C.E.75 9 Feb

Scene オーブ内閣府官邸・代表首長執務室

アスランは壁面に投影された人物に視線を据えたまま、「見覚えがある」といった。
険のある表情をしてはいるが、思ったより落ち着いた様子を見せている。カガリはそれを確認して、伸ばしていた姿勢をゆっくり後ろへ倒した。代表首長の革張りの椅子をぎしりと鳴らし、そうしてことばなく、暫時黙ったアスランを待った。
「デーベライナーの進宙式典の会場。ベンフォードパークで──」
アスランの目の前で、シードコードへのザフト協力を揶揄していた、と。おそらくはわざと彼に聞かせるように。
「カメラの映像で、シードコードのキックオフ・ミーティングにも確かにいたことが判っている。照会もしてある。大洋州連合の出資協力をしている人物、だそうだ」
カガリは告げて共有するために映した壁面投影ではなく、デスク上の端末機器ディスプレイをじっと見た。壁のものは少し見あげる位置にあって首が疲れるからだ。
そこには写真つきの個人IDが表示されており、その横には同じ人物を映すカメラ映像や、情報媒体に載ったと思しきスチルが並ぶ。次にはそこから目を離し、彼女のデスクの横に立つキサカを見て訊ねた。
「どの国に対しても関係者には慎重を期しているはずだ。そうやってちょろちょろ近くを現れてたってことは、人物としては問題がないんだろ」
「疑わしいところは確かにない。経歴も“まっとう”といえるだろう」
キサカが静かに答えた。声がふだんより幾分も沈んでいた。

ディスプレイに映された人物───ロマン・ジェリンスキ。

彼はアプリリウスフォーでキラのまえに現れ、挨拶をしただけですぐに去った、という。アスランがオーブへ到着するより早く、キラからオーブへその人物の照会を求める通信があった。すぐにキサカが個人情報を集めた。

C.E.43年生まれ、ユーラシア連邦ウクライナ地区出身のナチュラル。C.E.58年、家族とともに大洋州連合へ国籍を移している。国内の大学で経済学の修士を修め、その間に兵役の義務も終えた。動乱の続く時代を生きながらそのプロフィールは地味で、学生のあいだで盛り上がっていた反戦などの活動行為にも参加はしなかった。そのあとは商社に就職して二年で退職、起業してあっというまに成功し……という、典型的ともいえるビジネスエリートだ。実業家で投資家、経営に関わっている企業は、公にされているだけでも十社を下らない。各所でアナリストとしての活動もおこなっており、その才幹も評判がいいとのことだった。
「だが、」
いいかけると、アスランはようやく映されたロマンを見るのをやめ、キサカ、カガリにと順に視線を巡らせた。
「キラが危険な人間だと判断している」
「……………」
キサカは黙したままアスラン以上に難しい顔をしていた。国をまたいで調査を続けてきて、わずかにも引っかかりのなかった突然の“危険人物”に、自らの責任を感じているのだろうか。カガリはだが、それを責める気もない。敵など思わぬところにいるものだろう。
「なぁ、ブルーコスモスに接点はないのか? ここで、この頃でいちばん疑わしいあたりに繋がってればいっそのことすっきりするがな」
「……エヴァグリンか?」
キサカが応える。
「…いったんは別のラインと考えて調べよう。先入観があると目が曇る。まず大洋州連合へ渡ってみることにする。いいか、カガリ」
「もちろんだ。頼む」
頷くとキサカは部屋を出て行った。
私的だといわれようとなんだろうとキラの身に関わるようなことにはいくらでも人手を使えと彼にいってある。キサカはそれに逆らわない。キラに恩があるといい、国にもカガリにも必要な人間だといつだかいっていた。だからいくらでもいわれたとおり動くと。それが義理や義務感だけでいっているのかといえば、彼がそんな男ではないことをよく知っている。おそらく年の離れた弟か甥か、身近にわく愛情をキラにもっているのだと、カガリはそう理解している。だからこそ任せることもできるのだ。

