Evergreen Interlude

C.E.74 26 Dec

Scene アーモリーワン基地・キラの執務室

「まさか、うつったのか?」
ことばとともに伸ばされた手を反射的に払いのけなかったのは、やはり少しなりと熱が高かったせいかもしれない。鈍い身体機能に反して、近づく手を咄嗟にやばいと思ってしまったのは、昨日見た光景のせいだろうとぼんやり思った。
額にあてられたアスランの手の冷たさを心地よく感じる。
そこでシンはようやく彼の手を払った。失礼過ぎない程度に。
「熱いな…。もう、帰れ。うえにはおれがいっておく」
淡々と告げた冷静な台詞に既視感があった。しかし、昨日同じようにキラの熱にも気がついた彼は、今と似たようなことをしたりいったりしていたけれども、今日とは違って判りやすく動揺を含んでいた。
「このくらい寝てるようなもんでもありませんよ」
「……ほかにうつすなといいたいんだが」
「………………」
「どうせ仕事は昨日で片付いてるだろう」
それはアスランのいうとおりだった。本来ならシンの休暇は今日からなのだ。
通常、ザフトにおいて年末年始休暇などというものはないが、何故かヤマト隊には十日ほどのオフが与えられていた。オーブ国民のキラに合わせた休暇のようでもあり(オーブは年末年始に休む習慣がある)、あるいはデーベライナーの進宙式が終われば長期の艦上生活を余儀なくされるために、今のうちに家族に会っておけといわれているようでもある。
それはともかくとして、確かに置き土産とばかり風邪と思われるウィルスをこのアーモリーワン基地へふりまいて休暇に入ることはシンの本意ではない。幸いなことに、今日は休んだキラの代わりに報告書をまとめにきただけだから、まだ食堂などの人の多いフロアにいってはおらず、代理作業は本当にファイルを揃えるだけのことで、ものの三十分もかからない作業だった。
「それの続きなら、おれが…」
「いいです。終わりました。あんたももうこれ持って帰ってください。でないと、おれも帰れないし」
報告書を記録したメディアをアスランに差し出す。一拍おいて、アスランはそれを受けとった。
「……自分がオーブ人だってこと、忘れてませんか」
「忘れてないさ。ただ、監視の厳重なここで、おれが何をすると思ってるのかと…」
「タテマエってもんが、あるでしょう。共同作戦かなんか知りませんが」
シンはいいながらキラの端末を閉じ、座っていた上官のデスクから離れた。若干足がふらついたような気がする。
「ほら。けっこうあがるぞ。早く帰れ」
めざとくそれに気がついたらしいアスランは、ドア近くのハンガーからシンと自分のコートを手にとり、一方をシンに差し出す。シンはまた昨日のことがフラッシュバックして、キラの背後から肩にコートをかけるアスランの甲斐がいしい様子を思い出していた。
「シン、大丈夫か?」
コートを受けとらないシンを別の意味にとったのか、アスランは俄に心配する表情になった。
「大丈夫です。…思考すると動きが止まるみたいで。やっぱ熱、高いのかも」
シンはコートを受けとると、さきに執務室を出た。弱みを見せたら負けだというつもりもないが、いや、あるかもしれないが。とにかく足どりをしっかりとしたものにするよう気をつける。
「すまなかったな。おれの管理がわるかったせいだ」
少し後ろを歩くアスランが意味の判らないことをいっている。体調管理など個人の問題だ。それともシンにうつしたキラのことをいっているのか。いずれにしてもアスランの管理は関係がない。
シンはちらりと振り向いて彼を窺うが、同時にエレベータのまえに辿りついたため、窺ったさきはシンの横に並んで立った。
「部屋まで送ろう」
「必要ないです」
エレベータのドアが開く。その空気の動きさえも熱くなった頬に気持ちよく感じる。おかしいと思いはじめたのは出勤してまもなくで、それからみるみるうちに熱があがりきったらしい。顔も身体も火照って熱く、今すぐベッドに倒れ込みたい気分だった。しかし、他人にあまえるほど弱りきっているわけではない。
「それより隊長の様子、見にいってやってください。ほんとはアンタもそっちのほうが心配なんでしょ」
昨日との差を見るでもなく、アスランにとってキラが大切な友人であることは判っている。熱の感染源らしいキラは今頃ベッドで休んでいるだろうが、シンにとっても多少は心配なことに変わりない。昨日見た彼の様子はかなり辛そうだった。今の自分より状態はよくなかったのだろう。
「いや、大丈夫だろう。ゆうべもどって、すぐに薬を飲ませて寝かせて。そのせいか、今朝にはだいぶさがっていた」
アスランがいい終えるタイミングで乗り込んだエレベータのドアが静かに閉まった。しんと静かな沈黙がおりる。
「……泊まって看病とか、したんですか」
「…泊まるっていうか………キラの部屋で過ごしてるから」
アスランがアーモリーへきたのは五日ほどまえのことだった。実は彼自身はさらに早く休暇に入っており、本当ならばさきほど渡した報告書も年明けに手渡せればよかったようなものだ。今日を含めて毎日基地へ顔を出していたが、とくべつ仕事の用事があったわけではないことは知っている。よっぽど暇人なのかとシンは何度か厭味をいったが、彼は「まぁ、そうだな」と軽く流していた。
「ホテルとれないくらいオーブの給料安いってわけじゃないでしょ」
「それは…そうだが」
何が面白くてプライベートでアーモリーに長期滞在するのかはよく判らない。真面目な人間のことだから、オーブが関わる大きなプロジェクトがただ単純に気にかかっているとか、理由はいくらでもありそうだったが。
「でも隊長がよく泊めましたね」
「…え?」
「いや…なんていうか、プライベートはひとりでいたがるタイプだと思ってたんで、あの人」
「……まぁ、そういう時期もあったかもしれない、が」
アスランがおかしな感じにことばを止めた。何か過去に思うことでもあったのだろう。彼らのあいだのことはよくは知らない。
「むしろ子供の頃は人といたがるほうだったかな」
「………は?」
そのとき軽やかな電子音が、指定フロアにエレベータが到着したことを報せた。

