ゴシップ

C.E.75 24 May

Scene デーベライナー・第五デッキラウンジ

不穏当……いや、どちらかといえば色めき立つ“噂”といったほうがこの場合、的を射ているか。
デーベライナーでその噂が出はじめたごく最初にもれ聞いたときは「どこでもヒマなやつはいるもんだな」などと、シンは右から左に聞き流していた。しかし娯楽も少ない狭い艦内のこと、気がつけばそれは段階を経て尾ひれもつき、シンが黙って見過ごすことができないくらいの騒ぎとなっていた。
半分は余計な世話だと理解しつつ、ひとこといっておかなければいずれ自分にとばっちりがくるのではなかろうか、と嫌な予感があったことも事実だった。

噂というのはとかくその本人の耳には入らないことが多い。とくにアスランはそういったことに鈍感だ。
どうしようか迷いつつも、その視線の先にひとりで歩くアスランを見つけてしまった。彼がひとりでいることはめずらしい。話をするのに最良な偶然の好機に逡巡しながら、シンはその後ろについてしばらく歩いた。
「アスラン…」
「なんだ、シン」
連なり歩く艦内のなか、シンは意を決してそっと背後からアスランに話しかけた。アスランはわざわざ足を止めて、シンを振り返り見る。
「……知らないって、まぁ予想はついてるんですけど…」
シンの前置きに訝しげな視線をよこしてくる。やっぱりこの人は知らない、とシンは確信した。
「…噂のことは耳に入ってます?」
「噂?」
「…あんたの噂」
「………………」
関心のかけらもないという無表情を見せて、シンに向けていた顔を正面にもどし再び歩き始める。
「知らないし、興味もない」
小さなため息混じりでありつつもアスランは丁寧にその気持ちを答えた。だが、数歩進めたところでぴたりと足を止め、再びシンを振り返った。
「───が、そんなものがあったとしても、それはキラにはいうなよ」
「…なんで」
「…………面白がるに決まってるからだ」
「………………」
アスランとキラは反応が真逆になることが多い。彼のいうことは確かにもっともだと思い、キラが面白がってしまったらどうなるかを思って、シンは少しばかりうんざりとした。その内容に隊長のテンションがあがろうとさがろうと、どちらにしても面倒だ。それを考えても、やはり目の前の副官の耳には、先に入れておいたほうがいい、と思う。
「……とりあえず、どういう内容なのかくらい、あんたは知っといたほうがいいと思うんだけど」
シンの思惑をよそに、どうでもいい、といい置いて、アスランは本当にためらいもなく先へいってしまった。ここでひとこと、「隊長も関わってますけど」といえばアスランの耳も向いたであろうに、シンはまだアスランの扱い方をよく判っていなかった。

その頃キラは、第五デッキのラウンジで女性クルー三人に囲まれてお茶を飲んでいるところだった。このフロアは一般兵が日常生活を過ごすエリアなのだが、キラはよく訪れる。指揮系統の人間には別に専用エリアもあるが、もとより人の上に立っている自覚があまりないキラにとっては、そういった区分けのあること自体が不満だ。
中隊規模の戦艦部隊においてはましてや指揮系統の人間自体が少なく、キラはむしろそうしたことに自分が差別されているような寂しさを感じたりもする。アスランは「おまえが何を感じようが斯くあるべくしてそうなっている」などといってとりつく島もないが、軍の規範がどうあれ自分が進んでここへ足を運べばそれですむとも思い、実際にキラはそうしている。
そこへ、その気持ちを理解しない様子を纏った唐変木がやってくる。
「キラ、ひとりで勝手にうろつくなといってるだろう」
どうせ携帯端末の発信で、アスランにはキラの居場所などすぐに知れる。不満を表して彼の顔を見あげると、アスランはキラの端末を目の前に差し出した。
「…ベッドに放り投げてあった」
「……あ。いけね…」
えへへ、とごまかし笑いをしてそれを受け取る。そこで気がつくと、同じテーブルに座っていた女性兵らはいつのまにか席を離れて、三メートルほど先の壁際に移動していた。
「あれ、どうしたの? 外す必要ないんだけど」
「いくぞ、キラ」
アスランに掴まれた肩をうっとおしげに払い、まだ休憩中なんだから、とぼやく。再度、彼女たちのほうへ振り向くと、微妙な笑顔を返されて、遠慮します、といわれてしまった。
「もう、アスランのせいだからね! 彼女たちに気を遣わせて!」
肩を怒らせて立ちあがるとアスランはすぐに動いて、ラウンジの外へ促すようにキラの背中に手を添えた。その顔は「当然だ」ともいいたげだ。
何も、上官に遠慮しろと堅苦しいことをアスランはいっているわけではない。その証拠に、ふたり揃ってこのラウンジで休憩をとることはよくあったし、そういうときはアスラン自身が積極的になって一般兵を交え話しこむこともよくあった。真面目さでもって線引きはきっちりとするが、元より差別意識のあるような人ではない。
つまり彼は、ラウンジに入ってすぐ目に入った光景に妬いたのだ。
キラにはそれがすぐに判り、ラウンジを出る間際に「おとなげない」とひとことこっそり耳打ちしてやった。アスランは気まずそうにちらりと一度キラを見たが、そのあとはいつものようにキラの斜め背後に控えつき従う形をとった。

ラウンジのドアを数メートル離れると、開け放たれたままのそこから急にどよめきがわくのが聞こえた。
「……なんだろ…」
「…さぁな」
興味をひいてもどりかけるキラの腕をアスランが掴む。
「もういいだろ。休憩時間は終わりだ」
確かにあともう数分も残ってはいない。キラは後ろ髪をひかれながら第五デッキをあとにした。