みそかごころ

C.E.74 24 Jan

Scene オーブ軍港・アークエンジェル

彼を探していたのはもちろん、回復が完全でない身体が心配だったから、ということもある。
だが、メイリン・ホークにとって見知った顔は彼しかいなかったから、自然と頼って後を追いがちだったことは否めない。そしてそれが少し、癖になってしまっていたのかもしれない。
べつに、この艦、アークエンジェルでメイリンが孤立しているということはない。出身や所属する場所に対する差別はなく、身体が回復してからは、ラクス・クラインやミリアリア・ハウなどの女性たちがことあるごとに用事をつくってくれたりもしていた。それをきっかけに、今では艦のなかの他の人たちともだいぶ打ち解けたように思う。
それでもやはり、彼を探してしまうのは。

───デ・ジャ・ヴュ……?

モビルスーツ格納庫の一角。いるとしたらそこだろうとあたりをつけて訪れた。
インフィニットジャスティス───つい先日までザフト陣営にいたアスラン・ザラの、“専用”機体がそこにある。
その足元のステップで、眠っているらしい、幼けない顔だちをした青年が主導で開発した機体なのだと。誰かから聞いていた。
時間はまだ昼まえで、広い格納庫の各所では立ち働く人たちが何人もいる。作業音などが庫内を反響してうるさいくらいに騒がしい。それでも、その場所だけが何故だかひっそりとしているように思えて、メイリンはつい声をだすことをためらった。
座ったまま眠る彼の横には、探していたアスランがいた。
何をするでもなく、その肩に体重を預けて眠る人をそのままにして、じっとしていた。メイリンが声をかけなかったのは、アスランも同じように眠っているのかと思ったからだ。
だが、数瞬の後にそっとあがった顔で、その瞼は閉じていたのではなく、立っているメイリンの高さからは伏せて見えていただけなのだと知った。
「──────」
アスランと目が合い、何かをいわなければ、と思う。
が、今や彼を探していたいい訳は彼女の頭の中からすっかりどこかへ飛んでいってしまった。しかし彼女が何かをいうまえに、アスランが静かに腕をもちあげ、自身の口のまえで人差し指を示してみせた。
「………………」
メイリンは黙ったまま何度か首を縦に振り、ひとつ頭をぺこりと下げてからその場を離れた。

メイリンが既視感を覚えた出来事はもっと何日もまえのこと。
同じように、彼の身が心配で、自分もまだふらつく身体でありながら様子を見にいったときのことだった。何故か隣の医療室のドアは開け放たれたままになっていて。入口の手前のベッドにいるはずの捕虜…らしい人物の姿はなく。自分がいこうとしていたその場所には、ひとりの青年が座っていた。
静かすぎるその室内に、メイリンはそのときも声をだすことをためらい、しばらくのあいだ、ただその様子を見つめていた。まだ少年の域を思わせる細い身体は、眠っているようにまったく動かない。正しく伸びた背筋は、彼が起きていることを物語っていたが。
ただじっと、横たわるアスランのまえで、何を思って。何を、見つめて。何故、そうしているのか、と。
傍へよることも、声をかけることもできず、メイリンはそのまま隣室のベッドへともどった。
つい今も、メイリンは同じことを思ったのだ。
アスランが、彼の何を思って、何を見て、何故そうしているのか。静かに伏せて見えたまなざしの先は、確かにキラを見つめていたのだと、気がついて。

「兄弟みたいに、一緒に育ったんですって」
数メートル先、士官室のまえにアスランとキラがいる。よく判らないが、少しばかり険悪な雰囲気だ。声をおさえているようだが、ぼそりぼそりと何かをいい合っている。
「だから互いに遠慮がないのよね。意地はりだすと、どっちも譲らなくて」
一緒にそれを見ていたミリアリアがいった。けれど、メイリンはそのことばの一部に違和感を感じた。
「…………遠慮ない…ですか?」
「……あなた、けっこう見てるのね」
確かにふたりは仲がいい。だが、ときどきだが相手との距離というか、薄い壁というか、そんな一線が、メイリンには見えるような気がしていたのだ。
「まちがいではないわ。時間がまだいるのよね。いろいろあったから」
「いろいろ…ですか」
「そう、いろいろ」
「………………」
「お願いがあるんだけど」
「……なんでしょう」

───彼らがふたりでいるときは、ふたりだけにしてあげて。

時間が必要なのだといった。何かがこじれてしまったのかもしれない。一度や二度でなく。
自分は、離れてしまった姉と、こじれたのだろうか。今のこの状況は。

その日の夕方になって、アスランはわざわざメイリンを探しにきた。彼女はミリアリアに頼まれて、クロークで新しく仕入れた制服をチェックしているところだった。
「今朝はすまない…用事は何だったかと…」
もとより、たいした用があったわけではない。アスランの問いにメイリンはしどろもどろに答えた。
「いえ……あの、それはもう済んでしまったので…その…いいんです、もう」
「そうか…すまないな、役にたてなくて」
「そんなこと…あの…とれたんですね、包帯。頭の」
「え? ……ああ」
アスランはいわれてこめかみのあたりに左手をやった。それから静かに微笑む。
ミネルバでは話をする機会そのものがごくわずかだった。そのせいなのか、それとも今いる場所のせいなのか。アスランのその柔らかくきれいな笑みを、メイリンは今まで一度も見たことがなかった。
戦闘中、管制官はモニターを通してパイロットの様子を誰よりも近くで見ている。殺気をともなった厳しい表情、声。多く記憶にあるのは、そんなもの。あとは少し離れたところから見つめた姿だけ。
その微笑みひとつで、自分は彼をよく知らないのだと気がつく。それならば、もっと知ったほうがよいだろうか。ここへきてしまった理由が要るのではないだろうか。
逡巡していた一瞬、そのほぼ同時にアスランは何かに気がついて廊下の右手を見た。

