Evergreen 1


C.E.74 18 May

Scene オノゴロ島軍港・アークエンジェル

あまりにもその場所にそぐわない歓声と歌声が響く。
ここアークエンジェルの格納庫の一画には、会議用の広いテーブルがいくつか置かれ、そのうえにはパーティ用の準備がすっかりできあがっていた。その中でも中央にあるテーブルには、直径五十センチは越えていそうなバースディケーキがどっかりと場所を占めている。真っ白なデコレーションケーキの真ん中にはチョコレートとイチゴのソースで、「Happy Birthday Cagalli & Kira !!」と書かれていた。
「ありがとうみんな。今日は無礼講だからうんと楽しんでくれ!」
キラとカガリで肩を組みながらケーキのうえに並んだろうそくの火を吹き消すと、彼女は大声でその場に集った仲間たちにそう告げた。
今日、5月18日はふたりの誕生日だ。誕生日といえど通常とまったく変わらない一日を過ごしたが、その終わりにこうして「仲間」と呼べる人たちが自分たちのために集まってくれたこと、祝ってくれること、それらの思いに、疲れは一気に吹き飛んだ。
そして、自分と同様に心から喜んでいるカガリを見て、キラは嬉しかった。停戦してから、疲れも見せず頑張り続けているカガリを頼もしく誇りに思っていたけれど、肩書きを置いて微笑む姿を見ることもずっとなかったのだから。
「なんだかんだと七十人はきちゃったかしらね」
「おおむね三隻の元クルーですけどね」
傍にいたマリューと会話する。その横にはムウが立ち、さらにはさきほどからその人数に面食らった表情をしているバルトフェルドもいた。
アスランは、いつものようにキラの隣にいる。
「これでもあんまり集めないでっていってたんだけどね…」
「はは、このふたりの誕生会でよくこの人数でおさまったってところでしょ」
ムウが少し呆れた声でこぼすと、バルトフェルドが苦笑しながらフォローした。
「それにしても、ほんとにここ使ってよかったのかしら? わたし冗談のつもりだったんだけど…」
アークエンジェルでバースディパーティをしようといったのは、マリューの提案だった。
「カガリがいるんだから、それはもう何でもありなんじゃないマリューさん。そもそもカガリがいった条件に合うとこっていったら、ここしか思いつかないし…」
キラのことばに、「条件?」とアスランが訊く。
「緊急時すぐ動けるように軍施設内のどこか、でもさわいでても誰にも怒られない閉鎖された場所。で、食事が用意できる…でしょ。それから酔いつぶれた人がでてもテキトーに休ませられるところがあって…」
「なるほど」
アスランはさきほどから極端に口数が少ない。こういう場ではそこにいる人が多ければ多いほど無口が進行する。人が多いとみずから口を開かずとも誰かがしゃべってくれているので、彼は聞き役に徹するのが常だった。


「キラおめでと〜〜」
ミリアリア・ハウとサイ・アーガイルがばたばたとキラの傍まで駆け寄ってきた。
「ミリィ、サイ。ありがと」
キラをふたりに強奪され、途端に所在なくなったアスランのところへは、メイリン・ホークが寄ってきた。
メイリンは実はさきほどからそのタイミングを窺っていた。アスランは気がつきもしないが、キラとアスランが並んでいるときには、メイリンは彼らの傍にいかないようにしている。それは以前、ザフトから飛び出しアークエンジェルに匿われていたころに、ミリアリアにいわれたことが習慣になり残っているのだった。
ふたりは基本的によく並んでいるので、なかなかアスランと話す機会を得られない。仕事中とは違う席で、アスランにもう一度礼をいいたい、とメイリンは考えていた。
仕事には慣れたか、とアスランが訊いてくる。
「はい。簡単な事務処理だけですから」
「きみの力を発揮できる場所じゃなくて申し訳ないんだけど」
おっとりしているように見えて、ミネルバのブリッジクルーで情報学のエキスパートだ。いくらなんでも事務職はもったいない。
「まさか軍のお仕事を紹介していただけると思ってませんでしたから」
「きみをプラントに帰す動きもとっているから。あくまでオーブは“仮住まい”だろ。それらの事情を考慮してカガリが決めたことだ」
そういいながらも、その決定に助言したのはアスランだということをメイリンは知っている。
「はい、本当に。わたしのようなものにまで細かく考えてくださって。おまけにプライベートなパーティにも誘っていただいて」
ほんとに嬉しいです、とメイリンは微笑んで「本当に、ありがとうございます、いろいろなこと」といった。
───本心では不安もあるだろうに。
メイリンのこれからのことは、まだ明確ではない。できる限り尽力しなくては、とメイリンの笑顔を見ながらアスランは思った。


「それにしてもサイがオーブ軍にいるとは思わなかった」
キラがそのことを知ったのは、実は今日この日だ。サイは第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦からオーブにもどったあとカレッジに入学し直し、情報処理関連の勉強を積んでからオーブ軍に志願した。半年前のことだったらしい。彼の所属は宇宙軍の通信技術局だ。
ミリアリアもやはり退役することなく、統合軍の統合本部広報局に勤務している。それぞれの分野で、彼らも「できること」を進めているのだ。
「また前線で一緒に仕事することはないでしょうけど」
「うん、それでいいよ。ていうかもう誰も前線にいくようなことになんか、ならなければいいことなんだけどね」
亡くしたともだちを思い、痛みを滲ませた表情を微かに表してキラはいった。
「そのために頑張ってるんだなキラは」
キラが何もかも、背負っていこうとしていることをサイもミリアリアも知っている。彼はそんなことないよ、といつも否定するけれども。

思えば、ヘリオポリスのカレッジにいたときから彼はそうなのだ。
ヘリオポリスはオーブ領のコロニーだった。コロニーといえば自然とコーディネイターの人口比率があがるが、それでもオーブ国民からなるその市民は、ナチュラルのほうがその数の多くを占めていた。
その中にあって、ヘリオポリスのカレッジは若く柔軟な思考を持つ若者たちが集っていたのでゆるい雰囲気があり、差別的な諍いを見ることもまったくといっていいほどなかった。自分たちもキラとの違いなどほとんど気にすることもなく、だからこそ仲のよい友人を続けていたと思う。
だがキラは、コーディネイターである自分が相応する負荷を受けようとする節があった。
ミリアリアは何度彼に、そのままではいつかキラが保たなくなる、と説教したかしれない。結果としてヤキン・ドゥーエ戦役では過重に耐えきれず、つぶれる寸前にまでなったこともある。
だが、こうして気がついてみるとキラは相変わらずなのだ。これは自身がナチュラルの中にあってコーディネイターだから、という気負いではなく、性格なのだ。だとすれば、止まることもないだろう。
友としては、せめてその重荷が軽くなるよう手を貸しながら見守るしかない。
「良いほうにいったり悪いほうにいったり。いろいろだけど。でも、ぼくにもできることは、やっぱりあるんだよね」
諦めたような口ぶりで明るくいうキラの見えない心の奥を思って、サイとミリアリアは「いつでも助けるよ」と心の中で誓う。
「サイの話をきかせてよ」
「会うの自体久しぶりだからな。全部話せるかな」
「ここ朝まで貸し切りだからいいよ。全部話して!」
嬉しそうに瞳を輝かせるキラの笑顔は、誕生日プレゼントを受け取ったそれとまったく同じものだった。


C.E.74 18 May

Scene オノゴロ島軍港・アークエンジェル

もうまもなく、日付を越える。ベッドに据えられている時計を見てアスランは深く息を吐く。
それなりに楽しんだけれど、集った人が多すぎて疲れてもいた。あまり大人数の中で入れ替わり立ち替わり話し相手を変えていると、話題へ思考が追いつかなくなる。そこにいる人が増えれば増えるほど、アスランは煩わしさを覚えて面倒になった。しかし、誰にでも真摯な態度を崩さない彼には、そこで適当に流すこともできず、結局は自分に無理を強いて余計な疲れに見舞われるのだった。
アークエンジェルの中の、かつて自分たちが使っていた士官室のベッドに仰向けになり、もう今日はこのままここで休んでしまうかと考える。まだ眠くはなかったが、かといってそういうときの習慣にしている読書をしようにも、そのための本が手元にない。すでに動くこと自体が億劫になっていたので、早く眠くならないだろうかと考える。
そんなことをぼんやりと思いながら目を閉じていると、ドアの開く音がした。
「やっぱりここにいた」
「……キラ…?」
今夜のメインキャストがここにくるとは思ってもいなかったので、アスランはびっくりして起きあがった。
「あ、ごめん寝てた?」
「いや。…それよりおまえが抜けるにはまだ早い時間なんじゃないか?」
もう一度時計を目にしていう。
「カガリなんてキサカさんに呼ばれてとうに抜けちゃってるよ」
だったらなおさら…、とアスランは苦笑した。
「みんな自由に楽しんでるし。いいんじゃないもう。久しぶりにお酒たくさん飲んだから疲れちゃった」
いいながらキラはアスランの横にきて同じベッドのうえに寝転がった。
「もう休むか?」
生返事をするキラの顔を見おろすと、頬が少し赤い。あまり顔に出るほうじゃないことは知っているので、めずらしいなとアスランは思う。きっと今夜のことが嬉しかったのだろう。
そこではたと思い出して、自身のポケットを探ると一個のデータキューブを取り出しキラに渡した。
「アスラン……。もしかしてプレゼント?」
がばりと起き上がり、無言で差し出されたそれに目を丸くしている。アスランはやはり黙ったまま頷いた。キラの次の台詞を期待して、その顔が少し緩む。
「…何がはいってるの?」
丁寧に両手でキューブを受け取ると、そのままではその中身が見えるはずもないのにじっと視線を落としている。
「コペルニクスの頃の写真、ふたりで撮ったやつ全部」
「………え…?」
「ヘリオポリスで全部なくなったっていってただろ。おれが持ってたのは月にバックアップしてたから。それでこのあいだ…ちょっと整理して」
キラがいつだかフラッシュメモリに移したデータに、収まっていたもの。
「もっと早く思い出すべきだったんだけど。バックアップそのものをずっと忘れてたからな…」
そうだったよね、とキラは笑った。今は息つく暇もなく忙しくなっているアスランには、たったこれだけのものを準備する時間すら貴重だった。それを知っていたキラは、「ごめん、きみからもらえるとか、ぜんぜん思ってなくて」と、少しばつのわるそうな顔をしていった。
「誕生日プレゼントにするほどの内容じゃないよな。でも何か、渡したくて」
キラへの思いをつのらせている今、その彼の生まれた日に何もできないのは嫌だった。
「ありがとう、嬉しいよ」
アスランは心からの笑顔とそのことばに少し照れながら、日付越えてごめんな、といった。時計はいつのまにか0時を過ぎていた。

