C.E.74 29 Oct

Scene オーブ軍本部・統合開発局応接室

“SEED”──人類の可能性を研究する国際組織、SEED研究開発機構の設立に各所が動き出したきっかけはキラだった。
まずはマルキオとラクス、さらにはカガリを巻き込み、かつて学会でSEEDを提唱した学者を焚きつけ、幸か不幸かその学者が旧ユーラシア連邦からオーブに亡命していたことが理由で、オーブが中心となって国際協力を各国に取り次ぐ流れとなった。果ては、キラ自身を最良の研究材料として提供し、それを餌にプラントまで巻き込んだ。アスランの気がつかぬ間にそれだけのことをすすめ、終いに彼を怒らせたのはほんの三ヶ月前。
結局、折れるのはいつもアスランのほうだった。今回はかなり頑張って怒ったつもりだけれども、キラに関しては仕方がないと思ってしまうので、やはり仕方なく折れたのだ。

今、アスランの目の前にはマルキオとキサカがいて、明日のプラント出発をまえにむこうとの設立調整についての摺り合わせがおこなわれている。何故この忙しいときに無関係だったはずの自分がここにと思うが、いつのまにか自分が窓口担当官かのようになっていて、聞けばキラが「あとはアスランに」とことごとく伝言していったとのことだ。
「あいつめ……」
ノリ気がないからこそ知るべきとの思惑もあることは判るが、実際には嫌々ながらも真面目にそつなくこなしてしまう自身の便利さを見込まれただけのことだろうと思う。どうせ幼少の昔から、アスランはキラの宿題後始末係だ。
「何かいったかね?」
「…あ、いえ。…それではわたしはプラントへ移動後、むこうの担当官との調整役をすればいいんですね」
こっそりとキラに毒突いたつぶやきをキサカに聞かれ、アスランは取り繕うように話をすすめた。その脇にいるマルキオには心の裡まで見抜かれてしまったようで、微かに笑みを浮かべているのが視界にはいった。
「軍が介入するというだけで機構への批判があるだろうが、実際問題としてオーブ軍とザフトが協力しないことには研究がすすまないようだからな」
「適切な情報公開と、わたしがリードしているというスタンスをアピールすることで、ある程度は抑えられるでしょう。プラントではラクスさまが同様の立場で振る舞ってくださるといっています」
アスランから見れば、マルキオはどう考えても勝手に大役を押しつけられたクチだと思っていた。存外に積極的ではいるようなので多少は気兼ねもないが、キラの行動ひとつが周りをおおいに巻き込むことは──ここまで派手になったのは初めてのことだが、今に始まったことでもない。

───ふだんは埋没してたけど、何か大騒ぎがあるといつのまにかその中心にいたりとか、よくあったわね。…本人は自覚してなかったけど。

以前ミリアリアから聞いた、工業カレッジ時代のキラ。相変わらずなんだとほっとしたものやら、呆れたやらで、喜んでいいのか嘆いていいのか判らなかった。その話を聞いたのはキラが自身の出生を知ってふさぎきっている頃だったので、それをとりもどせるのかとアスランは不安も抱えていたのだが。
思えばつらい時期だった。逆にいえば、今はしあわせなのだといいきってもいいのだろう。だが。

───早く、傍にいきたい。

目を離していられない。これだけ周囲から注目を集め、影響力もあり、命を狙う者の可能性まである。それだけにはらはらとして常に落ちつかない。
アスランの本心は、冗談を抜きにしてキラを大事に箱に仕舞っておきたいくらいなのだ。三年のあいだ音信不通だった時期もあったというのに、ここ一年はすっかり中毒に近い症状だ。キラがプラントへ発ってから、時間が合えば通信で会話をすることもあるが、それは手が届く距離にいないと思い知るだけのことでただ気が逸る。プラントへの出発はもう明日のことなのだが、たとえ一日でも「先に行っていいですか」といい出しかねない自分を抑えるのに彼は必死だった。

