C.E.75 Feb アルテラ


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・艦橋〜MSデッキ

「距離700、レッド17、マーク22デルタに高速接近する熱源を確認。熱紋照合……インフィニットジャスティス」

───ジャスティス?! …アスラン…?

作戦室にひとり篭っていたキラは予想もしない機体の接近を耳にした。
確認のために艦橋に直接繋がるドアを開ける。オペレータの傍まで近づくと、同時に「機体識別信号を確認」の声が響く。オペレータが視線を落とす画面を見れば確かにジャスティスのようだ。そのパイロットから通信回線オープンを要求するコールが届く。
「通信入りました」
キラは搭乗者をまだ疑っていた。パーソナライズされた機体に乗るのはアスラン以外にいないはずなのに。
予告のない接近にやはり不審気な様子のアーサー・トラインに、キラは努めて冷静に「お願いします」といった。緊張した面持ちでアーサーはインカムをとる。
「こちらデーベライナー艦長アーサー・トラインです」
『…こちらはオーブ連合首長国特派大使、アスラン・ザラ』
通信用カメラから映しだされたその姿はまちがいなく彼だ。ヘルメットの影でわずかに表情が隠れているが、キラが見間違うはずもない。
『着艦許可されたし』
そして、その声も。

モビルスーツデッキに機体の着艦を知らせるアラート音が鳴り響いた。
自機の調整をしていたシンは予定にない突然の音に驚き、一瞬だけ身体を震わせた。すぐに操作を中断し、外の様子を窺うためにコックピットをせり上がらせてバッシュから顔を出す。
格納庫に直結するモビルスーツ専用ハッチのエアロックから姿を現したのは、見覚えのある真紅の機体。
「まさか?」
そんなの予定にあっただろうか、と考えながらシンはコックピットから飛び出した。まもなくしてその機体、ジャスティスから降りてきたのは、数日前の進宙式で顔を見たばかりのアスラン・ザラだった。
「アスラン! …なんで!」
「シン…」
驚きを隠さないまま大声で叫ぶと、こちらを向いたアスランがその名をつぶやいた。
「なんでアンタがここに…」
いいかけてシンははっとする。
「なんだよ、それ」
「………………」
それにアスランは何も応えなかった。そして、シンの問いかける視線を軽く流して、「ヤマト隊長は?」と訊ねた。
「ブリッジ。…それ、なに。なんであんたがそれ着てんの」
アスランが身につけていたパイロットスーツは、見慣れない色をしていた。だが間違いのないことは───。
「それ、ザフトのじゃんか」
「……しばらく…いや、当分のあいだ…といったほうがいいかもしれないが。ヤマト隊に配属されることになった」
「だから、なんで!」
異例づくめのあるこの艦にそれ以上の異例があっても不思議はない、などといった納得がそこにあるはずもなかった。他国の人間がザフトに出向してきた前例はキラだけということはないが、それでも隊長職にというのは異例中の異例だ。さらにまた、同じ国のオーブから“副官”と思しきカラーリングのパイロットスーツを着込んだ男を目の前に見れば、どんな理由を聞かされようと理不尽さが先にたつ。
「……そのまえに、隊長の配属受領がいるがな。だから、おまえの相手はそのあとだ」
アスランは詰め寄るシンの肩を押した。その反動でロッカー室の方向へと去っていく。
自分からの問いを後回しにされたことにシンは憤慨したが、その気持ちの奥には別の不満が沸き上がりつつあったことに、シン自身まだ気がついていなかった。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

アスランが何を考えているのかまったく判らなかった。
と、そういえば語弊のあることだが、つまりはこれほど周囲に影響のでそうなことを彼があえて手段にするとは、キラは想像すらしていなかったのだ。
「それで、おれはどこにいけばいい?」とアラート脇のロッカー室から訊ねられる。すかした態度に苛立った。こちらの驚きも戸惑いも、怒りも、すべて判っているというようなその表情に。
カメラフレームにある姿は彼の肩口まで映していて、傍で見ていたアーサーが何かをいいたげに荒い呼吸を繰り返す。アスランがここへくるまでにいったいどこで何をしてきたのか。想像に難くない。
とりあえず指揮官室にと呼んだのは彼とふたりきりで話をするためだ。念のためというアーサーの同席を断り、アスランを指揮官室まで連れてきた保安員も必要ないからと下がらせた。

