C.E.74 18 May

Scene オノゴロ島軍港・アークエンジェル

もうまもなく、日付を越える。ベッドに据えられている時計を見てアスランは深く息を吐く。
それなりに楽しんだけれど、集った人が多すぎて疲れてもいた。あまり大人数の中で入れ替わり立ち替わり話し相手を変えていると、話題へ思考が追いつかなくなる。そこにいる人が増えれば増えるほど、アスランは煩わしさを覚えて面倒になった。しかし、誰にでも真摯な態度を崩さない彼には、そこで適当に流すこともできず、結局は自分に無理を強いて余計な疲れに見舞われるのだった。
アークエンジェルの中の、かつて自分たちが使っていた士官室のベッドに仰向けになり、もう今日はこのままここで休んでしまうかと考える。まだ眠くはなかったが、かといってそういうときの習慣にしている読書をしようにも、そのための本が手元にない。すでに動くこと自体が億劫になっていたので、早く眠くならないだろうかと考える。
そんなことをぼんやりと思いながら目を閉じていると、ドアの開く音がした。
「やっぱりここにいた」
「……キラ…?」
今夜のメインキャストがここにくるとは思ってもいなかったので、アスランはびっくりして起きあがった。
「あ、ごめん寝てた?」
「いや。…それよりおまえが抜けるにはまだ早い時間なんじゃないか?」
もう一度時計を目にしていう。
「カガリなんてキサカさんに呼ばれてとうに抜けちゃってるよ」
だったらなおさら…、とアスランは苦笑した。
「みんな自由に楽しんでるし。いいんじゃないもう。久しぶりにお酒たくさん飲んだから疲れちゃった」
いいながらキラはアスランの横にきて同じベッドのうえに寝転がった。
「もう休むか?」
生返事をするキラの顔を見おろすと、頬が少し赤い。あまり顔に出るほうじゃないことは知っているので、めずらしいなとアスランは思う。きっと今夜のことが嬉しかったのだろう。
そこではたと思い出して、自身のポケットを探ると一個のデータキューブを取り出しキラに渡した。
「アスラン……。もしかしてプレゼント?」
がばりと起き上がり、無言で差し出されたそれに目を丸くしている。アスランはやはり黙ったまま頷いた。キラの次の台詞を期待して、その顔が少し緩む。
「…何がはいってるの?」
丁寧に両手でキューブを受け取ると、そのままではその中身が見えるはずもないのにじっと視線を落としている。
「コペルニクスの頃の写真、ふたりで撮ったやつ全部」
「………え…?」
「ヘリオポリスで全部なくなったっていってただろ。おれが持ってたのは月にバックアップしてたから。それでこのあいだ…ちょっと整理して」
キラがいつだかフラッシュメモリに移したデータに、収まっていたもの。
「もっと早く思い出すべきだったんだけど。バックアップそのものをずっと忘れてたからな…」
そうだったよね、とキラは笑った。今は息つく暇もなく忙しくなっているアスランには、たったこれだけのものを準備する時間すら貴重だった。それを知っていたキラは、「ごめん、きみからもらえるとか、ぜんぜん思ってなくて」と、少しばつのわるそうな顔をしていった。
「誕生日プレゼントにするほどの内容じゃないよな。でも何か、渡したくて」
キラへの思いをつのらせている今、その彼の生まれた日に何もできないのは嫌だった。
「ありがとう、嬉しいよ」
アスランは心からの笑顔とそのことばに少し照れながら、日付越えてごめんな、といった。時計はいつのまにか0時を過ぎていた。

