C.E.75 11 Mar

Scene アプリリウスワン・オーブ大使館

「どうしてその話を今したいの?…こちらにもどってきたときじゃ、だめなの、キラくん」
『……………』
マリューの問いに、キラは黙ってしまった。オーブ大使館への突然の個人通話。それまでもなかったわけではないが、“ひとりで”連絡してきたのはこれが初めてだ。彼が───アスランが、キラのいるデーベライナーへ行ってからは。それもあってマリューは少しためらっていた。
「アスランくんは、今話していることを知ってるの?」
キラが少し、息を吸い込んだ気配がした。余計なことを訊いたかもしれない。
『べつに…いうつもりもないですけど。ぼくのこと、だし』
「そう、よね。でも通話記録、残るわよ」
『ええ、判ってます。…いいはしませんけど、彼に聞かれて困る話でもないです』
マリューは深くため息を吐いた。無意識だったが、わるいことにキラに気づかれてしまった。
『すみません、こんなことマリューさんに。本当は両親に…母に聞くことなんですけど……』
「いえ、それはいいのよ。お母さまには聞きにくいことでしょうし……。ただ……どうして?」
マリューはもう一度訊ねた。音声のみの通話だ。キラの表情は読めない。率直に訊く必要があった。
キラはマリューに、母親のことが聞きたい──と、いってきたのだった。カリダ・ヤマトのことではない。産みの母──ヴィア・ヒビキのこと、だった。

───もうあれから、四年になろうとしている。
ヤキン・ドゥーエ戦役の最なか、たまたま身を隠すのに都合がよかっただけのメンデルで、知ることになろうとは。キラ・ヤマトの出生の秘密を。そして、敵士官ラウ・ル・クルーゼとムウ・ラ・フラガの因縁を。

『やだな、マリューさん。なんか変なふうに心配してませんか』
急に明るくなったキラの口調で我に返る。
「…変って、キラくん。だってわざわざ通話で急に訊かれたら。どうかしたのかしらって思うわ」
『どうもしないですよ、べつに』
スピーカーから、肩の力が抜けたような笑い声が聞こえてくる。彼が聞きたいといった話の内容を重く考えすぎただろうか?───いや、しかし彼の出生のことを思えば、軽い話でもないことは確かなのだ。
『仕事の延長みたいなもので。ほら、ぼく自身が研究材料じゃないですか。特殊性を考えるのに、いろんなことちゃんと知っておく必要があるかもと思って』
キラの自身の形容に彼女は心をずきりとさせる。
───この子はまた…こんなことをいって……!
マリューはキラがときおり見せる感情を欠いたことばが嫌だった。もしかすれば、それは虚勢だと思わないでもない。でも、それでも嫌なのだ。どちらにしても、戦争が与えた彼の傷だと思うから。
『手始めにじゃないけど…思い立って、それだけなんですよ、ほんとに』
キラは本当になんでもないことを表すかのように声を軽やかにしていった。深刻にならないで、と。
「……そう。……判ったわ、キラくん…」
マリューは一抹の不安を少し横に置くことにした。確かに考え過ぎなのかもしれない。
それに、これが潮時というものかもしれない、とも思ったのだ。

キラが両親ではなくマリューにそれを訊ねてきた理由については心当たりがある。
戦後、オーブの孤島で静かに暮らしていた頃──キラが、心を遠くにしていた頃。キラの母親…育ての親であるカリダ・ヤマトとは、彼への心配の表れに、幾度となく互いとキラのことを話した。マリューからは、戦時中に知ってしまった彼の出生についても。知っていながら隠しておくことはできなかった。それをきっかけにして、カリダもすべてをマリューに語ってくれた。

