Scene オーブ内閣府官邸・代表首長執務室
「ラクスの決めたことには、ぼくは異論ないよ」
キラの即答にカガリはうっと息を詰まらせた。
平和へと邁進する国のスタートをあらわすようなうららかな日差しが、オーブ代表首長執務室の広い窓からあふれている。
そんなさわやかな朝の光を受けながら、代表首長である彼女の顔は少し曇っていた。キラのそのはっきりした態度が不満だったのだ。
「なにカガリ? 止めて欲しいとか?」
ラクスが決めた、ラクス自身のこれからのことについてふたりは話していた。
いやそうじゃない、とカガリは返す。
「彼女は本来プラントに在るべき人だったし、そのプラントからの要請ということであれば歓迎すべきだ」
オーブ連合首長国、プラント間での停戦協定締結から、今日で約三週間。そのプラントから、ラクス・クラインの帰還を請う申し出があったのはつい昨日のことだ。それなのに、かのラクス・クラインは昨日のうちに要請を容れることを決め、今朝ほどカガリにそう連絡してきたのだった。
自身のことをあまりにあっさりと決めたラクスにも驚いたが、その内容を告げてこれもまたあっさりとうなずいている血を分けた弟に、カガリは拍子抜けともなんともいい難いものを感じている。
「おまえはどうもあっさりしてるなと思って」
素直にそのままの感想を述べると、キラは不思議そうな顔を向けた。だが、こちらの気持ちは察しているように思えて、カガリはキラのことばを待った。
「だって決めたから、ラクスとは。ぼくたちができることをやっていくってことを、さ。カガリだってそう決めて、そうしているでしょ」
最後の決戦へと向かうべく月への出発を控えたあの日。ヤキン・ドゥーエ戦役から「三隻同盟」と呼ばれ、共に闘った仲間たち。その面々がそれぞれに、さまざまな形で胸に誓った。これからの世界をどうすればいいのか、という漠然とした理想だけを抱えたまま。ただ進むしかないことを目の前の現実として突きつけられ、それでもなお、と。
カガリも新しく決意したこと、改めて誓ったこと、いろいろなことを胸に刻んだけれども、慌てることなく目前から着実に、丁寧に進めていくのだ、と思った。そのために、それを阻むデュランダルを、まずは止めるのだと決意した。それが成って、新しく見えてきた次へと進むべき道。カガリは迷うことなく進んでいる。
同じように見えたのであろう、ラクスの次の道。それはまったく理解をしている。
だが、今少し漏れてしまった不満はそのことではない。
「それは、そうだ。そのために自分自身を犠牲にすることになっても、と。…だが、」
不満を続けて明かそうとしたカガリに、くすりと笑みをこぼしてキラは遮った。
「自分はそうするけれど、ぼくたちにはそんなことをして欲しくないとか、いいださないでよね」
「…キラ…!」
図星を指されて、カガリは叱るような声をつい弟に向けてしまった。
───すべきことのため、愛する人と距離を置く。
決断のひとつとして下した、ひとりの人間としてのしあわせ。
それは、泣き喚きたいほどの堪え難い苦しみを伴った。それだけにカガリは、キラとラクスも同じ痛みを得るつもりか、と。それを容れてしまうのか、と。そう考えてしまうのだ。
「でも本当に大丈夫だから。ぼくは」
だが、淡々と自信をもって告げる弟の瞳には、嘘は見えない。
自分らのように向き合わない想いではない、はずだ。お互いが相手を指し示しているようなのに、何故こんなに淡泊でいられるのかが判らない。
確かに、キラとラクスのふたりが愛を約束していると聞いた覚えはない。以前、ラクスへあからさまに「おまえたち、いったいどうなんだ?」と訊ねたこともあったが、「キラとわたくしは、そのままキラとわたくしですわ」と曖昧に返されてしまった。だが、さきほどのキラのいい様や、ふだんのふたりの仲睦まじい様子を見れば、それは間違いないのだろうと思ってしまう。
でも、双子とはいえ感情のレベルでは、たいそうベクトルの違うこの弟の本当の気持ちは、いまだに理解ができない。
「…判った…そのことば信じる」
仕方がないのでとりあえず話を切り上げた。閣議の時間がそろそろせまっている。いずれあらためて、今度はキラから本心を聞き出そうと企みつつカガリは腰をあげた。
赤い絨毯の続く廊下をいこうとしたカガリにキラがまって、と声をかける。
「なんだ、キラ?」
時間が押しているので足を進めるまま聞く姿勢をとると、「そういうふうに心配するならぼくもちょっと聞いておくけど」と、少しいい難そうにためらいながらもはっきりと訊いてきた。
「アスランのことはどうするつもりなの」
───逆襲、されたなぁ……。
告げぬままの決意を察したキラもラクスも、当のアスランも、これまで誰ひとりとして自分に訊ねてくるようなことをしなかったことには、少しほっとしていたのに。さきほどの会話で、自分で蓋を開けてしまったようだ。
