C.E.74 Oct キャプテンヤマト


C.E.74 1 Oct

Scene プラント中継ステーション・アークエンジェル

アークエンジェルのモビルスーツデッキからストライクフリーダムの駆動音が響いた。
───もう、この機体のこの音を、この場所で、自分が聞く機会はないかもしれない。コジロー・マードックは感慨深げに目を眇めてフリーダムを見上げた。
「じゃあ、マードックさん。いきます」
「おう、元気でな、ぼうず」
スピーカーでなく、わざわざ一度コックピットから顔を出したキラは、長年自分の機体の面倒を見てくれた整備主任に別れの挨拶をした。ばいばい、と最後に手を振ってフリーダムの中に収まる。まだ会う機会はいくらでも訪れようが、とりあえずの別れの儀式だ。
「キラ・ヤマト、フリーダムいきます!」
カタパルトから勢いよく発進したフリーダムは、プラント──アプリリウスワンのドッキングベイへ飛び立ち、あっという間に小さくなっていった。
続けて、ドムトルーパー三機が発進する。搭乗するのはヒルダ・ハーケン、ヘルベルト・フォン・ラインハルト、マーズ・シメオンの三人だ。
その様子を見送って、アスランは自分が乗るランチボートに向かって床をけった。ボートに乗り込むと操縦席にはムウが座っている。
「お嬢ちゃんは?」
「……え…さきに乗るように、いっておいたんですが…」
もどって半身をボートの外に出すと、「すみません!」という声が聞こえて、メイリンが文字通り飛んできた。慌てた勢いを抑えるようにアスランがメイリンの手をとる。
「す、すみません…!」
今度はそのことに謝って、メイリンはぺこぺこと頭を下げた。
「いいよ。どうかした?」
ごく間近になったアスランのきれいな笑顔に見蕩れて一瞬詰まりつつも、メイリンは制帽を探してて、と遅れたいいわけをした。

今日、メイリンはザフトの軍服を着ている。
名目上オーブ軍捕虜という扱いで今回の帰国を果たすことになり、彼女は一応軍人の格好をしてはいるが、その後は除隊処分となることが確定していた。
「最後まで力になれなくて、すまなかった…」
アプリリウスワンに向かって発進したボートの中で、アスランは何度目か判らない謝罪を口にする。メイリンもその度にする同様の仕草…顔のまえで両手をぱたぱたと振ると、「そんな、とんでもないです! プラントにもどれるだけで、すごいことです!」ということばをアスランに返す。
実際、ザフト復帰を目の前にしながら拒絶したのは当の本人だった。
スパイ嫌疑捏造の件を盾にすればごまかしがきく書類ができていたにも関わらず、メイリンはアスランの脱走幇助の動機を「私的理由」と正直に証言してしまったのだ。
確かに、戦後オーブに降りたとき、「除隊は考えていたことです」と話していた。彼女をその気にさせたのは脱走時のレイのひとことと、その後いわれない罪を着せられたことによる。自身のこれまでの貢献心を挫く事件ではあった。
また、メイリンには別の本心もあった。今この目の前にいるアスランやキラ、ミリアリア…。彼らが軍人を続けることの志を思い、自分がただ流されるようにその職を選んだことに恥ずかしさを覚えている。もちろん、復隊したとすれば心を入れ替えて励むこともしたであろうが、我ながらその生き方が似合っているとは思わなかった。
「でも、ザフトに入隊したことは本当によかったと思っています。いろいろありましたけど、アスランさんたちに出会えましたし。勉強になることもたくさんありました」
メイリンは新しい旅立ちに似合いの、晴れやかな笑顔をしていた。アスランにもそれが彼女の本心であることが伝わり、少しばかり安心した。


C.E.74 1 Oct

Scene アプリリウスワン・ドッキングベイ

プラント首都、アプリリウス市。
十基のコロニーで構成されているその市のうちの一区、アプリリウスワンには最高評議会ビルのほかザフト本部など、プラントの中枢となる機関が多数存在していた。
いわゆる“砂時計”中央のくびれに位置する港には、首都中枢区だけあってひっきりなしに要人の乗るシャトルが出入りする。それだけに警戒態勢は非常に強力だ。
ザフトのシン・アスカとルナマリア・ホークは、オーブ連合首長国からの国賓を迎えるべく、ボーディングピアを急ぎ移動していた。港のゲートで、軍籍である自分らの認識票を確認しながらも複数回のボディチェックと軍本部への確認連絡がおこなわれ、そこへ足を踏み入れるまでに予定より時間を要した。
───こういうの緊張すんな…。
知人であるとはいえ、“来賓”の護衛任務に就くのは初めてのことだ。おまけに新しい上官も一緒だ。シンは歩きながら、身に纏う赤い軍服の襟元をもう一度整えた。

異動辞令を受けたのは昨日のことだった。
『シン・アスカならびにルナマリア・ホークは、明日一〇・〇〇ヒトマルマルマルよりヤマト隊へ異動。以後、キラ・ヤマト隊長麾下にて作戦を遂行のこと』
「──また異動っすか!」
途端に、べしーっという音が痛みとともに後頭部に炸裂した。ルナマリアがひっぱたいたのだ。
「おまえらタライ回しにされてるなぁ」
笑いながらいうのは、たった今、本日までの所属と判明したこのジュール隊の副官、ディアッカ・エルスマンだ。
メサイア攻防戦で隊長を失ったグラディス隊の面々は散り散りバラバラにされ、なおかつその配属はしばらく落ちつくことがなかった。たまたまふたり一緒に6月からこの隊への配属となり、やっと落ちつくことができたと思っていたのだが。
「まぁいいから。復唱のうえ“はい”のお返事」
通信モニターの向こうでは連絡員の女性が少し困った顔をしていた。彼らの背後で一緒に通達を聞いていたディアッカは、早く通信受領をしろと促す。
「……シン・アスカ、明日一〇・〇〇よりヤマト隊にてその任遂行します」
「同じくルナマリア・ホーク」
ふたりは連絡員に告げてから受領サインを送った。
「それにしてもキラのところかぁ。……まぁ、いろいろあるかもしれねぇけど、頑張れよな」
「いろいろ……そりゃあるでしょうね、あのひとんところなんか…」
ディアッカのちょっとした含みには気がつかず、シンはそういって不満そうに返した。
問題など、あるだろう。その人キラ・ヤマトは、プラント国民でもなければザフトの正規軍人でもないという立場で、ここプラントへやってくるのだ。しかも、指揮官として。そんな前例はもちろん聞いたことがなく、また、なんでそういうことになったのかなどシンの考えがおよぶところではなかった。
「……まぁ、なんかあったら相談にのるから、おれにいえよ。な」
ヤマト隊が荒れるだろうことなど、ディアッカにも容易に想像ができた。そのうえこんな問題児をあずけていいのか、と。シンのことはけっこう気に入っているディアッカだったが、まだまだ跳ねっ返りであることは否定できなかった。