「幼馴染み?」
シンはそのことに心密かに衝撃を受けた。彼らは、敵として戦場で出会い、なんだかあって和解して、それで共に戦うことになったのだと……“戦友”なのだとずっと思っていたからだ。ヤキン・ドゥーエ戦役では殺し合いをしたのだといっていた。であれば、敵同士であるまえに幼馴染み同士でそうしたということだ。
今までアスランがキラのことを話すときに感じていた、どこかもどかしいようなところや、彼がキラに執着する理由の一端を、今になって知ったような気がした。
「…そんなに小さいときから一緒に育ったってなら、それ兄弟みたいなもんですかね」
「……そうかもしれないな…」
「ともだちって感じでもないでしょ。おかしいと思ってましたよ。あんたら、距離が近すぎるって」
「…そうなのか」
「そうですね」
さきほどの意味不明だったアスランの詫びごとは、それを表していたのだ。「管理がわるかった」などと、まるで兄が下の子の面倒見るようないい方だ。いいおとなになった今でもそれはどうなのかとは思うが、つまりそうしたことが自然にでるくらいには近い距離の間柄だったのだろう。「熱か?」とキラを引き寄せ、額同士を合わせた仕草が限りなくスムーズだったことも、それでいくらかは納得してもいい。
幼馴染みではシンにはよく判らないが、兄弟といわれれば、妹がいた自分と重ね合わせてどれだけ相手が大切なのか少しは判る気がするのだ。
「ああ、そっか」
「?」
結局アスランに官舎の入口まで送ってもらったシンは、一応は礼をいうべきかと思って振り返り、すぐ過った考えについ口が動いてしまった。アスランが問いかける表情でシンを見る。
「…あ。いや。隊長の、護衛にきたのかと思って」
今更ながらに、アスランがアーモリーにきてからほぼキラと一緒にいたことに気がついた。いつか、個人的な頼みだとしてキラを護るようにいわれていたシンは、このところどうも楽な気がしていたのはそのせいだったのだろう。
「じゃあ、休暇中のこと考えなくていいすか。隊長につきあって、オーブ降りなきゃいけないかなって思ってたんすけど」
「そうか。そこまで気を遣わせて、すまなかった。…ゆっくり休んでくれ。キラにはおれがずっとついてる」
見慣れないあたたかい微笑みを向けられて、シンは一瞬だけ心臓が跳ねあがる。こんな表情もできる人なんだ、と。この数日何度となく思ったかしれない。
「ありがとう、シン」
「………いえ…こちらこそ…」
敬礼して踵を返す雰囲気でもなく、シンはコートのポケットに手をつっこんだままで棟に向かって歩きはじめた。聞こえるのは自分の足音だけで、アスランはシンの姿が見えなくなるまで、そこで見ているつもりなのだろう。板についてるらしい兄貴顔をくずしてやる真似も一瞬考えるが、シンは送ってもらった礼だからとおとなしく歩き去った。