまえは怒って当然だ。おれのすることが理不尽だと」
そこまでいって一呼吸を置いた。
「ただひとつだけ知っていて欲しい」
アスランの指が、そっとキラの後頭部を梳く。

「おれにはもう───おまえしかいないんだ」

キラは後ろを振り返ることができなかった。
動かずにいたキラに焦れたのか、アスランは自らキラの正面に回りこみ…テーブルがじゃまで少し左に逸れていたが…、片膝をついて視線を合わせてきた。
「…なんて顔、してるんだ」
泣きだす寸前の顔を、していたかもしれない。アスランは苦笑いして緩めた表情で優しくキラに語りかける。
「キラ───?」
「…ぼくだって…きみだけ、だよ」
それを告げるだけでいっぱいだった。本当に泣き出すことはなかったけれど。
アスランは微笑みを向けたまま隠すように息を吐いて、判っていない、といいたげな瞳をしていた。そんな小さな心のゆらぎをキラは感じ取ってしまう。わだかまったまま、それでも身動きができなくなってしまったのは、さきほどのアスランのひとことだった。
彼にこんな寂しいことをいわせるのは、自分にも責任あることなのだ、と。


C.E.75 2 Feb

Scene ボルテール・艦橋

本国評議会からは、「ジュール隊はヤマト隊に合流し、治安介入部隊としてともにアルテラ鎮圧作戦を実行せよ」と通達されていた。自分らのような者たちが押しかけることでコロニー内部の混乱がどのように広がるかは判らないが、最悪の事態をすぐに想像してしまうのは過去の経験ゆえに仕方がないことだ。
それを察したとも思わないが、キラが画面の向こうから、アルテラ政府には市民の基外避難を進めるように指示したといった。
───ああ、キラもいたんだったな、「あそこ」に。
その頃の彼は、確かまだ一般の学生だったはずだ。
自分は、ザフトの軍事養成機関をでて四ヶ月後の、初めての潜入作戦だった。結果、想像すらしなかったヘリオポリスの崩壊を目の当たりにして、そのあっけなさに驚きはしたが、ゲームのエンド画面を見るような冷めた思いしかなかったように記憶している。
正直なところ、今また同じシーンを目の前のアルテラで目撃することになったとしても、ただナチュラルを敵としか思っていなかった頃と大差はないのかもしれない、と思いはするけれど。
無情というのでもなく、ただどこか麻痺しているように感じるのは、あるいは心理訓練のたまものか、自身を守るための心の防壁なのか。
そうでなければもともとがそういった無感動な人間だったということだが、それを確かめようもない。ガキの頃はどうだった?などと尋ねる相手が傍にいるわけでもないのだから。───そう、画面の向こうにいる、あいつらのように。
「機動部隊はどうする?」
ディアッカは艦橋の通信モニター内を占めているキラに問うた。ディアッカはジュール隊の副官の立場とともに、モビルスーツ隊の戦闘指揮官でもある。
『基外の港湾付近で待機させる。立てこもり犯の手にザフトのMSがあるのは事実だ』
キラの背後に立つアスランが返答をよこした。たった今その人物から今作戦の説明もあったばかりだから、降下後の作戦指揮は彼がおこなうのだろう。

ジュール隊がランデブーポイントに到着してからまもなく、デーベライナーと接触回線でのブリーフィングがおこなわれていた。こちらは艦橋でそれを受けているが、向こう、デーベライナーは艦橋脇の作戦室で繋いでいるようだった。その場にはキラとアスランのふたりしか見えないが、最初に挨拶があったので、艦長アーサー・トラインも艦橋から繋がっているらしい。
イザークが指揮する増援部隊は、アルテラ周縁部の包囲を担当することになった。キラとアスランのふたりが内部に降りるため、指揮系を代行する役割もある。
さすがに長いつきあいだ。その内容を告げたアスラン自身に不本意があることは窺い知れた。それはそうだろう。何故アスランだけではなく、キラまでアルテラに降下する必要があるのか。自分らが合流したことで指揮の維持がかなうといったのは、そのアスランでもあるのだが。───まぁ、いわされてるんだろうな、と思うくらいには、昔よりも彼の気持ちは読めるようになった。
「聞いてきたより、だいぶきな臭い話だな」
イザークが腰にしていた腕を上げ、組んだ。通信を開始したときに爆発した憤りをいったん抑えて、話に集中を切り替えたようだ。
「きさま、本当にその作戦でいく気か。だいたい、本部はエヴァグリンの何を認識している?」
『…全部です。エヴァグリンを“動かしたい”といったのはぼくで、本部も同意しています。“アルテラの話”をあとからもってきたのはアスランだったけど、想定内ですよ』
キラは表情を動かさずそういった。背後のアスランは、キラの言でさらに表情を固くして少しばかり恐ろしい気配だ。
“アルテラの話”とは、オーブ軍の情報機関が収集した、エヴァグリンとアルテラを結ぶ証左のことだ。辺境にありがちな租税回避策を利用して、エヴァグリンに繋がる企業の資金洗浄を助けているとオーブはみている。
実際、アルテラは戦時中からザフト基地引き揚げを打診されており、窮地に立たされている状況だった。大洋州連合本国の管理も行き届かない廃れた区域で、自治政府が頭を悩ませているところ、ブルーコスモスがつけいったということだろう。
『でも、目先の状況を収めるのが先決ですから。エヴァグリンのことは、その次です』
「とはいってもな。どう絡んでるかまでは判らないんだろ。端から頭に入れて動いたほうがよくないか。とりあえず、おまえは艦に残れよ」
少しばかり急いて見えたキラを諌めるつもりもあって、ディアッカは口を出した。事件は「ザフト基地の襲撃」なのだ。ブルーコスモスの一組織が出入りしていると判っているそのアルテラで、彼らによるテロ行為ではないと何故断言ができようか。
『追及しないつもりはない。知事が腹を割って話さないのなら、それなりの対応をする』
そう返事をしたのはアスランだった。キラに「艦に残れ」と、いわばアスランに助け舟を出してやったつもりだったが、その彼に流される。その様子を見てディアッカは心のなかでやれやれと嘆息した。
「まぁそのつもりなんだろうけどさ。…にしてもおまえ、国から持ってきた話をザフトに全部漏らしていいのか?」
すでに余談だが、率直に訊ねた。オーブ軍の情報部が収集したエヴァグリンの活動に関する調査内容は、表裏問わずザフトが得ているそれとは差があるようだった。国家間で協力関係を結んでいるとはいえ、それが“アスラン”の口からもたらされることについて、多少心配にはなる。
『情報の取り扱いは一任されている。迂闊に開示しているわけじゃないから安心してくれていい』
向こう側からのすかした返事に肩をすくめると、隣に立つイザークが苛ついた気配で割り込んだ。
「こちらの降下部隊も待機はさせておく。必要ならいつでも呼べ」
『ありがとうございます、ジュール隊長。デーベライナーとエターナルをお願いします』
モニターには、これから危険な作戦に赴くとも思えない新米隊長のやわらかな笑顔があった。イザークはそのモニターを、ブリーフィングの開始から睨みっぱなしだ。もちろん緊張感の見えないキラにではなく、その後ろに控えている人物に対して、だろう。
「気をつけて行けよ。もどったらすぐに報告を入れろ。きさまの、後ろにいるやつの話も、聞きたいしな!」
最後のことばを吐き出すようにイザークはいった。モニターにはちらりと後方に目をやるキラと、イザークの憤懣を見て薄笑みを堪えるアスランが映っている。キラはカメラに視線をもどすと『了解』といって通信を終了した。