「アスラン楽しんだ?」
それからつらつらとふたりでそのまま話し込んでから、ふいにキラはそう訊いた。
「え?」
「けっこう早くに席外したでしょ。ちゃんとチェックしてたんだから」
「……………」
ミリアリアたちに攫われてからあと、キラは次々とあちこちで呼ばれてアスランのところへはもどれなかった。そのあいだもずっと視界の端にアスランを入れて、しばらくは彼自身もいろいろな人と話をしている様子を見ていたが、気がつくとずっと佇んでいた場所からいなくなっていた。周りにいた人に訊いても空気のように消えてしまった彼のことは気がつかず、キラに問われてから「そういえばいない」とつぶやく始末だった。
「アスランてけっこう人見知りするんだよね。こういうときもあんまり溶け込まないし」
「……途中でめんどくさく、なってしまって…」
キラの指摘に本音をこぼす。ぼくとはよく何時間でも話してるんだから同じように話せばいいのに、とキラは返した。
「キラと同じように話すなんてできないよ…誰にも」
「誰にも? ───カガリにも?」
「一緒にいた時間が違う。共有してる思い出の数が…違うだろ……」
───思い出だけが話題じゃないのに。
ぼんやりとした視線を落として静かに告げてくる相手を、キラは訝しむ。たとえそれが本音だとしても、アスランはふだんそんなことを明かす人ではない。もっと…───前向きな思考の切り替えを、するはずだ。
「思い出がある分だけおまえのことを知ってるってことだよ」
それはそうだろうと思う。とくに自分たちは兄弟のようにいつも一緒にいたのだから。
「知ってるってことは、何を考えてて…何を話したいと思ってるかとか。何を話したら喜ぶかとか…逆に避けたほうがいい話題はとか」
「それ、他の人ともめんどくさがらず話をたくさんしないと、いつまでもそんなふうに判らないってことだよ?」
そのことばにアスランは考えるように少し間を置いて、ごろりとベッドに寝転んだ。
「うん。いいんだ」
「いいの?」
「キラがいればいい」
「……………」
「キラがいるから。…いいんだ」

キラは返答に困った。

「兄離れしない弟をもった気分…」
大仰にため息をついてみせながらそう告げれば、「ああそれ、昔おれがいつもキラにそう思ってた」とアスランはいった。
つい笑いがこぼれるが、次の瞬間には、どうも沈んだ様子がちらちらと見えることが心配になる。
「アスラン、どうしたの。どうか、したの?」
思い切って訊いてみるが、無言を返してくる。
「疲れてるんじゃないの」
「……大丈夫だ…」
疲れていないはずはないと思うし、アスランの「大丈夫だ」はアテにならないこともよく知っている。
下手をするとこの幼馴染みは、自分にすら何もいわないままどこかへ突き進んでいることがあるので、キラは細心の注意を払って見ていなくてはならない。
このところのどこか、微かに思い悩んでいるような様子には気がついている。こちらから訊ねればその多くは明かすのに、大丈夫、何でもないを繰り返すことが増えているような気がする。
「……………」
自分が力になれないことに胸が締めつけれられた。
その切ない気持ちに、久しぶりに、涙腺まで緩んでくる。本当に涙を落としたりは、もちろんできないけれど。
横たわるアスランの隣に身体を寄せて、キラはそっとその額にくちづけをした。
それから目を合わせると、アスランはほんの少し驚いた顔でキラを見あげている。
「昔ぼくが落ち込んでると、アスランはこうやって慰めてくれた」
他の意味がないことを知らしめるように、昔話に乗せた。
「変だね…キスされるだけなのに。なんで安心できるんだろうね…」
「……………」
唇にかかわらず、その身体のどこかが触れ合うだけで慰めになることをふたりは知っている。それはほかの誰よりも、今目の前にいる互いからしか得られないことも。
「不思議だけど、アスランも同じならいい」
そうして得られる安心も、胸を締めつけるこの切なさも。告げることのできない哀しみがキラを襲う。
キラは自分から目を逸らして震えそうになる睫をごまかそうとした。ほんの三十センチほどの距離にあるアスランからの視線をどうにか避けたいとも思うのに、身体はそこから離れたくないといっている。

───このままだと、泣いて、しまう。

ふいに、アスランの左手が伸びてきてキラの右頬に添えられた。合わせたくない視線をもどされて戸惑うが、逆らうことはしない。がまんしているのを気づかれたくなかったので。そうするともう片方の手があがり後頭部の髪へ差し込まれ、優しく、押された。アスランのほうへ。
互いの鼻先が触れた。影で深い色になったアスランの瞳の翠がきれいで、キラはそのまま目が離せなくなる。さらに顔を引き寄せられて、唇と唇が触れ合った。二度小さく啄まれ、キラの頭を抑えていた力がなくなり、その手は絡んだ髪を梳くようにして離れた。
キラが少し身体を起こしてアスランの顔を見ると、アスランもどこか泣きそうな表情だった。それなのに、優しく、柔らかく、微笑んでもいた。
「おでこじゃちょっと足りなかった」
アスランはいいわけをしてから、ごめん、といった。
「ありがとう、キラ」
今度は身体ごと優しく背中を抱きこまれ、母親が子供をあやすようにぽんぽんと叩かれる。
「……うん…アスラン…」
キラはいつのまにか自分が慰められるほうになっていることに少し笑った。
自分が泣き出しそうな気配など、アスランにはぜったいにごまかすことなどできないんだ、と今更ながらに実感していた。


C.E.74 20 May

Scene オーブ陸軍オノゴロ駐屯地

レドニル・キサカはオーブ陸軍オノゴロ駐屯地の一室で携帯式の通信機器を操作していた。この駐屯地はオーブ本部から北東部の徒歩圏内に位置し、本部内の陸軍棟を実質玄関口としている。キサカはふだん、内閣府官邸にほど近いヤラファス駐屯地にいることが多いが、今日はエリカ・シモンズからこの通信機を受け取るためにオノゴロ島まできていた。
「また潜入任務ですの?」
エリカが訊ねるがキサカは笑みを返すのみでそうとも違うともいわない。もちろんエリカも返事を期待しての質問ではなかった。
事実は一週間後に東ユーラシア連邦への潜入が控えており、その準備をしている。エリカが持参したのは、最新式の通信機で、暗号化アルゴリズムの強化と伝送そのものを隠す(ごまかすといったニュアンスが近いか)特殊な技術が使われているものだ。

受け取った機器をひととおり試し、機能に満足したキサカは、エリカを出口まで送ろうとドアノブに手をかけた。
「ついでのご報告というわけではありませんけど」
それを引き止めるようにエリカが告げる。
「また何か問題でも発生しましたか」
キサカは代表首長のカガリに近い人物ということもあり、モルゲンレーテ内での困り事をいちばんに相談されることが多い。エリカは彼の思い違いに「そうではありません」と笑顔ながらにいった。
「ヤマト准将がユーラシア西側難民のとある研究者と、コンタクトがとれないかといってきましたので…」
「何?」
「確かにそういう学者がいる、と教えたのはわたしですけれども。伝手があるわけではないのでお断りしましたよ?」
キサカは難しい顔をして、そうか、といった。
「……みずから“SEED”研究に関わっていく心積もりがあるようです。自身のこととはいえ、あまり無防備に動かれてはよろしくないんじゃないかしらね。もちろん当人にも警告しましたよ」
プラントとの紛争を片付けようという今、次から次へと新たな動きが起こる。キサカがこれから動こうとしている東ユーラシア連邦の任務は、実はキラ・ヤマトにも関わることだった。
───あまり勝手に動いて欲しくないのだが。
一度キラとも腰を据えて相談せねばなるまい、とキサカは思う。

「ありがとう、シモンズ主任。教えてくれてよかった」
ドアをまえにした立ち話はそこで終わった。


C.E.74 1 Jun

Scene オーブ軍本部・本部棟食堂

ラクス・クラインがオーブへくる。
目的はオーブ連合首長国とプラントで結ぶ平和条約のための調整、つまりプラント側の要望をオーブへつきつける立場だ。オーブにいい難いことをいわせるために、プラントにとっては彼女の存在が役に立つ。が、ラクスはラクスでその自身の存在価値を逆手に、プラント内で彼女が目指す未来のための「わがまま」を通させている。
ラクスはいまや議長より目立つプラントの顔だ。地球での支持者も多い彼女は、国家および世界の平和を担う者として名誉大使を委嘱され、プラントと諸外国の橋渡し役などを務めていた。

先月はラクス来訪の調整だけでアスランは忙殺されていた。何しろ、今回の滞在は一週間におよぶ。そのあいだに会談をおこなう人数たるや両手にあまり、かつ、誰もが要人とくればスケジュールを合わせるだけでも手間ひまがかかった。
もちろん、実務そのものは政府のしかるべき部署があたっているが、アスランは軍関係者からなる会談相手の最終的な選出検討を手伝う立場にあった。会談内容も会談する人間によって変わるものなので、総合的な判断と調整が必要になってくる。そのために頭にいれるべき情報が山のようにあって、書類を読むだけで一日の業務が終了する日もめずらしくなかった。
来訪を二週間後に控えた今日はさすがにアスランがばたばたとする段階ではなくなっていたが、会談相手の急な予定変更がいつ入るとも限らない。行儀がわるいと思いつつ食堂に業務端末を持ち込み、食事をとりながらメールチェックをしていた。
「ザラ閣下」
いつのまにか、ランチのトレイを手にしたメイリン・ホークが彼の隣に立っていた。知り合いに今の姿を見られて多少気まずい思いをしつつ、空いている正面の席をすすめる。端末は畳んで制服のポケットに仕舞った。
「ちょっとだけ、プライベートの話があるんですけど…今いいですか?」
「プライベート?」
メイリンとはごくたまに本部内ですれ違うくらいにしか、この頃は顔を合わせる機会がない。接点が減ってしまっただけにアスランは話の内容に予想がつかなかった。
「実はゆうべ姉から連絡があって、伝言なんです」
「ルナマリア?もしかして今度、ラクスと一緒にくるのか?」
ルナマリア・ホークは今、シン・アスカとともにジュール隊に所属しているが、ジュール隊の任務のひとつにラクスの護衛がある。
「そうです。シンも。それで…」
滞在一週間のうちオフが一日入っているが、要はその一日をアスランにつきあってもらいたいという話のようだ。
「なんかどうも、姉がいうにはシンがアスランさんに会いたがってるみたいで。本人は否定してるそうなんですけど」
メイリンの説明にアスランは苦笑する。シンは相変わらずのようだ。
もとよりラクスの日程に合わせ自分もオフにしていたので、その要望を叶えるのは容易い。ラクスと遊びたがるだろうキラを予想して、それにつきあうつもりだったのだが、この場合は元部下に応えてあげたい。
「ちょうどおれもゆっくり話したいと思っていたんだ。彼らとは滞在中、仕事上で何度も顔を合わせるとは思うんだが、話がしたいと思えばやっぱり休みじゃないとな」
実際にふたりとは停戦から会っていないし連絡もとっていなかった。──いや、シンとは、その数日後に通信でレイの話をしたとき以来だ。
声をかけてくれてありがとう、とメイリンに礼をいうと、メイリンははにかむような笑顔で、いいえこちらこそありがとうございます、とアスランに礼を返した。


