C.E.74 Aug シード


C.E.74 4 Aug

Scene オーブ軍本部・正門広場遊歩道

レドニル・キサカは、オーブ軍本部のヘリポートから戦略開発局へ向かっているところだった。聞けば今日、アスラン・ザラはヤラファス島での予定がないとのことなので、自分から出向くことにしたのだ。
その途中、本部棟へ向かう交差した通路に、これから会いにいこうという当人が立っている。
「こちらへこられると聞いたので」
キサカに気がつくとアスランは敬礼していった。いまや自分より官位がうえであるにも関わらず、この青年は相変わらず折り目正しい。
「こちらは人の出入りがちょっと多くて。…落ちつかないですから」
別の場所へいこうということだろう。キサカはそれでは、と屋外へ誘った。
軍施設の正面入口から一般見学展示棟の裏手に、芝生をぐるりと囲んだ遊歩道がある。ここは視界も広く見学会のない今日などは人目もほとんどない。遊歩道に点在しているベンチのひとつにキサカとアスランは座った。

キサカが所属する特殊空挺部隊は、その名が示す空挺作戦や潜入工作ばかりをおこなう部署ではない。情報収集、ときには情報操作など、国内外の情報戦が主要な任務だ。そして先日、東ユーラシア連邦での諜報任務からもどったばかりであった。
ユーラシア連邦は地球連合軍を構成するひとつの国家だったが、同盟国の大西洋連邦に反発する勢力が大きくなり、先の大戦後には西側が独立する形で分かれてそれぞれが国となっていた。東側は現在も地球連合軍に名を連ね分離まえの組織色を濃く残しており旧軍部データも残している。キサカはマルキオを通してジャンク屋ギルドから仕入れた情報を確かめるため、三年前の出来事についての諜報活動をおこなってきた。
「実は、ヒビキ博士…キラの実父だね。彼のコーディネイター開発でキラ以外に生き残っている者がいるという情報があった」
端正な眉をわずかに歪め、アスランはキサカを見た。彼は、今キサカも思い出しているのと同じように、三年前にメンデルで見た大量の人工子宮カプセルがならぶ開発施設を思い浮かべているのだろう。その開発実験では、数々の“失敗という結果”があったという。
「かなり悲惨なことでね。能力としてはかなりのものらしいが、予測データの数値が得られなかったという理由で彼は失敗とされた。“処分”は免れたが、旧ユーラシア連邦の軍部に拾われて、特殊能力を持つコーディネイター開発の実験体として使われていたという話だ」
───おぞましい。
アスランは嫌悪感から組み合わせていた両手に力を籠めた。
自分たちコーディネイターが誕生する影で、そのようなことが幾度も繰り返されてきたに違いない。キラのような「最高のコーディネイター」とする開発実験はその極みだ。難易度の高い開発ほど、“失敗”は数多く生まれる。
締めつけられるような胸の痛みを感じて瞼を閉じ、顔を俯かせる。当時、その事実を知ったキラが打ち拉がれた思いをあらためて感じていた。自分の足下に踏まれた者たちの影を、彼がどれほどに辛く思っていたことか──。
キサカは苦しむアスランの様子に気がつきながらも話を進めた。伝えることの核心はここではない。
「その人物は成長してからモビルスーツパイロットとして特務に就いていたそうだが、その後離反してね。作戦中に関わりがあったことで、マルキオ様のもとを何度か訪ねたこともあったそうだ。ちょうどきみらがいた頃だが…」
会ったことがあるかもしれないね、とキサカはいった。確かに、アスランたちが“祈りの庭”に滞在していたあいだ、マルキオを訪れる客は何人もいたのだった。その中のひとりに、その彼もいたのかもしれない。
「彼の話によれば、離反する直前にキラ・ヤマトを捕獲する作戦を任ぜられていたそうだ。───つまり“最高のコーディネイターと目される人物”を……ということだが…」
「───!」
アスランは衝撃に目を見開かせてキサカを見た。キラの出生の秘密がとうに旧ユーラシア連邦に露見していた。延いては、その先にあったブルーコスモスに。しかもそれを利用しようという動きがあったというのか。
「その特務の中心人物はジェラード・ガルシアという将校で、あのアルテミスの元司令官だ。…今回の調べでは、彼は個人的にエヴァグリンと繋がっていることが判った」

