C.E.75 17 Feb

Scene デーベライナー・“庭”

デーベライナーの第七デッキは艦に新鮮な食料と酸素を供給する植物プラントで占められているが、その一角に“庭”と呼ばれる区画がある。栽培区と文字通り地続きで、床は土を盛った上に芝生が張られ、中央や周縁は常緑の低木や小低木が所々に植えられている。見た目にはまったく公園のような場所だった。
つまるところ乗員の休憩エリアであって自由に使うことができる。日照時間に合わせて日の出、日の入りの光量が再現され、タイミングがよければ第六デッキに吹き抜けている天井と壁のホログラムがそれに合わせた空や森林の景色を映す。今のように、L5プラント内の港に碇泊しているときは常時のことだ。
プラントへもどってからというもの、キラはアスランとトリィを伴って“庭”で休憩することを日課にしていた。そこへ踏み入ると、靴底の裏に感じる柔らかな感触に休まる心地がする。キラはそれが好きだった。

ゲートを抜けてすぐ、トリィのスリープモードを解除する。目を覚まして動き出したトリィは周囲の環境を感知し、勝手にキラの手を離れていった。残されたふたりは“庭”の奥にあるベンチに並んで座った。
「……あそこ、シンがいるね」
何気なく見た周辺の向こう。離れたところの木陰に、無防備に寝転がって投げ出された足だけが見えていた。赤い制服でシンだと判る。アスランはキラの指摘にその場所を一瞥したが、それだけで何をいうこともなかった。
───シンはアスランに頭を下げただろうか。
それがあってもなくても、ふたりともキラに何もいうまい。キラが聞こうとしなければ。
「キラ、端末」
そういって急にアスランが差し出した右手は、キラがいつも持ち歩いている個人端末をよこせといっていた。
「……何する気?」
そういいながら警戒もなくそれをアスランに手渡す。部屋を出るときに彼が工具を手に持っていたから、トリィのメンテナンスをするものだと思っていたのだが、どうやら違っていたらしい。
「個人情報を見る気はないから」
キラが気にしないことにアスランは断りをいれて、端末の外装カバーを外した。持参した自作風のチップを内部に取り付けている。いつのまにそんなものを作ったのかとキラはアスランの器用な手の動きを見てぼんやり思った。
「同じものをおれの端末にも取り付けてある。双方間で機能する測位システムだ」
つまり、これで互いの居所をいつでも確認できるということだろう。差し込んだフラッシュメディアからドライバをインストールしてキラに使い方を説明する。キラはおとなしく説明を聞いてはいたが、ずっと胡乱げなまなざしだった。
「きみ、そういうの得意だよね。トリィにもそういうの仕込んであるでしょ。なんか、ぼくの生体波とか受信するようなの」
「キラの声紋に反応してるだけだぞ、あれは」
「そんなはずない。L4うろついてた頃、なんかしたの知ってるんだからね」
アスランは少し嫌そうな顔をした。図星だったのかなと覗きこむと視線を外された。
「いったい、いつの話をしてるんだ」
「ごまかそうとしてる?」
「そうじゃない………そこまで高度な機能は無理だった……おまえ、おれのPCノートを黙って見ただろう?」
「……見てない…」
「設計は確かに考えた。無線でトリィに収まるほどの小型化は無理だったけど。見たんだろう、それを」
「知らない」
「……………」
藪蛇になった。キラの惚けは確実にアスランにばれている。それをキラが察していることまでばれている。だが、アスランはこの程度で怒らない。呆れているかもしれないが。キラは、何を思ってか黙りこんでしまったアスランに矛先を向けごまかそうとした。
「ストーカーっぽいなぁ。そこまでする必要がある?」
「あると思ってるからやってる。───嫌なのか?」
軽口で嫌に決まってるよといいかけて、やめた。手を止め、こちらを見ていたアスランのその表情で。
「……何をしても許してるよ。きみなら」
彼の硬い表情は少し変化したが、でも、少し、だけだった。アスランは再び視線を落として、手元の片付けにかかりはじめる。外装カバーを元にもどすと、小さなため息をひとつ、吐いた。こんな仕込みをすることで安心したわけでもあるまい。血のバレンタイン追悼式の日から、アスランはそれまでより一層キラの周辺を警戒するようになった。それに対して、もういい、ということもできない。彼の気の済むようにさせるしか手立てがなかった。
