ゴシップ

C.E.75 27 May

Scene デーベライナー・指揮官室

その数日後。軍事ステーションに碇泊していたデーベライナーの元へラクス・クラインが訪れた。
ラクスはこうしてときおり戦艦や部隊を訪ねて、殺伐としたその場の雰囲気を一掃していく。戦うために戦うような気持ちに陥ることにならないよう、彼女自身の存在をもってそれを知らしめているのだろう。
それでも、平和の使者は彼らの士気を侮辱することのないよう地味に訪れて地味に去っていく。彼女の雰囲気そのものが戦場にそぐわない、はてしなく柔らかいものであるため、まったく目立たずということはもちろんなかったが。
もとよりヤマト隊にはラクスの訪問も必要ではないくらい、どこかのんびりとした空気がある。それはひとえに隊長であるキラのせいともいえるが、この艦の役目が戦うことだけではないことも、その理由としてあるかもしれない。
「でもラクスがきてくれるとね、雰囲気変わるよ、やっぱり」
なにより、キラ自身の心がほっと息を吐く。ゆるやかな位置でふわふわと揺れるような彼女の感情は、いつでもキラにとって安定剤になった。本当に同じ年頃なのかと疑うほどに心のバランスがとれている。老成しているかのような穏やかさだ。
キラは彼女の手をとって無重力のバランスを整えつつ、ドッキングハッチから艦内へと誘導した。
「ありがとう、キラ」
ほんわりとしたラクスの笑顔は、それだけでキラとその周囲をまろやかにする。
───が。その日はどこか違った空気を周りから感じ、キラは首を傾げた。
「どうかしたか、キラ?」
今日はめずらしく、イザークとディアッカも艦内までついてきていた。足を止めたキラを訝しんでディアッカが声をかけてくる。
「ん、いや。なんでもないよ」
キラは、そういえば、と思いあたることがあり、とりあえずその場は知らぬ顔をした。

ラクスは先週、アスランとの婚約解消を公けの場に表した。
メディア各所で大きく話題となり、ラクスがその理由を詳しく述べなかったこともあって、プラント内はかなり騒然としたらしい。艦内生活のせいで、キラと張本人のアスランはどこか遠いもののように流れてくるニュースを見るだけだったが、彼らの婚約をアイドル視していた人々からはそれなりに興味をひいたのであろうし、デーベライナーの中にもそういったクルーがいるだろうことは想像がつく。
今日は婚約解消後の元カップルが顔を合わせるのだと思えば、それは周囲も気になるのは仕方がないことのように思えた。
───これだから有名人は面倒だよね。
キラは他人ごとのように心の中でつぶやくのだった。

「よう。こんなところでおこもりか」
扉を開けるなり告げた軽口にアスランが苦笑をもらす。第三デッキにある指揮官室に、彼はいた。何故かシンをつき合わせている。
「おまえこそ、彼女に付き添わなくていいのかディアッカ」
「イザークがいるだろ?」
ディアッカは室内に招かれて、入口すぐ近くにあるソファに腰をかけた。
この指揮官室にくるのはこれで二度目だが、見慣れない様子にぐるりと視線をまわす。ボルテールと違いデーベライナーの指揮官室は執務室と寝室が分けられており、執務室側にはきちんとソファなどの調度品もある。数ヶ月から続く艦上生活を思えば、その内装はあたりまえの配慮でもあるのだが、精神的な酷使にもよく耐えるコーディネイターの艦といえば、そういうことはなおざりにされることがこれまではふつうだった。だが、ここ一〜二年に新造される戦艦はいずれもデーベライナーと同じになっている。ディアッカはこっそりとボルテールが沈んでくれないかと物騒な考えをめぐらせた。

