C.E.74 4 Nov

Scene シャフトタワー・ボトムカフェ

今日はプラント国防委員会ビルの一室で、定例の国防会議が開かれる日だった。そもそもキラがアプリリウスに帰還したのはこの会議に出頭を命ぜられていたからで、決してオーブ大使館の面々を出迎えるためではない。
会議はアジェンダを逸脱せずに進行し、予定を早めてすっきりと終了した。
「時間できたから、お茶しようか」
「……このまま、ですか?」
護衛でついてきたルナマリア・ホークとリンナ・セラ・イヤサカを誘うと、少し怪訝な顔をされる。確かに仕事としての用事は終わったが、制服も着たままでということに気が引けるのだろう。しかし、平時にあってそう堅苦しくなることもないよ、とキラは和む笑顔でいった。実際、この付近では軍服でうろついている兵士はちらほらと見かける。白の隊長服…という点でいうなら、それは確かにあまりないかもしれないが。
隊長がそういうなら遠慮はしません、というルナマリアの案内で、シャフトタワーの下層にあるカフェに落ちついた。

キラがプラントにきてから一ヶ月が経過した。
ここへきてキラはザフトの水にもすっかり慣れている。これまでナチュラル中心の環境ばかりで生活を続けていたにも関わらず、このコーディネイター本拠地での居心地のよさに、自身もそうであることの実感を今更ながらに思う。対人での近さということではなく、生活するうえでの環境がコーディネイターに合わせられているからということだろう。仕事のうえでも基本的には効率重視となっており、時間を無駄にすることも少ない。会議が予定を繰り上げて終わるなど、オーブ軍ではほぼなかったのではないだろうか。
だが、逆にいえばこれはコーディネイターの欠落した部分の表れでもあるのだろうか、とキラは考える。
“無駄”の欠如、すっぱりとした割り切りのよさは、感情の欠落や心の冷淡さのように思える。それは、非道な決断を疑問なく降せる者を余計に生んでいるのかもしれない。
ものごとは計画に沿い、それを逸脱するものは排除するべきというデュランダルの姿勢は、コーディネイターそのものを表しているように思えて、キラはそこを嫌悪した。
───たぶん、近親憎悪。自分はそうならない。なりたくない…って…。
傾きかける自身がどこかにあるからこそ、そう思う。
ヤキン・ドゥーエ戦役後から強くなった、他人へのシンパシーがなければ、今自分がどうなっていたか判らない…。