シンたちが向かう方向から、知った顔が三人と知らない顔が三人、一団となって歩いてきた。自分らが迎えるべき目的のご一行様だ。ふたりはそこで敬礼し、挨拶はルナマリアが切り出した。
「お待ちしておりました、プラントへようこそ」
「あ、こんにちは!」
この場に不似合いな一声に、一瞬全員が固まる。
それを発したキラ・ヤマトの背中を、左斜め後方に立つアスラン・ザラが小突いた。三人おいて一番後ろにいるメイリン・ホークがそれを見て、肩を震わせて笑いを堪えているのが、見える。
「あっと、すみません。だって、ふたりとも会ったことあるからつい、ね?」
キラはこの6月に会ったときの雰囲気とは少し違って見えた。ルナマリアは常々妹のメイリンからその人柄を、「優しくて、穏やかで、明るくて、かわいい系の人」という説明で聞いていた。とすれば、今のほうがおそらく“素”に近いのだろう。最後の「かわいい系」というのは容姿ではなく、性格のことだ。いわゆる天然タイプということらしい。こうして目の前でその笑顔を見れば、性格だけではなく見た目もかわいい系であることがよく判る。
「キラ・ヤマトです。よろしくシン、ルナマリア」
キラはザフト式の敬礼であらためて挨拶をした。
「…本日付けでヤマト隊配属になりましたシン・アスカであります」
「同じくルナマリア・ホーク。今日は随行してオーブ特派大使アスラン・ザラ様護衛の任につきます」
その言に今度はアスランが「すまないな、よろしく」、といった。

その後、ラウンジに移動すると残る初顔、ヒルダ、ヘルベルト、マーズの紹介を受けた。モビルスーツのパイロットでそのままキラと一緒にヤマト隊の配属になるのだという。
気がつけば、オーブからの一行だというのに、アスラン以外は全員がザフトの軍服を着ている。シンはますます複雑な心境になった。
───部下つきでくるって。…どんだけ…。
そんなシンの胡乱な目つきにアスランはすぐ気がついた。考えていることが手に取るように判り、無理もないな、と自然に苦笑がこぼれる。
アスランはシンの傍に寄った。
「シン、今日の予定を確認したい」
「あ? あ……はい」
ポケットから携帯端末を取り出し確認する。
一一・三〇ヒトヒトサンマル、ラクス・クライン氏と会見、続けて昼食。一四・〇〇ヒトヨンマルマル、隊長はエルスマン議長と会見、終了しだいプレス会見。他のみなさんはその間ザフト本部へ…」
「おれもか?」
思わずあいだを切ってアスランが訊く。
「……本部についたらあんただけでカシム国防委員長と会見」
呆れたような声音でシンが返事をする。
うっかり“つきそい”だけできたつもりでいたアスランは、単身の予定に少しばかり驚いた。しかし、よく考えれば来月から駐在武官としてこちらへくる身だ。自分を棚上げに考える癖にアスランは自嘲した。
その様子にシンは辛辣だ。
「何が面白いんすか。気味わりィっすよ。……一八・〇〇ヒトハチマルマル、隊長の着任式。んでもって、そのあとささやかながら歓迎会があります」


C.E.74 1 Oct

Scene 最高評議会ビル・タッドの執務室

しんとした議長執務室に軽快な電子音が鳴り響いた。
「きたのかね。通してくれたまえ」
プラント最高評議会議長タッド・エルスマンは、秘書に応えると席を立ち、やがて目の前に現れる人物を待った。間をとらずシュッとドアが開き、ザフト隊長格の白服を身に纏った細身の青年が入室した。
「キラ・ヤマトくん」
「議長閣下」
初対面のふたりは握手で挨拶を交わし、タッドは来客用のソファをキラにすすめた。

こうして実際にキラを目の前にし、タッドはつくづく印象の違うことに驚いた。
かつてヤキン・ドゥーエ戦役でザフトを悩ませたストライク、そして今はフリーダムのパイロット。いつか映像で見たフリーダムの戦闘記録は驚くべき運動性能を映していた。生体工学の出身でそちらの技術には暗いタッドでも、その操縦には並の技量では追いつかないことが判る。
そのうえ彼は、正攻法とはいえない手段でこのプラントに取り引きを求めてくるという大胆な内面も持っている。仲立ちをしたラクス・クラインの話ではそれは、オーブ国民としての立場ではなくキラ個人としての申し出だという。オーブ軍准将という身分にあってそれが国内でどんな非難があることなのか想像に難くない。単純に若いが故の向こう見ずなのか、大戦を終結に向かわせた“英雄”のスケイルなのか、まだタッドには判断できない。
いずれにしろ、目の前にいる人物はどこから見てもその行動にそぐわない容貌と穏やかな声音を持っていて、それを微かに頼りなく感じている自分がいることに苦笑した。
───人は見かけによらないとは、本当にこのことではないか。
意味ありげな笑みをこぼしたタッドに、キラは「どうか?」と訊ねる。その小首を傾げるさまを見れば、誰もタッドを責めることはできまい。

素直に「意外に思えて」と自分についての感想を述べられ、キラは微笑した。すでにオーブ国内で聞き慣れた感想でもあったが、こうはっきりと告げてくる人は、そうはいない。
キラはラクスから「信頼に足るお方です」といわれ、アスランからは「議長はなにもかもご存知だ」といわれていた。タッドの息子であるディアッカからも、文官らしくないまっすぐな人だから、と教えられていた。
彼らのことばを信用し、タッドには事前に自分の目的を隠すことなく伝えている。それを容れ、かつ実行に必要な地位まで用意してくれた。過去の経緯から、議長といえど軍部に理由なき権限を振りかざすことは難しくなっている。それを通して準備したのは、その政治手腕も相当なものと想像ができた。

ふたりはしばらく会話し、時間を告げる秘書のコールで同時に立ちあがった。このあとはふたりともに広報局で会見をおこなうことになっている。
執務室をでるまえに、タッドは自分のデスクのうえに置いてあった小さなケースを手にした。
それはいつか、キラも一度だけ見たことがあるもの──特務隊、FAITHの徽章だった。
「わたしがつけてあげよう。これからテレビに映るのだから、曲がらないようにしないとね」
タッドの申し出に少し驚いたが、「お願いします」と頼んだ。この人物もなかなか見た目とは違いフランクな人のようだ。キラはこのときに初めて、この議長がディアッカの父親であることに得心がいった。