途端に「なんなんだあれはァッ!」というイザークの雄叫びが艦橋に響いた。ブリッジクルーは、こんな隊長の姿に慣れたとはいえ、今回ばかりは何を憤っているのか理解できず目を白黒させている。
ディアッカもイザークも、アスランがデーベライナーに乗っていることをまったく知らされていなかった。モニターにその顔を認めただけでも驚いたのに、彼はそのうえザフトの制服を着ていた。
「まったくな。何やってんだろうねぇ、あいつは」
ディアッカが笑いながら茶化すと、「このおれが、知るかッ!」とイザークが怒鳴った。
何となく状況は読めている。キラがプラントへ何をしにきているのかも知っているし、デーベライナーの目的も教えてもらっている。デーベライナーの進宙式があった日、イザークともどもに、キラがすべての事情を打ち明けてくれたのだから。
「まぁ、キラを護りにきたんだろうな、ザフトにもどってまで」
イザークもそんなことは判りきっているだろう。だが、一年前と同様にもどれと声をかけた自分の手は借りず、いつのまにか勝手にもどっていることが腹に据えかねているのだ。アスランはいつでも、誰も頼りにしようとせず、ひとりで突っ走っているように見える。
「あいつはいつもそんなだ!」
だが、イザークはそのひとことで今度こそ頭を切り替えたようだった。次のひとことはもう落ちついていた。
「───何があるか判らん。索敵警戒厳にしておけ。モビルスーツ隊は全機アラートだ」
メサイア攻防戦から各所で小競り合いが続く状況の中、勢力はより細かく分散され、世界全体を見ればますます混乱し、ブルーコスモスの過激派がその隙を狙う。恒久的な平穏など、望むほうが莫迦ばかしいことなのか。デュランダルがあの世でほくそえんでいるような気がする。
いずれにせよ、本当に「何か」が起きるのであれば、徹底的に潰さねばならない。戦時中の空気を備えたイザークの横で、ディアッカは艦橋前面に映るコロニーを冷淡に見つめた。


C.E.75 2 Feb

Scene アルテラ・庁舎

四機のモビルスーツに囲まれた武装シャトルが、アルテラ港からのビーコンに従ってゆっくりと進む。港の管制が正常に機能していることは確認できた。アルテラと外部との通信網は断絶されていたが、敵が外とつないでいる通信にこっそりと割り込み、そこからキラたちはいくらかの内部の状況を把握していた。外部と遮断されていることとコロニー内のザフト基地以外は、通常と何も変わらないということだ。
入港をすませるとすぐ、座席シートから立ち上がったアスランが携帯端末からシンたちモビルスーツパイロットに港湾内での待機を命じる。ボーディングブリッジをキラについて歩きながら、今度は警衛の小隊と基地を包囲する対テロ特殊部隊にも手短に指示を回す。キラが譲らなかったのは、自らの現地視察と知事との直接会見だが、それを通すための一切の手配も指揮もすべてアスランが一手に引き受けた。当然、息つく暇もないだろう。とはいえ───。
アスランとは今朝部屋をでてからずっとプライベートな会話をしていない。昨日の不機嫌全開な様子がもうないことは判っているが、それとは別に今日は冷ややかで物遠い。その昔、ディアッカからアスランの、アカデミーからクルーゼ隊にいた頃の冷然としたさまなど話に聞いたことがあったが、キラはずっと想像しがたく思っていた。つまりこういう様子だったのだろう、と今思う。感情を取り除いて、機械のように仕事をこなす、共闘した二度の大戦時にもキラには見せなかった雰囲気。おそらく、キラも見たくはなかった彼の一面。
「キラ」
急に呼びかけられてキラははっとした。アスランが背後から声をかけたのは、キラが左に曲がる方向指示灯に気がつかずまっすぐ進もうとしていたからだが、そのことよりも名を呼ばれたことに気がついたのだ。
「───あ、ごめん」
一瞬の思考から離れ、行きかけた方向を直して、また進む。
そういえばアスランはひとまえでも、キラをよそよそしく「隊長」とは呼んでいない。少しばかり「らしくない」と思う。なんというか、そういった公私の別といったものには、こだわるのに───。
訝しく思ったが、その考えを進めるまえにターミナルビルから外、コロニー内部へと辿りついた。

その風景に奇妙な懐かしさを感じた。アルテラはかつてのヘリオポリスと同じ、シリンダータイプのスペースコロニーだ。地平線がなく反り上がった地面は、プラントや地上の景色を見慣れた者には奇異な印象だろう。
まもなく出迎えに現れた政府高官らしき人物が、白兵武装した小隊を引き連れた彼らを見てわずかにうろたえる。このコロニーが長らくの平和を享受していた様子が窺えた。キラはまたもヘリオポリスを思い出し、どうしてもこの先に嫌なものを感じてしまう。
───さっきから弱気、かもしれない。だめだ。
今は隊長で後ろには兵を従えているのだから、自分がしっかりしないと──。
SPを連れた係官は足早に近づき、白服のキラに向かってくる。あと数歩の距離でアスランがあいだに割って入った。
「───外務次長補のジェイコブ・ターナーです」
「ザフト、ヤマト隊アスラン・ザラ。まずは内部の状況を確認したい。最新の地図を提供してほしい。こちらのデータと照合したい」
アスランは次長補を相手に相変わらずよどみなく仕事を進める。キラはそのまま任せて、街のほうを見渡した。ターミナルは筒の端にあり、内部の地面としてはややせり上がった位置にある。ここからはコロニーのなかを高台から見下ろす感じになる。車などの動きもほぼなく、静まりかえっているように見えた。そして、ザフト基地のあるあたり、かなり遠方だが視界のうちにある。そこも何の動きも見えず、状況は何も判らない。
そうしているあいだ兵らへの指示まで済ませたアスランが、次には次長補に案内を乞うた。キラと一緒に彼らが乗ってきた車へと乗り込む。
「……街は落ちついているようだな」
車が発進してまもなく、ふいに話しかけてきたアスランを見るとさきほどからの硬い面持ちは消えていた。声も穏やかだ。助手席の次長補が振り返ってそのことばに応える。
「警察は皆そちらに注力しております。このような厳戒態勢は初めてのことですが、幸い市民には混乱がなく…」
「基地周辺の住民は?」
「少し離れたところにある施設に全員避難させています。指示通り、状況によってはすぐ外部へ脱出できる場所です」
それからしばらく、アスランは次長補に街の様子をいろいろと訊ねていた。まとう雰囲気を柔らかくしたのは、彼の口をなめらかにするためだったのか。
───おかげで、ぼくも少し緊張がゆるんだかも。
この相乗効果まで果たして狙っていたのか、どうか。

外務次長補が「あれです」と指す方向にザフトのアルテラ基地が見えた。テロリストは何を考えているものか、沈黙したまま長い時間を過ごしている。基地内に食料の貯蔵もあるためか、取り急ぎに外部へ何かを要求することもない。基地の周囲は荒れた様相もなく、それは軍事基地を相手に容易く制圧したということも表している。
今時点、基地から逃げのびた者もいないという。キラは中のザフト兵たちの安否を思った。
ひとまずそれらを横目にして、車はそこから八百キロ先にあるアルテラ州会議事堂に着いた。持ち込んだ軍用トラックで追いかけてきた小隊のうち数名を護衛に連れ、キラとアスランは庁舎の三階へと案内される。通された部屋は要人用の会議室らしい。そこで待ち受けていた州知事は、身体が小さく、その表情にも気弱そうな印象のある中年期の男性だった。
「ザフト、ヤマト隊隊長、キラ・ヤマトです。貴国の要請により基地を占拠したテロリストの制圧にあたります。まずは状況の詳細と、テロリストについてご存知のことを教えてください」
「アルテラ州知事、ディビッド・オルターです。まずはこの事態をお詫びしたい。エルスマン議長にもくれぐれも…」
通り一遍の挨拶をキラは聞き流した。見るからに小胆な男だ。気温コントロールが最適なコロニーの中で、しきりに汗を拭いている。
社交辞令がすむと、部屋の中央にある十数名用の大きなテーブルの中ほどに促されてふたりは座った。
「……では、情報をお願いします」
キラが促すと知事は汗を拭きながら説明を始めた。