彼を室内に招き、そのままふたりで閉じたドアの傍に立ち尽くす。キラはあらためてアスランの爪先から襟元までを眺めた。
「どういうつもり?」
問われた彼は涼しげな顔でいった。
「───デーベライナーの乗員名簿が、エヴァグリンに漏れた、と聞いて」
キラは一瞬息を詰まらせた。
その真相は、それを報告してきたキサカにその場で話した。確かにキサカに口止めをした覚えはなかったが、アプリリウスの大使館で務めていたはずの彼に、もうその情報が知れて追ってくるなどありえない。ましてや、オーブにあったジャスティスでくることなど。
彼はあのとき───オーブにいたのだ。
「判ったか。おまえのいたずらを監視にきたんだ」
いいながらアスランはデスクまで歩いて行き、そこに持参したアタッシェケースを置くと中から自身の携帯端末を取り出した。それからキラのデスクを勝手にあさり、見つけた虹彩認証用のセンサーをそれに繋ぐ。
「承認を、キラ。ジャスティスの追加配備、艦内での銃器携行許可…それから…」
キラはつきだされた端末の表示を目にして要求されている内容の主たるものを呆然とつぶやく。
「……特務隊アスラン・ザラ…護衛任務…による…配…属…」
それは、アスランが身に纏ってきた軍服を見れば判ることだった。
彼はエリートを示す赤の、ザフトの制服を着ていた。襟には、パールの光彩を放つ白い羽か花弁を模したような徽章も見える。キラの制服にも飾られているザフト特務隊、FAITHの証だ。
「……………」
キラはことばを失った。自分はアスランを、ついにザフトにもどしてしまったのか、と。
「もどるわけじゃない」
青ざめたキラの心中を察したのか、アスランは静かにそういった。
いっている意味は判っている。現在はFAITHの定義自体に変化があり、キラも含めて外部の人間がザフトへの協力のためにその徽章を預かることはめずらしくない。アスランもあくまでオーブ軍からの協力で、ということなのだろう。
だが、彼がその制服をふたたび身に纏っては、ザフトの中でアスランの立場がわるくなるだけなのだ。あるいはオーブの、ものわかりのわるい人間たちに。
「今はまだ、ザフトに属さない者は乗艦できないといわれれば、仕方ないだろう」
「…国連の設立まで待てばいいだけのことだろ」
「待てるものか。それまで誰がおまえを守る?」
キラはアスランの端末に落としたままだった視線をきっとあげた。
「誰だって! ぼくはこの隊の隊長だし、自分でだって自分の身くらい、」
「そのおまえ自身からは誰が守る」
「…え?」
いわれた意味が判らずキラは目を瞬かせた。そこで注視して見た静かなアスランの表情に、わずかだが苛立ちが含まれていることに気がつく。
「自分で自分の身を危険にさらすような莫迦な真似をするおまえを、ここにいる誰が止められるんだ」
プラントと何を取り引きしたのか忘れたのか、と、きついまなざしでアスランはキラを睨んだ。
「“おまえ自身”なんだぞ。それをぞんざいに扱えば紛れもない契約違反だ。そんなことはオーブも困る!」
アスランは明らかにキラが独断でおこなったエヴァグリンへの作戦を咎めているのだ。
キラは心中で舌打ちした。なんという、莫迦な理由をつくったのか。そして、その口実を与えてしまったのは他ならぬキラ自身だ。実際には、アスランは数日も以前からデーベライナーへくるための準備と根回しを進めていたのだろう。そこへオーブとプラントを納得させる決定的な理由を自分がつくってしまったのだ。
「だからといって、きみがくるなんて!」
「おれ以外に、誰がおまえを扱えるんだ」
「こんなこと、許可できない! きみにはシードコードの仕事を任せたはずだ!」
「おれじゃなくても進められる話だ。でもこれは、だめだ。おまえのことは」
アスランは譲らない瞳をしていた。
「おれ以上におまえを真剣に守ろうとする人間はいないだろう?」
握っている両手の拳が悔しさで震える。自分は本当にこの事態を予測し得なかっただろうか。先日まであっさりと引いてみせていた彼を少しでも疑うべきだったのだ。
「きみは……ずるい…っ…!」
「ずるいのはどっちだ」
そのひとことで、仕返しをされているのだと知った。自分の思いを優先しておこなってきたことがすべて許されていると、甘く考え過ぎていたのだ。
彼の心算を見抜けなかったこと、彼を動かしてしまったどこかのラインを見極められなかったこと、そして、結局は彼の思い通りになっていること。すべてのことに腹を立てた。
「……追って評議会からも正式通達がくる。それまでにサインをしろ。いっておくが、作戦にも口を出すからな。そのつもりで下手な考えはあらためることだ」
アスランも深く静かに怒っているのだろう。滅多に見ることのない強引さで、何もかも進めようとしていた。FAITHである以上、制服の色がどうであろうとキラと立場は対等だ。ましてや評議会からの辞令がくるのであれば、キラがこの専任の護衛を拒否することはできない。
アスランがふいに、怒りに震えるキラの手を取ろうとした。撥ねつけて彼を睨む。
「ぼくが嫌だっていうのが、判んないの?」
まるで駄々っ子のような反発しかキラには残されていなかった。
「……離れないと約束したことを、もう忘れたのか…?」
「それとこれとは、」
「同じことだよ、キラ。この数ヶ月だっておれは、がまんなんかできていなかった」
おまえは平気なのか、と問われる。怒りを表した瞳で。
「…ずるい……ぼくは…きみがこんなこと…」
アスランはもう一度乱暴にキラの手を取った。その手に認証デバイスを渡される。キラはのろのろとした動作でひとつひとつに承認をだし、アスランの手にもどした。アスランは黙ったままそれを見守って、自身の端末を受け取ると、少しだけ身に纏う空気を和らげた。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第一作戦室

予定にはなかった人物が訪れてから二時間は経過しただろうか。その来訪者を伴って、このヤマト隊の隊長、キラ・ヤマトが艦橋へともどってきた。
キラの後ろについていた真紅の姿はアスラン・ザラ。
特派大使と名乗ったのだから、ザフトの制服を纏っていてもその身分はオーブからの派遣外交官のままなのだろうか。それでも彼は手慣れた仕草でザフト式の敬礼をして入ってきた。ブリッジオフィサーの面々がそれぞれに戸惑った顔をしている。おそらく自分自身も少しはそうであろうとアーサーは思った。
毅然とした態度のアスランを一方に、キラのほうは心なしか悄然として見える。軽く艦内の状況を聞いて何の異変もないことを確認すると、「作戦室へ」とアーサーを促した。
デーベライナーの第一作戦室は艦橋の脇というよりもその中にあるといっていい。艦橋の一角にある小部屋のようなそれは、ブリーフィング中にも艦の様子を即時把握できるよう、艦橋のオペレーションがすべて室内のスピーカーに流れてくる。そのために打合せに集中できないという難点もあるが、作戦中に内密な話をすぐにおこなうことができるため、指揮官にとっては有用な部屋だといえよう。
広さは十平米といったところで多人数向きではない。中央にはデスク式のシミュレーションボードが占めていてさらに定員数を減らしている。その筐体を回り込んで奥の、少しばかりスペースに余裕のある場所まで移動すると、キラとともに作戦室へ入室した彼にアーサーは自分から声をかけた。
「進宙式以来ですね、ザラ准将。それは、いったいどういうわけです?」
“それ”というときに視線を彼の制服と徽章に向けた。
一応他国の高官と認識しているため敬語を使って問いかけると、アスランはふっと目許だけを細めて微笑する。少し寂しい雰囲気のあるその表情は、彼自身複雑であることを表しているようだった。
「また、迷惑をかけます。トライン艦長」
見えているとおりのことか、とアーサーは嘆息する。所属する隊へ割り込むように彼が配属されてきたという経験は、アーサーにとってこれで二度目のことだ。またかと思わないわけでもない。それでもアーサーは辞令を受ける以前にヤマト隊の特務を説明されていたし、ゆくゆくは国連機関へと所属を変えて働くということも受け入れたために今ここにいるのだ。その組織への協力国として、プラントと肩を並べているオーブの介入が多少予定より早く大げさになったと思えば、こうした事態も予測の範囲内なのだろうと思った。
ましてや、彼──アスランが、本来的には単独での特務を負ってきたのだとあってはアーサーに口を差し挟む余地などない。
彼がFAITHとして、キラの警護のためだけにきたのだと、聞かされては。

