C.E.74 14 Sep

Scene オーブ軍本部・アスランの執務室

深更となっても明かりの灯るオフィスを見るに、真面目な彼であれば仕事に傾注しているのだろう、と誰もが思う。実際には片づけるべき仕事は二時間も前に終えていて、アスランはただだらだらと居残っているだけだ。理由といえばなんということもないが、官舎の自室にもどってもキラがいないからというのが、たぶん、いちばん大きい。
それでもいよいよやることがなくなって、重くなった腰をあげると同時に彼の執務室を訪れる者があった。来客に反応して、アスランが気がつくより早く彼の肩にあるものが動いて報せた。
「あれ、トリィ」
声のほうを見れば、ドアの前に目をまんまるにしたカガリが立っている。
「カガリ。どうしたんだ、こんなに夜遅くに」
「官邸に帰る前にちょっと寄ってみただけさ。それよりなんでいるんだ?」
「いる」とはアスランのことではなく、彼の肩にとまるトリィを指している。
キラは今朝方、衛星軌道──つまり宇宙に三日間の出張へと発ったが、その出がけに「なんだか調子がわるい。診て」といってトリィをアスランに預けていった。ばたついていて何がどう調子わるいのか訊きそびれ、今日は一日傍に置いて様子を見ていたのだ。幸いデスクワークの日だったので、鳴き声の音声をオフにしてしまえばかまわないだろうとオフィスに持ち込んだ。
「まさか、キラがいなくて寂しいから代わりに、なんてのじゃないだろうな?」
半分本気でそう思ってるといいたげな笑顔でいうカガリに、不興を隠さずひと睨みし「何いってるんだ」と否定する。
この場にいるふたりは数ヶ月前まで、噂でいわれていたほど甘いものでもなかったが、それでも周りの人間が気がつくくらいの関係を築いていた。それなのに今、なんのわだかまりもなくこうした会話ができるのは、ひとえにカガリのおかげといえた。

『おまえら、離れちゃだめだ。離れるな』

ギルバート・デュランダルを討つべく地球を発つその前日に彼女がアスランにいったことば。
カガリは、アスランがその戦いへの迷いを拭いきっていないことに気がついていた。このままではいけないが、こうすることも疑問なのだと、アスラン自身でさえはっきりと形にできていないことを、彼女は何故か理解していた。正しい答えはどこにもない。答えは永遠にでない。ならばキラの傍にいろ、と。カガリはそういった。
翌日彼女はアスランが贈った指輪をはずし、また、それ以来ふたりの間にあった甘い距離がもどることはなかった。いつまでも何においてもはっきりとできない自分を、見限ったというわけではないだろうが、合わないペースにもどかしかっただろうことはアスラン自身にも想像がつく。おそらく自分では曖昧に感じている本心の、その奥に固まっている答えすら、彼女にはとうに見えてしまっていたのだろう。

要するにこの世にある女性というものは察しがいい。キラがいなくて寂しいというのは、事実でもあった。見抜いた様子でカガリがトリィをつつきながらつぶやく。
「出張からもどっても、またすぐにプラントだな、キラは」
そして、プラントへは二、三日という話ではない。地球へひとり残ることを考えれば、カガリがいちばん寂しいといえるかもしれない。
キラが、カガリを自分のやろうとしていることから遠ざけようとしているのは判っている。危険が伴うことでもあるからだ。国家元首という何より守られる位置に安心して、キラは彼女にそこから動かないで欲しいと望んだ。もちろんそんな彼の思惑は置いても、カガリは自分のすべきことのためにそこから動く気は毛頭ないだろう。
ただ、彼女本来の大きな好奇心がSEEDに向いていることもまた事実だった。「ナチュラルの披検体が足りない…てことは、ないかなぁ」などと、キラにいいよっている姿もつい先日見かけていた。油断すれば視察のなんのとかこつけて、プラントへやってくるような気がしてくる。冗談まじりにそんなことをいえば、心外とばかり彼女は口を尖らせた。
「ふん、いってろ。わたしだってな、忙しいんだぞ」
だが、その表情を翻して瞬間真面目な顔になる。
「なぁ、遺伝って、関係あると思うか?」
「進化という定義なら、あるんじゃないのか」
「だったらわたしも、訓練とかでキラみたいになるんじゃないのかな」
キラのSEED発現の状態維持は特異だ。カガリはその特異性を自分ももつのではないかと、そういいたいのだ。

現在SEEDを“もつ”と報告のある全員が、発現状態について自在なコントロールができていないことが判っていた。ましてや、発現を自覚できない者もいる。どちらかといえばアスラン自身もそうだ。戦闘の興奮状態で覚えていない、ともいえるのかもしれない。
だがキラはその覚醒をはっきりと自覚しており、さらにその状態を自分の意識でコントロールできているという。SEED研究開発機構でいちばんの披検体といわれる所以だ。
同じくSEEDを“もつ”といわれたカガリは、やはり自覚のないタイプではあったが、彼との血の繋がりから自分自身も研究に協力すべきではないのか、と真剣に考えることがあるのだろう。
「カガリ、シードコードを始めたのはキラだ。ただキラが知りたいといって始めたことだろう?」
アスランのいう意味が読めないのか、訝しげにカガリは眉をひそめた。
「カガリが未来への貢献にそんなことを考えても、キラには通じないよ」
アスランに視線を固定したまま動かない彼女の思考はくるくると働き、次には目の前の相手のいわんとすることを悟ってこぼれるほどに瞳を見開いた。その様子につい笑いながらいう。
「あいつがわがままなのは、知っているだろう?」
キラが恣意だけで動いているのだと暗に告げ、またそれをまったく許容しているかのようなことをいうアスランに、カガリは「おまえも苦労性だな」と大きなため息とともにいった。
「苦労?」
「そうだろう。くそ真面目なおまえが、そんなことを本当に許しているとは思えない」
───ほら、女性は察しがいいのだ、とアスランは感慨深くなる。
それは事実で、諦めていることでもあって、だがアスランはそれでもいいと決めてキラの傍にいるのだ。
ゆったりと微笑んでいるアスランの開き直りっぷりに呆れたのか、カガリはその笑顔にことばもなく大きくため息だけを吐く。そんな彼女の感情の動きに反応して、アスランの肩でトリィがパタパタと羽をばたつかせた。