C.E.75 Jan デーベライナー


C.E.75 3 Jan

Scene オーブ軌道ステーション・VIPラウンジ

オーブの慣例に沿って在プラント大使館も正月休暇を明けて5日からの開館となっていた。信任状捧呈式もその日におこなわれ、アスランたちは本格的に大使館での職務を開始することなる。
アスランはキラと年末30日にオーブへ帰り、年末年始をカリダやハルマと過ごした。カリダたちはオーブにとどまることを望みそこにいるので、文字通りの帰省だ。ふだんから帰国の多いアスランのほうがその度に家へ顔を出しているが、やはり両親がキラと会えないことは寂しいだろう、と思う。プラントへの移住を勧めようにも、来月いよいよデーベライナーが出航とあっては意味をもたない。
彼らは寂しさも心配もおもてにださず、別れ際には、進宙式の中継を楽しみにしている、とだけいった。
久しぶりの両親とのふれあいは、キラにわずかばかりホームシックを起こさせたようで、カグヤ島へ向かうあいだはずっと口が重かった。
しかし、宇宙港で待ち合わせていたフラガ夫妻と落ち合ったときには、もうすっかり浮上している様子になった。軌道ステーションへ向かうオービターのなかでは、逆に渋い顔が抜けないアスランのほうがキラに宥められる始末だった。
比べてみれば、というレベルでオーブよりはプラントにいるほうがキラに会う機会は多いだろう。そう思ってアスランはうだうだと家族が過ごせる方法を提案してみたが、端からキラに却下された。
「ただ、プラントにナチュラルの定住者は増やしたいじゃない。そういう意味では両親たち、こっちきてくれたほうがいいとは思ってるんだけど」
感情的な気持ちを置いてキラがそう一端なことをいってみせるので、大人になったんだな、と頭を撫でてやると怒りながらアスランに飛びついてきた。
「こらこらっ、あぶないって!」
無重力状態の狭いオービター内部で勢いよくしがみつかれ、アスランは慌てる。先に外へ出ようとしていたマリューとムウにそんな様子を見つかり、ふたりともに赤面した。
フラガ夫妻には、三年以上も前からふたりの仲睦まじい姿をさまざまに見られている。それもあって、彼らのまえでは気が緩み、本来のままをつい曝け出してしまう。いまだに身体のじゃれ合いが抜けない自分たちに、まだまだ子供だなどと思われていることは明白だった。
オービターを降りてからもまだ「おまえが悪い」「アスランのせい」、と彼らの背後でこっそり小突き合うところまで聞かれて失笑を買い、ふたりは二度目の赤面をした。

降り立った中継ステーションでは、オーブから乗ってきたオービターからアプリリウスへと向かうシャトルに乗り換える。キラだけはそれを見送り、別のシャトルでL4のアーモリーへ向かうことになっていた。アプリリウス行きシャトルの出発時間まではまだ間があるので、四人はガードつきのVIPラウンジでしばらく暇をつぶしている。
「決めたよ、アスラン」
「……そうか」
キラとアスランはそれだけを互いにいってそのあとは黙っていた。文脈のない会話に当然のごとくマリューが訊ねてくる。
「パイロットの子をひとり、おろそうかずっと迷ってて…」
「誰?」
「ルナマリア・ホーク。メイリンのお姉さんの…」
マリューもムウも面識はないはずだった。
「それ、パイロットとして才能ないってことかい?」
「あ、そうじゃなくて。赤服なので力はあります。でも、“研究”の対象では、ないんです」
デーベライナーでおこなわれる研究のことはムウも知っている。その判断が何を意味するのかはすぐに察した。
「でもこれまで艦にも関わってきましたから。とりあえず彼女に選択してもらいます。赤を捨てるか、艦を捨てるか」
「そりゃ、どちらも選びたくないだろうな」
「そうですね。でも仕方ないです」
そのキラのきっぱりとしたいいように、正面にいるマリューがわずかばかり目を瞠った。「冷たい」と感じているのかもしれない。
だが、大きなプロジェクトを預かる人間としてその割り切りは必要だ。キラは正しい、と、そう考えてしまう自分にずきりとした痛みが走る。気がつくと、マリューがいたわるような微笑みをアスランのほうへ向けていた。おそらく、彼女と気持ちは一緒だった。

キラは優柔不断とか八方美人とかいわれるくらいに、他の者に対して冷たくできない子供だった。自身はあんなにも甘やかされて育っているのに、他人の痛みには敏感だったのだ。そのために関わらなくていい諍いに割って入り、傷ついてアスランのところへもどってくるのが常だった。
───あなたもよく知っているのでしょうけど、おともだち思いの、優しい子なの。わたしたちはそれにつけ込んだのよ。大人の都合でね。
三年前聞いたマリューの痛悔に、胸を痛めるよりも安堵した自分が思い出される。しかし、戦争はキラに“諦める”ことも学ばせていたとあとで知った。そして、それに決定的なものを突きつけてしまったのは、ほかならぬ、アスランなのだ。
キラを知る、すべての人にアスランは贖罪するべきだと感じる。望んだ形ではなかったけれども、それでも、今こうしてキラとともに歩んでいることだけを、アスランはしあわせに思っているのだから。

まもなく、アプリリウスへ向かうシャトルの出発を知らせるアナウンスが入った。
「すみません、すぐ追いかけますから」
アスランはムウとマリューを先に行かせラウンジに残った。
キラはこのあとまたスレイプニルに居続ける。そして一ヶ月後にはデーベライナーに乗って任務に出てしまう。クリスマスの少し前からずっとふたりでいることができたので、それなりの充電はできたつもりだが、やはりここへきてぱったりと会えなくなると思うと、寂しさがつのる。ふたりは目を合わせたのを合図に黙したまま手を繋ぎ合い、別れを惜しんだ。
「…さっき母さんたちと別れたあとね……」
わずか視線を落としてキラがぽつりといった。
「何時間かあとには、こうやってきみともお別れするんだなって思っちゃって」
「………………」
「…呆れるだろ。いつまでもこんなんで。でも…もう、どうしょもなくて…」
ばつがわるそうに上目遣いになってアスランを見つめる。その姿と、アスランがホームシックだと思い込んでいたことの正体を知って思わず頬がゆるんだ。
「少しうしろめたいけど、嬉しい」
アスランは俯いたままのキラの身体を抱き寄せた。思いきり腕の力を込めて。その力にキラの息が詰まるのが伝わったが、かまいはしなかった。
「同じ気持ちだから、だから…」
またすぐに、一緒にいられる日々がくる。それは予感ではなく“判っていること”だ。
「好きだ、キラ」
そのことばにキラの息が、今度は腕の力にではなく詰まった。
「…………ぼくも…大好き」
キラの消え入りそうな返事にやっと腕を緩めて微笑みかけると、キラもせつなさを交えたきれいな笑顔を見せてくれた。
それからふたりは互いに愛を込めたくちづけを送り、いつまでも繋いでいた手を、ゆっくりと離した。

シャトルはすでに駆動音を響かせていて、アスランは慌てて中へ飛び込んだ。オーブ大使館での着任式典に主役たちが遅刻では目もあてらない。
「お待たせしてすみません」
別れを惜しみすぎたと内心で反省しつつふたりに謝ると、ムウがあろうことか、「お別れのキッスはしてきたか?」といった。
「──えっ?!」
ぱっと無意識の動きで口に手をあてる。それが肯定をあらわすとすぐに気がついたが時すでに遅く、そんな慌てたアスランの様を見てムウとマリューは同時に吹き出した。笑いで息を詰まらせながら、ムウが考えてもいなかったことを口にした。
「なんだよ、知らないとでも、思ってたのか?」
「………え…えぇっ?!……あ、あ…の…」
周章狼狽とはまさにこのことで、まさかまるっきりふたりの関係が知られていると思っていなかったアスランは、それからアプリリウスに到着するまでのあいだ、ひとりでずっといたたまれずにいたのだった。