FAITHはエルスマン議長の指示で一度解体し、メンバーもゼロからスタートし直した。任命には国防委員会および最高評議会の総意が必要となり、以前のような議長と国防委員会直属の意味合いはなくなっている。また、そのために幅が広がり、承認があれば他国の者を含めザフト外の人間でもその権限を与えることが許された。
もちろん、他国人あるいはザフトに所属しない者にはそれなりの契約が付加される。キラとアスランの場合は自国のオーブで軍に属していることもあり、外交官特権の一部放棄など厳しい条件があるはずだった。
そして例外はあるが、今では負った要務を完了すれば同時にFAITHからも解かれるため、任命される者は一時的な権限を持つに過ぎない。FAITHだから特務を与えられるのではなく、まず特別任務が先にあり、それに見合った人選がおこなわれるわけだ。
人物よりも運用に視点をあてた、より組織向きで合理的な機関となったそれだが、そうはいっても外国人を受け入れることは両国にとって面倒の多いことだ。それがふたりもこうして立て続けにある状況は、どう見ても不思議だ。それだけキラという人物のプラントでの重要度を表しているのだろう、としかアーサーには判らない。
アスランがキラの護衛に必要なのだ、といわれれば、そのことにはどこか納得する。キラがストライクフリーダムで出撃する可能性がある以上、彼を前線で護れる者が必要であり、アスランのモビルスーツ操縦の技量であればキラのフォローも可能であるはずだ。
なにしろキラの操縦が人並みを外れており、ありきたりのパイロットでは護衛どころか追いつくだけでひと苦労だろう。アーサーが見たところでは、それが適うのはアスランか、あるいはシンだけだろうと思っていた。
今目の前にいる白服の青年は、そんな重要性からは遠く離れて見えた。いや、たとえば深窓の御曹司とかで、それを隠し護るために必死だというなら納得もするが、見た目には華奢で優しげな印象ばかりある彼が、短い史上とはいえ最強を謳うモビルスーツのパイロットゆえだというのだから。

「アスランが持ってきた情報のなかに、アルテラとブルーコスモスの関連を示す資料があるっていうんで。とりあえず情報を少し整理して、対応策も練り直す必要があります」
キラはどこか弱い調子で告げる。なんというか、やはり機嫌のわるいおぼっちゃまといったところだ。ブルーコスモスが絡んでいると聞けばそれも仕方があるまい。
しかし、それ以外にもどこか、冷たい空気が流れているように感じた。
「ブルーコスモス、ですか…? なんとも厄介な」
この場の重い雰囲気が気になって、アーサーは無駄にことばがでてしまう。
「ジュール隊の応援を断ったと聞いた」
突然発言したアスランのことばに、キラがはっとして顔をあげた。アスランはその彼の視線を一度受け止めると、今度はアーサーにいった。
「それは撤回させました。アルテラには彼らの到着を待ってから降りることになります」
「な……いつそんなこと!」
「ここへくる途中、ラクスから聞いた。だからそのまま応援に寄越すよう要請しておいた」
向き直って続けたアスランにキラは驚きで目を丸くしながら憤る。自身の判断を勝手にひっくり返されれば、それは当然の反応だろう。しかし、驚いたのはアーサーも一緒だ。
「え、いやいや、待ってくれ。…作戦にも介入するつもりなのか、アスラン?」
「こいつ次第です。隊長自ら先陣きって飛び出すような作戦ばかりを立てるなら、おれの権限でリジェクトします」
「………………」
アーサーはアスランの乱暴なことばに面食らった。いつも慇懃で控えめな彼を目にするのが常だったからだ。
「───アスラン!」
「なんだ」
声を荒げたキラに彼が刺々しい返事をよこす。どうやらアスランは…アスランも、機嫌がわるいようだ。これはこの数時間のあいだにふたりでそうとう揉めていたのだろう。空気も冷えようというものだ。
睨みあう彼らをまえに、アーサーは困惑した。これを続けさせれば隊の士気に関わる。ここは年長の自分がおさめるシーンではないのかと思うが、ふたりの距離感も掴みかねた状態でのフォローは少しばかり難しい。
だが、キラよりは幾分か冷静をとりもどしたらしいアスランが、一度大きく息を吐きアーサーを向いて話を続けた。
「……艦内の必要な人間以外には、わたしがヤマト隊長の護衛できていることは伏せてください」
「───え? それはまた…どうして」
「…国内外にプラントが彼を重要視していることを明かすことはできないので」
キラが極秘裏に“披検体”としてプラントに招かれていることまでは承知していた。彼がもつ特異なMS操縦能力が“SEED”と呼ばれるものの所以で、なおかつ稀な発現を示す貴重な人材なのだと。そう聞いている。
「……それなら、どうでしょう。きみは作戦隊長として評議会が召還したことにすればどうかな? ここにきみがきた理由も何かないと、それはそれで難しいですよ、ヤマト隊長?」
アーサーはふたりを右と左に見て意見を述べた。
デーベライナーやヤマト隊には秘密が多すぎ、さすがにアーサーも話の帳尻を合わせることに慣れてしまっていた。
「ええ、それは…」
アスランが曖昧な同意を示す。問題はこの隊の最高責任者、キラがどう思うかだったが。
「……いいよ、それで。戦術はアスランのほうが優れてる。現場指揮はぼくより適任だよ。いいよねアスラン」
意外にもあっさりと認めた。しかるべきところは冷静にものが見えているらしい。アスランもそこは異論がないようで、判った、と短く返答した。
アーサーとしても、実際に作戦をこなすアスランを知っているので、正直なところそうしてもらったほうが安心できる。実戦でのキラの指揮を、まだ見たことがないからという単純な理由だったが。
キラはふいに室内の通信コンソールからオペレーターに声をかけ、シン・アスカとルナマリア・ホークを作戦室に呼ぶ指示をだした。訝しむ視線を向けるとキラは告げた。
「彼らにだけは事情を話します」
アーサーはますます眉間に皺をよせた。
「ルナマリアは情報管理官ですから、それは。…しかし、シン? 彼はパイロットですよ?」
一瞬、その質問にキラが少しばかりうろたえた。それをアスランの答えがかき消す。
「わたしが個人的にヤマト隊長の護衛を頼んでいたからです。オーブにいて、コーディネイターとして目立つ存在ではありましたから。ブルーコスモスの標的になっていることを考えてのことです」
淡々と説明するアスランをキラは弱々しく見ていた。思えば気の毒なことに、彼は自分よりいくつも若いのに、“特別な能力”だの“テロの標的”だのと、さまざまな苦労を背負っているのだ。おまけに国際貢献を見据えて、一時的にでも他国の一部隊を任されるなど、そのプレッシャーも相当なものに違いない。
アーサーは改めて、アスランがここへきたことを喜ぶべきではないかと思った。
今は衝突している様子だが、気心の知れている人間が彼を守り、支えになれば、キラの負担がいくらかでも軽くなるのではと思ったのだ。
最初は少しばかり面倒な、とは思ったが、アーサーはすっかりアスランの来訪を歓迎する気持ちになっていた。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

