C.E.75 27 Mar

Scene L4スペースヤード・デーベライナー

「───キラ?」
はっとして顔をあげた。さきほどから二度も名を呼ばれていたことを耳では聞いていたのに、頭まで届いていなかったようだ。
「あ、ごめん。なに?」
少し心配げな面持ちでアスランがこちらを見ている。
「ジャスティスの調整に出てくる。キラも行く?」
「……もう少しこれ読んどく」
“これ”とは、昼にムウから渡されたエヴァグリンに関する新たな情報だ。内容としてはムウが立ち話で説明してくれたことが全てで、こと細かな経緯説明や傍証、裏付けといったものが堅苦しくまとまっているだけのものではあった。いったんは最後までアスランとともに目を通したが、考えながらもう一度読んでおきたいとキラは思っていた。
「判った。できるだけ早くもどる…ちゃんとおとなしくしてろよ」
アスランはそういってドアを開け、返事をしなかったキラを振り返る。いちいち小言めいている彼に舌を出して返すと、苦笑して出ていった。
だがしかし、そのあとキラはデスク端末の資料に目を落とすことをしなかった。
片手を口のあたりにあてた格好でぴくりとも動かず、視線は空に留めたまま。頭の中といえば実は忙しなかったけれど、正直なところその考えのほとんどは資料から逸れたことだ。
───ぐるぐる同じところを回ってるな…。
考えが膠着状態に陥っていることを自覚する。
キラは立ち上がり、部屋を出てラウンジに向かった。とりあえず気分を変えて、思考も切り替える必要がありそうだった。

たとえ艦内でも、ひとりで出歩くとアスランに怒られることが今でもある。だめなときといいときの判断はよく判らない。
艦内各員の再チェックなど、アスランからみて気になるような人物の洗い出しや対応は、ルナマリアの協力も得ながらとうに済んでいるだろう。いまはスペースヤードのザフト駐留基地内にデーべライナーが碇泊している状況で、部外者の出入りをすべて遮断してもいるし、アスランがそこまで警戒し続ける理由は本当に不明だ。
キラの安全を担保するための行動を彼は怠ることなくいつのまにかすすめてくれているらしいが、「おれのやることは気にするな。キラはキラの仕事をしろ。おれもそうしているだけだ」というので、いわれた通りあまり気にしないようにしている。
今回はアスランのほうから目を離しキラをひとりにしたのだから、つまりは艦内であれば彼もそう怒りはしない。それが判ればとりあえず十分だった。

時間としては夕食後のひとときといったところ。第五デッキのラウンジはオフタイムの兵らがまだまばらに残っていた。
「──あ、隊長」
なかへ入るとひとりで壁際のベンチに座っていたシンと目が合った。
彼には最近チームをもたせたので、ひとりでいるところを見かけることも少なくなっているが、ちょっとした休憩時間はルナマリアといるか、ひとりのことが多いようだった。
目が合ってすぐに声をかけてきたということは、なにか話したいことでもあるのだろうか。気分転換にきた理由もあるので、キラはそのまま真っ直ぐシンに近づいた。一応は礼をとる様子で立ち上がりかけたシンを制して横に座る。
「…食事したんすか。食堂にいなかったですね今日は」
「ああ、うん。部屋で摂ったんだ。ちょっとオーブからきた情報読んでて」
「情報?……そーですか…」
アスランがいれば軽々しく部下に話すなと目くじらをたてるところだが、情報の内容まで話すわけではないから構わないだろう。シンだって弁えて訊いてきたりはしない。
「隊長、訊いてもいいっすか」
「うん。……あれ?」
「え? あの、昨日今日きてた大使館の人…」
「あ、そっちね」
予想に反したかと思ったがやはり情報の中身についてはスルーだ。
「なんなんすか、あの人。オーブ大使館にいた人ですよね」
「なんなん、ていわれても。大使館の人ですよ。見たとおり武官の参事」
そういえば大使館へシンを連れて行ったことがあったと思い出した。あのあとアスランからメールで小言があったが。シンをムウに引き合わせるなんて、と。
「なんかすげー馴れ馴れしかったんですけど。『今日は時間ないからおまえとはまた今度な〜』とかいわれて。知り合いかよと思いましたよ」
「ああ……。なるほど」
先の大戦での因縁があることにシンはまだ気がついていない。聞いた様子ではムウ自身隠すつもりはないようであるし、自分が明かしてもいいか、とキラは思う。いい頃合いだろうし、キラが話すことでシンがいきなりムウに殴りかかるという事態は避けられる。
「あの人はね、ムウ・ラ・フラガ一佐。元地球連合軍パイロットで、いうなればぼくの最初の同僚…てか先輩かな。当時彼はモビルアーマー乗りだったけど。右も左も判らなかったぼくにいろいろしてくれた、恩人だよ」
シンは「へー」と気のない相槌をしたが、パイロットと知って興味をわかせてはいるようだった。
「第二次ヤキン・ドゥーエでMIAになってね。そのあと生きてはいたんだけど、ファントム・ペインで指揮してたんだ」
「え?」
「ファントム・ペイン」
キラは繰り返しそういってシンの顔を意味ありげに見る。彼は瞠目して口を開けたままになった。もう察しただろう。少なくとも一度、当時の彼と対面はしていたそうだから。
キラはシンの怒号や問い詰めを覚悟していたがそれはなく、二、三度まばたきをしたあと開いていた口をぱくりと閉じた。
「あいつ、“ネオ”……」
「うん」
「……………」
それからシンは正面へ視線を外して黙してしまったので、キラは勝手にムウの話を続けた。ロゴスに洗脳されて使われていたこと、三隻同盟にもいたこととその経緯。…レイ・ザ・バレルとの関わりについては迷ったがとりあえず今回は省くことにした。急には情報量が多すぎるだろう。
シンはそのあいだずっと黙って聞いていた。しかも、伝わってくる彼の心はなぜか凪いでいる。
「……怒ってないの、シン」
「おれはあんたも許した男ですよ。──あ、いや。百パーは許しちゃいないけど」
百パーじゃないんだ、とキラは心のなかで思いつつ、「彼を許せるの」と訊いた。
「…おれ、オーブ軍に恩人がいたんです」
訊いたことに真っ直ぐ答えなかったが、キラは先を促すように口を開かずそのまま聞いていた。
「家族を一気に失くしたあと、いろいろ考えてくれて。最後はプラントに移住する手配までつけてくれた人で。…ただその場に居合わせたってだけだったのに」
「……………」
「そんで、去年オーブに行ったとき、また会えないかなってちょっと思って。アスランとかに頼んで探してもらったんだけど」
キラはそこまで聞いて話の先がみえ気鬱になったが「戦死してた?」と先をとって訊ねた。
「………おれが沈めた艦の艦長やってたって」
「……………」
ことばがなかった。前線任務ならよくある話なのだろうが、割り切れる者などそうはいない。
そのあとシンはその恩人の家族に会ってみることも考えたらしいが、あわせる顔がなく結局やめた、ということだった。
「……まぁつまり、そういうことです。あの人許すとか許さないとか。どの口がって話ですよ」
そりゃあまだ感情が追いつかないから、やっぱり百パーじゃないんですけど、とシンは続けていった。
キラは視線を足元に俯向けてシンを慰めることばを探してみた。気持ちが判りすぎて、過去のいろいろなことが頭を過ぎってしまう。たくさんの人を殺めて、その周囲にいた人たちのこともいくらか知る機会はあって。バルトフェルドのような敵対関係だった者も知ったがために、敵ゆえに最後は許される理由になってしまうことがあるのも戦争なのだと。
「そういえばムウさんが昔いってたな。敵のことなんて、知らないほうがいいんだ……って」
「……敵、か……」
「うん」