───“エヴァグリン”とは、今もっとも世界に名を広めているブルーコスモスの新興組織の名称だ。
今年に入ってからマスメディアを通じ、その発言と露出の幅を広げている。これまでの表立った活動にはテロ要素は一切なく、「平和的な対話による解決を主眼とする」コーディネイター“排斥”運動を展開している。ロゴスという強大なバックボーンはなくなったが、資金調達と情報操作のノウハウがわたっているという噂があり、そのために短期間で大きな組織へと成長したといわれている。各所に分散したロゴス関係者がそのまま幹部として極秘裏に在籍し、活動資金と人を集めているとの情報もあった。
メディアにでてくる表側の正規構成メンバーはひととおり過去を洗っているが、おおむね問題は見つかっていない。彼らにとってコーディネイターがいなくならない限り望む「解決」はないから、永遠に対話が続くニュアンスは否めないが、発言に過激なところはないし、実際に彼らは無害なのだろう。
……だが、彼らは“ブルーコスモス”であり、コーディネイター排斥を望む集団なのだ。
メディアに乗る広告塔としての彼ら以外の者らの正体など、想像に難くない。プラントとオーブの条約内容が明かされるようになってから、オーブ国内で集中して発生するようになったブルーコスモスの抗議、テロ活動。それらはオーブに住む個人や草の根によるものとされているが、それを指示する組織だった影は微かに感じられていた。
いずれもテロとエヴァグリンを結ぶ確定的な事実はなく、別の組織やいわれている通りの個人の犯行を疑うべきかもしれなかった。だが急成長し、さらに拡大しつつある組織をそのまま見過ごすこともできず、オーブ軍の情報局は水面下での諜報活動を進めているのだ。

───キラの出生の秘密は、もう秘密ではない。

ブルーコスモスの最大組織は確実にその存在を知っている。
アスランは何かのカウントダウンの存在を今知ったような気持ちだった。もとから沈鬱だった表情にさらに影を落とし、ことばを発する気力もなくなった。膝のうえで組まれた両の手が震えている。
黙して身動きもできなくなったアスランを見つめながら、キサカは彼の心の裡を想像して湧きあがる悲しみを表情に滲ませる。
何者かに望まれて誕生した彼らコーディネイターは、だが、彼ら自身が望んでそう生まれたのではなかった。ましてやそのために犠牲になった者がおり、また彼らを利用したがる者もいるということが、“宿命”というひとことで片づけるには大きく重すぎるとキサカは思った。とくに若い彼らには。
キサカはそれから長いあいだ沈黙し、アスランが落ちつくのを待った。

展示棟のホールから飲み物を手にアスランがもどると、キサカは礼をいって差し出された飲料缶を受け取った。
突然立ち上がって、「飲み物を持ってきます」というアスランをそのままいかせたが、今もどってくるまでのあいだに心を落ちつけることができたようだった。
もちろん、彼のその表情に晴れたところなどどこにもないが、キサカはもうひとつの話題を向けるタイミングだと思った。
「……ところでキラのこと、聞いたそうだね。当人とは話したかね?」
聞けば、キラは個人的な密約でプラント行きを彼の国と交わしてしまったとのことだ。そして、そのことでアスランの不興をかい、「最悪の空気だ」とカガリにいわれてきたのだった。
「話して、けんかの真っ最中です」
アスランはばつがわるそうに苦笑いをした。
「自分が心配するのは戦火の拡大です。キラの出生がプラントに明かされずとも、彼がその戦闘スキルをデータとして提供したら、コーディネイターの可能性のひとつが広がったと彼らは喜ぶでしょう。それを反対勢力がただ黙っているようにも思えません。…地球での戦闘用コーディネイター開発の再開を懸念する声もあります。さっきの話にもあったように、連合や他の国が動くことだって……」
「争奪戦になるというのかね」
「……『敵に奪われるくらいなら』、という考え方もありますよ…」
「………。これまでの戦争で、“生体CPU”のスペックがきみらのような優秀なコーディネイターには届かないと、判っていることだしね」