C.E.75 7 Jan

Scene アーモリー宙域ステーション・ドッキングベイ

ボーディングブリッジの傍にある窓から夜の海──宇宙空間に浮かぶデーベライナーが見える。白銀に濃紺の船体。内装はここから見えなくても知っている。ホワイトリリーを基調に、海の色に近いフォレストグリーンがアクセントカラーだ。内部に入ったことはなかったけれど、いずれ自分が乗る艦だと信じて疑ってもいなかったから、資料は隅々まで目を通し、フロア配置図も頭に入れた。
───それなのに…。
ルナマリアは窓の外を眺めたまま、もう何分もひとりでそうしている。今日この日は、隊長に自分の返事をしなければならない。
年明けの5日、ルナマリアはひとり、ひと気のないラウンジへとキラに呼び出され、選択を迫られた。
艦を降りるか、パイロットを辞めるか、と。

「……見込みのないパイロットを乗せておけるほどの余裕が、この艦にはないんだ」
その日の朝、ヤマト隊に明かされた、隊の特務。
SEED研究のために存在するという異色の艦は、研究材料足りうる者しかパイロットとして必要とされない。それにルナマリアは含まれず、ザフトの各所にいるという“SEEDをもつ者”にその座を明け渡さなければならないのだ、という。
「見込みってなんですか?! そんなこと…そんなもの、どうやって判るんです。い…今はだめでも、いつか──」
「きみにいつかはないんだよ、ルナマリア」
いつも甘い声で「ルナ」と呼んでくれた。硬く厳しくなったキラの声色は、別人のようだった。
「……どうしてそれが…判るんですか」
「………判るんだよ。ごめんね。ルナマリア」
あとから思えば、彼が謝ることではないと感じる。そもそも何に対して謝ったのだろうか。勝手に自分に期待してしまったことを、だろうか。それに応えられなかったことは、誰の責任、なのだろうか。

コーディネイターであれば、いくらか自分の習得可能な能力や体質などを知らされて育つ。ナチュナルや昔の人々は、遺伝子にもつ先天的な病気のリスクまでもその身に抱えたまま、何も知らずに生まれて育つ。
道が違っていた。こうなるとは思ってもいなかった。そういったことに対する耐性をコーディネイターだから持たないなどと、思われないだろうか。
突然にふって湧いて否定された“可能性”というものを、ルナマリアは確かに信じたくはないと感じていた。
「それでもぼくはきみに艦を降りることを“選択”してもらいたくない…」
勝手なことを、と思う。今日この日まで巻き込んでおいて今更突き放そうかという人間に、下手な同情は逆にプライドが傷つくのだということをこの人は知らないのだろうか。
キラは座っていたソファから立ち上がって、呆然と立ち尽くすルナマリアの正面まで歩いてきた。
「きみは近接格闘の成績、アカデミーのトップだったね…男性を差し置いて」
「…性差を理由に比較されるのは、ごめんでしたから」
「……女性パイロットは少ない。きみの気概はすごく好きだよ」
そんな優しい顔をしていわないで欲しい、とルナマリアは心の中で苦笑した。泣くのを堪えている今でなければ「隊長に口説かれた」と吹聴してまわりたいところだ。
「…それときみは、諜報任務を任されたこともあるよね?」
ルナマリアはぎくりとする。
妹のメイリンにさえ、そんな任務があったことすらもいまだに黙っている。もちろんそれは、職務を全うしているだけのことではあるのだが、彼女のそのときの任務は今目の前にいる彼も関わっていた。
「ぼくは勘はいいほうなんだ。…あのとき頭に血が昇ってて。周りがよく見えてなかったってのもあるけど。でもぼくに気がつかせなかったのは、ちょっとすごいんだよね」
「……あの…何がおっしゃりたいんですか?」
回りくどいキラにルナマリアはほんの少しだけ苛立ちを滲ませた。自分というパイロットはいらないといっておきながら、艦からは降りて欲しくないという。その選択をするな、と。他にどんな道があるというのか。
キラは制服のポケットから一枚のディスクを取り出し、ルナマリアの目の前にかざした。
「──デーベライナーに残ってくれるなら。進宙式までにこれをクリアして。もちろんパイロットを続けたいっていうなら、ぼくはもう引き止めない。ジュール隊が歓迎してくれるはずだ」
ラベルすらもないそのディスクの中身は計り知れなかったが、ルナマリアは受け取った。判らないが、それは彼女自身が納得できるチャンスであるはずなのだ、とキラの眼差しを見て感じたからだった。

ルナマリアはもう一度真空にあるデーベライナーを見つめた。
キラから手渡されたディスクは、パイロットとは別のポジションで力を発揮するための用意だった。
この艦が好きならば、望むなら、艦に残ることはできる。──だが、今までのように自分の機体はない。
アカデミーのパイロットコースをトップエリートのひとりとして卒業してからその日まで、こんな選択を迫られる日がくるとは考えたこともなかった。パイロットではない自分。アカデミーではもちろん始めからパイロット志願で進んできた。天才的なシンやレイの傍にいて影は薄かったかもしれないが、自分もそれなりの戦績は収めてきたはずだ。
それまでの努力も、功績も、まったく関係のないところでの判断を降されて。
何故自分がそれを受け取ってしまったのか、今でもよくは判らない。
考えはまだまとまりきってはいなかったが、ルナマリアの心のなかでは決意が育っていた。
───途中で放り投げるのはごめんだ。
“赤”──パイロットであることにしがみついて、このミッションから外されるのだけは、嫌だ。赤へのこだわりを残すこと。それは自分の可能性をつぶしていることにもなると、ルナマリアははっきりと悟っていた。


C.E.75 14 Jan

Scene アプリリウスツー・ザラ邸

アプリリウス市第二区の都市部からほんの少し離れたところに、アスランが16歳までの二年間を過ごしたザラ邸があった。当時最高評議会議員だった父、パトリックの家ともなればそれなりに豪華な様相を呈している。閉鎖されて数年を経て、住む人間のいない屋敷はそれなりに寂れた感があったが、邸内の管理はアスランが生まれるより以前からザラ家に仕えていた執事が今もきちんとおこなっているとのことだった。
「おかえりなさいませ」
顧問弁護士から連絡がいっていたらしく、アスランは懐かしい顔に出迎えられる。
「ただいま。……すまなかった、今まで」
袂を分かってしまった父子に誰より心を痛めていた人だった。すでに面倒をみてもらっていた期間より、国を出奔して心配させていた期間のほうが長くなっている。そして数年ぶりに顔を合わせた今日は、別れを告げる日でもあった。