キラ本人が実の親子ではないと知ったことについては、すでにカガリから聞かされていたようだった。
だがキラからはひとこともなく、その後からこれまでも、本当の両親について何を問い質すこともなかったという。
ただ、カリダは一方的にキラに伝えたことがあった。自分の口からは聞きづらいこともあるでしょう、と。知りたくなったのなら、マリューに聞きなさいと。マリューはもちろんカリダに託されて、そのときがきたのなら自分が話すと了承していた。予定されていたことではあったのだ。
「ヴィアさんはカリダさんの実のお姉さん。それは聞いてるわね?」
『…はい』
「とても仲のいい姉妹だったそうよ」
ヴィアが大学を卒業するまでは、親友のようにいつも一緒にいたといっていた。が、ヴィアは飛び級で進学した大学の研究室で外部研究員として訪れたユーレン・ヒビキと出会い、卒業まえに結婚。そのままユーレンの勤め先でもあるGARM R&Dへ入社し、同じ研究室で働き始めた。学生時代までを過ごしたオーブを遠く離れ、宇宙コロニー、メンデルへ行ってしまった。それからは研究も忙しかったためか、カリダとも疎遠になってしまったという。
「それからふたり、直接会うことはもうなかったそうなんだけど、連絡はなんとか取り合っていて。…はっきりとはいわなかったそうだけど、仕事の…研究のことでヒビキ博士とあまりうまくいっていなかったみたいで。会えないこともあって、ずいぶん心配だったそうよ」
一緒に研究を進めるにつれ、コーディネイターに対するユーレンとの意見の乖離が広がっていく一方だった、という。そして、ブルーコスモスの台頭で、研究自体にも不穏な気配がただよい始めていた。
「襲撃の予兆はあったらしいの。博士の人工子宮開発の成功はまだ発表準備の段階だったけれど。ほんの数日前にヴィアさんは危険を感じて、あなたとカガリさんをオーブへ…カリダさんの元へ逃したそうよ。テロでの襲撃事件はその頃、今よりもっと過激なものが多かったそうだけど。すべてニュースになっているから、そのことはキラくんも、もうどこかで見てるかもしれないけど」
『……………』
キラはほとんど声を発しないままマリューの話を聞いていた。一瞬、そこにいないのではないかと思うくらいに。彼が何を思っているのかも判らなかったが、マリューはいちばんに伝えるべきことをいっておかなければ、と思った。
「……キラくん。カリダさんがずっと心配しているのは…つまり、あなたがヴィアさんのことを訊かなかったことも含めて…あなたが望まれて、愛されて生まれたんじゃないって、そう思い違いしちゃってるんじゃないか、ってことなのよ。確かにヒビキ博士がしたことは心ないことだったかもしれない。でも、そうじゃないってことを…」
『……知ってます…』
「…え……?」
『写真を見れば、判ります。あの写真』
「……………」
生まれて間もない双子を抱いたヴィアの写真。マリューも見ている。確かにあれは、母親の慈しみが十分に伝わるものだった。二枚あったそれは、それぞれキラとカガリで一枚ずつ持っているはずだった。
『レノアさんとは、』
「え?」
キラが突然、話の流れからでてくるとは思わぬ人物の名を告げる。───レノア・ザラ。アスランの母親の名だ。マリューはもちろん名前だけだが、知っていた。
『レノアさん。アスランのお母さんです。レノアさんとは学生時代からの知り合いだって、母から聞いてて。その頃のこと何か聞いてますか?』
「え、ええ。話にでてきたことはあったわよ……。そう、レノアさんがヴィアさんがいた大学に在籍していたことがあって、それがカリダさんとも知り合うきっかけだったといっていたわ」
『それ……、両親の……その…ぼくの本当の両親がしてた研究にも関係していた、とかは』
彼は何を聞き出したいのだろう?───マリューはキラの質問に戸惑いながら、知っていることを答えた。
「大学では同じ研究室ではなかったそうだけど。でも農業分野でゲノム編集の論文を多くされていたみたいだし、どうかしらね。…さすがに、そこまでは判らないわ」
『…そう、ですよね……』
「───ねぇキラくん、」
『あ。もう時間だ。すみません、マリューさん。もどったときにまた、続きを聞かせてください』
唐突ではあったが、その会話の終わりに不自然さはとくべつ感じなかった。時計を見れば話し始めてからけっこうな時間が経っている。キラも忙しい身だ。むしろ、その彼の時間を取り過ぎたくらいには思う。ただ、まんじりともしない気持ちが残った。

通話を切ると、マリューは後ろを振り返ってそこにいるムウ・ラ・フラガを見た。
彼はキラとの通話が始まったごく最初のほうでこの執務室を訪れたが、いないふりをするようにジェスチャして伝えていた。キラに一対一と思わせておいたほうがいいという雰囲気を感じたからだった。
「やっぱり……何かあったんじゃないのか、あいつら」
察してずっと黙っていたムウは、開口一番に神妙な面持ちでそういった。
「……あいつ“ら”、って?」
「アスランさ」
マリューはえ?、とさらに問う。
「あいつ。ヤマト隊にいくまえだけど、訊いてきたんだよ、おれに。ヴィア・ヒビキのこと。あと、大学時代に自分の母親とも親交があったかどうかって。なんか知ってるか、って」
それは自分ではなくカリダに訊くのがいい、とその場は終わったらしい。確かにムウは知らないだろう。今キラに聞かせたことも、彼は半分ほどしか知らないはずだった。
「気にはなるよな、いまさら訊かれると。まぁ、今いる拠点がメンデルってことで、いろいろ思い出すこともあるんだろうけどさ」
また変なものが出てこなきゃいいけどな、と続けていった。
「でも……そのあたりの資料は」
「ああ、おれとアスランで処分した。あんときに」
メンデル近くでの潜伏期間は長かった。そのあいだにムウはアスランを伴って何度か研究棟へ行き、残っていたヒビキ博士の研究資料をすべて処分していた。もちろん、キラの将来を考えてのことだった。
「キラのやつ…もう、生まれのことはふっきれてるんだろうと思ってたよ。機構の拠点が決まったときも顔色ひとつ変えなかった。そこしかないと思ってた、とかいってさ…」
杞憂であればいいんだが。ムウはそういって難しい顔をしていた。
「本人はなんでもなさそうにいってたけど。やっぱりあなたも変に思う?」
「うーん…。判らんけどなぁ」
ムウはあたまを掻きながら、マリューが今まで使っていた通話機を使い、おもむろに各所へ連絡を取りだした。どうやら、メンデル視察の手配を始めたようだ。心配なら会いにいってしまえということか。
「いいかげんに子供扱いするべきじゃないって判ってるけど。……だめみたいね、ムウも、わたしも…」
もっともらしい理由を通話の相手に口説いている彼の背中を見ながら、マリューはそっとため息を吐いた。