シンが執務室脇の簡易キッチンで淹れたコーヒーをふたつ持ってきた。アスランもデスクを離れてディアッカの向かいへ座ると、シンに「おまえも休め」と声をかける。シンは自分の分のコーヒーも持ってきたが、ソファのほうへはこずに見たときから座っていたサイドデスクに落ちついた。
「世間の状況くらいおれだって把握してる。彼女が帰るまで、おれは姿を見せないほうがいいだろう」
部屋にこもっている理由を告げたアスランに、シンが遠慮なく「それを忠告したのはおれですけどね」といった。忠告した手前もあって、アスランの退屈しのぎにつき合っているのだともいう。アスランはシンへ背中を向けたままだったが、その顔は穏やかに苦笑していた。めずらしい顔を見たな、とディアッカは思う。どうやらいい関係を続けているらしい。
しかし、そのディアッカの感心をぶちこわす端緒をシンが開いた。
「この人、なんも把握なんかしてませんよ。艦内の噂だって耳に入れようともしやしないんだから。自分のことなのに」
ディアッカはアスランの噂と聞いて途端に興味が湧く。渋い顔をするアスランを置いて聞かせろとシンにねだった。が、シンはさっきの勢いはどこへやら、今度はいいにくそうに何故だかもじもじとしている。
「なんだよ、早く教えろよ」
「……その…だから…」
「…どうでもいいことだろ…」
「うるせーな。おまえは黙ってろ。早くいえシン」
迷惑そうにするアスランを止めてシンを急かすが、困ったように噂の本人に視線を泳がせている。そのアスランはディアッカのほうを向いているので、シンからその表情を窺えないことが余計に戸惑わせているのかもしれない。
「まぁいいから。こっちは噂にされることなんか慣れてんだ。アカデミーのときから。な、おい?」
「………………」
アスランはじろりとこちらを睨んでくるがかまいはしない。シンに気軽になれと促すとようやく声を発した。らしくもなく、囁くような小声だったが。
「…その……アスランが………を…買ってるって」
「あ? 聞こえねー。何?! 買ってる?」
「ゴム」
「ゴム?!」
最後の問いかけは、アスランと声が揃った。
「備品購入リストの…ゴムの欄に、アスランのコードで個数が記入してあったって…話が…」
「は?!」
アスランの怒声とともにぶわっはははははとディアッカは大爆笑する。そのあまりの内容にたまらず足をばたばたとさせて、勢いあまって床にころげそうになったがなんとか堪えた。

元々プラントでは、戦艦暮らしが長くなる隊においてその方面…夜の事情に関してかなり緩く、むしろ推奨する空気がある。もちろん、周囲への配慮と節度があればという話だが、プラント国民の第一の使命が次世代の繁栄なのだからそれも当然といえば当然のことだ。
たとえば、兵同士でカップルがいる場合、軍へそれを申告すれば優先的に同じ隊へと配属される。事実、シンは別に申告などしたわけではなかったが、どこかからもれたものか、恋人のルナマリアとは戦後常に同じ隊へとまわされていた。
艦の生活用品にもその手のものはひととおり揃えることのできる寛容さで、コンドームの購入申請など鼻紙の申請レベルの気安さだ。
もちろん、プライベートなことではあるので、生活用品の購入は番号のみで管理され、購入歴はふつうには目のつく場所にあるものではない。担当官がその内容をもらすはずもないから、誰かがこっそりとアスランの番号を調べて、申請リストを覗いたということなのだろう。
「あ、ありえねーっつの、この堅物が! それだけに面白すぎるって!」
アスランは爆笑を続けるディアッカを果てしなく迷惑そうな顔で見ていた。
「…そ、それで、どうなのよ、実際?」
笑いで息を切らせながらディアッカが不躾に質問すると、アスランはしごく真面目に「買ってない」と予想どおりの返事を返してきた。が、それに予想外の返事をしたのはシンだ。
「え?! 買ってないんすか?!」
「は?」
またもやアスランと声が揃ってしまったことに嫌な思いをしながらも、シンのその反応を訝しむ。当のシンは、しまったといわんばかりに口を自分の手でふさいでいるところだった。
「どういう意味だ、シン? こいつ、まさか艦内に彼女とかいるわけ?」
指をさした先のアスランはシンを睨んでいた。
「…シン…おまえまさか、知ってるのか?」
「知ってるも何も…キスしてたじゃないっすか」
「はァ?!」
これで三度目か、と心の端にひっかかりながらも、シンのいった衝撃発言のインパクトにディアッカは暫時固まる。
そのときアスランが、がっと立ち上がりどかどかとシンのほうへと詰め寄っていった。シンはたじろぎながらも彼の勢いに逃げず、席を立ち迎えたことだけはあとで褒めてやろう、などと固まりながらも考えた。
「あ…っ、あのときか! やっぱり見てたのかおまえ!」
「見えてましたよ! つか、事故でしょ。責められるいわれはないですよ! あんなとこでしてるほうもわるいし!!」
「どこでしてたの?」
ことばを差し挟むとふたりにじろりと睨まれてしまった。
しかし、アスランはすぐに深いため息とともに勢いを消して項垂れ、消沈したようにシンを上目遣いに見た。
「…………何もいわなかったから…気がついてなかったものだと……」
「節度ある人間ならああいうときは見なかったふりをするもんでしょ」
どうやらこのままだとアスランの反省でこの流れは終了しそうだ。ディアッカとしてはアスランとキスをしていたという相手のほうが気になってくる。
「おれも知ってる子?」
今度の言には、ふたりともかなり微妙な視線でこちらを振り返った。
「───おまえには、関係ない」
「ふーん…」
「シン、こいつに、いうなよ?」
あとでシンを問い詰めればいいと思っていた先を挫かれて、ディアッカはしまったと思う。が、ほかにも知っていそうな人間を当たればすむこと、とその場はおとなしく引き下がることにした。