C.E.74 17 Oct

Scene アーモリー基地・barアイラ

こじんまりとしたショットバーの一角に、白服と赤服のザフト兵が向かいあって座っている。基地内にあるこの店であれば、それは特別変わった光景ではない。ならぶふたりの年齢がともに十代であったとしても、プラントでは成人年齢を過ぎているし、飲酒を禁じられているわけでもない。それでも何か違和感を感じるとすれば、ただひとえに、自分の目前に座る白服──キラが、その印象においていわゆる“白服”には見えないところだ。
「えーっと、シン」
「………はい」
数日前に着任してから、この隊長はいつも忙しい。
それなりに個人的な会話をする機会はあったが、あまりに飄々として掴みどころがなく、はっきりと人物を認識するにはまだ時間がかかりそうだった。今日は突然ひとり呼び出され、そのままこのバーまで拉致されて、気まずいツーショットでどうしようとぽつり考えたところで「えーっと」、だ。
たとえばハイネ・ヴェステンフルスもそうとうくだけた上官だったが、もっと何かしらこう、頼りになるものは感じていた。しかし、この目の前の頼りなさはいったい何なのだろうと思う。
「きみの資料データやっと見終わってさ」
「はぁ…」
キラはグラスを持つ片手とは反対の手にある携帯端末を持ちあげる。次には、きみの戦歴はすごいね、といった。だが、おだてるために誘ったわけでもあるまい。
「きみ、強いの?」
「……はぁ?!」
パイロットとしての腕のことをいわれているのかと思い一瞬むっとしたものの、どうやら話が飛んで酒のことをいっていると察した。シンはしょっぱなからスピリッツをロックで注文していたが、キラの視線はそのグラスに落ちていた。
シンはじろりとキラを見て「ふつうです」と返事する。実際はかなりイケる口だ。キラは「そうなの、ぼくは強いよ」といった。キラの手元にあるグラスの中身もシンと同じものだ。シンはならば、と心の中でこっそりゴングを鳴らす。この数日、キラに対してはいろいろなことで密かに勝負を挑んでいて、実をいえば戦闘シミュレーションや拳銃操法などの訓練規定にあるメニューの成績は今のところ惜敗続きだった。もはや何の勝負でもかまわない。今のこの悔しさを解消できるのであれば。
「実はさ、きみと一度アスランの話をしたかったんだよね」
「はァ?…アスラン…?」
突然はじまった今日の用件らしき話題にシンは肩すかしをくらった。
自分の態度に注意のようなものがあるか、それとも単純に打ち解けようとどうでもいい話を繋ぐつもりなのか、などとそれなりに心の中で構えていることはあったが、思いもしなかった人物の名がでたことで緊張が一気に解ける。
「どう思ってるのかなーと思って」
「………………」
キラの質問に、シンに正直に答えるいわれはない。しかし、拒否することばも発することなく、その質問の意図を探って黙り込んだ。シンにはちょっとした既視感があったのだ。


歓迎レセプションのあと、個人的な頼みごとがある、とアスランからホテルの個室に呼び出された。
「…おまえにしか、頼めない」
突然そんなことをいわれれば、このアスラン・ザラから個人的に頼られたという優越感がわきおこる。しかし、その内容を聞いてシンは少しばかり頭を抱えることになった。
「キラを護って欲しい」
「え?」
レセプションまで見ていたはずの柔らかな雰囲気は、幻のようにアスランから掻き消えていた。微かに殺気立ったような瞳の色も感じて、シンは一瞬だけ背筋を凍らせる。
「……事情があって、ヤマト隊はミネルバの元クルーも多い。…判ってるだろうが、キラにそれなりの感情を向けているやつもいる。もちろん、グラディス隊以外でもそうだろう。あいつはずっと、ザフトの敵だった…キラがフリーダムのパイロットだと公表されれば、なおさら……」
キラとアスランが互いに乗り越えたという憎しみの連鎖を、誰もが断ち切れるはずもない。シンでさえ、頭のうえで整理はついたものの感情の燻りはいくつか残している。それは人間としてのキラと向きあうことで、いつか折りあいがつくものと思ってはいるが。
「…全員、入隊まえに心理テストは受けてるでしょ。おれだって辞令がでるまえにチェックがありましたよ。そういうの、クリアしてるからヤマト隊に配属されてるんじゃないんすか」
「事情があるといっただろ。心理チェックより優先される事項にひっかかれば、キラは自分に殺意のある人間だろうと隊に引き込む。もちろんちゃんと自分自身で警戒するだろうし、オーブのSPもつく。……だが、それだけでは足りない」
「………なんですか、事情って」
「……おれはそれを明かせる立場じゃない」
シンとしてはまずその事情のほうが気になったが、アスランはそれは今どうでもいいことだといいたげに、おまえには遠からずキラから知らされるだろうから、とつけ加えた。
「つきっきりになれというんじゃない。ただ、あいつをよく思わないやつがいて、いつそれを殺意に変えるか判らない者が軍内にいるということを頭に入れていて欲しいだけだ。…そして、それを見て見ぬふりをしないで欲しいと」