キサカを見送って残ったアスランが、何歩かカガリの机に寄ると正面から神妙な顔をしていった。
「すまない、カガリ。少しでもキラの傍を離れるべきではなかった」
確かに彼には、キラと一緒にいろといった覚えがあるし、そのために必要があるならと代表権限を利用して各方面に無茶ぶりまでした。ただ、だからといって24時間365日べったりしていろとまではいってないし、いった意味合いとはズレている。
だいたい、そんなのは無理な話だ。今だとて必要があってアスランはここ──地上オーブにもどっているというのに。
「ちゃんと護衛をつけて出たといってたぞ。シンも連れてったってさ。……おまえ、もどってからキラにいちいち小言をいうなよ?」
「何がだ」
案の定、図星を指されたという顔をしている。カガリは惚けようとする彼を許さなかった。
「勝手に出歩くなとか何とか、心配の裏っ返しでキラを叱りつけるのは目に見えてるんだよ」
「…そんなことは……」
「いいぞ、入れてくれ」
抗議しようとするアスランを無視し、デスクのインターフォンで秘書官に声をかける。ほどなくして、ミリアリア・ハウが入室してきた。
「ハァイ、アスラン。久しぶりね。キラは元気?」
「ミリアリア」
「キラは元気だぞ。今こいつにキラの話をさせないでくれ。うっとうしいからな」
アスランはまた何かをいいたげにしたが、それも無視をした。ミリアリアが笑って肩をすくめる。
「待たせてすまなかったミリアリア。頼む」
そういってカガリは立ち上がってデスクを回り込み、その手前にある応接にふたりを促し、自らもそこへ座った。
そもそもがアスランがオーブへもどった理由は、エヴァグリンに関する情報を交換するためにあった。ミリアリアがこれから話す過去の情報から、何かが導き出せないかというものだった。

ミリアリアは第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦からのち、アークエンジェルを降りて戦場カメラマンとして数年を活躍していた。ただし取材の先は戦地にとどまることなく、彼女が興味をひくものに幅を広げることもあったようだ。そのなかでも外せなかったのは、ブルーコスモスについての動向だった。いや、かつての混乱は彼らとコーディネイターとの対立戦争だったのだから、その仕事に外れたことでもなかったかもしれないのだが。
彼女はその一環で、設立間もない頃にエヴァグリンを取材していた。どうやら新興のブルーコスモス組織には手当たり次第にしてきたらしい。
彼女は持ち込んだ多数のデータディスクをぱらぱらとセンターテーブルに広げ、「おみやげ」といって、アスランに目配せした。
「ずいぶんあるんだな」
「関係なさそうなことも全部そろえたの。わたしじゃ気がつかない何かに、あなたやキラが気がつくかもしれないでしょう」
「……ありがとう。助かる」
「まぁ、ほとんどキサカさんも把握してるようなことでしょうけどね」
彼女の謙遜に、カガリは「いや」と異論した。
「ミリアリアは当事者や関係者を、“取材”して民間の視点で見てきたのだから。キサカみたいな情報機関の人間とはまた違った意見もあるだろう。キサカもぜひきみに聞くべきだといっていたんだ」
「そこまでいってもらえると嬉しいわね。エヴァグリンについては、ここ一年ほどであまりよくない話に絡んでくることが増えてたから、実はとくに気にして情報を集めることにしてたの」
ミリアリアはそういって、その場で説明に使うためのノートを開いた。