事件が起きたのは1月31日の明け方。
ザフト基地からのけたたましい警報サイレンに始まった。政府から状況の報告を求めると、正体不明のテロリストが基地内へ侵入、制圧行動を開始、ザフトは応戦中との回答、そして、一時間も経たないうちに基地からの通信が途絶えたとのことだ。その後すぐに、コロニー周縁の通信網がすべて隔絶されている状況が判明し、外部との連絡がままならなくなったといった。キラが、通信を繋ぐまでは。
「何か声明はありましたか」
「連絡が途絶えてから五時間後に届いた、この通信文のみです」
焦燥した顔の知事が会議卓に据えつけの端末を操作し、ふたりにその内容を見せる。キラとアスランは見たものを疑った。
「──独立?!」
簡単にまとめれば、大洋州連合からの独立を宣言、プラントの基地も追い出しその資金提供もはねのけろ、とアルテラ政府に求める内容だった。ありえない話だった。
「独立して、どうコロニーの運営を続けるつもりだ」
アスランは問うても仕方のない相手に聞いた。知事は汗を拭きながら、まったくその通りです、と応える。
L3宙域の単なるベッドタウンとなっているアルテラは、その一基だけで賄えるような資源を何ももっていない。大洋州連合本国と、今はプラントの援助でコロニーの運営が成り立ってるといえる。どう考えても現実的な話をしているとは思えなかった。ザフト基地の引き揚げについても長い時間をかけて調整が進まないのは、こうした切実な事情もある。キラは率直に訊ねた。
「それとも他に何か大きな後ろ盾が、あるとか?」
それはもちろん、オーブの情報機関が仕入れたブルーコスモスとの繋がりを諷喩していた。だが、知事はそれにも判らない、とだけ答える。
「テログループについて何かご存知のことは」
「……アルテラの、市民だということは判っています。軍事基地を一晩で制圧するような一団が、このコロニーに訪れた形跡はひとつもありません」
「……………」
キラは心のなかで嗤った。───それなら、軍事基地を一晩で制圧するような市民が、このアルテラにいたとでも?
表面の話だけを聞けば、これは要するに大洋州連合国民の一部による革命運動ということだ。ザフト基地はそれに巻き添えをくったということだろう。
「何しろここは民間犯罪の治安維持くらいにしか力をもっておりません。むしろ、ザフトの方に民間の問題を手伝っていただくこともあったような状況で……。そこへ基地が武装占拠されてしまったとあっては、こちらではもうどうにも」
おまけに本国は地上の国らしく、その瞬発力には欠ける。さらには外部との通信を遮断され、それゆえに自分たちでどうにかできないか考えていたというのだが、これでは考えるだけ無駄な話だ。そんなことは自覚しているだろう。知事がかきたくもない汗をかくのも判る。
「状況は理解しました。貴国にも報告して一応判断はもらいますが。我々も基地内の兵が心配です。貴国の艦を待たずに制圧を開始することになると思います」
キラが考えを淡々と告げると、知事は萎縮して応えた。
「……それは、……いかようにも…」
それを聞き終えると、キラとアスランは同時に立ちあがる。アスランは制帽を被り直すと、もうその場で通信端末を取り出し待機する兵らに指示を始めた。その合間に要求する。
「コロニー内に司令部を設置したいのですが」
「はい、この庁舎をお使いください。今部屋を用意させます」
会議室の外で待機していた係官を呼ぶと、知事はその指示を与えた。
「おれたちは一度艦にもどろう」
連れてきた小隊の兵たちをその場に残し、キラとアスランは港へ向かった。


C.E.75 2 Feb

Scene アルテラ・宇宙港ターミナル

それからキラとアスランは州政府の係官にターミナルビルまで送ってもらい、その道中、車の中では相変わらず私語なくいた。キラは後部座席のシートに背中を預けきり、自分なりにこのあとの判断をどうすべきか考えていた。ふたりになったらアスランがすぐにでも次の行動を述べてくるだろう。たぶん、キラが知事に予告したとおり、すぐにでも突入に動くといいだすはずだ。そのために、おそらくはジュール隊の人員も借りる気で一度艦にもどるといったのかもしれない。基地のあの様子を見れば、並な力で制圧するのは困難だろう。

その後、車を降りるとキラは「さて」といった。連れてきた兵は全員会議事堂に残したので、今ここにはキラとアスランしかいない。港に向かって歩きながら、どうする、とアスランを向く。アスランはキラをじろりと睨んで、おかしいと思わないか、といった。
「オルター知事の態度」
この状況で困りはてていることは見てとったが、それ以上に───。
「あれは、嘘をついているか隠し事をしている者の態度だ」
それをキラに向かっていい、そのあとは顔を俯かせて独りごとのように「尋問が必要か」とつぶやいた。それは焦って制する。
「ちょ、ちょっと! 民間人ってこと忘れてない?!」
「──しないよ。まだ今は」
視線だけよこしていう。なにやら物騒になっていくアスランに、キラはだんだんと苦りきった表情になっていく。
「その、ただの民間人しかいないはずのアルテラ市民の犯行だなんてことを、何故いいきるんだ、彼は」
「知らないよ。…あの声明の内容でひとこと疑念がでてもいいくらいなのに、ブルーコスモスのことを少しも匂わせなかった。そこはよっぽど隠したいんだろうね」
「───じゃあキラは、あれが連中の犯行だと思っているんだな?」
「違うとでも?」
「……ナチュラルだぞ、ブルーコスモスは」
「……………」
ザフト基地は当然、訓練されたコーディネイターばかりがいるわけで、その身体能力の差を考えれば襲撃者がただの主義者の集まりとも考えにくい。
「手際を考えても、組織だ。最悪でもオルターはアルテラ市民の一部の主義者が、と収めたいのかもしれないが、組織が入り込んでいることは明白だ。それが判っているから隠したいんだろう」
「…エヴァグリン」
「そうだな」
そう応えてアスランは足を止めた。
「制圧は大洋州連合の艦隊を待ってからのほうがいいかもしれない。下手に動いて──」
「でも、基地の兵は!」
アスランのことばにキラが慌てて反抗したそのとき、ふたりは覚えのある地響きを聞いた。

キラは体を返してきた方向へ走り始めた。後ろでアスランの静止する声が聞こえたが、そのままターミナルの大型ロビーに向かって走る。
「───基地が!」
コロニー市内を見渡せる全面ガラスのホールまで出ると、そのガラス窓の向こう側に爆発による煙が立ち昇るのが見えた。それを確認すると同時に閃光が見え、二度目の地響きがターミナルビルを揺らす。
遠くに見える基地が燃え上がっていた。そして、その周りには数機のモビルスーツが視認できる。
「どうなっている?! 状況は!」
窓に張りつき驚愕するキラの背後でアスランが怒鳴る。その先の通信機からは、庁舎に残してきた小隊長が返事をした。
『ジンが五機、ザフト基地からです! そのまま基地の破壊を始めて───』
キラが報告を聞き終わらぬまま再び走り出す。今度はターミナルの出口へ向かって。通信中だったアスランが一瞬遅れて、その腕を掴み損ねる。
「莫迦、行くなキラッ!!」
キラを追い走りながら再びアスランが叫ぶ。
「シン!」
『───了解』
港で待機するシンが即応するのが聞こえた。アスランの呼ぶ一声で、すべきことをすぐに理解したようだった。

ターミナルビルの出口にあるエレカポートまで走り続けたキラは、その場に止まるエレカのひとつに取りつき乗り込んだ。その直後にアスランが怒鳴りながら押し掛けてくる。
「体ひとつで行ってどうする気だ!」
エレカの操作コンソールに伸ばした手を強く掴まれ、痛みと止められたことに顔をしかめながらキラは訴える。
「でも基地の兵が!」
「シンを呼んだ。任せるんだ!」
その瞬間、ビルの上部にある物資搬入用のハッチが開き、シンが駆るバッシュが轟音をたてて侵入してきた。ほんのわずかの間、行くべき場所を見定めるかのようにスピードを落としたが、すぐに煙のあがる方向へ飛行していく。同じようにハッチから入ってきたドムトルーパーが三機、バッシュに続き地面に降下してくる。猛烈なホバーの轟音とともに二人の脇を抜け駆けていった。
それらの風圧を避けようと無意識に顔を背けた先に、一瞬かすめた気配をアスランは見逃さなかった。
「キラ!!」
アスランはエレカのシートに座りかけていたキラの身体を強引に引っ張り出し、その勢いのまま抱き込んで地面を転がる。何が起きたのか判らないまま、直後、キラの耳に空気を裂く破裂音がいくつか響いた。
抱きかかえられたような状態で、誘導されるままにターミナルビルとは反対のほうに向かって走らされる。ことばを発するいとまもなく、エレカポート構内の大きな柱の影に押し込まれた。途端、その柱が数カ所、目の前ではじける。
キラはようやく、自分たちが銃撃されていることを理解した。
「アスラン!」
キラをさらに奥へ押しやると、アスランは携行していた銃を取り出す。セーフティを外して攻撃がくる方向を見やった。その瞬間にまた数発の銃弾がこちらをかすめ、それが止む瞬間を読むようにアスランが反撃する。
キラは自分の通信端末を取り出し、デーベライナーで待機してるリンナ・イヤサカを呼んだ。続けてボルテールのイザークにも状況を説明する。
『待ってろ、すぐにこちらからも応援を───、……なにッ?!』
聞き取り難い通信の先でイザークが突然声を荒げた。その奥で誰かが何かを喚いている。
「イザーク?」
『アンノウンのモビルスーツだ! 攻撃───』
一瞬、通信が乱れる。
『攻撃されてるッ! 応援は待てっ!』
もどってきた声はそう告げて、一方的に回線を切られた。銃撃に応戦しながらも様子を聞いていたアスランが舌打ちをする。
「キラ。敵はあと、おそらく四人で全員ナチュラルだ」
空になった弾倉を交換しながらアスランは自分たちの状況を話す。敵の銃が発射される方向や狙撃精度から予想してそれだけのことは把握したようだが、それらが何者で、何を目的にしているのかは判らない。
とりあえず、相手はナチュラルというひとことに頷いて、キラは再びリンナに通信した。
「リンナ、こっちはいい。デーベライナーとボルテールをお願い」
キラも銃を取り出した。
「おれが向こうへ走る。できるか、キラ」
アスランはエレカポートのとなりにある、木々の鬱蒼とした公園を視線で示してそういった。そこへ自分が駆け込み囮になるから、彼を狙う狙撃手の位置を定めて撃て、とキラにいっているのだ。
「いいよ。きみを撃たせたりしないから」
───急所を外しながらも攻撃力を削ぐ位置に決める。自信を持ちながらも一瞬の恐怖があった。しかし、ラクスを庇って斃れた、彼女と同じ姿をした少女のことを思い出す。惻隠の情による結果が何をもたらすのか。キラはもう一度覚悟を決めて、アスランに頷いてみせた。
それに目で応えてアスランが柱の影から飛び出す。
フェイントをかけながら走るアスランの速力に、ナチュラルの銃撃は追いつかない。数度の為損じをすべて見逃さず、キラはアスランを狙った三人を一発で狙撃した。最後の一人はキラに銃を向けた瞬間にその肩を撃ち抜いた。
鳴り響いていた銃撃の音が止み、再び基地から響いてくる轟音に耳が向く。
アスランが警戒を解かぬままキラの元までもどると、ターミナルビルから武装警戒した宙港警備員が駆け寄ってきた。今の銃撃戦が時間にして数分のことだったとはいえ、今頃やってくるようでは対応が遅い。
それを非難することはしなかったものの、不機嫌を露にしたままアスランは警備員に現場の指示を残し、キラの腕を引いてターミナルにもどろうとした。
「アスラン…!」
キラは足を止めて基地へ行きたがる心を訴える。
「……いいかげんにしろ」
冷たくいい放ち、アスランは相手にしない。さらに掴んだ腕に力を入れ、引き摺るようにキラを歩かせた。


