C.E.74 5 Nov

Scene アプリリウスワン・オーブ大使館

今日はふたたびアーモリーへ出発する日だった。
その前に自国の大使館へ挨拶にいくというキラは、「じゃあ今日はオーブ人トリオでいこう」という判るのか判らないのかよく判らない理由によって、シンとリンナを護衛に指名した。
ザフト本部から車で十数分の距離でたどりついたそこには、ちょっとした金持ちの邸だろうかというほどの建物があった。門扉のすぐ中に警備小屋があることを除けば、アプリリウスワンの居住区にならぶ邸とまったく変わらない様子だ。
中へはすぐに通されて、正面口からまっすぐに進んだ先の応接室にはキラだけが入った。間を置かず、シンも顔と名前くらいは知っているマリュー・ラミアス大使と、アスラン・ザラ、それからもうひとり武官がその応接室へと入っていった。
何を話しているのかは判らないが、気心の知れた面々らしいから、長らくここで待たされるんだろうななどと思っていたが、ものの十分ほどでキラは部屋を出てきた。
「それではラミアス大使。あとのことをよろしく頼みます」
ドアを出てすぐに振り返ると、キラはそういってマリューに手を差し出した。
キラを見送りに出た彼女はそれを見て一瞬目をぱちくりとさせる。だが次には微笑んで、「ヤマト隊長もデーベライナーの開発、大変でしょうけれど、お願いします」といって握手を返した。
「まぁ頑張れよ。進宙式にはいってやるよ」
マリューの背後にいた武官が空気を気にすることなく、おそらく本当の彼らの会話を思わせる口調で締めくくった。
「ありがとうございます、フラガ一佐」
丁寧にそう返したキラを見て、苦笑している。大きな傷を顔に残す精悍な面立ちだが、どこか面倒見のよさそうな雰囲気を持っていた。
アスランは…といえば、キラにはひとこともなくシンを見ていった。
「シン、頼んだぞ」
いつかの個人的な頼みとやらのことをいっているのは間違いない。シンはちらりとキラの白い背中を見た。
「…はい」
短く返事をすると、アスランは口許に少しだけ微笑みを浮かべる。それで安心したわけでは、ないだろうが。
───そんなに心配なら、あんたもアーモリーにくればいいんだ。
とは、今この状況ではいえないが、いつもどこかもどかしさを残しているアスランは、見ていてじれったくなってくる。まぁそれでも、たっての頼みとあれば自分も力を貸さないでもない、とシンは思っていた。

「では失礼します」
キラは正しく敬礼をして鋭角的な所作で踵を返した。護衛についてきたふたりの兵も隊長に倣い去っていく。彼らをその場で見送って、知らず小さなため息がこぼれた。
「なんだ、心配なのか」
「───え?」
ムウの指摘にアスランは、そういうことでは、と否定する。ふぅん、そうかい?と彼は訝しげだ。
「あのキラはおまえさんの教育か」
「ちょっとびっくりしちゃったわ。急に態度変えるから…」
「…他国へ出向中で、一応は隊長ですから。とくに部下の前では気をつけるようにとは、いいましたけど…」
プラントへ出発するまでのあいだに何度となく注意はしていた。オーブ軍にいるのとはわけが違うのだから、と。素直に気をつけていると判ってそれには安心したが、アスランは彼の別の行動について少しばかり苛立ちを覚えていた。
───ここへシンを連れてくるなんて。
ムウがいるのに、と。
「フラガ一佐。…彼のことは覚えていますか」
「ああ…赤い瞳の子だな。……覚えてるよ…」
ムウはネオ・ロアノークだった頃の記憶については、本来の記憶を取りもどしてから少しばかり朧げになってきているようだった。ネオとしての記憶と感情は、過去に観た映画のようだといっていた。とくに感情の部分は、過去の経験、つまり記憶が違う性格を生むように、自身のものとして捉えきれないものらしい。
シンは、彼がかつて指揮していたファントムペインのエクステンデット、ステラ・ルーシェに強く思い入れていた。
「戦場に返さない」という約束で彼女をもどしたシンを裏切り、“ネオ”はステラをふたたび戦場へ送った。ロード・ジブリールからの要請には、無理解であっても「仕方がない」と諦観でやり過ごすよう暗示を仕掛けられていた、という。かつてのネオには、それは確かに仕方がない行動だったのだろう。
だが、それがシンに通じるだろうかと思う。
彼はムウがネオだと気がつかなかったようだが、ふたりを引き合わせるべきではないとアスランは思っていた。それなのにキラは───。
「…おまえさんがそんな顔をすることじゃないだろう」
黙り込んだアスランを見てムウがその心を読んだかのようにいった。
「いつかは向き合う必要があるのよ、アスランくん。今日はその機会ではなかったけれど」
マリューはムウの心を思いやりながらも、彼がすべきことを示す。彼らは視線を交わし、悲しみを乗せながらも柔らかく微笑みあった。ふたりは過去のことについてしっかりと話し合っているようだった。
アスランはそのことに心をずきりとさせる。
果たして自分たちはどうだろうか、と。
キラとはいまだに殺し合いをした当時のことを話すことはない。過ぎた苦しみを、語ることでまた味わう必要はないと。
今はそれでいいのだと。「今は」と。
それでは、「いつかは」振り返らなければならないのだろうか。しかし、それを思い切るには、まだ時間が必要だ、とアスランは思っていた。