アスランは玄関から部屋をひとつひとつ回り、生活していた頃と変わらない様子に感慨深くすることもせず、置かれているものを確認して次から次へと整理した。事前に連絡しておいたにも関わらず、執事が何も片付けることなくそのままにしていたのは、あるいはアスランが懐かしさに思いとどまることを期待していたからかもしれなかった。
「書庫のなかは全部国営の図書館に寄贈してくれ。美術品の類いも同様に、美術館へ。……おまえが欲しいものがあれば、さきに持ち帰ってくれてかまわない」
ためらいもなく手放す指示しか残さない今の当主に、心の底では苛立ちもあるだろうに、と思う。それでも彼はアスランを手伝いながら、これまでの暮らしはどうか、今はどうか、といったことを訊ねて心配してくれた。
「そういえば10月に一度、お客様がいらっしゃいました」
風を通しに邸へくると、門の傍に佇む者がいたとのことだった。
「護衛の方を連れてらっしゃいましたし、メディアでお顔も知ったばかりの方でしたので」
ためらいなく声をかけた、という。
「………何か話したのか?」
「コペルニクスでのお話を、少し」
アスランを懐かしむ人に、優しい思い出話を選ぶのはいかにもキラらしい。
「…そうか…。…ひとこともいってなかったな、そんなこと」
「つぎはアスラン様と一緒においでになるといっておりましたのに」
執事がやっと非難めいたことを口にした。アスランはそれに微笑みだけを返した。
キラが一緒にきたがっていたのは知っている。それでもアスランははじめからここへはひとりでくるつもりだった。最後に住まったこの場所は、そこに家族がいた、ということがあまりにリアルだ。アスランのなかで父親のことも母親のことも、何も片付いてなどいない。キラはそうした心を敏感に悟って、自分を労ろうとしてくるはずなのだ。家を手放すという話にもいい顔はしなかった。今日のように感傷を押し込めて事務的に片す様子を見れば、怒りだしさえしかねない。
キラに触れられたくないわけではない。ただ、彼を悲しませずにここを訪れることは、アスランにはできそうにない、という話だった。
「一区で彼と一緒に住んでる。落ちついたら、ぜひきてくれ。キラも喜ぶから」
「はい」
同居人はほぼ不在だ。その落ちつく日がいったいいつのことなのか、と考えているのか、執事は苦笑しながらそう返事をした。

中はきれいに片付けられているとはいうものの、ヤキン・ドゥーエ戦役後には軍と政府の捜索は何度か入っていた。なかには乱暴な者もいたのだろう、傷のついた調度品や壊されて箱に詰められた装飾品の数々、アスランが一度でも邸内で見たことのない壁に押しつけられた足あとなどがいくつかあり、隠して固めている心にもわずかに痛みが走った。
ほとんど使われることのなかったレノアの私室に入れば、他の部屋よりはその痕跡をみることがなくて少しばかりほっとする。
「こちらを見られたら少しお休みください。わたくしはお茶のご用意をしてまいります」
執事が気を利かせてアスランをひとりにした。部屋の扉が閉じられるとしんとした静寂だけが残る。
レノアが亡くなったあとに一度だけ、パトリックがこの部屋に入ったことがあった。食事を摂ることもなく、何時間もひとり籠り続け、アスランの呼びかけに応えることもしなかった。いつも厳しい印象だけがあった父親の、それが最初で最後に見た人間らしい悲しみの姿だった。
今のアスランには、少しばかりパトリックの気持ちが判るような気がしている。手にしていたはずの愛しい者を打ち砕かれることへの悲憤は、自分も狂わせるかもしれないと疑えるくらいには。
───だが、あなたは世界を巻き込むべきではなかった。
短絡な復讐を世界に教育してしまったのだ。事実という歴史に残して。そして、アスラン自身にも。
世界にはまだ狂気とその火種がたくさん残っている。

アスランは頭を振って思考を強制終了した。時間がそれほどとれるわけではない。もとより一日で済ませるには無理のあることを、今日終わらせようとしてきているのだ。
なんとなく手を触れていた箱の中身に視線を落とす。机の上に置かれたそれは、母親の私物とおぼしき雑多なものが詰められている。そうであれば中身を確かめることなく、封をしてとりあえず持ち出してもよかったのだが、気落ちしたことを無意識に紛らわそうとしたのか、アスランはその中身に手をつけた。
当時レノアはユニウスへ単身赴任していたため、今ここにあるのは彼女の私物といっても生活に使ったものではない。見れば、学生時代の想い出の品のようだ。亡くなってから遺品に手をつけたことは今日までなかったので、アスランが見たことのないものばかりがその箱には入っていた。
そこからひとつを選んで手に取ったのはアルバムで、半永久電池が壊れてさえいなければ彼女の青春時代を覗き見ることができる。電源を入れてみるとそれは正常に起動した。

レノアはどこか大雑把なところがあり、物の整頓はあまり得意としていなかった。アスランが予想した通り、アルバムの中身はカメラからそのままごっそりとデータを移しただけのようで、タグやタイトルをつけて整理されていることもなかった。かろうじてデータの作成日付が、その写真が撮られた日を伝える。それらは、オーブの大学へ留学していた頃のもののようだった。
───そういえば、カリダさんと知り合ったのは留学時代だといっていた。
コペルニクスでキラとアスランが知り合ったとき、彼らの母たちはすでにともだちの風情だった。家の事情を知って避難する場所にコペルニクスを勧めたのもカリダであったと聞いたことがある。
そのうち状況が変化して、ある日唐突に、三日後にプラントへもどるということをいい渡された。確かにあの頃、すでに中立地域にも不穏な世界の空気が伝わっていたけれども、そこまで急ぐほどには切迫してもいなかった。キラとの別れを辛く思っていたアスランの心を知っていて何故そうまでして急いだのか、それはいまだに判らない。ただ単に、急かす父をめんどうに思ってのことだったのか。しかし、プラントへもどれば中立地域にすら連絡をとることが叶わなくなったので、それは正しい判断だったのかもしれない。
アスランはアルバムを手にしたままぱちぱちとページをめくるボタンを押し、なんということもなく写真を眺めた。眺めるというよりも流すといっためくり方だが、その手がふいに止まる。
「この人は…」
ほとんど一秒以下の速さでめくっていた手を止めたその写真。そこに、よく知った顔を見たと思ったからだった。
ランプブラックのさらさらとした髪、柔らかな微笑み。けれどどこか無邪気そうな。大学の棟を背景に、レノアを含む数人の学生たちの中にその姿があった。歳の頃が今の彼と近いせいかもしれない。アスランが以前別の写真で見た彼女より、ずっと、キラに似ている、と思った。
「……ヴィア・ヒビキ…」
よく考えてみれば、カリダとレノアが大学で知り合ったはずがない。レノアはスキップしていた。彼女がオーブにいた頃、カリダはハイスクールで、それにふつうに公立の大学へ進んだと聞いている。同級でも同窓でもあったはずがない。だが、ヴィアなら───。
GARM R&D社の研究員だった彼女であれば、ナチュラルの中でも優秀な人物だったはずだ。高度な遺伝子研究で有名なオーブの大学に在籍していたとしてもまったくおかしくはない。
「………………」
アスランは突然知った事実にしばらく呆然とした。
だが、別に驚くほどのことではない。ヴィアを通じて、カリダとレノアが知り合ったのだとすれば辻褄は合う。だが、アスランがいま感じているショックは、自分の母親がヴィアを見知っていたという事実にだった。
「……だが……それだけのこと…だ…」
つぶやいて、アスランはいい知れぬ不安を打ち消そうとする。何故そこに不安があるのかすら、判らない。隠された扉はまだある、と、耳元で誰かに囁かれたような気がした。


