Evergreen Interlude

C.E.74 12 Aug

Scene ヤマト家・ダイニングキッチン

「───あら…」

さすがにこの頃は親に起こされてという朝がなくなってはいた。しかし、ときおり寝坊をしてしまうのは、子供だ大人だというよりも仕方のないことだ。朝を寝過ごしてしまうのは身体が睡眠を要求しているからであって、仕事のためにふだんから睡眠時間が足りていないことは、カリダにはよく判っている。
だからキラが寝坊することはごくたまにだがあって、その日も決まった時間にダイニングに現れなかった息子を、支度に慌てないくらいの時間はみて起こしにいった。一応部屋のドアをノックして声をかけ、返事は待たずに扉を開けてから思わず固まった。
どうにも、相変わらずなのね、と以前ならこぼしたであろう微笑みはうかんではこず、ただ目を瞠った。
「……おはよ…」
キラはカリダの気配、もしくはノックか呼ばれた声に目が覚めたようで、いいながらむくりと半身を起こした。大きく欠伸をひとつしながら傍らに一瞬視線を落として、「し」とカリダに指し示す。つまり、アスランを起こさないように、静かに、ということだ。
キラは起きたのだから目的は達している。カリダはひとつだけ頷いて先にダイニングへと降りていった。

カリダはアスランに対して起きる時間を気にしたことがない。今の職務上で時間が不定期になりがちだったこともあるが、彼は子供の頃から自身の管理はしっかりできていて、むしろそれで一緒にキラの面倒も見てもらっていたくらいだ。
出勤のスケジュールはいつも事前に判るものは伝えてもらっている。予定通りではなく起きてこないのなら、その日は急な休みが入ったか、午後出勤のシフトになったかなどの理由がある。とにかくアスランに関しては、気にかける必要がないのだ。
それもあって、こうして同じ家で過ごすようになってから、彼のああいった──熟睡した姿を見たのは初めてのことだった。もちろん、それをもうひとりの息子の部屋で見ることなども、想像したことすらなかった。
キラは寝間着のまますぐに降りてきた。カリダは朝食をテーブルにならべながら、どうきりだそうかを迷った。だが結局、そのまま訊ねることにする。
「あなたたち、ゆうべ一緒に寝たの?」
「…え?……うん。……ふぁ…アスランがもぐりこんできた」
まだ眠いのか、キラは途中で欠伸をはさんだ。
「……あなたが頼んだんじゃなくて?」
「アスランのほうが甘えるときだってあるよ」
ご飯を盛った椀をキラのまえに差し出すと、いわれたことに不満があったのか憮然としながら箸をとってそういった。
この場合、どちらがどうでもカリダは気にならない。気になるのは、もう成人した年齢の子供らがそうやっていまだに互いのベッドに潜り込んでいるということだ。そんなことはまったく知らなかったし、実際、戦争をはさんでからはそんな様子を一度も目にしたことはなかった。
「アスランくん、ゆうべは何時頃だったの?」
「3時過ぎてたかな…今日は午後からみたいだから、お昼まで起こさないであげて」
「あら、そう。大変ね」
どこかずれた返事になってしまったのは仕方がない。キラは母親がいつものように天然を披露していると思ったのか、小さくため息を吐いただけで食事を続けた。

「…おはようございます」
キラが食後のお茶をすすっているのにつきあっていると、アスランが起きてきた。キラのように寝間着ではなく、いつも通りきっちりと制服を着込んでいる。
「あら、おはよう。今日は午後からでいいんじゃないの?」
「え?」
アスランは一瞬不思議そうな表情をし、自身に背を向けて座っているキラをちらりと見た。カリダが知らないはずの予定をキラが伝えたことを理解したのだろう。少し笑って、でも目が覚めてしまったので、と返事をした。
「いいならゆっくりすればいいのに。真面目なのねぇ。…ご飯、用意するわね」
「すみません」
カリダはいいながらキッチンへと立った。その後ろでアスランがダイニングテーブルの定位置につく気配が伝わった。

