Evergreen Interlude

C.E.75 30 Jan

Scene 準機動要塞エ・テメン・アン・キ

アスランはキラのプラント出向が決まってからすぐ、自身のザフト復帰の根回しを始めていた。
ハードルが高かったのは愛機の持ち出しだ。同盟の成った国とはいえ、二体もの主力機を遠く手放せるかと、国防上の理由から最もな意見でどうにもならない状態だった。いざとなればインフィニットジャスティスはなくてもかまわないと考えてはいたが、キサカがずいぶんと骨を折ってあらゆる方面に手を回し、タイミングよく昨日、最終的な許可がでたところだった。いずれにしろ、コーディネイターでも扱いの難しい機体を彼の他に扱える者がオーブにいないだろうということが決め手にはなったようだった。
首長会の一応の許可は得たということで、その後のごり押しについてはカガリが万事引き受けてくれた。
「もう派遣任務だって?! 判った、あとはわたしがなんとかしておく。おまえはいいからさっさとプラントへ行け!」
「……………」
すごい剣幕だった。彼女としても、やはりキラの行動を不安に思ったのだろう。目の届かないプラントで自身を顧みない行為をする彼を放ってはおけないと、ある意味キラ自身が理由を作ってくれたのはありがたかった。先日までアスランの根回しに渋い顔をしていたカガリが直々に、「あいつが羽目外すのを控えさせてこい」とまで念をおしてきた。
しかし、面倒ごとはもちろん、オーブ内だけでは済まない。

受け入れ側のプラントではラクスの手配が功を奏し、オーブより早くすでに準備万端と思われたのだが、このまま真っ直ぐデーベライナーへ向かうことは許されず、手順通り入隊、着任までの手続きを要請された。まあ当然の話だ。アスランは逸る気持ちを抑えながら、手続きの指定場所である“エテメンアンキ”に立ち寄った。
エテメンアンキは、月とプラントの中間部に位置する新造のザフト基地だ。平たい小惑星に複数のリング状の建造物を組み合わせた外観で、見た目からは想像しにくいが、推進装置も備えたいわゆる準機動要塞に分類される。防衛線監視のほか宇宙航路の中継基地としても戦後から重要な役割を担っていた。

ジャスティスから降りてすぐ整備士から伝言されて行くようにいわれた場所は、ロビーというよりも通路の一角がふくらんだようなスペースだった。格納庫と強化ガラス窓で仕切られており内部を見ることもできるが、見学窓はこことは別に上の方に専用の部屋がある。ふだん使われない場所であることは、いかにも事務的なソファとセンターテーブルだけが置いてあることで判る。留まる人もなく、整備士のいう担当の女性がひとり待っているだけだった。
時間が押していることを承知しているのか挨拶もそこそこに、「そのスーツのままでいいですから、ひとまず着いてきてください」と彼女がいった。
いま着ているパイロットスーツはオーブ軍のものだ。要するにゲストがひとりでうろつけないような場所へこれから連れて行かれるらしい。わる目立ちするようだがアスランはかまわなかった。この先、どこからどういう白い目で見られるかも判らないのに、この程度のことで気兼ねするようではやっていけない。プラントでの面倒ごとは些末な手続きのことなどではなく、むしろ今後のすべてと考えてもいいだろう。

登録センターで採血による遺伝子登録から始まり、指紋、掌紋、声紋、虹彩など個人を特定するあらゆるフィジカルデータを採られる。ザフトには在籍していたのだし、今更採りなおす理由はなんだろうとも思うが、詮索してそこで時間を取るのも無駄だ。最後に装備課へ行き制服などもろもろの支給品をアタッシェケースで受け取ると、誘導の担当官とはジャスティスのある格納庫脇のパイロット待機室で別れた。
採取したデータチップを登録した認識票が発行されるまであと十分弱、その間にロッカールームで着替えと支給品一式のチェックをしておくことにしたのだが。ケースを開けて、まず、アスランはため息をこぼした。制服の色が“黒”だったからだ。
───スーツはまだ構わないが……制服は誤解される。
ザフトは階級がないながらも、制服の色かたちで、いくつかの意味はある。とくに白と黒については明確に指揮する立場を指しており、アスランはそれが不服だ。ヤマト隊に指揮官クラスの数が足りているとは思わないが、キラの護衛に注力したい彼としては、そこで隊の兵らに思い違いをさせるわけにいかなかった。