「アスラン、いるかい」
その呼びかけにはっとして、大事な話のあいだすっかり上の空だったことに気がつき少しばかりあせる。
応接室のドアが開いて、そこにムウが顔を出した。「ああ、いたいた」と陽気な声が近づいてくる。担当領域が違うとはいえムウとは同じ部署で、立場的にはアスランが上官だ。本人も気にしていないが、ムウもまったく気にすることなくアスランを階級で呼称しない。
「どうかしましたか、フラガ一佐」
むしろこちらのほうが部下のような態度だが、それは判りやすく性格の違いを表していた。
「明日からのスケジュールが出たかと思って。おれ、なんにも準備できてなくてさ。予定受け取ったら今日帰っていいか?」
おれの許可なんていりませんよ、と笑いながらアスランはポケットの端末を取り出す。ムウの携帯端末に予定を送り、ついでに要領よく提出済みになっていたムウの予定に承認を返した。
「サンキュウ。……そういえばさっきキラがな、」
「え?」
たった今考えていたところでつい鋭く反応が返ってしまう。ムウは気にすることなく話を続けた。
「ああ、まぁ、仕事の話してたんだが。通信切る間際におまえさんが近くにいないかってさ。“今日中”にはもう連絡できないからっていって。いないっていったら、じゃあいいって切ったけどな。なんだか話があるみたいだったぜ」
アスランに思いあたるものは、ある。その場に居合わせなかったのは残念に思うが、おそらくキラはそのすぐあとにでも、自宅のほうへメールをくれているだろう、と予想した。
「…ありがとうございます。連絡してみます」
少し微笑んで礼をいうと、それじゃお先に、と適当な敬礼をしてムウは部屋を出ていった。
「それではわたしも引きあげましょう。アスラン、むこうでは頼みます」
マルキオが立ち上がり、傍にいたキサカがすぐに手を貸した。そのまま自分が送るから、という合図を無言でアスランに送り、アスランもよろしくお願いします、と目礼で返した。
ぽつりと残された応接室でひとりため息を吐く。
実をいえば、アスランも出発の準備に手をつけていなかった。もとより忙しいあいだの“仮住まい”としている官舎を引き上げ、そのままをプラントに送るだけのことだ。軍指定の業者に頼めば半日もかからず手配をしてくれる。それでもいくらか荷をまとめることは必要だろうと、アスランも今日は早々に帰ることにする。
それに、キラからのメールを早く確認したかった。

その後、自分の執務室にもどってみると仕事が増えていて、なんだかんだと結局帰宅は深夜になった。
官舎の自室へもどると、予測どおりにメールの着信を知らせるランプが点いている。コンソールから送信者を確認しキラであることを認めると、鞄を置く手より先に部屋の端末を起動した。


誕生日おめでとう、アスラン。
声が聞けなくて残念だけど、今日はこのことばだけを贈るね。
プラントにきたら、きみの好きなものをいくらでもプレゼントするよ。

だから早くきて。

キラ


日付を越えるぎりぎりで見ることができたメッセージに、アスランから微笑みと独語がこぼれる。
「…気持ちは同じだな……」
「早く」といわれてもこればかりは決まった日程で移動することしかできない。もちろんキラもそんなことは承知したうえでのおねだりだ。
アスランは幼少時にも不可能なお願いをいくつもキラからいわれたことを思い出していた。もっとも、その頃のキラには、自分がそうねだればアスランなら叶えてくれるからと信じていた節がある。アスランもできるだけそれを叶えようと、実際無茶をしたこともあった。
その後、互いに遠慮しあう距離ができた時期なども経て今に至る。久しぶりの無茶なお願いは、ただアスランに愛しさを募らせることしかしなかった。

上着を脱ぎながら壁にある時計を見た。プラントの時間である宇宙標準時──つまり、協定世界時とオーブは十一時間の時差がある。むこうはまだ忙しく立ち働いている頃だろう。
キラがそれをいつ確認するとも知れないが、アスランは『声が聞きたい。起きて待ってる』とメールを返した。