「アスラン楽しんだ?」
それからつらつらとふたりでそのまま話し込んでから、ふいにキラはそう訊いた。
「え?」
「けっこう早くに席外したでしょ。ちゃんとチェックしてたんだから」
「……………」
ミリアリアたちに攫われてからあと、キラは次々とあちこちで呼ばれてアスランのところへはもどれなかった。そのあいだもずっと視界の端にアスランを入れて、しばらくは彼自身もいろいろな人と話をしている様子を見ていたが、気がつくとずっと佇んでいた場所からいなくなっていた。周りにいた人に訊いても空気のように消えてしまった彼のことは気がつかず、キラに問われてから「そういえばいない」とつぶやく始末だった。
「アスランてけっこう人見知りするんだよね。こういうときもあんまり溶け込まないし」
「……途中でめんどくさく、なってしまって…」
キラの指摘に本音をこぼす。ぼくとはよく何時間でも話してるんだから同じように話せばいいのに、とキラは返した。
「キラと同じように話すなんてできないよ…誰にも」
「誰にも? ───カガリにも?」
「一緒にいた時間が違う。共有してる思い出の数が…違うだろ……」
───思い出だけが話題じゃないのに。
ぼんやりとした視線を落として静かに告げてくる相手を、キラは訝しむ。たとえそれが本音だとしても、アスランはふだんそんなことを明かす人ではない。もっと…───前向きな思考の切り替えを、するはずだ。
「思い出がある分だけおまえのことを知ってるってことだよ」
それはそうだろうと思う。とくに自分たちは兄弟のようにいつも一緒にいたのだから。
「知ってるってことは、何を考えてて…何を話したいと思ってるかとか。何を話したら喜ぶかとか…逆に避けたほうがいい話題はとか」
「それ、他の人ともめんどくさがらず話をたくさんしないと、いつまでもそんなふうに判らないってことだよ?」
そのことばにアスランは考えるように少し間を置いて、ごろりとベッドに寝転んだ。
「うん。いいんだ」
「いいの?」
「キラがいればいい」
「……………」
「キラがいるから。…いいんだ」

キラは返答に困った。

「兄離れしない弟をもった気分…」
大仰にため息をついてみせながらそう告げれば、「ああそれ、昔おれがいつもキラにそう思ってた」とアスランはいった。
つい笑いがこぼれるが、次の瞬間には、どうも沈んだ様子がちらちらと見えることが心配になる。
「アスラン、どうしたの。どうか、したの?」
思い切って訊いてみるが、無言を返してくる。
「疲れてるんじゃないの」
「……大丈夫だ…」
疲れていないはずはないと思うし、アスランの「大丈夫だ」はアテにならないこともよく知っている。
下手をするとこの幼馴染みは、自分にすら何もいわないままどこかへ突き進んでいることがあるので、キラは細心の注意を払って見ていなくてはならない。
このところのどこか、微かに思い悩んでいるような様子には気がついている。こちらから訊ねればその多くは明かすのに、大丈夫、何でもないを繰り返すことが増えているような気がする。
「……………」
自分が力になれないことに胸が締めつけれられた。
その切ない気持ちに、久しぶりに、涙腺まで緩んでくる。本当に涙を落としたりは、もちろんできないけれど。
横たわるアスランの隣に身体を寄せて、キラはそっとその額にくちづけをした。
それから目を合わせると、アスランはほんの少し驚いた顔でキラを見あげている。
「昔ぼくが落ち込んでると、アスランはこうやって慰めてくれた」
他の意味がないことを知らしめるように、昔話に乗せた。
「変だね…キスされるだけなのに。なんで安心できるんだろうね…」
「……………」
唇にかかわらず、その身体のどこかが触れ合うだけで慰めになることをふたりは知っている。それはほかの誰よりも、今目の前にいる互いからしか得られないことも。
「不思議だけど、アスランも同じならいい」
そうして得られる安心も、胸を締めつけるこの切なさも。告げることのできない哀しみがキラを襲う。
キラは自分から目を逸らして震えそうになる睫をごまかそうとした。ほんの三十センチほどの距離にあるアスランからの視線をどうにか避けたいとも思うのに、身体はそこから離れたくないといっている。

───このままだと、泣いて、しまう。

ふいに、アスランの左手が伸びてきてキラの右頬に添えられた。合わせたくない視線をもどされて戸惑うが、逆らうことはしない。がまんしているのを気づかれたくなかったので。そうするともう片方の手があがり後頭部の髪へ差し込まれ、優しく、押された。アスランのほうへ。
互いの鼻先が触れた。影で深い色になったアスランの瞳の翠がきれいで、キラはそのまま目が離せなくなる。さらに顔を引き寄せられて、唇と唇が触れ合った。二度小さく啄まれ、キラの頭を抑えていた力がなくなり、その手は絡んだ髪を梳くようにして離れた。
キラが少し身体を起こしてアスランの顔を見ると、アスランもどこか泣きそうな表情だった。それなのに、優しく、柔らかく、微笑んでもいた。
「おでこじゃちょっと足りなかった」
アスランはいいわけをしてから、ごめん、といった。
「ありがとう、キラ」
今度は身体ごと優しく背中を抱きこまれ、母親が子供をあやすようにぽんぽんと叩かれる。
「……うん…アスラン…」
キラはいつのまにか自分が慰められるほうになっていることに少し笑った。
自分が泣き出しそうな気配など、アスランにはぜったいにごまかすことなどできないんだ、と今更ながらに実感していた。