Evergreen Interlude

C.E.74 25 Jul

Scene オノゴロ島・ヤヒロ公園

「…そう、いかないか。次の休み」
「…………………………映画?」
「映画」
キラは驚きに開いた口を意識して閉じた。アスランは基本的に映画やドラマを好んで見ない。つまりフィクションに興味がない。少なくともキラが知っている範囲でいえば、目の前の彼が最後に映画鑑賞したのは幼年期にキラが無理やり誘ったときのそれではないかと思う。キラは映画が好きで、子供のころはそれこそ無遠慮にアスランを誘っていたものだが。
「……何か、観たいのでもあるわけ」
「いや、とくには」
即答にキラは誘った相手を不審げにみつめた。
「キラは何かないのか」
「ていうか。なんで?」
「なんで? …か、って…」
陽気な昼のラウンジだった。互いの時間を調整して待ち合わせた昼食を終え、余人を避けるようにして窓際のカフェ席に移動したアスランが、急に切りだした話だった。
「───キラは…映画が好きだったろう」
「そうだけど。アスランはそんなでもないでしょ」
「…まぁ、そうだな」
「じゃあなんで映画」
キラはテーブルに身を乗り出して、無意味に視線を逸らし気味な彼の顔を覗き込んだ。ちらりとアスランの視線があがる。
「映画じゃなくてもいいんだ。どこでも。ふたりで出かけたいと思っただけのことで…」
「─────」
公共の場所ともいえる職場のラウンジで突然何をいいだすのか。最近は、多忙な彼とこの昼食の時間くらいしかゆっくり話をする機会がないことは事実だ。だからといってメールで伝えるなり、帰る家は同じなのだから部屋にメモを残すなり、他の手段もあろうかと。
キラは熱くなりかける頬をごまかすようにふっと鼻から息を抜いて、乗りだしていた身体を引っ込めた。
「それってつまりデートかな」
「そんないい方……」
問えば慌てたようにそんな声があがりかける。が、そのすぐあとに「そうだな」といい直して認めた。
「もっとふつーに誘ってよ。変じゃない、ぼくときみのあいだで今更」
「………わるかった」
互いの気持ちを正しく認め合って二週間にもなろうかという頃だった。ふつうのカップルなら休日にデートの約束くらいはあたりまえのことだろう。だが彼らは、その以前から意識してふたりで過ごそうとしてきた。そのうえ年季もはいっている。そこへ改まって───要するに「ふたりでいたい」といわれ、キラはその態度とうらはらに高まる心臓の音を隠すのに必死になった。