「……おはよう、キラ」
「おはよ」
「………ゆうべはすまなかった」
「なにが」
「なにがって……その…」

テーブルとシンクの距離はそうあるものでもない。小声で交わす会話はもちろんすべて耳に入ってくる。彼らもそれは判っているだろう。アスランがカリダを気にしながら話している雰囲気を感じる。
だが、こうして“ふたりで”している会話には、聞こえていないふりをしてあげるのが幼少の頃からの不文律だ。
「…夜中に起こしたし…………狭かっただろうし」
「べつにいいよ」
疲れて甘えてきたという相手に冷たくもそっけない返しをキラが続けている。もっと優しくしてあげられないの、と心の中でそっと思うが、それは無用だったようだ。
「アスランこそ腕しびれてない?」
「…………いや……」
態度が適当なのは単にまだ眠いだけだったかららしく、キラはおさまっていたはずの欠伸をそこでまたひとつした。すかさず「ごめん」とアスランが重ねて謝っている。
「ほら、あんたはそろそろ支度しちゃいなさいよ」
アスランの食事をテーブルに運び、キラには声をかける。「んあーい」というやる気のない返事がもどってきたが、キラはすぐに席を立って自室へ着替えにもどっていった。
「いただきます」
「どうぞ、めしあがれ」
キラよりも帰宅が遅く、ふつうに考えても激務をこなしているはずの彼は、キラとは正反対にきっちりとした様子で眠気のひとつももう残してはいない。レノアは本当によくできた息子を育てたものだ。半分はカリダが育てたようなところもあるが、これはもう血筋と、おおよその性格が定まるという三歳までの教育の所以に違いない。
だが、そうしていつも見せる彼の“しっかり者”な様子に、母心としては少し寂しく感じるところもある。
───キラにはなんだか甘えてるみたいなのにねぇ。
ここ一ヶ月のあいだで、アスランはキラに甘えることが多くなっているとカリダには感じるところがあった。何がどうというのではなく、ふとしたふたりの会話や態度、その最たるものが今朝見たことだった。
この頃までどこかにあったアスランの遠慮のようなものが取り払われて、キラとの距離を一層近くに感じるのだ。マルキオの元で過ごしていた頃の、いつまでもぎくしゃくとした空気はもうふたりのどこにも残ってはおらず、コペルニクスで過ごしていた頃のように、あるいはそれ以上に。いい歳をして距離が近すぎると思わなくもないが、あの頃の彼らを見るよりはずっといい。
「ずいぶん忙しそうね?」
「…いつも遅くて、すみません」
「あら、こっちは遠慮せずにさきに寝ちゃってるもの。それより無理は重ねないようにしてちょうだいね」
アスランにお茶を提供しながら話しかけてみるが、カリダに疲れを見せることはしない。いや、事実充電ができたのかもしれない。素直に「はい」と返事をした顔は無理がなくすっきりとしていた。
「少しくらいキラに押しつけちゃえばいいのよ」
「職分が違いますし、それに…キラに無理をさせるほうが、おれには……」
天性からの保護者気分に変わりはないらしい。キラがベッドで起き上がったときに垣間見えた彼の体勢やさきほどの会話で判ったが、どうやら甘えたほうが腕枕を提供してもいたようだし、「兄」「弟」のポジションに逆転はないのだと思った。
アスランがいいかけて止めたことに微笑みで返すと、彼はどこか照れたように微笑んだ。その笑顔にだけは少しばかりの幼さが見えた。

結局ふたりそろって出勤することになり、その背中を玄関で見送った。それから台所を片付け、ゆうべは使われることのなかったアスランの布団と、ふたり分の眠りを支えたキラの布団をベランダで干す。
子供たちが歳を重ねるごとにつのる寂しさは、置いていかれるような気分からなのだといつか主婦仲間とこぼした。とうに離れてしまっている彼らが、それでも自分の傍で生活してくれていることにはとても感謝している。
「べつに置いてかれても、母さん平気なんだから」
晴れ渡る空にむかってつぶやく。いつか彼らに直接、そう強がりをいってあげたい。
いつのまにか甘えるほうになっていた自分を励まして、カリダは遠くない将来へ備えることにした。