C.E.74 19 Jun

Scene オノゴロ島・戦没者慰霊塔

さいわい、この日は快晴だった。アスランは愛車のロードスターを走らせて待ち合わせの場所へ向かった。途中、オーブ軍の官舎でメイリン・ホークを拾って。
センター街の端にある駐車場に車を停め、目的のカフェまでは歩いていく。駐車場からは十分ほどの距離だ。たどりつくと小ぶりのオープンカフェは賑わっていた。なんでも、オノゴロ島でかなり人気の店だとか。わざわざプラントで事前にそんな情報を仕入れ、その店を待ち合わせに指定してきたルナマリアに、女性のこういった手回しのよさはにはかなわない、とアスランは真面目に心から感心した。
外側の目につきやすい席に待ち合わせ相手のシン・アスカとルナマリア・ホークは座っていた。すでに仕事で何度も顔を合わせていたので、そこでは簡単に挨拶を交わすだけにすると、予約してあったレストランへ向かうことにした。

それから食事をしているあいだも、今慰霊塔へ向かっているこの道すがらも、シンはことば少なに、それでも何かをいいたげに、アスランから離れない距離にいる。
ホーク姉妹が自分たちだけに通じる話で盛り上がり、先へいくのを見ながらふたりで並んで歩いていると、ふいにシンが声をだした。
「あの……。こないだはありがとうございました。……レイのこと…」
シンはこのひとことがずっといいたかったのだろう。ふてくされたような態度でこちらを見もせずに礼をいうその様子は相変わらずで、アスランからはつい笑みがこぼれた。
「…いや」
シンがこちらを見ないので、アスランも再びまえをいくふたりに視線をもどした。そのほうが話しやすいのか、シンがその様子を察して次のことばを続ける。
「レイって…家族もいないんで。おれたちしかあいつのこと泣いてやれないっていうか」
レイの、その素性については、いくらかアスランは把握していた。
過去自分の上官だった男、また戦火を拡大した罪を負うとされる男ラウ・ル・クルーゼと同じ、アル・ダ・フラガのクローンだということを。クルーゼにもレイにも近くにいた自分が、何故それに気がつけなかったのかと思うこともあるが、今となってはどうすることもできない。それに、気づけたところで、レイにどんなことばを、自分はかけてやることができたというのだろうか。

シンとレイがどれほど近い存在であったのかは判らないが、シンの様子を見ればレイを理解したい相手としていたことは窺い知れる。だがその理解に生い立ちが…遺伝子上の刻印が、何の役に立つだろう。
彼の素性など、シンにはどうでもいいことなのかもしれない。ただ、それだけに。
「……つらいな…」
失ったものはぜったいにもどりはしない。シンもアスランも身に染みて知っていること。失うまえにそれに気がついたとしても、止められないこともある。
「そういうの…もうほんとに終わりにしたいんです」
アスランのつぶやきから数分もかけて、シンが応えた。
「でも…終われない。皆が望んでいるのに。なんででしょうね」
誰もが思う疑問。
「それでもおれ、軍人辞めませんよ」
だから、今もザフトにいる。
「同じ選択をするんだな。同じ理由かどうかは知らないが」
「………………」
誰と、とはひとこともいわない。それでもシンには通じているのか、何も訊ねなかった。
「余計なことかもしれないが、心配だな」
「え?」
「シンは強いから」
そのひとことでやっとシンはアスランを見た。
アスランも視線を合わせて静かに微笑むと、どうしてかシンと重なるキラのことを思った。


