C.E.74 4 Aug

Scene オーブ軍本部・正門広場遊歩道

レドニル・キサカは、オーブ軍本部のヘリポートから戦略開発局へ向かっているところだった。聞けば今日、アスラン・ザラはヤラファス島での予定がないとのことなので、自分から出向くことにしたのだ。
その途中、本部棟へ向かう交差した通路に、これから会いにいこうという当人が立っている。
「こちらへこられると聞いたので」
キサカに気がつくとアスランは敬礼していった。いまや自分より官位がうえであるにも関わらず、この青年は相変わらず折り目正しい。
「こちらは人の出入りがちょっと多くて。…落ちつかないですから」
別の場所へいこうということだろう。キサカはそれでは、と屋外へ誘った。
軍施設の正面入口から一般見学展示棟の裏手に、芝生をぐるりと囲んだ遊歩道がある。ここは視界も広く見学会のない今日などは人目もほとんどない。遊歩道に点在しているベンチのひとつにキサカとアスランは座った。

キサカが所属する特殊空挺部隊は、その名が示す空挺作戦や潜入工作ばかりをおこなう部署ではない。情報収集、ときには情報操作など、国内外の情報戦が主要な任務だ。そして先日、東ユーラシア連邦での諜報任務からもどったばかりであった。
ユーラシア連邦は地球連合軍を構成するひとつの国家だったが、同盟国の大西洋連邦に反発する勢力が大きくなり、先の大戦後には西側が独立する形で分かれてそれぞれが国となっていた。東側は現在も地球連合軍に名を連ね分離まえの組織色を濃く残しており旧軍部データも残している。キサカはマルキオを通してジャンク屋ギルドから仕入れた情報を確かめるため、三年前の出来事についての諜報活動をおこなってきた。
「実は、ヒビキ博士…キラの実父だね。彼のコーディネイター開発でキラ以外に生き残っている者がいるという情報があった」
端正な眉をわずかに歪め、アスランはキサカを見た。彼は、今キサカも思い出しているのと同じように、三年前にメンデルで見た大量の人工子宮カプセルがならぶ開発施設を思い浮かべているのだろう。その開発実験では、数々の“失敗という結果”があったという。
「かなり悲惨なことでね。能力としてはかなりのものらしいが、予測データの数値が得られなかったという理由で彼は失敗とされた。“処分”は免れたが、旧ユーラシア連邦の軍部に拾われて、特殊能力を持つコーディネイター開発の実験体として使われていたという話だ」
───おぞましい。
アスランは嫌悪感から組み合わせていた両手に力を籠めた。
自分たちコーディネイターが誕生する影で、そのようなことが幾度も繰り返されてきたに違いない。キラのような「最高のコーディネイター」とする開発実験はその極みだ。難易度の高い開発ほど、“失敗”は数多く生まれる。
締めつけられるような胸の痛みを感じて瞼を閉じ、顔を俯かせる。当時、その事実を知ったキラが打ち拉がれた思いをあらためて感じていた。自分の足下に踏まれた者たちの影を、彼がどれほどに辛く思っていたことか──。
キサカは苦しむアスランの様子に気がつきながらも話を進めた。伝えることの核心はここではない。
「その人物は成長してからモビルスーツパイロットとして特務に就いていたそうだが、その後離反してね。作戦中に関わりがあったことで、マルキオ様のもとを何度か訪ねたこともあったそうだ。ちょうどきみらがいた頃だが…」
会ったことがあるかもしれないね、とキサカはいった。確かに、アスランたちが“祈りの庭”に滞在していたあいだ、マルキオを訪れる客は何人もいたのだった。その中のひとりに、その彼もいたのかもしれない。
「彼の話によれば、離反する直前にキラ・ヤマトを捕獲する作戦を任ぜられていたそうだ。───つまり“最高のコーディネイターと目される人物”を……ということだが…」
「───!」
アスランは衝撃に目を見開かせてキサカを見た。キラの出生の秘密がとうに旧ユーラシア連邦に露見していた。延いては、その先にあったブルーコスモスに。しかもそれを利用しようという動きがあったというのか。
「その特務の中心人物はジェラード・ガルシアという将校で、あのアルテミスの元司令官だ。…今回の調べでは、彼は個人的にエヴァグリンと繋がっていることが判った」

───“エヴァグリン”とは、今もっとも世界に名を広めているブルーコスモスの新興組織の名称だ。
今年に入ってからマスメディアを通じ、その発言と露出の幅を広げている。これまでの表立った活動にはテロ要素は一切なく、「平和的な対話による解決を主眼とする」コーディネイター“排斥”運動を展開している。ロゴスという強大なバックボーンはなくなったが、資金調達と情報操作のノウハウがわたっているという噂があり、そのために短期間で大きな組織へと成長したといわれている。各所に分散したロゴス関係者がそのまま幹部として極秘裏に在籍し、活動資金と人を集めているとの情報もあった。
メディアにでてくる表側の正規構成メンバーはひととおり過去を洗っているが、おおむね問題は見つかっていない。彼らにとってコーディネイターがいなくならない限り望む「解決」はないから、永遠に対話が続くニュアンスは否めないが、発言に過激なところはないし、実際に彼らは無害なのだろう。
……だが、彼らは“ブルーコスモス”であり、コーディネイター排斥を望む集団なのだ。
メディアに乗る広告塔としての彼ら以外の者らの正体など、想像に難くない。プラントとオーブの条約内容が明かされるようになってから、オーブ国内で集中して発生するようになったブルーコスモスの抗議、テロ活動。それらはオーブに住む個人や草の根によるものとされているが、それを指示する組織だった影は微かに感じられていた。
いずれもテロとエヴァグリンを結ぶ確定的な事実はなく、別の組織やいわれている通りの個人の犯行を疑うべきかもしれなかった。だが急成長し、さらに拡大しつつある組織をそのまま見過ごすこともできず、オーブ軍の情報局は水面下での諜報活動を進めているのだ。