C.E.75 21 Jan

Scene L5宙域・高速宇宙巡洋艦ベルギウス

「“ベルギウス”へようこそ、ラミアス大使」
見た目にはものものしい軍事ステーションのブリッジの先に、プラント最高評議会議長、タッド・エルスマンの柔和な笑顔があった。
「ありがとうございます、議長。ご同道させていただきます」
笑顔を返しながらマリューがいう。今や軍人ではない彼女は敬礼ではなく握手で議長に応えた。
いくつかの挨拶のやり取りを終えたあと、アスラン、ムウ、マリューの三人は、議長みずからの案内で宇宙巡洋艦ベルギウスに乗艦した。
数日後、L4宙域にあるアーモリーで新造戦艦デーベライナーの進宙式がおこなわれる。オーブもその開発協力に携わったとして、当然ながら大使館に務めるアスランたちも式典に参加する。同じくアーモリーへ向かう議長が乗る艦に便乗させてもらい、これからアプリリウスを発とうというところだった。彼らの乗艦をもってベルギウスは発進した。

艦内ラウンジで小休止したあと、係官の案内で三人は議長が控える個室兼執務室へと通される。アスランは数日前から議長に会談を求めていた。今回の同行は、約二日間の航行日程を誰もが無駄にできない立場で有効に使おうという議長の好意だ。
まもなく案内された執務室に足を踏み入れると、そこには圧倒する景色があった。ドア正面の壁一面がディスプレイになっており、そこに巨大なガラス窓があるかのごとく、そのままの外の様子を映している。艦橋で見慣れたものとは違い、どこか実感を伴わない映像だ。
星の光点が散らばる宇宙空間には並走する護衛艦艇がいくつか見える。それらの中にはイザークの艦、ボルテールもあるはずだ。今、アスランたちが乗るベルギウスには、ラクス・クラインも乗っているからだ。
「お互いに忙しすぎるようですね。我々が過ごしているプラントではなく、このような場所になってしまうとは。でも、プラントでするよりも時間的な余裕があります、面白いことに」
タッドが苦笑まじりにいう。それからアスランに視線を向けた。
「あとでディアッカがこちらにきますよ。あの子にも久しく会ってないのでは?」
「───ええ。そう、だったと…思います」
少し考えながらアスランは答えた。ディアッカたちジュール隊は、ラクスがアプリリウスから出ない限りはボルテールで防衛線配備だ。プラント内にもどることはあまりなく、いわれて思い出せば、確かに久しぶりに顔を見ることになる。
タッドのいう通りに時間的な余裕があるためか、しばらくそのような談笑を交わす。雑談からそのままオーブ情勢の話題になり、気がつくと本題に入っていた。アスランはタッドにメンデル再開発の方向性についての考えを訊くつもりであった。

かつてメンデルは、L4宙域において「遺伝子研究のメッカ」と呼ばれた。
各国の遺伝子工学研究機関と民間の研究施設が多数存在し、なかには法を逸脱した研究もいくつか存在して、その中でキラは誕生し、ムウの父アル・ダ・フラガのクローンも生み出されたのだった。
ロゴス解体でブルーコスモスの影響下にあった地球連合の弱体化が進んだことをきっかけに、にわかにコーディネイター開発再開の気運が高まっている。もともと、宇宙開発の要として今も将来もコーディネイターの能力が欠かせないことは、誰もが理解をしていたことだ。
だが、それを受けてブルーコスモスの草の根組織が活動を活発化させ、組織強化と抗議活動が目立つ状況ともなりつつあった。プラントを含む各国と企業が資金を提供し、メンデル再開発に動き出したことは、それらの対立と混乱を拡大させることにしかならない。
「ザラ准将の懸念はよく判っています。ただ、我が国がプラントである限り、あの地が必要なのです」
実際コーディネイターの“開発”というものはメンデルを中心におこなわれてきたのだ。遺伝子形成の問題から第三世代が生まれ難くなっているその解決に、彼の地を求めることはプラントにとって当然のように思えた。
「──ただ、…そうしてまた世界から孤立する道を選んでしまうようなことが、わたしには疑問なのです議長」
“コーディネイター”だから、と。それが行き場を失い、国を形成するまでに至った。孤独と血で重ねたこれまでの道を知りながら、むしろそれを経験しながら、何故いたずらに世界を刺激するのかとアスランは思う。人類はまだ未熟で、遺伝子という深淵に手をつけるには早かったのだと、思い知らされたのではないのか。ただ、それらはアスラン自身の思いであり、またナチュラル回帰に傾倒しているからこその考えだった。
「きみは、ただプラントに住んでいるということが我々のイデオロギーを支えると本気で思っているわけではないでしょう」
「……それは…」
難しい顔をして黙り込むアスランをそのままに、タッドは続ける。
「…かつての最高評議会議長が、我々を“新たな種”と呼んだが…」
父親の驕った発言を指摘され、アスランの口許がわずかに震える。それまで静かに会話を見守っていたムウが「議長、」と声をかけるのを、タッドは手をあげて制した。
「それは間違いではないよ。真実でもないかもしれないが。それを認めて存続する道を探さねば、地球連合がおこなってきた道具としての開発を自ら認めてしまうことになる」
国家としてただ存在しているだけではなく種族としての確立を果たさねば、そうして秘密裏に開発される戦闘用コーディネイターの行き場もなくしてしまう。望まれて生まれて、道具として使われて捨てられて。その先の道を与えられない者たちを救いたいと、コーディネイターであれば誰もが思うはずだった。
「世界から孤立するとは思っていませんよ。そのために結んだ、オーブとの同盟ですから。ただ、コーディネイターはやはり、コーディネイターでしかありえないものです。アイデンティティを失うわけにはいきません。何故生まれてきたのか、という」
アスランは自身がまたひとつの方向ばかりを見ていたことに気がついた。そうしていつまでも父親の影から逃れきれていないことに嘆息する。
───議長…いや、プラントのこの考えを認めなければそれは……。
キラを、貶めることになる。気がついてしまった以上、認めないわけにはいかなかった。
「理解します、議長。…自分は…父がいまだに恥なのです。彼が誇りに思ったことを貶めようとするのは、自分がいたらないからでした。お詫びします」
そのことばにタッドが一瞬目を瞠った。すぐにもとの柔らかな表情になり、「きみは聞いていたとおりの人物のようだね」といった。ディアッカの顔をすぐに思い浮かべたが、彼がアスランをどう評して目の前の議長に語ったのかは想像できなかった。
「いや、しかし。プラントに孤立されたら困るのはこちらのことでね。立つ瀬がないっていうか。そのために、こうした意見は今後もいわせてもらいますがね」
ムウがいつもの軽い調子でアスランのあとを継いだ。アスランが驚いて彼に少し視線を向けると、ムウもアスランをちらりと見て微笑んだ。その横でマリューがさらに続けている。
「もちろんそのための協力も惜しみませんわ。問題が多いことには変わりないですし。第三者機関も必要になるでしょう」
「この場で約束はできませんが、その準備に我々が協力ができないか、代表に話してみますよ」
ムウの提案に、それはありがたいことです、とタッドが破顔した。
「むしろこちらから、オーブに協力要請を願おうかと思っていたところです。実はひとつ提案がありましてね」
アスランは「え、」とタッドの顔を見た。次に、隣にいるふたりと顔を見合わせる。
「シードコードの拠点を、メンデルではどうか、と考えたもので」
シードコード、SEED研究開発機構は現在のところ代表を務めるマルキオのいる国、オーブ連合首長国にその事務局がある。設立まもないこの機関は、具体的な研究施設や拠点など、どこにまとめるかが検討されている段階であった。SEEDの特性を思えば、それは地上より宇宙、コロニーであることが望ましかったが、参加する研究者、学者の多くは、ナチュラルであったため、地上での検討が中心となっている。メンデルという考えがおよんだことはなかった。
「なかなか面白いですな。進化と“人工進化”を、同じ場所で研究、ということですか」
ムウが揶揄する。だがそれは判りやすく的を射ているともいえた。
「メンデルを遺伝子操作技術の研究にだけ充てれば、それはそれだけのものになるでしょうし。ふたつの研究が影響し合うことが考えられます。もちろんよい方向にばかりとはかぎりませんが。たとえば、シードコードの発展がもうひとつの研究を凌駕していくことになれば、それこそが、ザラ准将の望んでおられる状況に近づくのではないですか?」
アスランはその最後のことばで、心の裡をすっかり見透かされていたことを知り苦笑するしかなかった。