デーベライナーに到着してからアスランは特務のとおりキラの警護に徹していた。目の届く場所を離れず、可能な限り傍につき従った。アスランに個室の用意を、と環境整備チームに指示を出しかけたアーサーを断り、指揮官室で過ごすと伝えると嫌な顔をされる。艦内の人間も信用しないつもりか、といいたいのだろう。実際、アスランは信用していなかった。事実なのだから、そこで取り繕う必要はないだろうと思った。
「きみ、ぼくの傍にいたいだけなんじゃないの」
キラなりの厭味だったらしい。「そうだったら何か不満なのか?」と問うとそっぽを向く。そのままおとなしくなったのを幸いに、アスランはアルテラでの作戦立案に時間を使った。
ヤマト隊が今抱えているのはテロ事件が勃発したというコロニー、アルテラでの制圧任務だ。駐留するザフト基地が巻き込まれているということ、駐留基地以外にはコロニー内に軍事組織がないという理由で、プラントはアルテラの本国である大洋州連合から軍事支援の要請を受けた。現状、地上にしか軍配備を持たない大洋州連合は、まずプラントに頼ったのだ。押っ取り刀で地上から駆けつけたとしてもデーベライナーの二日は遅れることが予想できる。コロニーの多数を占める一般市民のことを思えば、できるだけ迅速な行動が必要だった。
最初の一報を最後にアルテラからの通信も途絶えたままになっている。事態が読めなくなり、あらゆる可能性を想定して作戦を練らなければならない。
加えてブルーコスモスの組織、エヴァグリンが関わっていることも、充分に考えるべき状況だった。

アスランはザフトの軍籍を得て初めて知った情報にこれ以上ないくらい苛立っていた。
キラはデーベライナーの出航までに、数件の報告を上申して艦のセキュリティ機構の強化を図っていた。乗員のリストも、ありえない回数、変更している。
───何の確信もなくあんな危険をおかすはずはないと、判ってはいたが……。
オーブで“たまたま”居合わせたために知った、キラ単独での情報作戦。彼はデーベライナーを狙った不審な動き──それは主に情報処理上のログなどからだったが──に、すぐ気がつき、その先にエヴァグリンがいることをあの作戦で突き止めたのだ。
アスランはそれを知ってすぐにキラを問い詰めた。
昨年の11月から、すぐに相談できる場所にアスランはいたのだ。アーモリーにも何度も足を運んでいた。直接会ったときに話す機会が、いつでもあったはずなのだ。
キラは、いえるはずがない、と答えた。「オーブ軍のきみに」と。
キサカのところへ情報が渡ったことを契機に“協力国”へ明かすことにはなったが、そもそもがこれは“ザフト”に起こった問題なのだ。たとえそのターゲットが“キラ個人”だったのだとしても。
淡々と正論を吐くキラにアスランはぞっとした。彼はそうしていつまでもアスランに「何か」を隠して、そのままプラントでの仕事を続けるつもりだったのだろう。
───冗談じゃない。
アスランはキラを守りたかった。それには、ただプラントに駐在する武官では身動きがとれないと思い、無理な根回しで自身のザフト復帰を図った。周囲に大きく迷惑がかかったが、その行動は正しかったと今思う。こうして、同じ立場にならなければ明かせぬことがあるのだとキラからはっきり告げられたのだから。
「……ほかに隠していることはないだろうな」
「ないんじゃないかな」
アスランが確認すると真面目とも思えない返事がかえる。
「どうだか。ここ何ヶ月で、おまえがおれにいわなかったことがどれだけあると思っているんだ」
研究組織の設立、ザフトへの身売りに今回のことといい、どれも話が重すぎる。あとから聞かされて肝を冷やすこちらの身にもなってくれ、とアスランは深く息をついた。
隠し事がある相手を守りきるのは難しい。それでも守ると、ただの意気込みだけではなく現実にするために、アスランは苛立ちを抑えて考えられる限りのことを考え続けなければならなかった。

作戦を練るために指揮官室にこもり続けて数時間。
双方の機嫌が快方に向かう様子もなく、部屋のなかではそれぞれがキーボードを打つ音しか聞こえてこない。会話もずっとなかったが、アスランは頭を使うことに忙しく気を遣う暇はない。キラはキラで、さきほどからずっと自身のデスクで端末に向かい何かの作業をしていた。やがて手が止まると、沈黙を破って突然声をかけてきた。
「アスラン」
「……どうした…?」
キラを見ると、彼はそこを動かぬままディスプレイに視線を落としている。アスランは集中を解かれて小さくため息をつき、座っていたサイドデスクから立ち上がり、キラの傍まで行った。
キラの端末のディスプレイを覗くと、そこに開かれているコマンドインタプリタの作業内容ログが目に入り、アスランは「えっ」と声をあげた。
「何をしてるんだ、おまえ…」
「アルテラに接続してみた」
「なに?」
「回線が全部繋がってないみたいな、変な報告が本部からきてたでしょ。だからアルテラ周辺のネットワークを全部見てたんだ」
コロニーの中央コントロールどころか、草の根のような民間ネットワークの通信網までもが遮断された状態となった今の状況は、コロニー内部ではなくその外にある通信衛星や中継地点から切断されている疑いがあった。キラは通信網を調べあげて、アルテラとの通信すべてを遮断できるいくつかのポイントを見つけ、その中からこっそりと生きているネットワークを探し出し、そこへ割り込んだ、という。
「…それは…もしかして」
「そうだね。敵の通信回線じゃないかな」
あっさりと答えてみせる彼に、見つかるんじゃないか、というと、上目使いにちらりとアスランを見た。
「そんなへましない。そのかわり、同じラインの傍受も無理だけど」
その回線上には、パケット式で複雑に暗号化された搬送波のやりとりがおこなわれているようだった。キラはそのパケットを利用して、敵の通信にうまく紛れ込ませているのだといった。それ以上の動きをとれば、見つかる恐れがある。
「受け取り側が気がついてくれなきゃだめだけど…」
「どこにコンタクトしてるんだ」
「………CCPサイバークライムポリス
「………………」
CCPとは、警察のネットワーク犯罪を取り締まる部門だ。キラはそこへ“ハッキング”でコンタクトをとっているという。
「だって政府機関は監視されてるからだめだし、そしたらちょうどいいのってここくらいしかなくって…」
「CCPも監視下にあるかもしれないだろう」
「同じ搬送波が流れてないのを確認したから大丈夫」
「そこにおまえが流したら…」
「途中からコロニー内の回線に入ったから。大丈夫だってば、ぬかりないよ」
「………………」
アスランはふたたびことばをなくした。キラは昔からこうした犯罪めいたいたずらをして遊んでいた節がある。つまり、“慣れて”いるのである。
このままそれを見逃すことには疑問だが、今の状況の一助になるかもしれないと考えれば、ここは素直に褒めてやるべきだろうかとも思う。しかし、アスランは仕方がないといった風情でため息をつき、ただキラの頭に手をやるだけにとどめた。キラはそれに気をよくした様子もなく艦橋の通信士を呼び出し、CCPへのコンタクトの監視を引き継いだ。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第一作戦室