「じゃ…あらためてエヴァグリンのことを解説するね。設立はC.E.71年。代表者は、レナード・ヘッカーリングという人物。メディアでよく見る人ね。代表といってもトップではなくて、シンボル的な存在みたい。創設者が別にいて、実質はその人がトップで中心ていうことみたいなんだけど」
カガリは組織の細かいことまで把握していなかった。そのトップがどこのどういう人間なのかを訊ねる。
「素性は公表されてないのよね。本名不明、性別・年齢・人種などの個人情報も一切不明。もちろん人前に出てくることもなくて、実際には存在していないんじゃないかって噂もあるくらい…」
すでに怪しげだ。素直にそう思った。
「この人物については?」
アスランがノートに映されたヘッカーリングのスチルを示して訊いた。
「このひとも得体が知れないのは確かではあるけど、なんていうか、昔あったっていう“宗教団体の教祖”っぽい感じ。自分は“創主”の代弁者で───設立者を創主と呼んでいるんだけど、講義ではいっつも『創主のおことばを伝える』で始まるのよね」
「なんかもう、胡散くさいなー!」
ミリアリアはカガリのことばに笑って同意し、続けた。
「まぁ、そこはね。でも表面的には組織活動は真面目で堅実な印象。宇宙空間でコーディネイターに頼らない枠組みの取り組みと提言とか。これがそのリスト」
そういってテーブルに広げたディスクのひとつを指した。
「唯一過激なのは、コーディネイターとの混血禁止デモかな。オーブでもよくやってるけど」
「……だが、テロ行為の逮捕者でエヴァグリンの構成員が増えているとも聞いている。国外からの流入者で占められていて、組織関与を示す確実な証拠を掴むのは難しい、ということらしいが」
アスランのいう通りだった。オーブは中立国という理由で、もとよりブルーコスモスの標的になりやすい。たちのわるいことには、国民に過激な主義者が多いということではなく、外からやってきた主義者たちがオーブ人のふりをしてオーブ内でいらぬ騒ぎを起こすわけだ。年々増加するそれらの活動に、エヴァグリンに関連する人間が中心にたびたびいることは、事件増加の比率以上に増えているようだった。
カガリは腕を組んで唸った。
「どれもこれも組織声明じゃ関与を否定してきてるんだ。今のところ、逮捕者については情報開示にも協力的だっていうし。まぁ国外の人間だから、こっちじゃどうしようもない話にしかならんのだけどな」
「捕まえられたところでメンバーはずっと増え続けているもの。尻尾切り要員がいくらでもいるんでしょうね」
彼らが難しいのは、まさにそこだった。個々人のみならず、企業など団体で支援者・賛同者としているところが多くあるが、いずれもそれらが問題を起こしても知らぬ存ぜぬ、個人の、団体の一存でしょうといわれて終わりだ。
「そこは重箱の角をつつくようにしてくしかないかな、とは思うのね。それでね、」
ミリアリアはまたテーブルのディスクを掻き回して、「いやなもの見つけちゃって」といいながら、探し当てたそのひとつを示した。
「エヴァグリンじゃなくてシードコードの資料なんだけど」
「え?」
カガリとアスランが同時に声をあげた。
「東ユーラシアからの協賛企業のひとつに大手の医療機器メーカーがあるんだけど、戦時中、工場のひとつで軍需企業の委託生産を請け負ってたっていう黒い噂があったらしいの」
「……ユーラシア?」
さっきもなんかちらっと聞いたなアスラン、とカガリは顔を向けた。彼は目で頷いた。
「戦争の混乱で真実は闇の中だけど、モノフェーズ光波技術で使われているライセンスのひとつをこの会社が持ってるっていうのが、その噂の元なわけ」
「───あ…」
ふたりはまた同時に声をあげた。
───ハイペリオン。
「…そうか……ユーラシアだもんな。噂は事実なんだろ、そりゃ。戦時下なんかよくある話だ」
ミリアリアはそして意味ありげに微笑んで、これが最後だけど、といった。
「あとね。エヴァグリンは大西洋連邦がずっと中心拠点になってて知ってる人も少ないんだけど、わたしが取材した当時の、つまり設立当初の拠点は元ユーラシア連邦のウクライナ」
「……………」
「……ロマン・ジェリンスキ」
カガリとアスランは再び顔を見合わせた。カガリがつぶやいた名に、彼の話を知らないミリアリアは「誰?」と問う。彼女は、アルテラ事変に関わったハイペリオンに着目をしただけだった。
「ただの偶然かも知れないが。キサカ一佐には大洋州連合じゃなく、東ユーラシアから調べてもらったほうがいい」
「ああそうだな…伝えておく」
カガリが応えるとアスランは立ち上がり、ミリアリアの「みやげ」を制服のポケットに収めた。
「ありがとう、ミリアリア」
彼女にもう一度礼をいって、退室しようとドアへ向かう。
「アスラン、次はキラも連れてこいよ」
カガリが背中に声をかけると「できるだけそうする」と応えて出ていった。

「相変わらず慌ただしいのね、彼」
ミリアリアの感想に、まぁ早く帰りたいんだろ、キラのところに……といいかけて止める。カガリはキラから直接聞いて彼らの関係を知っているが、オープンなことなのかは定かではない。親しい仲間でも余計なことはうっかりいうまい、と思ったのだが。
「ま。キラのところに早く帰りたいんでしょうね」
「………なんだ。知ってたのか、ミリアリア」
「え?」
一瞬というには長めの時間、ミリアリアはきょとんとした顔をしてカガリをじっと見た。
「…知ってるって…キラとアスランのこと?」
ああ、と頷く。
「具体的には何も知らないけど、見てれば判るじゃない」
「うーん……そうか…」
「それとも、具体的にご存知なの代表?」
「いやー、それは……だなー」
ごまかそうと思ったが、すでに白状したも同じだった。