カフェの同じテーブルで、楽しそうに笑う彼女たちの豊かな感情を感じてキラはほっとする。そういう理由でキラは女性、ことに少女たちと過ごすのが好きだった。
今日も護衛に誰かをといって、どういう心境なのかすすんで手をあげたシンを断って彼女たちを指名した。
「……それじゃおれが困るんで」
「なんで」
「サボってると、思われるし」
「思わないよ、そんなこと」
「いや、あなたじゃなくて」
「………ほかに誰に、そう思われるの?」
「………………」
そのときの意味不明なシンとの会話だった。隊長である自分に断りなく、誰かが部下の監視をすることがあるわけでなし、軍でなければ個人的な関係の誰かと思われるが、思いあたるのはせいぜい彼とおつきあいをしているというルナマリアだ。
「ルナってシンのこと尻に敷いてる感じ?」
それまでぺちゃくちゃと続いていたルナマリアとリンナのおしゃべりがはたと止まり、ふたりそろってキラを瞠目して見た。
───やば…。唐突すぎた。
彼女らの会話になんの脈絡もなく突然にそんなことをいえば引かれるのもあたりまえだろう。しかし、少女たちは気にしないところが、たいしたものなのだ。
「そういうのセクハラじゃないんですか」
男性に厳しいリンナがいう。
「あ、そうなんだ。ごめん」
「大丈夫ですよ。…ていうか、あいついろいろだめだから、つい叱ってますね。いつも」
「ふーん…」
突然の切り込みのわりにどうでもよさそうな返事を返し、キラは冷めかかっているカフェオレを一口飲んで、聞きたいことは終わったことを示した。話が唐突に飛ぶキラにはもう慣れているようで、ふたりは何事もなく邪魔されるまえの話題にもどっていった。
キラは携帯端末を出して時間を確認すると、そのままメールをひとつ打つ。
「隊長、このあと本部にもどりますか?」
キラの様子に気がついてルナマリアが予定を確認した。
「え…。えっと。今日はもうここで解散でいいんだよね。明日からまたアーモリーにいくし、きみたちこのままここで遊んでいったら」
プラントでもアプリリウスワンは、地球の感覚でいう“都会”と同等で、ここにしかないような女性が好むお店が多いということはキラも知っている。アーモリーから移動してくる際に、女性兵士の数人が買物するのが楽しみといったような会話をするのを何度か漏れ聞いた。
「わたしたちは護衛なので、本部か官舎に帰るまでちゃんとおつきあいしますよ?」
「ありがと。でもあと三十分くらいしたらほかの護衛がつくから、こっちは気にしないで」
「……そうなんですか?」
そんな話は聞いてない、といいたげにルナマリアとリンナは顔を見合わせた。
「ああ、あの。正確には、要人警護とかできる人が、くるから」
「どなたがですか…?」
言外にここからはプライベートで人と会うからと伝えたつもりだが、あまり通じなかったようだ。
「……アスランなんだけど…」
ルナマリアのまえで彼の名を出すのは少し恥ずかしい。何故だといって、彼女からはグラディス隊にいた頃のアスランの話をつい先日聞いたばかりだったからだ。ことに、フリーダムが墜ちたときの取り乱し様の説明はいたたまれなかった。
───恥ずかしいのは、ぼくじゃなくてアスランだから。
そう心にいい聞かせて平静を保つ努力をする。当の本人はおそらくそう思ってないだろうことがなんだか悔しい。
「…ほんと仲いいんですね、おふたり」
「え」
ルナマリアに他意はないのだろうが、キラにはどういい繕っていいのか判らない。前後の事情をまったく知らないリンナは黙して会話を見守っている。何かいいわけめいたものをいわなければいけないような気がして、キラはいわなくてもいいことをいってしまう。
「……彼とは幼馴染みだから…その…」
「え…っ。……えーーーーーーっ!!」
その絶叫にリンナまでがたじろいでいた。さすがのキラも怯む。周囲の注目する視線も痛い。
「そっ、そんなに驚くようなこと?!」
「あたりまえじゃないですか! だって……」
ルナマリアは次のことばをそのまま飲み込んだが、キラには伝わる。
───だって敵同士だったのに。
「もう、いい。この話、ここまでね」
キラは努めて冷静にいった。ルナマリアがいいかけたことに動揺したことが、判らないように、と。

