Evergreen 2


C.E.74 7 Oct

Scene アーモリー基地・開発工廠第五格納庫

アーモリー市は、本国から遠く離れたL4宙域にあるプラントの新しいコロニー群だ。その名が示す通り造兵廠という役割を中心としており、コロニーの周辺には巡洋艦規模の新造や改修をおこなうスペースドックが多数浮かんでいて、L5宙域とは異なった景観を作っている。
キラ・ヤマトとその隊に属する者たちは、このアーモリー市第一区にあるアーモリー基地が当面の拠点となった。その理由は、隊の旗艦となるデーベライナーと配備機体であるモビルスーツがここで建造中だからだ。L5から移動してきたばかりのヤマト隊は、昨日一日のオフを挟んだだけで今日から早速開発プロジェクトに参戦する。
キラ・ヤマト隊長を始めとするパイロットチームは、ひとまずモビルスーツの開発状況を把握するために最新鋭機のある第五格納庫へ視察にきていた。今、ルナマリアの目前でメンテナンスベッドに横たわるのは、プロトエボリューションシリーズと総称される新開発の機体、その第一号機だ。オペレーションシステムはプラントとオーブの共同開発となっていて、以前からキラが関わっていたらしいことは聞いている。

その新しい機体の搭乗者となるシンは、つい今しがた新しい隊長から機体名が決まったからと声をかけられていた。シンは心の底では最新鋭の自機を与えられ嬉しいに違いないのに、どこかふてくされたような態度でキラに相対している。その様子をこっそりと端から見ていたルナマリアはひとりではらはらとしていた。
「“バッシュ”だってさ。乱暴な感じがきみに似合うよね」
シンの不遜な態度をまったく意に介さないどころか、キラはそんなことをいってからからと笑う。いわれた彼はあからさまにむっとした顔をして、礼もなくその場を去っていった。その背中にキラが「シーンー? 怒ったのー?」などと笑ったまま声をかけている。
「……さきが思いやられるわ…」
ついこぼれたルナマリアの独語を、すぐ隣にいたリンナ・セラ・イヤサカが聞きとめた。
「なんだか変わった隊なんだね、ここ」
女性にしては少しぞんざいな口調だが、鈴が鳴るようなさわやかでかわいらしい響きがある声だ。彼女は今日この日にパイロットとしてヤマト隊に着任したばかりだった。
ルナマリアとしてはまだまだ日常の範囲だが、さっそく“変わった”光景を見ることになって慣れない彼女には不憫に思う。
「聞いてるかもしれないけど。あいつ問題児だから」
「エース級の腕を持つパイロットなんて、クセが強いに決まってる」
リンナは落ちついた雰囲気の微笑みで返してきた。
「…そのとおりみたいね。隊長もああだし」
ため息ながらにつぶやいたルナマリアに「そうそう」と笑いながら相槌する姿は、下手をすればその隊長より大人びて見えた。実際、年齢はキラと同じだかひとつくらい上だと聞いている。さらにキラ、シンと同じくオーブの出身、元はモルゲンレーテの技術者という経歴で、プラントに帰化してからも当初は統合開発局に従事していたということだ。そのせいか、あまりパイロットらしくない空気を彼女は纏っていた。

個性ある者が揃っている点も理解はするが、この隊にはさまざまに“特別の”事情があるらしいことは、ルナマリアはなんとなく気がついている。
とりたててなんの説明も受けてはおらず、通常の異動と同じ手順で所属が決まったが、ミネルバの元搭乗員が多いこともただの偶然ではないだろうし、リンナがこの隊にきたのも「キラが要望した」からだということを耳にしていた。友軍から出向してきたばかりの新米隊長が、何故最新鋭の機体や艦の運営を任され、人員配置のわがまままで通るのか、それだけで自分が今いるのは謎に包まれた場所といえる。
さらに、彼はモビルスーツの操縦スキルも然ることながら、実はウィザード級の技術スキルも持っているらしいとの噂がすでにある。どのような事情でプラントへきたものか、ルナマリアには計り知れない話だが、よくオーブがそれを受け入れたものだと思う。
この隊自体のことはともかくとして、いちばん怪しい存在はこのキラ・ヤマトといえた。
若い女の子…いや、ルナマリアにとって、隠された事情というものは必要以上に興味をそそられる。

シンにそっぽを向かれたキラは、今度はルナマリアとリンナのところへ近寄ってきた。ふたりで敬礼してそれを迎える。
「なんか、嫌われたみたい」
「…あ、あの、シンは目上の人間には誰にでもああいうやつなので。お気になさらずに。必要なら殴っていいです」
「うん。必要なら、ね」
それはないと思うけどね、とキラは柔らかい笑みをのせながら困ったように首を少し傾げた。人好きのする微笑みと少しばかり舌足らずで穏やかな口調は、かつて戦場で見たあのフリーダムの操縦者とはとても思えない。
くわえて、隊長格の人間からこんなふうに微笑みで話しかけられることはめったにない。戦後を過ごしたいくつかの隊は、戦中と変わらずいつも緊張感があったものだ。休戦に入ったとはいえ、家族や親しい人を亡くした者が心を癒すほどの月日ではなかったし、戦後処理の鎮圧作戦などで負傷する者、命を落とす者もいるのだ。今だけのことでもなく、軍とはそういうもので、命のやり取りのごく近い場所にいる。
そんな場所でキラが異色に見えるのは、はたして彼に人を殺したいと思うほどの怒りを持ち得るのだろうかという印象だ。

───「射撃の訓練室? …ちょっと試してもいい?」

そのときだけ目が笑っていなかったな、と思い出す。声音は、その内容に反してあくまで穏やかなものだったけれど。
「明日からぼくらはソトに詰めることが多くなるから。合間に模擬戦闘訓練もやるから覚悟しといてね」
二藍の瞳を煌めかせ、意味ありげにキラがにっこりと笑う。模擬戦など、モビルスーツパイロットは通常の訓練規定で恒常的におこなわれていることだ。それをあえて「覚悟して」とつけ加えるのは何故だろう、とルナマリアは訝しむ。
「マンツーマンで指導するつもりだから」
その答えをそういい残し、キラはふたりの傍から離れていった。今度はバッシュの開発担当主任の元へいき、何やら話している。
「“フリーダム”と模擬戦ね…確かに覚悟だね」
まさかストライクフリーダムを模擬戦闘に持ち出しはすまい。リンナがつぶやいた“フリーダム”とは、キラ自身を指している。プラント内では(おそらく他国でも)その勇名を馳せた機体を操ったパイロットの名は、いまだに記録されないままとなっている。近くにいて事情を知る者や関わった者らは、オーブからきたこの新しい隊長がそうであることを知っているが、ザフト全体でというとほんの数パーセントの人数だろう。来年1月の進宙式でデーベライナーの配備が発表されるが、そこに含まれるであろうストライクフリーダムの名を見て驚愕する者は多いのではないかと思う。
「ちょうどいいわ。わたし、いまだに隊長が…モビルスーツを操縦するってことも、あんまりぴんときてなくて」
ルナマリアが素直に感想をもらすと、一瞬目を見開いたリンナは、そのあと同意を示すような頷きを交えながら笑っていた。


C.E.74 17 Oct

Scene アーモリー基地・barアイラ

こじんまりとしたショットバーの一角に、白服と赤服のザフト兵が向かいあって座っている。基地内にあるこの店であれば、それは特別変わった光景ではない。ならぶふたりの年齢がともに十代であったとしても、プラントでは成人年齢を過ぎているし、飲酒を禁じられているわけでもない。それでも何か違和感を感じるとすれば、ただひとえに、自分の目前に座る白服──キラが、その印象においていわゆる“白服”には見えないところだ。
「えーっと、シン」
「………はい」
数日前に着任してから、この隊長はいつも忙しい。
それなりに個人的な会話をする機会はあったが、あまりに飄々として掴みどころがなく、はっきりと人物を認識するにはまだ時間がかかりそうだった。今日は突然ひとり呼び出され、そのままこのバーまで拉致されて、気まずいツーショットでどうしようとぽつり考えたところで「えーっと」、だ。
たとえばハイネ・ヴェステンフルスもそうとうくだけた上官だったが、もっと何かしらこう、頼りになるものは感じていた。しかし、この目の前の頼りなさはいったい何なのだろうと思う。
「きみの資料データやっと見終わってさ」
「はぁ…」
キラはグラスを持つ片手とは反対の手にある携帯端末を持ちあげる。次には、きみの戦歴はすごいね、といった。だが、おだてるために誘ったわけでもあるまい。
「きみ、強いの?」
「……はぁ?!」
パイロットとしての腕のことをいわれているのかと思い一瞬むっとしたものの、どうやら話が飛んで酒のことをいっていると察した。シンはしょっぱなからスピリッツをロックで注文していたが、キラの視線はそのグラスに落ちていた。
シンはじろりとキラを見て「ふつうです」と返事する。実際はかなりイケる口だ。キラは「そうなの、ぼくは強いよ」といった。キラの手元にあるグラスの中身もシンと同じものだ。シンはならば、と心の中でこっそりゴングを鳴らす。この数日、キラに対してはいろいろなことで密かに勝負を挑んでいて、実をいえば戦闘シミュレーションや拳銃操法などの訓練規定にあるメニューの成績は今のところ惜敗続きだった。もはや何の勝負でもかまわない。今のこの悔しさを解消できるのであれば。
「実はさ、きみと一度アスランの話をしたかったんだよね」
「はァ?…アスラン…?」
突然はじまった今日の用件らしき話題にシンは肩すかしをくらった。
自分の態度に注意のようなものがあるか、それとも単純に打ち解けようとどうでもいい話を繋ぐつもりなのか、などとそれなりに心の中で構えていることはあったが、思いもしなかった人物の名がでたことで緊張が一気に解ける。
「どう思ってるのかなーと思って」
「………………」
キラの質問に、シンに正直に答えるいわれはない。しかし、拒否することばも発することなく、その質問の意図を探って黙り込んだ。シンにはちょっとした既視感があったのだ。


歓迎レセプションのあと、個人的な頼みごとがある、とアスランからホテルの個室に呼び出された。
「…おまえにしか、頼めない」
突然そんなことをいわれれば、このアスラン・ザラから個人的に頼られたという優越感がわきおこる。しかし、その内容を聞いてシンは少しばかり頭を抱えることになった。
「キラを護って欲しい」
「え?」
レセプションまで見ていたはずの柔らかな雰囲気は、幻のようにアスランから掻き消えていた。微かに殺気立ったような瞳の色も感じて、シンは一瞬だけ背筋を凍らせる。
「……事情があって、ヤマト隊はミネルバの元クルーも多い。…判ってるだろうが、キラにそれなりの感情を向けているやつもいる。もちろん、グラディス隊以外でもそうだろう。あいつはずっと、ザフトの敵だった…キラがフリーダムのパイロットだと公表されれば、なおさら……」
キラとアスランが互いに乗り越えたという憎しみの連鎖を、誰もが断ち切れるはずもない。シンでさえ、頭のうえで整理はついたものの感情の燻りはいくつか残している。それは人間としてのキラと向きあうことで、いつか折りあいがつくものと思ってはいるが。
「…全員、入隊まえに心理テストは受けてるでしょ。おれだって辞令がでるまえにチェックがありましたよ。そういうの、クリアしてるからヤマト隊に配属されてるんじゃないんすか」
「事情があるといっただろ。心理チェックより優先される事項にひっかかれば、キラは自分に殺意のある人間だろうと隊に引き込む。もちろんちゃんと自分自身で警戒するだろうし、オーブのSPもつく。……だが、それだけでは足りない」
「………なんですか、事情って」
「……おれはそれを明かせる立場じゃない」
シンとしてはまずその事情のほうが気になったが、アスランはそれは今どうでもいいことだといいたげに、おまえには遠からずキラから知らされるだろうから、とつけ加えた。
「つきっきりになれというんじゃない。ただ、あいつをよく思わないやつがいて、いつそれを殺意に変えるか判らない者が軍内にいるということを頭に入れていて欲しいだけだ。…そして、それを見て見ぬふりをしないで欲しいと」


「なんでそんなこと、聞きたいんです?」
長い沈黙のあと、シンはキラにそう聞き返していた。
返答ではない逆質問にキラは不快を示すことなく考えるような仕草をして、わずかにいたずらっ気のある微笑になった。
「きみがアスランの敵かそうじゃないか、知りたいからだよ」
こうして訊いてくるのはそうではないことを知っている、という証拠だ。
「今は友軍ですから」
キラに合わせ、わざととぼけて返事をする。
「そうじゃなくて。もうアスランに心配かけないで欲しいんだ」
「───は?」
まだキラの真意が判らず、シンは彼の顔を見る。いくぶん、さきほどより真面目な色を認めた。
「心配なんて、かけてるつもりありませんよ。それでもしてるっていうんなら、あっちが勝手にしてることだ。おれにどうしようもないでしょ」
「そうだね。だから嫌なんだけど」
───“嫌”といった。そして思い当たることでもあるように、本当に嫌そうに視線を落とした。まさか、先日のシンとアスランの密約を知っているわけではあるまいが。あるいは、アスランは身近な誰にでもそうした杞憂をふりまいて、苦労性よろしく心配する癖があるとでもいうのだろうか。
「…だから、アスランのまえでは多少気を遣ってもらえたらいいなって。彼のことが少しでも好きなら」
「そんな…何をどう気ィ遣えってんです」
「……そうだよね…さしあたっては、ぼくとうまくやってるふりとか…かな。あ、もちろんきみが本当にぼくとうまくやってくれる気があるんなら、話はべつだけど」
ずけずけとつけ加えるキラへの苛つきを抑えつつ、シンは先日のアスランや目の前のキラに共通して感じる違和はなんだろうと考えた。アスランは真剣そのものだった。キラは多少くだけた雰囲気を出すふりをしながらも、その瞳は真剣味を帯びている。話の重さに差異はあるものの、まずは互いに相手を守ろうとするなど、そこに相当な執着があるとシンには見える。
「……なんなんすか、あんたたち」
シンの問いかけに、キラがびっくり眼で見返した。
「気にかけすぎてんじゃないですか。それこそそんなの余計な心配でしょ、あなたは」
───いわゆるふたりの間柄は「戦友」というものなのだろう、と思う。委細など聞いてはいないが、敵同士、仇同士から、共通した希いのために手を取りあうことになったのだと。それは間違ってはいないが、シンの知識からはふたりが兄弟のように育った幼馴染みでもあるということはすっぽりと抜けている。
「余計でもないかな。権利みたいなもので」
キラは微笑んで、そういった。それがどこか憂いのある表情だったことをシンはしっかりと気がついた。

「──まぁここまでは個人的な話として。それできみの話なんだけどね」
キラはアードベッグをオーダーし、そのタイミングで話題を変えるようだ。というよりも、いちばん最初の言の続きがここへくるのか、とシンは呆れた。
キラは携帯端末をふたたび取り出し、ひっどいねーこれ、と笑いながら「資料」というものに綴られているらしいシンの過去の軍規違反をあげつらった。「よく銃殺刑にならなかったね」とも感心された。
我ながらひどいのは知っている。そしてそれらが許されたのは、ひとえにデュランダルが自分の力を利用するための打算があったからで、今後同じことは許されないことも今ではちゃんと知っている。
「判ってますよ、自分のやったことくらいは。もうやりません。せいぜいあなたの迷惑にならないように気をつけます」
あえていわれずとも、もうそんな無茶をする気などシンにはない。だが、おこなったことを後悔していないことも本音としてはあった。あのときの自分は、人として正直になっていた。それだけのことだ。
「──ああうん。気をつけては欲しいんだけどね。べつにやってもいいよ」
シンの厭味なものいいを受け流して、けろりとキラがいう。いわれたことの意味を図りかねてシンは眉間に皺をよせ、目の前の上官をまじまじと見つめた。キラもその先で、シンをじっと見つめている。
「そのかわり、勝手にはしないで。軍規違反なんてもので、きみを失うようなことはぼくは嫌だから」
「──────」
シンはことばを失って、頼りなく見えていた隊長をあらためてもう一度見る。
「規律や…きみではない誰か、きみより上の立場の者が、いつでもぜったいに正しいなんてことはありえないでしょ。きみが疑問に感じて、それは間違っているとはっきりいうことができるのなら、ぼくはそのことばを聞く。その間違いをいう者がぼくであっても同じ。…先走るまえに、あたりまえのことして欲しいだけ」
キラの意図を知って、シンは「大丈夫か、こいつ」などと思う。軍の規律や正義に異を唱えていい、とこの上官はいうのか。確かに、何度もそうした覚えのあるシンだが、隊を指揮する立場の人間からそんな発言を聞くなど、前代未聞だと思った。
兵は軍の駒であり、そこに人格も意思もない。駒が指示どおりの動きをしなければ、大局を見て指揮をする隊長の作戦は当然その通りに進行しない。そしてそれは大勢の命にかかわってくる。彼がいう「あたりまえのこと」は、そんな死線から離れた、いわゆる一般市民の感覚ではないのか。軍人には成り立たない思考のはずだ。
呆れるを通り越した表情を隠さずにいるシンに、判っている、といいたげにキラは首をふった。
「考えることもしない戦う人形なんて、ぼくはごめんだよ」
───危うい、と思った。この隊長は危険だ、と。
アスランが必死の様相でシンにまで頭を下げてくる気持ちが、今判った。なんでザフトはこんなやつに隊を持たせるんだ、と思う。シンはすっかり戸惑って、グラスに視線を落とし黙り込んでいた。

