Evergreen 3


C.E.75 27 Mar

Scene メンデル〜ザフト駐留基地

「フラガ、…さん」
自分を呼んだ少年はおそらく「少佐」と階級で呼称しようとし、一瞬詰まった。
スムーズに「フラガさん」とその口から出てくるまではもう少しかかりそうだなとムウは苦笑する。この状況で、もう少し打ち解けてくれもいいんじゃないのかと思うが、目上の者に対しての態度はとてもはっきりとしていた。気安い質のムウには「窮屈じゃないか」と思うこともあるが、キラによればこれが彼の“ふつう”だから気兼ねしなくていいと最初にアドバイスをもらった。
キラの幼い頃からの親友だという彼は、そのキラとはだいぶ様子が違っていた。自分自身をよくもわるくも律していて、おまけに絵に描いたように真面目だ。いや、真面目すぎた。誠実で真面目だからこそ、自軍の長である父親の行いが納得できないのだろう。割り切ることができないあたり、コーディネイターといえども年相応の少年としかムウにはみえない。
とはいえ、プラントでは彼はすでに成人年齢だ。責任の重さというものは十分に学んでいるだろう。ましてや軍にも志願したのだから学ばずとも識っているはずだ。いまのこの状況は──自軍から離脱した者らで集っているような状況は、望んだこととはいえ、真面目な彼の責任感を思うとだいぶ神経に負担だろうな、と同情する。
「よう。マリューか?」
ムウは“ここ”へ、ストライクできた。その位置までは特定できるから、ムウが気にしていたこの場所にいるだろうとあたりをつけた彼女が、アスランをわざわざ呼びによこしたのだろう。
「はい。端末もっていないですよね? 何度かコールしたそうです。心配、しています」
「あー、そっか。忘れてた、すまん」
ムウと、今やってきたアスランがいるここは、寂れた遺伝子研究所の一棟にあるユーレン・ヒビキのオフィスだった部屋だ。
ユーレンの研究内容なぞそもそもが門外漢であるし、そこにある研究資料を読んでも解ることは少ない。が、父親のクローンだと自称してきた存在の確かな証をその目にいくつかでも焼きつけなければ、到底起きた出来事を飲み込むことができない。ただなんとなく、そうした未練がましい疑念がムウの足をそこへと運ばせていた。
目の前にいる少年は彼の部下だったというから、彼の人となりを近くで見てきたのだろう。それをあえて訊く気はないが、“ここ”にある出来事にはアスランにも、いろいろな意味で深く関わっていることなのだとムウは思った。
『アスランくん?』
ザザッという雑音とともにアスランがもつ通信機からマリューの声が聞こえてきた。アスランがマイクをオンにする。
「はい、ラミアス艦長」
『彼はいた?』
「ええ。ここにいます」
アスランは少しゆるんだ表情でムウをちらりと見た。それへ頷き返す。
───まぁでも少しは、この子もおれに気を許すつもりはありそうだよな?
その育ちのことも考えれば、感情を押し殺すかなり読みにくい型だろうというのが第一印象だったが、実はちょっとした揺さぶりに弱く、殺しきれない気持ちがぼろぼろとこぼれだしてくるような子なのだと、もう気がついている。愛情が深く庇護したい者のために、本当に一歩おとなにすすんでしまっただけという感があった。
『そう。じゃあ、頼んでおいて申し訳ないんだけど、またすぐにもどってくれる?』
通信機の向こうのマリューの声がほんの少し硬かった。
「かまいません。何かありましたか」
アスランもそれを感じたのかそう返すと、キラくんが──とマリューがいいかけた。見ていたアスランの表情がすっと消える。
『…あなたを呼んでいるの。行ってあげてくれる。ムウも一緒にもどって』
アスランが判りましたと返事をする横で、ムウも「ラジャー」と返す。艦との通信をそうして切ると、アスランが促すようにムウを見る。
「なぁ、アスラン、今じゃなくていいんだが」
その場を動きながらムウはアスランに頼みごとをした。何も、もっと打ち解けてほしくてそうするわけではない。この頼みごとをするには、いまも聞いたとおりキラとの関係を考えると彼が適任だと思うからだ。
「今度もう一度、ここへ一緒にきちゃくれまいか」
アスランは「え?」とかすかに声にもらしてムウを注視した。
「……ここさ。ものがそのまま残っていすぎるっていうか…。その、キラのこと」
ムウとの関わりとともにラウ・ル・クルーゼが示した、キラの出生。
「いや、やつのいったこともまだ半信半疑なところがあるし。だから一応証拠を調べてから、な。…おれたちでちゃんと処分しておいたほうがいいんじゃないか、って思ってるんだが………どうだ?」
ことの重大性というのはまだよく飲み込めていなかったが、キラの両親、ヤマト夫妻がおそらくこれまでひた隠しにしてきたことが、これ以上誰かに知られるのは単純にまずい、と感じていた。
これが人目に触れることで、この先キラの人生にどういう影響を与えるか判らない。コーディネイターとしては成人扱いの年齢だろうが、関係ない。機動兵器の操縦技術が自分よりどんなに優れているとしても。ムウにとってキラは守ってやるべき対象なのだ。そしてこのアスランは、キラをそうしてずっと守ってきた人間のひとりだ。
「…ぜひ、手伝わせてください」
アスランは静かにそう返答した。