そもそもコーディネイターはナチュラルが生み出したものだ。まだこの分野での技術とノウハウはナチュラル側での蓄積が大きい。ブルーコスモスの強力なバックボーンが解体した今、遺伝子操作技術の幅を広げようという動きは少なからずある。トリノ議定書のため地上では表立った動きはないように見えるが、メンデル再開発の動きが実際にある。
プラント内部でも、次世代に未来がないのであれば技術でまかなえばいいという考えをかのパトリック・ザラが掲げ、その研究機関は存続している。
遺伝子操作技術の開発ブーム再来を予感する芽が、各所で見え始めたのが現状だった。

「何故おとなしくできないんでしょうね、あいつは。ことさらに、注目される条件を受け入れて…」
そう呟くアスランはとにかく不器用だ、とキサカは思う。杞憂を抱えているとはもちろんいわない。だが、事態はすでに動いており、そしてそこにはキラ自身の思惑も存在している。
「……だが、それでは聞くがアスラン。エヴァグリンなどのブルーコスモスをどうするね。彼らが何かをすると決まったわけではないが、こうなってはプラントのバックアップが彼には必要だと思わないか」
「判っています」
プラントからの戦闘能力研究協力の要請、というのは、プラントにキラ出生の秘密が公にされていない今は“SEED”の研究に主眼が置かれている。べつの特異性が名目なのだ。
「それにSEED研究についてはマルキオ師が代表となって、全世界的な規模の研究機関が構成されつつある。いわば国際要人として保護されることも将来あるのだよ。それでも心配かね」
「……理解はしているつもりです。だからこそ、これがおれの勝手ないい分で、個人的な感情だということも判ってます」

「それでもおれは、あいつがそんなものに関わる必要が、どこにあるんだと……」

───アスランの悩みは深い。
もう誰も、彼自身も含めて、彼を放っておいて欲しい。純粋に友を大事に思う、無事を願う気持ちがそこにあり、それが本心なのだった。アスランはすべてを理解し、ただ頭ごなしの拒否をいうのではなく、それゆえのジレンマがあることを、キサカは感じとった。


C.E.74 6 Aug

Scene アカツキ島・マルキオの孤児院跡地

アスハ家別邸から自家用ヘリを飛ばし、アスランはひとりでアカツキ島へきていた。マルキオの孤児院を建て直していると聞いたのでその様子を見に…だが、それは口実だ。だいたい、休日なので作業をしている者はひとりもいない。今日は護衛の同行も断った。苦い顔をされたが、ほぼ無人に近い場所へいくのだし、危険物の感知センサーと武器、GPSを携帯することで納得してもらった。
以前と同じ場所で、どうやら建物自体も以前と同じ造りになるようだ。まだ骨組みの段階だが、その組み方を見れば構造は判る。盲目であるマルキオにとっては、できるだけ慣れ親しんだ間取りがいいということなのだろう。
太陽からふりそそぐ日差しはじりじりとしていて、遮るものもなく受ける木造のそれはまさか燃えだしてしまうのではないかという熱さを蓄えている。触れてみた剥き出しの柱の下方には、やはり何度か様子を見にきているのであろうか、マルキオの元にいる子供のものと思われるいたずらが彫られていた。

アスランは柱だけの建物の中に入った。
───ここが、キラが使ってた部屋。
彼も泊まるときは、この部屋に簡易ベッドを運びこんで過ごした。決して広くはないこの部屋にそうしていたのは他に空き部屋もないからだった。
あれは一年と少しまえだ。大きなけがをしてしばらくこの家で静養したときも、やはりここでキラと過ごした。
キラの自閉したような反応の弱さがだいぶ回復し、声をあげて笑うことや、昔のことを長々と語り合うこともようやくできるようになった頃だった。それでもときおり忘我するような瞬間があり、アスランはキラを不安な目で見ることからまだ逃れきれないときでもあった。
けががいくぶんか回復し、そろそろアスハ邸へもどるから、といったその夜。
『もう大丈夫だから、アスラン』
何がとか、誰がとは、いわずに、キラはただそのひとことだけを告げた。アスランがよこす不安の視線を、彼はもちろん知っていたのだろう。