デーべライナーはアルテラへの道程を予定より減速して航行していた。理由は追ってくるジュール隊と合流するためだ。
ランデブーポイントまでは、あと約十時間。
アスランはそれを待たずに作戦計画をまとめあげたが、本人曰く、今回は人を振り分けるだけの作業とのこと。抱えている各チームの特性を把握して適材適所に充てるだけと簡単そうにいう。
キラは第一作戦室で、シミュレーションボードの映像を交えながらその計画の説明を受けていた。ざっくりとしたことは外交ルートで知っていたとはいえ、追っかけの短時間でヤマト隊全体の把握には骨を折ったことだろう。それなのに、自分よりよっぽど隊を掌握していると感嘆した。同時に、アスランがデーべライナーへくるまえ、おぼろげに頭のなかで構成していた自分の計画の甘さを各所で思い知ることになった。
「本当に厭味だな、きみ」
「……なんの話だ。説明をちゃんと聞いてろ」
ため息混じりの独語を咎められ、もちろん聞こえるようにいったのだが、それからはとりあえず黙ってアスランの声を聞く。
一次作戦としてまず基地を刺激せずに政府との接触に重点をおくことは、事前のキラの要望を容れている内容だ。締めくくりに「あとは現場で直接指揮をとる」とアスランがいった。
「……きみ、降りるつもりなの?」
「おまえ、降りるつもりだろう」
問いかけを問い返され、というよりも断言されてキラは黙りこむ。確かにキラは、アルテラとの交信を受けて、コロニー内に直接自身で降り立つつもりになっていた。

アルテラとは一時間ほどまえに通信が繋がった。
CCPはコンタクトとともに渡していたキラの指示に従い、アルテラ政府の人間に渡りをつけていた。向こう側で対応にでたのは、知事本局外務部と基地対策部を兼任する人物だった。
入念に通信経路をつくったとはいえ、慎重を期して最少量のデータ送信で済ませるためにテキストベースの情報交換をおこない、そのために映像での確認はできなかったが、内部の状況をいくつか把握することはできた。
プラントの軍事基地は占拠されたままで、テロリストは沈黙を保っているらしい。つまり、状況が硬直しているのだ。アルテラには警察以外に武装集団がなく、その唯一といえる戦力は市民の混乱の鎮圧と避難処理の手配で手一杯。だが爆発などによる破壊等はなく、ザフト基地以外とりあえず無事ではあるようだ。現在は政府から基地への呼びかけを続けるのみで、有効な対策は何もなされていない。ただ本国からの助けを待つだけの状況のようだった。
何をぼんやりしているとも思うが、かつての大戦からも取り残されるほどの辺境にあって、長い年月一般市民が穏やかに暮らすだけの平和な場所だったということなのだろう。
キラは、ある日突然にその平和がもろく崩れることがあると知っている。もしかしたら本当は、郷愁めいたその気持ちがこの判断を降したのかもしれない。しかしキラは、その場ではないと“隠されたもの”を見抜くのは難しいと考えて、アルテラに降りることを決めていたのだ。
「フリーダムじゃなく、その身で降りるつもりなのか?!」
「そうだよ。だめかな」
「だめだ」
「知事に会いたいんだ。フリーダムはいらない」
「許可できない」
室内の空気が一気に冷たくなっていた。キラが生身のまま降りるつもりを伝えた途端、そこまで考えていなかったのかアスランがまた険しくなり、それに反発するようにキラも頭に血がのぼりかけていた。
「コックピットから知事と会見しろっての」
「デーべライナーまでこさせる」
「内部の様子も見たいし、」
「おまえは指揮官だ。報告を待っていればいい!」
「直接でなきゃ、働く勘もない。ぼくの特命を邪魔する権限まではきみにない!」
最後のことばにアスランの眉がますます吊り上がった。
キラはSEED研究の一番の披検体だ。作戦中はその能力──SEEDによる力を如何なく発揮しなくてはならない。そのために、最前線への出動も積極的に引き受ける。自分から危険へ飛び込むことを、プラントと約束しているのだ。
いつかプラント行きを明かしたときにアスランと大げんかになったのは、この条件のせいだ。誰よりも自分のことをなくしたくないと思っている人間が、そんな約束を歓迎するはずがない。危険を回避できると思っていた密約が、別の危険を呼んだのだ。
それでもキラ自身で決めたことを、最終的にアスランは受け入れた。キラが自分で選んだ道を阻む者になりたくはない、と。それが、彼にとってどんなに苦しいことなのかキラにはよく判る。その立場が反対だったらと想像すれば、アスランの気持ちを理解することは容易い。
───そんなことは、ぼくだって絶対に許したくはない。
でも、この状況が現実だ。そのことで、アスランに譲る気はキラに少しもありはしない。だが。
「……いいかげんにしろキラ! だったらおまえはおれがここに“赤”を着てくることまで判ってたっていうのか?!違うだろう!」
とうとうアスランが取り繕った仕事モードを捨てて、感情的な表情で怒鳴りはじめる。
「判ってたよ!」
咄嗟の嘘を取り繕うかのように、思っていたより強くことばがでる。本当は想像することさえも避けていた。予感というよりは認識で、彼がそういう行動にあるだろうこともキラには予測できたはずなのに。そのことをずっと腹立たしく思っている。だからこれは、八つ当たり、なのに。
「いつまでもぼくのすることが気にいらなくて、怒りたくて、それできたんだろ。理解したふりなんかしといて、きみはオーブで準備してたんだろ。じゃなかったら……こんな、タイミングよく、きみが、ここに、あんなもので、くるはずがないッ!」
キラはそういって乱暴に壁を殴った。彼を振り回している自分への苛立ちが抑えられない。彼から“赤”を着る気概を奪ったのも、いま彼にザフトへの忠誠をよそにそれを纏わせたのも、自分だ。真面目でエリートの彼に道を外させているのは自分なのだ。
「そういうことをするな!」
アスランは壁に打ち付けたキラの腕を強く掴んだ。昔から、キラが怒りを抑えられず自傷するようなことをすればアスランはいつも叱った。キラが傷つくのが、嫌なのだろう。ほんの小さなカスリ傷でさえも。
「…話をすり替えるんじゃない」
掴んでいる手の力が俄に強くなった。キラは自分で叩いた痛みとその力の痛みに少しばかり表情を歪め、数度腕を引く。しかし、アスランはますます力を入れてその手を放してはくれなかった。
「……キラ…。曖昧な力を頼りに自分を危険に晒すような真似を、おれが許すと思っているのか」
低く静かになっていくアスランの声音に、キラは少しずつ頭を冷やした。彼は本気で怒っている。取り乱したままでは、彼を納得させることもできない。
「…プラントとの約束だ。シードコードが力をつけるまではそうするしかない」
だが、納得もなにもない。アスランははじめからキラを助けるためにここへきたのだろう。連れもどすためではなく。彼は最初から、キラのわがままを聞くつもりなのだ。それが不本意だから、怒っているのだろう。それを知っていても。
「成績を残して、証明しないとアスラン。でなければ今度は、さすがにプラントもぼくを消そうとするよ」
「……………」
もどれないことを始めてしまったのだ、と。だから守ろうとしてくれているのだと、判っていた。
今、表情を消してしまった目の前の彼の手が、また一段と強くキラの手首を握る。が、急に興味をなくしたかのように次にはそれを放した。
「アスラン」
キラの呼び掛けを無視してアスランは踵を返し艦橋へもどった。それを追いかけてキラも作戦室を出る。
「現場指示は任せる。隊の人間は好きに使ってくれてかまわない。ジュール隊にはぼくから話す」
その場にいるブリッジ士官を意識してキラはわざとよそよそしく告げた。アスランはそんな彼を一瞥し、返事もなくオペレータに向かった。
「シン・アスカ、リンナ・イヤサカと僚艦のパイロット、各小隊の責任者を第二作戦室へ」
キラはでてきた扉のまえに佇みアスランの背中を見つめた。すぐに動いて振り向いた彼は、表情を消しているけれどもやはりまだ怒っていると判る。そのまま艦橋を出る扉へ向かうが、キラを無視することなく、傍で一度立ち止まった。
「……行くぞ、キラ」
その声は重く低かった。ふだんならこういうとき、彼はひとりでどこかへいって頭を冷やしてくる。冷静な型に見えて、根は激情家なのだ。今もまだ、キラに対して腑が煮えくり返る思いをしているに違いない。
それでも今は片時も離れる気はないのだろう。隊に到着してから、アスランはキラにも自分の傍を離れることを許さないといった。そのことについてキラは何もいうことをせず、彼に従うままにしている。
第二作戦室へと向かう通路で、キラは後ろを護るアスランに手を伸ばしその腕に触れた。あがった視線はキラに不機嫌を隠そうともせず翡翠の色にのせていた。
どうすればいいのか。
彼は本当は、かつてのようにキラにはオーブの島で隠棲して過ごして欲しいと望んでいるのかもしれない。争いごとと縁のない、平穏な時間のなかで。
───でも、もうそれができなくなってしまったぼくを、あのまま閉じ込めることも、きみにはできないくせに。
自分自身をないがしろにして、その望み通りにすれば。それはまた矛盾しているようだが、アスランが望まないことなる。だからキラにできるのはただひとつ、追ってきてしまったアスランの傍を離れずにいること。さまざまなジレンマをやり過ごして、目を瞑って。
腹立たしさよりもやりきれなさが勝って、キラはもしかしたら泣きそうな表情をしていたのかもしれない。アスランはひとつため息をつくと、キラが掴んでいた袖とは反対の手でキラの手の甲に重ねてきた。
そして、腹は立つが仕方ない、といいたげな顔をした。


