C.E.75 6 Feb

Scene アプリリウスフォー・繁華街

キラは私服に着替えてからデーベライナーの内火艇格納庫へ向かった。何しろ、今から向かう先で白服は目立ちすぎる。シンにも追って私服でくるように伝えた。キラに少し遅れてやってきた彼を確認すると、行き先をまず告げた。
「ラクスのところへ遊びに行くから」
もとよりプラント内では専任の護衛官が幾人かキラについてくる。今日も二名がランチボート内で先に待機していた。そのうえでシンまで連れ出そうという理由は察したのか、何を返すこともなく「判りました」といった。彼はふだんからそう無駄口のあるほうではない。それ以上に表情が実に多弁であるのだが、今日はそれなりのことをいわれる覚悟はできている、といったところだろうか。期待に応えボートに乗り込んですぐ、ならんで着席した横にキラは要件を告げる。
「報告は受けてないから、何も処分する気はないけど」
シンはそのことばに、「え」とも「う」ともつかない声を発した。
「アスランにちゃんと謝ってね」
「……………」
彼が、知らずとはいえ味方の乗る機体を撃破したことの忿懣と悲嘆を、その命令を直接降した相手にぶつけたことは判っていた。
だが、命令はアスランがいわなくともキラが降したことであろうし、それはすべからく組織としての、軍からの命令なのだ。そうして得た結果はすべて隊長のキラ、ひいては軍が負う。立場を別にしてもシンにアスランを責めるいわれはなかったし、そうすべきではない。シンもおそらくはそれを理解しているであろうが、まだ気持ちの部分が追いつけない、というのだろう。つまり、彼もまたアスランに甘えたのだ。そして、シンに“殴られた”アスランの優しさを、キラは間違っている、と思う。
「彼がもどるまで数日ある。そのあいだに気持ちが整理できないなら、軍なんかやめなよ」
本当はキラにも気持ちの整理などできてはいない。いつできるのかも、判らない。だが、だからといってこの状況を見過ごすのは、彼自身や周りの人間に死が近づくことになる。また、彼がこのまま表面に取り繕うことすらできないのであれば、本当に軍人など辞めてしまうほうがいい、と本心から思っていた。
「──判ってます」
小さな声で吐き出すようにいったその顔は激しく歪んでいた。彼がいちばんいわれたくないことばと、知っていて、告げた。
シンが本来、実に人間味あふれる人物だということは充分に判っている。そんな彼が戦場にいる理由も理解しているつもりだ。彼の心にのしかかる負担は大きいだろう。
───それでも……。
戦場には彼のような存在こそが欲しいのだ、とキラは考えていた。
「発進してください」
パイロットに告げると、ランチボートがふわりと揺れ動く。シンはキラから視線を逸らせたままおとなしかった。キラも、でかける先の四区に着くまで彼をしばらく放っておくことにした。


クライン邸のあるアプリリウスフォーに降りたつのは、キラは初めてだった。見覚えのないシャフトタワーの繁華街を眺め、あらためてそう思う。ラクスからは、プラントへあがるまえから遊びにきてほしいと乞われていたというのに、自身の不義理を思って反省する。とはいっても、これまで忙しく時間が取れなかったことも言い逃れではない事実だ。彼女はそれを理解して責めることもしないだろうが、アスランがキラのもとへくるために力添えしてくれたことだけは直接会って礼をいいたかった。
「花がいいかな、やっぱり」
目的の場所へ向かうまえに、手土産を求めて街をぶらつく。年齢に相応の服装をしているキラとシンのその様子はその場にまったく違和感がないが、その後ろにつく二名の護衛官が少しばかり人目を引いた。要人の集まるアプリリウスワンではそんな光景も日常茶飯事だが、ここ四区ではそれなりに珍しいものだった。キラもシンも周囲の視線が気になっていたが、それをごまかすためにラクスへの手土産のことに集中する。「お菓子も好きそうですよね」というシンのぼそりとしたひとことが引っかかり、決められず両方を持参することになった。
「ふたりで行くから、お土産もふたつあってもいいよね」
あまり意味のないキラの理屈に「は?」といってから、シンははったと思い出したようにいった。
「おれはラクス様のお客さんじゃなくて、あなたの護衛できてんすけどね」
「何いってるの。ラクスがそんなの認めてくれないよ」
以前、彼女がオーブへきたとき護衛を務めたシンのことは気に入った様子で、キラにも「かわいらしい方ですわね」と評していたことがあった。今日シンを連れ出したのは彼の気持ちを宥める意味もあったけれど、一緒に行けばラクスが喜ぶかもしれないと思ったのも事実だ。
ふたりは時間をかけて手土産を物色し、花とお菓子のどちらを渡す担当になるかで揉めながら、エレカポートへ向かっていた。

