C.E.75 17 Feb

Scene デーベライナー・食堂

ユニウスワンの港に接舷したまま数日を経過し、デーベライナーは現在、半舷上陸に入っている。シンは当直だが平時にパイロットができることというのは、あまりない。艦内待機を守るだけだ。訓練規定と自機のメンテナンスも終えて時間をもてあますと、こういった“庭”のような休憩場所をうろつくことになる。今は低木の固まる隠れスポットめいた場所に寝転がり、ひとりでぼうっとしていた。
遠くで語る声が耳に入り、注意がそちらへ向く。さきほどから何人か出入りをしているから、それを気にすることもなかったが、今聞こえた声の主は、この隊の隊長とその副官だった。
彼らが落ち着いたベンチは、シンのいる場所から会話の内容が聞こえないくらいの距離がある。寝転がったままのシンの頭のほうはアセビが茂って彼らから見えないだろうが、胸のあたりから下は向こうにも丸見えのはずだ。彼らもシンがそこにいることに気がついてはいるだろう。何しろ、今艦内で赤を着ているのはシンだけなのだから。
茂み越しにそちらへ顔を向け、キラとアスランをそっと窺う。キラは、この庭ではいつもそうしているようにメカのペット鳥を連れている。もしかするとここでペットを散歩(?)させているのかもしれなかった。アーモリーでも時折連れているのを見かけたが、いずれもプライベートな時間ではあった。まさか艦内にまで持ち込んでいるとは思っていなかったから、最初に見たときはちょっとばかり驚きつつも、キラらしい感じもして、さほど違和感をもたなかった気がする。持ち込むほど大切なものなのだろう、とも思う。
見ている先のふたりは何事か話しながら、アスランは手元で何かの作業をしている。彼らは非番だというのに、その表情にくつろいだものはなかった。その雰囲気を見て、シンはその場でまたごろりと仰向けになる。このエリアでは上下間の礼儀も不要とキラが決めているから別にかまいはしないだろう。
どうせ頭を下げるなら、ふたりともいるときのほうが面倒が少なくていいだろうと考えもする。長引かせていいことではないのだろう。だが、キラのまえでアスランに折れてみせるのはどうにも耐えられない。やはり、自分は彼を上官と認め難く思っている。そうでなければ手をあげることもしなかった。昔から、上官には甘えて突っぱねる癖はあったものの、さすがに手をあげるようなことまではしなかった。
自分でもこんなに訳の判らないことをどう片付ければいいのだろう。いっそ、そのままぶつけてみればいいのだろうか。どう応えるのだろうか。どんなふうに映っているのか。あの男にとって、自分は───?

───そんなことが、どうして今更気になるんだ。

戦争が終わって、いい関係が築けそうな気がしていたのに。自分からそれを壊そうとしている。頭の中を整理しても、掴めそうで掴めないこの苛立ちの理由は、きっとアスランにある。シンはそれを振り切るように勢いよく起き上がり、何かから逃げようと“庭”を離れた。彼らを振り返ることはできなかった。

