C.E.74 6 Aug

Scene オノゴロ島・アスハ家別邸近くの浜辺

アスハ家別邸へでかけたというアスランを追ってきたもののそこに彼の姿はなく、ヘリを借りてさらにアカツキ島へでかけたとマルキオから聞いた。用事がすめば必ずここへはもどるであろうからと、キラは邸近くの浜辺でぶらぶらしながら時間をつぶしていた。
「アスランの……莫迦」
キラは小声でつぶやきながら砂浜をけった。端から見れば、まったく子供のするような絵に描いた光景だ。
アスランと派手な怒鳴り合いのけんかをしてから一週間が過ぎていた。けんかが長引いている原因はひとつだけ。アスランが折れてこないからだ。
どちらもゆずれないけんかになったときは、たいていアスランのほうがさきに音をあげる。今回はキラのほうがもう、耐えられなくなっていた。
───ぼくから、謝ろう。
アスランの、自分を心配する気持ちは充分に理解している。その心が過ぎて頭ごなしにキラにいいきかせようとするのもいつものことだ。それを知っていながら頭に血が昇り、つい彼を怒らせることをいくつかいった。そのことには、キラは本当に心から詫びるつもりがあった。
それでも、自分がこうしようと心に決めたことを変える気はなかった。それはぜったいにゆずれない決意だから、どうしてもアスランに納得してもらわなくてはならない。うまく説得ができるかどうかは判らなかったが、いつか理解してくれると信じて話を重ねるしかない。
───アスランがいてくれなければ、ぼくはまえに進むことはできない。
頼りきりになっているつもりはなかったが、過去にあったすれ違いを繰り返したことが、ただキラを竦ませていた。

視線を海から後方に振り返れば、浜辺より高台にある道路の脇に護衛官がいる。アスランは今日、その護衛もつけず行ったという。自分が同じことをすればきっと彼は烈火のように怒るのに──。危険な身の上は、同じなのに。
ブレイク・ザ・ワールドの数ヶ月まえ。アスランは大きなけがを負ってマルキオの孤児院、“祈りの庭”へ療養にきた。カガリのボディーガードをしていて、そのとき暴漢に襲われたのだといった。
だがキラは、本当に襲われたのはアスランのほうだった、ということを知っている。カガリの身のまわりを世話しているマーナから聞いたのだ。
相手はアスハ家に近い者だったため、突然の襲撃に対応ができなかったという。それは、隠れたブルーコスモス主義者だった。そしてその立場のため、“アレックス・ディノ”をアスラン・ザラとして知る者でもあった。つまり「パトリック・ザラの息子だから」、というのがその動機だ。
アスランのけがをした姿にキラは衝撃を覚えたが、その真実を知ったときにも、めまいをおこすような驚愕と恐怖でわなないた。
久しぶりに心を訪れた激しく感情をゆさぶる出来事に、キラは自分をおぼろげにしていた心の殻から、完全に逃れた。
はっきりとしたのはあたたかく素直な感情で、長いあいだに積み重ねたアスランに向く気持ちのすべてが、恋のそれだったと自覚した。さまざまな虚飾と垢穢がはがれ落ちた自分の本当の心。ようやく気がついた深い感情の正体に、少しの哀しみも覚えた。それでも、もうキラには目を背けることも、ごまかすこともできなくなっていて、いつまでもその気持ちを大切にすることを自分自身に誓ったのだ。──彼の心の所在に如何なく。

あのときからのアスランを思う気持ちに、幾許の変化もなかった。いや、彼と心を通じてさらに増したかもしれない。
悲しみのない世界をつくりたい。アスランとアークエンジェルのデッキで、月の都市を思いながら誓いあった。そのために自分ができると信じることを、彼にだからこそ、理解してもらいたい。

視線をぼんやりと海に流したままアスランを説得するためのことばを胸に描いていると、赤く染まった空を機体に映したヘリがその場の静寂を破りながらもどってきた。
ヘリポートに降り立つと、操縦者は邸には入らずそのままキラの立つ浜辺へ向かってくる。キラはその姿を眺めるだけで迎えた。
「…怒ってる?」
キラは第一声にそういった。アスランはふいをくらったような表情をし、次には「あたりまえだ」と返事をする。だが、一週間も続いていた険しさは嘘のように消え、静かで優しい笑顔がこぼれていた。
「アスランぼくは……」
キラがいいかけるとアスランに抱き寄せられて、ことばが止まる。
強く締め付けてくるその腕を嬉しいと思ったが、キラは微かに身じろいだ。
「……後ろに護衛官がいる」
「見て見ぬふりくらいはするだろう」
そういいながらもアスランはその腕を静かに解いた。そして、さきほどの笑顔よりさらに優しく、あたたかくなった瞳で告げる。
「…キラは自由にしていい。おれを傍に置いてくれるなら、もう、なんでもいい」
投げやりになったともいえるその台詞に、キラは少なからず驚いてアスランをじっと見た。いつでも彼はそうして自分を容れてくれる。どうしてなのか、まったく判らなくなるほどに。
「アスラン、怒ってる?」
キラはもう一度訊いた。
「……もう怒ってない。…悔しいだけだ」
「悔しい?」
「…キラに、勝てないから」
アスランは静かに答えて、もう一度キラを自分の身体に引き寄せた。頭を傾けてわずかに低い彼の頭にすりつけ、頬にかかるキラの髪の感触を心地よさそうに楽しんでいる。
アスランの穏やかな空気を感じ取り、キラの心も緩む。アスランをとにかく説得するのだ、と緊張していた気持ちはまったくどこかにいってしまった。
「……アスラン、謎だね。きみ、不思議だね」
キラのつぶやきに「何が」と耳元でささやく。キラは無言を返してそれをごまかした。
“うまくいかない”と感じても、いつのまにか気がつくとアスランが“うまくいく”場所に立っている。いつもじたばたと慌てさせられても、最後にはどこかにすとんと落ちついている。
───アスランなら、アスランとなら、ぼくはきっとうまくいく。
もうぜったいに離さない、と何度思ったか知れないことを心に思いながら、キラはアスランの背中にまわした腕にそっと力をこめた。

それからふたりはならんで浜辺に座り、ずっとことばもないまま日の沈む海に視線を投げて、星が姿を現すのを待った。
あと少しで、この雄大な自然と離れたところでの生活が、再び始まる。包まれるようにあたたかいここではない、孤独を感じるあの場所で。
この海と宇宙はどこか似ているのに。その寂しさを不思議に思っていた。