C.E.74 13 Dec

Scene 月軌道周辺宙域・アークエンジェル

アークエンジェルのパイロット待機室アラートで久しぶりの制服に着替える。久しぶり──とはいっても、まだほんの数ヶ月しか経ってはいないし、とくに感動もない。
郷愁といった感情をもつとすれば、それは優しい記憶だけが残る彼の地だけで、オーブにはない。月を出ても本土へはいかなかったし、流されるまま軍籍も移転したわけだが、いつでも愛国心というものが欠けることになった。
ただ目の前にいる人々を護ることしか、考えてこなかった。
それを思えば、今袖を通したオーブ軍の制服に何の感慨もなくても当然のような気がしてくる。それがいいことなのかそうでないのか、自分自身でも計りかねた。
「あら、何か憂鬱なことでも?」
待機室のドアを出てからすぐに吐いたため息を見咎められた。
「ミリアリア」
「おかえり、キラ」
ただいま、と返すと嬉しそうに微笑んで腕をとられる。
「…って、どこいくの?」
ミリアリアに手を引かれるまま、キラはラウンジまで連れていかれた。つまり、久しぶりだからおしゃべりがしたい、ということなのだろう。彼女とはときおりメールを交換していたが、検閲に引っかかるので互いの元気を確認するくらいの内容でしかなかった。
「だからね、今ではオーブにもプラントにも護りたい人がいて。このふたつがまたけんかを始めちゃったら、ぼくはもうどっちの味方もできないんだなって思って」
「また、オーブにもどるまえ“みたいなこと”、する?」
「それはできない。何をどうするのでも、責任をとれない立場でそうするのは、よくないって。アスランはそういうことをいってたと思うから。……同じこと説教させると、うるさいんだよね…」
「郷愁」などというフレーズが頭を過ったものだから、つい月での記憶が再生されてしまう。説教されても懲りずに繰り返すキラを、アスランも諦めたことはなかった。「まったくおまえは」とか「どうしていつも」とか、そんな母親なみの小言をいって。コペルニクスではアスランといる時間のほうがずっと多かったから、母親以上だったかもしれない。さすがに再会以後、説教される数は激減しているが、真面目な彼がいいかげんなことばかりするキラの傍に何故いまだいるのかがよく判らない。
「……恋は盲目っていうけど?」
「……………ミリィ…」
真剣な顔をしてひとりで納得しているミリアリアに苦笑がこぼれる。彼女には昔から──16歳の当時から、アスランのことをからかいのネタにされている。つまり、キラにぞっこんなのだと。時を過ぎてふたりが恋人になっていることまで知っているかどうかは謎だったが。
キラは照れ隠しに話を元に引きもどした。
「…仕方ないから、もういっそ全世界にぼくの護りたい人がいればいいって思うんだ。だれの味方もできないから、ぼくはケンカがはじまるのを必死で止めにいく。こういうのって夢想してるとかいう?」
「いうわね」
「じゃあぼくはきっとロマンチストだね」
「でもそのロマンには手を貸してあげたいわ」
どちらともがいうは易いと思っている。それでも今、ふたりが乗っているこの艦、アークエンジェルが向かう先に待つのは、そのロマンを叶えるためのひとつになるのかもしれなかった。
「…でね………それで…“艦長”、…は?」
「“艦長”だもの、ブリッジにいるでしょ?」
いい難そうにキラが訊ねると、ミリアリアは意味ありげに微笑んでそういった。

「…遅かったな」
キラが艦橋に入ると、後ろを振り返ったアスランのひとことめがこうだった。
「え? むしろ予定時間より早かったと思うけど…えと、十分くらいだけど」
「…そうじゃなくて。着艦からここへくるまでが。……何をしてたんだ?」
何をって、とキラは口ごもった。ミリアリアとおしゃべりをしていただけだ。まっすぐに艦橋までこなかったことを責められるとは思わず、キラはそのまま黙り込む。アスランは答えを待たずに顔を正面にもどした。
「アマギ三佐」
「ええ、どうぞ。ずれた三十分も含めて休憩していただいてかまいませんよ、艦長」
その会話に、自分の着艦予定に合わせてシフトを組んでいたのか、と気がつく。すまない、といってアスランは艦長席を離れたが、彼はアマギのことばに甘えるつもりなどないだろうことも予想がついた。
「……ごめん」
「謝るほどのことじゃないだろう?」
アスランがふっと柔らかく微笑んでキラの横にくる。はじめのひとこともあって、機嫌がわるいのだろうかと思っていたがそうではないらしい。
「…あ…、確認してないんだけど、ぼくのシフトって……」
「おれと同じだ」
小声で即答したアスランに気づかず、艦長席に落ちついていたアマギが声をかけてきた。
「ヤマト准将もアーモリーからずっと操縦してらしてお疲れでしょう。お休みください、どうせヘラクレイオンに着くまで、何もやることないですから」
「…え…う…、っ…はいっ」
うろたえて少し挙動不審な返事をしてしまった。