C.E.75 25 Jan

Scene アーモリーワン・ベンフォードパーク

通常は工業地区としての役割を担うこのアーモリーでは、いつになく賑やか、かつ華やかな街の様相を呈していた。とはいってもめずらしいことではない。報道発表、披露式典など、“新しく造るもの”についてはイベントごとがつきまとう。
この日、第一区アーモリーワンでは、最新鋭戦艦デーベライナーの進宙を祝う記念イベントがおこなわれていた。宇宙港からターミナルへ移動すると、浮き足立った人々の姿が目に入る。高速エレベータへ向かうVIP用の通路を流れながら、アスランはそれを横目で見た。
彼にとってこの場所で見るその様子には既視感がある。忘れもしない、あれはミネルバの進宙式前日に訪れた日のことだった。直後にファントムペインの襲撃、新型機動兵器の奪取、その混乱に巻き込まれた自分とカガリ。ここで先の大戦の発端に立ちあったのだ。
アスランは微かにわく嫌な予感を振り払おうとした。
過去から学んだプラントはあの頃よりさらに警戒を強固にしている。戦艦の開発はすべて関係者以外の立ち入りを許さないスレイプニル造船所でおこなわれるようになり、進宙式もアーモリーには中継されるだけでそこで催されるようになった。デーベライナーは今も軍事ステーションにあって直接一般の目に触れる機会すらない。機動兵器も新型を中心にその態勢をすすめつつある。
そのほか、アーモリー外縁の警戒態勢から内部ポートのチェックシステムまで、ひととおりのセキュリティ強化が図られている。だが、アスランはすっかり馴染んだ不安と離れることができず、ひとりで難しい顔をするばかりだ。

「なんだい、その顔。キラの晴れの舞台なんだぜ。それとも何か思い出しでもしているのかい」
港からの高速エレベータを降りると、となりに立つムウにその顔を咎められた。意味ありげなことばは、そういう彼が過去アーモリーを襲撃した側で、彼もそのことを思い出しているからだろう。
「……いえ。このあとのキラのスピーチ、まともにできるかが気になって」
心のごく隅だけにあった心配事で紛らわせた。あいまいになっている不安をこぼしても仕方のないことだった。
「ああ、草稿をきみに書かせてたやつだな。…あれだろう、あいつは。宿題もきみに押しつけてたくちだろう」
「…そうでもないですよ」
「どうかな。きみに対しては相当なあまえんぼうだからな、キラは」
それに何かを思いあたったのか、ムウのとなりにいたマリューがくすりと笑い声をたてた。
実際には、「本人のためにならない」とキラ自身にやらせていたアスランだが、手伝った回数といえばそれは並ではなかった。キラがアスランにあまえるのは、アスランがあまやかしたからだともいえる。今も不安から逃れられないのはひとえにキラが心配だからというただそれだけだ。その自覚はある。
これ以上彼らのまえでのキラの話題はからかいのネタにされるだけだろう。アスランはそんな必要もないのに、少し遅れたから急ぎましょう、と促してイベント会場の広場へと向かった。

シャフトタワーの裾野の一角に広がる公園がその会場となっていた。特設された展示場がいくつか軒をならべ、軍楽隊のマーチが盛り上げ、そこに子供の姿はないが、まるで博覧会のような様子だ。
タワーに向かって正面には特設ステージがあり、さきほどまでデーベライナーを紹介するイベントがおこなわれていた。艦をあずかる隊長──つまりキラのスピーチがあり、SEED研究開発機構の代表マルキオによるシードコードの解説、さらには艦長アーサー・トラインがデーベライナーの役割を説明した。もちろん、その機能詳細の多くは伏せられているけれども、この日をもってデーベライナーとシードコードの関係が公式に発表されたのだった。
フリータイムとなった今は、各国から招かれた政府の人間、財界人、軍人、SEED研究開発機構の関係者などが会場内をまわり、情報収集と交流に忙しそうにしている。ステージに設置された超巨大スクリーンには、今日の午前中におこなわれた進宙式の様子と、スレイプニルからステーションへ移動するデーベライナーの映像などが流されていた。
ムウやマリューと別れ、ひとりになった時間を持て余し、アスランがぼんやりとその映像を眺めていると、後ろで交わされている会話が耳に入ってくる。
将来の人類進化を見定めた研究開発をおこなうといっても、所詮戦闘艦ではないか。人類平和や世界の融和を目指すといいながら、戦うための艦など矛盾している───そんな内容だ。
気になってつい背後を振り返ると、ビジネスエリート風の上品な人物がいた。アスランと目が合うと、丁寧に目礼する。関係国の、しかも軍人を目の前にしながらの堂々とした批判に、返すことばはない。アスランも礼を返すとその場所から離れた。
世間一般に思うデーベライナーの評価はそんなものだろう、と予感はしていた。
キラが、アスランにも判らない何かをSEEDに見い出していて、そこから何かをしたいと考えていることは判るが、現在知られているその特質を思えば戦場と離すことが難しい。キラは実験の場が戦場だからこそ意味がある、というようなこともいっていた。──それは、発現の確率のことではなく。
どういう意味か、と問いただしても、キラ自身のなかで整理されておらず、うまく説明できないといっていた。何しろ彼は感覚的に過ぎて、それでもものごとが進んでいるから不思議だ。
もっと傍にいて彼の話を聞き理解し、もっと彼を助けてあげたい。
日を追うごとにつのる思いを持て余し、ついに我慢できなくなる日は、そう遠くないような予感があった。