「フラガ一佐」
その声が、思い出していた過去と重なった。彼は状況とはいえ相変わらず堅苦しくムウを階級で呼称している。そういえばあの頃は、結局ちゃんとさん付けで呼べるようになってくれたんだったっけ?と振り返る。考えと一緒にその体をくるりと反転させた。モビルスーツ格納庫の入り口にアスランが真っ直ぐな姿勢で立ってこちらを見ている。
「どうかしましたか」
「いや、見てたんだよ。ストライクフリーダムを、な」
庫内で駆動音を響かせる機体から視線を外し、ムウは片手に触れていた壁を押してアスランの立つ場所へと進んだ。入り口の縁を使って無重力に流れる体を止め磁場のある床に足をおろし、彼の横に並んで立つ。そこからもう一度フリーダムを見上げた。
「このカラーリングは初めて見たなぁ。電圧配分はどうなってるんだ?」
「以前と同じですよ。素材や電荷量に関係なく装甲面の発色を百パーセント制御できるようにしたんです」
VPS装甲がアクティブモードのフリーダムは、白と濃灰のツートーンになっていた。一部アクセントに赤も入っているが、全体的に白い面が増やされてザフトでいう“隊長機”のイメージが強くなった。聞けば、アスランが開発を主導した新機能で、ここでのテストが終わればオーブ軍にも技術が共有されるとのことだ。彼自身が乗るインフィニットジャスティスの色はどう変えるのか訊いたところ、それはいまのままでと素っ気なかった。おそらく頓着がないか、今の紅が気に入っているのだろう。
彼の説明を聞き終えてもそのままフリーダムに目を遣り続けるムウに、アスランは「心残りがありますか」といった。これは機体ではなく、機体の中にいるキラのことをいっている。
「本当はキラの様子を見にきたんでしょう」
「はは…まぁ、そうなんだけど。おまえさんも、ここでどうしてるかと思ってさ」
ムウは再開発計画の視察を口実にして二日ほどまえにこのメンデルへ来たが、もうあと一時間後にはアプリリウスへもどるシャトルに乗らなければならなかった。
「なんだろうなぁ、親心みたいなもんだと思ってくれよ。余計な心配とは思わずに」
そんなふうには思いません、とアスランは柔らかく微笑んだ。以前から落ち着いた子ではあったが、この頃はさらに余裕まで感じさせる。そんな笑顔だった。
「適当な用事つくって来たはいいけど、なーんか適当だったはずがさぁ…なんやかんや時間とられちまって。結局あんまり、きみらといる時間つくれなかったな」
「機会がまだいくらでもあるでしょう…」
でも───と、アスランが続ける。
「そのまえにキラをオーブにもどすかもしれません。気が付かれたんでしょう」
「…まあな……」
安定しきったアスランに対して、キラの様子は“おかしかった”。身近な者が気にして見ていたら気づく程度のもので、場合によってはムウも見過ごしたかもしれない。そのくらいの小さな違和だ。
会話するぶんにはいつもどおりだ。それに、アスランがいつも傍にいることも気づかせるまで時間がかかる要因だったとは思う。だがほんの二、三度、キラがひとりでいる状況に出くわしたとき──虚空を見るあの表情に。
「…覚えがあるんだよ。まえの戦争でな」
出会ってから──マーシャル諸島でキラが消息を断つまでのあいだ。戦争に巻き込まれた子供の重圧なのだろうから、この様子はあたりまえだと軽々に見過ごしていた。その実は彼がもっと重い板挟みにあって、幼馴染のこのアスランと戦っていたのだと。キラは誰にも何もいわず、ひとりで耐えようとしていた。その頃の微かな仄暗さが、どうしてかいまのキラとだぶって見える。
「おれはあいつに信頼されるような人間に、なれてなかったんだなぁ…」
思い悩むことのすべてとはいわないまでも、明かして相談してくれていたのなら。昔と重ねて、あとで悔やむようなことになるのが嫌だった。だが、彼を重くする何かを明かす相手はキラ本人が決めることだ。選ばれないもどかしさと苛立ちと、それでも何かをしたいという焦燥感と、結局ムウはここへ来たときと同じ気持ちのまま帰ることになってしまった。
「そういうことでは、ないでしょう。あれはキラ自身の問題です。昔は…あんなふうに抱え込むようなやつじゃなかった」
意外にも同じ気持ちでいるらしいアスランのことばに、ムウは驚く。
「……きみにも何もいわないのか、あいつは」
「ロマン・ジェリンスキの件がだいぶ堪えてるということぐらいです。といっても、今キラの周囲にある問題はそれだけなので」
つまりは、相談もなにも、近くにいるから判っている程度のことなのだとアスランはいっている。ふたりで考えているというロマンへの対応策などは、アスランがカガリへのホットラインで報告をしているとは聞いていて、“キラがひとりで抱えている”ような状況ではないことが明らかだ。
「……一応聞いとくが、夜のほうはどうなんだ?」
「─────」
ムウの突然の振りに、アスランから息を飲む気配がした。さきほどからふたりは目の前に立つフリーダムを眺めながら話し、あまり互いの顔を見てはいなかったが、ムウは気を遣って殊更にいまはアスランを見ないでいてやろうと思った。
「………とくに何も」
彼はからかいのネタではないと理解はしたのか、無視したりはぐらかすことはせず、だがことばを選びに選んだかのように返答をよこした。
キラの過去について、ムウはフレイ・アルスターとの“仲”のことを思い起こしていたのだ。ひらたくいってしまえば友人のガールフレンドを寝取ってしまったわけだ。兵士が肉体的手段でストレス管理を行うのはめずらしいこととはいえない。ただ、彼の性格とも思えないそんな行為をしてしまうほどに彼女を必要とした状況は、やはりそれなりに彼が異常に陥っていたといえるだろう。
うまく隠そうとはしているようだが、そんな頃の雰囲気をわずかでも感じさせる今のキラが、同じフィジカルな手段に頼っていることは十分に想像できる。アスランがフレイのことをどこまで知っているか定かではないからそのまま訊くこともできないが、遠回しに訊くこともできない話ではあった。
「直球すぎてわるかったな。いや、なんか様子が判りやすいとこだと思ってさ……ちゃんとしてるんだろ、きみら」
「…これ以上その話をする気はありません」
頑ななアスランがムウには相当な奥手にみえて異なる心配が過ぎったが、「何もない」というのであれば、おそらく大丈夫なのだと思うしかなかった。
ムウはやれやれと頭をかき、それでもアスランとこの場でした会話で彼自身の様子には問題がないことは飲み込めた。
「おまえさんのことも心配だったっていうのはさ。ほら、ちょっとまえにおれに聞いてきたことが、こないだキラがマリューに聞いてきたこととなんだか符号して、」
「はい。通信記録は見ました」
知っている、とすぐに口を挟んだアスランの顔をまじまじと見つめた。ログに残ることは了承済みだと本人もいっていたが、まさか本当に監視をしていたとは。
「おい…おまえさ……、アスラン」
「キラは承知です。……それから、彼を庇っていうんじゃありませんが、キラはああみえて抱え込んだり隠したりしないように、努力してるんです」
下手には違いないがとそのあとにアスランは付け足して、「だからそれ以上のことは暴きようがない」と、諦めているかのようにいった。ことばのうえだけでは。
「ただ、いまはキラの傍にいて、何があっても即応できるようにしています。キラが思い悩むような火種は検討がつくし、可能な限りそれを消すこともしてきました」
滔々と続けたアスランはそれから「フラガさん」と、ムウを呼んだ。

「あのときこのメンデルで、あなたとここで得た秘密を処分した。…あの日からずっと、そうしています」
「……………」

──ああ、そういうことか──本当に、彼は。
「感謝しているんです、あのときおれに付き合わせてくれたことを。あの時点ではおれは、あなたにとってただの他人だったと思います。キラのためだったかもしれませんが、それでも。──関わらせてくれて、ありがとうございます」
ムウは目の前の青年の想いに打たれていた。彼はキラのために一歩おとなに進んだだけではなかったのだ。あの日を境に、男にさせてしまっていたのだ、と。ムウはいま知った。
「…おれは、さ。知らなかったよ。もう、ほんとに任せてていいんだな…」
唐突なムウのものいいに、アスランは少しだけ困った顔をした。
「キラは相変わらず心配だよ。でも、何があってもおまえさんが守る気でいるんだな。だから任せるよ」
頼んだぜ、とアスランの肩を叩く。彼はまだ少し釈然としていないようだが、頼まれたことには素直に「判りました」と返事をしていた。

それからしばらくそのままアスランと雑談を交わしていると、フリーダムの駆動音が変わり機体がディアクティブモードになった。中にいるキラが、なんらかの作業を終わらせたのだろう。まもなくふたりが見守るところから彼が顔を覗かせた。
「ムウさん!そろそろ時間ですよね!?」
いわれて時間を確認すれば、確かに出発の準備をするべき刻限となっていた。時計を見ているあいだにコックピットから降りてこちらへ近づいていたキラに、アスランが手を伸ばして受け止める。
「勢いをつけすぎだぞ、キラ!」
距離に対して蹴った力の強さに文句をいい、それでも手を差し出すアスランの慥かさに感心も呆れもした。呆れるとはつまり、アスランが止めると知ったうえで蹴ったキラを、それをまた知っていながら手を差し出す甘やかしのことだ。仲を知っているから気になるだけなのかもしれないが、人前での近すぎる距離感がムウは心配になった。
「おいこら、きみたち。ここ隊の規律はどうなってんの。出向先で困るよ、そんなの」
キラはなにをいわれたのか理解していない顔をみせていたが、その横でアスランは苦笑いをする。
「キラはちゃんとやってますよ。大丈夫です」
いや、おまえも含んでの苦言なのだが、とムウは思ったが、時間がないと仕方なくとりあえず置き、そのまま見送りについてくる様子のふたりを伴って格納庫をあとにした。

歩きながら、ムウは用意してきたデータメディアを制服のポケットから取り出しアスランに手渡す。メンデルへ行くといったらキサカが託してきたものだ。
「時間があれば直接報告しとこうと思ってたんだが、ちょいとばたばたになったからな。あとで見といてくれ。エヴァグリン関連の最新情報だ」
「……………」
キラが押し黙って表情を変える。ムウはその反応を気にしてアスランにそっと視線を送ると、彼もこちらを見てすぐに逸らせた。
「簡単にいっておくと、どうもエヴァグリン疑いのテロはもう証拠がでそうにないってことでな。内偵とかいろいろ進めてるうちに、どうやら“本当に”エヴァグリンは指示していないかもしれん、と」
「───じゃあ、一体誰だと…」
アスランが難しい顔をしてつぶやく。
「疑いがかかった所以は無視もできない。つまり、エヴァグリンであってエヴァグリンでないものだろうさ」
───ロマン・ジェリンスキ。
彼と組織が繋がっている確たる証拠もこれまでにあがらなかった。だが、ユニウスワンでロマン自身が関わっていることをにおわせている。ムウは足を止めて、同時に止まったふたりを見て続けた。
「ヘッカーリングはシロだ。彼は一連のテロ事件に対して組織内で少しでも関わったと思しき人間たちを切り始めてる。今までのような体面を気にした尻尾切りとも違う。…どうやら本当に、疎ましく思っているようなんだ…」
エヴァグリンとその周辺でなにが起きているのか、はっきりと判ることはなかった。だが、確実になにかが起きて、事態が動こうとしている気配がある。ムウはそんな予兆めいたことを告げてその場を去った。

───そして、その晩。
メンデルはハイペリオンの強襲を受けることになったのだ。


C.E.75 27 Mar

Scene L4スペースヤード・デーベライナー

「───キラ?」
はっとして顔をあげた。さきほどから二度も名を呼ばれていたことを耳では聞いていたのに、頭まで届いていなかったようだ。
「あ、ごめん。なに?」
少し心配げな面持ちでアスランがこちらを見ている。
「ジャスティスの調整に出てくる。キラも行く?」
「……もう少しこれ読んどく」
“これ”とは、昼にムウから渡されたエヴァグリンに関する新たな情報だ。内容としてはムウが立ち話で説明してくれたことが全てで、こと細かな経緯説明や傍証、裏付けといったものが堅苦しくまとまっているだけのものではあった。いったんは最後までアスランとともに目を通したが、考えながらもう一度読んでおきたいとキラは思っていた。
「判った。できるだけ早くもどる…ちゃんとおとなしくしてろよ」
アスランはそういってドアを開け、返事をしなかったキラを振り返る。いちいち小言めいている彼に舌を出して返すと、苦笑して出ていった。
だがしかし、そのあとキラはデスク端末の資料に目を落とすことをしなかった。
片手を口のあたりにあてた格好でぴくりとも動かず、視線は空に留めたまま。頭の中といえば実は忙しなかったけれど、正直なところその考えのほとんどは資料から逸れたことだ。
───ぐるぐる同じところを回ってるな…。
考えが膠着状態に陥っていることを自覚する。
キラは立ち上がり、部屋を出てラウンジに向かった。とりあえず気分を変えて、思考も切り替える必要がありそうだった。