「まぁ、いいや。とりあえず、全部ここだけの話ってことで。べつにこんな話、するつもりなかったんだけどね。…ほら、隊長がこんなこといったら士気に関わるでしょ」
自分でいうのか!、とシンはがばりと頭をあげてキラを凝視した。
「アスランからきみのこと、気にかけてくれっていわれてたし。いろいろあったから、きみには取り繕ってもしょうがないんじゃないかなって」
───アスランが…?…いやいや、そうではなく。
やはりアスランは他人の心配をするのが好きなマゾヒストとして、つまりはキラは──キラも、いずれ自分たちの関係がただの上官と部下ではないものへ落ちつくという予感があるのだろう。シンにはまだ、その覚悟はないのだが、彼の中で選ぶべき候補の筆頭にキラを置いてやってもいいとは思い始めている。ひとえに、見せられたキラの危うさのせいといえたが、そう思ってしまうこともキラの手のうちなのではないかと訝しんだ。
「すすんでないんじゃないの、シン?」
キラからふいに、声色まで変えてそういわれ、シンははっとする。さきほどからふたりで数杯重ねていたが、キラのことが気になりそちらの手がずっと止まっていた。
シンは気持ちを立て直そうと、グラスに半分は残っていたボウモアを一気にあおった。
「まさか遠慮してないよね。それとももう限界?」
挑むようないわれ方にむっとしながら答える。
「んなわけないでしょ。余裕っすよ」
「じゃあ勝負しようか!」
満面の笑顔は自信満々の証に違いない。シンはめらめらとして、その勝負を真っ向から受けた。そもそも、シンは端からその気だった。

───その数時間後。

「…………やられた……!」
勝ったと喜んだのも束の間、酔いつぶれてまったく動かなくなってしまった上官を見おろし、シンは呆然とした。
───これ、おれ…連れて帰らなきゃならねーの…? ここの払いは?
縋るような目でバーテンダーをちらりと見るが、知らんといった顔で視線を外される。
───泣きたい…。
ぐでぐでのキラを引き摺りながらホテルまで送るはめになってしまった。この勝利は、とてもじゃないが勝った気にはなれなかった。


C.E.74 29 Oct

Scene オーブ軍本部・統合開発局応接室

“SEED”──人類の可能性を研究する国際組織、SEED研究開発機構の設立に各所が動き出したきっかけはキラだった。
まずはマルキオとラクス、さらにはカガリを巻き込み、かつて学会でSEEDを提唱した学者を焚きつけ、幸か不幸かその学者が旧ユーラシア連邦からオーブに亡命していたことが理由で、オーブが中心となって国際協力を各国に取り次ぐ流れとなった。果ては、キラ自身を最良の研究材料として提供し、それを餌にプラントまで巻き込んだ。アスランの気がつかぬ間にそれだけのことをすすめ、終いに彼を怒らせたのはほんの三ヶ月前。
結局、折れるのはいつもアスランのほうだった。今回はかなり頑張って怒ったつもりだけれども、キラに関しては仕方がないと思ってしまうので、やはり仕方なく折れたのだ。

今、アスランの目の前にはマルキオとキサカがいて、明日のプラント出発をまえにむこうとの設立調整についての摺り合わせがおこなわれている。何故この忙しいときに無関係だったはずの自分がここにと思うが、いつのまにか自分が窓口担当官かのようになっていて、聞けばキラが「あとはアスランに」とことごとく伝言していったとのことだ。
「あいつめ……」
ノリ気がないからこそ知るべきとの思惑もあることは判るが、実際には嫌々ながらも真面目にそつなくこなしてしまう自身の便利さを見込まれただけのことだろうと思う。どうせ幼少の昔から、アスランはキラの宿題後始末係だ。
「何かいったかね?」
「…あ、いえ。…それではわたしはプラントへ移動後、むこうの担当官との調整役をすればいいんですね」
こっそりとキラに毒突いたつぶやきをキサカに聞かれ、アスランは取り繕うように話をすすめた。その脇にいるマルキオには心の裡まで見抜かれてしまったようで、微かに笑みを浮かべているのが視界にはいった。
「軍が介入するというだけで機構への批判があるだろうが、実際問題としてオーブ軍とザフトが協力しないことには研究がすすまないようだからな」
「適切な情報公開と、わたしがリードしているというスタンスをアピールすることで、ある程度は抑えられるでしょう。プラントではラクスさまが同様の立場で振る舞ってくださるといっています」
アスランから見れば、マルキオはどう考えても勝手に大役を押しつけられたクチだと思っていた。存外に積極的ではいるようなので多少は気兼ねもないが、キラの行動ひとつが周りをおおいに巻き込むことは──ここまで派手になったのは初めてのことだが、今に始まったことでもない。

───ふだんは埋没してたけど、何か大騒ぎがあるといつのまにかその中心にいたりとか、よくあったわね。…本人は自覚してなかったけど。

以前ミリアリアから聞いた、工業カレッジ時代のキラ。相変わらずなんだとほっとしたものやら、呆れたやらで、喜んでいいのか嘆いていいのか判らなかった。その話を聞いたのはキラが自身の出生を知ってふさぎきっている頃だったので、それをとりもどせるのかとアスランは不安も抱えていたのだが。
思えばつらい時期だった。逆にいえば、今はしあわせなのだといいきってもいいのだろう。だが。

───早く、傍にいきたい。

目を離していられない。これだけ周囲から注目を集め、影響力もあり、命を狙う者の可能性まである。それだけにはらはらとして常に落ちつかない。
アスランの本心は、冗談を抜きにしてキラを大事に箱に仕舞っておきたいくらいなのだ。三年のあいだ音信不通だった時期もあったというのに、ここ一年はすっかり中毒に近い症状だ。キラがプラントへ発ってから、時間が合えば通信で会話をすることもあるが、それは手が届く距離にいないと思い知るだけのことでただ気が逸る。プラントへの出発はもう明日のことなのだが、たとえ一日でも「先に行っていいですか」といい出しかねない自分を抑えるのに彼は必死だった。

「アスラン、いるかい」
その呼びかけにはっとして、大事な話のあいだすっかり上の空だったことに気がつき少しばかりあせる。
応接室のドアが開いて、そこにムウが顔を出した。「ああ、いたいた」と陽気な声が近づいてくる。担当領域が違うとはいえムウとは同じ部署で、立場的にはアスランが上官だ。本人も気にしていないが、ムウもまったく気にすることなくアスランを階級で呼称しない。
「どうかしましたか、フラガ一佐」
むしろこちらのほうが部下のような態度だが、それは判りやすく性格の違いを表していた。
「明日からのスケジュールが出たかと思って。おれ、なんにも準備できてなくてさ。予定受け取ったら今日帰っていいか?」
おれの許可なんていりませんよ、と笑いながらアスランはポケットの端末を取り出す。ムウの携帯端末に予定を送り、ついでに要領よく提出済みになっていたムウの予定に承認を返した。
「サンキュウ。……そういえばさっきキラがな、」
「え?」
たった今考えていたところでつい鋭く反応が返ってしまう。ムウは気にすることなく話を続けた。
「ああ、まぁ、仕事の話してたんだが。通信切る間際におまえさんが近くにいないかってさ。“今日中”にはもう連絡できないからっていって。いないっていったら、じゃあいいって切ったけどな。なんだか話があるみたいだったぜ」
アスランに思いあたるものは、ある。その場に居合わせなかったのは残念に思うが、おそらくキラはそのすぐあとにでも、自宅のほうへメールをくれているだろう、と予想した。
「…ありがとうございます。連絡してみます」
少し微笑んで礼をいうと、それじゃお先に、と適当な敬礼をしてムウは部屋を出ていった。
「それではわたしも引きあげましょう。アスラン、むこうでは頼みます」
マルキオが立ち上がり、傍にいたキサカがすぐに手を貸した。そのまま自分が送るから、という合図を無言でアスランに送り、アスランもよろしくお願いします、と目礼で返した。
ぽつりと残された応接室でひとりため息を吐く。
実をいえば、アスランも出発の準備に手をつけていなかった。もとより忙しいあいだの“仮住まい”としている官舎を引き上げ、そのままをプラントに送るだけのことだ。軍指定の業者に頼めば半日もかからず手配をしてくれる。それでもいくらか荷をまとめることは必要だろうと、アスランも今日は早々に帰ることにする。
それに、キラからのメールを早く確認したかった。

その後、自分の執務室にもどってみると仕事が増えていて、なんだかんだと結局帰宅は深夜になった。
官舎の自室へもどると、予測どおりにメールの着信を知らせるランプが点いている。コンソールから送信者を確認しキラであることを認めると、鞄を置く手より先に部屋の端末を起動した。


誕生日おめでとう、アスラン。
声が聞けなくて残念だけど、今日はこのことばだけを贈るね。
プラントにきたら、きみの好きなものをいくらでもプレゼントするよ。

だから早くきて。

キラ


日付を越えるぎりぎりで見ることができたメッセージに、アスランから微笑みと独語がこぼれる。
「…気持ちは同じだな……」
「早く」といわれてもこればかりは決まった日程で移動することしかできない。もちろんキラもそんなことは承知したうえでのおねだりだ。
アスランは幼少時にも不可能なお願いをいくつもキラからいわれたことを思い出していた。もっとも、その頃のキラには、自分がそうねだればアスランなら叶えてくれるからと信じていた節がある。アスランもできるだけそれを叶えようと、実際無茶をしたこともあった。
その後、互いに遠慮しあう距離ができた時期なども経て今に至る。久しぶりの無茶なお願いは、ただアスランに愛しさを募らせることしかしなかった。

上着を脱ぎながら壁にある時計を見た。プラントの時間である宇宙標準時──つまり、協定世界時とオーブは十一時間の時差がある。むこうはまだ忙しく立ち働いている頃だろう。
キラがそれをいつ確認するとも知れないが、アスランは『声が聞きたい。起きて待ってる』とメールを返した。


C.E.74 2 Nov

Scene アプリリウスワン・シャフトタワー

在プラント大使館勤務となるオーブ連合首長国の面々がプラントに到着した。
アスラン、マリュー、ムウの三人は、75年から特命全権大使あるいは駐在武官となる。来月締結されるプラント、オーブ間の平和条約のための事前調整と準備で、早いプラント入りとなった。出迎えたのはラクス・クラインとその護衛につくザフト・ジュール隊。ラクスはわざわざ宇宙港まであがってきて彼らを歓迎した。

シャフトタワーの長距離エレベータのなかも歓談の場となるからと思ったのだろう。事実、ラクスはずっとマリューやムウと久しぶりの会話を楽しんでいる。ここでのおしゃべりは仕事抜きだ。アスランは彼らが座る場所とは背中合わせの位置にいて、ときおり彼らの会話を耳に入れているようで、微かに笑みをこぼす瞬間もある。
いつにもましてほがらかなラクスの様子に、ふだんは渋面の多いイザークもリラックスして見える。だが、ふいに後ろを振り返ったアスランと目が合うと、ぎっと眦を吊り上げた。プラントへの来訪を歓迎する心がないわけではないだろう。しかし、彼は不満なのだ。アスランが“オーブ軍の制服を着ている”ということに。
ディアッカはその心を見透かして、やれやれと思う。
ザフトにもどればいいんだ。外交官で何ができる。外からの介入で、このプラントを変えられると本当に思っているのか。…イザークがそう考えていることは察している。軍部で力をつけ、政治的影響力を増せば、望むこと──無益な争いを回避できるだけの力をつけることもできるだろう、というのだ。
それもひとつの手段ではある。だが、アスランがそういう考えは持たないだろうこともディアッカは察していた。
イザークは今ラクスの傍にいるので、黙ってぎらぎらとアスランを睨むだけだが、今日はこれから荒れるに違いない。イザークを止めるよりは、アスランにイザークを刺激するようなことをいわないよう、釘をさしておくほうが賢明かなどと考える。
───しかし、こいつはそういう忠告が利かない莫迦だからな…。
癇癖の強いヤツに唐変木。同窓に恵まれたディアッカはおのれの不運を今日も呪った。

「……おまえも座ったらどうなんだ?」
目の前に立つディアッカにアスランが声をかけてきた。
「そうもいかねーだろ、ザラ准将閣下」
そういうと、長らく会わなかった同期の男は口の端をあげてかわいげなく笑った。
「今日、キラは?」
「あのなぁ……。あいつの予定までいちいち把握してねーよ」
キラは新造戦艦の機関システム開発で忙しいのだ。そのためにアーモリーとアプリリウスを行き来していることを知っているくらいで、姿を見かけることもない。
「…くるっていってたんだ、オーブ発つまえに」
「じゃあくるんだろうさ。でもそりゃ夜のレセプションにってことだろ、ふつうに考えれば」
出迎えまで期待していたとは、こいつのキラ莫迦は相変わらずだとディアッカは感心する。よくもこう何年も執着していられるものだと。

ディアッカがその情熱を知ったのは、忘れもしないオーブ解放戦線の合間のこと。夕焼けにアスランの横顔を見たときは、驚愕以上に戸惑いのほうが大きかった。キラを見知っているというその様子に、何故キラが?…と、双方の世界の違いに、違和感を思っていた。
それから彼らの過去や確執を一度に知って、それまで見知っていたはずのアスラン・ザラが、すっかり違うものに見えることになる。名家に生まれ、アカデミーを主席で卒業し、政治的立場の高位に存在する父を持ち。人間的な交流に頓着がなく、ものごとをうえから見る冷めてすかした人間なのだとずっと思っていたのだ。実際、ずっとそういう態度だった。だが、その多くは誤解で、単純に不器用なだけだとも判った。
そうしてアスランを知ってから数年、フリーダムとアークエンジェルをミネルバが墜としたとの報せから間も空かずに、アスラン脱走の報が届いたときには、心配より先にめまいがした。あとから聞いたデュランダル云々の話も真面目に聞く気になれず適当に聞き流した。
───どうせおまえはキラが墜とされて見境がなくなっただけだろう?!
それをあえて口に出すような真似はしなかったが、ディアッカの胡乱な視線には気がついて、そのあとは多くを語らなくなった。