C.E.75 2 Feb

Scene アルテラ・ザフト基地

シンがコロニー内部にへ侵入すると、すぐ前方からもうもうと立ち昇る爆炎を認めた。上空からの視野でそこが軍事基地と判る。シンは迷いなくその方向へバッシュを翔けた。ホバリング推進システムで地上を滑りながらそのあとに続くドムトルーパーたちからは、それぞれに舌打つ声が聞こえる。
『ハイマニューバか。十機はいるな』
『数では負けるが、機体はこっちが上だね。さて、肝心の腕はどうかな』
マーズ・シメオンの声に呑気ともとれるような返事をヘルベルト・ラインハルトが返す。
『コロニーの中だ。できるだけ爆散させるんじゃないよ、野郎ども』
ヒルダ・ハーケンの指摘にシンは少し緊張する。初陣はやはりコロニー内部での戦闘だった。あのときは敵機を爆散させはしなかったものの(正確にはできなかった、だが)、コロニーに穴を開けさせることになった。今回は年代もののコロニーときている。アーモリーと違って脆い部分はあるに違いない。派手な攻撃はできる限り控えなければならなかった。
───ヤマト隊長みたいに先読みできりゃ、そりゃ、いいけどな。
射撃精度はそれなりに自信をもつものの、機関部や燃料系を避けきれるかといえば、相手もよく動く機体だけに完璧には無理だろう。バッシュとドムトルーパーはそれぞれにビームソードとビームサーベルを抜き放ち、基地に展開しているジンハイマニューバ2型の群れに接近する。彼らに気がついたジンはやはり腰部に備えた実剣をマニピュレータに装備してこちらへ向かってきた。
先行するシンが先頭のジンのメインカメラをソードで跳ね飛ばす。その息も吐かせぬスピードに怯むかに見えたジンはしかし、勇敢ながらビームカービンを装備し直し、バッシュに向かって撃ちかけてきた。
「───っ…! くそっ、やっぱりこいつら見境なしかよ?!」
バッシュの背後は宇宙港とターミナルビルで、そこには局員が多数避難せず残っている。おそらくキラとアスランもまだそこにいるだろう。シールドで背後を護りながら、さがるジンを追いかけてカービンを持つ腕も切り伏せた。続けざま腰部に狙いを定めて薙ぎ払う。機関部は避けたものの爆発を引き起こし、繊細なコロニーの大地が揺れた。
警衛の小隊長から、基地周縁部の住人は避難していると連絡を受けてはいるが、万が一に備えて一般市民は一時的にでもコロニーから退避させたほうがいいかもしれない。
「アスラン!」
指示を得るため上官に呼びかける。
『少し待て!!』
たったひとこと怒鳴り返すその背後からは、派手な銃撃音が聞こえていた。
「そっちも修羅場かよ! 何やってんですか!!」
続けて襲いくるジンの攻撃を躱しながら叫ぶと、うるさい!という一喝がもどってくる。いいさ、勝手にやってやる、と降下部隊を呼びだしてみると、すでにキラの指示が回っていてコロニー住人の誘導が開始されているとのことだった。
「先にいえ、ちくしょう!」
文句をいいながら三機めのジンを掌部ビームで粉砕する。戦闘から気を散らしている場合ではない。バッシュのほうが機能実力ともに上をいってはいるが、操作慣れを感じさせる複数機を相手に、わずかに苦戦する瞬間があった。
「なんでこいつら、コーディネイターなんだよっ!!」
ジンを操る搭乗者はいずれもコーディネイターだ。ナチュラルにここまでジンを自在に動かすことはできない。強化人間という疑いもあるかもしれないが、ハイマニューバ2型は操縦者を選ぶ機体だ。マニュアル通りを完璧にこなすだけの強化人間に、この練度を表すのは難しい。
『ちっ、知らないよ! テロリストはここの住人って話みたいだけどね?!』
ヒルダたちもすぐそれには気がついていたようだ。手を抜くことなくジェットストリームアタックを展開して、複数の敵機をまとめて薙ぎ倒していった。

コロニー外壁に甚大な被害は与えることなくすんだが、ジン数機は大破させてしまい、基地周縁一帯はまさに戦場の跡となった。
戦闘が終わると待機していた降下部隊が駆けつけ、生存するパイロットの救出と捕縛を始めた。一方のザフト基地は、モビルスーツ格納庫とおぼしきあたりが最初の爆発でめちゃくちゃにされており、敵の手にならなかったモビルスーツは戦闘に使われた機体同様、見るも無惨な姿を晒している。誘爆によるコロニーの破壊を恐れてか、武器弾薬倉庫は破壊を免れそのまま残っているように見えた。
───基地のひとたちは……。
シンは心配になって部隊の回線を開き、交信を聞いて状況を確かめた。
銃撃戦をおこなっていたらしい向こうでも一段落したのか、アスランが半壊した基地への突入指示を出していた。それから一分もしないうちに、今度は基地周縁を片づけていた小隊長から緊急の報告が入る。微かに声が上擦って、震えていた。

『…敵機……奪われたジンに搭乗していたのは───全員、アルテラ基地のザフト兵です!』

『───なに…?』
応えたアスランの声も震えていた。
それを聞いていたシンは───シンも、震えた。
大破した数機のジン、パイロットは助からなかっただろう。
───あれに乗っていたのは───。
「……そ、………そん、な……」
両の手をわなわなとさせて、全方位モニターを埋め尽くしているジンの残骸を見つめる。
シンはことばを失い、聴覚もその機能を拒否して、そのあと続いたアスランの指示も耳に入らなかった。