たとえ艦内でも、ひとりで出歩くとアスランに怒られることが今でもある。だめなときといいときの判断はよく判らない。
艦内各員の再チェックなど、アスランからみて気になるような人物の洗い出しや対応は、ルナマリアの協力も得ながらとうに済んでいるだろう。いまはスペースヤードのザフト駐留基地内にデーべライナーが碇泊している状況で、部外者の出入りをすべて遮断してもいるし、アスランがそこまで警戒し続ける理由は本当に不明だ。
キラの安全を担保するための行動を彼は怠ることなくいつのまにかすすめてくれているらしいが、「おれのやることは気にするな。キラはキラの仕事をしろ。おれもそうしているだけだ」というので、いわれた通りあまり気にしないようにしている。
今回はアスランのほうから目を離しキラをひとりにしたのだから、つまりは艦内であれば彼もそう怒りはしない。それが判ればとりあえず十分だった。

時間としては夕食後のひとときといったところ。第五デッキのラウンジはオフタイムの兵らがまだまばらに残っていた。
「──あ、隊長」
なかへ入るとひとりで壁際のベンチに座っていたシンと目が合った。
彼には最近チームをもたせたので、ひとりでいるところを見かけることも少なくなっているが、ちょっとした休憩時間はルナマリアといるか、ひとりのことが多いようだった。
目が合ってすぐに声をかけてきたということは、なにか話したいことでもあるのだろうか。気分転換にきた理由もあるので、キラはそのまま真っ直ぐシンに近づいた。一応は礼をとる様子で立ち上がりかけたシンを制して横に座る。
「…食事したんすか。食堂にいなかったですね今日は」
「ああ、うん。部屋で摂ったんだ。ちょっとオーブからきた情報読んでて」
「情報?……そーですか…」
アスランがいれば軽々しく部下に話すなと目くじらをたてるところだが、情報の内容まで話すわけではないから構わないだろう。シンだって弁えて訊いてきたりはしない。
「隊長、訊いてもいいっすか」
「うん。……あれ?」
「え? あの、昨日今日きてた大使館の人…」
「あ、そっちね」
予想に反したかと思ったがやはり情報の中身についてはスルーだ。
「なんなんすか、あの人。オーブ大使館にいた人ですよね」
「なんなん、ていわれても。大使館の人ですよ。見たとおり武官の参事」
そういえば大使館へシンを連れて行ったことがあったと思い出した。あのあとアスランからメールで小言があったが。シンをムウに引き合わせるなんて、と。
「なんかすげー馴れ馴れしかったんですけど。『今日は時間ないからおまえとはまた今度な〜』とかいわれて。知り合いかよと思いましたよ」
「ああ……。なるほど」
先の大戦での因縁があることにシンはまだ気がついていない。聞いた様子ではムウ自身隠すつもりはないようであるし、自分が明かしてもいいか、とキラは思う。いい頃合いだろうし、キラが話すことでシンがいきなりムウに殴りかかるという事態は避けられる。
「あの人はね、ムウ・ラ・フラガ一佐。元地球連合軍パイロットで、いうなればぼくの最初の同僚…てか先輩かな。当時彼はモビルアーマー乗りだったけど。右も左も判らなかったぼくにいろいろしてくれた、恩人だよ」
シンは「へー」と気のない相槌をしたが、パイロットと知って興味をわかせてはいるようだった。
「第二次ヤキン・ドゥーエでMIAになってね。そのあと生きてはいたんだけど、ファントム・ペインで指揮してたんだ」
「え?」
「ファントム・ペイン」
キラは繰り返しそういってシンの顔を意味ありげに見る。彼は瞠目して口を開けたままになった。もう察しただろう。少なくとも一度、当時の彼と対面はしていたそうだから。
キラはシンの怒号や問い詰めを覚悟していたがそれはなく、二、三度まばたきをしたあと開いていた口をぱくりと閉じた。
「あいつ、“ネオ”……」
「うん」
「……………」
それからシンは正面へ視線を外して黙してしまったので、キラは勝手にムウの話を続けた。ロゴスに洗脳されて使われていたこと、三隻同盟にもいたこととその経緯。…レイ・ザ・バレルとの関わりについては迷ったがとりあえず今回は省くことにした。急には情報量が多すぎるだろう。
シンはそのあいだずっと黙って聞いていた。しかも、伝わってくる彼の心はなぜか凪いでいる。
「……怒ってないの、シン」
「おれはあんたも許した男ですよ。──あ、いや。百パーは許しちゃいないけど」
百パーじゃないんだ、とキラは心のなかで思いつつ、「彼を許せるの」と訊いた。
「…おれ、オーブ軍に恩人がいたんです」
訊いたことに真っ直ぐ答えなかったが、キラは先を促すように口を開かずそのまま聞いていた。
「家族を一気に失くしたあと、いろいろ考えてくれて。最後はプラントに移住する手配までつけてくれた人で。…ただその場に居合わせたってだけだったのに」
「……………」
「そんで、去年オーブに行ったとき、また会えないかなってちょっと思って。アスランとかに頼んで探してもらったんだけど」
キラはそこまで聞いて話の先がみえ気鬱になったが「戦死してた?」と先をとって訊ねた。
「………おれが沈めた艦の艦長やってたって」
「……………」
ことばがなかった。前線任務ならよくある話なのだろうが、割り切れる者などそうはいない。
そのあとシンはその恩人の家族に会ってみることも考えたらしいが、あわせる顔がなく結局やめた、ということだった。
「……まぁつまり、そういうことです。あの人許すとか許さないとか。どの口がって話ですよ」
そりゃあまだ感情が追いつかないから、やっぱり百パーじゃないんですけど、とシンは続けていった。
キラは視線を足元に俯向けてシンを慰めることばを探してみた。気持ちが判りすぎて、過去のいろいろなことが頭を過ぎってしまう。たくさんの人を殺めて、その周囲にいた人たちのこともいくらか知る機会はあって。バルトフェルドのような敵対関係だった者も知ったがために、敵ゆえに最後は許される理由になってしまうことがあるのも戦争なのだと。
「そういえばムウさんが昔いってたな。敵のことなんて、知らないほうがいいんだ……って」
「……敵、か……」
「うん」

「敵になってたことにも、気がついてなかったな」

キラはシンのそのことばにずきりとしたものを感じた。心臓が嫌なリズムで早鐘を打つ。
「───っ……」
「………隊長…?」
冷や汗が額を滲んできて、苦しさにきつく目を閉じる。……まさか、たかだかそんなことで、と。
「…………なんでもない、だいじょうぶ…さわがないで…」
過去の感情を刺激されたのだった。フラッシュバック症状が悪化している。キラは堪えて波をやり過ごす。それよりも、こんな人目のある場所でシンがすぐ横でオロオロとしているのがまずい。
キラは立ち上がり足早にラウンジを離れた。シンが追いかけてくる。
「──隊長!」
「……静かにしてって、いってんの…!」
「……………」
歩きながらキラはだいぶ落ち着いてきたが、シンは心配そうにしてそのまま指揮官室までついてきた。
「ごめん、もう大丈夫だから」
ドアのまえでそういってはみたが、彼はすぐに引き返そうとしなかった。それはそうだろう。
「…あの…、訊いてもいいですか」
「ぜったいだめ」
「……………」
「もう行きなよ。まだアスランに謝ってないんでしょ。彼、もうすぐもどってくるよ」
この空気感のままアスランに見つかるのがまずいのはキラも同じだ。キラはシンを早く返そうとするが、動こうとしなかった。
「しょうがないな…。行く気がないならここでアスランに土下座してもらうけどいいの?」
「は? いいわけないっしょ。てか、なんでそういう話になんです?」
シンはぎゅっと眉間に皺を寄せ、苛つきはじめる。キラは大仰にため息を吐いた。
「あのさぁ。ムウさんは許せてなんでアスランはだめなの」
「そんなの、あんたやネオを許すのとワケが違いますよ! あいつは──!」
キラの冷めた視線に気がつき、シンはそこで止めた。顔を逸らせて黙り込む。キラは、シンがプライドを傷つけられてアスランに怒っていることまでは思い至らず、アルテラ事変以来、ただの子供っぽい反発を続けているのだと捉えたままだった。
「……そろそろどうにかしてくんないと、ほんとに作戦から外すしかなくなるよ」
「判ってますよ」
「判ってないよ」
「……………」
タイミングがいいのかわるいのか、そのとき通路の先からアスランがもどってくるのが見えた。彼がふたりの雰囲気を読んで、少し顔を曇らせる。
「どうすんのシン」
キラが急かすと、シンは一瞬アスランがくる方向を睨んだがすぐにもどし、「おれ、そろそろアラート任務ですから」と告げて、彼が向かってくる方向とは反対の通路へ去っていった。