C.E.75 1 Feb

Scene デーべライナー・保安部

ルナマリアは今作戦からヤマト隊保安部の情報セクションに籍を置くことになった。
保安部員は隊内部において警官と同じ権限を有し、艦内での武装も許可されている。所属隊指揮官や来艦の要人警護など、対外的な立ち回りもあるがそれはたまの任務といってよく、常時神経を遣るのは実のところ艦内兵士の動向だ。
それを荷が重いなどと思うことはないが、やはり一歩引いて同僚を監視する立場というのは、正直につらいことではあった。これまではパイロットとして、チームを信頼して連携することを重要にして軍に務めていたのだ。それにもともと、仲間に疑いの目を向けることは性分にない。
その彼女の心情を知ってか知らずか、ついさきほど“新任の上官”からは「全員を疑うべき立場だ」と釘を刺されたところだ。
ブルーコスモスといえばナチュラルなのだろうが、その思想に偏向するコーディネイターがいないとはいいきれない。また、どういう利害の一致で彼らに手を貸す者がいるともしれない。疑い始めればきりがないのは確かだった。彼のいうことは正しいのだろう。だが、他国からきたあなたがそれをいってはと、その言動に非難ではないおもいがうかぶ。
彼女は小さな溜息とともに、常に携行している愛用の拳銃と警備用の自動小銃をチェックするとそれらをその身に携えた。
それから周囲に視線を巡らせてみれば、室内──保安部室にはデスクに張りつき監視機構をチェックする同僚の姿がある。先に知らされた状況を話そうかとためらうが、自分の役割ではないと自重して口を開くことはしなかった。それに、もう間もなく知れることだ。

数時間ほどまえのこと。
ルナマリアとシンのふたりが呼ばれた部屋には、アスラン・ザラがザフトの赤服を纏って立っていた。
同盟のオーブ軍は、アルテラの事件にブルーコスモスの新興勢力が関与する証左を持つとザフトに進言し、キラあるいはヤマト隊が標的となる可能性を示した。そのため最高評議会と国防委員会は、その特使であるアスランをFAITHに任命しキラの専任護衛に付けたということだった。
傍らにいたキラは不服そうな面持ちで、彼の任務を円滑にするため保安部長と戦術作戦主任をアスランに譲るという。特殊機動部隊として最小構成からなるヤマト隊は、それらをキラが兼任していた。つまり、その場でルナマリアの直上の上司がキラからアスランになったということだ。
ルナマリアは急展開にことばを失い、隣に立つシンを見る。シンはひたすらむっつりとして──その理由は不明だが──何も声に出さない。いつもならこの状況に生意気な厭味や態度を見るのに、むしろそのおとなしさが不気味だった。
パイロットのシンがその場に一緒に呼ばれたことは不思議だったが、それらのことに困惑した表情に気がついたのか、私生活も含めたキラの護衛を個人的に依頼していた、とアスランが説明した。
───そうまでして護衛する理由が、何か?
思考にのぼってすぐ口をついた質問は、何か失礼なものいいだっただろうか。ほんの一瞬沈黙したアスランはルナマリアを見、そしてシンは視線だけをルナマリアのいる反対の方へ投げた。だが意外にもその答えはそのままのシンから返された。
「このヒト、オーブ代表の血縁だろ。たまたま知ってるおれにちょっと警戒しとけって、そんだけのことだよ」
公表はされていないがキラとカガリが双子のきょうだいなのだということは、ジュール隊にいたころに聞かされた。もちろん、そんな話がでたのはその隊長と副隊長、シンの四人だけがいたという状況で。そんな隠しごとを漏れ聞くほどには、彼女もそれを共有する仲間と認められていたのだと。つまり、たまたま知っていて、護れるほど近くキラのそばにいたのはシンだけではないということが、ルナマリアには少しばかり不満になった。あまり大事にできない事情もあったかもしれないが、自分にだって彼を護ることくらいできるのに、と。ましてや軍令ではなく、アスラン──知己の頼みごとだ。水くさい、と思った。
だが、そんな不満を彼女は、いまやいえる立場ではなくなっていることをすぐに思い出したのだが。