ディアッカは少し声を潜め、アスランにだけ聞こえるようにいった。
「おまえ、そんなめでたい頭でいいのかよ」
アスランはふいと視線をあげてぽかんとしている。
頭のわるいやつではない。むしろその逆だということは充分に判っている。自身がプラントへくることで何が起きるのか、何ひとつ想像もせずにきたわけではないだろう。──だが、忠告はせずにいられない。
「たぶん思ってるよりも、ザフトにはおまえに理解を示す人間は多い。つまりそれだけデュランダルへの反発が増えたってことだが…」
メサイア攻防戦で放たれたネオジェネシスの一射が、時を経て大きな反感へと拡大した。敵味方隔てずの虐殺は旧世紀的な幼い行為だ。冷静になれば、それに気がつく者は多いはずだった。しかし、戦争を経て冷静になりきれないのは人の常だ。
「だが………“違うこと”を思うやつもいるんだ、まだ…」
ディアッカは、アスランがパトリック・ザラの息子だから、と厭う者がいまだにいるということを直接にはいえなかった。目の前の彼は自分がどう思われることなど気にしないだろう。しかし、パトリックの名が、彼の死を得て三年を経過してもなお、おそらく今後もずっと…だが、出てくることには深い傷がある、と思う。
彼が何かをいったわけではない。ただ、ユニウスセブンの落下でそれは決定的なものになったのだろう、とディアッカには判るのだ。
「判るか、アスラン。前の大戦が終わったときと同じだ。おまえを英雄視したい連中はおまえを担ぎ上げようとする」
ヤキン・ドゥーエ戦役後、当時の暫定政権、アイリーン・カナーバ議長がアスランをオーブへいかせるままにしたのは、彼がプラントに残ることで起こる内部分裂を避けたかったからだ。わるくすれば二分する勢力を生み出して混乱し、その後続いた二年ほどの平穏はなかったかもしれない。
「それどころか、地球連合の弱体化で、プラントは敵と味方を探すことばかりしている。…それが現状なんだ。おまえが敵なのか、味方なのか。おまえがここにくれば、誰もが考える」
それまで無表情に俯いて聞いていたアスランは、少しだけ顔を顰めてディアッカを見あげた。
そして、急に立ち上がり全面強化アクリルの壁際へと歩いた。そのほんの数歩のあいだに、エレベータはシャフトの中央位置より抜け出し、プラント内部を一望できる透過壁のチューブを下りはじめる。
人工の日差しが暗い色の髪を透かして、あまり見る機会のない明るい藍色になった。
「すまないディアッカ。気苦労ばかりかけているな」
そうして返ってきたことばにかちんとくる。
「おまえな…」
「おれはオーブのアスラン・ザラだから」
目も逸らさず淡々と告げられたことにディアッカの顔色が変わった。思いもかけず、逃げ口上をいわれたような気がする。しかし、それは違ったようだ。
「そういえばいいのか? 違うだろう。…同じじゃないのか。おれがオーブにいても。プラントへきても。行動で示せば納得するのか? しないのだろう、彼らは」
続けて発せられた開き直りのようなことばの連続に、その真意を探す。アスランは難しい表情もしておらず、こちらへ向けた視線は穏やかにさえ見えた。その頬を照らす陽光のせいもあって、まろやかな雰囲気に包まれている。
だが一度ことばを切って俯かせた視線は、その表情に変化はなかったものの、前髪の陰りの分だけ少し沈んだように思える。
「おれがどうでも、プラントも…世界も。おれの思いどおりになどならない…」
ふいにことばを止めてしばらく彼は沈黙したが、それが中途半端に途切れたことばのように思えて、ディアッカは黙ったまま彼の語るに任せた。アスランはもう一度ディアッカに視線を向けていた。
「だから、道具と同じだ、と。そう思いたいのならそう思わせておく。だが、ただ扱いやすい道具になどならないし、なれない。おまえなら知ってるだろう。前線にいたおれが、どういう兵だったのか」
知っている。あとから知ったことも、多かったが。評価とのギャップがひどすぎて、ことばにすることもできない。
「…戦うといったんだ。キラが。それならおれも、そうするしかない。そのために道具を演じる必要があるなら、そうしてもいい。だから……」
アスランはことばの続きを飲み込んだが、要は。
「…やっぱりおまえ……莫迦だったんだな…」
ディアッカの総まとめにアスランは嫌そうな顔をした。しかし、「莫迦」のまえにつくものについては省略してやった。これはおれの優しさだと受け取ってくれ、とディアッカは無言でアスランを睨む。すると、アスランは何故かくすりと笑った。
「おまえの警告は身に染みてる。感謝もしてるよ」
「……厭味か、それは」
「そうじゃない…けど、おまえ。おれがかなりなところでキラと対立する考えを持ってるといったら、驚くんだろうな」
「──は?! ……なんだよそれ?」
「夕飯にするおかずの意見が合わないとか、そういう話じゃないぞ?」
自分で自分のことを茶化してみせたアスランに、あほかのひとことを進呈する。咄嗟に出たことばはしかし、本当に真実なのではないか。
「それでよく、キラの傍にいる気になるな?」
「……慣れ、かな」
「………………」
「子供のときからだから。べつに気にならない」
気にしろよ!とツッコミを入れたいが、それはやはり諦観という、いい印象のないものではないのかとディアッカは訝しむ。その視線を察してか、アスランは軽く微笑んで説明を加えた。
「対立することに慣れてるといってるだけだ。…おれは諦めはわるいほうなんだ。キラは意地っ張りだし。それでけんかもするが、お互いに理解はしてるよ」
アスランが譲れないところではしつこいことをディアッカもよく知っている。ことに負けず嫌いだ。負けることが嫌いなやつは(好きなやつもいないだろうが)、後悔する自分を嫌悪する。後悔をしないために、諦めることをせずにくどくどと続ける。
とくにアスランは。
諦めることをしていなければ、あるいは殺し合いをするようなことにはならなかったかもしれないのに……と。後悔をするだけして、もう諦めるとかそんなものとは、縁を切ってみせたといいたいのだろう。
目を離してはだめなんだ、と。彼が思いどおりにならなくても、自分の意に添わなくても。
誰かが、その多くが期待するアスラン・ザラは、そうではないだろうと思うのに。
「イザークの厭味…いやぁ、勧誘かな。…そっちもしつこいんだぜ。知ってると思うがな」
「……覚悟しておく」
そう応えながら、ともすれば冷たい印象を与えてしまう整った顔立ちを、ほんの少しだけ柔らかくして微笑んだ。
何年も、この顔にだまされていた自分がいる。天然育ちの朴念仁と知って、それでもまだ何かだまされているのではないかと疑ってしまうこともあるが。
キラと、キラとともにいる彼の姿を思い出せば、ディアッカには彼らを助けてやろうという考えしか浮かばなかった。

もちろん、仕方なしに、だが。


C.E.74 3 Nov

Scene プラント

宇宙港のカフェラウンジで待つアスランのところにキラが姿を現したのは、待ち合わせ時間の十分まえのことだった。約束に遅れたわけではないのに、会いしな十回ほど「ごめん」を連発する。
「だって、昨日会いにいけなかった…!」
キラはゆうべのレセプションに顔を出すこともできなかった。アスランにメールを送ったのは真夜中の3時を過ぎた頃。朝起きたときに確認することを想像して、「お詫びに今日はまる一日つきあうから」と送った。
その直後、待ち合わせ場所を指定するアスランからの返信が届き、彼を待たせていたと知ってキラは激しく後悔をしていた。
「謝らなくていいよ、忙しいの判ってる」
ディアッカにも嗜められた、といって優しい微笑みを返してくれるアスランに、キラはごめんを五回追加する。
「確かにこういうときは、おれだけのキラだったらいいのにって思うけどな」
さらに追加してごめんをいおうとしているところを遮ったその言に、キラは顔を赤くして硬直した。再会したばかりで、それは不意打ちだろう、と思う。しかも素でいっているから始末に負えなかった。こういうときは素直に照れるべきか、茶化すべきか、判断に迷う。
アスランは急におとなしくなったキラを変に思いながら、キラの分の飲み物を注文した。
「今日大丈夫なのか、本当に」
デーベライナーの建造は予定どおりとはいえ、内部システムは特殊な仕様をいくつも備えており、キラが手を放すことはできない状態にある。ふつうに考えればアーモリーを離れる時間などは、ないはずだった。こう見えても要領はよくやってるんだよ、とキラは笑って答える。
「こっちには昨日の昼にもどったんだけど、久しぶりだったからやることがたまってて。なんかね、書類仕事ね。ザフトの隊長って大変だね。んで、レセプションに間に合わないっ…て思った時点で開き直って。いっそすっきり終わらせて今日一日空けるほうがいいと思ってさ。そうするために頑張ってたんだ、昨日は。褒めてよね?」
まくしたてるキラの話をアスランは笑顔のままでずっと聞いていた。最後のことばには、キラの頭をくしゃくしゃと撫でることで応えた。

それからふたりは、ユニウスフォーにある“血のバレンタイン”犠牲者の共同墓地へ出向いた。
ここ、ユニウス市四区コロニーは五区に続いて農地化作業がすすめられていたが、共同墓地の一画はこのまま保持されることになっている。建物がほとんどなくなった景色にぽつりと残った慰霊塔は、それだけ余計に寂しさを演出しているように思えた。
母、レノア・ザラの墓前で黙祷するアスランが何を思っているのかは判らなかったが、いまだ墓標のない父、パトリック・ザラにも彼はここで語りかけるのだろうか、とキラは想像する。
キラはパトリックに一度も会ったことがなかった。アスランの父が、プラントやザフトの創建に携わったかの有名人だということを知ったのも、だいぶあとのことだったように思う。テロの標的になるのを避けるため身分を隠してコペルニクスにきたという事実は、子供心にも衝撃だった。そんなことがあったからこそ、アスランとキラは争いを嫌い、ぜったいに戦争になど関わらないと心に誓っていたのだった。
子供の頃の誓いは守れなかったけれど、おとなになった自分たちにできることは、同じ心をもつ子供たちのためにその誓いを果たせる世界、その素地をつくっていくことだ。
争いはふたりを出会わせ、別れさせ、また巡り会わせたけれども、そのために多くの苦しみがあったことも、また事実だった。

ユニウスフォーのターミナルで「このあとの予定は?」とキラが訊くと、アスランはうん、と唸った。
「こっちにきてから転居を繰り返してたのはまえにいっただろ? その先々の家を処分しておこうと思ってるんだ」
手続きはオンラインでできるけど、といいよどみ、キラの顔を見ながら何かを考えている。
「…そのまえに一度、直接ちゃんと見て…何か残っているなら引き上げようと思ってるんだが…」
「つきあうけど、問題ある?」
「……慌ただしいなと思って」
なんだそんなことか、とキラは息を吐く。
「ぼくはべつにかまわないんだけど。アスランとずっと一緒にいられるならね」
アスランは苦笑いをしつつも嬉しそうだ。彼としては個人的にすぎる用事なので気兼ねのようだが、キラにとってはアスランの過ごした家を本人の思い出話つきで見て歩ける楽しそうなツアーに思えた。
「それじゃあ“彼ら”には泣いてもらうとするか…」
そういってアスランは少し離れたところでこちらを見守っている護衛官を呼び、その予定を伝えた。
キラにはプラントへきてからも、一人ないしは二人の護衛がつき添う。いつでも、というわけではなかったが、隊を離れたり、アプリリウスを出るときなどはとくに警戒をされる。護衛官はオーブからきている者とプラントで用意された人間の半々といったところだが、給与はプラントから出ているらしい。それは、キラがプラントへくるに際しての条件のひとつだった。
今日も「アプリリウスを出る」といったらついてきたのはふたりだ。
このあとどんなに飛び回ろうが彼らは不平もなく懸命についてくるだろうし、いざというときは身を挺してキラを護ってくれるのだろうが、彼らの目があればアスランと手を繋ぐのも気が引けるし、せっかくのデートも少しばかり残念な気持ちがする。
護衛する側としての経験もあるアスランからいわせれば、彼らの目は気にするな、空気だと思え、とのことだが、庶民感覚のキラにしてみればそう慣れるものではない。
アスランは自身でいうとおり本当に視界にも入れていない様子で、油断すれば手を繋ぐどころか肩を抱き寄せたり、一度は護衛の目の前でキスをされたこともあった(挨拶のキスだったが)。護衛の存在よりむしろ、アスランの行動に気を遣う。
今日は慌ただしく動くだろうから、そうそうアスランも油断ならないことはしてこないだろうと予想するが、別れ際の挨拶だけは気をつけようとキラは思った。

それからふたりはアスランが生まれたディセンベルナインと、コペルニクスからもどってしばらくいたというセプテンベルツーを回った。その時点ですでに日はとっぷりと暮れ、最終的な転居先のアプリリウスツーのザラ家跡地はいずれまた日をあらためることになった。
ひとりで片づけてまわるアスランを見て、今日は彼につきあうことができてよかったな、と感じる。
縁者、親戚の類いは、名も知らぬ遠縁が地球にいるらしいというだけでひとりも残っていない、と以前聞いたことがあった。そんな彼が、もう二度と会うことのない血の繋がる者たちの痕跡を消して歩く作業など、孤独にもほどがある。
アプリリウスの家だけでも残しておくことはしないのかと問えば、面倒なだけだ、といった。それが本心なのか、深い意味を持っているのか、キラには判らなかったが。

アプリリウスワンへもどるシャトルの中でふたりきりになると、右にならんで座るアスランが肘掛けに置いたキラの手にその左手をそっと重ねてきた。
「今日はありがとう、キラ」
穏やかな微笑みと、じわりと伝わる手の温かさに、よく考えてみれば一ヶ月ぶりのアスランだったと思い、右手を返してその左手に指を絡める。週に数回の通信では届かなかった彼の匂いと体温が、今はすぐ傍にある。本当に、本当の自分は、アスランがいるだけであとはもう何もいらないのに、と思う。
「このままアーモリーにアスラン持って帰りたい」
そうすれば仕事の能率もあがると思うよ、と半ば本気でいうと、アスランは「また莫迦なことをいってるな」と笑って、絡めている親指でキラの人差し指をひと撫でした。
「本気なんだけど」
つられる笑いを抑えて、頭をシートに押しつけたままアスランを見つめると彼の顔が近づいてくる。目を閉じずに待っていると、かわいらしいキスをひとつくれた。
「おれも攫いたいって思ってるよ。…おれだけのキラにしたいって、本気だからな」
お互いの本気を冗談にするために、それからふたりは意味もなく笑いあった。だがそれも長くは保たずに、すぐにどちらからともなく顔を寄せて濃密なくちづけを交わす。絡めていただけの指先にも力が入って、いつのまにかしっかりと握りあっていた。
ポーン、と到着を知らせる音が鳴って、ふたりは名残惜しく唇と手を離した。
直後に後方の部屋に控えていた護衛官が入ってきて、キラはどきりとする。まさかそのタイミングまで見守っていたのではあるまいかと疑うが、真実を知るのが怖くてアスランにそれを訊くことはしなかった。


C.E.74 4 Nov

Scene シャフトタワー・ボトムカフェ

今日はプラント国防委員会ビルの一室で、定例の国防会議が開かれる日だった。そもそもキラがアプリリウスに帰還したのはこの会議に出頭を命ぜられていたからで、決してオーブ大使館の面々を出迎えるためではない。
会議はアジェンダを逸脱せずに進行し、予定を早めてすっきりと終了した。
「時間できたから、お茶しようか」
「……このまま、ですか?」
護衛でついてきたルナマリア・ホークとリンナ・セラ・イヤサカを誘うと、少し怪訝な顔をされる。確かに仕事としての用事は終わったが、制服も着たままでということに気が引けるのだろう。しかし、平時にあってそう堅苦しくなることもないよ、とキラは和む笑顔でいった。実際、この付近では軍服でうろついている兵士はちらほらと見かける。白の隊長服…という点でいうなら、それは確かにあまりないかもしれないが。
隊長がそういうなら遠慮はしません、というルナマリアの案内で、シャフトタワーの下層にあるカフェに落ちついた。

キラがプラントにきてから一ヶ月が経過した。
ここへきてキラはザフトの水にもすっかり慣れている。これまでナチュラル中心の環境ばかりで生活を続けていたにも関わらず、このコーディネイター本拠地での居心地のよさに、自身もそうであることの実感を今更ながらに思う。対人での近さということではなく、生活するうえでの環境がコーディネイターに合わせられているからということだろう。仕事のうえでも基本的には効率重視となっており、時間を無駄にすることも少ない。会議が予定を繰り上げて終わるなど、オーブ軍ではほぼなかったのではないだろうか。
だが、逆にいえばこれはコーディネイターの欠落した部分の表れでもあるのだろうか、とキラは考える。
“無駄”の欠如、すっぱりとした割り切りのよさは、感情の欠落や心の冷淡さのように思える。それは、非道な決断を疑問なく降せる者を余計に生んでいるのかもしれない。
ものごとは計画に沿い、それを逸脱するものは排除するべきというデュランダルの姿勢は、コーディネイターそのものを表しているように思えて、キラはそこを嫌悪した。
───たぶん、近親憎悪。自分はそうならない。なりたくない…って…。
傾きかける自身がどこかにあるからこそ、そう思う。
ヤキン・ドゥーエ戦役後から強くなった、他人へのシンパシーがなければ、今自分がどうなっていたか判らない…。

カフェの同じテーブルで、楽しそうに笑う彼女たちの豊かな感情を感じてキラはほっとする。そういう理由でキラは女性、ことに少女たちと過ごすのが好きだった。
今日も護衛に誰かをといって、どういう心境なのかすすんで手をあげたシンを断って彼女たちを指名した。
「……それじゃおれが困るんで」
「なんで」
「サボってると、思われるし」
「思わないよ、そんなこと」
「いや、あなたじゃなくて」
「………ほかに誰に、そう思われるの?」
「………………」
そのときの意味不明なシンとの会話だった。隊長である自分に断りなく、誰かが部下の監視をすることがあるわけでなし、軍でなければ個人的な関係の誰かと思われるが、思いあたるのはせいぜい彼とおつきあいをしているというルナマリアだ。
「ルナってシンのこと尻に敷いてる感じ?」
それまでぺちゃくちゃと続いていたルナマリアとリンナのおしゃべりがはたと止まり、ふたりそろってキラを瞠目して見た。
───やば…。唐突すぎた。
彼女らの会話になんの脈絡もなく突然にそんなことをいえば引かれるのもあたりまえだろう。しかし、少女たちは気にしないところが、たいしたものなのだ。
「そういうのセクハラじゃないんですか」
男性に厳しいリンナがいう。
「あ、そうなんだ。ごめん」
「大丈夫ですよ。…ていうか、あいついろいろだめだから、つい叱ってますね。いつも」
「ふーん…」
突然の切り込みのわりにどうでもよさそうな返事を返し、キラは冷めかかっているカフェオレを一口飲んで、聞きたいことは終わったことを示した。話が唐突に飛ぶキラにはもう慣れているようで、ふたりは何事もなく邪魔されるまえの話題にもどっていった。
キラは携帯端末を出して時間を確認すると、そのままメールをひとつ打つ。
「隊長、このあと本部にもどりますか?」
キラの様子に気がついてルナマリアが予定を確認した。
「え…。えっと。今日はもうここで解散でいいんだよね。明日からまたアーモリーにいくし、きみたちこのままここで遊んでいったら」
プラントでもアプリリウスワンは、地球の感覚でいう“都会”と同等で、ここにしかないような女性が好むお店が多いということはキラも知っている。アーモリーから移動してくる際に、女性兵士の数人が買物するのが楽しみといったような会話をするのを何度か漏れ聞いた。
「わたしたちは護衛なので、本部か官舎に帰るまでちゃんとおつきあいしますよ?」
「ありがと。でもあと三十分くらいしたらほかの護衛がつくから、こっちは気にしないで」
「……そうなんですか?」
そんな話は聞いてない、といいたげにルナマリアとリンナは顔を見合わせた。
「ああ、あの。正確には、要人警護とかできる人が、くるから」
「どなたがですか…?」
言外にここからはプライベートで人と会うからと伝えたつもりだが、あまり通じなかったようだ。
「……アスランなんだけど…」
ルナマリアのまえで彼の名を出すのは少し恥ずかしい。何故だといって、彼女からはグラディス隊にいた頃のアスランの話をつい先日聞いたばかりだったからだ。ことに、フリーダムが墜ちたときの取り乱し様の説明はいたたまれなかった。
───恥ずかしいのは、ぼくじゃなくてアスランだから。
そう心にいい聞かせて平静を保つ努力をする。当の本人はおそらくそう思ってないだろうことがなんだか悔しい。
「…ほんと仲いいんですね、おふたり」
「え」
ルナマリアに他意はないのだろうが、キラにはどういい繕っていいのか判らない。前後の事情をまったく知らないリンナは黙して会話を見守っている。何かいいわけめいたものをいわなければいけないような気がして、キラはいわなくてもいいことをいってしまう。
「……彼とは幼馴染みだから…その…」
「え…っ。……えーーーーーーっ!!」
その絶叫にリンナまでがたじろいでいた。さすがのキラも怯む。周囲の注目する視線も痛い。
「そっ、そんなに驚くようなこと?!」
「あたりまえじゃないですか! だって……」
ルナマリアは次のことばをそのまま飲み込んだが、キラには伝わる。
───だって敵同士だったのに。
「もう、いい。この話、ここまでね」
キラは努めて冷静にいった。ルナマリアがいいかけたことに動揺したことが、判らないように、と。