C.E.74 5 Jun

Scene ヤマト家・キラの部屋

夕食を終えてからアスランはキラの部屋を訪れた。
アスランだけ不在の夕食が長らく続き、落ちついたかと思えば今度はキラの遅い帰宅が続いたりしていた。今日はようやくすれ違わずに家族四人(いまだにこの括りはアスランにとって気恥ずかしい)の食卓を囲むことができた。
相変わらず片づけも手伝わずにさっさと自室にもどったキラに、多少小言のひとつもいうつもりだったのだが、部屋を覗いてみれば持ち帰りの仕事をしているという。とはいっても、軍から書類やデータを持ち出せるはずもないので、仕事に必要なデータ資料を揃えているだけだ。すぐに終わるようなことをわざわざ持ち帰るのはキラにはめずらしい。
ここしばらくのすれ違いが嫌だったから、とキラはいった。そんなことをいわれれば小言も引っ込むし、邪魔になるからと部屋を辞することも気が引けて、いつもキラの部屋ではそうするようにベッドに腰をかけた。

アスランが部屋に落ちつくと、キラが楽しげな様子で話題を出した。
「もうすぐラクスがくるね」
アスランからとくにそれを伝えたことはなかったが、カガリかラクス本人から聞いていたのだろう。いつのまにか彼は知っていて、数日前からアスランの顔を見ればその話を持ち出してきた。滞在中のオフ日程もアスランが告げるまでもなくすでに自身のオフを合わせていて、少しばかり面白くない気分だった。
そのうえに今、ラクスが滞在するアスハ家別邸でそのあいだキラも一緒に過ごすといわれ、思わず大きな声が出てしまう。
「なんで?!」
「え…、ラクスがそうしてっていうから。寂しいんじゃないかな」
そのあいだおれが寂しいだろう、と心のなかでぼやいている間に「アスランも一緒にいこう」とキラが誘った。
「いやおれは……遠慮する」
「せっかくラクスがくるのに?」

───ラクスラクスってこいつは…。

「その一週間のあいだ、おれと彼女は仕事でほぼ顔をつきあわせたままになるんだ。オフの時間までおれの顔を見たくないだろう、ラクスが」
「そんなことないよ」
「……仕事の話しか出なくなる。おれはいかないほうがいい」
アスランは適当ないいわけを見繕ってキラの提案を固辞した。ラクスに対して他意はないつもりだったが、ここへきて疲労も溜まり不機嫌が加速しているようだ。
「そんなこといってオフ日まで揃えたくせに…」
「それはシンとルナマリアにつきあうことになってるんだ」
「なにそれ、聞いてないんだけど!」
「今いったからいいだろ」
何をこんなにくだらないことで、と自覚があるだけに、もうこれ以上はまずいとアスランは腰をあげた。このままけんかになっても虚しい。
しかし、去り際の背中にキラが追い打ちをかけた。
「…なんで怒ってんのアスラン」
「怒ってないべつに!」

閉じた部屋のドアを見つめながら、「怒ってるじゃないか…」とキラは口の中でつぶやいた。


C.E.74 11 Jun

Scene オーブ首長会議事堂・会議室

オーブ連合首長国とプラントのあいだでは3月27日に停戦の合意がなされたが、このあとには休戦を定めるための平和条約の締結が控えていた。さらには、条約に合わせて軍事同盟を結ぶことをカガリが決断したため、ウズミの理念を撤回するのかとの反発で、政局はおおいに混乱していた。
しかし、カガリはウズミの抱いた志まで翻したつもりはなかった。実際のところは、中立国としながらもこの数年戦場となることを避け得なかった現実がある。ことばだけがひとり歩きしている理念の根底を見極め、現実におこってしまうことを含んだうえで、国民の平和のために尽くせる手段の幅を広げようとしているだけなのだ。そのためにこれまで対立の多かったサハク家とも結び、国内での矛盾や対立を消化することも始めている。
正しい手段が常にあるとは、カガリも思ってはいない。だが今は、自分が信じる道を選びとり突き進まねば国民もついてこないであろうし、オーブの軍事力を狙う諸外国にまたもやつけいる隙を与えることになると考えていた。

そんな思いの勢いを表すごとく、カガリは会議室への通路を二名の随員を従えて足早に進んでいた。アスランもカガリの隣に並んで歩いている。今からおこなわれる会議は、揉めると判っていることが議題にあるので少しだけ気が重い。カガリはつぶやきにそれを漏らした。
「厄介なのはやはりフリーダムとジャスティスの処分についてだろうな」
三年前の課題だが、盗用機体を元に開発されたこれらの置き位置は、オーブとプラント双方にとって微妙な問題だった。
「そうだな。おれとキラ個人が関わっていかざるを得ない問題だ……」
アスランも沈鬱な表情をしていた。彼自身だけのことであればこうも低い声でこぼさないだろうに、とカガリは思う。彼女としてはふたりともが大事なので、悩みも二倍だな、と心の中で唸る。
それを振り切り、自分自身も鼓舞するかのように、きつい口調でアスランにいう。
「だが、国としては。軍人とはいえ個人に依存する内容を飲むわけにはいかない。しかし、国内にそれを利用しようと考える者も、いることはいる。スケープゴートを強いるような意見は全部はね返せ」
「……判っている」
───とはいっても、こうしたかけひきは苦手だ。
カガリがちらりと横目で見ると、アスランからはそんな苦手意識が苦い顔となって表れていたが、筋の通った理屈はよく捏ねるし、目上相手にも引けを取らず頑固を貫くし、何より“くそ”真面目な態度が取り柄のこの男には心配していなかった。彼の真摯な姿勢は頭の固い老人たちにはうけがいいだろうと予想していた。
随行員が先に立ち、訪れた会議室のドアを開ける。中にはすでにこれからおこなう平和条約策定委員会の委員たちと首長らが揃っていた。
アスランをともなったカガリが入室すると、案の定、議場内の面々が一瞬ざわめく。アスランはさきほどの渋面のかけらもない涼しい顔をして、空いている席のひとつに着いた。
「今回からザラ准将にも同席いただくことを許可いただきたい。ご存知の通り今までオブザーバとして意見を頂戴していたが、今度の条約締結と軍事同盟の検討に、彼の意見を参考程度にとどめることはできない。委員会で実際に発言していただくためにザラ准将の委員会入りを推薦する」
カガリは座らないまま、凛々しくもよく通る声で第一声に発言した。すると、議場内はまたもやざわめく。
「……国内の反発がでることはお考えにならないので?」
首長のひとりがほんの少しだけ控えめに訊ねる。
「では訊くが。あなたがたは今までの彼の働きに対して、ナチュラル排斥者の血縁としかいまだに見ることができないと、そうおっしゃるのか」
「そうではありません…ただ国民感情の…」
「真摯に国のためにおこなっていることに対して、なおでてくる根拠のない風聞を払拭する責務は国にあると思うが違うか」
カガリは努めて声を荒げず冷静に反撃する。彼らのこの反応は想定済みだ。
「個人感情でわたしが彼を擁護していると見ている者がいることも知っている。だがわたしとしてみればいいかげんに個人感情抜きで国政にあたれぬのかと申し上げたい!」
後半はやや強い口調でいうと、その場にいる誰もが何も次のことばを告げることはなかった。
カガリは「まだ何かあるならいえ」といいたげにゆっくりと彼らに視線を送り、誰も自分に目を合わせないことを確認するとやっと席に着いた。
「委員長、挙手でザラ准将委員就任の決をとってくれ。今日の会議はそれからだ」
満場一致であったことはいうまでもない。


C.E.74 13 Jun

Scene カグヤ島・宇宙港VIPラウンジ

その日はふたつの用事で、アスランとカガリはカグヤ島を訪れていた。
ひとつはこのカグヤの宇宙港で、プラント大使ラクス・クラインを歓迎するためだが、もうひとつは私用である。数日後はカガリの父、ウズミ・ナラ・アスハの命日だ。ラクスの来訪で当日ゆっくりと墓前に立つことができないので、ふたりは事前の墓参りをしたのだった。
「お父様は、怒って、いるかな」
慰霊碑のまえで、カガリがぽつりという。
ギルバート・デュランダルの標的が自国に向けられることを予想していたこともあったが、メサイア攻防戦をまえに彼女は、結果的に「国防のみに徹することなく」とオーブが新たに進む道を示し行動した。ウズミが提唱した理念は「他国の争いに介入せず」だ。カガリの決めたことを「いらぬ正義感」という者もいる。だが、戦渦拡大に繋がるような世界間の争いを事前に諌める力があれば、それはオーブ国民を護ることにもなるのだ。長い道のりであろうが、無茶であろうが、カガリは全世界における政治力、影響力を、このオーブに持たせたいのだった。父、ウズミと根底の思いは同じだと信じてはいるが、それでも先の見えない未来がある限り不安はつのる。
「カガリのことは、ちゃんと見守っていてくださるさ」
アスランは静かにそう彼女へ語りかけたが、それが慰めになったかどうかは定かではない。カガリは、慰霊碑のまえでそれ以上のことばを発しなかった。

ふたりは午後になってからラクスを宇宙港で出迎えた。向こうでは大変だろう?と声をかけるカガリに、「毎日が充実して楽しいですわ」とラクスは相変わらずの笑顔で答えた。アスランとも笑顔で挨拶を交わすと、カガリの秘書官がVIPルームへの移動を促した。
ラクスの初日第一のスケジュールはオーブ代表首長カガリとの会談だ。アスランも同席することになっていた。
「聞いてると思うが、アスランが平和条約策定委員会に正式に委員として名前を連ねることになった」
「ええ…だってまだ委員じゃなかったことが不思議なくらい、すでにいろいろと貢献されていて」
「初めからこうなることは判ってたくせに、こいつがぐずぐずと委員会入りを拒んでてな」
早速話題はおれか、と思いながらアスランは無駄と知りつつ反抗を試みる。
「しかし、おれの名前があまり表に出るのは問題が…」
すると予想通りに、カガリが何度いえば判るんだ、と怒りだした。
「動いた分だけ名前を出せ! おまえが何をやっているのかプラントにも地球にも、見せればいいんだ。そうすればぐだぐだと父親の名前を聞かされずにすむ!」
自分以上にそのことを気にしているカガリの励まし(?)は充分に効果がある。思えば、今ここに集っている三人が三人とも知名度の高すぎる親の名を背負っている。
いい過ぎたと思ったのか、カガリが軽く咳払いをして「……ことばがわるくてすまないが」といった。
「いつまでも“アスラン・ザラ”ではなく“パトリック・ザラの息子”でいいのかおまえは」
「もう…判ったよ。だから委員にもなっただろう」
いいから早く実のある話を進めろ、とアスランは投げ出した。