C.E.74 1 Oct

Scene ザフト本部・射撃訓練室

“なつかしい”ザフト本部ビルの中ほどにあるフロアのラウンジには、おもにザフト上層部の人間や彼らに招かれた外部の人間がうろついている。部屋の中央にある丸く太い柱はソファがぐるりと囲ってあり、さらにその上部には複数のテレビモニターが同じように囲ってある。
その場にいる大方の人間は、そこから放送されている会見に注目していて、オーブ軍服に身を包んだアスランがラウンジに入室しても気がつかない。それでも数人は「あっ」という顔をして彼の顔をまじまじと見つめてきたが、その誰もがアスラン自身が知らない人物だったのでそのまま素通りをした。
テレビにはザフト広報局の記者会見が放送されていて、そこには新議長のタッド・エルスマンとオーブから特務のため招聘されたキラ・ヤマトの姿が映っている。時間的なことを考えれば、それは録画された映像を再放送しているもののようだが、業務上などでリアルタイムな放送を逃した者も多いのか食い入るように見いっている人の数は多かった。
次の予定にはまだ時間がある。
たった今アスランが会見してきた相手、戦後新しく国防委員長に就任したアリー・カシムとは話が弾むことなく、予定の何分も繰り上げてその部屋を辞してきたところだった。
アスランは後ろにつき従う(見張られているともいう)人物を振り返り訊ねた。
「シン。この上のフロアにいってもいいか?」
いわれてシンは困ったように片眉をあげた。この上のフロアは関係者以外の入室はふつうに断られるエリアだ。とはいっても、軍の大事な情報端末があるわけでもなく、ザフト兵がふだん過ごしている休憩室や訓練室、食堂といったものがあるだけだ。ものめずらしさに、ザフト兵の随行で見学にいく部外者がないこともない。アスランはもちろんそれを知っていて、「久しぶりだから、ちょっと見たいだけだ」と他意のないこともシンに告げた。
「まぁあと三十分くらいですからね。暇つぶしのネタも思いつきませんし」
携帯端末で時間と予定を確認しながらシンがいった。

エリート集団のクルーゼ隊に配属されていたアスランたちは、入隊当初はこの本部に身を置き、自室も本部に隣接する宿舎にあった。パイロットの宿命ゆえにヘリオポリスの作戦からほぼもどれることはなくなり、馴染んでいたはずのフロアはただなつかしさだけが残っている。さらには見知った顔が数少なく、その間におきた二度の大戦で多くの命が散ったことを実感させられた。
「おれ、あんまり本部判んないんすよね。入隊からずっとアーモリーにいたし。最近はアプリリウスフォーだったし」
ことばを発しないアスランに気を遣っているのか、シンは後ろで勝手に話しはじめる。単に黙々と男ふたりで歩く沈黙が耐えられなかっただけかもしれない。
「…ああ、ラクスのところか…。このあとは?…ヤマト隊はどこが拠点になるんだ?」
「艦がまだできてないっすから。やっぱりアーモリーでしょうね」
アーモリーか、とアスランはため息を吐く。工廠が集中するアーモリーは、プラント本国のあるL5とは離れたL4に位置していた。あまり気軽に通える距離ではない。来月からアスランが身を置くことになるのは、アプリリウスなのだ。

ふと顔をあげた先の部屋のドアに、キラに随行していたルナマリアがぼうっと立っている。
「え、おいルナ。なにやってんだ、こんなとこで」
「あんたこそ、シン。…アスランも」
おれたちは暇つぶし、とシンが答えるとルナマリアは自分たちもそうだといって、彼女がたつ背後のドアを指した。そこは拳銃の射撃訓練室だ。
「隊長がちょっと遊びたいっていって。しょうがないから見張り。他の兵に見せるわけにもいかないでしょ」
「……ゲームセンターと勘違いしてないか?」
アスランは渋面をいっぱいにした。横ではやはりシンが呆れたように息を吐いている。ふたりにそのまま待機をいい置いてアスランは訓練室に入った。

個別にセパレートされた射台のひとつに、白い背中が見えた。重たい射撃音が間を置いて二発鳴り、轟音からくる耳鳴りを余韻にしながら静まる。ほぼ真後ろからそれを見ていたアスランは、動きを止めてしまったその背中にそっと近づいた。ザフトの白い制服では、その細い身体がより強調されて見える。後ろから抱きしめるように彼の背中を覆い、銃をかまえる腕に手を添えた。
「…肘がまがってる」
イヤーマフもつけずにいたキラの耳元で囁くと、その身体がびくりと震えた。
キラに銃の訓練をしろといったのはアスランだ。どこにいても危険のあるその身で、いつでも自分が守れるとは限らないからと思うところもあった。銃を持つことすら嫌がっていたキラだが、アスランの心配を知ると素直に従って訓練も真面目に受けた。もとからあるポテンシャルは高いため、キラはすぐに上達した。
今更ながらに、アスランはそれが哀しい、と思う。
「ひと月も、耐えられるかな…」
アスランの心に同調するかのようにキラがつぶやく。
「すぐに傍に、くるよ」
アスランがプラントにきてもその距離が縮まらない、とさきほど知ったばかりだったが、心からの約束をする。
「おまえの傍からは離れないと、決めてるんだ」
そのことばに、力の入っていたキラの肩と腕がふっと緩む。銃を持つ細めの両手を自身の双手で覆い、その冷たく重いものをキラから奪い取った。静かに台に置き、そのまま腕でキラを抱きすくめる。うなじや耳の後ろにくちづけを落としながら、新しい軍服の匂いに消されそうになるキラの匂いに縋りついて、アスランはいつまでもその腕を放すことができなかった。