それからなんだかんだと時間はすぐに経って、さきほどメールで呼び出したアスランがきてしまった。遠くからキラに同席する者がいることを認めると、彼の表情がわずかに硬くなった。しかしそれは、キラだから気がつく程度のもので、周囲には完璧とも思える紳士的な笑顔を表して、声をかけてきた。
───やめてよね、そういうの。
初対面のリンナはともかく、見知っているはずのルナマリアまでがその微笑に魅入っている。
仕方なしに、まずはリンナを紹介し「きみも座ったら」とアスランにその輪に入ることをすすめた。余計な話をしだすまえに、彼女たちが気を遣ってくれないか、と思う。余計な話とはつまり、兄貴顔をして「キラはちゃんとやってるのか」などとルナマリアに確認するようなことだ。だが、意外にも軽い世間話をするくらいで済み、数分もたたずルナマリアとリンナのふたりは立ちあがり官舎へもどるといった。キラとアスランも立って、彼女たちを見送る姿勢をとる。
「買物とかしていかないの?」
「アーモリーと様子違いますから。一度もどって、着替えてからにします」
キラの問いかけにルナマリアは自分の制服に視線を落として苦笑いをした。
それから彼女はキラの背後───というには近すぎる距離の背後をぱっと見る。アスランはキラの背中の左側半分にくっつく位置で立っていた。
「アスランなら隊長を任せられますね!」
「………………」
「………………」
「隊長のこと、お願いします」
「……あ、ああ…」
それが護衛を気にしてのことだと、キラは一秒ほどかかって気がついたが、先の会話を知らないアスランは気の毒なくらいに固まったままだった。
「それでは我々はここで。失礼いたします」
敬礼を交わしてやっと一息を吐く。アスランがきてからキラはずっと緊張したままだった。
「場所変えようか」
アスランの彼女たちを見送る視線に少し妬けて、キラはその袖を引きながら声をかけた。すぐに向けられた顔は目が合うと緩み、軽い笑みを含んでキラの首から下を見た。
「おまえはそのままなのか?」
コートを羽織れば“白服”は目立たないといえども、このまま軍服でデートをするのはどうだろうか、ということだろう。ちなみに昨日に続けてオフだったアスランは私服で、細身のステンカラーコートにカジュアルスーツだ。昨日より落ちついた色合いのコーディネイトで少し大人っぽく見えた。もしかしたら、キラが軍服のままであることまで気を遣ったのかもしれない。
「彼女たちと同じ方向いくわけにもいかないじゃない」
「なんで? べつにいいだろ──」
「これ以上きみとふたりきりになれないの、嫌なの」
彼を遮って正直を小声で告げれば、アスランは少し驚いたような表情で沈黙した。
「アスラン、嫌じゃないわけ?」
「……嫌じゃない、な」
満面の笑顔になって返されたそのことばに、キラは瞬間むくれる。
「キラがそんなふうに思ってくれることが」
すぐに続けられたアスランの声が頭のなかに響いた。
キラは口を開けたまま動きが止まってしまい、そのままみるみる顔が赤くなっていくのを感じた。
───人、いるから、周りに、人!!!
周囲に聞こえるような音量でしている会話ではないが、この雰囲気ばかりはいかんともしがたい。
「き……っ…昨日からっ。おかしいよ、アスラン」
「──何が?」
穏やかな微笑で小首を傾げてキラを見る。それは幼少時のアスランによく見た仕草だが、それなりの年齢になった今では限りなく近い者にしか見せることはない。つまり今は、キラしか見ることができないものだ。甘い関係を築いてから、初めて長く離れていたからだろうか。アスランは果てしなく柔らかく優しくなっていて、そのうえ口も軽くなっている。
「……自覚ないの?」
「だから…何が?」
「もういいよ。い、いこうよ、どこでもいいから」
「じゃあ、食事。キラからメールもらって、すぐに予約しておいたから」
軍服でいっても目立たない店だよ、といってキラを促し歩きはじめた。
「それってザフトの客が多いってこと?」
「違うな。個室しかない和風レストラン。おれたちがふたりきりで顔を揃えているところなんて、ザフト兵が見たら物議をかもすだろ」
アスランがどこまでの自覚をもってそういっているのか判らないが、確かにふたりの立場で会食などしていたら傍目に気になりすぎるだろう。
「プラントにきたらきたで、それなりに面倒なこともあるね。…とくにアスランはさ」
顔が売れているから、という意味でキラはいっているが、そういう本人もザフトではいろいろと有名人だ。
「オーブだったらふたりでいたって誰も何も思わなかったのにな」
「こんなことでホームシックか?」
「こんなことじゃないよ。重要なことじゃん」
自分の勝手でプラントにきておいて迂闊にそんなことをいえば、いつもなら怒鳴られているところだ。今日のアスランは相当甘くできているようで、少し笑ってキラの頭にぽんぽんと手をやった。
「婚約発表でもしようか?」
「………………ラクスと解消できたらね」
「ああ、そうか。…気兼ねなく一緒にいられるいい案だと思ったんだけどな」
「…ほんと、今日おかしいよアスラン」
暮れかかった偽りの夕日がすっとアスランの頬を照らした。それを見つめながら、明日からはまたしばらく会えないんだな、とキラは思い出す。そうであれば、こんなおかしいアスランでもまぁいいかと思った。


C.E.74 5 Nov

Scene アプリリウスワン・オーブ大使館

今日はふたたびアーモリーへ出発する日だった。
その前に自国の大使館へ挨拶にいくというキラは、「じゃあ今日はオーブ人トリオでいこう」という判るのか判らないのかよく判らない理由によって、シンとリンナを護衛に指名した。
ザフト本部から車で十数分の距離でたどりついたそこには、ちょっとした金持ちの邸だろうかというほどの建物があった。門扉のすぐ中に警備小屋があることを除けば、アプリリウスワンの居住区にならぶ邸とまったく変わらない様子だ。
中へはすぐに通されて、正面口からまっすぐに進んだ先の応接室にはキラだけが入った。間を置かず、シンも顔と名前くらいは知っているマリュー・ラミアス大使と、アスラン・ザラ、それからもうひとり武官がその応接室へと入っていった。
何を話しているのかは判らないが、気心の知れた面々らしいから、長らくここで待たされるんだろうななどと思っていたが、ものの十分ほどでキラは部屋を出てきた。
「それではラミアス大使。あとのことをよろしく頼みます」
ドアを出てすぐに振り返ると、キラはそういってマリューに手を差し出した。
キラを見送りに出た彼女はそれを見て一瞬目をぱちくりとさせる。だが次には微笑んで、「ヤマト隊長もデーベライナーの開発、大変でしょうけれど、お願いします」といって握手を返した。
「まぁ頑張れよ。進宙式にはいってやるよ」
マリューの背後にいた武官が空気を気にすることなく、おそらく本当の彼らの会話を思わせる口調で締めくくった。
「ありがとうございます、フラガ一佐」
丁寧にそう返したキラを見て、苦笑している。大きな傷を顔に残す精悍な面立ちだが、どこか面倒見のよさそうな雰囲気を持っていた。
アスランは…といえば、キラにはひとこともなくシンを見ていった。
「シン、頼んだぞ」
いつかの個人的な頼みとやらのことをいっているのは間違いない。シンはちらりとキラの白い背中を見た。
「…はい」
短く返事をすると、アスランは口許に少しだけ微笑みを浮かべる。それで安心したわけでは、ないだろうが。
───そんなに心配なら、あんたもアーモリーにくればいいんだ。
とは、今この状況ではいえないが、いつもどこかもどかしさを残しているアスランは、見ていてじれったくなってくる。まぁそれでも、たっての頼みとあれば自分も力を貸さないでもない、とシンは思っていた。

「では失礼します」
キラは正しく敬礼をして鋭角的な所作で踵を返した。護衛についてきたふたりの兵も隊長に倣い去っていく。彼らをその場で見送って、知らず小さなため息がこぼれた。
「なんだ、心配なのか」
「───え?」
ムウの指摘にアスランは、そういうことでは、と否定する。ふぅん、そうかい?と彼は訝しげだ。
「あのキラはおまえさんの教育か」
「ちょっとびっくりしちゃったわ。急に態度変えるから…」
「…他国へ出向中で、一応は隊長ですから。とくに部下の前では気をつけるようにとは、いいましたけど…」
プラントへ出発するまでのあいだに何度となく注意はしていた。オーブ軍にいるのとはわけが違うのだから、と。素直に気をつけていると判ってそれには安心したが、アスランは彼の別の行動について少しばかり苛立ちを覚えていた。
───ここへシンを連れてくるなんて。
ムウがいるのに、と。
「フラガ一佐。…彼のことは覚えていますか」
「ああ…赤い瞳の子だな。……覚えてるよ…」
ムウはネオ・ロアノークだった頃の記憶については、本来の記憶を取りもどしてから少しばかり朧げになってきているようだった。ネオとしての記憶と感情は、過去に観た映画のようだといっていた。とくに感情の部分は、過去の経験、つまり記憶が違う性格を生むように、自身のものとして捉えきれないものらしい。
シンは、彼がかつて指揮していたファントムペインのエクステンデット、ステラ・ルーシェに強く思い入れていた。
「戦場に返さない」という約束で彼女をもどしたシンを裏切り、“ネオ”はステラをふたたび戦場へ送った。ロード・ジブリールからの要請には、無理解であっても「仕方がない」と諦観でやり過ごすよう暗示を仕掛けられていた、という。かつてのネオには、それは確かに仕方がない行動だったのだろう。
だが、それがシンに通じるだろうかと思う。
彼はムウがネオだと気がつかなかったようだが、ふたりを引き合わせるべきではないとアスランは思っていた。それなのにキラは───。
「…おまえさんがそんな顔をすることじゃないだろう」
黙り込んだアスランを見てムウがその心を読んだかのようにいった。
「いつかは向き合う必要があるのよ、アスランくん。今日はその機会ではなかったけれど」
マリューはムウの心を思いやりながらも、彼がすべきことを示す。彼らは視線を交わし、悲しみを乗せながらも柔らかく微笑みあった。ふたりは過去のことについてしっかりと話し合っているようだった。
アスランはそのことに心をずきりとさせる。
果たして自分たちはどうだろうか、と。
キラとはいまだに殺し合いをした当時のことを話すことはない。過ぎた苦しみを、語ることでまた味わう必要はないと。
今はそれでいいのだと。「今は」と。
それでは、「いつかは」振り返らなければならないのだろうか。しかし、それを思い切るには、まだ時間が必要だ、とアスランは思っていた。

大使館を出て車に乗り込むと、キラは人目がないからいいよね、と早速だらけた。制帽を脱ぐとずるずるとシートに沈み、足ははしたなく向かいのシートに預ける。車は完全防弾のスモークガラスだ。運転席とも隔てられているので、確かにこの場はキラ、シン、リンナの三人だけではあるのだが。
「あー、肩凝った」
肩凝るように取り繕ってたのは応接室を出てから車に乗るまでのほんの数分だけだろう、とシンはこっそりつっこむ。そういう自分もいまだに形式ばったことは苦手だったが、さすがに人目がなくなったとはいえ勤務中にここまでだらけるようなことはしない。
「あとからね。アスランがうるさいんだよ、ちゃんと隊長ぶってないと」
どんだけだと思わないでもない。しかし、堅苦しく真面目で、どうやら気になりだすと他人のことにもかまいかける癖のあるらしい彼であれば、キラを叱りつける姿も容易に想像できる。
「さて。アーモリーにもどったらシンには、いよいよバッシュのOS開発手伝ってもらうよ。まずは実稼働のデータ作りだね」
「…シンはいいね。自分に合わせたスペックの機体がもらえて」
「リンナの配属は決まったのすごいぎりぎりだったから。遅れるけど、リンナのもつくるんだよ」
そのキラのことばにシンははたと気がつく。あれほどのモビルスーツの建造には、設計期間を含めると最短でも三ヶ月の工期が必要だ。転属命令が出てからまだ一ヶ月あまりしか経っていない。ということは、シンはその以前からヤマト隊への異動もバッシュの受領も決まっていたということになる。バッシュはキラが受け持つ特務のために開発された機体で、かつシンが搭乗することを初めから想定して造っているのだと聞かされたこともあったからだ。
───単純なことじゃねーか。今まで気がつかなかったなんて。あぶれてた兵の寄せ集めじゃなかったんだ…。
ヤマト隊の“特務”のことはいまだ何も聞かされていない。いや、特務があること自体が公表もされていない。だからこそ特務なのだとは判るけれども、シンはそれを早く知りたかった。アスランは、いずれ近いうちにキラが直接教えてくれるといってなかったか。
「隊長」
「ん?」
声をかけておきながらシンは逡巡した。今はキラとふたりきりというわけではない。
「……なんでもないです…」
「…いいたいことあるなら、いえば?」
「…ちょっとした思い違いです」
変なシン、といってキラはシンから視線を外した。
「………きみ、アスランから何かいわれてるんじゃないだろうね。さっきも“頼むぞ”なんて、声かけてもらっちゃってさ」
「───え」
キラは視線を外したままにしていたが、追及を表す強めの声だった。この隊長はけっこうなところで鋭いのでシンは困りはてた。
「キラを護れ」ということに口止めをされた覚えはなかった。しかし、わざわざ呼び出してふたりきりで話したことなのだからそれは推して知ることだ。
「…あんたを頼むっていわれましたよ、先月」
「やっぱり! アスランはぼくを侮ってるんだよ、実際」
嘘はいわなかったが、キラは勝手に違うほうへ捉えてくれたようだ。シンが胸を撫でおろしたところで、車は軍本部へと到着した。


C.E.74 5 Nov

Scene L5軍事ステーション・ボルテール

ヤマト隊は軍事ステーションへ移動すると、ドッキングベイに碇泊するボルテールへと乗艦した。アーモリーへの帰りはジュール隊に護送される。何でもラクス・クラインがデーベライナーを視察するとかで、ついでにどうぞというわけだ。
実際、L4とL5の移動距離は莫迦にならないので、便乗というものは多い。今回キラについてきたのは隊のうち数名のみだから、わざわざ艦をひとつ動かすほどのことではない。今日ラクスの移動予定がなければ、もしかしたらもう数日、アプリリウスにとどまることになっていたかもしれない。