戸惑っているあいだに、アスランがいるロッカールームを訪れた人物があった。知った顔だった。
「ラドル司令、こんなところに……」
アスランは手にしていた制服を慌ててベンチに置き、敬礼した。ザフト式の礼が咄嗟にでたのは無意識だった。
「今日お会いできるとは思いませんでした」
「久し振りだね。きみに会いたかったんだ。時間もないようだから、こうして」
笑顔で答礼したその人物は、先の大戦時では地上のマハムール基地司令官だったヨアヒム・ラドル。彼は現在、このエテメンアンキ司令だ。実直で物静かな人物で、アスランは好もしく思っていた。作戦を一緒にした当時、ちょっとしたプライベートの話もしたが、竹を割ったようなさっぱりした性質で、アスランの微妙な立場もさして気にしていないようだった。
そんな当時よりさらに微妙な問題を孕む彼の復隊だが、相変わらず細かいところは気にするつもりがないようだ。彼はアスランの新しい認識票とFAITHの胸章を「自分の部下として、ではないのが残念だ」とこぼしながら手渡してきた。
「IDは新しく振り直されている。つまり、過去いたアスラン・ザラとは別人、ということだな」
「……ああ…。そういう、ことですか…」
どうりでフィジカルデータを全部採られたわけである。
「まぁ、評議会も国防委も建前には変わりないだろうが。制服はどうした?サイズが違っていたか?」
制服を包んだ袋をまだ開封していないことに気づいてヨアヒムはそういった。
「話に行き違いがあったようなので…自分は護衛任務ですから、指揮官色を支給されてどうしたものかと」
「───ああ、なるほど。ヤマト隊長の補佐と聞いたから、不思議にも思わなかったな」
ヨアヒムはその場で装備課へ連絡し、無記名だが新しい制服を手配してくれた。今度は“赤”で。それもどうかと思いはしたが、今更また物申すこともできまい。
「パイロットスーツに関しては、きみの機体に合わせて調整していることもあって安易に替えは出せないが」
「いえ。そこまでわがままをいうつもりはありません。パーソナルカラーだといえばどうとでもなります」
「なるほど。だが、それこそ赤じゃなくていいのかね」
アスランは苦笑した。
「…そこはこだわり、ありませんから」
正直なところ、彼自身にとってはどうでもいい話ではあった。ただ、小隊長格以上なら白黒も問わず好きな色を使ってもよいという暗黙事項はいい訳に都合がいいと思っただけだ。
ヨアヒムが指摘するのは、パーソナルカラーは機体の色を指し、パイロットスーツは機体に合わせる倣いのことだが、しかし細かいことをいえば、ジャスティスの機体色はVPS装甲の電圧設定による結果であってパーソナルカラーでもなんでもない。アスランの戦闘ログからキラとファクトリーで決めた性能設定だがとくに不満はなく、実はそこにもこだわりがなかった。自分が設定に合わせて機体を扱えばいいだけのことだ。
「うん、まぁいずれにせよ。仮のことかもしれないが、きみがまたザフトの制服を着てくれることは嬉しいと思っている。……いろいろあるとは思うが期待してるよ」
ことばを濁すヨアヒムに苦笑いするしかなかった。
「もうひとり、きみを待っている方がいる。もうロビーにいるだろう」
「……判りました」
新しい制服を係官が届けにくると、入れ違いにヨアヒムはその場を去っていった。
アスランを待つというその人が誰なのか、訊かなくても予想はついている。彼は急ぎ荷をまとめ、ロッカーに用意されていたザフトの黒いパイロットスーツに着替え直すと足早に通路をもどった。