「なんでそんなこと、聞きたいんです?」
長い沈黙のあと、シンはキラにそう聞き返していた。
返答ではない逆質問にキラは不快を示すことなく考えるような仕草をして、わずかにいたずらっ気のある微笑になった。
「きみがアスランの敵かそうじゃないか、知りたいからだよ」
こうして訊いてくるのはそうではないことを知っている、という証拠だ。
「今は友軍ですから」
キラに合わせ、わざととぼけて返事をする。
「そうじゃなくて。もうアスランに心配かけないで欲しいんだ」
「───は?」
まだキラの真意が判らず、シンは彼の顔を見る。いくぶん、さきほどより真面目な色を認めた。
「心配なんて、かけてるつもりありませんよ。それでもしてるっていうんなら、あっちが勝手にしてることだ。おれにどうしようもないでしょ」
「そうだね。だから嫌なんだけど」
───“嫌”といった。そして思い当たることでもあるように、本当に嫌そうに視線を落とした。まさか、先日のシンとアスランの密約を知っているわけではあるまいが。あるいは、アスランは身近な誰にでもそうした杞憂をふりまいて、苦労性よろしく心配する癖があるとでもいうのだろうか。
「…だから、アスランのまえでは多少気を遣ってもらえたらいいなって。彼のことが少しでも好きなら」
「そんな…何をどう気ィ遣えってんです」
「……そうだよね…さしあたっては、ぼくとうまくやってるふりとか…かな。あ、もちろんきみが本当にぼくとうまくやってくれる気があるんなら、話はべつだけど」
ずけずけとつけ加えるキラへの苛つきを抑えつつ、シンは先日のアスランや目の前のキラに共通して感じる違和はなんだろうと考えた。アスランは真剣そのものだった。キラは多少くだけた雰囲気を出すふりをしながらも、その瞳は真剣味を帯びている。話の重さに差異はあるものの、まずは互いに相手を守ろうとするなど、そこに相当な執着があるとシンには見える。
「……なんなんすか、あんたたち」
シンの問いかけに、キラがびっくり眼で見返した。
「気にかけすぎてんじゃないですか。それこそそんなの余計な心配でしょ、あなたは」
───いわゆるふたりの間柄は「戦友」というものなのだろう、と思う。委細など聞いてはいないが、敵同士、仇同士から、共通した希いのために手を取りあうことになったのだと。それは間違ってはいないが、シンの知識からはふたりが兄弟のように育った幼馴染みでもあるということはすっぽりと抜けている。
「余計でもないかな。権利みたいなもので」
キラは微笑んで、そういった。それがどこか憂いのある表情だったことをシンはしっかりと気がついた。