「ラクスッ」
「キラ!」

一ヶ月ほどまえの隊長の就任日にも見た光景だった。ふたりの男女は周りはばかることなくひしと抱き合った。
「ありがとう、ラクス。アーモリーには早くもどりたかったんだ。きみの予定がなかったらぼく…」
「いいえ、キラ。ジュール隊長が、そういえばデーベライナーをまだ見にいってないですね、と進言してくださったのですわ」
「イザークが?」
キラが、ラクスの後方にいるイザークに目を向けると、彼はその視線をふいと背けた。となりにいるディアッカがにやにやとそれを見守る。
そのあいだ、彼と彼女は抱き合う腕はすぐに解いたものの、向かい合って立ったまま、その双手は双手ともに繋ぎあったままになっていた。
シンは胡乱な目でそれを見つめていた。なんとなくそうかなとはずっと思ってはいたが、これは間違いなく───。
「やっぱりうちの隊長に婚約者とられたって図よね、あれ」
右に立つルナマリアがこっそりとささやきかけてくる。以前オーブでアスラン本人の口から、婚約は解消したと聞いていたが、その原因が目の前にあったとは思っていなかった。
───めちゃくちゃだな。よくつきあってるなこのひとと。アスランは。
どこをとってもキラとアスランの反りが合っているようには思えない。それでも仲はいいようで、キラは昨日も一昨日も夜は宿舎へもどらず、アスランのいるホテルに泊まると連絡があった。久々に会った戦友につもる話でもあったのだろう。
それにしても、目前のいちゃいちゃカップルに、“あの”イザークが何も苦言を呈さないことが、シンには不思議でならなかった。相手がラクスであろうと「少しは慎め!」という一喝のもと、あの繋いだままの手を離させるくらいのことはしようものなのに。
実際のところは、イザークもディアッカもふたりが恋人関係ではないことを知っているために、その様子を微笑ましく受け止めているという事実があった。彼らの睦まじさは“同志”を思う心の表れだと知れば、めくじらをたてて怒ることではない。
そんな事情を知らぬヤマト隊、ジュール隊のパイロット、その他諸々兵士らは、移動中の艦内の風紀などが少々気になって、夜は眠れないかもしれなかった。

ボルテールは刻限どおりに航行を開始し、アーモリー到着まで何事もなければヤマト隊には退屈な一日半となる。シンは一応アスランとの約束を守るために、艦内護衛としてキラにつくと進言した。「ふーん、いいよ」と冷たくいい放たれてしまうのは、シンがアスランから“お目付”を申しつかってると思われているからだ。
「でもちょうどいいや。シン、次のミーティング同席して。その代わり、発言、質問、一切なし。いいね?」
次といえば、キラ、ラクス、イザーク、ディアッカの“えらい人たち”だけのミーティングのことではないだろうか。それに出ろとは嫌がらせなのか、とシンは疑った。

ブリーフィングルームのモニターにデーベライナーとバッシュの設計図が映し出されている。
キラはさきほどから国防委員会で報告した事項を交えて、デーベライナーの説明などをしている。どうもそれは“戦艦”としての機能──要するに火力などの装備のことではなく、どうもデータ集積だの解析だのと、毛色の違った話が中心になっているようだ。
ここまで聞いている限り、件の艦には戦闘時のデータ収集と分析に重きが置かれている、という様子だった。途中、会話のなかでディアッカがはっきりと、「戦う研究所」と揶揄した。
───特務ってこれか…。
しかし、ただ戦闘のデータというわけでもなさそうだ。彼らは何度も「シード」という単語を口にのぼらせ、それが主題であるように思われた。
「設計構想はこれで国防委員会の承認が全部通りましたから、あとはもう完成まで走るだけです。もどったらすぐ、バッシュについては実稼働テストに入って、そのあとはデーベライナーとのデータリンケージの開発が厄介なくらいで……MSのレコーダーではなくリアルタイムが条件なんで、仕方ないんですけど」
キラの説明に何故かその場の全員がちらりとシンを見た。
「まぁそれは、こいつにかかってるな…」
───え? なに??
イザークのぼそりとしたつぶやきは聞き逃せないものだった。しかし発言は許可されていないので、ここは黙って聞いているしかない。
「それでこのあとの仕上げはね。“ファクトリー”の手を借りたいんだけど、いいかな」
キラのお願いに、ラクスは笑顔で「もちろんですわ」と応えた。
ファクトリーは、あのストライクフリーダム、インフィニットジャスティスを手がけた技術者集団だ。彼らの手を借りるとなれば、機体の完成度はかなりのものとなるに違いない。が、実際のところ、ラクスのプラント帰還とともにファクトリーの三分の一はプラントへもどり、アーモリーで職務に就いている。それを思えば彼らの技術力はすでにバッシュに活かされているはずだが、ここであえて「ファクトリーに」、というのは理由がある。
───つまり、ザフトに公開しないブラックボックスをつくるということだ。
「もちろんオーブにもわたさない。技術データの均等なシェアが条件だから、見せない情報も平等にしないと」
さらりと告げられたキラのことばに、シンはまずい場所に居合わせたと思った。
なにやら、二国を相手に共謀でもするつもりかというような会話に聞こえたからだ。
「シン、なにその顔」
キラがシンの動揺にすぐ気がついた。
「今の話が気になるの? オーブもプラントも了解してるプロジェクトだから、大丈夫だよ?」
にこにこという擬音が本当に音をたてて聞こえそうな笑顔でキラがいう。キラの笑顔は怪しさにあふれているが、他の面子を思えばそれは真実かもしれない。少なくともイザークとディアッカについては、彼らの国への忠義心について疑うところはない。
「だいたいねぇ。戦艦の視察になんでラクスがいくのって考えてよね?」
確かに彼女は平和貢献に生きる国際大使なのだ。ただの戦艦に用事などあるわけがない。
「─────」
つい口を開きかけたシンに「だめっていったでしょ」といってキラが制した。
「アーモリーにつくまえに、きみにはちゃんと説明するね。どうせもう、逃げられないし」
「は…?」
「しーっ。…それでラクス、次の予定なんだけどね。実稼働データはいつ頃までに揃えばいいか、ファクトリーに確認してもらいたいんだけど…」
聞き捨てならないことをいいかけたキラは、思わず声が漏れたシンを押しのけて話の続きをはじめた。

ストライクフリーダムの開発経緯について、シンはよくは知らない。
ただ、キラの戦闘記録を元に彼が搭乗することを前提とした設計とチューニングがおこなわれているとだけ。
「デスティニーもきみには良機だったみたいだけど。ぼくならもっといいものをつくれるよ」
ブリーフィングルームを出て充てがわれた艦室へもどる途中、キラはいつになく静かな微笑みでそういった。
デスティニーも同様に開発され受領したものだった。実際その操作性はシンによく合っていたし、インパルスと比べても、“手足のように動く”という表現がとてもしっくりとした。彼は、それ以上のものをつくる、というのだろうか。
バッシュの設計構想はキラが手がけているのだという。さらにオペレーションシステムは実際にキラが組み立てているとも。今、シンを見ているのは心からの自信がある瞳だ。
「……でも、シンは嫌かな。ぼくがつくるものなんて」
前方へ視線を逸らしてから、キラはそうつぶやいた。返事を期待した問いではないような気がして、シンは押し黙ったままにする。それに、咄嗟にはどう答えていいのかが判らなかった。

キラの技術者としての能力は、シンも素直に認めている。このひと月、彼はアーモリーで専門の工員に任せきりにすることなく自分自身も開発にたずさわり、それどころかアイデアが豊富で、独自のカスタマイズで次々と工期を繰り上げ、機能の向上も加えた。
工学カレッジに通っていたと聞いているので、もともとは技術者を目指したりしていたのだろう。戦争には「巻き込まれて」とのことで、軍人になったのも「状況としてそうなった」のだという。
しかし、そうした状況になってその能力をたまたま開花させたにしても、彼には確かに元からの“特別”を思わせる何かがある。
一度、デーベライナーの機関開発でトラブルがあったとき、彼の処理スピードを目のあたりにしたことがある。何パターンもの要因からトラブルの原因を手探りするような作業であったのに、キーボードを抱えたあとは手は一瞬も止まらず、数分のあいだに数十のシミュレーションをつくって走らせ、原因をすぐに特定させた。どんなに慣れて優秀な技術者でも、処理オブジェクトをひとつ作り出すあいだ思考で何度か手は止まる。おそらく、計算能力が異様に高いのだろう。さらには、身体能力のほうも。
何度か対戦した相手だからこそ、判る。反応速度の高さに、何度も翻弄された。それは機体性能に頼るにしても限界のある部分だ。本人の反射神経がよくなければ、フリーダムのあの動きは、ない。
シンは、キラの出生自体に“何か”があることも知っている。それが何かはまったく判らなかったが。だが、彼のために創られたという友が、それを教えてくれたのだ。
「…べつに…あなたがつくるものは、嫌いじゃないですよ」
シンも返事を期待せずに、独りごとのようにつぶやく。キラがゆっくりと振り向き、シンを見つめた。
シン自身、何がいいたいのかよく判らなかった。ただ、彼がいなければ、彼がその能力を持つべく生まれなかったら、あの大切だった友人とは会えなかっただろう、ということ。ただそれだけは、いつか感謝をしたいといつも思っていたから。
キラはふいに無重力の通路に流す身体を止め、シンの右肩を押さえることで彼もそこに留めた。
「…きみがぼくの隊にいるってことは、きみはぼくに力を貸してくれるってことだよね」
「……あたりまえでしょ。それが仕事なんすから」
キラはまた少し、にこりと微笑んだ。
「それならぼくは、ぼくに力をくれるきみたちを守る」
これもあたりまえの取り引きでしょ、と続けた。達観したような、打算的なような、もののいい方だった。だが、それは人が愛情を分けあうことの真理も含まれている。キラはそのことば通りのことをいってはいない、とシンには伝わった。
「だからバッシュはぼくに任せて。パイロットの命を最後に護るのはね、やっぱり機体なんだ」
だいたいの予想はつく。いつか自分が墜としたフリーダムから彼が生還しているのは、その機体がパイロットを護るための機構を強くしていたからだ。そして軍が開発するものといえば、搭乗者の命よりその戦力、攻撃力を優先する。威力を活かすために、コックピットの設計がなおざりになることは、よくあることだった。
キラはそれを損ねることなく、ザフトが要求する機能、性能を盛り込みつくりあげる自信があるということなのだろう。そして、彼ならばそれはできるのだ。
自分はこの人に守られている。それが取り引きだというなら、それでもいい。
「その提案、乗ってもいいです。でも、いいんですか。おれは“大変”ですよ」
「うん。ぼくは、きみがいいな」
求められることに、シンは弱い。シンは目の前の、どこか頼りなげな上官を見ながら亡くした“ふたりの妹”の面影を重ねていた。
そのキラは一度静かに瞼を閉じ、そして二藍色の瞳を現した。得体の知れない決意を宿して。


C.E.74 9 Nov

Scene L4・スレイプニル第七ドック

スペースドックの一角にあるモニタールームに人だかりができていた。そこへ集ったのはほとんどがエンジニアで、複数あるモニターのひとつが映す外部カメラの映像に皆して注目していた。六十五インチのディスプレイに映る光点は一見するとめちゃくちゃに動いているように見える。技術主任も彼が何を思ってああいった動きをするのか判らないようで、しきりに首をひねったり、滑稽に見える瞬間もあるのか、ときには笑いをもらしたりもする。
光点を持って動く機体は最新鋭のモビルスーツ“バッシュ”で、シンが受領することがすでに決まっている。搭乗パイロットであるシンがいまだにその機体に乗ったことがないのは、開発チームの責任者からその許可がまだ出ていないからだった。
その責任者とは、今バッシュを操っている白服のパイロット、キラ・ヤマト。不規則な動きのなかで一瞬止まるのは、そのあいだ彼がオペレーションシステムを見直しているからだ。そんな作業をしているのかと思えるほどの、ほんの数秒間。誰もが舌を巻くスピードだ。
シンには、キラがその機体を動かす不規則なリズムについても理解している。彼の視界にはおそらく仮想の敵がいくつもいるのだ。それは同じモビルスーツかもしれないし、あるいはモビルアーマーや戦艦だろう。概ね厄介ともいえる機動兵器を想定しているのだろうが。
ふつうであれば、シミュレーターか模擬戦を通じてその調整をおこなうはずだ。だが、それではパイロットの手も借りねばならず時間もかかるから、とキラはひとりでバッシュを持ち出し、見えない敵まで周りに配置して、そうしながらワンオフだというオペレーションシステムの調整をすすめた。一度はそのシステムのほとんどが入れ替わったかのようなものに仕上げてきて、技術主任を泣かせたこともあった。だが、そうしてあとから手を加えるほどに、不思議とブラッシュアップされてくる。プログラミングにおいて、それはあまりあり得ない。元の仕様設計を崩して書き換えるなど、どこかに齟齬が生まれるようなものなのに。
───ああ、それはね。ほとんど勘だよね。
訊けばそうあっさりと返されたことがある。ロジックで組み立てるものに“勘”というのもおかしな話だ。実際には経験則からくるひらめきだろう。それを勘ともいうかもしれない。何しろ、キラは趣味が高じてというにはいいわけにならないくらいのプログラミングやハッキングの経験がある。

気がつくと外部カメラの補足範囲からバッシュが消えていた。エンジニアたちも三々五々、モニタールームから出て格納庫や設計室へと散っていく。シンもそれに倣ってモビルスーツ格納庫へと向かった。
まもなくその格納庫のハッチからバッシュがもどってきた。メンテナンスベッドにおさまると、ブラックとメタリックブルーの装甲はディアクティブモードになり、エンジンのうなりも消える。ややあって、そのコックピットから白のパイロットスーツがするりと姿を現した。
地味な彩色の格納庫内にぽつりと佇む赤服は目立つ。そのシンに気がつくと、キラはヘルメットを外しながら身体を流してきた。
「……お疲れさまです」
敬礼して迎えたシンにキラは「早く乗りたい?」と訊いてくる。答えるまでもないことを、と思い、シンは返事をしない。
「明日から乗ってもいいよ。なんとか人が乗れるくらいには動くOSになったから」
キラはシンの横で、バッシュを見上げながらそういった。
───それじゃあなたは人じゃないんですか。
うっかりとそんなことが口をついて出そうになる。もちろん冗談なのだが、そうならない事実もある可能性をシンは先回りして考えていた。

アーモリー市第一区にあるアーモリー基地はザフト設計局の拠点となっており、戦艦やモビルスーツなどの兵器開発がおこなわれている。モビルスーツはアーモリーの各区内で建造されるが、戦艦についてはミネルバ以後アーモリーの同一軌道上に位置するスレイプニル造船所でおこなわれていた。スレイプニルは複数のスペースドックで構成され、常にいくつもの戦艦が同時進行で建造、修理されている。
ヤマト隊の旗艦デーベライナーは、そのスレイプニル第七ドックで建造されている。同じくバッシュもアーモリー基地からこのスレイプニルへと移動され、宇宙空間での最終的な調整がおこなわれていた。
「ストライクフリーダムも持ってきたんですか。……あれ、乗ってみても、いいすか?」
キラを待つあいだ、バッシュがある格納庫とは別の棟にフリーダムがあるのをシンは見つけていた。パイロットであれば最強の機体に興味がわくのは当然のことだろう。ましてやシンには、対峙したこともある因縁の機体だ。
「いいよ。でも、面白くないよ。きみには」
キラ自身がつまらなそうな顔をしてそういったが、シンは面白いかどうかは本人が決めることだと心の裡で思う。
「そんなことより、渡した契約書はちゃんと確認した?」
「……まぁ、一応。こっちにもどった日には…」
「──なんだ。だったら早くサイン返してよ」
何もたついてんの、とキラに非難する顔でいわれて、シンは嘆息した。もうまるきり、契約書にシンがサインすることがあたりまえのように彼がいうからだが。確かに、シンはサインをするだろうし、それを拒否できる状況でもないことは判っていた。しかし突然の話に、少しくらい逡巡する時間くらいはくれてもいいだろうとも思う。

キラは約束どおり、アーモリーへつくまえにヤマト隊やシンの今後のことについてなどの話をした。
デーベライナーを中心にして、ヤマト隊には“SEED研究開発機構”という国際協力組織の要になる任務があるということ。そして、シン自身もその組織の人間として身分を移され、さらには披検体としての協力を望まれているということ。キラにせがまれた契約書はそういったことへの同意を示す書類だった。
現時点でSEED研究開発機構は、プラントとオーブの共同声明プロジェクトという位置づけだが、正式な組織始動にはそれを離れる。地球連合が組織再編のうえふたたび国連へと姿を変え、その下の機関となることまですでに決まっているのだそうだ。
「つまりぼくたちは国際公務員になるの。お給料もよくなるし、老後の生活も完璧に保証されるし、いいことずくめなんだけどな…」
「………いいかわるいかは、おれが決めることじゃないんですか」
「…だって、きみに選択権ないもん…裏向きには」
そうですか、と聞き流せない話ではある。
その“SEED”を持つという人間自体の発掘が難しい状況で、確実にその力を現し、数値に記録できるほどの発現を示す存在は貴重に過ぎるというのだ。シンにはいまひとつぴんとはきていないが、彼がそのひとりであることははっきりとしており、さらには先の大戦で戦績著しかったミネルバチーム全員に、その潜在性を見ているのだという。ヤマト隊に元グラディス隊の人間が多いのはそんな理由からだった。
「───なんか、それって伝染性みたいなものがあるってことですか?」
「そういうことも判らないんだよ。ミネルバに注目はしているけれど、こっちは手当たり次第に可能性を探ってみるってだけの話だから」
シンにしてみれば、突然そんな未来視野の研究の話などされ、たかだか一国を護ろうというだけのつもりで軍に志願したはずのものが、自分にはそれにとどまってはならない理由があるのだと聞かされ、戸惑わないはずがなかった。
「手当たり次第の可能性につきあう対価が、給料と老後ですか?」
「どうとるのかはきみの考え次第じゃないの。きみ、プラントを護るだけで、それでいいって。ずっとそう思ってるだけでいいって。きみ自身がいつまで、そう、がまんできてると思う?」
選択権はないといわれたし、そもそも説得というつもりかどうかは判らないが、自分自身の考え方まで問われ、キラのいつになく真剣になっているまなざしに懐柔されたのは確かだった。それに過去を思えば──ステラは決してプラントの人間ではなかったな、と思えば、自分がこれからどうしていけばいいかなど考えるまでもないことのように思えた。