「──ラクス」
さきほどのロビーにもどると、彼女は確かにいた。
「アスラン」
その軽やかな声音と柔らかな微笑は、ガラスの向こうに見える多数のモビルスーツを背景とするにはいかにも不似合いなものだった。彼女がこんな場所へ出向くだけの必死の思い──不安?──を思わせる光景だった。
だが、アスランはあまり彼女を労う気になれないでいた。そもそも、ラクスがキラに余計な手助けをしたことから始まっている。反対したアスランを捻じ伏せておきながら、今度はその手伝いに混ざれとは。あまりに虫のいい話だと思った。
しかしつまるところ、こうしてアスランがキラを追って行けるのも、彼女の協力がなければ実現しなかったのは確かだ。ラクスがプラントにいなければ、物事はもう少しあとに動くことになっていたかもしれない。ラクス自身の思惑をよそにおけば、彼女にはとても感謝したい気持ちもアスランにはあった。
「今回の尽力、ありがとうございました。ラクス」
相当複雑な気持ちはあるものの、素直に礼を述べたアスランだが。
「いいえ。“婚約者”のお願いですもの、わたくしにできることがあれば、なんでもご協力いたしますわ」
「……………」
アスランは目を閉じて押し黙った。
───そうきたか。
恩を売る気はあっても買う気はないということだ。この「婚約者」に。
「急がなくては、と思いましたの。キラはさきほど、ジュール隊の同行もお断りになりましたので」
「イザークが?」
「はい。わたくしがお願いして。でも、キラもFAITHですので。無理にはできませんでしたわ」
「……判りました。おれがあらためてイザークに要請します。同じだけの権限がありますから」
彼女がここにいるということは、ボルテールもこのエテメンアンキに入港しているだろう。
「お願いいたします。アスラン」
ラクスは嬉しそうににっこりと笑って軽く首を傾けた。自分は長らくこの笑顔に騙されてきたと思いながら、それでも信頼──ことにキラに対しては、任せる気持ちをもったこともあるほどには信じていた。
「今回の遠征が終わりましたら、一度わたくしの家にもいらしてくださいね。キラと一緒に」
「…え。ああはい、ええ。…ぜひそうさせてもらいます」
突然の申し出に戸惑いつつ、彼女はいまアプリリウスフォーに居をかまえているのだったなと考える。この状況で相変わらず暢気な話ではあったが、ラクスらしくはあった。確かにまたしばらく彼女とはゆっくり話もしていなかったのだったと思い出す。
「そのときでよいのですが、そろそろ、いろいろなお話をすすめておきたいと思いまして」
「…いろいろとは…なんのですか?」
その瞬間はなにも思い当たるものがなかったが、嫌な予感だけはあった。彼は数瞬あと、聞き返すのではなかったと後悔することになる。
「わたくしたちの結婚式ですわ」
「……………」
アスランはまたもやすっかり失念していたのだ。頭の中ではラクスのアプローチはどうしてもなかったことにしておきたい事柄らしい。
「あの……ラクス…」
「キラに気兼ねということでしたら、それはご心配なく。この縁談についてキラからは“了承”をいただいています」
「ええ、それはおれも直接本人から──え?」
「カガリさんがお相手だったときはさすがに、お話をためらうことでしたけれども、キラは、」
「え、いや、ちょっと待ってください…少し」
アスランはどういうことか、とラクスのものいいについて自分で状況を考え──。
「………………知ってる…のか」
おそるおそる彼女を見る。
「おふたりがおつきあいされていることをいってるのでしたら、もちろん知っております」
キラはなんでも話してくださいますからと綻んで、アスランは“また”か、と愕然とした。
しかし、次にはからかうような笑顔を抑えて──変わらず微笑んではいたが──ラクスはこういった。
「アスランが気づかれるまえから──いいえ、実をいいますと、キラが気がつくまえから、知っています」
「ラクス…」
「キラがご自分の気持ちにやっと気がついて、慰めてあげた日のことを思い出します。……キラはずっと、辛かったのです、アスラン」
「……………」
いいながらそれまでの柔かな笑顔も消してそう打ち明けられ、返すことばもなく、アスランはただ彼女を見つめることしかできなかった。
キラが心を癒やすために過ごしていたはずの、アカツキ島での二年間。なにもできずただ不甲斐ないだけの自分に自身で歯痒い思いをし続けた、あの時間のなかで。
「あなたには敵いません、ラクス」
キラをずっと支え続け、守ってくれたこの女性には。
真実にキラのことを考えて導けるのは、いつでもこの人だったことは知っている。十四で婚約者として初めて出会ってから五年間、その心の底にどんな感情があるのかみえたことはないけれど。自分自身の狭量なこの気持ちさえなければ、大切な彼をすっかり預けることもしていただろう。
「もう時間がないので行きますが。落ち着いたら必ず伺います。話の続きはそのときに。…それと」
アスランはいいながら足元に置いたアタッシェケースを手に持ち、あらためてラクスと向かい合った。
「いま、ハロをつくっています」
「まぁ。予告いただけるなんて、初めてですわね」
「……色を決めていただきたくて。考えておいてください」
判りました、と屈託のない笑顔をくれる彼女。
「ではアスラン、お気をつけて。キラを、守ってくださいね…」
アスランは頷き、ラクスに親愛をこめてチークキスを贈った。