C.E.74 1 Oct

Scene ターミナルホテル・レセプション会場

シャフトタワーにある軍御用達の豪奢なホテルでその歓迎レセプションは開催されていた。
当然ながら、キラにとってプラント内は知らない人間ばかりだ。アスランに会場内を引き摺り回され次から次へと人を紹介されたが、すでにその名前と顔は一致していない。何十人と挨拶を交わしたのか、これ以上は無理と覚える気力をなくした頃、キラの様子を察したアスランは今度はひとりでどこかにいってしまった。
さすがに神経が疲れ、ほっと一息ついていると、ずっと傍についていたルナマリアが話しかけてきた。
「…ほんとに“ささやか”で驚きました?」
「え? …あ、とんでもない!」
こんなに人が集まるイベントなのだとは知らなかったキラは、ここまで派手にしなくても、といたたまれない気分だった。
実は昨日の夜から嫌な予感だけはしていた。
「スピーチがある」とアスランに予告され、テキトーに挨拶すればいいんでしょといえば、そういうと思った、と眉間に皺をよせ準備してくれたらしい草稿を手渡された。その内容の堅苦しさに、キラはめまいがしていたのだった。
「デーベライナーの進宙式典はもっと派手になると思いますよ?」
瞳をくるくるとさせながらルナマリアが追い打ちをかけた。
“デーベライナー”とは、ヤマト隊の旗艦となる宇宙戦艦だ。隊長の到着を待ってまだ建造の途中にある。進宙は数ヶ月後のことになるが、その先のことを想像してキラはうんざりする。
「そんなぁ、まだやるの?! それもう、ちょっと、大袈裟にすぎないかな…!」
「なにいってるんだ、新造戦艦つきの指揮官なんだぞ。大袈裟なことなんだ」
すぐ背後から声がかかる。振り返れば、どこかへいったと思ったアスランが、にこやかな黒服をひとり連れて立っていた。
「やぁ、どうも。すいません、挨拶が遅れまして。…デーベライナー艦長を務めますアーサー・トラインであります」
キラは彼には見覚えがあった。昼にラクスと最高評議会ビルで会見したとき、彼女の後ろにイザークらとともにいた人物だ。慌ただしくしていて紹介がなかったが、あの場にこの人物がいた理由が判った。
「はじめまして、キラ・ヤマトです」
自分の艦のパートナーにキラは笑顔で手を差し出す。
「キラ。彼はミネルバで副官の任に就かれていた方だ」
アスランがそう紹介するとキラは少しばかり戸惑ったが、アーサーはそれを察したふうもなく「これからは協力してやっていきましょう」とキラに握手を返した。

うろうろとしていると壁際にひとりで佇んでいるアスランを見つけた。視線の先は固定されていて、そこにはアーサー・トラインと楽しそうに談笑しているキラ・ヤマトがいる。
───そんなふうに眺めてんなら自分もまざってくりゃいいのに。
自分には理解しにくいところでいろいろと遠慮がちなアスランの姿を見て、相変わらずだなとシンはつぶやいた。一応はゲストなので放っておくこともできずアスランに近づき声をかける。…というよりは、シンのほうが実は放っておかれていたので、その不満を彼にぶつけるために近づいていった。
シンはこの会場に入ってから、「ここでいちいちついてこなくていい」とアスランに押しとどめられ、つまり今日の役目をとりあげられて、会場の脇でずっと所在なくしていた。任務中なのでパーティに混ざりお酒を飲むわけにもいかず、帰ることもできず、その文句をそのままアスランにいうと、「すまない」といってシンの飲み物をオーダーした。あっさりとアルコールを手渡され、任務中だからと辞退すれば、隊長の許可があればいいんだろと返される。
「…あのね。…隊長はあっちです」
「ああ、知ってる。キラなら許可するから、気にするな」
───どういうんかな…もう。
新しい上官と元上官はツーカーの仲だとはすでに本人の口から聞いている。とりあえずそれを信用して、シンはもらったジンをあおった。正直のどが渇いていた。

アスランはシンが傍にきてもはばからずキラのほうをじっと見つめていた。その顔をこっそりと覗き見れば、何かを考えているようでもありまったく何も考えていないようでもある。キラばかり見ているのも、他に視線を移すのがめんどくさいからといいだしそうな雰囲気があった。あまり社交的な人間ではないことは、シンは彼の配下にいたときに見知っている。
「あんたはプラントにもどらないんですか」
ふたりで黙ってるのもなんだから、とシンは相変わらずの失礼と丁寧をごっちゃにしたことばでアスランに話しかけた。
咄嗟に出たこのことばの裏には、わずかにもどって欲しいという気持ちが混じっているのかもしれない。
シンのアスランに対する気持ちはいまだに複雑なものがあった。だが、嫌いというわけではない。先の戦争中、あれほど困らせ悩ませ、しかも彼が乗る機体を墜としさえしたのに、匙を投げることなくいまだに自分を気にかけてくれている。同じ隊にあったときには、それまでに見てきた上官や先輩と違い、自身の戦歴に奢る態度もなく、自分の力を認めて作戦を任せてくれたりもした。嫌う理由など、どこにもなかった。
自分で告げた質問に逡巡している間に、その彼は一度シンに視線を落とし、またすぐにもどした。
「……もどれると思うのか?」
目を逸らされたまま、逆に問われる。さすがにそれはないだろうなと思いつつも、アスランは以前そうして復隊した経緯がある。必要とされる力を持つ者は、無理をして腕を引かれるものだ。
だが、以前と違って彼がオーブで無為に過ごしているわけではないことをシンは知っている。それなりの地位にあり、戦後ずっとプラント、オーブ間の条約、同盟締結に奔走していたことも聞いている。アスランがいるべき立場ですべきことをしているのであれば、気軽にいえる話ではなかったとシンは反省する。
ところが、思いもしないことをアスランが続けて発した。
「来月からこっちにくるけどな」
「───は?」
意味を掴みかねたその反応に、なんだ知らなかったのか、とアスランが振り返る。
「オーブの軍人外交官ということで、常駐なんだ」
「───え?!」
「だから、ザフトにもちょくちょくいくかもな」
「──────」
シンはことばをなくした。


C.E.74 7 Oct

Scene アーモリー基地・開発工廠第五格納庫

アーモリー市は、本国から遠く離れたL4宙域にあるプラントの新しいコロニー群だ。その名が示す通り造兵廠という役割を中心としており、コロニーの周辺には巡洋艦規模の新造や改修をおこなうスペースドックが多数浮かんでいて、L5宙域とは異なった景観を作っている。
キラ・ヤマトとその隊に属する者たちは、このアーモリー市第一区にあるアーモリー基地が当面の拠点となった。その理由は、隊の旗艦となるデーベライナーと配備機体であるモビルスーツがここで建造中だからだ。L5から移動してきたばかりのヤマト隊は、昨日一日のオフを挟んだだけで今日から早速開発プロジェクトに参戦する。
キラ・ヤマト隊長を始めとするパイロットチームは、ひとまずモビルスーツの開発状況を把握するために最新鋭機のある第五格納庫へ視察にきていた。今、ルナマリアの目前でメンテナンスベッドに横たわるのは、プロトエボリューションシリーズと総称される新開発の機体、その第一号機だ。オペレーションシステムはプラントとオーブの共同開発となっていて、以前からキラが関わっていたらしいことは聞いている。

