C.E.75 1 Mar

Scene L4スペースヤード・ザフト駐留基地

L4の研究施設コロニー、“メンデル”。

隆盛の当時は「禁断の聖域」「遺伝子研究のメッカ」などと呼ばれ、コーディネイターの開発と“先進的な”遺伝子操作研究などがおこなわれていた、という場所。実質的にそのコロニーと市場を独占していたGARM R&D社は、C.E.68年に発生したバイオハザードをきっかけに倒産し、すべての研究施設はコロニーごといったん遺棄された。
頽廃したはずのメンデルはだが、今度はプラントの主導によってまもなく蘇ろうとしている。次世代コーディネイター問題の解決を主眼にした研究機関が集められたほか、地球各国と共同のSEED研究プロジェクトの中心も同時に置かれることになっている。
当然ながらブルーコスモスの妨害、テロ行為が想定された。L4の中継ステーションで頻発しているアジテーションなどは、おそらくまだかわいいほうだろう。武力を伴う反発を見越して、関連各国の軍事機関や民間企業が警衛を請け負い、プラントからは現在ヤマト隊、ラコーニ隊が派遣されている。
メンデルに繋留された宇宙作業場スペースヤードにザフト駐留基地を置き、数日もまえからシンたちはそこで過ごしていた。再建工事はすでに始まっているが、内容としてはほぼコロニーを作り直すのと同等らしい。シンは長くなりそうな滞在期間を想像して嘆息し、窓の外をぼんやりと眺めた。

