C.E.75 9 Mar

Scene メンデル・ビジターセンター

メンデル再開発地区のうち最初に整えられた一棟はビジターセンターとして利用されていた。そのロビー内はわさわさと忙しなく人が出入りしており、訪問者の人数が日を追うごとに増えているようにアスランは感じる。入り口から見渡し、人混みのなかからフロントロビーにぼうっとした様子で座っているキラを見つけた。案の定、護衛をつけていなかった。
「キラ」
彼の左斜め後ろから近づいたアスランは、キラが足音に気がついたのを確認しながらも名を呼ぶ。
「アスラン」
振り向いたキラは、彼を見ると少しの苦笑いでアスランを迎えた。
「……急な面会があったって?」
護衛を連れていないことへの小言は引っ込めた。面倒に思ったであろうキラの性格を考えず、彼をひとりにしたのは自分の落ち度だ。キラは訊ねたことに「そうだよ」と答え、相手について問うと協力国の議員だったといった。
「対面したことないから、って挨拶に呼ばれただけ。どうせもう会うこともないだろうからなまえも覚えなかった」
アスランは、そうか、といいながらキラの様子をあらためて探った。疲れているように、見えたからだ。政治家の相手ともなれば、それはキラも気疲れしようが、挨拶だけだったというならそれほどのこともないだろう。
ただ、状況として彼はザフトに入ってから体も心もともに、休む時間を十分にとれていない。とにかく今はメンデルの再開発事業が一段落みるのを待つしかないが、場合によっては強制的にオーブへ帰還させるつもりがアスランにはあった。それは当の本人から抗議がくるだろうが、かまってなどいられない。

キラにはモビルスーツでの戦闘に、わずかだがストレス障害があることをアスランは知った。
本人曰く、アスランと──まれにシンと──の、戦闘に限るとのことだが。彼のもともとの繊細な気質を考えれば起こりうることだったし、実際にヤキン・ドゥーエ戦のあとには長らく不安定な状態になっていたことも思い出される。本人はおおげさにすることではないというが、治療が適うことなのかどうかはともかく、このまま見過ごすことはできない。悪化しない保証もないのだから。
とりあえずのところ、訓練を含めてキラをモビルスーツに乗せることは極力避けるべきだろうと考えて、今日の模擬戦もアスランが買ってでたのだった。
「アスラン、着替えぐらいしてきたらよかったのに」
「え……。ああ」
さすがにビジターセンターのエントランスでパイロットスーツはわる目立ちするだろうか。一応周囲を目にして、好奇の視線が集まっていないことを確認する。工事中の状況もあって宇宙服の作業員もうろついてはいるから、それほどでもないようだ。キラもとくに気にしたわけではないようで、単にアスランの忙しない様子を揶揄したいだけのようだった。
「迎えにきてくれたの?」
「……くると思ってたんだろ」
呆れたようにいうとキラはくすりと笑った。
「そう、待ってたんだ。入れ違いになっても、あれだし」
そういいつつも、キラは立ち上がって艦に帰ろうとする様子を見せない。仕方がなくキラの横にアスランも座った。代わり映えしない指揮官室に篭っているよりは、人の行き来が多いここのほうが気分転換にもなるのだろう。

「考えてたんだ」
アスランが横で落ち着くのを待っていたかのようにキラがいった。
「ユニウスセブンのこと」
「……………」
“血のバレンタイン”の追悼式典は一ヶ月近く前に終わっている。何故今考えるのか、問おうとするまえにキラが答える。
「いつもね。2月14日が近づくと、アスランに訊かなきゃいけないって思ってたんだ。でもこないだは“あのひと”が現れるし……なんかタイミングがさ…」
「キラ」
無意識に呼んだ声にキラがアスランのほうを向く。何を、と問いかける眼差しだけを送り、キラを待つ。
「きみが軍に入った理由」
「───それは」
昔も、敵対した立場で責めるように問われて、答えを返した覚えがあった。憎しみを捨てられなかった頃。キラは違う答えを求めているはずだった。
「単純なことだ。……無力だと思ったからだ。いろんな意味で、自分が」
何かをしなくてはならないと、まず感情を突き動かされた。失った母の大きさと、人が変わってしまった父を目の当たりにして。
それで戦うことを選んでしまったのは確かに浅薄だったのかもしれない。
だが今は、あのときの選択がなければ、誰を守ることもできなかった───と。そのことにも気がついてしまった。イザークのいった“持てるだけの力”を、あの頃よりも欲しているような気持ちがしていた。
それ以上をことばにして答えなかったアスランに、キラは何も返さず視線を外して足元に落とした。彼が期待した答えではなかったのかもしれない。
「ぼく、ずっと知らなかったことが、あって」
「……なんだ?」
アスランからその表情が覗えないほど深く、頭を垂れたままのキラ。いい難いことがあるのだと判る。彼はできるだけ優しい声で問うた。キラは姿勢を変えずに消え入りそうな声で続ける。
「小母さんが、ブルーコスモスの標的になってたってこと」
「……………」
アスランは黙したまま、そうか、と思った。相手が傷つくことを恐れて問わずにいたこと。お互いにまだ、そんなものをもっていると、この頃は気付かされてばかりいる。キラには、なんでも答えるからなんでも訊けとついこのあいだもいったばかりだった。実践する彼の勇気が愛しくて、切なかった。
「それでユニウスセブン、か」
つぶやくようにいって視線を遠くにすると、がやつく周辺の雑音も遠くなる。キラは動かず、その話の続きを促すこともせず、静かなままでいた。