その新しい機体の搭乗者となるシンは、つい今しがた新しい隊長から機体名が決まったからと声をかけられていた。シンは心の底では最新鋭の自機を与えられ嬉しいに違いないのに、どこかふてくされたような態度でキラに相対している。その様子をこっそりと端から見ていたルナマリアはひとりではらはらとしていた。
「“バッシュ”だってさ。乱暴な感じがきみに似合うよね」
シンの不遜な態度をまったく意に介さないどころか、キラはそんなことをいってからからと笑う。いわれた彼はあからさまにむっとした顔をして、礼もなくその場を去っていった。その背中にキラが「シーンー? 怒ったのー?」などと笑ったまま声をかけている。
「……さきが思いやられるわ…」
ついこぼれたルナマリアの独語を、すぐ隣にいたリンナ・セラ・イヤサカが聞きとめた。
「なんだか変わった隊なんだね、ここ」
女性にしては少しぞんざいな口調だが、鈴が鳴るようなさわやかでかわいらしい響きがある声だ。彼女は今日この日にパイロットとしてヤマト隊に着任したばかりだった。
ルナマリアとしてはまだまだ日常の範囲だが、さっそく“変わった”光景を見ることになって慣れない彼女には不憫に思う。
「聞いてるかもしれないけど。あいつ問題児だから」
「エース級の腕を持つパイロットなんて、クセが強いに決まってる」
リンナは落ちついた雰囲気の微笑みで返してきた。
「…そのとおりみたいね。隊長もああだし」
ため息ながらにつぶやいたルナマリアに「そうそう」と笑いながら相槌する姿は、下手をすればその隊長より大人びて見えた。実際、年齢はキラと同じだかひとつくらい上だと聞いている。さらにキラ、シンと同じくオーブの出身、元はモルゲンレーテの技術者という経歴で、プラントに帰化してからも当初は統合開発局に従事していたということだ。そのせいか、あまりパイロットらしくない空気を彼女は纏っていた。

個性ある者が揃っている点も理解はするが、この隊にはさまざまに“特別の”事情があるらしいことは、ルナマリアはなんとなく気がついている。
とりたててなんの説明も受けてはおらず、通常の異動と同じ手順で所属が決まったが、ミネルバの元搭乗員が多いこともただの偶然ではないだろうし、リンナがこの隊にきたのも「キラが要望した」からだということを耳にしていた。友軍から出向してきたばかりの新米隊長が、何故最新鋭の機体や艦の運営を任され、人員配置のわがまままで通るのか、それだけで自分が今いるのは謎に包まれた場所といえる。
さらに、彼はモビルスーツの操縦スキルも然ることながら、実はウィザード級の技術スキルも持っているらしいとの噂がすでにある。どのような事情でプラントへきたものか、ルナマリアには計り知れない話だが、よくオーブがそれを受け入れたものだと思う。
この隊自体のことはともかくとして、いちばん怪しい存在はこのキラ・ヤマトといえた。
若い女の子…いや、ルナマリアにとって、隠された事情というものは必要以上に興味をそそられる。

シンにそっぽを向かれたキラは、今度はルナマリアとリンナのところへ近寄ってきた。ふたりで敬礼してそれを迎える。
「なんか、嫌われたみたい」
「…あ、あの、シンは目上の人間には誰にでもああいうやつなので。お気になさらずに。必要なら殴っていいです」
「うん。必要なら、ね」
それはないと思うけどね、とキラは柔らかい笑みをのせながら困ったように首を少し傾げた。人好きのする微笑みと少しばかり舌足らずで穏やかな口調は、かつて戦場で見たあのフリーダムの操縦者とはとても思えない。
くわえて、隊長格の人間からこんなふうに微笑みで話しかけられることはめったにない。戦後を過ごしたいくつかの隊は、戦中と変わらずいつも緊張感があったものだ。休戦に入ったとはいえ、家族や親しい人を亡くした者が心を癒すほどの月日ではなかったし、戦後処理の鎮圧作戦などで負傷する者、命を落とす者もいるのだ。今だけのことでもなく、軍とはそういうもので、命のやり取りのごく近い場所にいる。
そんな場所でキラが異色に見えるのは、はたして彼に人を殺したいと思うほどの怒りを持ち得るのだろうかという印象だ。

───「射撃の訓練室? …ちょっと試してもいい?」

そのときだけ目が笑っていなかったな、と思い出す。声音は、その内容に反してあくまで穏やかなものだったけれど。
「明日からぼくらはソトに詰めることが多くなるから。合間に模擬戦闘訓練もやるから覚悟しといてね」
二藍の瞳を煌めかせ、意味ありげにキラがにっこりと笑う。模擬戦など、モビルスーツパイロットは通常の訓練規定で恒常的におこなわれていることだ。それをあえて「覚悟して」とつけ加えるのは何故だろう、とルナマリアは訝しむ。
「マンツーマンで指導するつもりだから」
その答えをそういい残し、キラはふたりの傍から離れていった。今度はバッシュの開発担当主任の元へいき、何やら話している。
「“フリーダム”と模擬戦ね…確かに覚悟だね」
まさかストライクフリーダムを模擬戦闘に持ち出しはすまい。リンナがつぶやいた“フリーダム”とは、キラ自身を指している。プラント内では(おそらく他国でも)その勇名を馳せた機体を操ったパイロットの名は、いまだに記録されないままとなっている。近くにいて事情を知る者や関わった者らは、オーブからきたこの新しい隊長がそうであることを知っているが、ザフト全体でというとほんの数パーセントの人数だろう。来年1月の進宙式でデーベライナーの配備が発表されるが、そこに含まれるであろうストライクフリーダムの名を見て驚愕する者は多いのではないかと思う。
「ちょうどいいわ。わたし、いまだに隊長が…モビルスーツを操縦するってことも、あんまりぴんときてなくて」
ルナマリアが素直に感想をもらすと、一瞬目を見開いたリンナは、そのあと同意を示すような頷きを交えながら笑っていた。