ごく目の前でじーっとキラに見つめられ、シンは嫌々自分の制服のポケットから携帯端末を取り出した。わざとらしいくらいのため息を吐いてみせ、キラの端末宛にサインを返すと視線のほうではひと睨みを返す。もったいぶっているわけでもないが、仕方なくなんだぞというアピールぐらいはしておいてもよさそうだ。
「ありがとう、シン」
サインを確認すると、キラは満面の笑顔でシンに礼をいう。おそらく、本当に心からの笑顔なのだろう。“嬉しい”ということの。
こうした子供の無邪気さを表したような面に騙されてるヤツがどれほどいるだろうか、と思う。そこに偽りはないのだろうが、それは彼のほんのひとつの面なのだ。
───それに気がつかないと、ほんと手の上で転がされる。まじで。
アスランなど、そのひとりなんじゃないかとそう思っている。
キラにはしっかりとしたしたたかさがあり、黙って誰かに守られているようなタイプにも見えない。銃の腕はアスランにひけをとらないし、確かに腕力はあまりなさそうだが、それを補う俊敏な反射神経を持っている。おまけに、妙に勘がいい。それらのことを、シンは訓練規定のプログラムのなかで見ていた。
ストライクやフリーダムに斃された仲間を思って彼に恨みをもつ者があったとして、キラがそれを察することもなく傍に近寄らせるなど、あるとは思えなかった。それをああまで必死に「護れ」などと、どうかしている。
───それでも傍から離れないけど。決めたことだし、約束、したし。
何より、興味がある。
大きな秘密の箱を抱えて突然プラントにやってきた彼は、いつのまにか自分を巻き込んで自分の世界まで変えようとしている。もちろん、“勝手に”されて腹が立つ心がないこともないが、それ以上に傍にいて次に何をしでかすのか見ていたいという気持ちにはなっていた。


C.E.74 24 Nov

Scene L4・スレイプニル第七ドック

アスランは到着したL4のプラント中継ステーションから、アーモリーへはいかずにそのまままっすぐデーベライナーのあるスレイプニル造船所へ向かった。L4を訪れた目的はデーベライナー建造の視察だが、今日は移動日でスレイプニルへいく予定ではない。しかし、キラがそこにいることを知っていて、おとなしくアーモリーでただ待っているなどできるわけもなかった。
他国の軍事工廠ではあるが、キラの行動圏内であれば関係国武官の彼でもある程度自由が利く。予定がなかったにも関わらず、スレイプニルへはIDの提示と生体認証であっさりと入所できた。ゲートを通ったあとは所内のマップを渡されただけで、付き添い兵のひとりもなく歩き回ることが許される。とはいっても入口から内部まで、実は隠しカメラが無数にあってシステムと人の目による監視が常時おこなわれ、高機能の多重センサーも各所に張り巡らされている。開発現場などというものは機密があるに決まっているのだから、神経質なくらいの設備はその他にもいろいろと備えているはずだった。
アスランは監視の目があることを意識して寄り道をせずまっすぐにデーベライナーのある第七ドックへと向かった。

船体の格納スペースの一角、宙に浮くように突きでた展望室の窓からアスランはデーベライナーを見下ろした。
新造艦のドックはそれ自体ミサイルの直撃に耐える外壁に囲まれ、内部は無重力状態を保っている。船体を固定する巨大なアームや無重力エリア用のクレーンなどが邪魔をして、その巨体の全容を見ることはできないが、確かにもうこのまま宇宙へ航行できそうな完成された姿であることは判る。
シルバーとアイアンブルーのツートーンはこれまでのザフト艦に見なかった配色だ。全長415メートル、全幅170メートル、重量92万トン、デッキ数16、乗員約160名。搭載可能なモビルスーツは6機。ストライクフリーダムなどハイパーデュートリオンエンジンをもつ機体運用を前提にした艦なので、核エンジン整備に必要な設備と、エターナル同様それらの機体速度に随伴可能な速力をもっている。
これほどの艦に拝めることもそうないだろうが、特筆すべき部分は外側からは見えないデータ集積コンピュータとその運用システムのほうにある。公式には戦艦で、それも事実ではあるが、非公式にはSEED研究に必要なデータの収集分析をおこなう移動型の研究施設といえた。
工廠の人間にはよく知られたその事実も、この艦の搭乗員であるヤマト隊の兵のほとんどには、その実態をまだ知らされていない。そのため、キラが許可する一部の兵以外はヤマト隊の人間でもここを訪れることはできない。
「アスラン?」
許可のあるそのひとり、シンが展望室へと入ってきた。この部屋は格納庫に通じているので、所内からの通路替わりにもなっているのだろう。休憩もどりであるらしく、その片手にドリンクを持っていた。
「いつのまにきてたんすか。声かけりゃいいのに、こんなとこで、ひとりで」
視察の予定は聞いているはずだったが、一日早い訪問には多少なり驚いたようだ。声音はいつものつっけんどんな調子なのに、目だけはまだびっくり眼でいる。その様子にアスランは少しばかり笑みがこぼれた。
「ああ、少し、外側を見ていたかったから。……ヤマト隊長は?」
呼んできます、というのをすぐに引き止めた。キラの集中を邪魔したくない。ここにいることが判ればそれでよかった。

シンはそのまま去らずにとどまり、アスランと一緒にデーベライナーをしばらく見つめた。
ただの話題のつもりだったのだろうか、シンは視線をそのままに「こないだフリーダム乗ったんですけど」と、ぼそりといった。
「フリーダムに?! …乗った?」
詰問するようなアスランの問い返しに、シンは思いもかけなかったというような表情になる。
「…ちゃんと隊長の許可はもらいましたよ…」
「………………」
アスランは再び展望窓の外へ視線を落とし、静かに聞いた。
「──それで…どうだったんだ。乗った感想は」
「………そりゃ動かすことはできますけどね。あれで戦闘は無理ですね。…おれは」
パーソナライズされた機体はそれだけで他人が動かすのはきつい。個々人の身体的な特徴と癖、自身でも気がつかないレベルの神経系に合わせた調整などが施されている。
「そういうのを省いて、無理ですよ。おもに反応系統の基準値がふつうじゃなくて。機体をもてあます感じ」
アスランはわざとごく一般的な最適化の結果をいったが、シンはごまかされなかった。あたりまえだ、あれはパイロットであれば、すぐに気がつく。──“異常”だと。アスランはキラの無防備な態に心の中で舌打ちをした。
ストライクフリーダムはキラだからこそあの動きが可能なのだ。彼の搭乗を前提に操縦性を排除された高性能機が、優秀とはいえふつうのパイロットに扱えるわけがない。
「あれで隊長に最適化されてる機体なんだっていわれたら、隊長がそんだけとんでもない反射神経を持ってるってことじゃないですか。それと、戦闘中あんなに反応がいいのに、感知系装置のスペックが低くて。よっぽど勘がよくなきゃ──」
急にことばをきったシンは、青ざめて見えるアスランの顔色を窺うようにしながら、次のことばを継いだ。
「まさか隊長って、戦闘用コーディネイター…とかじゃないですよね…」
追い打ちをかけるシンの問いにアスランは息を飲む。その場で身じろぎもできず、返事もできず、ただ黙ったままきつく目を閉じた。シンはアスランのその様子を目にしながら、ことばを止めない。
「地球連合で造られてた、ってのは知ってますよ…そういうのが」
それはコーディネイターに対抗するために造られた、という矛盾した存在だった。彼らは服従遺伝子を操作され、ナチュラルに敵対行動をおこすことができなくなっているともいう。キラが地球連合軍に所属していた過去なども知って、シンはそんな想像を働かせたのかもしれなかった。
「…まぁもし隊長がそんなんだったら、おれなんかに…明かすこともできないもんでしょうけど……」
どう答えればよかったのか。シンは何を期待してそんなことをいうのか。
当たらずとも、遠くは、ない。キラは───嫌ないい方をすれば、そのスペックは最高のチューンナップが施されている。何も戦闘に発揮する能力のみではなく、そのすべてが。そしてその設計図どおりに生を受けた、唯一成功の存在、最高のコーディネイターだった。
「シン…」
「……なんすか」
「その話、他の人間にはするな…」
アスランは否定も肯定もせず、そういった。そう、いうしかなかった。
「他人にはハナから話す気なんてありません。あんた以外に」
シンは不機嫌を現してそういった。真っすぐな赤い瞳には少し険がある。
思えば彼にはキラを護るように一方的に頼み、アスランにそうまでさせた本当の理由も話すことはしていない。利用だけして、気づかれたくないことに気づかれ口止めを強いて。むしのいい話だった。しかし、「秘密なんでしょ。判ってますから、そんくらい」とすぐに引き下がる様子は、初めから明かされることを諦めていたともとれる。
「……すまない」
奇妙に理解を示すシンの反応に必要以上に声が硬くなった。
アスランは今更ながらにキラの傍にいられないことに焦燥する。自分がもっとずっと彼の傍で守ることができるのなら、シンに頼むこともなかった。ましてやフリーダムに乗せるなどその場で止めもしただろうに。
アスランは俯いて、デーベライナーを眺めるふりで視線をさまよわせていると、ふいに横から聞き捨てならない独言がもれ聞こえた。
「…夢の子供、か……」
はっと目をあげて、つぶやいた者の顔を見る。シンはただ無表情に、デーベライナーのほうを見つめていた。
───知ってていったのか、それとも…?
それを問うことをためらっていると、シンの視線がはっと動き、「おれ、声かけてきますから」といってその場を去ってしまった。シンの見ていた先を見れば、キラが艦からでてきて手近な工員と話をしているところだった。

呼ばれた声にキラが顔をあげると、その先にある展望室の直接ドックに続く扉からシンが近づいてくるところだった。その視界の端には見慣れた、でも久しぶりに見る姿も映される。自然に嬉しい思いが微笑みにうかびかけるが、展望窓に見える彼のその表情がくもっていることに気がついた。
「隊長、アスランが…」
「…うん…見えてる。ごめん、あと頼むね」
シンと工員にいい置いて、展望室へ向かう。近づくほどにアスランの不穏な様子がはっきりとしてきて、キラは心を沈ませた。
彼がL4に今日到着することはもちろん知っていたから、キラは今日の作業をできるだけ早く切り上げようとさきほどまで根詰めていたところだった。アスランがアーモリーで休むこともせずにまっすぐこちらへくるのは、予想するまでもなく判っていた。だから、彼が到着したら自分が艦を案内するつもりで心待ちにしていたのだ。
何が彼を怒らせているのか判らない。さきほどまではずませていた気持ちをどうしてくれるのか、と恨みながら展望室の扉を開くと、アスランはすぐに詰め寄ってきた。
「どうしてシンを機体に乗せたんだ!シンは気がついたぞ?!」
先日請われるままフリーダムを貸し、シンが受けたであろう感想のことをいっているとはすぐに察した。いきなりの剣幕に少し驚くが、逆にその彼の姿に自分の気持ちのほうがすっと冷めてくる。
「隠す必要、ない」
「どうしてそう、いいかげんなことをするんだおまえは!」
「アスラン、シンを信用してないの?!」
裏で自分に黙って、頼みごとをいう相手を。
「そういう話じゃないだろう! 知る人間が増えれば、どこかからそれがもれていくってことを想像もしないのか、おまえは?!」
「────そんなふうに縛られるのは嫌だって、いったでしょまえにも」
少しの沈黙のあと低く告げると、アスランはぐっと息を詰めた。
ぐいと視線を逸らして俯く。彼自身、疚しいことがある証拠だった。彼が望むとおりにならない現実の理不尽に、感情が何かにあたらずにいられないのだろう。
大切にされていることは痛いほどによく知っている。だが、キラにとってはアスランが思うほどにキラ自身が大切ではない。ある意味においては、死を恐れる気持ちも、もうどこかにいってしまっている。そうして達観しているがゆえにおこす行動が迂闊だというのなら、彼にとってはそうなのだろうとは、理解しているのだ。
「…アスラン………怖い…?」
怒らせていた瞳をはっとしたものに変えて、アスランはキラを見た。
「……怖いの? アスラン」
かわいそうに、とキラは思う。こんな自分のために振り回されている彼が。
キラは格納エリアからの入口に佇んだままだった身体を動かして、アスランに近づいた。唇を噛みしめてキラを見つめているアスランの背中にそっと腕をまわすと、反射的に動いたらしい彼の腕が、それでもぎゅっと力強くキラの身体を抱きしめてくる。ゆっくりとぬくもりが伝わってきて、冷えたキラの心に少しばかりの熱を移した。
「……キラを守りたいんだ…なのに…」
何をしているんだおれは、と耳元でつぶやきがもれる。
「シンは大丈夫だよ」
「……判ってる」
抱きしめる腕を緩めてアスランの顔を見ると、哀しみをたたえた表情をしていた。その奥に、焦燥と嫉妬と悔恨…というさまざまな感情を押し隠して。
いっそ、すべてぶつけてくれればいいと思う。キラは彼の気持ちを理解できず、いつもその感情だけを受け取ってしまう。心だけが通じればそれでいいということではない。ことばの説明と説得が欲しいときもある。
そしてそれは、シンに対しても同様だろう、とキラは思うから───。
「アスランが話して。任せるから」
キラは口許だけに少しの微笑みをのせて、そうアスランにいった。両手を添えている彼の肩と腕から力が緩むのが伝わる。
「……キラ」
縋るような声だった。だがキラはアスランを展望室に残したまま所内への通路に出る。受け止めてしまったものが重く、この場で彼を慰めることもできそうにない。けれどすぐにその場から逃げることもできず、閉じた扉を背にとどまった。
「───っ」
キラはこみ上げてくる嗚咽を堪えた。ダイレクトに伝わるアスランの感情はいつも、つらいものだった。
彼の心の奥底にはいつもキラを討った──殺したときのしこりがあって、それを繰り返すことなど考えるべくもないことなのに、ただその過去の事実だけが、痛みとか重みとか、嫌なものとなって、消え去る気配もない。
キラもときどきは、アスランを殺したいと思うほど憎んだときを思い起こして吐き気に見舞われ、実際に吐いてしまうこともある。
ふだんは見えないところに隠れているものがそうして表れるたびに、キラは彼の感情のひとつの可能性を疑ってしまう。アスランのキラへの恋情に嘘はどこにもなかったが、罪悪感というものが歪んで偽りの形を結ぶこともあるのではないのか──と。
いたたまれずに、泣き叫んで彼を殴りつけたいとさえ思う。自分がこんなにも彼に囚われていて、彼のために自分が生きる理由すら探しているのに、そうして何もかも放り投げたいことに無理をしているのに。
はっきりと信じきることもできない自分と、重いだけで信じさせてくれない相手のもどかしさと、全部、すべてをどうにかしてしまいたかった。

それからあとの、何もかも流れてしまった今日の予定のなかで、キラが寝起きするコンドミニアムにアスランが訪れたことは現実となった。そうして、訪れるなりに抱きしめられることも。
「キラ」
その夜のアスランはわがままをするばかりで、呼ぶ声もただねだるだけのものになっていた。
二度びの交接に手加減がなかったことをうらめしく思いながら、キラは隣で息を整えるアスランの顔をそっと窺う。瞼は静かに閉じているのに、薄く開いた唇からは熱の名残がこぼれていた。
絡んだままの──ずっと絡めていたままの指にだけは、いつまでも力が籠められていて、まだキラに意識を集中していると判る。
「アスラン」
呼べばますますその手を強く握られて、追うように瞼があがる。覗いた翠の瞳が静かすぎて、キラはどきりとした。
「すまない。無理をさせたな」
もうアスランの感情から何も読み取ることはできなくなっていた。
蓋をすることが得意になっていく彼とそうさせている自分に、キラは初めて危うさのようなものを感じる。離れて暮らすことに不安はなかったはずなのに。たぶん、だめ、なのだ。おそらく、アスランのほうが。
気がついたことに戸惑っている隙にアスランはベッドから抜け出し、キラの手を引いた。
「おいで。お詫びする」
バスルームへ向かうと判り「どういうお詫びだか」と無感動にこぼれたことばに振り返って、アスランは微笑んだ。いつものような優しい空気で。こうしていつも、自分のほうが彼に無理をさせ続けている。
「……シンには明日話す」
あれからアスランはシンに会うこともなくアーモリーにもどったのを知っている。ためらっているのではなく、タイミングの問題なのだろう。