大使館を出て車に乗り込むと、キラは人目がないからいいよね、と早速だらけた。制帽を脱ぐとずるずるとシートに沈み、足ははしたなく向かいのシートに預ける。車は完全防弾のスモークガラスだ。運転席とも隔てられているので、確かにこの場はキラ、シン、リンナの三人だけではあるのだが。
「あー、肩凝った」
肩凝るように取り繕ってたのは応接室を出てから車に乗るまでのほんの数分だけだろう、とシンはこっそりつっこむ。そういう自分もいまだに形式ばったことは苦手だったが、さすがに人目がなくなったとはいえ勤務中にここまでだらけるようなことはしない。
「あとからね。アスランがうるさいんだよ、ちゃんと隊長ぶってないと」
どんだけだと思わないでもない。しかし、堅苦しく真面目で、どうやら気になりだすと他人のことにもかまいかける癖のあるらしい彼であれば、キラを叱りつける姿も容易に想像できる。
「さて。アーモリーにもどったらシンには、いよいよバッシュのOS開発手伝ってもらうよ。まずは実稼働のデータ作りだね」
「…シンはいいね。自分に合わせたスペックの機体がもらえて」
「リンナの配属は決まったのすごいぎりぎりだったから。遅れるけど、リンナのもつくるんだよ」
そのキラのことばにシンははたと気がつく。あれほどのモビルスーツの建造には、設計期間を含めると最短でも三ヶ月の工期が必要だ。転属命令が出てからまだ一ヶ月あまりしか経っていない。ということは、シンはその以前からヤマト隊への異動もバッシュの受領も決まっていたということになる。バッシュはキラが受け持つ特務のために開発された機体で、かつシンが搭乗することを初めから想定して造っているのだと聞かされたこともあったからだ。
───単純なことじゃねーか。今まで気がつかなかったなんて。あぶれてた兵の寄せ集めじゃなかったんだ…。
ヤマト隊の“特務”のことはいまだ何も聞かされていない。いや、特務があること自体が公表もされていない。だからこそ特務なのだとは判るけれども、シンはそれを早く知りたかった。アスランは、いずれ近いうちにキラが直接教えてくれるといってなかったか。
「隊長」
「ん?」
声をかけておきながらシンは逡巡した。今はキラとふたりきりというわけではない。
「……なんでもないです…」
「…いいたいことあるなら、いえば?」
「…ちょっとした思い違いです」
変なシン、といってキラはシンから視線を外した。
「………きみ、アスランから何かいわれてるんじゃないだろうね。さっきも“頼むぞ”なんて、声かけてもらっちゃってさ」
「───え」
キラは視線を外したままにしていたが、追及を表す強めの声だった。この隊長はけっこうなところで鋭いのでシンは困りはてた。
「キラを護れ」ということに口止めをされた覚えはなかった。しかし、わざわざ呼び出してふたりきりで話したことなのだからそれは推して知ることだ。
「…あんたを頼むっていわれましたよ、先月」
「やっぱり! アスランはぼくを侮ってるんだよ、実際」
嘘はいわなかったが、キラは勝手に違うほうへ捉えてくれたようだ。シンが胸を撫でおろしたところで、車は軍本部へと到着した。