その夜間───。
食事時間を外した、一般兵用の食堂。厨房のカウンターは閉じられ、テーブルに着く者も今はいない。この時間ここを訪れるのはシンのように飲み物か、ちょっとした軽食を取りにくる者だけだろう。
そんなひっそりとした食堂の入り口で、シンは棒立ちになったまま中へ入ることをためらっていた。
飲料の自動給仕機と並んで立つコーヒーメーカーをまえに、誰かがこちらに背を向け佇んでいる。手にはコーヒーボトル。コーヒーを淹れにきて、そのままそこで物思いにふけっている様子であることは見てとれる。肩を落として、何かにひどく疲れているようにも見えた。思っていたよりも早く、彼がひとりでいるところに遭遇してしまった。…アスランに。
キラにいいつけられたことを済ませるには良い機会だと気がついたのに、シンはその場で固まって動けずにいた。
すると、給仕機に半ば寄りかかるようにしていたアスランが、ふいに背筋を伸ばし首だけを後ろへ向けた。
「───あ……」
かけそびれていた声。気配を読まれ、急な喉の渇きを覚えた。
「シン、休憩か?」
「………、はい」
飲み物をとりにきたのは、実際そのとおりだった。アスランは気がついたように一歩下がって給仕機のまえをどく。
何もなかったかのような、声音と態度。シンはそんなことにすら微かな苛立ちを感じつつ、そこへ近づく。
「ついてなくていいんですか。たいちょーに…」
それでも気まずさから黙ったままでもいられず、飲料を選ぶ素振りで視線を逸らしたまま話しかけた。
「今、カガリと通話中だ。プライベートな会話に割り込むのもわるいから、ここで潰しているんだ」
そんな遠慮がアスランにあることをシンは知らなかった。キラとカガリが、公にされてはいないが実は姉弟で、キラとアスランは、兄弟のように一緒に育った幼馴染みだとは聞いた。アスランとカガリが一緒にいるところは初陣の頃に見ている。彼らのあいだにも遠慮めいたものは見当たらなかった。表面的には。
「そんな気遣いする間柄とは、思いませんでしたね…」
シンは率直にそのままをいってしまった。性分だから、仕方がない。アスランは、そうなんだけどな、と少し笑った。
「実際、オーブの代表よりもあなたとのほうが長いんじゃなかったでしたっけ。隊長とは。つきあいが」
「…きみには、話したんだったな」
静かな声だった。感情の読み取れない。キラとはまた違った心の殺し方を、彼は心得ていると思った。静かすぎて、勘ぐることしかできない。もちろん、わるい方向に。その声を、後悔、しているのかと、シンは受け取ろうとしていた。
───どうして。
シン自身が後悔しているからだ。彼らの秘密を共有してしまったことに。
それはたまたまのことだったかもしれない。だが、おそらくそれがわるかったのだとシンは思った。
───望まれてない。
そんな気もなかったくせに。信頼すら、していなかった。
キラを本当の意味で護れるからと、託してくれたと思っていたのに。それなのに、今彼が目の前にいる理由は───ここへきた理由は?
取り上げた飲料ボトルに我知らず力がはいる。満たされて密閉された容器の蓋が、圧力でわずかに盛り上がったのが見えた。
「…べつに…あんたたちのことも───隊長のことも。誰にもいう気なんか、ありませんから」
アスランは怪訝を表す面持ちでシンを見た。
「…急に、どうした…? ……そんなことを疑ったりはしていない、はじめから。でなければ話したりしない」
耳障りのいいことをいって、ひとを持ち上げて。もう騙されるものか。
「シン、何が不満だ。変だぞおまえ。このところずっと」
「不満なんかありません」
「そんな顔をしておきながら嘘をつくな。顔だけでなく口にもだしていう分、以前のほうがましだったぞ。いう気がないのならその顔もやめておけ」
ポーカーフェイスなどもっとも不得意とするところだ。思うことを口にしないのも、好きではない。そう思うと、今シンの目の前にいる男とはまったく対立しているようにも感じた。
「おれが不満だって、そう見えるって?」
シンはアスランをはっきりと睨めあげる。相手は構えたようにシンを見た。
「おれがいいたいのは、こうですよ。こうやってここまできておきながら、本音をいわないですまそうとするあんたが気に食わない。満足ですか、これで」
「おれの、本音?」
端正な顔を顰めてアスランが問うた。本当に自覚などないのかもしれないが、だとしたらなおさらにたちがわるい。
「あんた勝手だよ。信用する気がないなら、なんでおれにあんな話をしたんだよ!」
シンはとうとうそれまで心の裡にあった───本人すらはっきりと自覚していなかった不満を堰をきったように吐きだした。
「なんで追いかけてきたんだよ! おれじゃだめだって、そういうことだろ?!」
シンのことばを受けてアスランははっとしたように固まった。見たことか、図星だろう、と自嘲する。
キラを護れといった、そのことを。シンに頼んだままにすることなくキラを追いかけてきたのは───ザフトに復隊してまできた理由など、考えるまでもない。シンに預けることを諦めたからだ。シンには任せられない、とアスランがそう判断したからなのだ。
「いっとくけどな。いや、いったよな、おれ…」
憤りを少し抑え、そのために握り込んだ拳が震えていた。アスランは黙したまま、ただシンを見つめている。
「おれは、おれがそうしたいから隊長を護るんだ。あんたがきたからってそれは変わらないんだよ」
「シン、おまえ……」
「隊長はおれが護る。オーブへ帰れよ。あんたの居場所じゃないんだよ、ここは!」
アスラン・ザラを相手にたいした捨て台詞だ。どこかでそう自分を揶揄する声が聞こえる。しかし、怯む心などどこにもありはしない。プライドを傷つけることだけは許さないと、相手がそれを思い知るまでは、こちらから頭を下げることもぜったいにしてやるものかと、シンはこれ以上ないくらいに熱りたっていた。