C.E.74 6 Aug

Scene アカツキ島・マルキオの孤児院跡地

アスハ家別邸から自家用ヘリを飛ばし、アスランはひとりでアカツキ島へきていた。マルキオの孤児院を建て直していると聞いたのでその様子を見に…だが、それは口実だ。だいたい、休日なので作業をしている者はひとりもいない。今日は護衛の同行も断った。苦い顔をされたが、ほぼ無人に近い場所へいくのだし、危険物の感知センサーと武器、GPSを携帯することで納得してもらった。
以前と同じ場所で、どうやら建物自体も以前と同じ造りになるようだ。まだ骨組みの段階だが、その組み方を見れば構造は判る。盲目であるマルキオにとっては、できるだけ慣れ親しんだ間取りがいいということなのだろう。
太陽からふりそそぐ日差しはじりじりとしていて、遮るものもなく受ける木造のそれはまさか燃えだしてしまうのではないかという熱さを蓄えている。触れてみた剥き出しの柱の下方には、やはり何度か様子を見にきているのであろうか、マルキオの元にいる子供のものと思われるいたずらが彫られていた。

アスランは柱だけの建物の中に入った。
───ここが、キラが使ってた部屋。
彼も泊まるときは、この部屋に簡易ベッドを運びこんで過ごした。決して広くはないこの部屋にそうしていたのは他に空き部屋もないからだった。
あれは一年と少しまえだ。大きなけがをしてしばらくこの家で静養したときも、やはりここでキラと過ごした。
キラの自閉したような反応の弱さがだいぶ回復し、声をあげて笑うことや、昔のことを長々と語り合うこともようやくできるようになった頃だった。それでもときおり忘我するような瞬間があり、アスランはキラを不安な目で見ることからまだ逃れきれないときでもあった。
けががいくぶんか回復し、そろそろアスハ邸へもどるから、といったその夜。
『もう大丈夫だから、アスラン』
何がとか、誰がとは、いわずに、キラはただそのひとことだけを告げた。アスランがよこす不安の視線を、彼はもちろん知っていたのだろう。

アスランは今も、あの頃のようにキラのことを心配していた。だが、過去にあった漠然としたことに対してではなく、もっとはっきりと具体化したものが心の中のざわめきとなっている。正体が見えながら、それを止める術をアスランは残念なことに知り得なかった。兆しを目の前にしながら、抱えていた不安のために気がつくこともできなかった過去を悔やんでも、もう遅いことだった。


「マルキオ様。その“シードを持つ者”というのは何でしょうか」
アスランが療養にきて十日目のこと。ときおりマルキオがキラやラクスを指していうそのことばの意味を、アスランは訊ねていた。
「アスランは、人の進化のお話など興味はございませんか?」
その質問に答えたのは、何故かラクスだった。一時期、各学会で大騒ぎされたお話ですわ、と続けていう。アスランもキラも知らなかった。
「限られた分野での話題でしたので、あまりご存知の方はいらっしゃいませんわね…」
それを知ってるラクスは何だろうとは思ったが、血のバレンタイン直後のことだというから、それは確かに専門分野の人間でなければ耳に入るものでもなかったのだろう。

───“SEED(シード)”。スペリオール・エヴォリューショナリ・エレメント・デスティンド・ファクタ。
コーディネイター、ナチュラルに関係なく若い世代に増えはじめた高次能力の発現は、人類進化の可能性をもつ因子として、そう呼ばれていた。
「それで──マルキオ様は…もしかして、キラたちにその進化の芽があると、おっしゃりたいのですか」
「そうですね。あなたもですよ、アスラン」
盲いたマルキオが「見えるのです」といった。アスランはキラと顔を見合わせる。しばらく全員の沈黙が続いてから、ふいにキラがぽつりといった。
「なんだか新鮮な話だね、アスラン」
「………ああ…」
新鮮過ぎて、アスランは興味が湧かなかった。正直にいえば“眉唾”ものの話題と感じ取っていた。以来、このことはすっかり忘れていたのだ。──ディアッカから再び、そのことばを聞くまでは。


キラは忘れることなく逆に興味をもってずっと情報を集め続けていたということを、アスランはごく最近に知った。マルキオを通じてその学説を発表した学者と、ネット上ではあるものの会見までしていた。
そこまで執着する理由も理解の外だったが、ましてや彼は、そのことのために自分自身をプラントに売ったのだ。

「ぼくは自分のことを知りたい。自分に何ができるのか知るには必要なことじゃないか。もう、メンデルで怖がって泣いた、あのときのぼくじゃない」

数日前のけんかでキラはそう叫んだ。
───判っている。
アスランは、あの頃の不安と心配を甦らせているだけなのだと。そうも指摘されて、返すことばなどなかった。

けんかの内容を思い出しては、自分の気持ちを自身で検証する。アスランは頭の中でそんな作業を繰り返していた。
気がつくと日が傾きかけている。そろそろもどらないと護衛官に怒られる。
───キラと、仲直りしないと。
互いに口もきかず、目も合わせず、そんな子供のようなけんかを長々と続けていた。いいかげんに、周囲の心配のほうが限界だろうとも思う。いつだって、そこまで考えてしまう自分のほうが根負けをするのだ。
───今回ももう、それでいい……。
アスランは、キラがいつのまにか自分の知らないところで、傷つき泣くようなことになるのが嫌だった。彼のさきをいって、あるいは隣にあって、そうした衝撃から彼を守りたい。それなのに、思い通りにならないキラと世界に。ただ自分は苛立ちを抱えているだけ。それだけのことなのだ。
諦めを含んだ考えをまとめると、アスランはその骨だけの家から立ち去った。