C.E.74 30 Jun

Scene ヤマト家・アスランの部屋

時間は深夜の2時をまわっていた。階下で玄関のドアが開く音が聞こえ、キラははっとなる。真夜中に家の中に入ってきた人物は、音を立てないよう静かに階段をのぼってきた。いつもと違う歩き方をしようと、キラにはそれが誰だか判る。
自分の部屋のまえを通り過ぎようとするタイミングで、キラはそっとドアをあけた。
「お帰りアスラン」
「キラ……ただいま。起きてたのか」
アスランはいかにも驚いた顔で「こんな遅くまで」といった。こんな遅くに帰ってきた人にいわれたくない。
「ちょっと仕事してて」
「…またおまえは……軍の仕事の持ち出しは犯罪だぞ…」
呆れるというよりは、疲れが滲み出た力のない様子でアスランがいう。
ラクスがプラントにもどった20日、その日からアスランは家に帰ることがなかった。宇宙港で一緒に彼女を見送ったとき、しばらく自分の食事は用意しなくていいと母上に伝えてくれといわれ、理由を訊ねればカガリがそれに応答し、
「ラクスが何をしにきたと思ってるんだ。仕事を落としにきたんだぞ? わたしやアスランたちは当分カンヅメだ!」
と怒鳴っていた。
そのあいだ、軍にもろくに顔を出さなかったので、アスランを見るのはものすごく久しぶりだ。
「持ち出してないってば。仕事って感じでもないよ」
「…そうか…?」
いってることの整合性が取れてないぞ、と思いつつも、アスランはそれに突っ込む元気もない。不審げな顔と声をよこすだけにして、自室に向かった。
その背中に「そっちいっていい?」とキラが声をかける。
「ああ、いいよ」
どんなに疲れていても、キラに返す笑顔は優しい。
だが、今日のその様子はひどく艶めいても見えて、キラは切なさと一緒に鼓動の跳ねも感じた。

自室に入るとアスランはどっさりとベッドに腰をおろした。
「疲れてる?」
見れば判ることだが会話の切り出しとしてはこんなものだろう。
「……ん…さすがにちょっと疲れたかな…」
「こんな時間だから今日もあっちに泊まるかと思った」
「明日オフもらったから…無理やりもどった」
そ…よかった、と返してキラはアスランの様子を窺う。このところ──ラクスが訪れるその少しまえあたりから、彼の不機嫌が続いていた。理由は判らない。自分がまた何かしたかなとも思ったが。ただ、自身の不機嫌を自覚しているらしいアスランが、その態度をキラにすまないと思っている節もあったので、仕事上の何かなんだろうと自分の中で勝手に落ち着けていた。
一方のアスランは「やきもちが抑えられませんでした」とはいえないので、このままなしくずしにしようと考えていた。さすがに、仕事しか考えられない状況が続き、頭はすっかり冷めていた。
「……ラクスはどんな様子だった?」
彼女がプラントへ帰ってからまる一週間は経過していたが、今更こんなことをキラに訊くほど、ふたりで話す時間もなかったと痛感する。
「アスラン仕事で毎日会ってたでしょ?」
「ああ…でもほんとに仕事の話しかできなかった」
アスランは両肘を膝にたてかけて掌を顔のまえで祈るようにあわせ、そこに額を押しあてじっと目を閉じている。そのまま寝入ってしまいそうだ。キラはひとことだけ報告して、もう退散しようと思った。
「プラントでのこといろいろ聞いたよ。イザークがすごい親切にしてくれるんだって」
「………イザーク、ね…」といってアスランは何故か苦笑した。いろいろと個性的な人物らしく、イザークのことを話すときはアスランが苦笑を漏らしていることが多い。今もまた過去の何かを思い出しているのかもしれない。
「じゃあ、アスラン。ゆっくり休んで」
おやすみ、と踵を返すとふいにアスランが「キラ」、と手を掴んだ。
振り返ると、いつも通りになく視線を落としたままでこちらを見ない。
「どうしたのアスラン」
いらえもない。握った手をじっと見つめたまま動きもしなくなってしまったアスランを、さすがに仕事だけではない疲労があるのだと思い、キラはその横に座って肩を寄せてみた。
「アスラン?」
顔を覗き込むと、とらえたままの手を何だかもそもそと撫でてみたり握ってみたり、何の思考もない様子で弄った。…だのに、表情はわりとふつうにしている。
こういうときのアスランはたぶん、目の前のキラを置いてきぼりにひとり考えに没頭している。
───何があったんだろう。
愚痴がいいたい雰囲気でもなさそうなので、キラもしばらく黙ってアスランのしたいようにさせる。
まさしく今、アスランはいじいじとひとりの考えに没頭していた。つまらない嫉妬心で何日もキラにそっけない態度をとり、あげくそのまま仕事に忙殺され、キラの顔を見ることもできなくなって。
疲れが溜まるごとに後悔が押し寄せて…。
キラに対して空回りをし続ける自分に呆れるあまり、キラ自身にとてつもなく慰めてもらいたい気分に、落ち込んでいた。

───どうしよう…キラにキスしたい…。

二度目のザフト脱走から、アスランは何度かはずみのようにキラにくちづけをしている。その度に彼がどう思っているのかは知らないが、今日ははっきりと自分にキラへの恋慕がつのっていることが判っているので“それはまずい”ような気がしている。
「甘えたい? アスラン」
「え…」
堪えるのに一生懸命で、一瞬いわれたことばが理解できず惚けていると、その隙にぐいっとキラに頭を抱き寄せられた。
「ぼくたち家族なんだから」
「……………」
その顔を見れば、キラは楽しそうに笑っている。
「いつでも“お兄ちゃん”に甘えていいよ」
してやったりと嬉しそうな笑顔のキラに、ついにアスランも吹き出した。
「…莫迦いうな…!」
表情の緩んだアスランの頭を、キラがふざけて子供にするように撫でる。やめろよ、と笑いつついって彼の腕を引きはがすと、アスランはようやく少し、元気が出てきた。

「……キラが久しぶりだなぁと思って」
「ん? …そうだね…。少なくとも十日くらいはまともに話してなかったかな」
キラが考えに泳がせた視線をアスランにもどすと、さきほども見た疲れと艶を含んだ優しい微笑みを湛えて…彼はキラを見つめている。
「アスラン…?」
また途切れたことばを不審に思って顔を近づけると、そのまま彼も顔を寄せてきて、静かに唇を重ねた。
そのぬくもりが伝わるまもなく離れると、すいとアスランは立ち上がった。ワードローブを開けて上着を脱ぎハンガーにかける。それがあまりに何気ないそぶりで、くちづけと思われたものは顔を動かした勢いでかすっただけのことのように錯覚する。だが、間違いなくそうではない証拠に、離れる瞬間、アスランはキラの唇を微かに吸った。その音も耳に、届いたように思う。
背を向けたまま着替えを続けるその顔はキラから見えないが、「もう寝る。おやすみ。キラももう寝ろよ」といった声は、疲れの消えたいつもの声だった。
「うん、おやすみ」
最後まで表情を確認できないまま、キラはアスランの部屋から出て、そのドアを閉めた。