室内の壁際、艦内監視のターミナル画面が並ぶ席から小さなどよめきがあがった。
その話し声はこちらに届かないが、内容の察しはつく。おそらく各員の個人端末に追加配備の全艦通達が届いたのだろう。追加配備とは、要するに件のアスラン・ザラとインフィニットジャスティスだ。続けてブリーフィングを報せる艦内放送があり、こちらも予定時刻通りだ。
「作戦会議の警備任務にいくわ」
それを受けてルナマリアが誰にともなく声をかけると、いちばん近くにいた同僚が応えた。
「ブリーフィングに、か? そんな命令、誰が…」
艦内での作戦会議にキラはこれまで警備を置くことをしなかった。彼の疑問はもちろん理解した。
「新しい保安部長よ。少し厳しくなりそうだから、覚悟しておいたほうがいいみたい」
ルナマリアはいつになく威圧感が漂っていたアスランを思い起こし、そう忠告する。会話を聞いていた室内が、また少しざわつく。
実をいえば、アスランがザフトにもどることを心情的に歓迎する者は少なくない。だが、混乱させるだろうことも事実だった。
アスランの二度の脱走が、その一度目はギルバート・デュランダル当時議長のはからいから不問、異例の離隊の扱いで複隊し、驚くことには二度目はその後の追撃で軍籍上“死亡”のままとなっている。彼はあくまで“死んだアスラン・ザラと同名のオーブ人”で、ザフトに出向中のオーブ軍人なのだ。それを表すように認識番号も新しく発行されている。真っ白になったザフトでの彼の経歴に、それをさらう誰もが不審に思う。そして時間が経つほどにいらぬ憶測を増して広がるだろう。
単なるエージェントにとどまらないアスランのポジションに、彼女の同僚は次々と困惑を口にする。彼らの気持ちはもちろん、充分なほど判っている。しかし、ルナマリアはついに黙っていられなくなった。
「ちょっとあんたたち。ヤマト隊長についていくって決めてここにいるんでしょ」
ざわめきがぴたりと止まる。
「でも、このくらいのイレギュラーで動揺してるようじゃ無理ね。こんな、何させられるか判らないような隊にきたのは、みんな何か理由もあったんでしょうけど。残念ながら覚悟のほうは足りなかったみたいって、そう隊長に報告するけど、どう?!」
「…ちょっとまてよルナマリア、少し驚いただけのことだろう」
そういって先の同僚が「わるかった」と彼女を引き止めた。それならいいけど、とルナマリアは踵を返し、保安部室をそのまま後にする。
彼らはこの程度のちょっとした釘刺しで充分だろう。所属を移してから打ち解けて話すあいだに、彼らは存外に無邪気で「おもしろそうだから」という理由でヤマト隊の配属を希望した者が多いことを知った。もちろん、そうであっても職務には忠実で優秀な人材であることも確かだ。上層部の指示に異を唱える者などいない。
「むしろ問題はわたしよ。……気が重いわ」
彼女ひとりのつぶやきに、今度は応える者がその場にいなかった。ふいに襲ってきた孤独感と向き合い、それを難なくやり過ごすには、彼女の質は人好きで開放的過ぎたかもしれない。


C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第二作戦室

エレベータが目的のフロアに到着し、開いた扉の五メートル先に佇む二名の上官を認めるとルナマリアはあっと息を詰めた。
「遅くなりまして、申し訳ありません!」
考えごとに捕らわれてついゆっくりとしてしまったか。
第二作戦室の入口のそこへ小走りに駆け寄りぴたりと足を止め、目の前のキラとアスランに敬礼する。
アスランは表情なく静かに返礼して、その腕をもとあったウェストの後ろにもどした。左腕は端末ボードを抱えている。キラはそれと同じ方の手で制帽を抱えているだけだった。どうやらコロニー降下後の作戦指揮を、本当にアスランに任せるつもりらしい。
「ごくろうさま。遅くなんてないよ。ぼくたちが早すぎたんだから」
静かに微笑んでそう返すキラのさきで、参集した兵たちが戸口に立つ上官に恐縮しながら敬礼し部屋へと入っていく。確かに彼らは早かったようだ。せめて、扉の外ではなく室内へ入っていてくれれば、彼らも中へ入りやすかろうと思う。
「ごくろうさま、シン」
キラが声をかける方向を見やると、不機嫌も顕なシンがやってくるところだった。かなり適当ではあったが一応の敬礼をして作戦室へと入っていく。彼は今日ずっと機嫌がわるいままだ。アスランがきっかけだったことはなんとなく察しているが、はっきりと理由を聞いたわけではない。機嫌がどうでも、このまま彼がおとなしくしてくれていればいいのだが───。
ルナマリアが思うことは、揉めごとはとにかく勘弁してもらいたい、ということだった。ただでさえ、この作戦で新規の人員が増えた分、気苦労が増えているのだ。
今回急場で集められたとはいえ、タスクで参入した兵はそれほど、いうなれば品のない者たちではない。ザフト幹部がそれなりにオーブに対して気を遣っているらしい。だとしても、最初から特命で配属されている兵らとはまた意識が違うだろう。キラやヤマト隊に対して。さらに、シンを見て判るように、アスランは元の隊員にも複雑な事項だ。いくら規律を勤勉に守る態度の良い者たちでも、今後いくらかのトラブルを起こすかもしれないと頭の隅で想像し、彼女はうんざりしているのだ。