「シンは強いから。敵を多く倒すだろう?」
シンはアカデミーで「敵は倒すべき」なのだと教わった。モビルスーツパイロットにとっての倒す敵は機動兵器や戦艦だ。生々しい殺人は実際の目には見え難く、それだけにその意味からはわざと遠ざけた教育を受ける。
それでも今は、その目の前の「敵」の中に何があるかなど充分に判っている。
───その中に、ステラを見たのだから。
「殺した分だけ憎しみが生まれて。その憎しみがまた人を殺す。過去にはキラとおれもそれを理由に、殺し合いをしたことがある」
「………?!」
シンはそういえば、と思い出した。フリーダムのパイロットはかつては地球連合軍にいたということを。ヤキン・ドゥーエ戦役での明らかなザフトの敵対勢力だ。
「おれは戦友を、あいつは学友を、互いに殺されて。怒りにまかせて互いに剣をむけた。幸いなことにふたりとも…いま生きては、いるが…」
アスランは何故だか、「幸いなことに」といいながら、後半をとてもつらいことのようにいった。
「どちらかが死んでいれば、また誰かが仇を討ちたいと思っただろうに」
その連鎖を自分たちで断ち切って、共に立ったということなのだろう。シンはふたりの、そのまえの繋がりなどは知りもせず、アスランから語られる前大戦の経緯を聞いていた。
「そんな憎しみの連鎖を知っていながら、それを自らの手で生むことの覚悟も含めてまた剣をとるのだといった。…それをすべて背負うというんだ、あいつは」
知らなければその重荷は目に見えない。重くもない。でも知ってしまった今は。
「耐えていくのはどれほどつらいことなのか。強くて、戦いに勝てるということは…そういうことなんだと」
アスランはことばを一度きって、足下に視線を投げた。
「おれがもっとうまく、それをきみに伝えることができていたなら」
そんな重荷がある自分たちと同じ道を歩まずに済んだかも…と思ってでもいるのだろうか?
───もし、そうなら。
シンは率直にアスランを変な人だと思った。この人はいつも、こんなだった。
「いいえ。あなたはずっといってたと思いますそういうこと。おれが耳を塞いでただけです」
聞かなかったのは自分の意思だ。それなのに、何故それをまだ後悔するのか。こういうのが優しさなのだとしたら、アスランこそが、その重荷に耐えられずいつか壊れてしまうのではないかとシンは思う。
「だから、今そんなふうに…自分がわるかったみたいに、あなたが考えることないです」
アスランは黙って聞いていた。
『力を手にしたそのときから、今度は自分が、誰かを泣かせる者となる』
以前にいわれたこと。アスラン自身が泣かし、泣かされたすえにでてきたことばだったということだけが、あのときのシンには判っていなかった。
シンは戦争からあと、アスランにいわれたことを少しずつ反芻している。いまだに、いい返してやりたいこともいくつかある。自分が思い直したこともいくつか。だのに、傍にいない人間にはその先のことばをもらうことも、自分が伝えることもできないのだということに、いつも苛々としていた。
それが今傍にあって、もうこの人にそんな自分とのことを振り返らずにいて欲しいという、素直な心が生まれている。
「おれのことも心配しなくていいです。……覚悟がありますから」
───自分にだってもう、今、何を護りたいのかが、判っている。
レイを失ったと判っても変わらなかった、覚悟がある…。


今日最後の目的地である慰霊碑のまえにつくと、全員がほぼ無言になった。途中で仕入れた花束をメイリンが手向ける。
シンはじっと慰霊碑に視線を落とし、無感動な表情でいた。だが、心の中は悲しみに包まれていることをアスランは知っている。喜びや怒りなどの感情はよく表にだすけれども、悲しみの感情だけは、ひっそりとその胸のなかにだけしまいこむ。それは、大切なものを失くした者の特有の強がりだった。
背後の光景に目を向けると、ブレイク・ザ・ワールドで受けた高波の痕跡はすっかり消えて、きれいな花々が咲き乱れていた。海に沈む夕焼けを受けて、花壇全体にオレンジ色のフィルターがかかっている。物悲しい雰囲気が強調されて、きれいだけれども、見ていたくはない、とアスランは思う。

そのとき、その向こうから、トリィの声が聞こえたような気がして目をやった。
その声を同じに聞いたメイリンははっきりと、シンとルナマリアは「何の“音”?」といいたげに、同時に振り返る。その方向からはキラとラクスが歩いてくるところだった。
「………キラ……」
アスランが声をかけると、シンが一瞬それに反応した。
「きてたの、アスラン」
「……ああ」
オフ日は同じだったので今日ラクスもここへ訪れることは予見していたが、まさかかち合うことまで、アスランは想像していなかった。それはキラも同様だったようだ。少なからず、驚いた表情があった。
今度は、ラクスがその慰霊碑に花束を添える。そしてふたりは慰霊碑に向かい、静かに祈っていた。
ルナマリアは、おそらく初めて見る顔──キラが気になっているようだ。シンもじっとキラの顔を見つめている。彼にはいっておかなくてはならないだろう。
「シン、彼が…キラだ」
急に紹介されてシンはぽかんとしている。
「キラ・ヤマト。フリーダムのパイロットだ」
はっと息を飲む気配は、ルナマリアから飛んできた。シンは動揺することなくもう一度キラをじっと見た。“シン”とアスランが呼びかけたので、キラにもその相手が誰だか判ってはいるだろう。キラには何度となくシンの話をしていたので、やはり驚くそぶりもなくその目を見返している。
ふと、キラが手を差し出した。その手を見てシンがとまどっている。
「だめかな」
シンはまた視線をあげて、キラを見た。無言のままその手をとる。
「…会ったこと…ありますね。ここで」
「うん、そうだね」
意外な会話に、アスランは驚く。
「おんなじ…こんな夕焼けのときだったよね」
キラは微かに首を傾げて、シンの心を優しく覗くかのようにいった。相手がかつて自身に憎しみを向け刃を振りおろした者だなどと、少しも考えていないかのような表情だった。
「でも。…おれの気持ちは、あのときと同じじゃない…です」
そのときのふたりの会話がどういうもので、彼らがどういう思いを抱いていたかなど、アスランには判らない。だが、それぞれに変化を見たふたりがこうしてふたたび邂逅することは、未来の何かを予見しているかのような感覚があった。
シンの応えにキラは、そう、とだけいって、静かにつないだ手を離した。