───レイとキラが生まれた場所、か。

シンは声に出さずつぶやいた。窓の外に見える、壊れた円盤付きのボトル。内部は研究棟や医学施設ばかりだったそうだ。あたりまえの生活がない世界で、彼らと、おそらく他にも多くの者が、誕生というよりは製造と呼ばれるような手順で生を受けた。
シンにはそれがいいことかわるいことかがよく判らない。だが、その過程もあったからこそ、コーディネイターは国家を立ちあげるほどに人口を増やしたのだと思っている。つまり、意味のない生などこの世にはないはずだ、と。
───もっと判らないのは、暴力でそれを奪おうってやつらだ。
すでに生まれて、生きている者を人と認めず。卑劣な手も厭わずに人殺しをする、ブルーコスモスの過激派。何度も嫌な思いをさせられている。
「シン?」
暗い怒りに沈んでいると、軽快で明るい声が彼に声をかけた。
「…隊長……」
「ここ、よく見えるんだね。メンデルが」
シンがいたのは広い会議室のひとつ。外壁側全面の窓が宙域の様子をよく見せていて、その視界はメンデルでほぼいっぱいになっている。キラはシンの横に並んで立ち、それを一緒に見た。
「アスランは…」
「ん?」
「一緒じゃないんですか」
キラがひとりでうろついていることはほとんどないといっていい。目障りな黒服が必ず傍にいるはずだった。
「ちょっと実験中」
「実験?」
───……いや、いいんだ。
アスランのことはいい。彼のことはもう考えないことにしたのだ。シンはそれ以上を追及しなかった。
キラもアスランのことで注意してきたのは一回きりで、その後はシンに何も訊こうとはしない。もう少ししつこいかと思っていたが、正直にいって放っておかれたままなのは助かっている。何故ならシンは彼に謝るどころか、啖呵まできってしまったのだから。
「──生まれた場所っていっても、記憶、ないしね」
「……え………」
「聞いてるんでしょう、アスランから」
「……あ…はい…。まぁ……」
正しくは、アスランから聞かされるまえから大筋は知っていたのだが。やはり感傷的になるだろうか。シンはこのメンデルの任務を少し心配していた。
「生まれたときのことなんて憶えてないから。そこにへんな感傷もないから気にしなくていいよ」
まるで心を読んだかのようにキラがいう。キラと会話をするとこういうことが度々あって、そのたびにどきりとさせられる。
「むしろ記憶にあることが問題……」
「はい?」
「……………」
キラは少し、本当にほんの少し、悲しげな風情の笑みをシンに返した。
「……ヤキン・ドゥーエ戦のときにこの辺りをけっこう長い間、うろついてたことがあったんだ。…だから、考えてしまうのはそのときのことなんだよね」
「…そう、ですか」
「うん、そう」
戦争中のことが、楽しい記憶のはずがない。先の戦争といえば、彼がGATシリーズの機体でザフトを苦しめていたときのことか。あるいはそのあとの、フリーダムでクライン派革命組織の羽翼だったときのことか。いずれにしろ、記憶しておきたくはないことのようだった。だが彼はそれを話したそうでもあり、その逆でいるようでもあり、シンはかけるべきことばに戸惑う。
「アスラン強いんだよね」
「は?」
頭から弾こうとしているその名前を突然聞かされ、しかも多少不愉快な形容がついていた。とにかくシンは、急な話題の転換にやたらと感情を乱される。
「モビルスーツ戦。昔から勝負ごとは何でも強いんだけどさ、勝負勘がいいっていうか。勝つための努力もちゃんとする人だし。でもMSの操縦は…あれは、ハマってるんだろうなぁ、彼に……」
シンとふたりきりでいるときに、キラがこうして突然アスランの話を始めるのは今までにもよくあった。この頃はその機会が少なくなっていただけで、いつもどおりのことではある。シンは少し落ち着こうと、わざとらしく深い溜息を吐く。
「……何がいいたいのか、ちょっとよく判りませんけど」
「アスランの話はしたくない?」
「………な、……いえ…」
確かに不愉快な話題ではあるが、キラにそれを悟られるわけにもいかない。ふだんの自分なら、と急ぎつつもじっくりと考えことばを選ぶ。
「……ただ、おれもパイロットっすから。あからさまにほかのパイロットを褒められるとイラっときますね」
本音も混じえて憮然として答えるのをキラは笑って見ている。
「判ってていってるんだけど、」
「はぁ?!」
「それできみが奮起して、アスランのシミュレーションの相手してくんないかなって……」
「………なんすかそれ…模擬訓練?」
「うん、そう。ぼくやりたくないから」
「……………」
またあんたは隊長のくせに、とかなんとかいろいろと。山ほどに飛び出そうになったことばをなんとか飲み込んだ、そのとき。
「キィラ!!」
「あ、見つかった」
キラが後ろを振り返る。シンもそちらを見ると部屋の戸口に少し息を切らせたアスランが立っていた。
「───っ、おまえな!」
わずかに怒っている風情のアスランが大股にキラへ近づく。シンは一歩、そこを離れた。
「思ったより早く気がついたね」
「─────……」
キラの言に何かをいおうとしたのか、口を開け息を吸い込む。が、次には口と目も閉じて片手で顔を覆った。
「対戦シミュレータにぼくのパターンを山ほど学ばせたAIを仕込んでね。途中で入れ替わったの。いつぼくじゃないって気がつくかなって」
キラはいくらか愉快そうにさきほどしてきたらしいいたずらを解説してくれた。なるほど、「実験」とはアスランがしていたのではなく、アスランが実験されていたようだ。
つまりこの結果を想定して、キラはシンにアスランの対戦相手を務めろ、と。どうにかうまい断り方ができないものか考えあぐねていると。
「シン、バッシュでリンナの慣熟訓練つきあってあげてくれる? システムにまだ慣れないみたいで」
「……了解」
想定した展開にならなかった。やはりキラはこちらの心を読んでいるのではないか。そうであれば、アスランに詫びていないこともばれているわけだが。
何にしろ助かった、とシンは会議室から出ていった。