「食事は?」
「フリーダムのなかで携帯食食べてたよ」
「睡眠も、とってないよな?」
「だから食べたってば」
「寝てないんだな?」
「人の話聞いてる?」
意思の疎通が成っているとは思えない会話をしながらふたりで慣れ親しんだ通路を進む。とくに何も考えずにアスランについて歩いたが、まもなく辿りついた艦長室にキラはそのまま連れ込まれた。
「……それで、こないだの無言電話はなんだったんだ?」
「………………」
十日ほどまえに落ち込んで、時差も考えず通信をかけた日のことをアスランはいっている。寝ているところを起こされたというのに、何をいうでもなく俯いてただ黙っていることしかしないキラに、彼はいつまでもつきあってくれた。心配させるだろうし、あとからこうして追及されるだろうことも判っていたが、あの日はとにかくアスランの声が聞きたかった。もっといえば、抱きついて彼に顔を埋めて、その匂いに包まれたかった。
「……だってさ。急に寂しくなるときだってあるじゃん。理由なんかなくてもさ」
「…………そうか」
あっさりと納得したような返事にキラはほっとした。
「と、おれがあっさり引き下がると思うか?」
「─────っ」
が、甘かったようだ。
でもいえるわけがない。シンとの模擬戦でアスランとの戦闘がフラッシュバックして仕方なく、得てもいない喪失に悩まされて、食事をすることも眠ることもできなかった、などと。
「……もう…っ、戦いたくないって…そう、思っただけだよっ…!」
視線だけで攻めてくるアスランに耐えきれずキラは白状した。いろいろなことを省いてはいたが、嘘にはなっていないはずだ。それでも彼のまなざしを受け止めることはできずに、キラは下に俯き、その瞼はぎゅっと閉じた。
やがて十日前に望んだ腕がキラを包んだ。後頭をぐっと彼のほうへ押しつけられて、自然アスランの首元に顔を埋めることになる。
「………ごめん…」
アスランが何に対して謝ったのか判らなかった。無理に告白させたことなのか、それとも、いわれてすぐにキラを戦場から遠ざけることができない現実になのか。
あるいは、キラを戦わせてしまった過去に、か。
キラが違うといっても、彼はいつでもキラのことは自分に責任があると思っている。あのころ絶えなかった小言もそのせいで。キラのためにしか生きていない、といわれているようで、くすぐったくもあったけれど。
「…少し眠ろう? 疲れているだろ」
髪を梳く指が優しいせいもあって、いわれたままに眠気が襲ってくる。頬にくちづけをひとつ落とされて腕が解かれたが、そのまま離れることはなくキラの上着を脱がしにかかった。このごろは艶を含んだ脱がされ方しかしていなかったが、それがなくてもアスランはキラの世話を焼くことに昔から手慣れている。
されるがままになっているキラに、そうしているアスランのほうがくすりと笑った。
「食事は起きたら、な。寝るまえにはよくないから」
「…うん…」
「それともお腹すいて眠れない?」
「そんなことない」
「そうか」
「うん…アスラン」
「うん?」
「お母さんみたい」
「………お父さんじゃなくて?」
些細なことに複雑そうなアスランを置いて先にベッドへ潜った。
───なんだ。ぼくもアスランが傍にいないと、だめじゃないか。
ひとつの自覚に、ひと月近く続いた気鬱がようやく晴れる気がしていた。

アークエンジェルを含めたオーブの宇宙船団はL3にあるオーブ領コロニー、ヘラクレイオンへと向かっていた。並行するプラントの艦隊と合わせれば、今この宙域には壮観ともいえる光景が広がっている。
数日以内に到着するヘラクレイオンでは、オーブ、プラント間での平和条約が締結される。
過去、人類が宇宙へ進出するその以前から、いくつもの平和条約が結ばれて、破かれた。それを無駄に思うのか、形だけだと思うのか、あるいは今度こそはと心に誓うのか。キラは何度繰り返すとしても、最後のことばを選びたい、と思った。