「キラ」

さきほどとはまた違う微笑みを、メイリンは見つけた。
アスランの視線の先は室内にいる彼女からは見えない。そのために見つめ続けた彼の表情は、安心を得たようなくつろぎと──少しの甘さがあった。
「こんなところでどうしたの、アスラン」
ドアの外、壁に隠れて見えないが、やってきたらしいキラ・ヤマト。が、すぐにひょいとアスランの横から顔を覗かせる。
「…あっ、きみ…。……かわいそう、ミリアリアにこき使われてるんだ?」
「いえ、あの、そんな」
うろたえるメイリンをそのままに、キラは室内へするりと入ってきた。ごく自然に傍に寄り他愛もないことを話しかけてくる。彼は優しい雰囲気と親しみやすさをもっていて、実をいえば、アスランよりも会話がしやすかった。
たとえばこういうとき、アスランは若い女性──メイリンがひとりでいる部屋のなかへ入ってこようとはしない。それはまちがいなく紳士的な気遣いだろう。ただ、それは何かの線引きをされているようでもあり、ちょっとした寂しさのようなものを感じる。
「これ、アスランのだね」
オーブの軍服を作業テーブルのうえにサイズ、性別、階級で仕分けて広げていた。キラがそのひとつを手にとり、そういった。
アークエンジェルは今後正式にオーブ軍の所属艦として扱われるのだという。その搭乗員はもちろん、オーブ軍籍になる、ということで。自分自身についての処遇は、未だに決まるものが何もない。いや、正しくはメイリン自身が決めていない、ということなのだが。
彼は───アスランは、決めたのだろうか。
その制服があるということは。

振り返ったキラに、アスランは呟くようにいった。
「間違いじゃないかと思うが。その階級は…」
「それはむしろ、ぼくのほうかな」
キラが明るい声で笑って返す。だがアスランは渋面を表しキラを見つめた。ふいに空気が変わったと気がついたけれど、メイリンは動くことができない。
「…キラ。おれがカガリに──」
「きくわけないよ。それに分不相応だとは思うけど、くれるというならぼくはもらう」
「キラ」
「またさっきの話を蒸し返すつもり、アスラン」
「…おれは、おまえがこれ以上……」
「納得したっていったくせに」
「いってない。仕方がないといっただけだ」

───こんなふうにふたりに巻き込まれちゃった場合は、どうすればいいですか、ミリアリアさん。

「…ぼく、メイリンを手伝ってく。アスランは先にもどっててよ」
「………………」
冷たく放ったキラに、アスランはそのままことばもなく去ってしまった。キラは小さなため息をひとつ吐き、人影のなくなった入口をしばらく見つめていた。
「あの。もう手伝っていただくほど、やることは。そんなに」
「…棚にしまうんでしょ、これ。上のほう、けっこう高いよ。そこぼくがやるよ、ね?」
暗にアスランを追いかけたほうがいいのでは、といったつもりだった。だが、キラは小さく微笑んだだけで、振り分けた制服をまとめはじめた。メイリンも慌てて作業を再開する。
評伝を残しそうな手腕のパイロットが。オーブ軍では准将にもなる人が。親しい友人を置いて自分自身に気を遣ってくれるのは、それは嬉しい、とは思うけれど。
思えば今の自分の状況を…まったく同じではないかもしれないが、彼は経験しているのだったな、と思いだす。幼馴染みと敵対し、ナチュラルの軍で戦っていたというキラ。望んだわけではないのに敵同士の勢力に姉とわかれ、今自身がいる場所には少しの違和感がある。今後、あるかどうかも判らない姉との関係は、彼らのようにどこか薄い壁を残すことになるのだろうか。
「へんなところ、見せてごめんね」
キラはいちばん上の棚に制服をしまいながら、そういった。
「アスランて…まわりが見えてないんだ、いっつも。だから、ごめんね」
「………え…」
何故そんなことをいうのだろう、と思った。同時に、代わりに謝るという行為が、それだけ彼に近い人なのだと理解する。
「アスランのこと、好きなの?」
腕を下ろしたキラからまっすぐに見つめられて、そんなことを問われる。そう見られるだろうことは判っている。ここへきた状況が、状況だっただけに。自分でもとんでもないことをしたのだと、つくづく思っていた。
「憧れては、います」
それはミネルバにいた若い女性の大半はそうだっただろう。若く、地位も能力もあり、見た目にも充分に過ぎるほどで。
遠くから見ていただけの距離が今はだいぶ縮まったとは思うが、憧れという距離は永遠に変わらないだろうことも逆に知ってしまった。
彼は本当に、遠い人、なのだと。
たったの一歩、この部屋へ踏み入らなかったあの人の、優しいけれど冷たくもあるその距離の。
あの領域にいる目の前の人のことが、うらやましくないといえば、それは嘘になるけれど。