アスランは今も、あの頃のようにキラのことを心配していた。だが、過去にあった漠然としたことに対してではなく、もっとはっきりと具体化したものが心の中のざわめきとなっている。正体が見えながら、それを止める術をアスランは残念なことに知り得なかった。兆しを目の前にしながら、抱えていた不安のために気がつくこともできなかった過去を悔やんでも、もう遅いことだった。


「マルキオ様。その“シードを持つ者”というのは何でしょうか」
アスランが療養にきて十日目のこと。ときおりマルキオがキラやラクスを指していうそのことばの意味を、アスランは訊ねていた。
「アスランは、人の進化のお話など興味はございませんか?」
その質問に答えたのは、何故かラクスだった。一時期、各学会で大騒ぎされたお話ですわ、と続けていう。アスランもキラも知らなかった。
「限られた分野での話題でしたので、あまりご存知の方はいらっしゃいませんわね…」
それを知ってるラクスは何だろうとは思ったが、血のバレンタイン直後のことだというから、それは確かに専門分野の人間でなければ耳に入るものでもなかったのだろう。

───“SEED(シード)”。スペリオール・エヴォリューショナリ・エレメント・デスティンド・ファクタ。
コーディネイター、ナチュラルに関係なく若い世代に増えはじめた高次能力の発現は、人類進化の可能性をもつ因子として、そう呼ばれていた。
「それで──マルキオ様は…もしかして、キラたちにその進化の芽があると、おっしゃりたいのですか」
「そうですね。あなたもですよ、アスラン」
盲いたマルキオが「見えるのです」といった。アスランはキラと顔を見合わせる。しばらく全員の沈黙が続いてから、ふいにキラがぽつりといった。
「なんだか新鮮な話だね、アスラン」
「………ああ…」
新鮮過ぎて、アスランは興味が湧かなかった。正直にいえば“眉唾”ものの話題と感じ取っていた。以来、このことはすっかり忘れていたのだ。──ディアッカから再び、そのことばを聞くまでは。


キラは忘れることなく逆に興味をもってずっと情報を集め続けていたということを、アスランはごく最近に知った。マルキオを通じてその学説を発表した学者と、ネット上ではあるものの会見までしていた。
そこまで執着する理由も理解の外だったが、ましてや彼は、そのことのために自分自身をプラントに売ったのだ。

「ぼくは自分のことを知りたい。自分に何ができるのか知るには必要なことじゃないか。もう、メンデルで怖がって泣いた、あのときのぼくじゃない」

数日前のけんかでキラはそう叫んだ。
───判っている。
アスランは、あの頃の不安と心配を甦らせているだけなのだと。そうも指摘されて、返すことばなどなかった。

けんかの内容を思い出しては、自分の気持ちを自身で検証する。アスランは頭の中でそんな作業を繰り返していた。
気がつくと日が傾きかけている。そろそろもどらないと護衛官に怒られる。
───キラと、仲直りしないと。
互いに口もきかず、目も合わせず、そんな子供のようなけんかを長々と続けていた。いいかげんに、周囲の心配のほうが限界だろうとも思う。いつだって、そこまで考えてしまう自分のほうが根負けをするのだ。
───今回ももう、それでいい……。
アスランは、キラがいつのまにか自分の知らないところで、傷つき泣くようなことになるのが嫌だった。彼のさきをいって、あるいは隣にあって、そうした衝撃から彼を守りたい。それなのに、思い通りにならないキラと世界に。ただ自分は苛立ちを抱えているだけ。それだけのことなのだ。
諦めを含んだ考えをまとめると、アスランはその骨だけの家から立ち去った。