C.E.74 17 Oct

Scene アーモリー基地・barアイラ

こじんまりとしたショットバーの一角に、白服と赤服のザフト兵が向かいあって座っている。基地内にあるこの店であれば、それは特別変わった光景ではない。ならぶふたりの年齢がともに十代であったとしても、プラントでは成人年齢を過ぎているし、飲酒を禁じられているわけでもない。それでも何か違和感を感じるとすれば、ただひとえに、自分の目前に座る白服──キラが、その印象においていわゆる“白服”には見えないところだ。
「えーっと、シン」
「………はい」
数日前に着任してから、この隊長はいつも忙しい。
それなりに個人的な会話をする機会はあったが、あまりに飄々として掴みどころがなく、はっきりと人物を認識するにはまだ時間がかかりそうだった。今日は突然ひとり呼び出され、そのままこのバーまで拉致されて、気まずいツーショットでどうしようとぽつり考えたところで「えーっと」、だ。
たとえばハイネ・ヴェステンフルスもそうとうくだけた上官だったが、もっと何かしらこう、頼りになるものは感じていた。しかし、この目の前の頼りなさはいったい何なのだろうと思う。
「きみの資料データやっと見終わってさ」
「はぁ…」
キラはグラスを持つ片手とは反対の手にある携帯端末を持ちあげる。次には、きみの戦歴はすごいね、といった。だが、おだてるために誘ったわけでもあるまい。
「きみ、強いの?」
「……はぁ?!」
パイロットとしての腕のことをいわれているのかと思い一瞬むっとしたものの、どうやら話が飛んで酒のことをいっていると察した。シンはしょっぱなからスピリッツをロックで注文していたが、キラの視線はそのグラスに落ちていた。
シンはじろりとキラを見て「ふつうです」と返事する。実際はかなりイケる口だ。キラは「そうなの、ぼくは強いよ」といった。キラの手元にあるグラスの中身もシンと同じものだ。シンはならば、と心の中でこっそりゴングを鳴らす。この数日、キラに対してはいろいろなことで密かに勝負を挑んでいて、実をいえば戦闘シミュレーションや拳銃操法などの訓練規定にあるメニューの成績は今のところ惜敗続きだった。もはや何の勝負でもかまわない。今のこの悔しさを解消できるのであれば。
「実はさ、きみと一度アスランの話をしたかったんだよね」
「はァ?…アスラン…?」
突然はじまった今日の用件らしき話題にシンは肩すかしをくらった。
自分の態度に注意のようなものがあるか、それとも単純に打ち解けようとどうでもいい話を繋ぐつもりなのか、などとそれなりに心の中で構えていることはあったが、思いもしなかった人物の名がでたことで緊張が一気に解ける。
「どう思ってるのかなーと思って」
「………………」
キラの質問に、シンに正直に答えるいわれはない。しかし、拒否することばも発することなく、その質問の意図を探って黙り込んだ。シンにはちょっとした既視感があったのだ。


歓迎レセプションのあと、個人的な頼みごとがある、とアスランからホテルの個室に呼び出された。
「…おまえにしか、頼めない」
突然そんなことをいわれれば、このアスラン・ザラから個人的に頼られたという優越感がわきおこる。しかし、その内容を聞いてシンは少しばかり頭を抱えることになった。
「キラを護って欲しい」
「え?」
レセプションまで見ていたはずの柔らかな雰囲気は、幻のようにアスランから掻き消えていた。微かに殺気立ったような瞳の色も感じて、シンは一瞬だけ背筋を凍らせる。
「……事情があって、ヤマト隊はミネルバの元クルーも多い。…判ってるだろうが、キラにそれなりの感情を向けているやつもいる。もちろん、グラディス隊以外でもそうだろう。あいつはずっと、ザフトの敵だった…キラがフリーダムのパイロットだと公表されれば、なおさら……」
キラとアスランが互いに乗り越えたという憎しみの連鎖を、誰もが断ち切れるはずもない。シンでさえ、頭のうえで整理はついたものの感情の燻りはいくつか残している。それは人間としてのキラと向きあうことで、いつか折りあいがつくものと思ってはいるが。
「…全員、入隊まえに心理テストは受けてるでしょ。おれだって辞令がでるまえにチェックがありましたよ。そういうの、クリアしてるからヤマト隊に配属されてるんじゃないんすか」
「事情があるといっただろ。心理チェックより優先される事項にひっかかれば、キラは自分に殺意のある人間だろうと隊に引き込む。もちろんちゃんと自分自身で警戒するだろうし、オーブのSPもつく。……だが、それだけでは足りない」
「………なんですか、事情って」
「……おれはそれを明かせる立場じゃない」
シンとしてはまずその事情のほうが気になったが、アスランはそれは今どうでもいいことだといいたげに、おまえには遠からずキラから知らされるだろうから、とつけ加えた。
「つきっきりになれというんじゃない。ただ、あいつをよく思わないやつがいて、いつそれを殺意に変えるか判らない者が軍内にいるということを頭に入れていて欲しいだけだ。…そして、それを見て見ぬふりをしないで欲しいと」


「なんでそんなこと、聞きたいんです?」
長い沈黙のあと、シンはキラにそう聞き返していた。
返答ではない逆質問にキラは不快を示すことなく考えるような仕草をして、わずかにいたずらっ気のある微笑になった。
「きみがアスランの敵かそうじゃないか、知りたいからだよ」
こうして訊いてくるのはそうではないことを知っている、という証拠だ。
「今は友軍ですから」
キラに合わせ、わざととぼけて返事をする。
「そうじゃなくて。もうアスランに心配かけないで欲しいんだ」
「───は?」
まだキラの真意が判らず、シンは彼の顔を見る。いくぶん、さきほどより真面目な色を認めた。
「心配なんて、かけてるつもりありませんよ。それでもしてるっていうんなら、あっちが勝手にしてることだ。おれにどうしようもないでしょ」
「そうだね。だから嫌なんだけど」
───“嫌”といった。そして思い当たることでもあるように、本当に嫌そうに視線を落とした。まさか、先日のシンとアスランの密約を知っているわけではあるまいが。あるいは、アスランは身近な誰にでもそうした杞憂をふりまいて、苦労性よろしく心配する癖があるとでもいうのだろうか。
「…だから、アスランのまえでは多少気を遣ってもらえたらいいなって。彼のことが少しでも好きなら」
「そんな…何をどう気ィ遣えってんです」
「……そうだよね…さしあたっては、ぼくとうまくやってるふりとか…かな。あ、もちろんきみが本当にぼくとうまくやってくれる気があるんなら、話はべつだけど」
ずけずけとつけ加えるキラへの苛つきを抑えつつ、シンは先日のアスランや目の前のキラに共通して感じる違和はなんだろうと考えた。アスランは真剣そのものだった。キラは多少くだけた雰囲気を出すふりをしながらも、その瞳は真剣味を帯びている。話の重さに差異はあるものの、まずは互いに相手を守ろうとするなど、そこに相当な執着があるとシンには見える。
「……なんなんすか、あんたたち」
シンの問いかけに、キラがびっくり眼で見返した。
「気にかけすぎてんじゃないですか。それこそそんなの余計な心配でしょ、あなたは」
───いわゆるふたりの間柄は「戦友」というものなのだろう、と思う。委細など聞いてはいないが、敵同士、仇同士から、共通した希いのために手を取りあうことになったのだと。それは間違ってはいないが、シンの知識からはふたりが兄弟のように育った幼馴染みでもあるということはすっぽりと抜けている。
「余計でもないかな。権利みたいなもので」
キラは微笑んで、そういった。それがどこか憂いのある表情だったことをシンはしっかりと気がついた。