「プラントの情勢はどうだ? もう目に見えた混乱はないように報道されてはいるが」
ギルバート・デュランダルによるロゴス打倒の政見放送で明けた、コズミック・イラ74年。それからメサイア陥落の3月まで怒濤のような動きと紛争に翻弄され続け、ヤノアリウス、ディセンベル数区の崩壊もあり、プラント国民は疲弊しきっていた。
──さらに2月、世界が混乱する最中にデュランダルが突如掲げた「デスティニー・プラン」。
公表の当初は、それまでの混乱操作と巧みなプロパガンダにより、プラント内と地球各国で受け入れ方向に進むかと思われていた。だが、メサイア陥落前後から地球の“コーディネイター研究者”をはじめとする識者、さらにはプラント国内からも遺伝学者らの考察により、プランそのものが虚飾にあふれた論理で実践されようとしていた事実が判明した。
そもそも、マーシャンについての研究報告(遺伝子上の調整を加えてもなお、必ずしも設計──遺伝子情報どおりとはならない結果となる事実)や、メンデルでキラ・ヤマトが創出された経緯を知っていたにも関わらず、デュランダルがなぜ破綻したプランを強制的に実行しようとしていたのか、その真意は今となっては定かではない。
こうして、打ち上げられたまま消えたものに狂信的な支持者が各所で擾乱を起こし、プラン再開を声高に叫ぶこともあった。時が経ち、管理社会と選択のない未来は、かつてのキラたちの思い同様に決して歓迎できるものではないという感情が徐々に広まり、一時期の熱狂は何だったのかといえるほどに、一部を除きプランの支持者も消えていくことになった。
「確かに沈静化しつつはありますわ。でもプラントに対する、国外へ広がってしまった波紋のほうが気なりますわね…」
沈鬱な表情でラクスは答えた。「打倒ロゴス」の気運には盛りあがりもあったものの、終わってみれば結局プラントは暫定政権を除けば二代続けて大量破壊兵器を持ち出すトップを据えていたのだ。デスティニー・プランの悪評も拍車をかけた。コーディネイター排斥を掲げるブルーコスモスの動きは、その最大のバックであるロゴスを失った今も健在で、各所で対コーディネイターテロやアジテーションを続けている。

とくに気になるのは、ブルーコスモスで構成される国際的勢力組織が次々と台頭し始めていることだ。
今までのような地球連合や各国の内部に隠れた存在であることも厄介極まりなかったが、“勢力”として目の前に現れても、それはまた世界を二分する流れへと動く気配を感じる。
終わりの見えないその先に、三人は押し黙った。

「とにかく今は。我々の平和条約だ。このオーブがなんとか、緩衝剤になってみせるから」
カガリの決意は堅い。たとえ負のループが待つ未来でも、それは変わらない。いつか断ち切るのだ、自分たちの手で。


C.E.74 19 Jun

Scene オノゴロ島・戦没者慰霊塔

さいわい、この日は快晴だった。アスランは愛車のロードスターを走らせて待ち合わせの場所へ向かった。途中、オーブ軍の官舎でメイリン・ホークを拾って。
センター街の端にある駐車場に車を停め、目的のカフェまでは歩いていく。駐車場からは十分ほどの距離だ。たどりつくと小ぶりのオープンカフェは賑わっていた。なんでも、オノゴロ島でかなり人気の店だとか。わざわざプラントで事前にそんな情報を仕入れ、その店を待ち合わせに指定してきたルナマリアに、女性のこういった手回しのよさはにはかなわない、とアスランは真面目に心から感心した。
外側の目につきやすい席に待ち合わせ相手のシン・アスカとルナマリア・ホークは座っていた。すでに仕事で何度も顔を合わせていたので、そこでは簡単に挨拶を交わすだけにすると、予約してあったレストランへ向かうことにした。

それから食事をしているあいだも、今慰霊塔へ向かっているこの道すがらも、シンはことば少なに、それでも何かをいいたげに、アスランから離れない距離にいる。
ホーク姉妹が自分たちだけに通じる話で盛り上がり、先へいくのを見ながらふたりで並んで歩いていると、ふいにシンが声をだした。
「あの……。こないだはありがとうございました。……レイのこと…」
シンはこのひとことがずっといいたかったのだろう。ふてくされたような態度でこちらを見もせずに礼をいうその様子は相変わらずで、アスランからはつい笑みがこぼれた。
「…いや」
シンがこちらを見ないので、アスランも再びまえをいくふたりに視線をもどした。そのほうが話しやすいのか、シンがその様子を察して次のことばを続ける。
「レイって…家族もいないんで。おれたちしかあいつのこと泣いてやれないっていうか」
レイの、その素性については、いくらかアスランは把握していた。
過去自分の上官だった男、また戦火を拡大した罪を負うとされる男ラウ・ル・クルーゼと同じ、アル・ダ・フラガのクローンだということを。クルーゼにもレイにも近くにいた自分が、何故それに気がつけなかったのかと思うこともあるが、今となってはどうすることもできない。それに、気づけたところで、レイにどんなことばを、自分はかけてやることができたというのだろうか。

シンとレイがどれほど近い存在であったのかは判らないが、シンの様子を見ればレイを理解したい相手としていたことは窺い知れる。だがその理解に生い立ちが…遺伝子上の刻印が、何の役に立つだろう。
彼の素性など、シンにはどうでもいいことなのかもしれない。ただ、それだけに。
「……つらいな…」
失ったものはぜったいにもどりはしない。シンもアスランも身に染みて知っていること。失うまえにそれに気がついたとしても、止められないこともある。
「そういうの…もうほんとに終わりにしたいんです」
アスランのつぶやきから数分もかけて、シンが応えた。
「でも…終われない。皆が望んでいるのに。なんででしょうね」
誰もが思う疑問。
「それでもおれ、軍人辞めませんよ」
だから、今もザフトにいる。
「同じ選択をするんだな。同じ理由かどうかは知らないが」
「………………」
誰と、とはひとこともいわない。それでもシンには通じているのか、何も訊ねなかった。
「余計なことかもしれないが、心配だな」
「え?」
「シンは強いから」
そのひとことでやっとシンはアスランを見た。
アスランも視線を合わせて静かに微笑むと、どうしてかシンと重なるキラのことを思った。


「シンは強いから。敵を多く倒すだろう?」
シンはアカデミーで「敵は倒すべき」なのだと教わった。モビルスーツパイロットにとっての倒す敵は機動兵器や戦艦だ。生々しい殺人は実際の目には見え難く、それだけにその意味からはわざと遠ざけた教育を受ける。
それでも今は、その目の前の「敵」の中に何があるかなど充分に判っている。
───その中に、ステラを見たのだから。
「殺した分だけ憎しみが生まれて。その憎しみがまた人を殺す。過去にはキラとおれもそれを理由に、殺し合いをしたことがある」
「………?!」
シンはそういえば、と思い出した。フリーダムのパイロットはかつては地球連合軍にいたということを。ヤキン・ドゥーエ戦役での明らかなザフトの敵対勢力だ。
「おれは戦友を、あいつは学友を、互いに殺されて。怒りにまかせて互いに剣をむけた。幸いなことにふたりとも…いま生きては、いるが…」
アスランは何故だか、「幸いなことに」といいながら、後半をとてもつらいことのようにいった。
「どちらかが死んでいれば、また誰かが仇を討ちたいと思っただろうに」
その連鎖を自分たちで断ち切って、共に立ったということなのだろう。シンはふたりの、そのまえの繋がりなどは知りもせず、アスランから語られる前大戦の経緯を聞いていた。
「そんな憎しみの連鎖を知っていながら、それを自らの手で生むことの覚悟も含めてまた剣をとるのだといった。…それをすべて背負うというんだ、あいつは」
知らなければその重荷は目に見えない。重くもない。でも知ってしまった今は。
「耐えていくのはどれほどつらいことなのか。強くて、戦いに勝てるということは…そういうことなんだと」
アスランはことばを一度きって、足下に視線を投げた。
「おれがもっとうまく、それをきみに伝えることができていたなら」
そんな重荷がある自分たちと同じ道を歩まずに済んだかも…と思ってでもいるのだろうか?
───もし、そうなら。
シンは率直にアスランを変な人だと思った。この人はいつも、こんなだった。
「いいえ。あなたはずっといってたと思いますそういうこと。おれが耳を塞いでただけです」
聞かなかったのは自分の意思だ。それなのに、何故それをまだ後悔するのか。こういうのが優しさなのだとしたら、アスランこそが、その重荷に耐えられずいつか壊れてしまうのではないかとシンは思う。
「だから、今そんなふうに…自分がわるかったみたいに、あなたが考えることないです」
アスランは黙って聞いていた。
『力を手にしたそのときから、今度は自分が、誰かを泣かせる者となる』
以前にいわれたこと。アスラン自身が泣かし、泣かされたすえにでてきたことばだったということだけが、あのときのシンには判っていなかった。
シンは戦争からあと、アスランにいわれたことを少しずつ反芻している。いまだに、いい返してやりたいこともいくつかある。自分が思い直したこともいくつか。だのに、傍にいない人間にはその先のことばをもらうことも、自分が伝えることもできないのだということに、いつも苛々としていた。
それが今傍にあって、もうこの人にそんな自分とのことを振り返らずにいて欲しいという、素直な心が生まれている。
「おれのことも心配しなくていいです。……覚悟がありますから」
───自分にだってもう、今、何を護りたいのかが、判っている。
レイを失ったと判っても変わらなかった、覚悟がある…。


今日最後の目的地である慰霊碑のまえにつくと、全員がほぼ無言になった。途中で仕入れた花束をメイリンが手向ける。
シンはじっと慰霊碑に視線を落とし、無感動な表情でいた。だが、心の中は悲しみに包まれていることをアスランは知っている。喜びや怒りなどの感情はよく表にだすけれども、悲しみの感情だけは、ひっそりとその胸のなかにだけしまいこむ。それは、大切なものを失くした者の特有の強がりだった。
背後の光景に目を向けると、ブレイク・ザ・ワールドで受けた高波の痕跡はすっかり消えて、きれいな花々が咲き乱れていた。海に沈む夕焼けを受けて、花壇全体にオレンジ色のフィルターがかかっている。物悲しい雰囲気が強調されて、きれいだけれども、見ていたくはない、とアスランは思う。

そのとき、その向こうから、トリィの声が聞こえたような気がして目をやった。
その声を同じに聞いたメイリンははっきりと、シンとルナマリアは「何の“音”?」といいたげに、同時に振り返る。その方向からはキラとラクスが歩いてくるところだった。
「………キラ……」
アスランが声をかけると、シンが一瞬それに反応した。
「きてたの、アスラン」
「……ああ」
オフ日は同じだったので今日ラクスもここへ訪れることは予見していたが、まさかかち合うことまで、アスランは想像していなかった。それはキラも同様だったようだ。少なからず、驚いた表情があった。
今度は、ラクスがその慰霊碑に花束を添える。そしてふたりは慰霊碑に向かい、静かに祈っていた。
ルナマリアは、おそらく初めて見る顔──キラが気になっているようだ。シンもじっとキラの顔を見つめている。彼にはいっておかなくてはならないだろう。
「シン、彼が…キラだ」
急に紹介されてシンはぽかんとしている。
「キラ・ヤマト。フリーダムのパイロットだ」
はっと息を飲む気配は、ルナマリアから飛んできた。シンは動揺することなくもう一度キラをじっと見た。“シン”とアスランが呼びかけたので、キラにもその相手が誰だか判ってはいるだろう。キラには何度となくシンの話をしていたので、やはり驚くそぶりもなくその目を見返している。
ふと、キラが手を差し出した。その手を見てシンがとまどっている。
「だめかな」
シンはまた視線をあげて、キラを見た。無言のままその手をとる。
「…会ったこと…ありますね。ここで」
「うん、そうだね」
意外な会話に、アスランは驚く。
「おんなじ…こんな夕焼けのときだったよね」
キラは微かに首を傾げて、シンの心を優しく覗くかのようにいった。相手がかつて自身に憎しみを向け刃を振りおろした者だなどと、少しも考えていないかのような表情だった。
「でも。…おれの気持ちは、あのときと同じじゃない…です」
そのときのふたりの会話がどういうもので、彼らがどういう思いを抱いていたかなど、アスランには判らない。だが、それぞれに変化を見たふたりがこうしてふたたび邂逅することは、未来の何かを予見しているかのような感覚があった。
シンの応えにキラは、そう、とだけいって、静かにつないだ手を離した。