C.E.75 27 Mar

Scene デーベライナー・指揮官室

待機任務の時間だからと去っていくシンの背中を見つめながら、キラは深くため息をついた。
「……待機室、そっちじゃないし………」
「どうしたんだ」
つぶやいたところでアスランがキラの傍らまでたどりつく。
「どうもしない。…アスランこそそんな顔して。シンとふたりでいたからって妬いたの」
「…その程度でしてたら身がもたないだろう。ただちょっと、気になったから」
キラはアスランの声を聞きながら指揮官室のドアを開け中に入った。
「あいつのことはあまり叱らないでやってくれ」
アスランも続いて入り、ドアを閉めてから心静かにそういった。
「っとに。アスランは優しいなぁ。それとも逆にぼくに嫉妬させようとしてるとか?」
「……なにをいってるんだ、おまえは」
そういって彼は緊張を解いたように肩を落とす。キラはそれを確認して、ドアからすぐのソファにどさりと座った。ひとまず調子を崩したことまではアスランに悟られなかったはずだ。いま疲れた様子をだしたとしても、シンへの心労だと思ってくれるだろう。

まさかあんな簡単な──ひとことで。

アスランと戦っていた過去の感情を引き戻されるとは思ってもいなかった。彼がいなかったほんの一時間ほどで負ってしまった疲労は容易に抜けそうにない。キラは嘆息して背もたれに身体を預けた。
───アスランが一緒だったら、きっと大丈夫だった。
根拠なくそう思う。いや、根拠は、ある。
もしかしてアスランは、キラの精神安定剤のつもりででもいるのだろうか。自分をひとりにさせない判断はひょっとしてそこにあるのではないかと、キラはなんとなく思い当たってしまった。
仰向いてすぐ横に立つ彼のほうへ顔を向けると、アスランはキラの様子を窺うように首を傾げこちらを見ていた。目が合うと、ことりと逆へ傾ける。表情は穏やかだったが、その目元だけが心配を少しのせている。
「大丈夫か、キラ」
目を細め、気遣わしげにアスランが訊ねる。優しい声が耳と心に心地良くてキラはほっと息を吐いた。数年前この場所にいたときも、こんなふうにアスランだけがキラを落ち着かせることができた。彼はそれを覚えていたのだろうか。それは、そうだろう。あれだけあからさまに縋っていたのだから。
「大丈夫だよ…アスラン……」
口先だけで返しながら、あの頃に物懐かしさを感じてキラは手を伸ばした。
「キラ? 疲れたなら、もう…」
アスランに届いた瞬間に、黒服の袖を掴んで強く引き寄せる。
「──寝るか?」
引っ張られるに任せたまま話しかけていたアスランは、キラの耳元のゼロ距離で最後のことばを囁くようにいった。まったくのことば通りでそういった意味でいってはいないと思うのだが、今はキラの心がそれを誘惑と受け取りたがっている。彼の首にしがみつき、自分の体を横に滑らせ傾けた。されるままだったアスランは、キラに乗りあげそうな体をソファの背に置いた片腕と座面に乗せた片膝で支えて止まり、顔を寄せた目の前の耳孔をひと舐めしてきた。キラがその感触に肩を震わせると、彼は少し笑った声で「誘ってるのか?」とひとこと訊き、耳朶を啄み口に含んで弄い始めた。
「……ん…」
答える気もなかったが、思わず喉から漏れた音はどこにも否定を含まない。しばらくアスランをそのまま好きに遊ばせてから、前触れなく肩を少し押し止めた。
隙間の時間のちょっとした戯れだと彼は思っているようだった。視線を交えると、気が済んだのか、と問うような翠色がキラを見つめる。
「まて、まだロックかけ──」
再び強引に頭を両手で引き寄せて、キラははじめから深くくちづけをした。目を見てキラの意図を察したアスランが何かをいいかけたようだが、今は瑣末事に気を取られていてほしくない。キラは懸命に誘いをかけた。

舌を絡ませながらアスランの口の中をひと舐めするごとに、体を支えている彼の腕と肩から力が抜けていく。体重をキラに乗せて、背や腰へ腕をさまよわせはじめるまでそう時間はかからなかった。
「…キラ……」
唇が一瞬離れたときの熱い息で名を呼んで、今度は彼がキラの口腔内を侵し始める。けれども仕掛けた強引さに便乗するのではなく、あらためてゆっくりと唆して、キラの誘惑よりも淫猥に煽り立ててくる。唇を外さないまま、組み敷いた体の膝をゆっくりと割って動き、それによって浮いた膝の裏から臀部まで大きな掌が撫であげた。そのままその手がキラの真ん中で不埒に及んで、アスランの上腕を掴んでいた手に思わず力がこもる。
「…ん………っ…」
苦しげに聞こえた喉声を受けたのか、少し緩んだ舌の動きは掠れた音の息継ぎを挟んでから唇の裏側をなぞっていく。下唇をやわく咥えてそこも舌で辿り、そうしてけしかけておきながら、求めて蠢いたキラの舌を宥めるように押し止めてくる。
知らずに送られてきた唾液を飲み込んで喉が動くと、アスランは唇を放さないままで深く息を吐いた。些細なことで昂る彼のかわいさに背を抱けば、掌に伝わる体温がほんの少しばかり高いと感じてキラも昂揚する。
もっと──と、いうように全身でせがんで口説き、何度も絡め合って吸い合って、もうあとに引けなくなったとキラが感じはじめたところで、アスランがふと唇を離す。まだ吐息のかかる距離にあることが判ってキラは続きを待った。
「キラ、ほんとになにもないのか?」
「え」
通常の会話と変わらない声音でアスランが訊いてくる。その声に気をもどされてキラは閉じていた目をぱちっと開け、覆い被さったままの彼を仰ぎ見た。
「………っ!」
目が合った瞬間、制服の裾から忍んだ手がキラの形を確かめるように包んで強く動く。アスランは話を続けつつも手を休める気はもうない様子だ。それに安堵しながらも、正気ぶった視線のまえで乱されてキラは必死に取り繕う。
「なんで…そんな……」
キラの顔を見ていたアスランが一瞬下方に目をやり、もどして薄く笑む。キラが真似をして彼の裾から手を入れたからだ。
「そうあんまり、心配しなくても…大丈夫だから…」
ことばと一緒に手にあるものを柔らかく揉みしだくと、アスランは素直に感じて息を詰まらせる。それをごまかすかのようにキラの唇を一度吸ってから、そうじゃなくて、と続けた。
「フラガさんが夜の心配までしてきた」
「………なにそれ」
ただの出歯亀じゃないのかと思いつつ、キラはようやく、ムウが突然予定をつくって視察にきた理由を知った。おそらく元はマリューにした通話だ。
「それで…なんか答えたの」
「…まぁ、ご心配なくみたいなことを」
ガードの堅いアスランにそんなことまで訊くとは、ムウの意気もたいしたものだ。ただ、それだけいろいろと心配をかけさせてたことは理解する。彼は、キラがメンデルで任務に就くことを知ったときも苦い顔をしていたのだった。
そんなことを思い出している隙に、アスランはキラの襟を開けて首筋への愛撫を始めていた。軽くくちづけて吸ってを繰り返し、鎖骨にかるく歯をたて辿る。何度か鬱血を残す強さを感じて、無意識に「だめだよ」とつぶやく。それは譫語のようなものでアスランは止める気配もない。擽るように耳の下まで舐めあげられて、ぞくぞくと湧き上がる昂奮にキラもじっとしていられなくなる。顎をあげて彼に喉を差し出しながら、うなじから濃藍の髪に指を差し入れ頭を抱くようにして相手の頬や耳元をそのまま触り続けた。
「……アスラン…は…どう思ってるの…」
あがる息を堪えながら訊けば、アスランは「ん?」と鼻にかかった音を返してキラの首から唇を離した。
「…今日は少し積極的だな、くらいかな。それは歓迎するけど──」
「うわ!」
抱え込まれた腕でそのまま予告なくぐいと抱きあげられ、キラは思わず声をあげた。アスランは楽しげに笑っている。
実際にはメンデルに移動してから箍が外れているのは、こんなふうにアスランのほうだ。彼曰く、作戦行動中はともかく駐留任務で慎む筋合いはない、だそうだが。
物事の筋道で一線を決められる彼が、この数日ベッドの中で本当はキラに何を思っているかなど計り知れない。キラ以上にキラの状態を察してくるアスランが、当の本人を差し置いて何かを感じ取っているのなら。こうしてメンデルに居ることが今のキラには、本人が思う以上に“よくない”ことだと考えているかもしれなくて。
「…ちょっと…、アスラン?」
「抱えるのでぎりぎりだな。キラ、ドアロックして」
キラの不満な声を無視したアスランは、キラを正面に抱えあげた状態で背をドアパネルに向けた。不服顔をしてみせても、いまの体勢で彼にキラの顔は見えない。同年の男子に軽々と持ち上げられ、同じことをやり返せる自信のないことに深くため息をつく。ぎりぎりといいつつその実アスランから余裕が伝わってくることにも多少苛つきながら、その背中越しに手を伸ばしていわれた通りにした。
軽い電子音が鳴ってロック状態を知らせると、アスランはキラを抱えたままで寝室へ移動する。ベッドの上に降ろされ、ブーツを脱がされ、次にはムードのない雰囲気で上着を脱ぎはじめたアスランだが、キラを見つめた視線だけはこちらが蕩けそうな媚を帯びていた。追いかけて自ら制服の前を外しはじめたキラの手を途中で遮り、甘く笑んでそれを引き継ぐ。
「…アスラン…」
「キラ」
小声に紡いだ彼の名。アスランはすぐに呼び返して応えた。
視線は合わせたままで、艶めいた面差しをキラに向け距離を詰める。横たえたキラの首を片腕で支え、肩から脱がせた制服を背中とシーツのあいだを滑らせて器用に奪い取ると、再び包むようにキラの体に覆い被さった。
体温が近くなったけれど、ふたりともにまだ着衣は残している。最後の最後に小心なキラの気が逸れる。
「…まだオンタイムだった、かも」
「誘っておいてそれか?」
アスランがくすりと笑った。
「気にするな。指揮官はもとからオンもオフもないだろ……」
素肌を直接触れ撫でるようにアンダーシャツをたくしあげ、アスランはゆっくりと顔を落とし、キラの唇を唇で割った。
「───ふ…」
本気になった官能的な舌の動きが、キラの思考を一瞬で真っ白にさせる。ふいに襲われたあの悩乱の痕跡すらも消していく。
唇を触れ合わせたままときおり小さく名を囁かれると、そのことが、意識のすべてをキラに向けているのだと判らせているようで、彼の心がすぐここにあるようで、なにかよく判らない暖かなものがキラを満たす。
これが、愛している、ということなのだろうかと思う。あのときメンデルで、無意識に彼から欲しがっていたものが、そうだったのだと。
「…まえに、ここに、いた…ときのこと……」
思いついたままにでたキラのことばに、アスランが少し心の空気を変えたような気がした。