ジャスティスのコックピットに収まり、アスランは一度深く息を吐いた。手続きごとを煩わしいとは思わないが、自身の逸る気持ちを抑えるのに苦労をする。デーべライナーはかなりの高速艦だ。追いつくまでに丸一日は使うだろうから、その間に嫌でも頭は冷えるか、と考える。
もう一度吐息し、オペレーションシステムを起動してから整備チェックを開始する。それを進めながら思い出し、管制を呼び出した。
「ジュール隊は入港しているな?」
確認に少し時間を置いてから、ボルテールが別のゲートに碇泊中との回答があった。それから基地内の作戦部へつないでジュール隊をアルテラへ向かわせるようFAITHの権限で指令する。本当はイザーク本人に直接話すのがいいのかもしれないが、これ以上時間をとることは惜しかったし、ひとこと物申さずにいられない彼の厭味を聞く気分でもなかった。
手配を終えると間髪をいれず今度は管制官のほうから通信が入る。ディスパッチャーが用意した飛行計画の確認だった。
『おそらく明後日ヒトマルにはデーベライナーに追いつけます。……機体性能とあなたのログブックを参考につくってはいますが、速度に乗るまでのGは…限界値ぎりぎりです…』
可能な限りの最速プランで、とアスランから頼んだ話だった。不安げな担当官の声も判る。
「高機動だからもともとコックピット性能がいいし、加圧コントロールも機体に合わせて訓練している。問題はない。プランはオーダー通りだ。ありがとう、これでいいよ」
アスランは適当なことをいって通信を終わらせた。本当は、ジャスティスのコックピットの加圧制御は戦闘中に機能するものだ。プランにある重力アシストでの加速は体に相当の負担になることは間違いないだろうが、これまでにもいくどか経験済みのことだった。まずは五体満足で追いつければ、それでいい。
『全ステーション、発進を承認』
戦闘時の緊急発進とは違って間延びしたように感じる管制とのやり取りをそのあともいくつか経て、ようやく発進許可がはいった。
射出機へベッドのまま移動されていく途中で、張り出したロビーの窓にふと目を遣ると、そこにはまだラクスがいてこちらを見つめている。アスランの顔が彼女に見えていれば笑顔を返してくれるのだろうが、いまはなんとなく物憂い表情を投げかけていた。

───キラはずっと、辛かったのです、アスラン。

判っている、と口に出してつぶやく。ともすればいまもつらい思いをさせているかもしれないという疑念はあった。いや、いまからアスランが向かえば、間違いなくつらい思いをさせるに決まっている。それでも行かねばならない。キラの傍へ。
「そうしてこのさき、一生かけて償うさ」
心配しないでくれ、と心でラクスに語りかける。
『コンジット離脱。進路クリア、発進スタンバイ』
管制の呼びかけと発進サインを確認し、アスランは操縦桿を強く握った。