C.E.74 25 Nov

Scene アーモリーワン・アーモリー基地

「……レイから聞いたんです」

シンはキラが当時のベストチューニングで生まれた“最高のコーディネイター”であることを、半分は知っていた。
「デュランダルって遺伝子研究のエラい人だったんでしょ。だからきっと…レイのことも…その関わりで引き取ったんじゃないかって」
休憩時間を呼び出し、アーモリー基地内の公園にアスランとシンはいた。今日の気象コントロールは晴れのち曇りで、今はまだ晴れている。微風が気持ちよい日和だった。
「メサイア攻防戦に出撃するまえのことで。急にそんな話で。あいつもう死ぬ気だったんじゃないかなって、思ったりして」
「…そうか……」
両親をもたずに生まれたレイの養父がデュランダルだったということを、シンは戦後まで知らなかった。
もともと口数が少なく、なかでも自分自身のことについては語ることのなかった彼が初めて明かした事実は、まるで作りごとのように遠い話に聞こえ、信じるとか信じないとかそう考える以前に、理解ができなかった、という。
「ただ。気持ちっていうか。あいつの本当の心をやっと話してもらったんだと思って。なんで急にって思ったら、もう長く生きられないとかいって。……遺言だって、思うでしょ。やっぱり」
そう演出をして枷になろうとしたのだ、という自分の勝手な考えをアスランはいわずにおいた。だがシンは「あいつの本当の心なんて、ホントはぜんぜん判っちゃいないんだけど」と、意味があるようにつけ加えた。

もうひとりのことも教えてください、とシンに請われて、アスランはラウ・ル・クルーゼの話をした。
レイとは遺伝子のうえで同一人物だった男。彼は生まれたこと自体に憎しみを覚え、世界と一緒に滅びることを望んだ。それもあとからキラやムウから聞いたことで、ごく傍にいたはずのアスランは何も知らない…気がつかないでいたことだったが。
「気がつくわけないじゃないすか」
シンはあっさりとそんなアスランを肯定した。
「どう生まれたのかとか、関係ないじゃん。なんでそんなことするのかっていったら、おれにだって理解できない。これっぽっちも」
「………………」
「壊すまえに変えてけばいいことなのに。それでも友達や仲間が…自分も。無駄に死んじゃったりする世界とか、すぐには変えられなくて悔しくなるけど。諦めないことはできるし」
それを実践するために彼が入隊した経緯は知っている。感情の変化はあったかもしれないが、シンはそのために今もザフトにとどまっている。そしてさらなるゆく先には、キラに力を貸すつもりがある、ともいってくれた。
「おれが後悔すんのは、レイにそういえなかったこと。もっと早く、ちゃんとあいつのこと考えればよかったって。…そう思って…それだけが…」
いつになく饒舌だったシンは、そこだけ俯き加減に、つぶやくようにいった。後悔などしなくてもいいといってやりたいが、今そんなことばをシンは望んでおらず、また彼は後悔したいのかもしれなかった。
生き残った自分に罪を感じるのは戦場を駆ける者であれば必ず経験することだけれど、それは人として生きていくために必要な感情なのだ。

時間だ、といってシンは座っていたベンチから立ち上がった。
「レイとその…ラウって人。同じなんかじゃないんでしょ。遺伝子がおんなじでも」
「……声は…いわれてみれば似てた気がする。顔も似ていたかもしれないが、判らない。…それだけだ」
「……そすか…」
素っ気なくいって先に歩き出す。
公園の端までそのまま黙って歩き続けるが、近くまで追いついたアスランの気配を察したようにシンは突然振り返った。
「デーベライナー出航したら、心配なんでしょ…あなたは」
図星をさされて、アスランは小さく笑った。キラのことを話すつもりで、それなりの覚悟も決めてきたというのに、彼は事実をさらりと受け止めただけで、あとは何故かレイの話になっていた。
シンに頼んだのは間違いではなかった、とアスランは思う。本当はいつでも自分自身の手でキラを護りたい。そうできずに、他人に頼むことがどれほど嫌で屈辱的だったか。なかば頼む相手に怒りながら「キラを護って欲しい」と頼んだ。その理不尽な空気まで読んだだろうか。

「おれ、けっこう隊長のことは気に入ってるから。おれがちゃんと護ります。頼まれたから、とかそんなんじゃなくて。ちゃんと」

アスランを驚かせようという気持ちなど、なかっただろう。
むしろ安心させようとしてそういったのだとは判る。しかし、思わずアスランの足は、止まった。
「それ、いっときたかっただけですから。だから聞きたかったんです、隊長のこと。…教えてくれて、ありがとうございます」
凝然とするアスランをかまわず置いたまま、シンは先へ進んだ。空は予報のとおり、曇りだしたところだった。


C.E.74 3 Dec

Scene L4機動兵器試験宙域・演習機輸送艇

パイロット待機室アラートで息も絶えだえなルナマリアが叫ぶ。
「本当に殺す気なのかと思ったわ!」
それを聞いたシンはおおげさな、と小さいため息をもらした。だいたい、シミュレーションまえに忠告はされていたことだ、「本気でやる」と。
現在ヤマト隊にいるモビルスーツパイロットは六名。それが三人ずつの二チームに分けられ、スケジュールの空きを見て模擬戦が不定期におこなわれていた。シンとルナマリア、リンナのチームは今日がその三度目だ。確かに回を重ねるごとにキラの「本気度」は増していたように思える。

キラ自身が隊の特性を把握するために、マンツーマンの模擬戦闘訓練をおこなうといったのは、着任後まもなくのことだった。
ヤマト隊のパイロットたちは、すでに全員が実戦経験をもっているので記録を見れば済むことでもある。しかし、キラであればこの方法をとってくるのではないかとシンは予見していた。隊長自ら参加する模擬戦であれば、隊長自身の戦闘力をさらすことにもなるため、よほどの自信がなければそのようなことはできない。そのうえ、搭乗する機体は全員がゲイツで揃えるとのことなのでなおさらだ。
さすがにシンにも火がついた。一度は墜としたこともある、との自負もある。しかし、あくまで訓練であって勝敗をつけるものではなく、明確な結果はありはしない。それでもシンは、相手の技量を認めたうえで墜とすつもりで訓練に挑んだ。その結果、たびたび押されていたことは認めざるを得ない。他のふたりよりはいい勝負をしてはいたものの「勝てた」気分には最後までなれなかった。
だが勝負のことは別にして、シンには不満のつのることがあった。

少し遅れてアラートにもどってきたキラは、ヘルメットを鬱陶しげにはずしながらルナマリアに話しかけていた。
「ルナ、コンフィグ調整こないだいった通りにやった?」
「…はい。M1接続値ですよね?」
キラは訓練のあいだ、こうしてオペレーションシステムの個別設定のアドバイスを加えてきた。最初は全員デフォルト値でおこなっていたが、今はそれぞれの機体ごとに違う設定が加えられている。ただし、キラの機体を除いてのことだ。
それにしても、涼しい顔をしている。息を乱しているルナマリアと対比して、汗のひとつもかいてないようだ。
「………………」
なかば恨めしげな目をしてキラを見つめていると、ルナマリアとのやり取りを終えたらしいキラがシンのほうを見た。次はシンの番だった。だが。
「シンは今日やめよっか」
「──はァ?! なんで!!」
今日こそは、というシンの鼻息を挫くことをキラはいった。
「だってもう知ってるもん。きみは」
不満をいえばこの軽い返事だ。確かにこのシミュレーションの主眼は隊長による各員の特性把握だ。それをいえば何度も実戦で対戦したシンのことは今更やるまでもないだろう、ということになる。実際、もうひとチームのヒルダたちとは一度しかしなかったという。過去、同じ陣営にいたのだから、それも判る。しかし、引き下がれない気持ちのシンは、文句をさんざんいいながらキラを追いかけた。「今日はもう疲れたから」といってロッカー室へ入るのをそのまま押しかけて、シンも中へ入りドアを閉めた。キラはそれを横目で見ながら壁面の通信コンソールで艦橋に帰投命令を出している。シンはかっとなった。
「前回もそのまえも!おれには本気だしてなかったろ?!」
そうなのだ。本気でやるといいながら、そう相手をしたのはルナマリアとリンナだけ。自分に対してはどこか適当にあしらわれた感があり、ルナマリアがいうような殺気などは皆無だった。そんな相手にシン自身も本気をだせるわけがない。二度の模擬戦は、遊びでゲームをやったようなものだった。
キラは、シンが憤ってそう告げるのをまっすぐに見つめ返している。それでもその苦情に応える気がないという意思表示に、パイロットスーツを脱ぐ手は止めなかった。そんな態度にも腹がたち、シンはますますキラを睨む。その様子を目にして、キラは小さなため息を吐いた。
「……シンは、戦うの好きなの?」
「あ? 何いってんだよ! おれはパイロットなんだ。戦うのが仕事で、真剣になって何が悪いんだよ」
見るからに虫も殺さないような優男が、似合ったことを口にする。好きも嫌いもないことを、軍人の自分たちが何故問わねばならない?
キラはめずらしく終始沈鬱な表情をしている。視線を落としスーツの足を抜きながら、真剣になる場所はここじゃないよ、といった。
「ねぇ。ぼくは本当に必要があったから、ルナとリンナを相手にしたんだ。シンとはもう、命のやりとりまでしたじゃない。ホントに嫌なんだよ、よく知ってる人間を相手にするなんてことは!!」
いいながら少しずつ声を大きくし、抑えてはいたが最後は怒鳴った。
──キラの様子がおかしかった。たぶん、初めて見る感情的なその姿に、シンはうろたえ、何も返せなくなる。
「……ごめん」
シンの狼狽を見てとったキラは、ひとことそういって黙った。よく考えると、さきほどアラートにもどってきたときにはもう、どこか肩を落とした様子だった。
「……どっか具合でもわるいんすか」
シンはすっかり声のトーンを落として訊ねると、キラは黙したまま首を横にふる。
「…いったままだよ。嫌なだけ、ほんとに。……ごめんね。シン」
キラは無理につくったような微笑を残してシャワー室へ消えた。
シンは唖然として立ち尽くす。まさか、“見た目”のままの感情をもっているなんてことが、あるのだろうか、と。

アーモリーワンへ帰投する輸送艇のなかで、ルナマリアとリンナはシミュレーション結果の検討をおこなっていた。操縦技術のみならず、機体スペックの自己調整にも訓練の重点がおかれているところはヤマト隊特有かもしれない。
「わたしも技術者だったから判るんだけど」
リンナがいった。彼女はさすがにその経歴から、キラからのOS調整に関するアドバイスは少なかった。
「機体と搭乗者の相性なんてある程度つくり込めるんだ。それが搭乗者自身でできれば、さらにいいでしょ。そういうことだと思う」
得てして天才に凡人の気持ちは判らないというが、キラの細やかな指導はかなり親切といえた。これはたぶん、ナチュラルに囲まれた環境から身についたものなのだろう。
シンはずっとキラのことを考えている。こんな繊細なところをもっている人が、自身がもつ能力のためにたくさんの人を殺してきたという現実。ふだん見せもしないけれど、自分自身への嫌悪をいつも抱えているのだとしたら。さっきのはきっと、それが少しこぼれてしまったのだ。たぶん、そういうことなのだ。
嫌がる心に蓋をして、キラがザフトに身を置いてまでやろうとしていることの本当の理由を、シンは知らない。だが、無理をするだけの意味がきっとあるからなのだろう。そうであれば、自分はそれを支えて助けるのが役目だ。
───アスランにもいった。おれは諦めない。おれは守る…。
キラが嫌だというなら、自分が代わりに討つ。そのために、もっと強くなる。キラのために、キラよりも強くなってみせる。
シンは、呪文のように心の中で唱えた。

艦橋でぼうっとするキラの視線は、正面に見える艦橋窓に固定していた。そこには漆黒に散りばめられた星々しか映ってはいない。瞬きも動きもしない星の点々は、貼付けた写真のように思えた。
───シンに嫌な思いをさせてしまった。
気鬱が増して、シンとの模擬戦は本当にやりたくなかった。だがそれは、気鬱の原因とは別の、キラがもつトラウマのせいでもある。
キラは今、アスランに傍にいて欲しかった。元凶である彼でなければ、このやりきれなさをどうにもできない。間近に控えたデーベライナーの出航が、急に不安になった。こんなことで、大丈夫なのか、と。滅多に訪れることのない気分の落ち込みではあった。おそらく、明日には晴れているだろう。だが今日はもう逃れることを諦めるしかない。
キラはそうして長い時間、手元にある部下たちのシミュレーションデータを見ることもなく、星を眺めたまま微動だにしなかった。
毎回訓練に同行しているアーサーは、いつもと違うキラの様子に声をかけた。
「今回は思わしくなかったですか?」
データを指していう。
「……データは優秀です、みんな」
キラは少し微笑んで返した。だが、データ上の結果は本来の目的ではない。キラは自身で対戦したときの感触で判断する。これから必要か、否か。気鬱の原因はここだった。
「アーサー、もどったらデーベライナーの搭乗員リストだしてもらっていいですか。決定した分まででいいので…」
「もうほぼ決定してますよ。もうすぐですからね」
───あとひと月あまり…。
模擬訓練は今日が最後の機会だろう。まだ諦めたくなかったが、何度やっても結果は同じだということは判っていた。そして、もっと早く思い切るべきであったことも、判っていた。
キラは苦い顔で再び虚空を見つめた。


C.E.74 13 Dec

Scene 月軌道周辺宙域・アークエンジェル

アークエンジェルのパイロット待機室アラートで久しぶりの制服に着替える。久しぶり──とはいっても、まだほんの数ヶ月しか経ってはいないし、とくに感動もない。
郷愁といった感情をもつとすれば、それは優しい記憶だけが残る彼の地だけで、オーブにはない。月を出ても本土へはいかなかったし、流されるまま軍籍も移転したわけだが、いつでも愛国心というものが欠けることになった。
ただ目の前にいる人々を護ることしか、考えてこなかった。
それを思えば、今袖を通したオーブ軍の制服に何の感慨もなくても当然のような気がしてくる。それがいいことなのかそうでないのか、自分自身でも計りかねた。
「あら、何か憂鬱なことでも?」
待機室のドアを出てからすぐに吐いたため息を見咎められた。
「ミリアリア」
「おかえり、キラ」
ただいま、と返すと嬉しそうに微笑んで腕をとられる。
「…って、どこいくの?」
ミリアリアに手を引かれるまま、キラはラウンジまで連れていかれた。つまり、久しぶりだからおしゃべりがしたい、ということなのだろう。彼女とはときおりメールを交換していたが、検閲に引っかかるので互いの元気を確認するくらいの内容でしかなかった。
「だからね、今ではオーブにもプラントにも護りたい人がいて。このふたつがまたけんかを始めちゃったら、ぼくはもうどっちの味方もできないんだなって思って」
「また、オーブにもどるまえ“みたいなこと”、する?」
「それはできない。何をどうするのでも、責任をとれない立場でそうするのは、よくないって。アスランはそういうことをいってたと思うから。……同じこと説教させると、うるさいんだよね…」
「郷愁」などというフレーズが頭を過ったものだから、つい月での記憶が再生されてしまう。説教されても懲りずに繰り返すキラを、アスランも諦めたことはなかった。「まったくおまえは」とか「どうしていつも」とか、そんな母親なみの小言をいって。コペルニクスではアスランといる時間のほうがずっと多かったから、母親以上だったかもしれない。さすがに再会以後、説教される数は激減しているが、真面目な彼がいいかげんなことばかりするキラの傍に何故いまだいるのかがよく判らない。
「……恋は盲目っていうけど?」
「……………ミリィ…」
真剣な顔をしてひとりで納得しているミリアリアに苦笑がこぼれる。彼女には昔から──16歳の当時から、アスランのことをからかいのネタにされている。つまり、キラにぞっこんなのだと。時を過ぎてふたりが恋人になっていることまで知っているかどうかは謎だったが。
キラは照れ隠しに話を元に引きもどした。
「…仕方ないから、もういっそ全世界にぼくの護りたい人がいればいいって思うんだ。だれの味方もできないから、ぼくはケンカがはじまるのを必死で止めにいく。こういうのって夢想してるとかいう?」
「いうわね」
「じゃあぼくはきっとロマンチストだね」
「でもそのロマンには手を貸してあげたいわ」
どちらともがいうは易いと思っている。それでも今、ふたりが乗っているこの艦、アークエンジェルが向かう先に待つのは、そのロマンを叶えるためのひとつになるのかもしれなかった。
「…でね………それで…“艦長”、…は?」
「“艦長”だもの、ブリッジにいるでしょ?」
いい難そうにキラが訊ねると、ミリアリアは意味ありげに微笑んでそういった。