第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦が始まるまえの、二ヶ月ほどの期間。戦況は大きく動かず、むしろ生命維持に必要な物資の確保のために皆で考えたすえの潜伏場所。とくにメンデルが都合よかったのだ。ずっとそこに留まっていたわけでもないが、まとまった落ち着いた状況をつくることができたのは、続いた戦闘の疲れを癒やすのにも役立った。
けれど、キラとアスランにとっては大きな変化を受けたばかりのあまり思い出したくはない頃だったから、今こうしてメンデル配備を命じられて過ごしながらも、ふたりのあいだで当時の話題をあえて口に出してこなかったのは確かだ。
「思い出したくは、ない?」
キラが訊ねるとアスランは何も答えなかった。が、キラの体を撫でる手を休め、かわりに額に落ちる前髪を指で払い横髪を梳く。そうしながらキラをまっすぐに見つめ、何ごとか考えている表情でいた。
「……ぼくはアスランにすごく甘えてたよね。きみだって小父さんとのことでつらかったはずなのに、ずっと傍にいてくれて、甘やかしてくれた」
キラがいうことにゆっくりとまばたきをして聞き、いい終えれば静かに伏せて視線を左に流した。
「そんなつもりはなかったよ」
低く、静かな声でアスランが否をいう。
「たぶん、きっと…あのときにはもう、おれがただ…」
───キラが欲しくてたまらなくて、離れられなかっただけなんだ。
途中何度かことばを切りながら、それでも迷いのない声でそういった。
それから彼はうっとりとした微笑みを浮かべ、恭しくキラに唇を合わせてくる。薄く開いたキラの口に舌先だけを挿し入れて歯列を舐め、唇を啄むように吸って音を立てる。
くちづけを少しずつ深くしていきながら動きを再開した彼の手は、すぐキラの昂りに触れてきた。刺激にキラの息がすすり泣くように震える。
彼と自分のあいだに手をやって伸ばし、熱く硬くなった相手のものにキラからも触れると、至近距離にあった薄い瞼がゆるりと動いて濃い翡翠を覗かせた。
唇を完全に離すことなく、アスランが囁く。
「……あのときも、こんなふうに、おまえと…」
それは本当に触れ合わせただけのものだった。けれど。
あれほどに満たされたことは、なかった。きっかけはどうあれ、あれは決して心の慰め合いを体に移しただけのものではなかった。
それなのに見ないふりをして遠ざけて、彼にも留まるように強要し。人を愛することを識るまえから出会っていた愛情を、まるでなかったことにするように。
───あぁ……。
やはりここでの過去はまだ触れるべきものではなかったのか。自分の後悔までも思い出してキラは嘆いた。
「アスラン──」
その先のことばが続かない。
どうしてこんなにも竦んでしまうのか、理由など判っている。心に広がってしまった負い目ががんじがらめにキラを縛り付けている。それを許せるのも解けるのも、目の前にいるアスランだけ。でも許されることを望んでいるのではない。罰してほしいのだと昏い思いがキラを占めている。それなのに彼は。
「昔から、今もこのさきも…ずっとおれにはキラだけだ…」
───どうして、きみは……。
涙がひとしずく、キラの頬をすべって落ちた。
それを見つけたアスランが一瞬目を瞠る。だが、その意味を問うこともせずに舌で拭い、キラの中心に絡めていた指を急に激しくした。
「………あっ……や…っ…」
ぞくりと背中を駆け上がる電流に身体を反らせて、背けた顔の片側をシーツに押しつける。動かしている彼の手首を掴んだせいで、おくられる快楽と同じリズムで腕が揺れる。まるで、自分でしているかのように。
「……もう、おれのことだけ考えて……」
微かな苛つきが滲んだ声で告げたアスランの瞳からは、それまでの愛撫に感じていた慈しみや暖かさが消えていた。強慾とも呼べそうな、それは欲張りに飢えた切望だった。
その証に、続いたくちづけはただ激しくて、溶かすような誘いなどもう忘れたかのようにキラを煽り奪っていく。申しわけ程度で体に残っていた衣服も剥がされて投げ捨てられた。それでも彼の変わり身に恐怖を感じないのは、アスランの希いに応えたい奥底の想いのせいだろうか。
───いえたらいいのに。いえばいいのに。
その、心を。けれどキラの口から零れるのは、なにも表さない淫らな声ばかり。それに焦れたのかそれとも煽られたのか、アスランもそのあとは意味をもつことばを忘れ、口と躰を使ってキラを翻弄するだけになった。

ゆっくりとした動きでアスランがキラの中を掻き回す。
「…アスラ…ン、っ……」
それを止めようとしているのか促そうとしているのか、自分でもどうしたいのかが判らない。目的を見失った両手が相手の脇腹にしがみつく。アスランが上体を落とせばその腕を背中まで伸ばし、溺れるまいとするように掻き抱く。
「あ、あ……アス、……、」
「…もっと…、呼んで……キラ…」
「……ア、……ンッ…」
請われるまま思考なく呼び続けているのに、アスランはそれを自ら邪魔して何度も唇を塞いだ。激しくなっていく動きに彼自身が息を切らせ、身体を揺らしながらキラの名を呼ぶ。
「…は、…っ、あ……キラ…」
切羽詰まった声はそれだけでキラを追い上げた。たまらずに頭を抱え込めば首元を噛まれ、それはこのまま咋われてしまうと錯覚する激しさで。貪るように突き込まれる楔も、その動きのたびに心臓が破裂しそうな悦楽をキラに与えて。いっそのこともう一度、その手で、身体で、この命を、と思うほどに──。
「ッアッ、アスラ…、あ…ッ──」
身体がこわばってひくつき、内にあるものの存在をいっそう強く感じる。アスランの手で先端を包むように扱かれていたキラの熱がその瞬間にはじけて、その絶頂に啼いた声は自分の喉からでた音なのか定かでない響きを帯びていた。沸騰して霞んだ意識の片隅で、遅れて躰を震わせた彼がキラの中に放っている。それにも感じ入って声をあげながら相手の肩を擦ると、これ以上ないほどの強い力で抱きしめられた。
キラの耳元に響いていた喘ぎはやがて荒い呼吸に変わり、その腕の力も解かれていく。汗の浮いた背中に手を回すと彼の身体が呼吸に合わせて動く様子が伝わり、どうしてだかそれに安堵した。
「……アス……ラン…」
ほどなくして、整わない呼気をそのままにアスランが淡いくちづけをくれる。
「………キ、ラ…」
囁いた声は音になるまえの吐息と同じで。同じように呼び返せば、またくちづけを返してくる。穏やかさをもどしたらしい彼は柔らかい心をまとってキラを体ごと包んだ。
急な情動に流されながらも決して乱暴にはしなかったアスラン。それでも、ひどくしなかったかと訊ね、ごめん、という。だから仕方がなかった。あまり目を見てはいえないので、抱き寄せて彼の片頬に感じたままを告げる。
「キラ…」
首元から引き剥がされて顔を覗き込まれ、それでも視線を逸らして逃げて。含み笑いの気配にいたたまれなくなって、キラからのくちづけでそれをごまかした。
そのまま、思いを伝え合うように繰り返し互いの唇を求め続けて、「まいったな、止められない」とアスランが自嘲する。終わっても微かに蠢かせていた箇所はまだ硬さを保っていたから、あるいは続きを仄めかしたのかもしれない。
「…きみさ、ここへきてちょっと羽目を外してるよね?」
ついにキラから意見するとアスランは悪怯れる様子もなく、今度ははっきりと笑った。
「それは付き合ってくれる相手がいるからだろう?」
キラは不本意を唱えるようにアスランを睨んでみせたが、忘我できる時間を引き伸ばしたいと思っていたのは紛れもない事実だった。求めればアスランは拒まないだろうが、自重しないキラを不審には思うかもしれない。それではムウの心配を笑い事で収められなくなる。