C.E.74 30 Jun

Scene ヤマト家・アスランの部屋

時間は深夜の2時をまわっていた。階下で玄関のドアが開く音が聞こえ、キラははっとなる。真夜中に家の中に入ってきた人物は、音を立てないよう静かに階段をのぼってきた。いつもと違う歩き方をしようと、キラにはそれが誰だか判る。
自分の部屋のまえを通り過ぎようとするタイミングで、キラはそっとドアをあけた。
「お帰りアスラン」
「キラ……ただいま。起きてたのか」
アスランはいかにも驚いた顔で「こんな遅くまで」といった。こんな遅くに帰ってきた人にいわれたくない。
「ちょっと仕事してて」
「…またおまえは……軍の仕事の持ち出しは犯罪だぞ…」
呆れるというよりは、疲れが滲み出た力のない様子でアスランがいう。
ラクスがプラントにもどった20日、その日からアスランは家に帰ることがなかった。宇宙港で一緒に彼女を見送ったとき、しばらく自分の食事は用意しなくていいと母上に伝えてくれといわれ、理由を訊ねればカガリがそれに応答し、
「ラクスが何をしにきたと思ってるんだ。仕事を落としにきたんだぞ? わたしやアスランたちは当分カンヅメだ!」
と怒鳴っていた。
そのあいだ、軍にもろくに顔を出さなかったので、アスランを見るのはものすごく久しぶりだ。
「持ち出してないってば。仕事って感じでもないよ」
「…そうか…?」
いってることの整合性が取れてないぞ、と思いつつも、アスランはそれに突っ込む元気もない。不審げな顔と声をよこすだけにして、自室に向かった。
その背中に「そっちいっていい?」とキラが声をかける。
「ああ、いいよ」
どんなに疲れていても、キラに返す笑顔は優しい。
だが、今日のその様子はひどく艶めいても見えて、キラは切なさと一緒に鼓動の跳ねも感じた。

自室に入るとアスランはどっさりとベッドに腰をおろした。
「疲れてる?」
見れば判ることだが会話の切り出しとしてはこんなものだろう。
「……ん…さすがにちょっと疲れたかな…」
「こんな時間だから今日もあっちに泊まるかと思った」
「明日オフもらったから…無理やりもどった」
そ…よかった、と返してキラはアスランの様子を窺う。このところ──ラクスが訪れるその少しまえあたりから、彼の不機嫌が続いていた。理由は判らない。自分がまた何かしたかなとも思ったが。ただ、自身の不機嫌を自覚しているらしいアスランが、その態度をキラにすまないと思っている節もあったので、仕事上の何かなんだろうと自分の中で勝手に落ち着けていた。
一方のアスランは「やきもちが抑えられませんでした」とはいえないので、このままなしくずしにしようと考えていた。さすがに、仕事しか考えられない状況が続き、頭はすっかり冷めていた。
「……ラクスはどんな様子だった?」
彼女がプラントへ帰ってからまる一週間は経過していたが、今更こんなことをキラに訊くほど、ふたりで話す時間もなかったと痛感する。
「アスラン仕事で毎日会ってたでしょ?」
「ああ…でもほんとに仕事の話しかできなかった」
アスランは両肘を膝にたてかけて掌を顔のまえで祈るようにあわせ、そこに額を押しあてじっと目を閉じている。そのまま寝入ってしまいそうだ。キラはひとことだけ報告して、もう退散しようと思った。
「プラントでのこといろいろ聞いたよ。イザークがすごい親切にしてくれるんだって」
「………イザーク、ね…」といってアスランは何故か苦笑した。いろいろと個性的な人物らしく、イザークのことを話すときはアスランが苦笑を漏らしていることが多い。今もまた過去の何かを思い出しているのかもしれない。
「じゃあ、アスラン。ゆっくり休んで」
おやすみ、と踵を返すとふいにアスランが「キラ」、と手を掴んだ。
振り返ると、いつも通りになく視線を落としたままでこちらを見ない。
「どうしたのアスラン」
いらえもない。握った手をじっと見つめたまま動きもしなくなってしまったアスランを、さすがに仕事だけではない疲労があるのだと思い、キラはその横に座って肩を寄せてみた。
「アスラン?」
顔を覗き込むと、とらえたままの手を何だかもそもそと撫でてみたり握ってみたり、何の思考もない様子で弄った。…だのに、表情はわりとふつうにしている。
こういうときのアスランはたぶん、目の前のキラを置いてきぼりにひとり考えに没頭している。
───何があったんだろう。
愚痴がいいたい雰囲気でもなさそうなので、キラもしばらく黙ってアスランのしたいようにさせる。
まさしく今、アスランはいじいじとひとりの考えに没頭していた。つまらない嫉妬心で何日もキラにそっけない態度をとり、あげくそのまま仕事に忙殺され、キラの顔を見ることもできなくなって。
疲れが溜まるごとに後悔が押し寄せて…。
キラに対して空回りをし続ける自分に呆れるあまり、キラ自身にとてつもなく慰めてもらいたい気分に、落ち込んでいた。

───どうしよう…キラにキスしたい…。

二度目のザフト脱走から、アスランは何度かはずみのようにキラにくちづけをしている。その度に彼がどう思っているのかは知らないが、今日ははっきりと自分にキラへの恋慕がつのっていることが判っているので“それはまずい”ような気がしている。
「甘えたい? アスラン」
「え…」
堪えるのに一生懸命で、一瞬いわれたことばが理解できず惚けていると、その隙にぐいっとキラに頭を抱き寄せられた。
「ぼくたち家族なんだから」
「……………」
その顔を見れば、キラは楽しそうに笑っている。
「いつでも“お兄ちゃん”に甘えていいよ」
してやったりと嬉しそうな笑顔のキラに、ついにアスランも吹き出した。
「…莫迦いうな…!」
表情の緩んだアスランの頭を、キラがふざけて子供にするように撫でる。やめろよ、と笑いつついって彼の腕を引きはがすと、アスランはようやく少し、元気が出てきた。

「……キラが久しぶりだなぁと思って」
「ん? …そうだね…。少なくとも十日くらいはまともに話してなかったかな」
キラが考えに泳がせた視線をアスランにもどすと、さきほども見た疲れと艶を含んだ優しい微笑みを湛えて…彼はキラを見つめている。
「アスラン…?」
また途切れたことばを不審に思って顔を近づけると、そのまま彼も顔を寄せてきて、静かに唇を重ねた。
そのぬくもりが伝わるまもなく離れると、すいとアスランは立ち上がった。ワードローブを開けて上着を脱ぎハンガーにかける。それがあまりに何気ないそぶりで、くちづけと思われたものは顔を動かした勢いでかすっただけのことのように錯覚する。だが、間違いなくそうではない証拠に、離れる瞬間、アスランはキラの唇を微かに吸った。その音も耳に、届いたように思う。
背を向けたまま着替えを続けるその顔はキラから見えないが、「もう寝る。おやすみ。キラももう寝ろよ」といった声は、疲れの消えたいつもの声だった。
「うん、おやすみ」
最後まで表情を確認できないまま、キラはアスランの部屋から出て、そのドアを閉めた。


C.E.74 1 Jul

Scene ヤマト家・アスランの部屋

発端は先日オーブへきていたルナマリアだった。

「ラクス様にディオキアのホテルでのことはいってませんから」
「…………は…?」

四人で食事をしてから慰霊塔へ歩いて向かう道すがら、アスランの横につつっと寄ってくると、ルナマリアがこっそりとそんなことをいってきた。
「何の、話だ?」
いたずらっぽい笑顔を向けているルナマリアに、アスランはえもいわれぬ嫌な予感がする。
すると、
「ラクス様のニセモノとよろしくされてたことですよ…!」
と、耳打ちしてきた。
「……………!!」
頭の中からすっかり消え去っていたあの朝の衝撃が思い出される。
「…ル……ッ?! …だからっあれは!」
狼狽して裏返ったアスランの声に、前方をいくシンとメイリンが振り返る。しかし、ぱたぱたと手を振り「なんでもない!」とルナマリアはふたりの注意を逸らした。
「…………だからあれは…あのときもいったと思うが……。誤解だから」
「えぇ〜〜?」
「ひとりで寝て、目が覚めたら彼女が勝手に部屋に入り込んでいたんだ!」
「…ふうぅ〜ん……」
「…おれは誓って何も……いや、きみにそんな話をしても仕方ない」
「そうですよ。裏切ったのはラクス様になんですからラクス様にきちんといいわけをなさってください」
「……………」
アスランは激しくことばをなくした。
ルナマリアの遠慮のなさには頭が痛かった。いや、違う。遠慮のなさなど、どうということでもない。問題はこの勘違いだ。
「それはべつに…。そもそも、彼女とはもう婚約を解消しているんだし…」
「えっ?!」
「……え?」
驚きに驚きで返してしまった。自分は何か間違ったことをいっただろうかと怯むほど、ルナマリアの「えっ?!」の勢いがすごかった。
「そうなんですか?!」
往来で大声を出されて、さすがにシンとメイリンも道をもどって寄ってくる。くるな、ともいえなくてアスランは窮地に立たされた。
「なに、お姉ちゃん?」
「アスランとラクス様って婚約解消されたんですって! 知ってた?!」
首をふるメイリン。シンは、なにそれ?という顔でアスランを見ている。
「いや、ルナマリア…この話はもう…」
「そんな話、いつ発表されました?」
「──は?」