C.E.75 25 Jan

Scene アーモリーワン・ベンフォードパーク

「いっときますけどね! おれはまだ納得してませんよ!」
少し声が大きかったようだ。すれ違いざまに他国の軍人がちらりとこちらを見た。シンは我に返って心のなかであたふたとしたが、前方をいく人物はそんなことに気がつきもしない。ただ何か思いついた方向へまっすぐに足を運んでいる。少しばかり急ぎながら。
メインイベントの終了した会場、このベンフォードパークはまだ大勢の参加客でごったがえしていた。ごみごみとした人の群れの中、シンはどしどしと踏ん張りながら足を運び、どこへ行くとも知れないキラの後ろを護ってつき従っている。
シンが憤るのも、無理はない。
ルナマリアが突然、年を明けてすぐに連休をとるといいだし、進宙式のぎりぎり今朝もどったと思えばその身には緑服をまとっていたのだ。
そのいきさつについてはその場で彼女に問い質した。デーベライナーでパイロットにはなれないから、キラが示した保安部の情報管理官になったというのだ。艦の保安を前提にした艦内監視と情報の収集、作戦中は対外的な諜報活動もおこなうこともある。彼女はキラの判断に応えるために、ごく短期間、つまりその連休で高度な機密取扱資格を取得した。
何が納得できないといって、それなりに深いつきあいのガールフレンドから、そんな重要な話について相談のひとつもなかったことにだが、調子のいい提案をしたキラにも釈然としない。何故いっそのこと、ルナマリアに艦を降りろとだけ命令しなかったのか。
キラは突然立ち止まって振り返りシンを見た。今日の主役だった白服の隊長は制帽を小脇に抱え、「判らない」といいたげに小首を傾げる。その様子は、痩身の体躯のせいもあるのだろうが隊を指揮する人間にはとても見えない。せめて帽子を深く被って幼い印象のある瞳を隠してくれれば少しはましなのに、とシンは思う。
「シンは何をいってるの。シンが納得とか、関係ないでしょ。無関係でしょきみは。ちゃんと話したわけ、ルナと」
あっさりとばっさり切られてシンはさらに憤慨する。そもそもシンが腹を立てているのは彼女と話をしたからなのだ。
艦にはパイロットとして置けないといいながらルナマリアに違った職を勧め、あまつさえ彼女がそれを受けた理由は、「隊長が艦に残って欲しい、っていってくれたからよ」だった。ただでさえ日頃から隊長隊長とあとを追う姿に妬けているのに、彼女が喜びそうなことを口説き文句にして丸め込むなど、シンにとって許されるものではない。
さらに想像するに、そんなことばで勧誘するのは卑怯だとでも指摘してやれば「だってルナに残ってもらいたかったのは本当のことだもん」とでも天然の態で返されそうなことにも腹が立つ。恣意で動いているとは思いたくないが、何かこう軍隊としてのきっぱりとしたものをキラから感じることができず、シンは自分を棚にあげてそこに苛々とするのだ。
「ア…アンタってひとは……! ───ッて!!」
つい、またもや人目を忘れて怒鳴りかけると、突然後頭部をはたかれた。
「シン、公共の場で上官に乱暴な口をきくな。それに後ろががらあきだ。護衛になってない」
「───アスランッ?!」
痛む頭を押さえながら振り返ると、青藍と白のオーブ軍服を纏ったアスラン・ザラが立っていた。式典があったからだろう、今日は飾緒のついた制服に制帽を目深に被り、いつにも増してきっちりとした印象を伴っている。
「ちょーっとぉ、やめなよアスラン」
「! ……む、ごっ!!」
急に何かに口を塞がれシンはうろたえた。真上から聞こえる声はキラのもので、どうやら自分はキラに頭を抱えられる形で拘束されているらしい。目の前にいるアスランの片眉がひくりとあがるのが見えた。
「ぼくの許可なく部下を殴らないでくれる。かわいい ぼ く の 部 下 のね」
キラはいいながら抱え込んでいるシンの頭を撫で回した。シンは手足をばたつかせて逃れるのに必死だから気がつかないが、そのときアスランの視線が剣呑なものになっていた。
「そんな顔しないで」
ことばとともにぽろりとシンを放し、キラは黙り込んだままのアスランに懲りず絡んでいるようだった。キラはにこにこと上機嫌な様子だが、対するアスランは相変わらず表情が読めない。いつ見ても“揃わない”ふたりだ、とシンは思う。
「シン、アスランとタワーのラウンジにいってるね。護衛もういいよ、ご苦労さま」
「…っは、話っ! 終わってませんよ!」
「話すのはぼくじゃなくてルナとじゃないの、この場合」
まったく相手にしないキラを引き止めるべくシンは食いさがったが、にべもしゃしゃりもない返事しかもどらなかった。
今これ以上食いついても仕方がないとは思い、睨む視線で去っていくふたりの背中を黙って見つめる。待ち合わせたふうでもないアスランと、この人出のなか落ち合ったのはたまたまなのか、それにしても申し合わせたように去ってしまったことを不思議に思いながら、揃わないながらも息は合ってるんだろう、とシンは妙な感心をあとからしていた。

実のところ先に顔を合わせたときに、あとでこのあたりで、と細かい時間の指定もない漠然とした約束をしてはいた。この人混みでアスランがキラの姿を見つけたのはかなり低い確率の中からのことだとは思う。しかしアスランは幼少の頃からキラを見つけるのはうまかったので、ふたりのあいだでアバウトな待ち合わせは有効だ。
「いいのか、シン…。放っておいて」
「いいんじゃないの。妬いてるだけだしあれ」
今のきみみたいに、と追加するとアスランはあからさまに不寛容な顔つきを見せた。どうも今日のアスランは機嫌がわるいらしい。午前におこなわれたスレイプニルでの進宙式で久しぶりに会ったときからそんな雰囲気を漂わせていた。キラがふざけてシンを抱え込んだときの彼の顔ときたら、本人に鏡をつきつけてやりたいくらいの表情をしていた。こういうときはあまりふざけ過ぎてもからかっても、アスランは始末に終えなくなる。ほどほどにしておくべきだろうとキラはそこまでで沈黙した。
「……出航は…二〇フタマルだったな。今日はもうこのまま艦にもどるのか?」
「うん。そのまえにアスランと食事とかするのが裏のスケジュール」
「なんなんだよ裏って…」
アスランのつぶやくようなつっこみにもちろん返事はかえさない。実際、“ザフトのキラ・ヤマト”としてそれを予定表に書くならば、その項目は“オーブ軍アスラン・ザラ准将と会食”となる。このあとの彼と過ごす時間をそんな仰々しいものにしたくなくて、キラはわざと予定にいれなかった。