当のアスランはそれ以後、まるで忘れたかのように当日の予定などを話してくることがなかった。キラの予定を押さえることだけをして、あとはその日適当に決めればいいという横着なのかもしれない。アスランは幼年学校の時代から、キラとの遊びにあまり計画をたてることはしなかった。つまり「キラと遊ぶ」ことが目的で、それがあればその内容はなんでもいいらしい。変なところに大雑把な彼の一面だ。誘うのはアスランでも、でかける先を決めたりするのはいつもキラだった。もちろん、その当時は遊びたいことなど山ほどあったから、アスランの無計画を困るどころか、キラに決めさせてくれて嬉しいくらいに思っていたかもしれない。
「だからって上映リストくらいはふつー調べておくよね! いいだしっぺなんだから!」
前日の夜になって、アスランが今上映中のラインアップをまったく知らないことが発覚した。
「そりゃ子供のときはいつでもなんでも見たいものばっかりだったけどさ。この歳になって、それなりに好みも固まってるし選択の幅も狭くなってることくらい判りそうなのに、なんかあるだろ、で終わらせるなんてさ」
「すまない」
「ぜんぜんすまないって顔してない。きみ相手が女の子だったらぜったい三日で振られる」
「……………」
結局、無理やり映画を見る理由はどこにもなかろうとのキラの判断で、オノゴロの中央駅に隣接するショッピングモールをふらつく流れになった。その間キラはアスランの段取りのわるさを非難し続ける。ぶつぶつとこぼすキラに返事はするものの、果たして反省しているものかどうか。立ち寄ったDIY店で、彼の視線は手元の螺子だ。それからキラの肩に乗るトリィに移り止まった。今、アスランの頭の中ではトリィの内部設計が展開しているのだろう。
「ついでに脚部のバージョンアップをしてやろうか?」
「今のままで充分だよ。別に足がヨワくて転がるわけでもないし」
磨耗してきたトリィの足のパーツを、近々アスランに交換してもらう予定だ。もちろんその程度のメンテナンスはキラが自分でできることだが、再会してからというものアスランが譲ろうとしなかった。それが独占欲のひとつの表れなのだと知ったのは、ごく最近のことだったが。
「次にいくところはちゃんと決めてある」
「それ、今思いついたんじゃないの」
いい訳めいたことを告げたアスランをキラは訝しんだが、彼は笑って「違うよ」といった。
モール内のレストランで昼食を済ませると、メトロでひとつ隣の駅へとアスランの案内で移動した。そこも駅周辺は店が多く、だいぶ賑やかな場所だ。人混みのなか、アスランは背後からキラを覆うようにしながら縫って進む。道を知らないキラは後ろから「そこ右。その店のさきの道で左」などと方向を指示されて、彼が先にたって手を引けばいいのにと思う。そう思ってすぐ、人前で手を繋ぐつもりか、と自分の考えを却下した。
その直後、小さな子供がすぐ前を横切りキラは咄嗟に足を止めた。それが視界に入らなかったアスランは止まれず、キラの背中に彼の胸がぶつかる。振動でトリィが一瞬羽ばたいてキラの肩から離れた。
───あ、そうか。
キラを抱きとめるようにして静止したアスランは、再び歩き始めないキラを訝しんで声をかけてきた。
「キラ?」
「あ、うん。ごめん」
アスランの胸の弾力とは別に背中の左側に当たった硬いモノ。護衛を断った外出で、今日彼は懐に自動拳銃を忍ばせている。キラの気がつかないところで、あたりまえのようにそれを装備して、混雑した道の真中で、人にぶつかることではなく、もっと危険なものからキラを護ろうとしてくれている。「ふたりでデート」というのはキラが想像するよりもっといつもどおりではないことなのだと思った。

オーブ群島はどこへいっても日差しが強い。しかし、からりとしているので不快な暑さではなく、とくに気候が安定しているこの時期は急に雨が降りだす心配もない。絶好の散歩日和ということだ。見れば、訪れたこのヤヒロ公園もかなりの人がいる。
駅前の雑踏からはほんの数分で離れ、アスランがキラを連れてきたのはオノゴロ島の有名な公園だった。一・五キロ四方の広大な公園にいる人々は、園内のイベントごとに参加するファミリーと、格好のデートコースにと選んだカップルがほぼであるといえた。いいかげんにしてるかと思えば、それなりにデートらしい場所を用意したあたり、アスランはいうほど朴念仁でもない。少しは成長したということか。
広くなった空間で、早速トリィがふたりから離れて上空で遊び始めた。見つけた子供たちが歓声をあげてそれを追いかけている。その様子を眺めながらふたりは並んで遊歩道を歩いた。
「ほんとうに広いんだな、ここ。初めてきたよ。キラは?」
「うん。ぼくもかな」
「…少し休むか?」
アスランは足を止め、わざわざキラを向き直ってそういった。
「どっちでもいいけど。そういえば喉は渇いたな」
判った、と彼は微笑む。そこからそう遠くない場所にあったスタンドで飲み物を購入し、さらに少し進んだ先の木陰に並んで座った。ふたりが落ち着くとトリィも旋回をやめて、いつものようにキラの肩にもどってくる。追いかけていた子供たちは彼らの五メートルほど先で足を止め、照れたようにキラに笑いかけてから家族たちの元へ去っていった。そうして人影がすべて遠ざかり、そこはふたりきりで寛げる空間になっていた。