「先日はご足労くださりありがとうございました、ラクス」
『あなたもお疲れさまでしたアスラン。こちらの要望事項に何か問題がありまして?』
アスランは早くめんどくさいことは片づけようと、オフ日を使ってラクスにコールした。
「いえ…今日は公用ではなく…若干、公にもかかわることですが…」
『あら。ではプライベート回線にいたしますわ。……どうぞ?』
ラクスは接続レベルを変更すると、かわいらしく微笑んでアスランの話を促してくる。アスランは無邪気に見える彼女に、まだ少し話すことをためらっていた。ルナマリアにいわれるまで長らく忘れていただけに、今更蒸し返すことに迷いがあった。しかし、先延ばしていいことでもない。
「あ…その、つまり…。おれたちの婚約解消のことで…」
『……まぁ…』
みるみるラクスの目が見開かれる。わざとらしいくらいに片手を口に添えて。だがこれが彼女の通常のリアクションだ。不思議なことは何もない。
「おれが父から聞かされたときはまだ公にしていないといっていました。そのあと…二年前の騒ぎの渦中で…父が公表を失念したのか…。プラント国内ではいまだにその話が生きているようですね」
それは、一年前にも気がついていたことだった。ミーア・キャンベルが“ラクス・クライン”として現れたとき、周りにいた誰もが“アスラン・ザラの婚約者”として扱っていたのだから。
『あら、まぁ…』
彼女は再びそういった。どうやら、ラクスも知らなかったようだ。
「近いうちにきちんと公表すべきだと思うのですが。何しろ、おれたちの婚約は婚姻統制のアイドルのように扱われていましたので、その発表には慎重を要するかと…」
現在のラクスの立場を追加して考えれば、今となっては容易に発表できることでもなかった。それなりに準備をして、しかとした外向きの理由もつけねばならない。
『ええ、そうですわね。…でも、アスラン』
「はい」

『何故わたくしたち婚約を解消しなくてはなりませんの?』

「───は?」

『それにわたくし、そんなお話ひとことも聞いておりませんし…』
「え?」
『突然ですから、驚きましたわ』
「え、あ、…は…はぁ……」
……何かがズレていた。
「え……その………。じゃあ、あれは…父の独りごとに近い話だったと…いうことですか?」
『わたくしは解消した覚えがありませんわ』
「……………」
───さもありなん…。
あのどたばたで、しかも父親は怒り狂っている真っ最中だったのだから、そんな呑気な発表の準備など考えることもしていなかったのだろう。ましてや当の本人に告げることを、あの状況の中どこでできたというのであろうか。
父親と自分の非礼を詫びると、アスランは話をもどし進めようとした。
「……どちらにしろ、ラクス…。解消に変わりはありませんから、その発表時期のご相談をしたいと思っています」
ご相談をといいながらも、正直なところアスランはこのままこの先をラクスにすっかり任せるつもりでいた。何しろプラント内のことではあるし、さまざまな女性から「ボクネンジン」と叫ばれる自分がこの手の話に適当な処理ができるつもりもなかった。───ところが。

『ですから、アスラン。わたくしは婚約を解消したくありませんわ』

そのあとのラクスの容赦ない応酬にアスランはほとほと参って、しまいには自室のベッドにつっぷした。
何故と問えばもちろん子供をつくるため、といわれ、公務上にもふたりの結婚は都合のいいお話です、といわれ、最後には、自分を抱きたくないなら体外受精でもまったくかまいません、と、満面の笑顔でいわれてしまった。女性にそこまでいわれて、どんな立つ瀬があるというのだろうか。

帰宅したキラにその話をすれば、追い打ちをかけて「そんなのアスランのわがままじゃん」といわれた。
「おまえ他人事だと思ってそんなこと!」
「なんで他人事なの。ぼくだってコーディネイターだし。次の世代をつくるのは命題だってことでしょそれは」
確かに、アスランもラクスも二世代目のコーディネイターで、婚姻統制下のカップルと判明した以上は子孫を残す使命がある。だが、自分はもうオーブ国民なのだし、次世代を残す使命といわれればナチュラルを相手にしたほうが確率が高い。
「じゃあ、プラントにいるラクスはどうすればいいんだよ。アスラン勝手だよ」
別れるまではカガリとの仲を応援してくれてもいたのに、手の平を返して何をいうのか。それをいえば、「だってラクスとは破談したって聞いてたもん、きみから」という。何もかもおまえの勘違いがわるいといわれているようだった。
アスランは、まったくもって今頃こんな問題が噴出するとは思っていなかった。いささか公にもかかわる身で「ほかに好きなひとがいるから」ともいえないことは判っているが、他人には明かしていない彼のポリシーもべつにあった。ラクスがひとこと、やめましょうといってくれさえすれば、彼の悩みはすっかりなくなるのに、とため息をく。
「アスランだって、ラクスが結婚してくれたら、少しはプラントでの立場が回復するんじゃないの?」
双方の親の対立と自分の父親のおこないを考えれば、確かにキラのいうとおりではあろう。
「……おれは、そんなのどうでもいいよ…」
予想に反して結婚推奨派になってしまった彼は、そういえば政治的な思想はラクスと気が合ってるのだったと思い出す。にわかには、“アスランの立場の回復”というキーワードも気に入っているのだろう。
それでもここは、感情のレベルで嫉妬のひとつもして欲しい、とアスランは思う。
「キラはそれでもいいのか?」
「──へ?」
ダイレクトに気持ちを訊かれて驚いたのか、キラは間抜けな声をあげた。だがその一瞬あとに、「忘れたの?」と首を傾げて、
「ラクスのことは何とも思ってないっていったじゃない」
…といった。アスランは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
───そうきたか…。
彼としては、話題に紛れて少し思い切った問いをかけたつもりだった。ゆうべこの部屋で触れ合わせた唇のことを、少しも思い出すことはないのだろうか。アスランは諦めて、もう口に出すことはせず心の中だけでつぶやく。

───それならおれのことは…どうなんだよ、キラ。

………と。


C.E.74 2 Jul

Scene ヤマト家・ダイニング

「今は個人的事情を考えている場合じゃない!」と婚約問題を棚上げにして強制終了したゆうべ。まんじりともしない気持ちでアスランは目覚めたが、うじうじと考え続けていられる状況ではないことも事実ではあった。とりあえず今日はさっさと仕事に入り、昨日のオフの分を取りもどすのだと決意する。アスランはそれだけで完璧に気持ちを切り替えた。
カリダがつくった朝食をありがたくいただき、食後のコーヒーを飲みながらニュースを見ているとキラが起きてきた。
「…おはようキラ」
「おはよ。早いね」
カリダもキッチンからおはようと声をかけてきて、「キラはいつもどおりなの?」と訊いてくる。キラは、いつもどおり?と思っていると、目の前のアスランが立ち上がった。
「じゃあおれは先にいくなキラ」
「えっ。あ…いってらっしゃい」
昨日の落ち込みのかけらも見せない様子で、いってきますと笑顔を残してアスランは玄関を出ていった。今日の出勤時間は同じだったはずなのにな、などと覚めきらない頭でぼーっと考えていると、カリダが声をかけながら朝食を運んできた。
「あなたたち、最近あまり一緒にいないのね」
あまりどころか、ここしばらくは家の中でもほぼすれ違いだった。昨日はアスランが休暇をとっていたこともあって多少はゆっくり顔を合わせたが、その彼が妙な話を持ち込むからこちらはつい説教までしてしまうし、あまりいい思いはしなかった。
停戦から今日までも、アスランは本当によく働いていると思うのに、どうやらこのあとまだ忙しさは加速するようでキラはがっかりしている。
「時間なんて無理矢理つくらないとだめなのよ?」
まるで、一緒にいないとダメじゃない、と叱られているようなニュアンスだ。
「べつに子供の頃と同じってわけでもないんだから。そんないつでも一緒にいないよ」
「あらそう? 仲がいいならかまわないじゃない、好きなだけ一緒にいれば」

アスランから一時間半ほど遅れてキラも出かけた。
───いってくれれば、ぼくだって早起きして一緒に出ることもできたのに。
さきほどのカリダのひとことはかなり利いた。好きなだけ一緒にいようと心に決めて傍にいるつもりだったのに、気がつけばこんな状態だ。
そろそろキラも、自分の次の道が見えてきている。自分が動き始めれば、またいくらかアスランとの距離ができるだろう。まえのように心がすれ違うようなことには、もうぜったいにしないつもりではあるけれども、アスランはアスランで勝手に動き回り、縛りつけておくこともできないのだから、ぜったいの保証など実はどこにもない。
───どうしろっていうんだよ…もう…。
キラの心に、微かな苛立ちと焦りが漸く生まれはじめていた。


C.E.74 2 Jul

Scene オーブ軍本部・モビルスーツ格納庫

キラは午後を少し過ぎてから、愛機ストライクフリーダムがある格納庫へと訪れた。先週からコジロー・マードックに新開発のランチャー用モジュールのバージョンアップ作業を頼まれていて、昨日取りかかるつもりがさらに遅れて今となった。久しぶりに本気を出して、今日中に終わらせようと考える。
端末と資料を抱えてフリーダムのコックピットに籠ると、キーボードを操作し目にも止まらぬ速さでプログラムを書き換えていく。
そうして三時間ほど集中するが、ふいにそれが途切れて自分の休憩どきを知る。もちこんだドリンクを手に取り、数分間休むことにした。

思考の隙間ができると、考えるのはアスランのことだ。
ここしばらくの、アスランからの意図のないアプローチに正直まいっていた。そう、あれは無意識なのだ。なおさら対応に困る。
「…天然もいいかげんにして欲しいな…」
彼が何をどう考えているのかが判らない。最悪のケースは、彼自身があれを親愛の表れと思い込んでいて自覚がないことだった。
「まさか、なぁ…」
疑いがつぶやきに漏れた。
思いの底ではとうに通じ合っている。何年も昔から。
ただ、キラがそれを自覚したのが一年あまりまえのことだったように、アスランにその訪れがないことも考えられた。
過去に起きた自分の無自覚による失敗は、いまだにふたりの関係を同じものにしている。下手をして、またもや互いの思いが噛み合わないことになるのであれば、いっそこのままでいたほうがいい。
キラは、今のふたりを決定した三年前を回想していた。