───キラの出生の秘密は、もう秘密ではない。

ブルーコスモスの最大組織は確実にその存在を知っている。
アスランは何かのカウントダウンの存在を今知ったような気持ちだった。もとから沈鬱だった表情にさらに影を落とし、ことばを発する気力もなくなった。膝のうえで組まれた両の手が震えている。
黙して身動きもできなくなったアスランを見つめながら、キサカは彼の心の裡を想像して湧きあがる悲しみを表情に滲ませる。
何者かに望まれて誕生した彼らコーディネイターは、だが、彼ら自身が望んでそう生まれたのではなかった。ましてやそのために犠牲になった者がおり、また彼らを利用したがる者もいるということが、“宿命”というひとことで片づけるには大きく重すぎるとキサカは思った。とくに若い彼らには。
キサカはそれから長いあいだ沈黙し、アスランが落ちつくのを待った。

展示棟のホールから飲み物を手にアスランがもどると、キサカは礼をいって差し出された飲料缶を受け取った。
突然立ち上がって、「飲み物を持ってきます」というアスランをそのままいかせたが、今もどってくるまでのあいだに心を落ちつけることができたようだった。
もちろん、彼のその表情に晴れたところなどどこにもないが、キサカはもうひとつの話題を向けるタイミングだと思った。
「……ところでキラのこと、聞いたそうだね。当人とは話したかね?」
聞けば、キラは個人的な密約でプラント行きを彼の国と交わしてしまったとのことだ。そして、そのことでアスランの不興をかい、「最悪の空気だ」とカガリにいわれてきたのだった。
「話して、けんかの真っ最中です」
アスランはばつがわるそうに苦笑いをした。
「自分が心配するのは戦火の拡大です。キラの出生がプラントに明かされずとも、彼がその戦闘スキルをデータとして提供したら、コーディネイターの可能性のひとつが広がったと彼らは喜ぶでしょう。それを反対勢力がただ黙っているようにも思えません。…地球での戦闘用コーディネイター開発の再開を懸念する声もあります。さっきの話にもあったように、連合や他の国が動くことだって……」
「争奪戦になるというのかね」
「……『敵に奪われるくらいなら』、という考え方もありますよ…」
「………。これまでの戦争で、“生体CPU”のスペックがきみらのような優秀なコーディネイターには届かないと、判っていることだしね」

そもそもコーディネイターはナチュラルが生み出したものだ。まだこの分野での技術とノウハウはナチュラル側での蓄積が大きい。ブルーコスモスの強力なバックボーンが解体した今、遺伝子操作技術の幅を広げようという動きは少なからずある。トリノ議定書のため地上では表立った動きはないように見えるが、メンデル再開発の動きが実際にある。
プラント内部でも、次世代に未来がないのであれば技術でまかなえばいいという考えをかのパトリック・ザラが掲げ、その研究機関は存続している。
遺伝子操作技術の開発ブーム再来を予感する芽が、各所で見え始めたのが現状だった。

「何故おとなしくできないんでしょうね、あいつは。ことさらに、注目される条件を受け入れて…」
そう呟くアスランはとにかく不器用だ、とキサカは思う。杞憂を抱えているとはもちろんいわない。だが、事態はすでに動いており、そしてそこにはキラ自身の思惑も存在している。
「……だが、それでは聞くがアスラン。エヴァグリンなどのブルーコスモスをどうするね。彼らが何かをすると決まったわけではないが、こうなってはプラントのバックアップが彼には必要だと思わないか」
「判っています」
プラントからの戦闘能力研究協力の要請、というのは、プラントにキラ出生の秘密が公にされていない今は“SEED”の研究に主眼が置かれている。べつの特異性が名目なのだ。
「それにSEED研究についてはマルキオ師が代表となって、全世界的な規模の研究機関が構成されつつある。いわば国際要人として保護されることも将来あるのだよ。それでも心配かね」
「……理解はしているつもりです。だからこそ、これがおれの勝手ないい分で、個人的な感情だということも判ってます」

「それでもおれは、あいつがそんなものに関わる必要が、どこにあるんだと……」

───アスランの悩みは深い。
もう誰も、彼自身も含めて、彼を放っておいて欲しい。純粋に友を大事に思う、無事を願う気持ちがそこにあり、それが本心なのだった。アスランはすべてを理解し、ただ頭ごなしの拒否をいうのではなく、それゆえのジレンマがあることを、キサカは感じとった。