C.E.74 6 Aug

Scene オノゴロ島・アスハ家別邸近くの浜辺

アスハ家別邸へでかけたというアスランを追ってきたもののそこに彼の姿はなく、ヘリを借りてさらにアカツキ島へでかけたとマルキオから聞いた。用事がすめば必ずここへはもどるであろうからと、キラは邸近くの浜辺でぶらぶらしながら時間をつぶしていた。
「アスランの……莫迦」
キラは小声でつぶやきながら砂浜をけった。端から見れば、まったく子供のするような絵に描いた光景だ。
アスランと派手な怒鳴り合いのけんかをしてから一週間が過ぎていた。けんかが長引いている原因はひとつだけ。アスランが折れてこないからだ。
どちらもゆずれないけんかになったときは、たいていアスランのほうがさきに音をあげる。今回はキラのほうがもう、耐えられなくなっていた。
───ぼくから、謝ろう。
アスランの、自分を心配する気持ちは充分に理解している。その心が過ぎて頭ごなしにキラにいいきかせようとするのもいつものことだ。それを知っていながら頭に血が昇り、つい彼を怒らせることをいくつかいった。そのことには、キラは本当に心から詫びるつもりがあった。
それでも、自分がこうしようと心に決めたことを変える気はなかった。それはぜったいにゆずれない決意だから、どうしてもアスランに納得してもらわなくてはならない。うまく説得ができるかどうかは判らなかったが、いつか理解してくれると信じて話を重ねるしかない。
───アスランがいてくれなければ、ぼくはまえに進むことはできない。
頼りきりになっているつもりはなかったが、過去にあったすれ違いを繰り返したことが、ただキラを竦ませていた。

視線を海から後方に振り返れば、浜辺より高台にある道路の脇に護衛官がいる。アスランは今日、その護衛もつけず行ったという。自分が同じことをすればきっと彼は烈火のように怒るのに──。危険な身の上は、同じなのに。
ブレイク・ザ・ワールドの数ヶ月まえ。アスランは大きなけがを負ってマルキオの孤児院、“祈りの庭”へ療養にきた。カガリのボディーガードをしていて、そのとき暴漢に襲われたのだといった。
だがキラは、本当に襲われたのはアスランのほうだった、ということを知っている。カガリの身のまわりを世話しているマーナから聞いたのだ。
相手はアスハ家に近い者だったため、突然の襲撃に対応ができなかったという。それは、隠れたブルーコスモス主義者だった。そしてその立場のため、“アレックス・ディノ”をアスラン・ザラとして知る者でもあった。つまり「パトリック・ザラの息子だから」、というのがその動機だ。
アスランのけがをした姿にキラは衝撃を覚えたが、その真実を知ったときにも、めまいをおこすような驚愕と恐怖でわなないた。
久しぶりに心を訪れた激しく感情をゆさぶる出来事に、キラは自分をおぼろげにしていた心の殻から、完全に逃れた。
はっきりとしたのはあたたかく素直な感情で、長いあいだに積み重ねたアスランに向く気持ちのすべてが、恋のそれだったと自覚した。さまざまな虚飾と垢穢がはがれ落ちた自分の本当の心。ようやく気がついた深い感情の正体に、少しの哀しみも覚えた。それでも、もうキラには目を背けることも、ごまかすこともできなくなっていて、いつまでもその気持ちを大切にすることを自分自身に誓ったのだ。──彼の心の所在に如何なく。

あのときからのアスランを思う気持ちに、幾許の変化もなかった。いや、彼と心を通じてさらに増したかもしれない。
悲しみのない世界をつくりたい。アスランとアークエンジェルのデッキで、月の都市を思いながら誓いあった。そのために自分ができると信じることを、彼にだからこそ、理解してもらいたい。