「──まぁここまでは個人的な話として。それできみの話なんだけどね」
キラはアードベッグをオーダーし、そのタイミングで話題を変えるようだ。というよりも、いちばん最初の言の続きがここへくるのか、とシンは呆れた。
キラは携帯端末をふたたび取り出し、ひっどいねーこれ、と笑いながら「資料」というものに綴られているらしいシンの過去の軍規違反をあげつらった。「よく銃殺刑にならなかったね」とも感心された。
我ながらひどいのは知っている。そしてそれらが許されたのは、ひとえにデュランダルが自分の力を利用するための打算があったからで、今後同じことは許されないことも今ではちゃんと知っている。
「判ってますよ、自分のやったことくらいは。もうやりません。せいぜいあなたの迷惑にならないように気をつけます」
あえていわれずとも、もうそんな無茶をする気などシンにはない。だが、おこなったことを後悔していないことも本音としてはあった。あのときの自分は、人として正直になっていた。それだけのことだ。
「──ああうん。気をつけては欲しいんだけどね。べつにやってもいいよ」
シンの厭味なものいいを受け流して、けろりとキラがいう。いわれたことの意味を図りかねてシンは眉間に皺をよせ、目の前の上官をまじまじと見つめた。キラもその先で、シンをじっと見つめている。
「そのかわり、勝手にはしないで。軍規違反なんてもので、きみを失うようなことはぼくは嫌だから」
「──────」
シンはことばを失って、頼りなく見えていた隊長をあらためてもう一度見る。
「規律や…きみではない誰か、きみより上の立場の者が、いつでもぜったいに正しいなんてことはありえないでしょ。きみが疑問に感じて、それは間違っているとはっきりいうことができるのなら、ぼくはそのことばを聞く。その間違いをいう者がぼくであっても同じ。…先走るまえに、あたりまえのことして欲しいだけ」
キラの意図を知って、シンは「大丈夫か、こいつ」などと思う。軍の規律や正義に異を唱えていい、とこの上官はいうのか。確かに、何度もそうした覚えのあるシンだが、隊を指揮する立場の人間からそんな発言を聞くなど、前代未聞だと思った。
兵は軍の駒であり、そこに人格も意思もない。駒が指示どおりの動きをしなければ、大局を見て指揮をする隊長の作戦は当然その通りに進行しない。そしてそれは大勢の命にかかわってくる。彼がいう「あたりまえのこと」は、そんな死線から離れた、いわゆる一般市民の感覚ではないのか。軍人には成り立たない思考のはずだ。
呆れるを通り越した表情を隠さずにいるシンに、判っている、といいたげにキラは首をふった。
「考えることもしない戦う人形なんて、ぼくはごめんだよ」
───危うい、と思った。この隊長は危険だ、と。
アスランが必死の様相でシンにまで頭を下げてくる気持ちが、今判った。なんでザフトはこんなやつに隊を持たせるんだ、と思う。シンはすっかり戸惑って、グラスに視線を落とし黙り込んでいた。

「まぁ、いいや。とりあえず、全部ここだけの話ってことで。べつにこんな話、するつもりなかったんだけどね。…ほら、隊長がこんなこといったら士気に関わるでしょ」
自分でいうのか!、とシンはがばりと頭をあげてキラを凝視した。
「アスランからきみのこと、気にかけてくれっていわれてたし。いろいろあったから、きみには取り繕ってもしょうがないんじゃないかなって」
───アスランが…?…いやいや、そうではなく。
やはりアスランは他人の心配をするのが好きなマゾヒストとして、つまりはキラは──キラも、いずれ自分たちの関係がただの上官と部下ではないものへ落ちつくという予感があるのだろう。シンにはまだ、その覚悟はないのだが、彼の中で選ぶべき候補の筆頭にキラを置いてやってもいいとは思い始めている。ひとえに、見せられたキラの危うさのせいといえたが、そう思ってしまうこともキラの手のうちなのではないかと訝しんだ。
「すすんでないんじゃないの、シン?」
キラからふいに、声色まで変えてそういわれ、シンははっとする。さきほどからふたりで数杯重ねていたが、キラのことが気になりそちらの手がずっと止まっていた。
シンは気持ちを立て直そうと、グラスに半分は残っていたボウモアを一気にあおった。
「まさか遠慮してないよね。それとももう限界?」
挑むようないわれ方にむっとしながら答える。
「んなわけないでしょ。余裕っすよ」
「じゃあ勝負しようか!」
満面の笑顔は自信満々の証に違いない。シンはめらめらとして、その勝負を真っ向から受けた。そもそも、シンは端からその気だった。

───その数時間後。

「…………やられた……!」
勝ったと喜んだのも束の間、酔いつぶれてまったく動かなくなってしまった上官を見おろし、シンは呆然とした。
───これ、おれ…連れて帰らなきゃならねーの…? ここの払いは?
縋るような目でバーテンダーをちらりと見るが、知らんといった顔で視線を外される。
───泣きたい…。
ぐでぐでのキラを引き摺りながらホテルまで送るはめになってしまった。この勝利は、とてもじゃないが勝った気にはなれなかった。


C.E.74 29 Oct

Scene オーブ軍本部・統合開発局応接室

“SEED”──人類の可能性を研究する国際組織、SEED研究開発機構の設立に各所が動き出したきっかけはキラだった。
まずはマルキオとラクス、さらにはカガリを巻き込み、かつて学会でSEEDを提唱した学者を焚きつけ、幸か不幸かその学者が旧ユーラシア連邦からオーブに亡命していたことが理由で、オーブが中心となって国際協力を各国に取り次ぐ流れとなった。果ては、キラ自身を最良の研究材料として提供し、それを餌にプラントまで巻き込んだ。アスランの気がつかぬ間にそれだけのことをすすめ、終いに彼を怒らせたのはほんの三ヶ月前。
結局、折れるのはいつもアスランのほうだった。今回はかなり頑張って怒ったつもりだけれども、キラに関しては仕方がないと思ってしまうので、やはり仕方なく折れたのだ。