秘されていた自身の出自を知らされてからまもない間、キラはアスランばかりを求めていた。ラクスやカガリ、ムウたちのいたわりも心に響いたが、無意識の底ではアスランと、彼の身体のぬくもりを求めていた。
ばらばらになりかけた心には人のぬくもりが効くということを、キラは経験で知っている。だが、べつにセックスがなくてもいい。人間の体温に包まれるだけでいくらかでも落ちつくことができる。そしてこのときは、アスラン以外に安らぎを感じることはできなかったのだ。彼の体温と、心が傍にないと、眠っているときでさえ悪夢を見る。
「…アスラン」
部屋は同室にしてもらったから、気が向けばいつでも彼のベッドに潜り込めた。
その日もふいに不安を感じ、うとうとしかけていたアスランのところへいくと、彼はすぐに気がついてキラに場所を空けた。ごめんといえば、気にするな、と静かに微笑んでくれた。
優しい笑顔と身体のあたたかさに包まれながら、そのまま目を閉じることができずにいると、アスランもつきあうように目を開けたままキラを見つめ返す。眠りかけを起こされて目が冴えてしまったようだった。
キラは話題を探して語りかけた。
「……思うんだけど、ぼくはアスランになろうとしてたんじゃないかな…」
「……は?……おれ?」
「え……うん」
キラはカレッジでの生活のことをいっていた。ヘリオポリスは中立国オーブのコロニーとはいえ、ナチュラルの相対数は多く、コーディネイターはその一割にも満たなかった。両親も教師も、周りの友人たちもみなナチュラルで、そんな中、皆よりひとつできる分を自分がやってあげなければという使命感があったのだ。
そのうえ…この場合はわるいことに、キラはアスランから、ともだちへの献身的な態度を学んでしまっていた。
「ぼくはいつもアスランにいろいろやってもらってたから。だから今度はぼくがって思って、頑張ってた…かな」
「……………」
話すうちにアスランがほんの少しばかり表情を曇らせたので、キラは語尾を曖昧に告白した。彼の真似をしていた話など、彼にとっては不愉快だっただろうかとキラは戸惑う。それを見透かしたのか、アスランはそうではないことを告げるように微笑みを表した。
「おれは自分がしたいようにしてただけだし。……頑張ってた、だなんて、そんな肩肘張るようなことしなくても、彼らはおまえのともだちでいてくれるだろ?」
おそらくそれは、アスランのいうとおりだろう。キラはそういうかけがえのないともだちに、何かをしてあげたかっただけだった。───アスランと同じなのだ。
それでも、キラとアスランの関係とまったく同じではないことに、彼らから違う反応があったことをキラは思い出した。
「ミリアリアにはね。そんなふうに自分たちのこと甘やかしたらだめだって逆に怒られてたな」
アスランはその様子を想像したのか、苦笑する。
「おれ、おまえのこと甘やかしてたのかな…」
「そうだよ」
だからぼくはともだちに甘いんだ、とアスランのせいにする。
「離れてよかったかも。ぼくあのままだったらさ、アスランに甘やかされたままぜったいダメ人間になってたよ」
「莫迦いうな。おれがそんなことにはしない」
それからふたりは、そうだ、ちがう、をむきになっていい合い、子供のときのけんかのようになっている自分たちに気がついて、次には笑い合った。

ふいにアスランが真剣な眼差しになり、
「何にしても、離れてよかったことなんて、ひとつもない」ときっぱり告げる。
キラも本気でいったりなど、していなかった。再会してからずっと「あのとき離ればなれにならなければ」と何度思ったかしれない。
再会するまでも、決して辛くなかったわけではない。それまでいちばん近くにいたものが、遠く、手の届かないところにいることに、その現実に慣れるまでに、どれほど心が傷ついたであろうか。
「キラのことを思い出すたびに辛くて、思い出さないように…してたと思う。それをいろいろごまかせる状況にもなってて。プラントへいってからも住む場所がすぐには落ち着かなくて。最初は新しい環境に慣れるのに忙しかったし。……母上が…死んでからは……」
思い出すように視線を泳がせながら訥々と語っていたアスランが、そこで急にことばを止めた。
今になって、そうして堪えていた気持ちが一気に押し寄せ、アスランの胸を締めつけていた。苦しさに声が少し漏れる。
「……っ…」
キラも痛みに眉をしかめる。アスランの痛みはそのままキラの中にある痛みと同じだ。こうして傍にいられる今、何故離れていられたのかが、本当に判らない。何故、耐えることが、できたのかが。
キラはシーツの中で手をそっと動かし、アスランの背中に回した。近かった距離がさらに縮まり、アスランはキラの肩を抱いた。その手に力をこめ、顔を寄せ、唇を寄せ、足を絡めた。数十分ののちには、互いの身体に手淫を施し、唇を合わせながら相手の喘ぎに耽っていた。
思い出した苦しみをどう抑えればいいのかが判らなかった。だから、ただ求めるままの熱でごまかすしかなかったのだ、と思う。

そうするしかなかった───と、翌朝目覚めてからもキラは納得していた。
だが、彼と自分のあいだにこれ以上のしがらみは必要ない。ひとときの感傷で身体を重ねて、そのままずるずるとした関係になることに覚えがあった。それに自分とアスランを重ねあわせ、キラはぶるぶると頭を振る。あってはならないことだ、と思った。そして、ここまで心のなかに大きくあって大切な彼を、彼と自分の関係を、守っていたかった。
だから、アスランに告げたのだ。
これは離れていた距離が急に縮まったことへの反動で、これからは、自分たちはずっと離れずにいるのだから、ゆうべのようなことはもう必要ないのだと。
───最初で、最後だと。
それから、それがただの衝動ではなく恋のゆえだと気がつくのに、二年を要した。


ひととおりのプログラミング作業を終えると、機体の外向きスピーカーからマードックに声をかけた。あとは翌日にランチャーの起動テストと微調整、スケジュールを調整して宇宙での稼働テストも必要だ。
とりあえず、今日のタスクは終了したのでもう帰宅してもいい。それなのにキラはコックピットの中に収まったまま、うだうだと数分を過ごしていた。
コックピットハッチを閉じていると、機体の外の音は何も聞こえず、微かなフリーダムの駆動音があるだけで静かだ。戦争中もその静けさが心地よくて落ちつくので、この中で睡眠をとることが何度かあった。その様子は周囲からは根詰めているように受け取られ心配されたものだったが。
「……あ…」
全方位モニターの下方にアスランの姿が現れた。
「めずらしいな…ここへくるなんて」
政治向きの仕事を手伝うようになってから、アスランは何度か「ジャスティスに乗るほうがよっぽどまし」とぼやいていたことがあった。子供の頃からロボットの製作を得意としていたように、彼はただ頭を動かすばかりの作業が好きではない。今の所属も本当は不満なはずで、自分と同じ技術開発に携わる任務につきたいと思っているに違いなかった。
見ていると、アスランはマードックに話しかけたあと、ちらりと自分のいるあたりに視線をよこしたが、こちらへはこずにフリーダムの隣に佇むインフィニットジャスティスのほうへいった。機体の足下に、話しかけるように手をあてている。
───かわいそうに。
彼の好きな場所に、彼自身なかなか訪れることができないのは仕方のないことではあったが、こんな姿を見せられると同情する。
でも、キラの本当の心には、アスランをジャスティスから遠ざけたい気持ちもあった。それは単純な、彼を戦場から遠ざけたいという気持ちとのシンクロだ。
気がつくと視界からアスランが消えていた。すると、軽い警告音がして上部のハッチが開く。アスランが外側から開けたのだ。
「やっぱりさぼってたな、キラ」
目が合うと開口一番にそう決めつけて、もう終わりだろ?と訊ねる。キラは笑って、オペレーションシステムに終了プロセスを走らせた。


C.E.74 2 Jul

Scene オーブ軍本部・キラの執務室

話があるから、といわれてキラはアスランと自分の執務室へ向かった。
キラも正式な辞令を受けてから、アスランと同じ本部にある高官用フロアに移動している。だが自室はほぼ荷物置き場と化し、一日の大半は工廠の開発室や格納庫などで過ごすことが多かった。この頃は部屋にもどることさえ億劫になりつつある。アスランも自室にはほとんどいないので、同意をもとめてそれを告げれば、「贅沢をいうな」と小突かれた。
アスランは今日も朝から内閣府官邸にいっていたはずで、政府の人間たちと会議続きのスケジュールがはいっているのをキラは見ていた。あらためて話といわれれば、その中で何か自分にもかかわることがあったのだろうかと思う。

部屋に入り腰を落ち着けると、アスランは早速話しはじめた。
会議の隙間をねらってカガリに呼び出されたと思えば、彼女はアスランとキラにプラントの駐在武官になることを“提案”してきた、と説明する。キラは少なからず驚いて「何それ!」と声高にいった。
「一応本人の意思を尊重するといってるが……」
キラの予想以上の反応に、アスランの声音が少しばかり遠慮がちな色になる。
「……それ、どういう段階? カガリが提案してるってだけ?」
「それを受けてラクスとマルキオ様がどういう判断をするかは、判らない」
新しく始まる両国の関係にあわせて、来年からのプラント駐在官を一新することになっていた。現在、ラクスとマルキオのあいだでそのメンバーを調整しているが、平和条約や軍事同盟締結の準備に関わるため、来月の始めには人員リストを確定しなくてはならない状況にある。カガリの思いつきは、突然といえた。

「おれたちはプラントへいったほうがいいというんだ」

アスランのそのひとことでカガリの真意をキラは察した。
講和会議がすすんでいる中で、それに反発するブルーコスモスのテロ活動が、中立国を標榜するオーブ国内にも発生していた。オーブ──地球よりはプラントのほうが安全かもしれない、と考えているのだ。
それは単純に、コーディネイターであること以外に、キラのその出自が明るみに出たときの懸念が含まれているのだろう。
過去、ブルーコスモスの手によってキラの肉親は暗殺された。それはキラの存在所以で、当然彼もその標的であった。彼らがキラの生存を知れば、再びその魔手を伸ばすかもしれない……。
とくにアスランはプラントで、デュランダルやクルーゼ、タッド・エルスマンなど身近にいた者らが、秘されていたはずのキラのことを知っていた、という事実を見てきたために不安を抱いていた。
地球でも、彼が“最高のコーディネイター”として生を受けた者だとすでに知れているのではないか、あるいはすぐに知られてしまうのではないか──。
護衛官がつく身ではあるけれども、より安全な道があるのであればそれには従ったほうがいい、とアスランは考えている。
「アスラン…」
キラは難しい顔になる。彼の懸念は理解できるけれども、デュランダルとクルーゼが知っていたことは特殊な事情だ。今まで、ヴィア・ヒビキの実妹──カリダの元にいて、その正体が知れることなく狙われたことなどは終ぞなかった。
しかし、アスランの不安にその考えを返せば、彼はとつぜん激高した。
「いつまでも同じ状況だと、思い込んでる場合か!」
アスランがずっと心配してくれていることは知っている。ここへきて増えたブルーコスモス関連の報道を見るたびに、彼の眉間には深く皺が刻まれ、こっそりとキラに視線を送っていた。
「カガリの周りにいる人間の一部もおまえたちが姉弟だということは知ってる。そこから出生のことまでたどりつく者もいるかもしれない…。そしてそれがブルーコスモスに繋がる者ではないとはいいきれない。むこうだって調べをつけてるとは思わないのか?!」
当時の追い手を逃れることができたのは、同時期にカリダが流産していたという偶然と、その後のウズミによる入念な手配のおかげともいえた。キラはカリダが流さずに出産した実子として、フィジカルデータも含めた偽装登録がおこなわれている。
だが、それらの工作に多少の人間が関わっている。信用の置ける人選があったのだとしても、その中に心変わりのない者が百パーセントである可能性のないことは、事実ではあった。
確かに、キラには少しばかり呑気があったかもしれない。しかし、キラを不愉快にしているのは、その現実とはずれたところにあった。
「そんなふうにがちがちに警戒ばかりしてちゃ、何もできないよアスラン。ぼくに自由はないの?」
「……キラ…!」
何をどういうふうにカガリから説得されたのか、アスランはすっかりその気になっている。キラは考える余裕も与えられず進められる話にかちんときていた。
「一方的だと思わない? それ以外の選択肢がないようないい方をして!」
迷惑だと表情に出してアスランを牽制する。心配されることは嬉しいが、それによって縛られるのも、いうことを聞かせようという態度もごめんだ。
「……………」
アスランは怒った顔のまま押し黙って、視線を逸らした。彼にはキラの気持ちなど充分に判っていた。