機嫌など、キラもいいはずがない。
このあとヤマト隊はデーベライナーでL5宙域のザフト軍事ステーションへ移動し、いつでも最前線へ向かうことができるよう、そのまま防衛線上での待機命令がでている。このあと艦に乗ってしまったら、当分のあいだ───数ヶ月はずっと艦上生活となる。せいぜいがステーションに碇泊するくらいで、プラントにもどることはたまにしかないだろう。
つまり、今日アスランと別れたら、次に会う機会をもつことがかなり難しい日々が続く。
離れたくない、放さないと心に決めたことを、遠くに感じていた。今キラがここにこうしていることも、彼自身で決めてそうしてきたことだけれど、アスランを目の前にするともう何度目か判らないほどの後悔が押し寄せる。
そんな本心をアスランに悟らせるわけにいかず、キラは声に明るさを含ませていった。
「シードコードの準備はどう、順調?」
「ひとに押しつけておいて、よくそんな…」
「心外だなぁ。信頼して任せてるのに」
キラはSEED研究開発機構から現状は退いている。デーベライナーもあくまで所属はザフトの艦で、研究協力という形で機構に関わっていく。研究のためにキラは自ら前線へいく必要があるけれども、傍にいたいがためにアスランをそれに巻き込むことは絶対に避けようと思っていた。そのために機構運営の重要な位置を彼に任せることにしたというのが、真実だ。運営側の立場、オーブ軍准将のままでいれば、現在の落ちついた情勢のなかでなら彼が戦場へ向かう確立は果てしなく低い。
キラの心に、それはアスランに対しての裏切りだと思うところは少なからずあった。もしもキラが彼で、彼が同じことを考えていたとしたら、キラはそんなことを絶対に許せない、と思う。勝手なものだと感じながらも、キラが選んでしまった場所へアスランを連れていくことはどうしてもできない。たとえ、彼に許されなくても。
アスランが何も察していないと思ってはいなかった。それなのに彼はどこか諦めた態で、傍にいても凪いだ静けさだけを感じた。もう呆れられて、嫌われかけて、いるのかもしれない───。
自分の考えにぞくりと身を震わせていると、ふいに腕を引かれる。
「キラ?」
どうやら向かうべき方向から足が少し外れようとしていたらしい。アスランは少し怪訝な表情をうかべたがすぐにそれを消し、引いた腕をそのままにキラを公園脇に陳列するVIP用エレカに誘導した。
その様子をそこにいたポーターがぽかんとした顔で眺めてくる。それでもアスランが視線で促すと、慌ててエレカのひとつのドアを開けた。
キラを先にして乗り込みドアを閉じると、アスランは慣れた手つきでナビを操作し、シャフトタワーの入口を行き先に設定する。巨大なタワーまでそう離れていないようにも見えるが、それでも到着までの時間は五分と表示された。
「変な顔されちゃったね」
「おまえがぼうっとしてるからだろ」
滑るように走り出すエレカの中、それからふたりは何ともなしにしばらく黙り込む。
何かいいたいことはあったはずだが、今あえてというほどのことはない。おまけにふたり揃って機嫌がわるいのだし、会話はこのあとも弾まないだろう。出航までの短い時間をこうして無為に過ごしてしまうのはもったいないと思うが、そしてあとから後悔もしようが、仕方がないと感じた。
「……もう、行くなとはいえないな…」
思うほどに続かなかった沈黙を小さなつぶやきで破ったのはアスランのほうだった。
「うん…今いわれても、困るね」
「………困るか…?」
それまで正面に向けていた彼の顔がキラのほうへと動いた気配がした。キラは車が進む方向へ視線を据えたままどう返せばいいのかと考える。防音とスモークの窓ガラスで外界と遮断された、ふたりきりの空間。広いシートの意味なく身体を近づけて座り、さらにアスランは投げだしているキラの左手に指を絡めていた。その指先も、視線も熱くて、キラは落ちつかない。
「困るよ。きみと一緒にいたいもの」
怒らせるのを覚悟のうえで本心を告げると、絡めていた指は恋人つなぎの形になった。
「キラ」
アスランがさらに身を寄せてきて、キラの耳元に囁きかける。こちらを向いて、と脅迫に近い空気を感じていたたまれず、キラは落とし気味の位置からゆっくりと視線をアスランに向けた。目を見ず口許にそれを流すとさらに彼が迫ってくる。アスランの制帽がキラの頬をかすめて落ち、額どうしが、こつり、と当たった。
「…覚悟が鈍るようなことは、しないほうがいいか?」
静かに訊ねながら合わせた額を擦りつけてくる。覚悟とは何の、それが鈍ることとは何、とキラは思考が動かない。アスランは返事をまたずにキラの鼻先に唇で触れ、頬に小さく音をたててキスをした。
「ア、アスラ……」
咎めようとようやく視線をあげたが、相手は瞳を閉じていて、額や眦、頬をキラの同じ場所にぐりぐりと押しつけている。犬か猫か、動物が甘えるような仕草につい笑いがこぼれた。
「…アスラン…」
それに応えて彼の口許も少し緩んだ気配がする。変わらず目を伏せたまま今度は鼻先を擦りつけられた。「キラ」と声にならない囁きを感じて、その次の瞬間にはもう唇を重ねられていた。
少しして一度唇が離れると「あと二分」とこの場の残り時間を聞かされる。それに弾かれるようにキラが腕をあげてアスランの首に巻きつけると、アスランはさらに深く、唇を合わせてきた。


C.E.75 30 Jan

Scene オーブ軍本部〜デーベライナー

この数ヶ月で組織力を高め着実にブルーコスモスの中心勢力となりつつある組織、“エヴァグリン”について、キサカはその動向をここしばらくとくに集中して監視している。
潜入に送っている人員も並の数ではなく、その中枢には至れないものの表向きにはならない動きを何とか探らせることをしていた。
いくらか情報を取り扱う部署に近づけた者がひとりいたが、「驚くほどに漏れていた」という各国の軍事情報のなかのひとつに、デーベライナーの乗員名簿があった──という。
オーブ軍本部棟内にある情報局の一室で、キサカはさきほどから腕組みを解けないままでいた。
「………偽物?」
『そうです、嘘のリスト。こっちで故意にリークしたんです。…そちらに届いたのなら…もう、ゲームオーバーですね…』
遠くにいる通信の相手の顔がふいに苦く歪んだ。
「……それは、つまり…」
『たぶんもう、“むこう”にも偽のデータだってバレてます。それは想定内のことですけど、キサカさんの手元にくるなんてこと……』
この結果は望んでいなかったのだとその表情で判る。つまり、乗員名簿のデータ自体にウィルスを仕込み、情報漏洩の経路とそれを入手した組織内での経路を探ろうとしたのだという彼は、敵の中で偽のリストと気がついた時点で破棄されることを想定していた。それが、さもまだ騙されているとばかりにオーブの情報局にまで届いたのは、彼らがそれを逆手にとる策を弄してきたのだろうという。
『もちろん、キサカさんにぬかりがあるとは思っていませんけど』
そういって彼は少し微笑んだ。はたして信頼されているのか、その逆なのか、とキサカは渋面を表す。
「確かに関わった人間はもう引き上げさせているし、持ち帰ったデータの取り扱いは厳重にしている。隔離して確認し、処分済みだ。それは安心してもらっていい。しかし、そういう作戦は…事前にひとこといって欲しかったのだが…」
『漏洩経路を探るのに自分から漏れる先を増やしてたら正確なデータとれないじゃないですか』
それも、そうだ。
だがキサカは仕掛けた本人のキラからこうして真実を聞くまえに、若干一名を巻き込んでしまったところだった。まずキラに確認をとるべきだったか。しかし、報告を受けたときたまたま彼がそこにいたのだから、それも仕方がない。
「…とにかく判った。あとは処理しておくが…できれば今後も慎重に頼むぞ…」
『はい、ご心配おかけしました』
屈託のない笑顔でそういわれ、キサカはやれやれといった面持ちでキラとの通信を切った。
そのまままずは思う人物の執務室につなぎ、そこにいないと判るとモビルスーツの格納庫で呼び出してみる。そこにいたアスランを「いいからとにかく」と呼び出して、ことの真相を直に説明した。
「───人騒がせな…」
話すうちに少しばかり変化した表情はキサカにも判るくらいの苛立ちを見せていて、大きなため息とともにつぶやきが小声に漏れていた。
「すまんな…」
「あ。いえ、キサカ一佐も巻き込まれたのですから」
そのあと目の前の青年はまるで身内の咎を詫びるように頭を下げた。
「双方で敵だと名乗りあったようなものだが。しかし、こういったことは同盟国間でもままあることだし、このことで今更エヴァグリンがこちらにどうこうということはないと思うが…。むしろ問題はキラ、だ」
コーディネイター排斥を望む組織にとって、プラントは敵そのものであるし、彼らと結んだオーブ連合首長国も同様に疎ましい存在であることは間違いない。しかし、国を相手にけんかをするほどにはまだその組織は小さいものだ。表立って何かをしかけてくることはないだろう。だが、今キサカとアスランが心配するのは、その端を切ったキラ個人だ。
「…プラントは彼を護ってくれるはずではあるのだが…スタンドプレイを果たしてどこまで容認するかな」
「………………」
個人としてターゲットになっているその本人が、狙っている相手に対して刺激するような真似をしたのだ。それを護る周囲に影響があることを想像しなかったはずはない。彼は迂闊なのかもしれないが、何も考えずにおこなったわけではないだろう。
キサカの懸念をアスランは無表情に聞いている。それからわずかに俯かせていた顔をふいにあげてキサカを見た。その輝度の高い瞳を見るたびに、キサカは彼がコーディネイターであることを実感する。
「実は、フラガ一佐からさきほど報告があったんです」
「…それは?」
「大洋州連合のコロニー、“アルテラ”で、問題が起きているそうです。…おそらくヤマト隊がその制圧任務をザフトからいい渡されるはずです」
ああ、これはもう、彼の次の行動は決まったようなものだろう、とキサカは思った。アスランは“片付けごと”のため昨日からオーブへもどっていて、少しばかりまえから始めていた根回しの結果を得たところだった。案の定、アスランは掛けていた椅子からもう立ち上がっている。
「何故そういいきれるのだね?」
「まだ配備まえですし。すぐに動かせます。……それに“それ”が条件なのですから」
護るとしながら前線へ向かわせるという矛盾。確かに最新鋭艦がやすやすと沈むことはないとはいえ、危険の確率の高いところへ向かわせるのは、何もプラントの意向だからというだけではない。──キラもそれを望んだからだ。双方の一致なのだ。
しかし、アスランをはじめ、周りは納得などしていない。
そうしてからアスランが申し出たことに、カガリが渋々ながら承諾し、プラントにいるラクス・クラインなどは双手をあげて歓迎の意を示し協力してくれたという。
アスランは「借ります」とひとこといって室内の通信コンソールに手を伸ばした。
「マードック曹長。準備をお願いできますか。すぐに出ますので」
マードックの返事を受けてから通信を切ると、そのまま彼はドアに向かって踵を返した。
「どうするね、アスラン?」
背中に問いかけたキサカに、思ったよりも冷静な声音が告げる。
「敵の罠には乗らなければこちらも動けない。あいつも、そう考えるはずですから」
「……まさか、そのアルテラの件にエヴァグリンが関わっていると?」
アスランは一度ドアのまえで振り返り、キサカを見た。
「このタイミングで何かが起きたというのなら疑ってみてもいいのではありませんか。それが杞憂ではなかった場合、キラの判りやすい挑発に乗ってくるあたりはますます油断のならない相手と考えられますし…。いずれにしろ、おれは行きます」
まっすぐな眼差しを受けてキサカはふっと息を吐く。目の前の寡黙な青年は、攻撃は最大の防御という若者らしい剛胆な考えとは縁遠い人間だと思っていた。しかし、思い返してみれば、彼は信念のために軍を脱走するほどの、向こう見ずな一面もあったのだ。
キサカは心得て、用意しておいたデータをポケットから取り出しアスランに渡す。エヴァグリンについて、これまで収集した情報をまとめた報告書などのファイルだ。今から国を離れる者に預けるには勇気のいるものだった。しかし、彼は必ずこの国にもどると信じて、それを託す。
「キラはぜったい傷つけさせないと…カガリに伝えてください」
静かにそう告げると、アスランはその部屋から去っていった。