視線をぼんやりと海に流したままアスランを説得するためのことばを胸に描いていると、赤く染まった空を機体に映したヘリがその場の静寂を破りながらもどってきた。
ヘリポートに降り立つと、操縦者は邸には入らずそのままキラの立つ浜辺へ向かってくる。キラはその姿を眺めるだけで迎えた。
「…怒ってる?」
キラは第一声にそういった。アスランはふいをくらったような表情をし、次には「あたりまえだ」と返事をする。だが、一週間も続いていた険しさは嘘のように消え、静かで優しい笑顔がこぼれていた。
「アスランぼくは……」
キラがいいかけるとアスランに抱き寄せられて、ことばが止まる。
強く締め付けてくるその腕を嬉しいと思ったが、キラは微かに身じろいだ。
「……後ろに護衛官がいる」
「見て見ぬふりくらいはするだろう」
そういいながらもアスランはその腕を静かに解いた。そして、さきほどの笑顔よりさらに優しく、あたたかくなった瞳で告げる。
「…キラは自由にしていい。おれを傍に置いてくれるなら、もう、なんでもいい」
投げやりになったともいえるその台詞に、キラは少なからず驚いてアスランをじっと見た。いつでも彼はそうして自分を容れてくれる。どうしてなのか、まったく判らなくなるほどに。
「アスラン、怒ってる?」
キラはもう一度訊いた。
「……もう怒ってない。…悔しいだけだ」
「悔しい?」
「…キラに、勝てないから」
アスランは静かに答えて、もう一度キラを自分の身体に引き寄せた。頭を傾けてわずかに低い彼の頭にすりつけ、頬にかかるキラの髪の感触を心地よさそうに楽しんでいる。
アスランの穏やかな空気を感じ取り、キラの心も緩む。アスランをとにかく説得するのだ、と緊張していた気持ちはまったくどこかにいってしまった。
「……アスラン、謎だね。きみ、不思議だね」
キラのつぶやきに「何が」と耳元でささやく。キラは無言を返してそれをごまかした。
“うまくいかない”と感じても、いつのまにか気がつくとアスランが“うまくいく”場所に立っている。いつもじたばたと慌てさせられても、最後にはどこかにすとんと落ちついている。
───アスランなら、アスランとなら、ぼくはきっとうまくいく。
もうぜったいに離さない、と何度思ったか知れないことを心に思いながら、キラはアスランの背中にまわした腕にそっと力をこめた。

それからふたりはならんで浜辺に座り、ずっとことばもないまま日の沈む海に視線を投げて、星が姿を現すのを待った。
あと少しで、この雄大な自然と離れたところでの生活が、再び始まる。包まれるようにあたたかいここではない、孤独を感じるあの場所で。
この海と宇宙はどこか似ているのに。その寂しさを不思議に思っていた。


C.E.74 22 Aug

Scene ヤラファス島・カウリホテル

キラがインフィニットジャスティスをプラントへ持っていくな、という。
「──何で」
ホテルのロビーで時間をつぶしているあいだにそんな話となった。アスランは横に座るキラに視線も向けず問う。
「いいじゃん。必要なときにオーブに取りにくればいいことじゃん」
プラントからオーブへもどるまでどれだけ時間がかかると思っているのか。アスランは憮然として、こいつはまた何をいいだしたんだとキラを横目で睨んだ。
「マルキオ様がおれも“SEEDを持つ者”だといってる。そうしたらおれだって、披検体ってことだろう」
「だから、必要になったら呼ぶってことで」
キラの考えなどアスランは見通している。要するに、彼をジャスティスに乗せて戦場へ向かわせるようなことをしたくないなどと思っているのだ。SEEDの覚醒状態になるタイミングは、戦場での緊張状態にあることがかなりの高確率と知られていた。つまり、有用なデータを採る必要があるというなら、戦場へは出なければならない。
「話にならない。おれしか乗れない機体を持っていかなくてどうする…」
しかし、とアスランは思う。
「……だが、“機構”の運用が開始されるまでは、確かに持ち込みは難しいな…」
政治的な事情だ。アスランはしばらくのあいだ、プラントへはただの外交官の立場で赴任する。初めから“シードコード”への協力態勢を取り次いでプラントへ渡るキラとはわけが違う。運用規定が定まらないまま他国に自機を持ち込めるはずもなく、またオーブ軍が許可するはずがなかった。
「でしょ?」とキラが勝ち誇ったようにいうので、アスランはもうひと睨みする。