部屋の戸が閉じられてふたりきりになると、静かで重い空気が流れた。キラが明るさを装うのをやめたからだ。
「いったじゃないか。……きみと戦うのは嫌だ」
パイロットに課せられている技術訓練のひとつ、実機やシミュレータを使ったモビルスーツの模擬戦。アスランがデーベライナーへきて以来ごまかし避けていたものの、さすがに隠し通しきれず、わずかなフラッシュバックがあることは明かしていた。
「今日のはシミュレータだろう」
「それでも嫌だ……なんでいじわるすんだよ……」
キラは淡々とするアスランを睨め上げた。その様子を見た彼はやっと理解したのか、眉尻を下げた。
「……すまない、そこまでとは思っていなかった。……ゲームならふつうに対戦してるじゃないか」
「うん、ゲームはね。……許すけど。……シンのやつ、まだきみに謝ってないね?」
「……………なんで急にその話になる」
キラがおもむろに切り込むと、アスランは目に見えて困ったように視線を逸らせた。
「なにやってんのかな、もう。謝れっていったのに」
薄々どころかはっきりとキラはそれに気がついていた。心を読むまでもない。ふたりとも態度にでていたからだ。ここまでくるとシンひとりの問題ではない。
「それはもう、いい」
予想どおりにアスランが流そうとする。
「アスランがそんなだから…」
「いいといってるだろう!」
キラは彼の鋭い声にびくりと身体を震わせた。予想もしなかった反応だった。
「………またなんかあったでしょ。きみたち……」
アスランは答えようとしなかった。キラはほんの少し、苛立ちを覚える。

彼はキラにいつもいうのだ。隠しごとをするなと。キラはその努力をしているつもりだった。だのに、そういう彼もずっと、キラに隠しごとをしてきたのだ、いろいろなことを。シンに護衛を依頼し、ザフト復帰を進めてデーベライナーを追いかけてきて、そのほかにも───。キラは忘れかけていた怒りまでふつふつと思い出し、彼をそのまま詰ってやりたいとさえ思った。
「…ぼくはだめで、きみが隠しごとをもつのはいいの?」
「……よくないよな。判ってる」
「よくないって判ってても、いわないんだ」
アスランはまた黙りこむ。
「隠してもいいことがないなんて、ぼくにだって判ってる。でも、いえないこともいいたくないことも、あるでしょふつうに。はじめから無理、なんだよ」
「…キラ違う。おれがいいたいのは、そんなことじゃない」
「じゃあどんなことだよ。きみの勝手な判断基準に合わせろってなら、ちゃんと教えろよ!」
「……………」
アスランはとことん煮え切らない。細かいところまで蒸し返すような気はなかったが、今はあの敵がすぐ、近くにいる。こちらの心を揺らすすべまで識っているような、あのロマン・ジェリンスキが。アスランとわだかまりを残したまま彼に対するのが危険だと、キラは得もいえぬ予感があるのだ。
「……それなら、きみが隠してると思うことを、ひとつ訊くから。正直に答えて」
彼はずっと逸らしていた視線をキラに合わせる。答える気があるといいたいのだろうか。キラは、ごまかしは効かないぞ、と彼を牽制するように見返した。
「きみはジェリンスキと同じ考えなの?」
その問いに数度まばたきをして、アスランは何をいっているのか判らないといいたげにした。
「シードコードが、プラントのことばかり考えてるって」
「……は? なにをいってるんだおまえは。おれは運用に関わってるんだぞ?」
「だから、それだよ。ぼくが頼んだから。…きみの主義に反しても手伝わざるをえないって……」
「だれがそんなことをいったんだ」
「……いってない。でも本意じゃないことは知ってる!」
「おい、何を根拠に!」
「ラクスのお父さん」
アスランは意表をつかれたとでもいうように止まったが、次のキラの言には顔色をわずかに変えた。