漸く体を解き、けれどまだキラの上に留まったアスランとしばらくことばもなく見つめあう。
直接触れ合っている肌はまだ熱く、この躰に溶けてしまいたい衝動をまだ身に感じる。この熱をどうしてあのとき手に入れてしまわなかったのか。キラが考えるのはそんなことばかり。きっとなにかが、今とは変わっていたはずなのに。そんな後悔をするのは、たぶん今が恐ろしいから。
「…なに、考えてる、キラ?」
どうしたのか、と今日は何度も訊かれている。心を読んだようなタイミングはおそらく偶然ではないのだろう。自覚はないのかもしれないが。
「────」
キラは口を開きかけたが、相変わらずいいわけのことばすらもみつからない。
「……キラが───」
それに焦れたふうでもなく、アスランは応えを待たずに続けた。
「おれになにかを隠したがってることは判ってる」
「──アスラン、」
身動いだキラの口元に人差し指をあて遮ってアスランは続けた。
「それでもおれは、隠すなとはいうが。……それは責めているんじゃない」
彼の指がキラのこめかみのあたりにそっと触れた。二、三度髪を梳くようにして動かし、顔の輪郭をたどって首を触わり、頸動脈を探るような手つきで撫で擦る。
「おれはいつまでだって、待てる」
キラは首にある彼の手に自分の指を絡めた。
「…ほんと……なんできみって、そんなに優しいんだろ…」
もう片方の手でアスランの頬に添えると、彼は同じように空いた手で重ね、顔を少し動かしてキラの指にくちづけをした。
「もっと甘えてもいいんだぞ…」
ふと微笑って、今度はキラの唇に、静かに──。
「キラなら、許すよ。いくらでも」
一瞬離してそう囁いて、また優しく、くちづけていく。
差した光のようにふわりとした暖かさを感じてキラは瞼をおろした。昏い陰りが伝わって移り暖められて返されて。
───でも、アスラン。
こんなふうに大切にされていることを知ると、泣いて叫んで、手を振り払い、自分を責め、彼さえも責め、逃げ出してしまいたくなる。彼は待つといったけれど、こんな心を知って欲しくはない。
キラが伝えたいのは、そんな思い。
───明かせるはずがない…。
奥底に凝った、こんな思いは。


C.E.75 28 Mar

Scene メンデル・外周域

『───総員、コンディション・レッド発令。デーベライナー緊急発進。対艦対モビルスーツ戦闘用意。繰り返す──』

深更にけたたましく鳴った艦内警笛。追っての全艦放送に、眠りに落ちていたキラはアスランとともにベッドで飛び起きた。
次いでベッドサイドの通信コンソールが直通コールを鳴らした。キラは反射的にそこへ手を伸ばす。
「アーサー!?」
『隊長、彼我不明艦アンノウンによる奇襲です。ギンズブルグがやられています!』
モニターは開いていないが、スピーカーの向こうは緊張した声。一気に目が覚めた。
ギンズブルグはヤマト隊と同様メンデルに配備されたラコーニ隊の旗艦だ。時間的には哨戒中だったはず。そちらから緊急出動が入ったのだろう。
「艦よりモビルスーツをさきに! シンは?」
『発進スタンバイ』
「すぐ行かせて。ぼくとアスランも出る」
通話を切るとアスランが無言のままキラに制服を投げてよこした。彼は慣れたものでもう袖を通し襟もきっちりと留めている。
『三隻の戦艦捕捉、ライブラリ照合なし、ギンズブルグからはすべてガーティ・ルー級と推測。ボギーワンからスリー』
再びの全艦放送を耳にして、キラは着替えの手を一瞬止める。
「…ガーティ・ルー」
ミラージュコロイドステルスを装備していると思われる艦からの攻撃。であればおそらく───。
「ハイペリオンがくるな」
つぶやきに答えるようにアスランがそう予言した。キラはそれに頷く。
『左舷カタパルト、グフ全機スクランブル』
『フリーダム、ジャスティスもすぐに出るぞ、準備急がせ!』
スピーカーのやり取りを耳にしながらふたりは指揮官室を出た。途端、アスランが戸口でキラの腕をとる。
「一応いってみるが、キラはブリッジに…」
「だめだ、そんなの」
「……………」
譲らない表情を正面から受け取ったアスランは、着崩したままのキラの襟に手をかけながら「判った」と短く応える。
「……襟はちゃんとしておけよ」
その場で直されて、こんなときまで小言がでてくるかとキラは呆れた。
「隊長なんだからっていうんでしょ。判ってるけど、どうせすぐ着替えるじゃないか」
「……そうじゃなくて……まぁ、それもそうなんだが…」
いいながらアスランが移動レールのグリップを掴み、キラを促すように手を伸ばした。その手を取り彼の肩に掴まると、緊急時スピードで移動し始める。
「…すまない、ふざけすぎた」
「なにが?」
「見えてるから」
───ゆうべの痕が。
そこだけ小声にいったアスランがさきほどからなんの話をしているのか思い当たって、キラは心のなかで悲鳴をあげた。が、それを引き摺る状況でもなく、意識して今のやりとりを頭から追い出す。
それからすぐに通路を突き当たり、エレベータに乗ってデッキを移動する。そのあいだに難しい顔をしたアスランが「おれの指揮下に入ってくれるんだよな?」と確認をしてきた。
「まえに現場指揮は任せるっていったし」
大局をみるのは苦手だし、今はとくにものごとを冷静に判断できるか自信がない。
「判った。あとのことは展開状況をみて指示する」
アスランはキラが素直に従うと知っても様子を険しくしたまま続けた。
「──“あれ”のテストまだだったな。ジャスティスのは昨日調整したばかりだ」
「装備どうする?」
「…いや、使おう。…面倒事を引き摺りたくない。今日は全機堕とす気でいく」
彼が出撃前にこんな強気をいうのはめずらしい。こういうことはたぶん自分自身を奮起させるためにわざと口にだすようなことなのだろうが、彼はそんなタイプではない。つまり含んだ意味もなく、ことばそのままに今から実行することを告げているのだ。
表面では控えめなアスランが、その内面では大胆な気性を持ち合わせていることはよく判っている。不思議なことではない、とキラは自分にいいきかせるが、不確実な事態をいまさら思って無意識に自分の両腕を抱きしめた。
「終わらせよう、キラ」
その声でキラは顔をあげる。アスランはこちらを見てはいなかったが、それまでの鋭さをほんの少しばかり丸くしていた。
「ジェリンスキはぼくに任せて。──お願い」
雰囲気を変えたアスランに押されるようにしてキラはいうべきことを告げた。
そのタイミングでエレベータが指定階で止まり、扉が開く。アスランはキラの背を押して、今度は彼を先に行かせる。それで今の返事はとキラが振り向くと、アスランは否とはいわず、「いると思うのか?」とだけ訊ねた。
「……そうだね…いるよ…」
それだけは妙な確信がある。
いや、ある意味それは“約束”だった。「次は戦場で」といったのだ彼は。数日前の、別れ際に。アラートのロッカー室でパイロットスーツを身に着けながら、あの日の話し合いを──アスランには秘密の対話を、ありありと思い出す。決着をつけなければならない。アスランも早く終わらせたがっている。もちろんキラも…。
でなければ、もう心が保ちそうにない──。
「キラ」
呼ばれて、スーツ姿になったアスランを一瞬横に見た。自分の表情を意識しながらぱたりとロッカーを閉め、足元のヘルメットを抱えてアスランと向き合う。いま心に過ぎった弱音は押し込まなければならない。彼はグローブを整えながらキラを見ていった。
「ジェリンスキが自分でいったように“そう”、だとして…おそらく複数人、戦闘用コーディネイターが向こうにはいるだろう」
「……うん」
「こうなってくると傭兵もあり得る。そうであればさらに厄介だ。判ってるな、キラ」
硬い表情。少しの油断もするな、ということだ。アスランはいうほどキラの腕を信用していないわけではない。それはもう、まったくといっていいほどに。でなければ今頃は特務権限で艦橋に縛りつけられている。
問題は心のほうだとキラ自身が判っている。自分でもどうにもならない。どうしようもできない。彼は、アスランはそれすらも容れている。そして抑えきれない不安がこうして彼を厳しくさせている。彼にまで心に無理を強いているのだろう。それが、自分という存在───。
「……ありがとう、アスラン」
いわれて口を開いたまま止まった彼の、硬質なスーツの襟をぐいと引く。
「…キ……」
少しの抵抗を受けながらもキラは唇を合わせた。それでも触れれば丁寧に、そして少し情熱的に返してくれるアスランに…ただ、愛しさしか感じない。
襟を掴んだ手を緩めると、彼は「作戦中だぞ」と少し困ったようにいい、キラの頭をぽんと叩くようにして手を置いて、そのままモビルスーツ格納庫に通じるハッチへと促した。