SEEDの研究については、近々国際協力組織の設立が計画されている。その組織の名称は、SEED研究開発機構(SEED Co-Operation and Development Organisation)、略称を“シードコード”といった。
すでに各国が研究への参加と協力を申し出ている。現状の出資はオーブ連合首長国とプラントが中心となっているが、発言力を得るために他の国も進んで多額の出資を始めるであろう。キラはそうなるまえに、つまり、自分たちの影響力を保てるあいだに、できる限りの方向性を整えようとしていた。
公にはされないが、実は組織設立の発案者はキラだ。また、彼自身が特異性を持った披検体であることからも、シードコードの隠れた最重要人物となる。
キラはそのことを、ラクスを通して自分からプラントへ売り込んだ。「試験場」としての環境はザフトの新しく高度なテクノロジーで構成された世界が最適であるし、何より、今後地球圏の外へ向かっていく未来を考慮すれば、宇宙でのデータに重要性が置かれることになる。シードコードにプラントの協力は不可欠なのだった。

今日はこのヤラファス島に各国の関係者や代表者などが集い、機構設立の準備を相談し合う。通常はネットワーク上でおこなわれることになるが、今回はキックオフミーティングであるため、表向きに発起人、組織代表となっているマルキオの住むオーブがその開催会場となった。
「あ、カガリだ」
キラがロビーの入口に現れた彼女を見て声を出す。カガリはすぐに気がついてふたりの傍まできた。
「だめじゃないか、おまえたち。ちゃんとマルキオ様についてないと」
いい様のわりに怒った様子はなく、逆に明るい笑みを浮かべている。彼女らしさの表れた挨拶替わりのことばだ。
「あそこで誰かと話してるんだよ。邪魔しちゃいけないと思って。視界にはきちんと入れてるから心配しないで」
そういいながらキラが視線で示した少し離れたところに、確かにマルキオが誰かと話をしているのが見える。カガリは素直に納得して、ふたりの正面のひとり掛けソファに座った。退屈そうな顔をしているアスランに気がつき、なんだおまえは、と声をあげて笑った。
「まだ興味ないんだろ、おまえ」
図星だった。キラが一生懸命になっているのでアスランはこまごまと協力を始めたが、やはりSEEDそのものについてはいまだそそるものがなかった。心の中でもやもやとした整理のついていない状態といえばいいだろうか。
カガリの言にキラがちらりとアスランを横目で見て、「スイッチはいらないとだめなんだ。昔からアスランは」という。
「おまえと違ってやるべきことはきちんとやるんだから、いいだろ」
退屈で不機嫌になっていた彼は、けんかを売るようにキラへ返した。当然キラはそれを買う。ふたりはしばらくどうしようもないいい合いを続けるが、カガリはめずらしく口を挟むことなくじっとその様子を眺めていた。
それに気がついたアスランはいたたまれず、莫迦ばかしいけんかをやめて口を噤む。
「……おとなしいなカガリ。どうしたんだ?」
その彼女はにかりと笑うと、「いや、久しぶりにおまえらの、そういう仲のいいところ見たから」といった。
アスランはあらためていわれたことの意味を考えてことばがでない。確かに少しまえに派手なけんかをやらかして周囲を心配させたばかりだが、それで今頃「久しぶりに」と指摘されるのもおかしな気がしていた。
意味を問おうとキラを見ると、耳まで赤くして俯いている。そのキラの様子にもアスランは訝しむ。釈然としないものを感じながらアスランは曖昧に「…そうか」とだけ返事をした。
いいながら時計を見ると、会議が始まる時間が迫っていた。
「そろそろ時間だな。……キラ」
「うん、マルキオ様のとこいこうか。…じゃあ、カガリ。またあとで」
ああ、と返事をするカガリと同時に立ちあがる。やはり同時に背を向け合うと、すぐに彼女が「あ」といってふたりのほうへ向き直った。気がついてアスランとキラも足を止めると、カガリはアスランの正面から真面目な目で見つめ、「アスラン。──キラを泣かせたら、オーブから追い出すからな」といい残し、再び背を向けて去っていった。
「………………」
アスランは呆然と人混みへ消えていく彼女の背を見つめる。カガリの意味深なことばと視線に、内心でぎくりとしていた。横にいるキラを見ると、やはり含みのある雰囲気で上目遣いにアスランを見ている。
「…キラ。もしかして……」
「うん。…いっちゃった、カガリに」
キラの返事にアスランはふうと一息吐いて、そうか、といった。
「あれ、それだけ?」
簡単なアスランの反応をキラが不思議がる。もともと彼女には自分の気持ちを知られていたのだ。キラとその気持ちを通じ合わせたことも知られたとして今更慌てることは何もない。
「いいから、行こう」
何かをいいたげなキラを促し行きかけたほうへまた歩き始める。
───いつも泣かされているのは、むしろおれのほうなのに。
アスランは先日のけんかのことも含めていろいろ思いめぐり、つくづく割を食っている自分に自分で同情していた。