スペースコロニー“アルテラ”は、コロニー開発時代の後期に建造された、L3にある元開発実験用コロニーだ。
L5宙域でのプラント建造計画が波に乗った頃、当時のプラント理事国から構造、宙域的にも不要とみなされ廃棄が決定となったが、開発に協力していた大洋州連合が名乗りをあげ譲渡がおこなわれた。その後、実験施設は撤廃され居住用コロニーとなり、所有する大洋州連合のL3宙域での中継点となった。
近年になり、プラントが資金、資源提供を餌に軍事基地を置いたが、幸いにも二度の戦乱において戦火に巻き込まれることなくすんでいる。
大洋州連合の中のひとつの州として自治権が認められており、公選される知事が統括している。構成する市民は開拓時代からの子孫とL3宙域に関わる職務につく者の家族で、ナチュラルがその中心となっていた。

そのアルテラから、ザフト基地占拠の報せが届いたのは昨日のことだった。
アルテラ政府からは市民テログループによる犯行とだけ連絡があり、基地の詳細な状況はいまだに不明だ。今は、その後の詳報を問うプラントからの質問状に回答をよこしてくることもなく、政府は沈黙している。そのことから行政施設も追って襲撃された可能性が考えられた。
プラント最高評議会と国防委員会は大洋州連合と協議のうえ、プラントの最新鋭艦、デーベライナーにアルテラ鎮圧作戦の指令を降した。
「“市民テロによる占拠”、ですか…?」
キラが不審を含めた面持ちでアーサーに訊ねると、彼も納得しない様子で「とはいってますけどね」と返した。続けて、基地について訊ねる。
「規模はどのくらいなんですか?」
「ただの補給基地で、実に小さいです。おかげで今まで無傷できたともいえますね」
「機動兵器などの配備は?」
「現在は運がよかったといいますか……古い量産型ザクとジン、併せて三十機体ありません。もちろん、戦艦もないですし。まぁもともと、プラントにとってもそれほど重要な拠点じゃないですから。L3には他にちゃんとした補給衛星がありますし」
仮に、“市民テロ”に奪われたところで甚大な被害ではない。気がかりなのは、ザフトの兵たちとアルテラの一般住人だ。キラは小さく嘆息しながらも丁寧にいった。
「テロリストの正体、目的、規模。一切が不明なままですが、とにかくまず現地へいってみなければ、ということです。思いがけない初任務となりますが、よろしくお願いします」
それにアーサーも、「はっ」と折り目正しく敬礼を返した。
進宙式を終えたデーベライナーは、開発がおこなわれていたL4からL5の軍事ステーションに移動し、明日プラント防衛線配備の予定となっていた。
急遽変更された任務とはいえ予定されたことだ。ヤマト隊には常に、防衛線よりは前線配備となる作戦に加わる義務があった。そのうえ配備位置につくまえだったこともあり、今このときに何かが起きれば、すぐに動けるデーベライナーがその任務を負うのはあたりまえといえた。
キラはデーベライナーと僚艦にエターナルを従えて、発進準備を進める。コロニー内での作戦となるため、中隊規模の降下部隊を手配することになった。
「───隊長、本部からです」
急に慌ただしくなった艦に突然入った本部からの通信に、それを告げた通信士がやや期待に満ちた顔をしていた。
「不測の事態に備えて、ジュール隊を応援に回すとのことですが…」
状況が読めないとはいえ、この段階でジュール隊まで送ってくるのは警戒が過ぎるような気がする。だが、「ジュール隊」ということでキラにはひとりの人が目に浮かんだ。
───ラクス、かな…。
ジュール隊は平時にラクス警護の任を負っている。ラクスが何かを進言したのかもしれなかった。だが、キラとしては自分の作戦のたびにラクスの護衛が手薄になるのは勘弁してもらいたいと思った。
「断ってください」
ええぇ?!っと艦長席のアーサーが叫んで、背後のキラを振り返る。キラはそんなアーサーに眉尻を下げて肩をすくめてみせた。
「時間ですね。発進シークエンスに移行開始してください。ブリッジおよび拘束アームを解除」
艦橋と管制におっとりとした声でキラの指示が渡る。アーサーはキラにだけ聞こえる声で「いいんですか、本当に」といった。年若い指揮官が心配であるらしい。いや、年齢というよりは、殺伐とした雰囲気からは果てしなく遠く見える彼の、柔らかな人物像が不安にさせるのかもしれなかった。
笑顔しか返さないキラを複雑に見つめるアーサーの心配をよそに、淡々と発進シークエンスを進める操舵士の声があがった。
「主動力コンタクト、エンジン異常なし。───全ステーションオンライン。…発進準備、完了しました」
キラがアイコンタクトすると、アーサーは気を取り直し艦長席に座り直す。
「機関始動、デーベライナー発進!」