C.E.75 3 Feb

Scene デーベライナー・第一作戦室

「──あった」
キラは繊細に見える指をキーボードに滑らせて、データベースからひとつの機体データをピックアップした。作戦室を占める筐体の空中投影ディスプレイに接続し、その場にいるアスランとイザークに示す。そうしてから、デーベライナーの外部カメラにレコードされた映像をスチル操作して一部分を拡大し、そこに映った所属不明のモビルスーツと、先に示したデータをディスプレイ上に並べた。
「……だいぶ違いは見られるけど…ハイペリオン、でしょうね…」
「ユーラシア……か」
キラの見当にイザークがつぶやく。ハイペリオンシリーズはユーラシア連邦がアクタイオン・インダストリー社と共同開発した機体だ。そのうちのハイペリオンGは一度制式採用され量産機となったが、陸戦型のそれと件の所属不明機は大きくかけ離れている。アルテラの外でデーベライナーとボルテールらを急襲したものは、どちらかといえば三機のみ製造されたという試作機に近い。いずれにせよ、データベースにある設計からはかなりの改造が加えられ、機能性能ともに向上はしている様子だ。
イザークがキラの手元のコンソールを横から操り、外部カメラの映像を操作する。機体を覆う八面体の光を前面に翳したハイペリオンの映像が映った。
「モノフェーズ光波防御シールドですね。展開時間からみてもこの機体は核エンジンを積んでるんでしょう」
光波シールドは、ストライクフリーダム、インフィニットジャスティス、バッシュの盾にもその技術が使われている。だが、ハイペリオン独自にして最大の特徴としては、それを全方位展開可能となっていることだった。かつての“アルテミスの傘”のモビルスーツ版というわけだ。光波シールドの内側からは攻撃が可能なので、理論上は無敵の機体だ。
「単機で乗り込んでくるだけのことはあった」
投影された機体に視線を固定したまま、イザークがいった。

ボルテールが急接近するその熱源を感知してから、ほんの二十分間ほどの戦闘だった。ハイペリオンは一機で現れ、ジュール隊の機動兵器部隊を翻弄した。艦への攻撃はすべて防いだものの、出撃したザク二機を中破させ、現れたときと同様に突然この宙域から飛び去っていった。
「機体の性能もさることながらパイロットも並の腕とは思えない。プロではないだろうが、戦闘技術はかなりのものを持っている」
戦闘映像を流しながらイザークが感想を漏らす。キラは、パイロットが巧みに機体操作するさまに見入った。
プロの人間じゃないと思うのはどうしてですか、イザーク」
「戦術が稚拙だった。これだけの腕がありながら戦闘経験は浅いように思う。おそらくマニュアルも知らんだろう。そんな動きだった。……いい訳をするようだが、それが余計にパイロットを混乱させたようだ」
キラの質問に淡々と答える彼は、途中そこから視線を外してキラを見た。意味ありげな雰囲気だ。かつての互いの戦闘のことでも思い出しているのかもしれない。
「この件については、おれのほうから報告書を提出しておく。──では、そちらの報告を聞こう」
キラの背後に控えるアスランに目線を移しイザークは冷静な声でいった。だが、その眼差しはきつい。
抑揚なく話し始めたアスランの声が耳に入ってこない。キラはことの顛末を思って頭がいっぱいになっていた。

特殊部隊がアルテラ基地へ乗り込んだとき、すでにテロリストたちの姿はなかった。モビルスーツ戦が始まった時点で撤退し、コロニー外での撹乱でその包囲網を逃れたのだろう。
基地内は凄惨な状況だった。
襲撃のごく最初に化学兵器を使われた痕跡があった。兵はもちろん、兵站任務に従事する軍属を含めて見境なく、基地に勤めていた総勢三百名余の半数以上が、即効性の毒ガスによって死亡した。自然分解の速い型だったために一命をとりとめた者もいたが、救出までに時間がかかったこともあって回復の見込みがある者は少なかった。
さらに、ヤマト隊と戦闘した基地配備の機体、十二機に搭乗していたのはいずれもアルテラ基地に所属するパイロットであることが判明した。
存命したパイロットから聴取した内容を要約すれば、パイロット棟に銃器武装の集団がどこからか押し入り、催眠ガスのようなものを撒かれ昏倒、意識を回復したときには全員が拘束されていたという。途中、グループに分けられ、隊長格を含む一方はその後を知らないといった。突入部隊の調べで、彼らは別棟で銃殺されているのが確認されていた。
次に動きがあった頃、つまりキラたちが到着すると、コロニーを“人質”にジンへの搭乗と戦闘行為を強いたとのことだった。
証言を聞き慌ててコロニーを破壊する規模の爆弾、あるいはガス兵器というものを捜索したが、内外部ともどこにも見当たらなかったのだが。
テロリストのその狂信的に思える表情には、ともに自爆も厭わない様子があったという。ガスによる基地内の凄惨な様子もモニターに見せつけられた。パイロットたちは、彼らの言を疑う余裕などなく、いわれるままに機体を操縦することになったのだった。

───反吐が出る。黙って聞いていたイザークは端正な眉をぴくりと歪めて、そう呟いた。
キラは視線を上げていられず、俯く。イザークを向いていたアスランが、背後でキラに顔を向けた気配を感じる。
「……銃撃してきた連中だが」
アスランはだがすぐにイザークへ向き直し、続けてターミナルのエレカポートでキラとアスランを襲撃してきた者たちの話を始めた。
確認できた人数は八人、アスランの応戦で致命傷に至ったものは二名だったが、残りはいずれも歯に仕込んだ毒薬カプセルで自害していた。気を失っていただけの者もいたが、病院に運ばれ意識を取りもどした直後に舌を噛んでやはり果てている。テロリストの拘束手段について病院への指示が足りなかった、とアスランは自身の手抜かりを告げた。
「……どこも手が足りている状況ではなかった。きさまの第一の責務は果たしている。それで満足をしろ」
第一の責務とは、キラを護ることをいっているのだろう。ぶっきらぼうなものいいではあったが、彼なりの励ましのようだ。それに、真面目なアスランの性質をよく知ったいい方をする、とキラは思った。もちろん、それで彼は満足などしないのだろうが。想像した通りを表すようにアスランは黙って目を伏せた。
「どちらにしろ、そんな連中は口を割りはしないだろう。それよりも“つながり”がでたんだろ。さっさとそれを話せ」
いずれも所持品の共通点から基地を襲ったグループと同じ構成員と判明しているが、それとは別にアスランは彼らに見覚えがあったという。アスランはキラの斜め背後からコンソールに手を伸ばした。そうしてディスプレイに次に表示されたのは、顔写真入りの人員リストだ。
「モルゲンレーテで勤務していたエヴァグリンの構成員だ。……オモテには出さないだろうが、他にも主義者の職員はいるだろう。ブルーコスモスであることそれ自体は問題ではない」
「問題をおこさなければ、な」
「そうだ。……すでに昨年の話だが、所内の同僚から活動家らしいという密告を受けて、局内でのスパイ容疑があがった。最初に疑われたのは二名だったが、捜査を進めるうち最終的に八名を潜入者として国外追放処分にした」
話しながらアスランが次々と画面を切り替える。そこには監察部門の調査報告にあった証拠品や、連行される関係者の映像が流れた。最後は処分命令らしきキャプチャーで終わる。アスランはそのまま、ディスプレイの電源を切った。
「やはりオーブは甘いな。なぜ処刑しない」
イザークの酷薄なものいいにキラは思わず顔をあげて彼を睨む。同時にアスランが、こころもち声を大きくしていった。
「いうな。オーブの立場はブルーコスモスに対して微妙なんだ。首長会の政治的判断があって、この事件は公にもしていない」
「そうだろうな」
イザークはキラには気づかない様子で───いや、気づかないふりをして、軽い返事でその話を終わらせた。内心、苦笑いでもしているのだろう。キラは下唇をわずかに噛み再び俯いた。
「顔の割れている人間を“残す”あたり、推して知るべしだな。…先駆けしたのはそちらだと聞いているが」
「始まりはモルゲンレーテだ」
キラを揶揄した言にアスランが即座否定を示す。
「各国でのテロ活動の証左がわずかだが表面に出始めている。いよいよ隠す気がなくなってきたんだろう。組織規模も大きくなったことだしな」
彼のその声がさきほどよりさらに、少し大きく鋭くなったことにキラははっとした。
「オーブよりプラントはどうなんだ。デーベライナーの進宙式より以前から、ヤマト隊が情報機構の脆弱性を指摘しているな。ナチュラルの潜入が容易でないと思って、油断してるんじゃないだろうな」
「先の大戦でコーディネイターのブルーコスモスへの協力者も確認している。油断などあるものか。そもそもが、それを見つけたのは、きさま狙いでエヴァグリンがこぞって寄付いてきたからだろうが」
イザークは話の半分をキラを見ていったが、その途中でアスランがキラを押しのけ、ついに彼のまえに出る。
「知っててキラを引っ張ったのはプラントだろう!」
「アスラン」
───もういい、というように彼の背を静かに撫でる。アスランはすぐに、怒らせた肩を鎮めた。
「……すまない。おまえの関知することじゃなかった」
アスランは深く息を吐いて、静かにそういった。謝罪されたイザークは、……この部屋にいるあいだずっとそうだったが、変わらずの感情を見せない面差しをしていた。アスランからもディアッカからも、「癇癪持ち」と──冗談交じりではあるが──評されていた人物とは到底思えない。少なくとも、キラはそんなイザークを見たことがなかった。
「…………とはいえ、ザフトがキラ・ヤマトを護るという密約は、関係する隊長格には下知されている。他国の将官というたてまえではあるがな。…判るな?」
おれはきさまを護らねばならん、とキラをまっすぐに見つめながら話す彼は、正しく軍人なのだろう。だが、今からいわれることが判ってしまって、ついアスランと似ているな、と思ってしまった。
「おれが苦言したいのは、何かするならひとりで勝手にするな、ということだ。ラクス様の配慮に今回きさまは断りをいれたが、次からはそうはいかんぞ」
「───はい」
キラの素直な返事にイザークは一瞬目を瞠り、アスランは不審げに後ろを振り返る。それらに少しばかり微笑ってみせた。
「……自分だけで何かどうにかできるなんて……思ってないよ、最初から。でも少し、油断ていうか…過信はしてたかも。ごめんなさい」
「キラ」
「……アスランも、ありがとう。きてくれて」
「……………」
アスランはキラを見たまま動きが止まっていた。そんなにも意外なことだっただろうか。それはそれで、少し悔しい思いはするが、彼がキラを心配して追ってきた、そのこと自体には感謝と喜びしかない。
「まもなく大洋州連合の艦が到着する」
イザークが軽く咳払いをして話題を変えた。彼は次の動きをどうするのかを、訊ねていた。
「部隊を少し残します。ぼくたちは一度プラントにもどって、この先どうするか……考えないと」
だが、キラはエヴァグリンを追う決意を固めていた。
「判った。アルテラの監視にはおれの隊を貸そう。──アスラン、大洋州連合がくるまえに“あれ”は何とかしておけ」
そのひとことに、わずかに解けていたアスランの背中がまた鋭い気配をとりもどした。キラも不安を甦らせて、顔がこわばるのが判る。
ではもどる、といって波紋を落としたイザークは踵を返す。そのまま作戦室から去っていきアスランとふたりきりになると、キラはそっと息をついた。

