C.E.74 5 Sep

Scene ヤマト家〜オーブ軍官舎・1102号室

先日のミリアリアの助言を素直に容れ、キラはアスランが官舎に居を移すことを了承した。ただし、しつこいくらいに「今だけだからね!」と念を押し。さらには、週末はきちんと休暇を取りヤマト家へもどることも約束させていた。
「指切りげんまん、嘘ついたらぜったい針飲ます!」
アスランの目の前に小指を突き出し鼻息も荒く強要するキラに、彼は呆れた顔をしながら、それでもキラの小指に自分のそれを絡めた。

「それでキラはどうするの」
その最初の週末、キラが面白くもなさそうにキッチンでニュースを見ているとテーブルの向かいに座るカリダが突然そういった。
「え?」
前後の脈絡なく、どうするといわれて答えようもない。
「キラも一緒に大変なんじゃないの?」
ああ、アスランのことか、とキラは思う。アスランはゆうべ一度ヤマト家へもどり、カリダとハルマにも事情を丁寧に説明して週末だけの一家団欒に了解をもらっていた。しかし、今週の彼には“週末”も“一家団欒”もなかったらしい。つまり、そのあとまた軍へもどり、帰ってこなかった。
「なに見てるんだか。ぼくは休日返上するほど、軍に行ってないでしょ」
「あらそう? でも一緒にいて助けてあげたら?」
就いている仕事の内容が違う、と反論しようとしたキラに、カリダが追いかけて「仕事のことじゃなくて」といった。
「助けるっていっても。アスランが世話焼くだけなの母さん知ってるでしょ」
「それもそうね」
───あっさりそういわれても、なんか嫌だし…。
だが、少なからずキラにもそうしたい気持ちはあった。軍に行けば会えるといっても、それは互いに肩書きをもったままなのだ。住まいを別にしてしまえば、アスランとキラとして会える時間が本当になくなってしまう。
「家に帰って愚痴のひとつをこぼすでも、誰かいてくれるだけでいいことがあるんじゃないの?」
「……うん。それは、……うん…」
「急にひとりになって、アスランくんも寂しいんじゃない?」

「……て、母さんがいうんだけど」
「………………」
軍に用意してもらった官舎の一室、1102号室へ突然訪れたキラは、「昨日のことなんだけど」とその母親との会話を説明した。
「…………ど? ……それ、で?」
「うん。ぼくどうしたらいい?」
「……………」
アスランの思考はあまり回転していなかった。休日ではまだ朝も早いといえるこの時間。アスランはもう少しゆっくり眠ってその疲労を癒し、午後からヤマト家へ帰宅するつもりだった。通常には週末二日の休日、一日目の昨日は残念なことに無理だったが、しょっぱなから約束した週末の団欒を裏切るのは嫌だった。
そこを叩き起こされて、そのうえにキラのよく判らない訪問理由だ。
「……おれに決めさせるのか?」
「広いね!」
「は?」
会話が繋がっていない。
「もっと狭くて汚くてとか。仮眠室とたいして変わらないんだと思ってた」
「…学生寮じゃないぞ…」
それに一応ここは高官用のフロアだから、と断りをいれると、キラはいいなぁといった。
「ふたり住めるくらいだよね、広いから」
「……………」
キラの期待した眼差しでいわんとすることは判ったけれども、だったら何故素直にそういわないのかがアスランにはよく判らなかった。
「それは家族で移るケースも少なくないし…この部屋は単身用みたいだけど。…じゃなくてキラ、どうしたいんだ?」
「アスランは?」
「……………」
意図は判らないが自分にいわせたいのだということは、理解した。まだ眠い頭で。
「……判った。休みが明けたら申請しておく……同じ部屋でいいのか?」
「違うの? それ意味なくない?」
周りは他意をもつまいが、キラとふたりきりの部屋になることに多少の後ろめたさを感じて、アスランは若干のためらいがある。
「……いや……部屋を隣にすればたいして変わらないし」
「いや、変わるでしょ」
「……………」
とりあえず、これ以上の会話は不毛に感じ、アスランは諦めてバスルームに向かった。まだ寝間着のままだった。

顔を洗って身支度を整えていると、リビングからコーヒーの香りがしてくる。さきほどほったらかして置き去りにしたキラだが、勝手知ったるとでもキッチンで豆を探し出し淹れてくれたのだろう。
「アスラン、牛乳ないの?」
キラは自分のコーヒーにいつもたっぷりと牛乳を入れる。昨日の今日でこんな訪問があると思わないから、それを知ってても当然用意しているはずがない。
「ごめん、ないよ」
さっきまでの眠そうな顔をすっかり切り替えアスランがリビングにもどると、キラはまだ片付かない荷物が雑然としている床のうえにコーヒーカップをふたつ並べ、その傍らに座っていた。そうして残念そうな顔をアスランに向けている。
「砂糖いるか? 料理用のならあるから」
ブラックが飲めないわけじゃないし、とそれは断ってキラはコーヒーを少し啜った。アスランはその横に座り込み、同じようにコーヒーカップを手に取る。起き抜けにキラが淹れてくれたコーヒーを飲むなど、初めてのことじゃないだろうか、とアスランは思う。こういうことが、これから何度もあるのだろうかとあたたかな期待でふくらむ。
だがよくよく考えれば、今また一緒に住むことを決めたとしても、まもなくふたりは別れることになるのだ。アスランはすぐにキラを追いかけてプラントへ行くことになってはいるが、向こうで一緒に生活することまでは、その立場の違いを思えば叶えられないかもしれない。
───こんなことが、何度もあると思っちゃいけないな…。
そうであれば、このコーヒーも味わって飲むべきだろう。のんびりとした空気でカップに視線を落としているキラを眺めながら、アスランは少しだけ寂しい気持ちになった。
「キラ」
名前を呼んでキラの視線を向かせると、静かに体を寄せてその唇に軽くくちづけを落とした。鼻先を触れさせたまま彼の表情を窺うと、慣れないといいたいのか、戸惑いの色がある。
ふたりは半分けんか腰に思いを通じ合わせてから、まだ数えるほどしか唇を合わせてはいなかった。ひとつには、ふたりきりになれる時間がほとんどなかったこともあるが、何よりも幼馴染みで育った親友と思うと、どこか気恥ずかしさが残るせいもあった。
「…アスラン」
だが、キラの戸惑いに揺れる瞳は扇情的でもあった。恥ずかしいから、と告げるために名を呼んだ響きもどこか誘いを感じさせる。そんなはずはまったくないと思いつつもアスランは誘われて、二度目のキスをしかけた。