まだ近い距離の、彼の横顔をそっと覗き見て、キラは心に改める。

───答えは決まっている。ぼくにはきみが必要なんだ。
きみのいない世界に、ぼくはいられない───。


キラはストライクフリーダムのコックピットに収まり、システムを起動させながら艦橋に状況を確認する。パイロットスーツに着替えているあいだにギンズブルグが交信途絶との報せをすでに聞かされていた。そちらの安否も気になるが、まずは。
「モビルスーツ確認できてる?」
『現時点で二十三。こちらへ九。艦の有効射程まで発進ぎりぎりです。ボギースリーからモビルアーマーも展開』
「なら先に出て片付ける。モニターきてない、早く」
デーべライナーが捕捉したデータをもらうと、デブリベルトでジャスティスが遭遇したハイペリオンと同じ熱紋を確認する。情報はそのまま味方全機にも共有した。
『光学で後方にハイペリオン三機確認。ブリッツっぽい先頭機体と二十秒でエンゲージ』
すでに出撃しているシンから視認での報告が入った。モニター上ではさらに捕捉数が増えている。敵の機動兵器部隊は複数に分かれる様子だ。メンデルを囲い、デーべライナーのように発進する艦を頭で叩くつもりだろうか。どうするか考えるより先にアスランがチャンネルにマイクを開けた。
『アスラン・ザラだ、戦闘指揮を執る。先行チームとギンズブルグの残存はおれとこい。フリーダムはデーべライナーの発進を援護。エターナルはシュペングラーと基地後部セクターからくるボギーツーだ。管轄際だから他国と連携しろ、だが頼るな。確実に叩いていけ』
「アスラン」
『判ってる。捕捉したら知らせる』
状況をみているのは理解しているが、さきの頼みをアスランが守る気があるのか、その確認だった。
『それに、おまえの勘なら向こうから…』
「そうだね」
確かに彼のいう通り、ロマンのほうからキラを狙ってくるであろうことは判っていた。コックピットカメラに写ったアスランを見ると、もう行くぞというように目線で合図をよこす。
『ジャスティス出る!』
インフィニットジャスティスが間髪いれず発進し、バッシュの会敵ポイントへ真っ直ぐに進んでいった。キラもカタパルトにスタンバイし、いま出撃しようとしたところで──。
『敵がさらに分散してる!こっちはおれのチームだけで足りる!』
シンがアスランに反発をしはじめたのだった。話には聞いていたが本当に指揮官泣かせだ。
───ぼくがいったこと、ほんっっとに判ってない!!
キラはとりあえずストライクフリーダムを発進させ、デーべライナーに近づくモビルアーマーをロックオンする。
「シン、そっちハイペリオンいるんだろ?!」
『やれますよ!』
「光波シールドは未経験じゃないか。ちょっとは警戒しろよ!」
『シミュレーションはできてます』
「こっちのフォーメーション指示があるんだから!」
まだパイロットたちに展開していなかったが、対ハイペリオンのマニュアルはできている。だが、キラが任せろと何度いってもシンは「できます」「やれます」の一点張りだ。
このやりとりはアスランも聞いているはずだが、なにを考えているものか口を出してこない。アスランに対して意地を張っている彼は、キラの話なら聞くだろうとでも思っているのか。だとしても面倒くさいことを押し付けられているような気分になって、キラは苛々がつのった。
「いいからアスランのいうことを聞け!たかがパイロットひとりでどれだけの責任がとれるっていうんだ!!」
『───』
たまりかねて怒鳴ったキラだが、シンは黙っている。こんなときに世話を焼かせるなよ、と心の底で悪態をつきながら、キラはデーべライナー発進の邪魔になりそうな機動兵器をフルバーストで次々と撃破していった。一掃したところで個人間通話が入る。アスランだった。
『シンには逆効果だぞ』
「判ってるよ!」
苛立ちの収まらないままアスランにまで怒鳴って返し、そこでキラはやっと腹に凝った緊張をわずかに解く。
「…口出してごめん」
『かまわない。あとは任せてくれるか?』
「……うん…」
どうやら放っておく気はなかったらしい。シンの扱いには彼なりの考えがちゃんとあったのだろう。
「大丈夫だよね、アスラン」
『ああ、問題ない』
キラに即答したアスランはそのあと全機チャンネルに変えて、シンに指示した。
『シン、チームを置いてもどれ。おまえはフリーダムの支援だ』
───ちょっとなんで?!なんでそうなるの!!!
キラは理解不能なアスランの命令替えにもう一度個人間通話を開けようとしたが。
『今回は譲ってやる。集中して死ぬ気で護れ』
と、低めの声でシンに続けた。
「─────ア……ッ」
───の、莫迦!みんな聞いてるったら、莫迦ッ!!
よくよく聞けば、それはデーべライナーを護れといっているように、ふつうはには捉えるいい方ではあったのだ。が、キラ、もちろんシンもアスランが実際には“何”を護れといってるのかすぐに理解した。
『デーべライナー発進!』
キラが動揺するあいだに旗艦が動き始め、次の敵機動兵器も迫りつつあった。シンはその後方だがこちらへやってくる。
「ったく……シン、フルバーストいくから下手に動いて当たらないでよ!」
『ハッ、冗談でしょ』
声音からすでに上機嫌な様子を察して、なるほどこれは感心するしかないとキラは思った。
コンセントレーションスコープを持ち上げてマルチロックオンする。バッシュ前方で迫るモビルスーツは八機。が、うち二機いたハイペリオンが反転し、モノフェーズ光波防御シールドを全方位展開してバッシュを襲った。
「まずい」
照準に入った六機を漏らさず墜として急ぎバッシュを追った。デーべライナーの艦砲がその横で明るい線を描く。さらに後方からボギースリーと番号を振られたガーティ・ルー級が迫りつつあった。
『っ、!! くっそアンチビームなのに!』
バッシュは二機のハイペリオンのシールドに挟撃され、近接展開になっていた。シンはバッシュ肩部特殊兵装のブレードに施してある対ビームコーティングが光波防御シールドに有効だとは知っていたようだが、新型のハイペリオンなのだから敵も知られた弱点をそのままにしておくはずがない。
猛スピードで混戦に突っ込んだフリーダムはシュペールラケルタを振り回して、敵機のうち片方の左腕にあるシールド発生装置のひとつを、“光波防御シールドをすり抜けて”払い落とした。
「こっちだって時間は十分もらったよ…!」
シールドに穴を開けた瞬間をシンはまったく見逃さず、ビームサーベルをハイペリオンの機関部に突き込んで大破させた。もう一機はそれに怯んだのか彼らからすぐ距離をとった。
『な、なんで?!』
「だから人の話を聞けっていっただろ!」
ビームキャノンの砲撃を避けながらキラはバッシュに二本のシュペールラケルタの一方を投げ渡す。
「対光波防御シールドに改良してあるから、これで」
武器・装備は双方相手の上をいく対策など考えるに決まっていて、このあたりイタチごっこではあるのだが、ハイペリオンがその強みを捨てない限り技術的な予想対策範囲は限られる。比較的短期間で対抗武器を仕上げることはでき、同じサーベルはジャスティスも装備していた。
『さきにいってくださいよ!』
「できたばっかりなの!!」
実はテストもまだだったが、とりあえず有効であることはたったいま証明された。が、警戒した残る一機は近接を許さず、弾幕で対抗してくる。さらにブリッツの改造機らしい複数がハイペリオンの援護に参戦してきた。
それを見てキラははっとした。
「シン、ハイペリオン三機っていったよね? 最後の一機は?!」
キラも確かに熱源モニターでは最初に三機を見ていた。そしてその瞬間、キラはフリーダムのなかで被弾による大きな衝撃を受けた。
「───っっ!!」
『隊長っ!!』
シンが叫んだ。すかさず少し離した距離を詰めて、続いたブリッツの攻撃からフリーダムを護る。
「……くっそ、……しまった…ミラージュコロイド……!」
フリーダムは背面にビームキャノンの砲撃をもろに受けたのだ。アクタイオン・インダストリーで固めた部隊ということに警戒が足りなかった。
キラはダメージコントロールをしながら、バッシュと交換したビームサーベルで近接していたブリッツ二機の武装とメインカメラを墜とす。
『大丈夫なんですか?!』
「ごめん、油断した。大丈夫だから」
そうはいうものの実際には微妙なところだ。フリーダムは機動性を活かすために「被弾しない前提」で装甲が弱くなっているところがあるため、攻撃を一度くらってしまうと実は脆い。それをカバーするための高機動を実現する背面部のスラスターはいまの攻撃でだいぶやられてしまった。
しかしキラはいまそれどころではない。キャノンを受けた方向に姿を表した三機目のハイペリオン。

───ロマン・ジェリンスキ…!