「……でも。ぼくはぼくでアスランにはプラントにいって欲しいって思ってるし、向こうにはラクスもいる。いってもいいよ」
深いため息のあと、突然折れたキラにアスランは、はっと顔をあげた。
「……キラ?」
キラも同様にアスランのことが心配なのだった。
自分の出自が明るみになっていないのであれば、むしろ彼のほうが危険な立場にいた。アスランはすでに暗殺のターゲットとなり、オーブにいたこの数年のあいだも何もなかったわけではなかった。
「アスラン。きみのことを思えば初めから同じ答えにたどりつくって知ってるけど、もう少しぼくに考えさせてくれてもいいんじゃないのかな」
アスランは仔犬のような顔になって「…すまない」といった。
キラは朝から溜めてきた気持ちが苛つきに変わるのを感じる。

───べつにもうこれで、許してあげてもいいけど…。


C.E.74 2 Jul

Scene オーブ軍本部・アスランの執務室

アスランは「もう帰ろう」とキラに帰り支度を促した。
不機嫌を隠さないまま荷物をまとめると先に立って部屋を出る。アスランはそれを追い越して自分の執務室へ向かった。ときおり後ろを振り返り、キラがついてくることを確かめている。彼の部屋にたどりついたとき最後にもう一度振り返り、キラのむっつりとしたままの様子を一瞬眺めた。
アスランとけんかをして、彼のほうから折れたときはいつも、キラはすぐに切り替えた。今日はまだ気分が燻っている。
「もしかして今日ずっとそれでいくのかキラ?」
アスランは短気に、部屋を移動したこの一分ほどのあいだに機嫌が直らなかったことを焦れていた。
「……………」
無言を返すと、アスランは聞こえるようにわざと大きくため息を吐き、執務室のドアを開けてキラを中へ招く。そのままデスクへ鞄をとりにいくこともせず、傍らに佇んだ。
アスランは、ここで仲直りをすませないと家路につくことはできない、と考えている。カリダは小さい頃にまとめて面倒を見ていたせいか、ふたりの状態に敏感だ。けんかを悟らせれば心配をかけてしまう。
「ごめんて、いってるだろ……キラ?」
努めて優しくなった甘い声がキラの耳に響く。
閉じられたドアのまえに突っ立ったまま、キラはぼんやりとその声を思う。彼の呼ぶ声がこんなに甘くなってしまったのはいつからだっただろうか、と。変わってしまったのが、彼の声なのか自分の耳なのかは判らない。
「……今日はちょっと。べつのことでも機嫌がわるかったから」
やっとの思いで出した声に、アスランは覗き込むように首を傾げて俯くキラの顔を見ようとした。八つ当たりされる覚えのない彼はすぐに察した。
「それも、おれのせいなのか?」
「そうだね」
即答に息をつめる様子が伝わった。それからキラはようやく顔をあげてアスランを見る。彼は眉宇をひそめて難しい眼差しになっていた。
「……ぼくたちこんなんでいいのかなと思ったら、いろいろ頭の中がややこしくなっただけ」
「………どうなら、いいんだ?」
「…どう、って……。……アスランとぼく。ずっと仕事みたいな話しかしてないじゃない」
こんな遠回しなことをいって大丈夫なのか、とキラは我ながらに思う。何しろ彼は鈍いのだ。余計ややこしい話に発展したらどうしようという懸念がよぎるが、もう自分のほうから始めてしまったことだった。
アスランはやはり遠回しにしているものをそのまま追いかけている様子で、顔をしかめたまま少し考えるように視線を逸らす。返事に困っているようだった。
「さっきの話だって、仕事と変わんないよね」
「……身のうえの危険の話であって、仕事とは…」
「うんだから。必要だからする話」
「…?……そうだな…」
「……必要ないかもしれないけど必要な話ってあるでしょ」
キラがぼそぼそと説明することを、アスランは真っ正面から見つめて真剣に聞いている。「おまえのいってることはたまにわけが判らない」と幼少時からさんざんいわれてきたが、彼のキラの話を聞く態度はいつも真摯で、判らないことも莫迦正直に理解しようと常に努力してくれる。そういう一生懸命さはいつ見ても“かわいい”。が、キラはつのるものに少しずつ落ちつかなくなってきていた。
「…つまり、コミュニケーションがわるくなってるっていいたいのか、キラは」
「わるくなってると思う?」
苛つきを声に滲ませはじめたキラに、アスランは困ったものを見るような顔をした。
「……変わらないと思ってるけど……おれは。最近話せなかったのは、ただの不可抗力だし」
「そうだね、変わってないよね。ぼくもそう思う」
「……………」
「変えてみる気はある?」
最後のことばに彼は息を飲んで固まり、とうとう動かなくなった。ふたりのあいだに気まずい沈黙が流れ、思考回路が停止したかのようなアスランにキラは今度こそがまんできなくなる。

「うわー、もうムカツク!」

キラは怒鳴りながらアスランの襟元を両手で掴むと思いきり引き寄せ、彼の唇に自分の唇を押しつけた。ほとんどぶつけたも同じだ。すぐに突き放すように離れると、アスランは「痛い」といいたげに自身の口元を手で押さえる。それは瞬間のことで、今は瞠目してキラをまじまじと見つめていた。
「何の気なしに何回もこんなことされて、ぼくがどう思ったと思う?!」
挨拶を交わすようなさりげなさで、何度もアスランからくちづけられた。その奥に何も秘めていないような顔をして。そんなことをされたら、キラも跳ねあがる心臓の鼓動をごまかさなければならない。彼の唇が触れるたびに、最高のいじわるだとずっと思っていた。
そんな彼は、感情に鈍いが頭の回転は速い。今のひとことからすべての理解に至って、───怒り出した。
「その口がそれをいうのか?! 何の気なしだなんて、知ってるくせに、とぼけるな!」
何か踏み出すきっかけが欲しかっただけなのに、何故ここでけんかが始まってしまうのか、キラにはもうコントロール不能だった。思えば、ふたりのことはいつもアスランがリードしていたから、下手に動いてしまった自分がわるかったのかもしれない。でもアスランがどんくさいからいけないんだと心で詰って、そのままくってかかろうとすると、それを抑えるかのように彼は一歩進んでキラの両肩を掴んだ。
「……い…ったいよ、莫迦アスッ!!」
「変えて欲しかったのならそういえ。──卑怯だろ、こんな誘い方は」
気の強さが表面に出た瞳の輝きが迫っていた。キラは乱暴にされたことに憤って、握力任せのその手を引きはがそうとする。自分の両手で彼の腕を掴んだ瞬間、視界に影が落ち、文句をこぼそうとした口は吐息ごとふさがれた。
「──────」
キラの肩からふたつの腕が離れると、そのまま滑るように背中に伸ばされ抱きこまれる。身体を引き寄せずに押しつけられて、キラが後ろにさがるとすぐドアに背がぶつかった。驚きに開いた口の中に彼の舌が滑り込む。

そうして始まったアスランのくちづけは、怒りにまかせたものではなく、長いあいだに育んだ恋情のすべてが流れ込んでくるような、情熱的なものだった。


C.E.74 29 Jul

Scene オノゴロ島・アスハ家別邸

アスランがそれを知ったのは、プラントへ派遣する外交官の最終決定リストを見たときだった。
───キラの名前が、ない?
一瞬データの間違いかと思った。だがアスランの手元にくるまでに、いくつものチェックと承認を経てきているデータだ。間違いがあろうはずがない。
キラもアスランも、ともに駐在武官としてプラントへ渡ることは心に決めて、はっきりとカガリに伝えたはずだった。しかも、このリストの最終承認をしたカガリ自身が提案してきたことだったはずだ。問い質すべくカガリに緊急回線でコールする。カガリはそんなアスランの反応を予想していたのか、今日の夜アスハ家別邸に寄ってくれ、とだけいった。

「ここへきて、いったいどういうことなんですか?」
アスランのことばが丁寧なのは、カガリの横にマルキオが同席しているからだった。マルキオはリストの調整役でもある。
「落ち着きなさい、アスラン」
抑えていたつもりだが、盲目の導師は声から感情を読むのが得意だ。諌められ、黙って目の前のコーヒーカップを手に取った。とにかくまず、理由を聞けばいい。
カガリはさきほどから視線を落として自分のカップにそそいでいたが、アスランがコーヒーをひとくちふたくち口に含み、落ちつくのを待って静かに顔をあげた。
「リストからは外すが、キラのプラントいきは変わりない」
「……どういう意味だ…?」
カガリはもう一度視線を落とした。しかし、打ち明けることにもうためらいはなくなったのか、沈んだ声音ではあるもののアスランの質問には間を置かず口を開く。
「プラントからの要請があった」
そのことばは、アスランに嫌な予感を与えた───。
「カガリ、それは──」
「指名での軍事協力の要請だ」
アスランは驚きに目を瞠る。今、なんといったか。
「判っている、おまえが何をいいたいのか…! わたしだって、一番に避けるべきことだと……最初は…」
オーブ、プラントの国家間で結ばれる約束事について、個人に依存する内容を飲むわけにいかないといいきっていたのは確かにカガリだった。だが、彼らが危惧した事態とはまた違った話になっていることは、その彼女の口ぶりで知れる。
カガリはプラントから持ちかけられたその内容に、困惑していた。

ザフトからの盗用機体を元に開発されたストライクフリーダムとインフィニットジャスティスが、現在なしくずしのままオーブ軍所有となっていることについては追及しないという申し出が、まずあった。それは、それだけであればありがたいだけの話だったろう。
だが、話はそのあとに「ただし」と続く。カガリを迷わせたのは、次にあげられた内容だった。
ストライクフリーダムのパイロットであるキラ・ヤマトから戦闘能力研究の協力を得たい。もちろんその特異性に配慮し、非公式かつ全面的な本人の生命保護態勢を約束する───。
表向きには軍事同盟上の協力者としてキラ個人を招き、その裏でキラを護るという。その能力と希少価値のために。
突然ふってわいたプラントからの“密約”に、カガリは青ざめた。
ただプラントへいったからといって、キラの安全が絶対になるわけじゃないのは彼女にも判っていた。だがその国が、ザフトが、それを護るといっている。
プラントとの条約締結をまえにオーブで頻発しはじめたブルーコスモスの抗議活動が、彼女の迷いに拍車をかけていた。
あの子を護るには、どうすればいい──。キサカにも、マルキオにも相談した。思いつく限りの仲間に、相談をした。……ひとりを除いて。
「キラが、おまえにはぎりぎりまでいうなと…おまえは止めるから、嫌だ、と」
アスランは衝撃を受けつつ心のどこかでもしやと悟る。
カガリはさらに、その要請のきっかけをつくったのが、キラ自身によるはたらきかけだったことも明かした。

彼はいつのまにかひとりで決めて、ずっと見えないところで動いていたのだ。アスランが条約の調整に奔走している、そのあいだに。
───隠しても知れることを、あいつはいつもそうやって……。
そうして取り返しのつかない時間まですすめて、最後に自分を怒らせるのだ。