アスランはキラの反対を押し切り、アルテラ州知事をデーベライナーに出頭させ艦内に軟禁していた。尋問するつもりなのだ。
友好国の民間人を本国の承認なしに拘束したとあってはアスランの立場が危うい。
キラの心配を無視して、アスランはキラと目を合わせず黙したまま、部屋から出ていった。


C.E.75 3 Feb

Scene デーベライナー・勾留調査室

ザフト戦艦の寂しげな一室に、アルテラ州知事ディビッド・オルターは招かれていた。招かれた、といっても、任意同行という要請でほぼ連行されたに近く、ドアの外には武装した兵が立ちはだかり、自由に部屋から出ることを許されてはいなかった。
───何故こんなことになってしまったのか……。
ディビッドは自分の身に訪れた災厄を嘆いていた。アルテラはコロニーとして本国からも独立した距離に位置し、これまで戦火に巻き込まれることもなく平和だった。ザフト基地を受け入ることになったときも、さまざまな条件を課してプラントにとって大きな拠点とならないように工夫した。
しかし、重要な拠点とならなかっただけに、基地引き揚げの話が持ち上がったのが二年ほど前。今となっては、本国からの支援だけでは心許ない。コロニーの運営が立ち行かなくなる。日々、それに頭を悩ませていた。
しかも、そのために試した手段の結果がわるく、ザフト基地の引き揚げは今すぐにも現実となりそうな状況に陥ってしまった。状況が明るみになった今、コロニーを維持させるにはプラントの支援、基地の存続を訴えるしかない。───ディビッドは今、自分の置かれた状況をはっきりと把握することもなく、ただそれだけを心配していた。この事態を引き起こしたことについて、プラントを怒らせずに、どうすれば基地の駐留を継続してくれるだろうか……。

まもなくすると、彼をこの戦艦まで案内した保安部員の赤髪の女性兵と、エリートを示す赤の軍服に身を包んだ青年が部屋へ入ってきた。若者のほうは先にアルテラの会議事堂で対面をしている。制圧部隊の隊長に随員してきた者だ。確か名を、アスラン・ザラといった。
「オルター知事。わざわざ出向いていただいて恐縮です」
連行しておきながら何を、と思うが、ディビッドは心と裏腹に「とんでもありません」と恐縮しながら返事をする。自分の息子ほどの年齢の者に、おどおどと卑屈な態度になってしまう己を恥じる。だが、そういう人物だったからこそ、今この辺境のコロニーで統括者の地位にいるともいえるだろう。
赤服の兵は通り一遍の挨拶をすませると、テーブルを挟んだディビッドの正面の椅子に座った。保安部の女兵は入口に立つ。ただそれだけのことに威圧を感じた。
「基地の襲撃者は、ここの市民と情報をいただいていましたが……」
正面の青年は、硬質な雰囲気とは違った穏やかな声音をしていた。だが、見つめる瞳の翠の色はナチュラルにはない不自然な色合いで、冴えざえとした光を宿している。嘘偽りを許さぬという意思が押し寄せてくる。
「こちらの調べで、コーディネイター排斥主義のあるテロ組織であることが判明しています」
───やはりブルーコスモスだったのか!
ディビッドは予測していた。
「あなたが、市民テロと断定した理由を伺いたい」
それは都合のいい解釈だったといっていい。だが、アルテラを守るために外部からの干渉があったことを認めたくはなかったのだ。
「先に申し上げたとおり、この数ヶ月間、アルテラに入港した部外者はいないのです。声明にもコロニー独立運動とのことでしたし……他に疑うようなことはありません……」
「密入国があったとは考えないのですか」
ディビッドは返答に詰まった。事実としては、あったのだ。
「……他国の犯罪者が、幾人もここで消息を断っているという情報もありますが?」
それは州政府もはっきりと認識していた事実だった。誰も注目しない地方コロニーゆえに管理態勢は杜撰で、それにより世界の裏側で動く者たちの格好の利用場所となっていることは黙認し続けてきた。組織規模では、資金洗浄に使われることにも、むしろ、招くような政策を行った。汚泥のうえの平和といわれても、ディビッドはかまわなかった。それでこのコロニーは潤い、利用価値があると知れば、犯罪者も滞在中に下手な問題を起こすことをしない。市民の安息は築かれていた。
今回のことは、本当に不測の事態だ。自分はいつものように、犯罪者たちのささやかな活動を黙認しようとしただけなのだ。ザフト基地襲撃などと、一線、二線も越えた行為を引き起こすとは、考えもしなかった。
「──それは…認めましょう。しかし、テロ組織を支援したつもりはありません。だいたい、警察力の小さいこのコロニーで、犯罪組織をどれだけ押さえられるとお思いですか?!」
「それは貴国の都合です」
弱者の立場を振りかざそうとするディビッドを、ザフト兵はさらりとねじ伏せる。
───本国が、なんとかしてくれるはずだ。
さきほどから冷や汗が止まらず、目の前の視線がいたたまれなかった。ぎゅっと目を瞑り、堪えるように俯く。
すべてはアルテラのためにしていたことなのだ。それを本国も知っていたはずだ。もちろん、これまでのアルテラの隠れた事情など、本国への報告に載せることなどしなかったが、そこは暗黙の了解があったのだとディビッドは考えている。黙認することで、遠く離れた一地方への予算を少しでも───。
「お立場は理解していますが、すべてを話していただかなければ、こちらとしても便宜を図ることはできませんよ、知事」
思考を中断したそのことばに、はっとディビッドは顔をあげた。彼は変わらずの冷めた視線で自分を見つめているが、諦念の浮かぶ苦笑で口の端をあげていた。
───ほら、こんな“ささいな”裏側の事情など、どこの国でも……!