「キラ、ロマンのいったことは…」
「プラントのことは信じてるよ。心配しないで」
「……………」
あれから、ロマンをどうするか何度もふたりで話し合った。カガリとキサカにもすぐに情報を共有し、エヴァグリンとアルテラ事件に彼が関わっていたという証拠を、小さなことでもいいから見つけてほしいと伝え。もしも彼が本当に関わっているのなら、どんなことをしてでも捕らえなければならないと。そうアスランと決めた。
だが、キラはプラントにはロマンのことを報告しなかったのだ。前回も、シードコードの関係者と出会ったとしかレポートに出していなかった。プラント、エルスマン議長を疑っていないことは本当だったが、この問題を上にあげて手放しさせられて、他人ごとのように預けてしまうのは耐えられないのだ。アルテラ事件のように。
「きみのいいたいことは判ってるよ。でもカシム委員長だってまだあんなじゃない。変な騒ぎになって、変に疑われても困るし……。オーブにだって、カガリとかキサカさんたちにしか、話せない。……だって、あのひと……なんだか…」
もうひとつの理由はキラ自身にあった。ロマンから、キラ個人に向けられた敵意を感じていた。そのこと自体も、事態は組織的に取り組むべきことなのだろうかとキラに疑問をもたせている。もう、自分から、その出生から、何が出てくるのか判らない。それに竦んでいるのも確かだった。クルーゼのことを何度も思い出し、ダブらせて繰り返して彼の真意を探ってみた。同じようなことをいっていたのだ。自身が“誕生させられた”こと、それを疎んでいると。
「投資企業はいくらでもいるが……大洋州連合が抜けるのは痛いな」
キラがぐるぐると考えていると、アスランが話題を逸らしてきた。
彼はずっと辛抱強くキラを見てくれていた。プラントにも報告すべきだと彼はいい、その考えはきっと今も同じだろう。だがキラが渋るのを知ると、それ以上強くはいわなかった。
「……対外的に、ってことだよね。ずっと親プラントの国だったのに……」
「それはいろいろ動くさ。ユーラシアも西側は今、親プラントだ」
「そうだね………ごめん、ね」
「何を謝る?」
振り向いた彼の瞳を受け止められなくて、キラは放り投げ組んでいる自分の足元を見た。
「どういってもさ…プラントはきみの故郷だもん」
「キラ」
キラは自分に故郷はないと思っている。国籍でいうならオーブで、出身でいうならメンデルなのかもしれない。
───でも、故郷なんて、呼べない。
「アスランが大事にしたいものなら、ぼくは守りたいんだ。ぼくが今ここにいることで、もっと役に立てると思ってたのに。ちょっと違ってたみたいだ……」
「……………」
アスランは何も応えなかった。黙ったままでいられることに気まずさがあるわけでも、何かをいって欲しかったわけでもない。ただ、その沈黙から彼の考えていることが読めなかったので。何か怒らせてしまったかもしれない、と。
アスランはこの頃、キラとふたりきりでいても押し黙ったままになることが増えていた。それがあまりに頑なで、容易に感情を読み取らせることも拒んでいた。判っているのは、彼をずっと困らせたままでいる、ということだった。メサイア攻防戦が終わってからずっと、……いや、フリーダムに再び乗ってしまったあのときから。なにごともない、やさしくゆるやかな生活をキラがずっと続けることをアスランは望んでいた。だが、それを知っていて裏切ったのは仕方のないことだった。
キラも間違いなく兵士が負う闇をもっていて、彼自身が“なにごともなく”生きることなど許されてはいない、と思っている。自分が生きている意味を問いなおすことは、最初の戦争から何度もあった。それは自閉しているあいだにも。安易に消えることも何度となく考えた。それなのに、あの戦争で手から取りこぼしたものが、キラの背中をずっと押し続けてもいる。苦しくても、止まることは「許さない」と。
もしかしたら、キラに故郷がないなどと思わせることも、そこに原因があるのかもしれなかった。故郷と呼べるようなやさしいものは、すべて自分の手で壊してきただろうに、と。

ふいに、遠くなりかけた心が引きもどされた。ベンチの座面に投げ出していた手に感じた温もりのせいだった。