「シーゲルさんの“ナチュラル回帰論”、ぼくも読んだよ」

それはコーディネイターにはとても語れない内容のものだった。ナチュラルとの対立が激化し、パトリック・ザラが議長に就任し、ますます過激の様相を呈し始めた頃。シーゲル・クラインが、密かに認めていた書簡に記されていた思想だ。ブルーコスモスのような過激な話では、もちろん決してない。だが、コーディネイターはすでに時代の役割を終え、今後は自然に消えていく。そういう運命だろうという提言だった。戦後、彼寄りの者らが小さなネットワークをつくりそれを公開していたが、もちろんプラント国内で大きく取り沙汰されることはない。あからさまにではなく規制され、それを入手することも困難だった。
アスランがその書簡を読み、その考えに賛同し傾倒していることをキラは知っている。
「……なぜそれを…」
「エリカ・シモンズ」
「………あぁ、」
この一年ほど、キラとエリカはプライベートも交えてかなり親しくなっていた。遊びのプログラムを交換しあったり、趣味としての技術的な会話が楽しく、そのうちカガリや身近な人の相談もするようになっていた。その流れで、エリカは心配して教えてくれたのだ。アスランが、密かに漏らしたであろうことを。
「確かに彼女にしか、話した覚えがないからな……」
アスランは深く嘆息し、諦めたように語った。戦争のおりから警戒されたままでいる覚えがあり、オーブで腰を落ち着けようと思ったときに信用を得ておきたいとの意味もあって、彼女とその話をした、と。
「彼女がナチュラルだから話したんだ。隠していたつもりもないが、コーディネイターを相手にそうそういいたいことでもない。判るだろう」
「……判るけど……それ、ぼくにもなの」
「判った、わるかった…それは認める。……けど、彼女に心配されるような話なのか? 彼の意見に、同じ思いがあると感じているだけだ。何かしようってわけじゃない」
「…そんなの、エリカさんにいってよ、」
ぼくは…、と続けようとして、キラは口を閉ざす。彼に何をいおうというのか?
キラはこのことを知ったとき、かなりなショックを受けたのだ。彼が、シーゲル・クラインの遺した思想に傾倒していた、ということが。いや、でも。それを隠されてたと思ったことに動揺したのだろうか?…だが、今こうしてあっさりと白状する彼の姿を見て、そのときの衝撃が何も拭えていない。そんな説明のできない不安をどうしたらいいのか。
「それにキラ。SEEDはナチュラルだコーディネイターだって、関係ない話だろう。たまたま都合よくプラントの協力を得ているだけだって、おまえがいちばん判ってることじゃないか、そんなのは」
彼のいうとおり、判っている。だが、一度芽吹いてきたものを抑えるのに、キラは手こずっている。こんなことをきっかけに。ちょっと触れてみたことが膨れあがって手に負えなくなる。───自分のなかに、まだそんなものがある。たくさんある。判らないけれど、キラ自身にさえ隠されている。その不安に、だんだんと堪え切れなくなってきている……。
この頃どうしようもなくなっているのだ。アスランが傍にきてから。弱くなっていく自分を自覚しているのに、止められない。
「キラ」
アスランは突然に名を呼ぶとおもむろに手を掴み、手近な椅子を引いてキラをそこに座らせた。
「……アスラン」
自身は同じように椅子に座ることなくキラのまえに跪く。室温に冷えたキラの両手をまとめて、アスランはその手で──キラよりいくらか大きな手で、それを包んだ。暖かなぬくもりがとどく。
「もっと、訊けばいい」
「アスラン」
「いくらでも答える」
「うそだ」
早い返しにアスランは小さくため息と視線を落とした。だがすぐに顔をあげて、キラに少し微笑んでみせた。
「シンとはまたけんかした」
「え」
「ていうか、一方的に嫌われた。おれが気にくわないと」
「……………」
彼は苦笑いして、キラの手を大事そうに握る。
「腹いせかしらないが、おれから、おまえを取り上げようとしてる」
「ええっ?!」
「まぁ、無理だけどな。こればかりは、どう頑張られても」
「……………ぅ…」
「これ、おまえが聞きたかった話か?」
「……恥…ずかしいんだけど…」
「そうだな、おれもだ」
そういって視線を逸らし、照れたように微笑う。
「だからいいたくなかったのは、確かにそのとおりだ。…ごめん」
アスランは握っていた手を引き寄せて恭しくくちづけし、「一応だが、訊いておく」と続けた。下の目線から見上げてくるアスランの表情は仕事を忘れたもので、キラは鼓動を跳ね上げながら、何?と声にならない声で問う。
「シンになんか、懐柔されるなよ?」
「…………莫迦、そんなの…」
「ちゃんと聞きたい」
「……シンが、とかじゃなくて…ぼくが。アスランから離れる気がないってことくらい。知ってるでしょ……」
されたことのない確認と、強要された返事にわずかばかり戸惑う。だがそのあとの彼の嬉しそうな笑顔に引き込まれ、あまりの恥ずかしさにさきほどまで積もっていた猜疑心が吹き飛んでしまった。
まだ、そのままにしておけない何かが残っているという、一抹の不安がありながら。