今、アスランの目の前にはマルキオとキサカがいて、明日のプラント出発をまえにむこうとの設立調整についての摺り合わせがおこなわれている。何故この忙しいときに無関係だったはずの自分がここにと思うが、いつのまにか自分が窓口担当官かのようになっていて、聞けばキラが「あとはアスランに」とことごとく伝言していったとのことだ。
「あいつめ……」
ノリ気がないからこそ知るべきとの思惑もあることは判るが、実際には嫌々ながらも真面目にそつなくこなしてしまう自身の便利さを見込まれただけのことだろうと思う。どうせ幼少の昔から、アスランはキラの宿題後始末係だ。
「何かいったかね?」
「…あ、いえ。…それではわたしはプラントへ移動後、むこうの担当官との調整役をすればいいんですね」
こっそりとキラに毒突いたつぶやきをキサカに聞かれ、アスランは取り繕うように話をすすめた。その脇にいるマルキオには心の裡まで見抜かれてしまったようで、微かに笑みを浮かべているのが視界にはいった。
「軍が介入するというだけで機構への批判があるだろうが、実際問題としてオーブ軍とザフトが協力しないことには研究がすすまないようだからな」
「適切な情報公開と、わたしがリードしているというスタンスをアピールすることで、ある程度は抑えられるでしょう。プラントではラクスさまが同様の立場で振る舞ってくださるといっています」
アスランから見れば、マルキオはどう考えても勝手に大役を押しつけられたクチだと思っていた。存外に積極的ではいるようなので多少は気兼ねもないが、キラの行動ひとつが周りをおおいに巻き込むことは──ここまで派手になったのは初めてのことだが、今に始まったことでもない。

───ふだんは埋没してたけど、何か大騒ぎがあるといつのまにかその中心にいたりとか、よくあったわね。…本人は自覚してなかったけど。

以前ミリアリアから聞いた、工業カレッジ時代のキラ。相変わらずなんだとほっとしたものやら、呆れたやらで、喜んでいいのか嘆いていいのか判らなかった。その話を聞いたのはキラが自身の出生を知ってふさぎきっている頃だったので、それをとりもどせるのかとアスランは不安も抱えていたのだが。
思えばつらい時期だった。逆にいえば、今はしあわせなのだといいきってもいいのだろう。だが。

───早く、傍にいきたい。

目を離していられない。これだけ周囲から注目を集め、影響力もあり、命を狙う者の可能性まである。それだけにはらはらとして常に落ちつかない。
アスランの本心は、冗談を抜きにしてキラを大事に箱に仕舞っておきたいくらいなのだ。三年のあいだ音信不通だった時期もあったというのに、ここ一年はすっかり中毒に近い症状だ。キラがプラントへ発ってから、時間が合えば通信で会話をすることもあるが、それは手が届く距離にいないと思い知るだけのことでただ気が逸る。プラントへの出発はもう明日のことなのだが、たとえ一日でも「先に行っていいですか」といい出しかねない自分を抑えるのに彼は必死だった。

「アスラン、いるかい」
その呼びかけにはっとして、大事な話のあいだすっかり上の空だったことに気がつき少しばかりあせる。
応接室のドアが開いて、そこにムウが顔を出した。「ああ、いたいた」と陽気な声が近づいてくる。担当領域が違うとはいえムウとは同じ部署で、立場的にはアスランが上官だ。本人も気にしていないが、ムウもまったく気にすることなくアスランを階級で呼称しない。
「どうかしましたか、フラガ一佐」
むしろこちらのほうが部下のような態度だが、それは判りやすく性格の違いを表していた。
「明日からのスケジュールが出たかと思って。おれ、なんにも準備できてなくてさ。予定受け取ったら今日帰っていいか?」
おれの許可なんていりませんよ、と笑いながらアスランはポケットの端末を取り出す。ムウの携帯端末に予定を送り、ついでに要領よく提出済みになっていたムウの予定に承認を返した。
「サンキュウ。……そういえばさっきキラがな、」
「え?」
たった今考えていたところでつい鋭く反応が返ってしまう。ムウは気にすることなく話を続けた。
「ああ、まぁ、仕事の話してたんだが。通信切る間際におまえさんが近くにいないかってさ。“今日中”にはもう連絡できないからっていって。いないっていったら、じゃあいいって切ったけどな。なんだか話があるみたいだったぜ」
アスランに思いあたるものは、ある。その場に居合わせなかったのは残念に思うが、おそらくキラはそのすぐあとにでも、自宅のほうへメールをくれているだろう、と予想した。
「…ありがとうございます。連絡してみます」
少し微笑んで礼をいうと、それじゃお先に、と適当な敬礼をしてムウは部屋を出ていった。
「それではわたしも引きあげましょう。アスラン、むこうでは頼みます」
マルキオが立ち上がり、傍にいたキサカがすぐに手を貸した。そのまま自分が送るから、という合図を無言でアスランに送り、アスランもよろしくお願いします、と目礼で返した。
ぽつりと残された応接室でひとりため息を吐く。
実をいえば、アスランも出発の準備に手をつけていなかった。もとより忙しいあいだの“仮住まい”としている官舎を引き上げ、そのままをプラントに送るだけのことだ。軍指定の業者に頼めば半日もかからず手配をしてくれる。それでもいくらか荷をまとめることは必要だろうと、アスランも今日は早々に帰ることにする。
それに、キラからのメールを早く確認したかった。

その後、自分の執務室にもどってみると仕事が増えていて、なんだかんだと結局帰宅は深夜になった。
官舎の自室へもどると、予測どおりにメールの着信を知らせるランプが点いている。コンソールから送信者を確認しキラであることを認めると、鞄を置く手より先に部屋の端末を起動した。


誕生日おめでとう、アスラン。
声が聞けなくて残念だけど、今日はこのことばだけを贈るね。
プラントにきたら、きみの好きなものをいくらでもプレゼントするよ。

だから早くきて。

キラ


日付を越えるぎりぎりで見ることができたメッセージに、アスランから微笑みと独語がこぼれる。
「…気持ちは同じだな……」
「早く」といわれてもこればかりは決まった日程で移動することしかできない。もちろんキラもそんなことは承知したうえでのおねだりだ。
アスランは幼少時にも不可能なお願いをいくつもキラからいわれたことを思い出していた。もっとも、その頃のキラには、自分がそうねだればアスランなら叶えてくれるからと信じていた節がある。アスランもできるだけそれを叶えようと、実際無茶をしたこともあった。
その後、互いに遠慮しあう距離ができた時期なども経て今に至る。久しぶりの無茶なお願いは、ただアスランに愛しさを募らせることしかしなかった。

上着を脱ぎながら壁にある時計を見た。プラントの時間である宇宙標準時──つまり、協定世界時とオーブは十一時間の時差がある。むこうはまだ忙しく立ち働いている頃だろう。
キラがそれをいつ確認するとも知れないが、アスランは『声が聞きたい。起きて待ってる』とメールを返した。