「アスラン?」
「……今は、もう。ごくたまに、なんだけどな……」
低く抑えられた、キラにしか聞こえない声。それまでも、例えばその先にいるシンにまで聞こえるような音量で会話はしていなかったけれど。隣を見ると、アスランは何か痛みを隠しているような表情をしていた。
「おまえはおれのものじゃないと思わされるときがある」
「───え……」
唐突に明かされたその内容に、キラは何故だかひどく動揺した。
「なんでそんなこと、急に、」
「あたりまえの話だけどな。例えばおれが強引におまえをオーブに連れ帰って島のどこかに閉じ込めたとしても、キラにはキラの意思があって、それはいつでも自由でだれにも縛れるものじゃない」
そこまで答えて、アスランは一度、重ねていただけのキラの手を強く握った。それを振り払おうとする衝動まであることに気がつく。キラがその焦燥を隠そうとするより早く、彼は視線を正面にもどして、遠くを見るような眼差しをした。
「本当につらいのは、十三で別れてからの三年と“戦っていた”半年……おれが知らないキラがそこにいたということだ。おれは訊かなかったな。どうしてだか、判るか?」
───アスラン……。
動揺した原因に思い当たって、キラは驚愕する。
───見透かされたと思ったんだ、今。ぼくは。
キラは気がついたことに少しばかり恐慌状態になっていたが、上辺だけはなんとか取り繕って会話をつなげようとする。
「……ぼくがなにもいわなかったから…?」
それにアスランは少し口の端をあげ、キラを見た。翠色が暗く陰っている。
「それは理由では、ないな」
握られていた片手を強引にひかれてキラは上半身のバランスを失った。いとも簡単にアスランの胸に抱かれて拘束される。
「シンがいるっていったじゃん」
「とうに出ていった」
束縛された状態から無理に首を動かしてそこを見れば、確かにいなくなっている。他に人もなく、入り口からは死角になっているから入ってきた者がいたとしても見つかることもないだろうとは、思うのだが。
「アスラ……」
制止の途中で声を塞がれた。引き寄せられた肩を掴んだ彼の掌にいっそうの力が籠められる。
深くなるくちづけに戸惑いながら、キラはアスランの心を理解した。
彼がその倫理観で、艦内でキラとの直接的な接触を避けようとしていることは知っている。ベッドで抱き枕にされる以外にはそうそう抱きしめられることもなく、それも睡眠中の襲撃を警戒して備えている意味が幾ばくかあることは判っていたし、アルテラからの帰りにあったことは、キラのほうに理由があってのことだったと理解している。
そんなふうに自分で求めることを禁めていた彼がそれをこんな場所で覆す理由など、彼自身が不安で息を詰まらせている証しなのだ、と。そしてその不安をかきたてたのは。
「キラ」
まだ開放する気がない距離で囁かれた名。
───今のは、ぼくなの?きみなの? ……だめだ、アスラン。きみは。
もしかしたら、と。思うと。キラはいたたまれなくなった。
「───どうして、……」
つぶやきに漏れてしまったことばはさきの話に奇しくも繋がる。アスランは唇が微かに触れる位置から離れようともせず答えた。
「おれのものじゃなかった事実を思い知るからだ───キラ……」
だが、次にはゆっくりとキラを抱きしめ直し、さきほどの激しさを捨てて包むような腕が背にあった。首元からキラにだけとどく声。
「……プラントのことはいい。いいんだ。それがおれのためだというならなおさら」
「アスラン」
「いったじゃないか…。おれはもう全部、おまえのものだから……」
代わりにおまえの全部が欲しい、と。ことばにはされなかったが、充分に伝わる話だ。
───無理だよ、そんなの。
それが証拠に、キラはひとつの可能性に大きく恐怖したばかりだった。
彼がもしも一歩進んでしまったのなら。キラがもつエンパシーのようなものがアスランにあったら、と考えて、キラは動揺したのだ。
繋がった会話はキラがそのとき思い起こしていた過去に、あまりにもシンクロしていた。偶然だったのかもしれない。だが、そうでなかったのなら。怖くて彼に確かめることすらできない。そうして自分自身の見えなかった本音をひとつ知る。───“SEED”が、真実にはまるで受け入れられていなかった、と。このときキラははじめて悟ったのだ。