「…遅かったな」
キラが艦橋に入ると、後ろを振り返ったアスランのひとことめがこうだった。
「え? むしろ予定時間より早かったと思うけど…えと、十分くらいだけど」
「…そうじゃなくて。着艦からここへくるまでが。……何をしてたんだ?」
何をって、とキラは口ごもった。ミリアリアとおしゃべりをしていただけだ。まっすぐに艦橋までこなかったことを責められるとは思わず、キラはそのまま黙り込む。アスランは答えを待たずに顔を正面にもどした。
「アマギ三佐」
「ええ、どうぞ。ずれた三十分も含めて休憩していただいてかまいませんよ、艦長」
その会話に、自分の着艦予定に合わせてシフトを組んでいたのか、と気がつく。すまない、といってアスランは艦長席を離れたが、彼はアマギのことばに甘えるつもりなどないだろうことも予想がついた。
「……ごめん」
「謝るほどのことじゃないだろう?」
アスランがふっと柔らかく微笑んでキラの横にくる。はじめのひとこともあって、機嫌がわるいのだろうかと思っていたがそうではないらしい。
「…あ…、確認してないんだけど、ぼくのシフトって……」
「おれと同じだ」
小声で即答したアスランに気づかず、艦長席に落ちついていたアマギが声をかけてきた。
「ヤマト准将もアーモリーからずっと操縦してらしてお疲れでしょう。お休みください、どうせヘラクレイオンに着くまで、何もやることないですから」
「…え…う…、っ…はいっ」
うろたえて少し挙動不審な返事をしてしまった。

「食事は?」
「フリーダムのなかで携帯食食べてたよ」
「睡眠も、とってないよな?」
「だから食べたってば」
「寝てないんだな?」
「人の話聞いてる?」
意思の疎通が成っているとは思えない会話をしながらふたりで慣れ親しんだ通路を進む。とくに何も考えずにアスランについて歩いたが、まもなく辿りついた艦長室にキラはそのまま連れ込まれた。
「……それで、こないだの無言電話はなんだったんだ?」
「………………」
十日ほどまえに落ち込んで、時差も考えず通信をかけた日のことをアスランはいっている。寝ているところを起こされたというのに、何をいうでもなく俯いてただ黙っていることしかしないキラに、彼はいつまでもつきあってくれた。心配させるだろうし、あとからこうして追及されるだろうことも判っていたが、あの日はとにかくアスランの声が聞きたかった。もっといえば、抱きついて彼に顔を埋めて、その匂いに包まれたかった。
「……だってさ。急に寂しくなるときだってあるじゃん。理由なんかなくてもさ」
「…………そうか」
あっさりと納得したような返事にキラはほっとした。
「と、おれがあっさり引き下がると思うか?」
「─────っ」
が、甘かったようだ。
でもいえるわけがない。シンとの模擬戦でアスランとの戦闘がフラッシュバックして仕方なく、得てもいない喪失に悩まされて、食事をすることも眠ることもできなかった、などと。
「……もう…っ、戦いたくないって…そう、思っただけだよっ…!」
視線だけで攻めてくるアスランに耐えきれずキラは白状した。いろいろなことを省いてはいたが、嘘にはなっていないはずだ。それでも彼のまなざしを受け止めることはできずに、キラは下に俯き、その瞼はぎゅっと閉じた。
やがて十日前に望んだ腕がキラを包んだ。後頭をぐっと彼のほうへ押しつけられて、自然アスランの首元に顔を埋めることになる。
「………ごめん…」
アスランが何に対して謝ったのか判らなかった。無理に告白させたことなのか、それとも、いわれてすぐにキラを戦場から遠ざけることができない現実になのか。
あるいは、キラを戦わせてしまった過去に、か。
キラが違うといっても、彼はいつでもキラのことは自分に責任があると思っている。あのころ絶えなかった小言もそのせいで。キラのためにしか生きていない、といわれているようで、くすぐったくもあったけれど。
「…少し眠ろう? 疲れているだろ」
髪を梳く指が優しいせいもあって、いわれたままに眠気が襲ってくる。頬にくちづけをひとつ落とされて腕が解かれたが、そのまま離れることはなくキラの上着を脱がしにかかった。このごろは艶を含んだ脱がされ方しかしていなかったが、それがなくてもアスランはキラの世話を焼くことに昔から手慣れている。
されるがままになっているキラに、そうしているアスランのほうがくすりと笑った。
「食事は起きたら、な。寝るまえにはよくないから」
「…うん…」
「それともお腹すいて眠れない?」
「そんなことない」
「そうか」
「うん…アスラン」
「うん?」
「お母さんみたい」
「………お父さんじゃなくて?」
些細なことに複雑そうなアスランを置いて先にベッドへ潜った。
───なんだ。ぼくもアスランが傍にいないと、だめじゃないか。
ひとつの自覚に、ひと月近く続いた気鬱がようやく晴れる気がしていた。

アークエンジェルを含めたオーブの宇宙船団はL3にあるオーブ領コロニー、ヘラクレイオンへと向かっていた。並行するプラントの艦隊と合わせれば、今この宙域には壮観ともいえる光景が広がっている。
数日以内に到着するヘラクレイオンでは、オーブ、プラント間での平和条約が締結される。
過去、人類が宇宙へ進出するその以前から、いくつもの平和条約が結ばれて、破かれた。それを無駄に思うのか、形だけだと思うのか、あるいは今度こそはと心に誓うのか。キラは何度繰り返すとしても、最後のことばを選びたい、と思った。


C.E.74 15 Dec

Scene オーブ連合首長国・エリカの自宅

────資源衛星コロニー、ヘラクレイオン。
かつてヘリオポリスを構成した衛星に再建されたオーブ領のドーナツ型コロニー。
この日、オーブ連合首長国とプラントの平和条約締結がこのヘラクレイオンでおこなわれた。かくてオペレーション・フューリーに端を発しメサイア攻防戦で雌雄を決した戦争の終端となった。
同時に、コーディネイターとナチュラルの融和、相互理解を主眼にした安全保障と軍事協力を約束する軍事同盟も結成された。それは双方の排斥運動、テロ活動などに対し断固たる態度で臨むことの表明であり、また互いがどちらかへ偏ることのないように互いを監視することも内容に含む。
今後プラントはナチュラルを、オーブはコーディネイターを、積極的に受け入れる環境作りにも一層尽力しなくてはならない。そうしてその先に急増するであろう、ハーフコーディネイターへの対策も必要になってくる。正直な話、課題は山積みだ。
永世中立を翻しながら、オーブは国連の再建も同時に提唱した。プラントも火星も含める本当の意味での国際連合が今こそ必要であると。コーディネイターに傾いて陣営のバランスがなどとしか考えられない国は置いていくといい、世界を再び二分するような国には断固とした態度に臨むと、オーブ連合首長国代表、カガリ・ユラ・アスハが声高に叫ぶ。
どの国もいえずにいた(いいたくなかった)、この数年の紛争の根源の問題に手を挙げたオーブに、賞賛と非難の声が多く聞かれた。

───そうはいっても。
エリカ・シモンズはとりあえずの喜びに盛りあがるヘラクレイオンの中継を見ながら考えていた。
現在のままで問題の解決はない。平等にはなりえないナチュラルとコーディネイターのあいだで、夢のような相互理解がどこに実現できるというのか。
だが、国家をあげて理想を掲げるのはいい。
───これ以上現実と乖離することにならないのであれば。
エリカはコーディネイターだった。
これはその夫以外に知る者のない事実だ。中立国を名乗るオーブにあってさえ、その差別は依然としてあり、身を守るためにコーディネイターであることを伏せる必要があった。エリカにはまだ、オーブが進む道と自分の現実を、どうすればいいのか判らない。

いつか、プラントからきた若者が話したことを思い出す。

「自分としては、もうコーディネイターは創出することなく、このままナチュラルに溶け込むほうがいいと思ってます。その身体が次の世代を遺せないものに至ったということは、生物としてはやはり不完全なもので、所詮人の手で“造られた”ものだということです。そこに無理を押したところで、得ることなんか、何もない…と…思いたいんです」
メンデル再開発の動きを憂いて、いつか彼はそう切り出したのだった。わずかなネットワークだけで知られた故シーゲル・クラインのナチュラル回帰論に、まさか彼が傾倒しているとは、エリカは想像もしていなかった。
「かつて父がコーディネイターを“新たな種”だと発言したことがあります。進化はそうして得られるものではない。なるべくしてなるものなら、何もせず待つことが正しい気がしてならない」
この若者は、そういう自身がコーディネイターであるというのに、まるでブルーコスモス主義者だともなじられそうなことを平気でいっている──。エリカがナチュラルであると信じてのことばだったのだろう。彼と同じコーディネイターにいえることとは、とても思えなかった。そして、そのときエリカは、彼がオーブにとどまる理由の一端を見たような気がした。

「思惑が混沌としているのは、残念ながら戦争がはじまるまえも終わったあとも変わらないことね。先の戦争でも“ロゴスが悪い”と声高に叫んで共通の敵をつくってはみたけど、すめばまたばらばらになってしまった……」
「…世界意思の統一なんて夢物語だ…と、そういうことは簡単です。でも…こういうことをいうと、不審に思われるのかもしれませんが、だれもデュランダルを笑うことなんか、できないんじゃないですか。手段に問題はありましたが、彼が唱えたことにはみなが一度は共感したのですから」

彼も迷っているのだった。決定的なものが得られない世界に。白黒させたがる自分らのような人間には、かなりつらいことだった。
「……彼はこの世界で何ができるのかしらね」
迷いながらもそれでも、彼はまだ諦めることはしていないらしい。確かに、自分のように諦観するにはまだ早いのだから。
「若者に期待しちゃおうかな」
そういってエリカは傍らに座る息子の頭をぐりぐりと撫でた。この子にはハーフコーディネイターとして、この先に試練が待っている。
───自分にもまだ、手を貸すことができるのなら。
それを探すくらいのことは、まだしてもいい、とエリカは思った。


C.E.75 3 Jan

Scene オーブ軌道ステーション・VIPラウンジ

オーブの慣例に沿って在プラント大使館も正月休暇を明けて5日からの開館となっていた。信任状捧呈式もその日におこなわれ、アスランたちは本格的に大使館での職務を開始することなる。
アスランはキラと年末30日にオーブへ帰り、年末年始をカリダやハルマと過ごした。カリダたちはオーブにとどまることを望みそこにいるので、文字通りの帰省だ。ふだんから帰国の多いアスランのほうがその度に家へ顔を出しているが、やはり両親がキラと会えないことは寂しいだろう、と思う。プラントへの移住を勧めようにも、来月いよいよデーベライナーが出航とあっては意味をもたない。
彼らは寂しさも心配もおもてにださず、別れ際には、進宙式の中継を楽しみにしている、とだけいった。
久しぶりの両親とのふれあいは、キラにわずかばかりホームシックを起こさせたようで、カグヤ島へ向かうあいだはずっと口が重かった。
しかし、宇宙港で待ち合わせていたフラガ夫妻と落ち合ったときには、もうすっかり浮上している様子になった。軌道ステーションへ向かうオービターのなかでは、逆に渋い顔が抜けないアスランのほうがキラに宥められる始末だった。
比べてみれば、というレベルでオーブよりはプラントにいるほうがキラに会う機会は多いだろう。そう思ってアスランはうだうだと家族が過ごせる方法を提案してみたが、端からキラに却下された。
「ただ、プラントにナチュラルの定住者は増やしたいじゃない。そういう意味では両親たち、こっちきてくれたほうがいいとは思ってるんだけど」
感情的な気持ちを置いてキラがそう一端なことをいってみせるので、大人になったんだな、と頭を撫でてやると怒りながらアスランに飛びついてきた。
「こらこらっ、あぶないって!」
無重力状態の狭いオービター内部で勢いよくしがみつかれ、アスランは慌てる。先に外へ出ようとしていたマリューとムウにそんな様子を見つかり、ふたりともに赤面した。
フラガ夫妻には、三年以上も前からふたりの仲睦まじい姿をさまざまに見られている。それもあって、彼らのまえでは気が緩み、本来のままをつい曝け出してしまう。いまだに身体のじゃれ合いが抜けない自分たちに、まだまだ子供だなどと思われていることは明白だった。
オービターを降りてからもまだ「おまえが悪い」「アスランのせい」、と彼らの背後でこっそり小突き合うところまで聞かれて失笑を買い、ふたりは二度目の赤面をした。

降り立った中継ステーションでは、オーブから乗ってきたオービターからアプリリウスへと向かうシャトルに乗り換える。キラだけはそれを見送り、別のシャトルでL4のアーモリーへ向かうことになっていた。アプリリウス行きシャトルの出発時間まではまだ間があるので、四人はガードつきのVIPラウンジでしばらく暇をつぶしている。
「決めたよ、アスラン」
「……そうか」
キラとアスランはそれだけを互いにいってそのあとは黙っていた。文脈のない会話に当然のごとくマリューが訊ねてくる。
「パイロットの子をひとり、おろそうかずっと迷ってて…」
「誰?」
「ルナマリア・ホーク。メイリンのお姉さんの…」
マリューもムウも面識はないはずだった。
「それ、パイロットとして才能ないってことかい?」
「あ、そうじゃなくて。赤服なので力はあります。でも、“研究”の対象では、ないんです」
デーベライナーでおこなわれる研究のことはムウも知っている。その判断が何を意味するのかはすぐに察した。
「でもこれまで艦にも関わってきましたから。とりあえず彼女に選択してもらいます。赤を捨てるか、艦を捨てるか」
「そりゃ、どちらも選びたくないだろうな」
「そうですね。でも仕方ないです」
そのキラのきっぱりとしたいいように、正面にいるマリューがわずかばかり目を瞠った。「冷たい」と感じているのかもしれない。
だが、大きなプロジェクトを預かる人間としてその割り切りは必要だ。キラは正しい、と、そう考えてしまう自分にずきりとした痛みが走る。気がつくと、マリューがいたわるような微笑みをアスランのほうへ向けていた。おそらく、彼女と気持ちは一緒だった。

キラは優柔不断とか八方美人とかいわれるくらいに、他の者に対して冷たくできない子供だった。自身はあんなにも甘やかされて育っているのに、他人の痛みには敏感だったのだ。そのために関わらなくていい諍いに割って入り、傷ついてアスランのところへもどってくるのが常だった。
───あなたもよく知っているのでしょうけど、おともだち思いの、優しい子なの。わたしたちはそれにつけ込んだのよ。大人の都合でね。
三年前聞いたマリューの痛悔に、胸を痛めるよりも安堵した自分が思い出される。しかし、戦争はキラに“諦める”ことも学ばせていたとあとで知った。そして、それに決定的なものを突きつけてしまったのは、ほかならぬ、アスランなのだ。
キラを知る、すべての人にアスランは贖罪するべきだと感じる。望んだ形ではなかったけれども、それでも、今こうしてキラとともに歩んでいることだけを、アスランはしあわせに思っているのだから。

まもなく、アプリリウスへ向かうシャトルの出発を知らせるアナウンスが入った。
「すみません、すぐ追いかけますから」
アスランはムウとマリューを先に行かせラウンジに残った。
キラはこのあとまたスレイプニルに居続ける。そして一ヶ月後にはデーベライナーに乗って任務に出てしまう。クリスマスの少し前からずっとふたりでいることができたので、それなりの充電はできたつもりだが、やはりここへきてぱったりと会えなくなると思うと、寂しさがつのる。ふたりは目を合わせたのを合図に黙したまま手を繋ぎ合い、別れを惜しんだ。
「…さっき母さんたちと別れたあとね……」
わずか視線を落としてキラがぽつりといった。
「何時間かあとには、こうやってきみともお別れするんだなって思っちゃって」
「………………」
「…呆れるだろ。いつまでもこんなんで。でも…もう、どうしょもなくて…」
ばつがわるそうに上目遣いになってアスランを見つめる。その姿と、アスランがホームシックだと思い込んでいたことの正体を知って思わず頬がゆるんだ。
「少しうしろめたいけど、嬉しい」
アスランは俯いたままのキラの身体を抱き寄せた。思いきり腕の力を込めて。その力にキラの息が詰まるのが伝わったが、かまいはしなかった。
「同じ気持ちだから、だから…」
またすぐに、一緒にいられる日々がくる。それは予感ではなく“判っていること”だ。
「好きだ、キラ」
そのことばにキラの息が、今度は腕の力にではなく詰まった。
「…………ぼくも…大好き」
キラの消え入りそうな返事にやっと腕を緩めて微笑みかけると、キラもせつなさを交えたきれいな笑顔を見せてくれた。
それからふたりは互いに愛を込めたくちづけを送り、いつまでも繋いでいた手を、ゆっくりと離した。

シャトルはすでに駆動音を響かせていて、アスランは慌てて中へ飛び込んだ。オーブ大使館での着任式典に主役たちが遅刻では目もあてらない。
「お待たせしてすみません」
別れを惜しみすぎたと内心で反省しつつふたりに謝ると、ムウがあろうことか、「お別れのキッスはしてきたか?」といった。
「──えっ?!」
ぱっと無意識の動きで口に手をあてる。それが肯定をあらわすとすぐに気がついたが時すでに遅く、そんな慌てたアスランの様を見てムウとマリューは同時に吹き出した。笑いで息を詰まらせながら、ムウが考えてもいなかったことを口にした。
「なんだよ、知らないとでも、思ってたのか?」
「………え…えぇっ?!……あ、あ…の…」
周章狼狽とはまさにこのことで、まさかまるっきりふたりの関係が知られていると思っていなかったアスランは、それからアプリリウスに到着するまでのあいだ、ひとりでずっといたたまれずにいたのだった。