アスランは彼に同情しているように見せ、資源のないコロニーの運営がどれほど困難なことか、一筋縄では立ち行かないだろう、と理解を示した。そこからのアルテラ州知事の口は見事なくらいに軽かった。よほどの重圧があったのだろう。彼は、予想できる限りのテロリストたちの侵入経路、人数、報告にない接触の内容、また州政府がどこまで連中のことを把握していたかなど、知る情報をすべて吐き出した。
そうさせておいてから、プラント政府を通じてすべてを大洋州連合へ報告することになると宣告する。州知事は青ざめて「便宜を図ってくれるのではないのか」と詰め寄ったが素気なく答えた。
「わたしには聞いた事実をすべて報告する義務があります。あなたがアルテラを思って尽力されていたことは伝えましょう。ただし、そのために他国へ出向く犯罪者を“支援”していたことを見逃すわけにはいかない」
アスランは静かに怒りを沸き立たせていた。目の前の男にではなく、国を動かす政治というものの周りに、なぜこうした出来事が寄り集まってくるのかということに。
「我々ザフトの基地で起きたことも、その責任が小さいとは思えません。自覚されてはいかがですか」
失意を隠さないままアスランはそこから立ちあがる。
「ご協力ありがとうございました。庁舎まで送らせますからもう少しお待ちください」
何かをいいかける様子のディビッドをそこに残し、部屋から出た。ドアに控えていたルナマリア・ホークがあとをついてくる。
「あの……え…と、部長」
聞きなれない呼びかけについ足が止まる。
「……アスランでいい」
「……アスラン。どうするんでしょうね、彼」
「……………」
流されるままに現状を享受してきた彼のことだ、いずれ本国から降される処分も流されるまま受けることになるだろう、と心のなかだけで答える。
「ルナマリア、彼を丁重にコロニーまで送ってやって欲しい。きみでなくても構わないが、あとの手配を頼む」
「……はい」
問いかけを無視されて少し不満げな様子を見せつつも、彼女は敬礼してからもどり、ドア口にいた兵に話しかけていた。アスランはそれを見守ることなく踵を返す。キラの様子が心配だった。このことを報告すればさらに心を痛めるだろう。彼は誰とでも心理的な距離が近い。さきほどルナマリアも垣間見せたように。相手を慮って他を見失う。彼を尋問の場に同席させなかったのは、キラの立場を守るためにそうしたとキラ自身は思っているようだったが、そこに本当の理由があった。

誰の敵にもならないということは、誰の味方にもならないということだ。このコロニーの政治のように。そんな孤独に彼自身が気づいているのかどうか、おそらく気がついてはいまい。気づかせるわけにもいかない。ただ、それを知ってしまったときのために、自分だけはキラの敵にはならないと示しておかなくてはならないと思っていた。過去の失敗があるせいで、信頼させるにはハードルが高いだろうことも知っていたけれど。
アスランがキラを追ってきた理由は、ただそこにあった。