「キラ・ヤマトさんではありませんか」

突然、名指しでかけられた声に、キラは驚くより先に、何故?と思った。この場所で知り合いなどいようはずがない。声のしたほうへ顔を向けると、キラについていた護衛官の一人が、視線を遮らない程度にその人物とキラのあいだに立った。
「ああ、すみません。あやしい者ではありません」
護衛官の動きに慌てたように、その人物は頭をさげた。品のよさそうなグレイのスーツに身を包んだ男性がひとり、そこに佇んでいた。年の頃は三十代前半といったところだろうか。キラは自分の名を知っているこの人物に見覚えがなかった。
「───あの……?」
「本当に申し訳ありません。こちらが一方的に存じあげているだけでした」
護衛される身分の者が警戒を解かれるまで握手すら許されないことを知っているのか、その男は護衛官をあいだに挟んだままそれ以上近づくようなことはしなかった。
「昨年の、SEED研究開発機構の会合でお見かけしておりまして」
そのときにお顔を、といった。キラはそれを訝しむ。キラはSEED研究開発機構においては、その役割や素性を詳らかにしていない。キックオフミーティングにも、対外的にはマルキオの護衛という立場で参加したのだ。彼が第一の披検体であることは、ごく一部の者しか知らないはずだった。だのに、キラの名も顔もその場で記憶に留めおくなどふつうに意味のないことだ。キラは深い関係者のうちのひとりだったかと思い、それを思い出せないことに焦った。
「マルキオ様とお話ししました際にオーブ軍の護衛の方と伺いました。お若いのに准将でおられると聞いて……いや、失礼。しかし、驚いて記憶に残りましてね。今はプラントにおられることもニュースで知りまして」
そういうことか、とキラは納得する。だが、心の中には変わらず何か引っかかるものがあった。

───このひとは、よくない。

何の根拠もなく、そう閃いた。キラはこうして訪れた自分の勘には絶対の自信がある。
「お名前を伺っていいですか?」
問われた相手は、「これはまた、名乗りもせずに失礼を」といった。
「ロマン・ジェリンスキといいます」
聞き覚えは、やはりなかった。
「キックオフではまだ着任しておりませんでしたが、今はSEED研究開発機構に大洋州連合のメンバーとして参加しています」
キラは背筋をぞくりとさせる。───この人物がシードコードに関わっている?
「またお会いすることがあると思います。わたしの顔を覚えてくださいますか」
「ええ、もちろん忘れません。お会いできてよかったです、ジェリンスキさん」
そっけなく返事をし、握手の手も差し出さないまま踵を返した。ふだんから見知らぬ者にも愛想のよいキラのそんな態度を不思議に思うのか、シンが問う眼差しでキラを見つめていた。
───どうしよう、本当によくない感じだ。
キラは別れた相手もその場から去ったことを確認すると、足をぴたりと止める。
「……シン、ごめん。今日はやめよう」
このままラクスのところへ行くには、心の中がざわつき過ぎていた。
「何ですか、あの人。何なんですか」
シンが問いつめる。
「───敵なんですね?」
そのことばにキラははっとしてシンを見返す。シンは紅い瞳を煌めかせて戦士の顔になっていた。
そうだ。“敵”だ。
まさしくそうだ、と思う。キラはあの男に、戦場で感じる悪寒と同じものを感じていた。それは、殺気といわれるものだった。