先走った想像に疲れて大きなため息がでそうになったとき、「ここを頼む」のアスランの呼びかけがルナマリアを正気づかせた。とうに予定時刻となっていた。
いい置いた彼はキラを残し、ひとりで扉の中に向かっていってしまった。おや、と彼女が気がつく間に、キラが「アスラン」と呼び止める。彼はすぐに振り返ったが一言も発することなく、ただ見据えるように少しだけ顎を引き、キラを見た。それだけで向き直し作戦室へと去ってしまう。そしてその扉はすぐに閉められてしまった。
ルナマリアがそっとキラの表情を伺うと、閉じた扉をじっと見つめる横顔はいつもの読めない表情になっていた。
今のは何だったのか。必要と思われる会話が欠けているのは、幼馴染ということだから、それこそ阿吽の呼吸というやつなのかもしれないが、周りにいる人間にとってはどうにも取り残された気分だ。
それはともかく、その場に佇んだままになったキラにルナマリアは話しかけた。
「あの、隊長は、中へは……」
「うん、もう任せたから。アスランに」
急な命令系統の変更は部隊が戸惑う。この作戦会議にキラが同席しないことで、兵らに直上の指揮官を明確に刷り込ませようというのだろう。そんなことはすぐに察した。
「……え、と………」
「このくらい自分でどうにかするだろうし」
そういうことではない、と否定すると「アスランのことを心配してるんじゃないの」と彼は小首を傾げた。
ブリーフィングが彼自身のことで多少荒れたところで、アスランはそれなりに対処できるであろうことをルナマリアは以前に見知っている。
「あのー、隊長がこのままここで、その…なんていうか、」
「ぼーっと立ってるのが変?」
「そうです」
非難めいた声になってしまった。用事がないなら自室か艦橋にでももどればいいことだ。少なくとも、この艦内でいちばん偉い立場にある人間がぼんやり廊下で待機など聞いたことがない。
「離れると怒られるし。アスランに」
「そんな理由ですか!」
「さっき、ここから動くなって目配せしてったでしょ」
「いえ、判りません、そんなこと」
「退屈だから話し相手にルナもここに呼んでくれたんだろうけどさ」
「それは違うと思いますけど?!」
んふふ、と笑って、彼はそれきり黙った。軽口のどこまでが本気か判らない。

それからしばらくの沈黙が続いた。人の行き来がある通路というわけでもなく、閉ざされた目の前の作戦室からは何も聞こえてはこない。そこは完全防音になっているのだからあたりまえだ。
この状況が気まずい相手というわけでもないが、暇つぶしは必要だろう。冗談ではなく話し相手になることはやぶさかでない。
「アスランがきたこと、何か不満なんですか?」
我ながらその話題の選択はいかがなものかとは思った。だが、ずっと引っかかっていたことではあるし、アスランがいるところで聞けることでもないので迷いはしなかった。キラが困る話題なら彼自身がうまくはぐらかすだろう。
「なんで、そう思うの」
小さく苦笑をこぼして彼は聞き返してきた。
「さっきは不機嫌そうに、見えましたから」
めったにあることではない。元の性格なのか、それともそれなりに指揮官として自重しているのかは判らないが、まぁ前者なのだろうとルナマリアは想像している。
キラはポーズをとるようにひとつため息をつき、小脇に抱えていた制帽を手前にいじりながら語りはじめた。
「うん。不満ていうか、今回は失敗しちゃったと思って」
「…失敗?」
「アスランを引っ張りだす気はなかったんだ。彼がいると、めんどくさいんだよね、いろいろと」
「……はぁ……」
専任護衛の秘匿のために今作戦の指揮まで負うことになって、面倒になっているのは実はアスランだけのようにも見えるが。
「シンがやたらとぼくの護衛任務に就きたがってた意味もやっと判ったし。アスランて無言実行なんだ、昔から」
私的護衛の件が当人を差し置いた話だったことはさきの会話の流れでなんとなく察した。そして、アスランが世話をやきたがる質だということは、キラから何度か聞いた昔話で知っていた。
確かに彼の行動は過剰ではないだろうか。ザフト内に信頼する者も少なくないだろうに、自分自身がここへくることは確かに面倒が多く、合理的でもない。だが。
「ぼくがプラントにくるって決まったときから、根回ししてたんだろうな、きっと」
「…アスランがここへきたこと、ですか。そりゃ、取り次ぎが早いなぁとは思いましたけど…。でも、だったら始めから一緒にくればよかったんじゃないですか?」
「だから、それはめんどくさいことになるから、ぼくはそういう話題を避けてたわけ。アスランもひとこともいわないし、そんなこと」
「何がそんなにめんどくさいんです」
「なにもかもだよ」
キラは投げるようにそういって唇を尖らせた。
予想はしていたが、なんというか友人間の、というよりは兄弟げんかの愚痴を聞いている気分になってきた。ルナマリアは嘆息して、これ以上を詮索するべきかどうかの判断に迷う。
その間にキラは制帽をきちんとかぶり直し、急に雰囲気を変えてこういった。
「結果的に、きみの仕事も面倒なことになってるでしょ?」
何をいわれたのか。そのまま保安部の仕事のことをいっているのか。───否、と悟ってルナマリアは一瞬冷水を浴びた気分になる。凝視したキラの顔は、穏やかに微笑んでいたが。
「……あの…」
まさか、と彼女は思う。
「きみは判ってると思うけど、ぼくもアスランもプラントが困るようなことは考えてないよ。だからきみもあまり困らないで」
キラはそして、ごめんねルナマリア、と付け足した。見つめ合ったまま、少しの沈黙が落ちる。
「……ご存知、なんですか…」
「知りはしないけどさ。察することはできるよ。あんまりデーべライナーが自由にしてるもんだから、国防委員長から煙たがられているし」
ルナマリアはそれを聞いてうっと詰まった。
「ラクス・クラインと議長の権力の庇護下にあって。オーブ代表に近い人間だって切り札までもってるって。そんな話でも聞かされたんじゃないの」
苦笑を交えて、キラは滔々といい当てた。
確かにルナマリアはデーべライナーに乗る直前、機密取扱資格を取るためにもどったアプリリウスで、アリー・カシム国防委員長からいい渡されたのだ。“部外者”の好きにさせないようヤマト隊の監視をしろと。実際にはキラが用意したものを、そのための資格と所属なのだとまでいわれた。
もちろん、アリーが疑うようなものがキラにあるとは思っていない。だからこそ引き受けることもできたのだ。むしろ、自分がそうしたほうが、キラを守ることになるかもしれないと。
「内務監査局を動かす正当な理由を探してるってところでしょ。パイロットから外したことで、きみがぼくに対して隔意があると踏んだんだろうね。それともきみがわざとそう仄めかしたりした?」
「……何のお話か、わたしには判りません」
あまりにも見透かされているためにルナマリアは口を噤んだ。この相手に対し、これ以上明かすことはない。無論、本来明かしてはならないことなのだ。キラはそれも理解して自らこうして口にするのだろう。ルナマリアの心情すらも見透かし、もしや、それで彼女が隠していることを負担に思わないように、と?
キラはごまかしたルナマリアを気にすることなく続けた。
「ああでも、アスランのことは多少悪し様に報告してもかまわないよ。早く艦を降りて欲しいし」
「何いってるんですか。隊長の護衛に必要な方です。いてもらわないと」
キラに敵が多いことは確かなのだ。それは、今自分が明かさなかったことひとつをとっても、そうなのだ。そこへ自分自身への風当たりを知りながら駆けつけた人を、どうしてこの人から引き離すことができるだろうか。