「なんで急に思い立ったの」
キラは今日のことを問うたが、ふつうにはことばの足りない質問ではあった。だがアスランは通じた様子を見せて、しかし、「退屈か?」とはぐらかすように問い返してくる。
「そんなことないよ。ここも緑がたくさんで気持ちいいし。やっぱり空気が違う気するよね」
そうだな、と応えてアスランが手にしたアイスコーヒーをひとくち飲んだ。そのまま視線は、目の前に広がる芝生のさきにある遠くの木々に移ったようだった。
「必要だと思ったんだ」
「え?」
キラの質問を唐突に返してきたのだと気がつくのに、少しの時間が要った。
「おまえも、このままじゃだめだろうと…そんなふうに思ってたんじゃないのか?」
そういってアスランははにかむように笑い、視線を落とした。あまり見ることのない表情だった。
このままではいたくない、と。確かに行動を起こしたのはキラだった。だが、それからのことはどうだろう?
アスランとは、心を通じ合わせて以来、その距離感も態度も会話も決して変わることがなかった。そんなに急に、関係が変わるとは───想像もしてはいなかったが、こうも相変わらずだとそのときのことが夢か幻かという気にもなってくる。どこかその状態にあまんじている自分もいるような気がして、それなりに頑張ってみた過去をそのままから騒ぎで終わらせていいのだろうかと、ほんの少しだが、焦る気持ちは確かにあった。
職場はもちろん、プライベートな帰宅後の時間も家族が一緒の生活だ。あまりおかしな雰囲気を持ち込むわけにもいかない。無意識にしても、そういうセーブがふだんからかかってはいるのだから、変化がないのはあたりまえかもしれない。そこをあえて、ということで、あらたまって“デート”なのだろう、と。
「べつに急いでどうこうというんじゃないんだ。ただ、また───キラを待たせたままでいるんじゃないかと思ったら、少し…焦ってしまって」
訥々と語るアスランの横顔を黙って見つめていると、彼は今度はこちらを向き、自嘲気味に告げる。
「……もう、なかったことにされていたら、どうしよう、とか」
キラは目を瞬かせ、何をいうのかと怒った。
「んなわけないじゃない。ぼくがどれだけ忍耐強いと思ってるの」
「さぁ? おれが知ってるのは、二十分も課題の工作が続かないキラとか、そんなのばっかりだったしな」
また子供の頃の話なんか持ちだして、と拗ねて唇を尖らせると、アスランは朗らかに笑いながら自然にキラの肩を抱き寄せる。
高い日の空の下。広い視界から人目は遠いけれど少しためらう。軽く彼を押してみたが、それで放そうとはしない。キラ、と、逆に咎めるような囁きがあってますます引き寄せられた。
覗いた彼の瞳は傷ついているように、見えた。それに脅されて、キラは白状させられる。
「────三年、だよ」
長かった片思いの年月。
キラのことばに、アスランは問うように首を傾げた。
「三年は待ってたんだからね」
「……そうか」
わずかな微笑みに少しの痛みを滲ませ細められた目。ごめん、と呟くように動いた唇が見えて、キラは近づいてくるアスランの濃くて豊かな睫毛を見た。隠れるのが早かった緑石の瞳を惜しんで、キラは瞼を下ろすことをしばらくためらっていたが、飲料で冷えた唇が温もりで包まれるとそれも諦めた。
慈しむように丁寧な口づけだった。穏やかな彼の気持ちが伝わってくる。心地よくて嬉しくて、キラは彼との間に挟まれていた手でアスランの腿を撫でた。それに一瞬だけ離れた唇が、もう一度触れてくる。彼の足に置いた手には、彼の指が絡んでいた。