カガリは、仕方がないよな、と諦めた。
キラは、キラこそが長らく納得できずにいたことを訊ねたのだ。先の戦争で、カガリの中で変わったものがある。それは理解しているけれども、そこにアスランとの別離がなぜ含まれているのかが判らなかった。
キラの問いかけに、カガリは一瞬うろたえた表情を見せたが、次には困ったものを見るような顔になっていった。
「……どうするって、おまえに任せるよ」
訊ねた自分に振られて、キラが目を点にする。
「任せるって、そうじゃなくて。指輪、はずしちゃって、」
任せるって何だ?と思いながら、キラはアスランの気持ちを代弁しようとする。親友でもある彼があの指輪を購入したときのことをキラは知っている。ふたりの政治的背景はどうあれ、「そのつもり」で買ったのだということも。若干の逡巡を残していたアスランを鼓舞して背を押したのは、ほかならぬキラだったのだから。
「アスランがそれをカガリに贈った気持ちを考えたら……」
そういいかけるとカガリが急にぴたり、と足を止めた。
今日、今までの真剣な話の中でもいちばんの真剣な姉の眼差しを、キラは捕らえた。多少ながらその強い視線にうろたえていると、やはり真剣な声音でキラ、と呼ばれた。
「わたしは今でもアスランを愛している」
改めて本人の口からはっきりいわれると心が少しずきりとする。ひとりを除いては、誰にもその気持ちを隠しているキラは、こっそりと胸のうちで「判ってる。ぼくもだよ」と応えた。
そんな心を知るはずもないカガリは、真剣そのままな決意をキラに告げた。
「でも、この身は国に捧ぐと決めたんだ。まえからそう思ってそうしていたつもりだったけど、覚悟が足りなかったことをこの戦争で痛いほど感じた」
それも知っている。それを改めて告げさせて、キラは彼女の痛みを思い少し後悔する。
「許される状況があれば……あいつと一緒になりたいとは、ほんとは、まぁちょっと思うけど。未練だな」
堪えるような顔で視線を落としたカガリを見て、今度は多いに後悔した。
でも、アスランのために、きちんと聞いておきたいことでもあったから。
やはり、どんなにかわいいと、大切だと思う相手に対しても、比べれば彼のほうを優先してしまう自分の正直さには、なかばうんざりする。
「でもそれがないことも理解してる」
すっと視線をあげてきっぱりといいきった彼女のことばに、キラはえっ、となった。
いっそいさぎよい諦めだが、そこまできっぱりとするほど望みのないことではないじゃないか、と思う。今すぐは政治的な事情がふたりの壁になっているけれども、かつてのナチュラル排斥主義者の息子とナチュラルとコーディネイターの融和を掲げる国の代表の結びつきは、対外的にもそんなにわるいことのようには思えない。カガリの決意は、今この現状だからなのだと思っていたキラは、彼女の本当に終わってしまった、ともとれるいい方を疑問に思った。
「…そんな、カガリ…?」
すると、さらに凛々しいともいえる眼差しをキラのほうにキッとむけてきて「それに」と続ける。
「肝心のあいつの目がどこをむいてるのか、おまえ知っているのか?」
知っている、もちろん。この世界をどうするか。漠然とした理想をどうやって実現していくのか。彼、アスランの目はいつも遠い先を見ている。
でも今は「そういうこと」を置いた、感情の話をしていたのではなかったか。キラがとまどって沈黙していると、その様子に気がついたふうもなくカガリが続ける。
「この二年、すごく愛されてたよ。指輪をくれたことも、すごく真剣だったってことはちゃんと判ってる。嘘とかごまかしとかできるほど器用じゃないからなあいつは。…くそ真面目だし」
「……………」
「そのうえあいつは莫迦だから。莫迦で不器用だから、自分がいまだに判ってないんだ。二年もかけてまだ…!」
やはりカガリは感情の話をしているのか。──いや、でも。キラは頭の中が混乱して相槌すらうてない。そうこうしているうちにカガリはキラの肩にぽんと手を置きこういった。
「だから頼んだぞキラ。大変だろうけどな」
「あの…カガリ…?」
いいたいことの真意を汲み取れないまま呆然としたキラを置きざりに、カガリは「じゃあまたな」と、笑顔を残し踵を返した。まっすぐに何かを目指すように、しっかりと歩いて去っていくカガリの背中を見つめ、そんなこといわれても、とキラは考える。
月へあがるまえに、アスランは指輪を外したカガリを見て、見ている方向は同じなのだとつぶやいた。だから今は、と。ふたりの決意は同じなのだろうと思う。
それでもお互いに大切なら、傍に在りながら共に進めばいいことだと思うのに。
───ぼくは、貪欲だから。
いくらでも彼の傍にいようと思っている。
カガリもアスランも、どうしてがまんするのか。
どうしてがまんなんてできるのか。
キラには判らなかった。