C.E.75 5 Feb

Scene アプリリウスワン・国防委員会ビル

プラントへ帰還し、国防委員会での報告を終えたキラとアスランは、そのままアリー・カシム国防委員長に呼び出され、彼の執務室を訪れていた。アリーはふたりに室内の応接ソファをすすめると、自分もその向かいに座る。
「もどったばかりで疲れているところ、すまないな。議場では少しばかりいい難いことだったのでね」
若く温和な印象の好青年である現在の国防委員長は、厭戦感の広がった今のプラントに似合いといえる。だが、キラは彼をあまり好もしく思っていなかった。彼はアスランに野心があると思い込んでいる節がある。FAITHとして外部からという形ではあるが、こうして再び復隊してしまったアスランを見て彼が何も思わずにいないはずがなかった。
「今回のことはオーブの協力があってこちらも事の次第を早く理解することができた。きみらには感謝しないといけないな。しかし、初任務がとんだことになって、大変だったろう」
アリーはオーブの介入に厭味をいうこともなく労いのことばをかけると、アスランに冷たい視線を据えた。
「……だが、きみの復隊は委員会でずいぶん揉めたよ」
アスランは申し訳ありません、と詫びる。彼はそうしたこともいわれる覚悟でキラを追ってきた。帰還航行のあいだキラはさんざん心配を口にしたが、このことに関しては神経を図太くするよ、と彼はただ笑うだけだった。
「しかし、こちらもヤマト准将を護らねばらなぬ約束がある。それにはきみ以上の適任がいないということで、クラインもゆずらなかったよ」
アリーがため息混じりにこぼした。やはり、ラクスが評議委員会にごり押しをしていたようだ。だが、彼女の気持ちがどう乗ったにせよ、それをいわせたのはアスラン自身なのだろう、とキラは想像する。ため息しか出ない。
「国防委員会にも最高評議会にも、まだ納得していない者がいるということは忘れずにいて、自重してくれたまえ」
自分自身も含めて、と彼はいいたいのだろう。
「責務を逸脱しないよう、常に心しています」
アスランが生真面目な顔で簡単な返事にとどめると、鼻白んだアリーは話題を変えた。
「アルテラ基地については最高評議会の預かりとなったが、早い段階で引き揚げが検討されるだろう。無駄な資金を使う余裕もないことだし」
メンデルのことがあるから、と彼はつけ加えた。
再開発が始まったメンデルでは、起こりうる抗議行動に備えて防衛配備の拡充がおこなわれている。開発においてはプラントでの負担額も大きいので、アルテラ基地のようなものは早々に手を引きたいのだ。ましてやその以前から検討されていたことでもある。もちろん、大洋州連合から圧力もあるにはあるだろうが、基地の惨劇を引き起こした重責をプラントが追及すれば彼らも引かざるを得まい。
「さて、本題だが。FAITHでも、とくにきみたちは特殊な状況で就いていることもあって、実はわたしから“命令”というわけにもいかず。……これはだから、“相談”なのだが」
キラの本来の特務はシードコードへの研究協力、戦闘を通じての因子を持つ者のデータ蓄積にあり、そのために有用と思われる通常の作戦任務への参加が要求される。最高評議会からその辞令はくるものの、キラにはそれを受けるかどうか選択できる権限がたてまえとしてあった。
そして、アスランの特務はキラの専属護衛だ。キラが赴くところへは必ず同行し、もしもキラが受ける任務が彼にとって危険率が高いと判断すればリジェクトできる。ふたりとも異例づくしの権限をもっているために、ザフトの上層部でもどのように命令を降せばいいのかとまどっているのだった。国防委員会の反感を買うのも無理はない話だ。
さきほどの報告の最後に、キラは対エヴァグリン作戦への積極的な参加を打診していた。アリーが個人的に呼び出し回りくどいことをいうのは、そこを拒否したい事情があるのだろう。
「エヴァグリンはひとまず情報局に任せて、メンデルの配備に回ってくれないかと考えている」
案の定の言が出てきた。実際、高らかな宣戦布告でもない限りエヴァグリンに対して軍を動かすのは難しい情勢だろう。また、政治的な事情からもヤマト隊はメンデルに行かせたいという思惑があるのは判っていた。プラントにとってはそちらのほうが優先度が高いというわけだ。
「国際協力において開発されているメンデルは、オーブ国籍のきみらがいくほうが世間の受けがいい」
キラは口を開け何かをいいかけて、やめた。
この国防委員長はこれまで文官を続けてきた人で、もちろん前線も出たことがない。彼にとって犠牲になった兵らは机上の数字だけで認識しているのだ。そういう人らをキラは今までも目にしたことがあった。彼らには、キラたちヤマト隊がアルテラで負った苦しみや憤りの半分も理解できまい。それに、今のキラにはそれを判らせようという気力もなかった。
「……少し考えさせてください。すぐに回答します」
「いいだろう。早くに頼む。───それとザラ准将」
アリーがふたたびアスランに向き直った。今度は何をいうつもりなのかと警戒する。
「本部で新しい制服を受け取っていきなさい。作戦中の任命には委員会も了承した。任命は継続として、以後は副指揮官の黒服を着用したまえ」
「……はい」
なんだそんなことか、とキラはほっとしたが、対してアスランの返事は不満げな声だった。気がついたのはキラだけだと思うが。
「中継基地でも黒服を用意させたと思ったけどね。何故それを着ている?」
アリーは視線でアスランの着る赤い制服を示した。
「……自分の判断です。特命の範囲に隊の指揮は含まれていませんでしたから。兵が混乱しても困ります」
アリーは「ふーん」というように体を起こしてソファに背を預ける。
「まぁ、“アカデミーの籍を持たない者”がアカというのも変だろうからそこは改めなさい。きみがトップガンだという事実は変えようもないだろうが……今となっては軍籍を変える必要があったのかとすら思うよ」
もろもろの事情に配慮した、とのことだったが、要は面倒を避けるためだろう。アスランは以前のアスラン・ザラではなく同名の別人として新しく登録がされている。それを考えるだけでも彼がザフトに───キラのもとへくるのは容易なことでなく、さぞや最高評議会を紛糾させたのだろうと思う。それはおそらく母国も同様だ。首長たちからのカガリへの当たりが心配になった。
「───いや、気にしないでくれたまえ。きみの現場の人気に対する厭味だよ、嫉心からのね」
そういってアリーはふたりの退室を促した。トドメの厭味を厭味のままに受け取って、キラとアスランは執務室をあとにする。否、憤慨したのはキラだけで、アスラン自身がどう受け取ったのかは判らない。それよりも。
「黒、嫌なの?」
「───え」
ふたりだけになったエレベータのなかでキラは訊ねた。アスランは一瞬不思議そうな顔をしたが、キラが何かを察したことは判ったらしい。小さなため息をこぼしてから、視線を逸らした。
「……嫌というか…そういうつもりはなかったから」
「そういうって…」
「だから、さっきいっただろう。キラ以外のことまで責任を負う気がなかった」
「……………」
ひらたく告げられたその理由に、キラはどう応えたらいいのか判らなかった。
「そうもいかなくなったな。……それも、仕方がない」
アスランらしくなく感じるそのことばにキラは傷つく。なぜなら彼が本来は真面目で、義務や責任というものを軽んじる人間ではないからだ。そして、その彼にこんな態度をとらせているのは自分自身に理由があると、知っているからだった。
「……ごめん」
「……どうしてキラが謝るんだ」
おれが勝手にしていることだろう、とアスランは再三いうのだけれど。
「必要なことならなんでもする。キラの傍にいるのに、必要なら」
ことばが終わると同時に、目的のフロアでエレベータのドアが開いた。一歩を踏み出せば、アスランも後ろをついてくる。
いつもこんなに傍にいるのに、アスランはキラが何に対して謝るのか気がついていない。そして、心を傷つけていることにも。
「キラ、右」
「え、あれ?」
無意識にザフト本部へ繋がる通路を進んでいるつもりだった。アスランに指摘された角を曲がりながら「こっちから行けるんだっけ」とぼんやり考える。進む先は、急にひと気がなくなっていた。
「あれ…ねえ、アスラン…」
「キラ、こっち」
通路の途中にある手動のドアをアスランが開けて示した。手動、ということは、これは非常扉ではないだろうか。不思議に思いながら促されるままドアを過ぎるとやはりそこには非常階段がある。ひやりとして薄暗く、静かで棟内の音もあまり聞こえてこない。
「アスラン?」
振り返ると、一歩先の閉じた扉のまえで彼は佇んでいる。
「何がそんなに不満だった?」
「……え…」
呆然としてしまったキラに半歩近づき、片手が優しげに頬を撫でる。
「見ていれば判る……」
「……………」
彼を鈍感な男だと見縊っていたわけではなかった。キラは少し傷つきながらも、それを隠していたのだから。
「……何を……ぼくが」
「いいから、いって」
触れる手の優しさに反して、彼の瞳は有無をいわせない強い光を宿していた。キラの元へきてからというもの、アスランはキラに一切の隠しごとを許さない。それはおこないなど物事に関することだけではなく、感情や心の動きに至るまで。ただ、キラには彼が望むままにさらけ出すほどの勇気はなく、とくに今彼が暴こうとしているような小さな引っ掛かりなどは、どう告げてもうまく伝わらないような気がしている。
だから、キラは黙ったままそこで俯いてしまう。
「キラ?」
アスランの手は変わらずにキラの頬や髪を静かに触れている。彼の追及を逃れる方法やごまかす手段を考えようとしても、その手の仕草の柔らかさに絆されていく。だが、白状してもただ彼を困らせるだけのことを、いうわけにもいかないだろう、と思う。
「……それとも、この続きは夜にしようか?」
「………!」
慌てて顔をあげたその先でアスランは笑っていた。この頃彼はわるい手管を覚えて、キラが強情をはるとベッドのなかで暴きにかかる。キラは二日前のことを思い出して、激しく頭を左右に振って否を示した。
「そうか? ───時間ももう遅いし、そろそろ本部に行かないとならないしな……」
「じゃあとりあえず本部に行こうよ! 話はそのすぐあとでいいよね?! 帰り道とかで!」
「夜は?」
「おとなしく寝ようよッ!!」
涙目になって訴えるキラに、アスランはまた楽しげに笑って「冗談だよ」といった。そうはいいながら、本当にこのあと話さなければ、彼は実行に移すかもしれない。
「……キラ、カシムの要請をどうする気だ」
ふいに雰囲気を変えて、アスランが訊ねてきた。さきほど、保留にしてきた今後のヤマト隊の配備のことだ。キラは眉間に皺をよせた。
「……受けるしかないでしょ。それに、」
アスランは黙って聞いている。その決断はとうに判っていたようだ。
「エヴァグリンは追わなくても、向こうからぼくのところへくるんじゃないかな」
あるいはまた、アルテラのようにキラが向かうべき舞台をどこかで用意してくるかもしれない。
ヤマト隊の初任務があまりにもできすぎていた。そのうえからかいに現れたかのような、あのハイペリオン。
───ぼくは弄ばれたんだ。
そんなことのために、ザフトの兵たちが犠牲になった。決して許してはおけない。無意識に胸元で握り合わせた両の拳に力が入る。それが思い出した怒りでぶるりと微かに震えた。その手を包むようにアスランの右手が添えられる。
「キラ」
今この場所が薄暗くてよかったとキラは思った。怒りと悲しみを綯い交ぜにした今の表情を、アスランにあまり見られたくはない。キラはさらに隠すように顔を俯かせる。
「だめだと、いっただろ……」
アスランはそれを許さず、顎を掴み上向かせる。だが、そのまま目を合わせることなく慰撫するように唇を合わせてきた。離れるとすぐに自身の胸にキラを抱き込む。
「おれが力になる。……そのために、ここにいる。キラのためだけに、ここに」
そのことばに少し心が、緩む。肩に入っていた力が抜けると再びくちづけが落ちてきて、今度は熱のある舌が挿し込まれた。そうされてキラは、自分が知らず奥歯を噛み締めていたことに気がつく。
───どうしてきみは、判ってしまうんだろう。
───ぼくのために、ここに、いるから?
だがキラは、今度はアスランへの不安を甦らせるのだ。度重なるアスランのこの告白は、彼自身にいい聞かせるためではないのか、と。たまらずにキラから唇を解くと、アスランはそのままにしてキラの目を探るように見つめた。
「……きみは本当に、それでいいの? 本当のきみは、違うんじゃないかって、ぼくが不安になるって判らない?」
ついにキラはこの場で、打ち明けることになってしまった。
「……キラが考えてたのは、そんなこと?」
そんなことで済ませられる、ことだろうか? なのに、目の前のアスランは微笑んですらいる。白状した気持ちを軽んじているわけじゃないことは判るけれど。
「キラ……、今のおれを受け入れて」
「……いま、の…?」
「そう。何度もいってる。おれがそうしたくて。そうしている、今のおれ」
戸惑うキラを置いてアスランはその腰にもう一度、両腕をまわしてしっかりと包み込んだ。アスランはことばを続けている。ごく小さな囁きで。触れている片頬が耳になって、それを聞いていた。
「幸福なんだ。おまえのことで、頭をいっぱいにして。おまえのためだけに生きていることが。───長いあいだ、どうすればいいか判らなくて。やっと判った。判ったんだよ、キラ」
「……………」
キラは目を見開く。こんなに心が竦むことはなかった。大きく感じる喜びが、全身を満たしているのに。その片隅に残る少しの罪悪感が、とても恐ろしかった。
「───そんな、ふうに……きみを変えさせるほどの価値が、ぼくになんて、」
「おれのすべてなんだ」
震える声を抑えながら必死にいいつのるキラを遮って、アスランは断言する。それ以外の存在など許さないというように。そして、ゆるく腰を引き寄せていた腕が背中に移動する。それをきっかけにキラの腕が、彼を抱き返した。
「……アスラン…」
「キラも覚悟して、受け入れてくれ」
「……………」
もう、ことばはなかった。何をいってもアスランが否定する。不安など思う必要はないのだと。幾度か離れたこの腕だから、不安が甦る。彼はそれを今も悔いて、キラに償おうとしてくれている。
「アスラン……」
満たし始めた彼の激しい感情で溺れそうになる。
───抱きしめて。ここにいて。溺れてもいいよ。離さないで。ぜったいに……二度と。
それがまるで通じたように、アスランの腕に力がこもる。泣き叫ぶ声をすべて飲み込んで、キラは彼にただ強く取りすがっていた。