「…あ……!」
議場へ一斉に向かう人混みの中で、キラがふいに声をあげた。
「……キラ?」
その声音に不穏なものを感じとったアスランは、心配になってキラを見る。彼の視線は、流れる人の波からは外れたところに佇んでいる年配の男に注がれていた。
キラは眉間に皺をよせ、その先にいる人物をじっと見つめている。まもなく向こうもキラに気がつき、驚愕と困惑をのせた表情になる。だが、すぐに嫌な印象の笑みを浮かべこちらへ近寄ってきた。先に声をかけたのはキラのほうだった。
「あなたが、シードコードに関わるんですか」
いくつも年上に見える相手に刺のあるひとことだった。キラが敵意を露にすることはめずらしい。アスランは対面した人物の正体を知ろうと自分の記憶を探る。この男の顔には見覚えがあった。
「──私用で昔の知り合いに会いにきたんだがね。その知り合いは、きみではなかったはずだが」
地球連合軍の軍服ではなくダークスーツを着込んでいたため多少印象が違って見えたが、彼はジェラード・ガルシア──旧ユーラシア連邦の宇宙要塞、“アルテミス”の元司令官だ。過去、アスランがザフトにいたときに一度攻略した相手であり、さらにはごく最近、キサカとの話でエヴァグリンの関係者だとして彼の名がでた。キラが嫌な顔をするのも無理はない、という経緯のある人物だった。
アスランは警戒して、キラよりわずかに身体をジェラードに近づけた。その動きに気がついて、向こうもその場で歩を止める。
「オーブにいると噂には聞いていたよ」
ふん、と鼻をならすように笑っていうその様子は、やはり印象がわるい。彼は次にアスランを見やる。
「きみも知っている顔だな。プラントの有名人だと思ったが、“それ”はオーブの軍服に見えるね」
アスランはその厭味を無視してキラに「行こう」といった。こんな男につき合っているあいだにマルキオに追いつかねばならない。キラも何もいわず、アスランの促しに従った。ジェラードもやはり黙したままその場に立ち尽くし、いつまでもふたりの背中を睨めつけていたが、キラはもう彼に一瞥もくれようとはしなかった。
ジェラードは度重なる作戦の失敗で軍部内で失脚したと聞いている。この場に現れたのは語ったとおりの私用らしく、議場へくる様子がないことに少しばかりほっとした。会いにきた相手のほうが、この会議の関係者なのだろう。その相手が誰なのだろう、ということがアスランは気にかかった。そのような問題を含む人物が関わってくることには不安がある。ましてや、キラに敵意を表す者など。

アスランからは「無関心」や「退屈」を示した先ほどの姿はどこかに消えていた。その思考の中ではもう、この会議の参加者リストの取り寄せなど、とるべき手配を巡らせている。そしてそれを押し隠しながら、難しい顔になったキラの肩に手を置き、見あげてきた視線に心配するな、と語りかける微笑みを見せる。キラはアスランに応えて口元を少し緩ませてから、気持ちを切り替えた眼差しで向かう前方に視線をもどした。
───それでいい。おまえはよそ見を、しなくていい。
誰にもキラの邪魔はさせない、と心に誓ってアスランもまえを見る。今から話し合われることは、彼らの見る先──未来に繋がる一端だ。
過去にいた者など置いていけばいい、とアスランは思った。