「──まぁここまでは個人的な話として。それできみの話なんだけどね」
キラはアードベッグをオーダーし、そのタイミングで話題を変えるようだ。というよりも、いちばん最初の言の続きがここへくるのか、とシンは呆れた。
キラは携帯端末をふたたび取り出し、ひっどいねーこれ、と笑いながら「資料」というものに綴られているらしいシンの過去の軍規違反をあげつらった。「よく銃殺刑にならなかったね」とも感心された。
我ながらひどいのは知っている。そしてそれらが許されたのは、ひとえにデュランダルが自分の力を利用するための打算があったからで、今後同じことは許されないことも今ではちゃんと知っている。
「判ってますよ、自分のやったことくらいは。もうやりません。せいぜいあなたの迷惑にならないように気をつけます」
あえていわれずとも、もうそんな無茶をする気などシンにはない。だが、おこなったことを後悔していないことも本音としてはあった。あのときの自分は、人として正直になっていた。それだけのことだ。
「──ああうん。気をつけては欲しいんだけどね。べつにやってもいいよ」
シンの厭味なものいいを受け流して、けろりとキラがいう。いわれたことの意味を図りかねてシンは眉間に皺をよせ、目の前の上官をまじまじと見つめた。キラもその先で、シンをじっと見つめている。
「そのかわり、勝手にはしないで。軍規違反なんてもので、きみを失うようなことはぼくは嫌だから」
「──────」
シンはことばを失って、頼りなく見えていた隊長をあらためてもう一度見る。
「規律や…きみではない誰か、きみより上の立場の者が、いつでもぜったいに正しいなんてことはありえないでしょ。きみが疑問に感じて、それは間違っているとはっきりいうことができるのなら、ぼくはそのことばを聞く。その間違いをいう者がぼくであっても同じ。…先走るまえに、あたりまえのことして欲しいだけ」
キラの意図を知って、シンは「大丈夫か、こいつ」などと思う。軍の規律や正義に異を唱えていい、とこの上官はいうのか。確かに、何度もそうした覚えのあるシンだが、隊を指揮する立場の人間からそんな発言を聞くなど、前代未聞だと思った。
兵は軍の駒であり、そこに人格も意思もない。駒が指示どおりの動きをしなければ、大局を見て指揮をする隊長の作戦は当然その通りに進行しない。そしてそれは大勢の命にかかわってくる。彼がいう「あたりまえのこと」は、そんな死線から離れた、いわゆる一般市民の感覚ではないのか。軍人には成り立たない思考のはずだ。
呆れるを通り越した表情を隠さずにいるシンに、判っている、といいたげにキラは首をふった。
「考えることもしない戦う人形なんて、ぼくはごめんだよ」
───危うい、と思った。この隊長は危険だ、と。
アスランが必死の様相でシンにまで頭を下げてくる気持ちが、今判った。なんでザフトはこんなやつに隊を持たせるんだ、と思う。シンはすっかり戸惑って、グラスに視線を落とし黙り込んでいた。

「まぁ、いいや。とりあえず、全部ここだけの話ってことで。べつにこんな話、するつもりなかったんだけどね。…ほら、隊長がこんなこといったら士気に関わるでしょ」
自分でいうのか!、とシンはがばりと頭をあげてキラを凝視した。
「アスランからきみのこと、気にかけてくれっていわれてたし。いろいろあったから、きみには取り繕ってもしょうがないんじゃないかなって」
───アスランが…?…いやいや、そうではなく。
やはりアスランは他人の心配をするのが好きなマゾヒストとして、つまりはキラは──キラも、いずれ自分たちの関係がただの上官と部下ではないものへ落ちつくという予感があるのだろう。シンにはまだ、その覚悟はないのだが、彼の中で選ぶべき候補の筆頭にキラを置いてやってもいいとは思い始めている。ひとえに、見せられたキラの危うさのせいといえたが、そう思ってしまうこともキラの手のうちなのではないかと訝しんだ。
「すすんでないんじゃないの、シン?」
キラからふいに、声色まで変えてそういわれ、シンははっとする。さきほどからふたりで数杯重ねていたが、キラのことが気になりそちらの手がずっと止まっていた。
シンは気持ちを立て直そうと、グラスに半分は残っていたボウモアを一気にあおった。
「まさか遠慮してないよね。それとももう限界?」
挑むようないわれ方にむっとしながら答える。
「んなわけないでしょ。余裕っすよ」
「じゃあ勝負しようか!」
満面の笑顔は自信満々の証に違いない。シンはめらめらとして、その勝負を真っ向から受けた。そもそも、シンは端からその気だった。

───その数時間後。

「…………やられた……!」
勝ったと喜んだのも束の間、酔いつぶれてまったく動かなくなってしまった上官を見おろし、シンは呆然とした。
───これ、おれ…連れて帰らなきゃならねーの…? ここの払いは?
縋るような目でバーテンダーをちらりと見るが、知らんといった顔で視線を外される。
───泣きたい…。
ぐでぐでのキラを引き摺りながらホテルまで送るはめになってしまった。この勝利は、とてもじゃないが勝った気にはなれなかった。