それからなんだかんだと時間はすぐに経って、さきほどメールで呼び出したアスランがきてしまった。遠くからキラに同席する者がいることを認めると、彼の表情がわずかに硬くなった。しかしそれは、キラだから気がつく程度のもので、周囲には完璧とも思える紳士的な笑顔を表して、声をかけてきた。
───やめてよね、そういうの。
初対面のリンナはともかく、見知っているはずのルナマリアまでがその微笑に魅入っている。
仕方なしに、まずはリンナを紹介し「きみも座ったら」とアスランにその輪に入ることをすすめた。余計な話をしだすまえに、彼女たちが気を遣ってくれないか、と思う。余計な話とはつまり、兄貴顔をして「キラはちゃんとやってるのか」などとルナマリアに確認するようなことだ。だが、意外にも軽い世間話をするくらいで済み、数分もたたずルナマリアとリンナのふたりは立ちあがり官舎へもどるといった。キラとアスランも立って、彼女たちを見送る姿勢をとる。
「買物とかしていかないの?」
「アーモリーと様子違いますから。一度もどって、着替えてからにします」
キラの問いかけにルナマリアは自分の制服に視線を落として苦笑いをした。
それから彼女はキラの背後───というには近すぎる距離の背後をぱっと見る。アスランはキラの背中の左側半分にくっつく位置で立っていた。
「アスランなら隊長を任せられますね!」
「………………」
「………………」
「隊長のこと、お願いします」
「……あ、ああ…」
それが護衛を気にしてのことだと、キラは一秒ほどかかって気がついたが、先の会話を知らないアスランは気の毒なくらいに固まったままだった。
「それでは我々はここで。失礼いたします」
敬礼を交わしてやっと一息を吐く。アスランがきてからキラはずっと緊張したままだった。
「場所変えようか」
アスランの彼女たちを見送る視線に少し妬けて、キラはその袖を引きながら声をかけた。すぐに向けられた顔は目が合うと緩み、軽い笑みを含んでキラの首から下を見た。
「おまえはそのままなのか?」
コートを羽織れば“白服”は目立たないといえども、このまま軍服でデートをするのはどうだろうか、ということだろう。ちなみに昨日に続けてオフだったアスランは私服で、細身のステンカラーコートにカジュアルスーツだ。昨日より落ちついた色合いのコーディネイトで少し大人っぽく見えた。もしかしたら、キラが軍服のままであることまで気を遣ったのかもしれない。
「彼女たちと同じ方向いくわけにもいかないじゃない」
「なんで? べつにいいだろ──」
「これ以上きみとふたりきりになれないの、嫌なの」
彼を遮って正直を小声で告げれば、アスランは少し驚いたような表情で沈黙した。
「アスラン、嫌じゃないわけ?」
「……嫌じゃない、な」
満面の笑顔になって返されたそのことばに、キラは瞬間むくれる。
「キラがそんなふうに思ってくれることが」
すぐに続けられたアスランの声が頭のなかに響いた。
キラは口を開けたまま動きが止まってしまい、そのままみるみる顔が赤くなっていくのを感じた。
───人、いるから、周りに、人!!!
周囲に聞こえるような音量でしている会話ではないが、この雰囲気ばかりはいかんともしがたい。
「き……っ…昨日からっ。おかしいよ、アスラン」
「──何が?」
穏やかな微笑で小首を傾げてキラを見る。それは幼少時のアスランによく見た仕草だが、それなりの年齢になった今では限りなく近い者にしか見せることはない。つまり今は、キラしか見ることができないものだ。甘い関係を築いてから、初めて長く離れていたからだろうか。アスランは果てしなく柔らかく優しくなっていて、そのうえ口も軽くなっている。
「……自覚ないの?」
「だから…何が?」
「もういいよ。い、いこうよ、どこでもいいから」
「じゃあ、食事。キラからメールもらって、すぐに予約しておいたから」
軍服でいっても目立たない店だよ、といってキラを促し歩きはじめた。
「それってザフトの客が多いってこと?」
「違うな。個室しかない和風レストラン。おれたちがふたりきりで顔を揃えているところなんて、ザフト兵が見たら物議をかもすだろ」
アスランがどこまでの自覚をもってそういっているのか判らないが、確かにふたりの立場で会食などしていたら傍目に気になりすぎるだろう。
「プラントにきたらきたで、それなりに面倒なこともあるね。…とくにアスランはさ」
顔が売れているから、という意味でキラはいっているが、そういう本人もザフトではいろいろと有名人だ。
「オーブだったらふたりでいたって誰も何も思わなかったのにな」
「こんなことでホームシックか?」
「こんなことじゃないよ。重要なことじゃん」
自分の勝手でプラントにきておいて迂闊にそんなことをいえば、いつもなら怒鳴られているところだ。今日のアスランは相当甘くできているようで、少し笑ってキラの頭にぽんぽんと手をやった。
「婚約発表でもしようか?」
「………………ラクスと解消できたらね」
「ああ、そうか。…気兼ねなく一緒にいられるいい案だと思ったんだけどな」
「…ほんと、今日おかしいよアスラン」
暮れかかった偽りの夕日がすっとアスランの頬を照らした。それを見つめながら、明日からはまたしばらく会えないんだな、とキラは思い出す。そうであれば、こんなおかしいアスランでもまぁいいかと思った。