「敵になってたことにも、気がついてなかったな」

キラはシンのそのことばにずきりとしたものを感じた。心臓が嫌なリズムで早鐘を打つ。
「───っ……」
「………隊長…?」
冷や汗が額を滲んできて、苦しさにきつく目を閉じる。……まさか、たかだかそんなことで、と。
「…………なんでもない、だいじょうぶ…さわがないで…」
過去の感情を刺激されたのだった。フラッシュバック症状が悪化している。キラは堪えて波をやり過ごす。それよりも、こんな人目のある場所でシンがすぐ横でオロオロとしているのがまずい。
キラは立ち上がり足早にラウンジを離れた。シンが追いかけてくる。
「──隊長!」
「……静かにしてって、いってんの…!」
「……………」
歩きながらキラはだいぶ落ち着いてきたが、シンは心配そうにしてそのまま指揮官室までついてきた。
「ごめん、もう大丈夫だから」
ドアのまえでそういってはみたが、彼はすぐに引き返そうとしなかった。それはそうだろう。
「…あの…、訊いてもいいですか」
「ぜったいだめ」
「……………」
「もう行きなよ。まだアスランに謝ってないんでしょ。彼、もうすぐもどってくるよ」
この空気感のままアスランに見つかるのがまずいのはキラも同じだ。キラはシンを早く返そうとするが、動こうとしなかった。
「しょうがないな…。行く気がないならここでアスランに土下座してもらうけどいいの?」
「は? いいわけないっしょ。てか、なんでそういう話になんです?」
シンはぎゅっと眉間に皺を寄せ、苛つきはじめる。キラは大仰にため息を吐いた。
「あのさぁ。ムウさんは許せてなんでアスランはだめなの」
「そんなの、あんたやネオを許すのとワケが違いますよ! あいつは──!」
キラの冷めた視線に気がつき、シンはそこで止めた。顔を逸らせて黙り込む。キラは、シンがプライドを傷つけられてアスランに怒っていることまでは思い至らず、アルテラ事変以来、ただの子供っぽい反発を続けているのだと捉えたままだった。
「……そろそろどうにかしてくんないと、ほんとに作戦から外すしかなくなるよ」
「判ってますよ」
「判ってないよ」
「……………」
タイミングがいいのかわるいのか、そのとき通路の先からアスランがもどってくるのが見えた。彼がふたりの雰囲気を読んで、少し顔を曇らせる。
「どうすんのシン」
キラが急かすと、シンは一瞬アスランがくる方向を睨んだがすぐにもどし、「おれ、そろそろアラート任務ですから」と告げて、彼が向かってくる方向とは反対の通路へ去っていった。