アスランの母、レノア・ザラは優秀な農学者で、ユニウスセブンからユニウステンの穀物生産プラント化に大きく貢献した人物でもあった。プラントによる独自の食料生産はシーゲル・クラインの指示でおこなわれたが、実現にいたる技術を開発した点で、理事国の反感を大きく買ったコーディネイターのひとりとなったのだ。
プラントによる食料の独自生産は、当時地球との戦争の引き金にもなったほど意味が深く重要なことだった。
ブルーコスモスの地球連合軍将校ウィリアム・サザーランドは、それを理事国に逆らった報復として、レノアが作った穀物生産プラントをレノアともどもに核で破壊。それが、“血のバレンタイン”だった。
彼の───アスランの父、パトリック・ザラの治まらなかった憎しみの根源がそこにある。
たまたま巻き込まれたのと、狙いを定められたのとでは大きな差がある。まさかプラントごと討たれるとも思わずに、コペルニクスから母子を早々に引き揚げさせたのは、その疑念をパトリックがもっていたからだったのだ。
「父が国防委員のひとりと話しているのを聞いてそのことを知った。それでザフトに入ると決めたんだ」
その後入隊してから、不確かな噂話という前提ではあるものの、パトリックが強硬派路線に進む理由として、軍内でも公然と囁かれてもいた話だったことを知った。ディアッカはもちろん、ラクスもおそらくは自身の父親からそんな話を聞いていたのかもしれない。彼らのいずれかが、キラに聞かせたということなのだろうか。
三年前の戦争の当時、アスランがキラと同じ陣営にきてから、キラはずっとアスランに直接、その過去を訊いてくることをしなかった。あるいはアスランと同じ気持ちで相手に触れることができず、ただ、知らないままでいることもできず、そうして周囲の人間に訊ねて。アスランにも身に憶えがありすぎるほどで、キラの周りのムウやマリュー、ミリアリアやサイ・アーガイルにこっそりと訊ねることが何度あっただろうか。

「どうしてなのか判らなかったんだ。コーディネイターの…小母さんにとっては、そう、家族が生きるために考えたことが。どうして命を狙われるほどの理由になるのか……判らないんだ……」

沈黙を破って、幼い子供のような問いを綴ったキラに、アスランは少なからず戸惑った。
「本当にたった“それだけ”の、理由で、…小母さんは狙われていたの?」
アスランがその答えを知ってるとでもいうような眼差しで彼を見る。 だが、知るはずもない。本当の理由など。そもそもユニウスセブンとともに標的にされたという話でさえ、確証を得たものでも、声明されたものでもなんでもなかった。状況としてそうだった、というだけで。
「キラ。多くの一般市民が生活していたコロニーをまるごと破壊しようなんてこと、どんな理由があったところで理解できる話じゃない…」
唯一確かなのは、コーディネイターが同じ人間だと思われていなかったということ。それ以上でもそれ以下でもなく、あるかどうかも判らない本当の事情を確かにしたところで、レノアが泛ばれることもない。
「彼らは母上だけではなく、コーディネイターなら誰でもいいってことだったんだろう。ことさらに彼女だけが恨まれていたなんてこと、おれは考えてない」
確かではないから、それも嘘といえるだろう。だが、キラが聞きたい答えかもしれないと選んだことばだった。それにアスラン自身も父親を変えた理由などに深くつきあいたくはなかった。
「…そう…。きみがそう、思っているなら……」
敏いキラが納得した様子も見せずにそういって、その話は終わった。

アスランは気がつかなかった。このときキラがそのことばの裏で、本当は何を確認したかったのか。
十数分前にあったロマン・ジェリンスキとの対話を知らない彼には、知りようもないことだった。