C.E.75 6 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

アスランがいつもより少しばかり雑な様子で、アタッシェケースにものを放り込む。時間を気にして急いているのだろう。彼はこれから単独で地球のオーブへと向かう。
準備の時間を削られることが判っていながら、昨夜のうちに艦へもどる予定を今朝に変えたのは彼だ。それも、キラを思い遣ってのことだったと思う。そのことも含めて、ここ数日はアスランに甘やかされているという自覚がキラにはあった。
───そんなにひどい顔してたかな。
あいにく手近に鏡がなくて確かめられないが、キラは自分の顔色を想像し、無意識で両手を両頬に押し付けた。
ただ、キラが身も心もくたくたになっていたことは確かだった。終えたばかりの作戦はひどいものだった。それに、長期航行用の配慮がなされているとはいえ、閉塞感のある戦艦内での生活が続けばやはり疲れは溜まるものだ。
一晩だけでもちゃんとしたベッドで休もう、という彼に促されるまま。アスランがアプリリウスに用意した、自分たちの、という部屋。実はキラがそこへ足を踏み入れたのはゆうべが初めてだったのだけれど。
充分な広さのLDKとベッド二台が余裕で収まる寝室に、同じ広さをもつバス付きのゲストルームという間取り。最初はそちらをキラの私室に充てるつもりだったようだが、デーベライナーの進宙直後にいわれるまま送った私物の少なさを見て、アスランはそれをやめたという。地球から友人や家族を招くこともあるだろうと、ゲストルームはそのまま空き室だ。
───ゲストはいいけど…寝室にベッドがふたつ入ってるのはあんまり見られたくないなぁ。とくにカガリ、とか……。
彼女など訪れたらもちろん遠慮もなく、全部の部屋を見てまわるだろう。そのあたり、アスランは無頓着で困るところがある。
とはいえ、人を招くほどあの部屋で長く過ごせる時間がそうそうあるかというのが現実だろう。ここは、ダブルベッド一台じゃなかっただけましと思うことにして、キラはその問題を流すことにした。
「キラ」
益体もないことに考えを巡らせているうちに身支度が終わったらしい。閉じたケースを手にアスランが呼んでいる。その姿は、国防委員長の依頼を真正直に容れて黒の制服だ。ブーツだけが以前と同じ白なので、爪先から見上げたときの違和感が半端ない。それでも彼には似合って見えるのは欲目だろうか。
「うん、アスラン」
あれやこれやと思考を逸らせていたものの、いよいよもってごまかしも効かなくなった。
ジャスティスでキラの元へ駆けつけてからというもの、アスランはほぼ張りつくように彼の傍にいた。そのせいだろうか、去年はもっと長く会えない期間もあったというのに、たった数日の別れが、もう永遠の長さを感じさせる。そんな気持ちを出さないように気を遣いながら、送るためにドアのまえに立つ彼へ近づく。いつのまにかまた、彼を頼りにしようとする甘えた心が生まれていた。アスランはそれを望んでいるけれども、自分はそれではいけないのだ、と無理にいい聞かせる。
アスランの正面に佇むと、空いたほうの彼の手がさらりとキラの横髪を梳いた。それに名残惜しく自らの手を重ねてしまったことだけは許して欲しい。甘えることと、愛する者の温もりを未練がましくするのは別な意味を持つはずだ。
「きみがいないあいだの護衛はシンに頼むから」
微かにアスランの視線が揺れた、気がした。キラはそれに気がつかないふりをしながらも、彼の口元に残る痕跡にそっと触れた。
「ナカザワさんたちもきてくれるから、心配しないで」
「そうだな……。でも、くれぐれも気をつけてくれ」
「心配しすぎだと思う。きみがくるまでだってちゃんとやってたのに」
「……そう、かもな」
離れることの不満を隠さない、彼の表情。
「きみも気をつけて」
キラがいうとアスランは柔らかく微笑んで「判ってる」と返事をし、掠め取るようなくちづけを残して指揮官室を出ていった。
きざったらしめ、とキラはひとりごちて、ほんのしばらくのあいだ閉じた扉を見つめる。
「さて。ぼくは、と」
気持ちを切り替えて、携帯端末をポケットから取り出すとシンにショートメールを送った。