「……やっぱり、あなたが!」
目の前の敵に、キラは叫んだ。


C.E.75 28 Mar

Scene メンデル・外周域

「…ちょっ……隊長、隊長っ!!」
シンは戦闘を続けながら通信パネルを操作する。突然個人間チャンネルのバンドを変えられて、キラにこちらの声が届かない。
「おい! ──ンのやろ、たいちょ…、キラーーッ!!」
ストライクフリーダムはステルスを解除して出現した三機目のハイペリオンを追い、どんどんと遠くへ離れていく。残る一機と三機のブリッツが邪魔だった。
「くそっ。死ぬ気で護れつったって本人がおとなしくしててくれてなきゃあ、」

───それでも、おれなら護るけどな。

心のなかで、勝手なアスランの声が聞こえてくる。シンはひとり熱りたちカッとなった。
───立つ瀬がないっていうんだよ!!
アスランが譲ってきた機会。これで護りきれなかったら───。

シンはいったんフリーダムを追うのをやめた。キラから借りたシュペールラケルタとバッシュのビームサーベルを両刀に構えて急反転し、四機の敵モビルスーツへ突っ込んでいく。
「だったら、まずはこうだろ!!」
ここまでの鍔迫りあいで、敵モビルスーツに搭乗しているのはやはりコーディネイターなのだろうと踏んでいる。だが。
「アルテラのザフト兵に比べたら手応えが足りないぜ」
勢いにまかせて先頭のブリッツに飛び込む。反転からの速すぎたスピードに間合いを見損ねた敵機はやすやすとバッシュのビームサーベルを機体に飲ませた。シンは残り三機の墜とす順番を数えながら目に捉える。その向こうではボギースリーと仮名を振られたガーティ・ルー級と相対するデーべライナーが見えていた。
「すぐに片付けてやる」
敵戦艦も視野に入れて、シンは不敵にそう呟いた。


メンデルの警護は現在ザフトのほか、シードコードに参画する地球の数カ国が雇い入れた民間軍事会社が請け負っている。ザフトから戦艦四隻、民間からは二隻が配備されていた。
テロリストはおそらくミラージュコロイド・ステルスでの接近でまず哨戒中だったギンズブルグを急襲し、続けて僚艦のシュペングラーを追った。同時に別動でヤマト隊が駐留するプラントのスペースヤードに機動兵器の群れを送ってくる。ザフトが狙いなのは明らかだ。
───キラは予感していたのに。
部隊増援の要請を本国がもたもたとしているうちにこの事態だ。形骸化した禁止条約はもとより、こうしてテロリストに軍事技術を濫用されるのは厄介にすぎる。自然の摂理を曲げるのは嫌いでも、ルールを曲げるのは嫌いではないらしい彼らを相手には、不測の事態といういいわけも微妙だ。
アスランは舌打ちたい気持ちでボギーワンに迫った。機動兵器運用を主眼にした高速駆逐艦は火力に乏しく、モビルスーツが取りつけば墜ちるのは早い。ナスカ級やデーべライナーもそれは同様だが、少なくともヤマト隊旗艦は今隊長自らで護っている。フリーダムであれば艦にモビルスーツを寄せ付けないだろう。
逆にアスランは攻め手として早々に艦を狙う腹積もりだ。そのためにバッシュで敵機動兵器を散らしてもらいたかったのだが、長引く意地っ張りに呆れと嫌気が差し、ついついシンに譲歩してしまった。彼がキラを譲ること自体に問題はなにもない。かえってそれでパフォーマンスをあげてくれるならいっそそのほうがいい。幸い遊撃の手は「残念ながら」足りている。
アスランは感情をごまかすように彼我戦力の状況を読む。敵は新興のテロリスト…やはり素人の寄せ集めだ。機動兵器パイロットの練度はばらつきが激しく、それだけに読みにくい部分はありつつも、エース級が揃うヤマト隊が負けることはありえない。なにしろ、“SEED”で反応速度や先読みに優れた者の集団なのだ。
それを知ったうえで物量作戦かと思うほど、あとからモビルスーツとモビルアーマーがいくつも追加で捕捉された。これは歴戦のラコーニが迂闊だったこともないだろう。むしろ、こうも“資金力で”攻めてくることは想像し難いことだ。
「たいした人間だ、と。いいたいが……」
口に呟きながら、アスランはジャスティスに立ちはだかった前方のブリッツを二刀連結にしたラケルタ・ビームサーベルを旋回して両断した。

ロマン・ジェリンスキは自らを戦闘用コーディネイターだといった。それは、戦闘に効果をあげる能力を高い設定値でデザインされたコーディネイターということだ。だが、ビジネス面での才覚は、おそらく自前のものだっただろう。自ずと得た能力を復讐ともいえる行動のためにすべて注ぎ込んで、虚しさを感じることはないのだろうか。
戦闘中にこうした益体もないことを頭の隅で考えてしまうのはアスランの悪い癖だ。それでも集中していないわけではない。サーベルを振り下ろしたその途中で何かに気がついた彼は、わずか旗艦方向にいた僚機まで猛スピードで後退する。少し足りないか、とシャイニングエッジを投擲して苦戦していたグフの対手を跳ね飛ばした。そのまま移動スピードを下げずに追いつき、追い越しざまに敵機の推進部と武装をサーベルで切り落とす。投げたビームブーメランを迎えにもいく要領でジャスティスはすでにその場を去っていたが、助けたパイロットからは『申し訳ありません!』とひとことがくる。
「ここはいい、きみはデーべライナーの支援に回れ」
ラコーニ隊の残存兵だったが、こちらに加えるには少しばかり足手まといの腕だった。
アスランはボギーワンとの距離をすぐもどし、追いすがる敵機動兵器をすべて払い除けて、敵艦の高エネルギー収束火線砲をビームライフルで次々と撃破する。それに奮起したように遊撃のグフイグナイテッド二機がボギーワンを護ろうとするブリッツを掃討して援護し、最後にはファトゥム-01のハイパーフォルティスが艦機関部を撃ち抜いて終わった。
敵艦の数と機動兵器の可能搭載予測数が合わないため四隻目を警戒したが、大駒は尽きていたようだ。それを悟ったアスランはすぐデーべライナー、フリーダムのいるポイントへ向かった。
距離を離したため状況が掴めなくなっている。バッシュを残したといっても、キラがロマンに対して動揺し続けているのが気がかりだった。いまフリーダムの背後を護るのが自分ではないことにアスランは歯噛みする。しかも自分自身の采配で。
───だから“黒”は嫌だと…。
できるものならシンのように勝手わがままをいってフリーダムの傍を離れずにいたかった。本当に誰を侮っているわけでもなく、キラが目の届くところにいないと───ただ、不安なのだ。
ロマンはおそらくこの戦場にいる。あるいは自分よりもキラの近くに。ハイペリオンはその表徴に違いないからだ。ヤマト隊旗艦にその全機が集中したのを見てもそうだろう。
「…キラ……」
だが、声に漏れるほど気が急くのは、キラ自身にその原因があった。

───「ありがとう、アスラン」

とつぜんすぎた、感謝のことば。いやな思いが過っていた。あれは何に対してだったのか。
声音が過去と重なる。再会して、殺し合って、また再会した──あの、オーブで。
───「ありがとう、アスラン。話せて、嬉しかった」
そんなおとなびた顔で自分に礼をいうようなキラをそれまで知らなかった。そしてあれは、そのあとを覚悟したことばなのは確かだった。ああまで一方的な感謝と、その奥に潜んでいた別れの予感。それを向けられたと思った──。
───そんな勝手、許さないぞキラ…。
アスランはそのさきの思考を頭を振って追い出した。距離が届いて、バッシュがボギースリーにすでに取り付いていることをモニターで確認する。続けて、少し離れた僚艦の状況も確認しようとしたところでボギーツー轟沈の報。二隻で攻め、ドラグーン・システムを備えたリンナ・セラの“アルムクィスト”も行かせている。油断がなければ当然の決着だった。
最後にアスランはフリーダムを確認して目を剥いた。あろうことか、単機でデーべライナーを離れている。
「───シン!おまえなにをやっているんだ!」
『勝手に行っちまったんだ! おれだってこんな…』
「早くボギースリーそれを墜として追ってこい!」
『ちょ、』
アスランはいうだけをいって通信をぶつりと切り、ジャスティスのスラスターを全開にしてフリーダムを追いかけた。