C.E.74 Jun ヴィジター


C.E.74 1 Jun

Scene オーブ軍本部・本部棟食堂

ラクス・クラインがオーブへくる。
目的はオーブ連合首長国とプラントで結ぶ平和条約のための調整、つまりプラント側の要望をオーブへつきつける立場だ。オーブにいい難いことをいわせるために、プラントにとっては彼女の存在が役に立つ。が、ラクスはラクスでその自身の存在価値を逆手に、プラント内で彼女が目指す未来のための「わがまま」を通させている。
ラクスはいまや議長より目立つプラントの顔だ。地球での支持者も多い彼女は、国家および世界の平和を担う者として名誉大使を委嘱され、プラントと諸外国の橋渡し役などを務めていた。

先月はラクス来訪の調整だけでアスランは忙殺されていた。何しろ、今回の滞在は一週間におよぶ。そのあいだに会談をおこなう人数たるや両手にあまり、かつ、誰もが要人とくればスケジュールを合わせるだけでも手間ひまがかかった。
もちろん、実務そのものは政府のしかるべき部署があたっているが、アスランは軍関係者からなる会談相手の最終的な選出検討を手伝う立場にあった。会談内容も会談する人間によって変わるものなので、総合的な判断と調整が必要になってくる。そのために頭にいれるべき情報が山のようにあって、書類を読むだけで一日の業務が終了する日もめずらしくなかった。
来訪を二週間後に控えた今日はさすがにアスランがばたばたとする段階ではなくなっていたが、会談相手の急な予定変更がいつ入るとも限らない。行儀がわるいと思いつつ食堂に業務端末を持ち込み、食事をとりながらメールチェックをしていた。
「ザラ閣下」
いつのまにか、ランチのトレイを手にしたメイリン・ホークが彼の隣に立っていた。知り合いに今の姿を見られて多少気まずい思いをしつつ、空いている正面の席をすすめる。端末は畳んで制服のポケットに仕舞った。
「ちょっとだけ、プライベートの話があるんですけど…今いいですか?」
「プライベート?」
メイリンとはごくたまに本部内ですれ違うくらいにしか、この頃は顔を合わせる機会がない。接点が減ってしまっただけにアスランは話の内容に予想がつかなかった。
「実はゆうべ姉から連絡があって、伝言なんです」
「ルナマリア?もしかして今度、ラクスと一緒にくるのか?」
ルナマリア・ホークは今、シン・アスカとともにジュール隊に所属しているが、ジュール隊の任務のひとつにラクスの護衛がある。
「そうです。シンも。それで…」
滞在一週間のうちオフが一日入っているが、要はその一日をアスランにつきあってもらいたいという話のようだ。
「なんかどうも、姉がいうにはシンがアスランさんに会いたがってるみたいで。本人は否定してるそうなんですけど」
メイリンの説明にアスランは苦笑する。シンは相変わらずのようだ。
もとよりラクスの日程に合わせ自分もオフにしていたので、その要望を叶えるのは容易い。ラクスと遊びたがるだろうキラを予想して、それにつきあうつもりだったのだが、この場合は元部下に応えてあげたい。
「ちょうどおれもゆっくり話したいと思っていたんだ。彼らとは滞在中、仕事上で何度も顔を合わせるとは思うんだが、話がしたいと思えばやっぱり休みじゃないとな」
実際にふたりとは停戦から会っていないし連絡もとっていなかった。──いや、シンとは、その数日後に通信でレイの話をしたとき以来だ。
声をかけてくれてありがとう、とメイリンに礼をいうと、メイリンははにかむような笑顔で、いいえこちらこそありがとうございます、とアスランに礼を返した。


C.E.74 5 Jun

Scene ヤマト家・キラの部屋

夕食を終えてからアスランはキラの部屋を訪れた。
アスランだけ不在の夕食が長らく続き、落ちついたかと思えば今度はキラの遅い帰宅が続いたりしていた。今日はようやくすれ違わずに家族四人(いまだにこの括りはアスランにとって気恥ずかしい)の食卓を囲むことができた。
相変わらず片づけも手伝わずにさっさと自室にもどったキラに、多少小言のひとつもいうつもりだったのだが、部屋を覗いてみれば持ち帰りの仕事をしているという。とはいっても、軍から書類やデータを持ち出せるはずもないので、仕事に必要なデータ資料を揃えているだけだ。すぐに終わるようなことをわざわざ持ち帰るのはキラにはめずらしい。
ここしばらくのすれ違いが嫌だったから、とキラはいった。そんなことをいわれれば小言も引っ込むし、邪魔になるからと部屋を辞することも気が引けて、いつもキラの部屋ではそうするようにベッドに腰をかけた。

アスランが部屋に落ちつくと、キラが楽しげな様子で話題を出した。
「もうすぐラクスがくるね」
アスランからとくにそれを伝えたことはなかったが、カガリかラクス本人から聞いていたのだろう。いつのまにか彼は知っていて、数日前からアスランの顔を見ればその話を持ち出してきた。滞在中のオフ日程もアスランが告げるまでもなくすでに自身のオフを合わせていて、少しばかり面白くない気分だった。
そのうえに今、ラクスが滞在するアスハ家別邸でそのあいだキラも一緒に過ごすといわれ、思わず大きな声が出てしまう。
「なんで?!」
「え…、ラクスがそうしてっていうから。寂しいんじゃないかな」
そのあいだおれが寂しいだろう、と心のなかでぼやいている間に「アスランも一緒にいこう」とキラが誘った。
「いやおれは……遠慮する」
「せっかくラクスがくるのに?」

───ラクスラクスってこいつは…。

「その一週間のあいだ、おれと彼女は仕事でほぼ顔をつきあわせたままになるんだ。オフの時間までおれの顔を見たくないだろう、ラクスが」
「そんなことないよ」
「……仕事の話しか出なくなる。おれはいかないほうがいい」
アスランは適当ないいわけを見繕ってキラの提案を固辞した。ラクスに対して他意はないつもりだったが、ここへきて疲労も溜まり不機嫌が加速しているようだ。
「そんなこといってオフ日まで揃えたくせに…」
「それはシンとルナマリアにつきあうことになってるんだ」
「なにそれ、聞いてないんだけど!」
「今いったからいいだろ」
何をこんなにくだらないことで、と自覚があるだけに、もうこれ以上はまずいとアスランは腰をあげた。このままけんかになっても虚しい。
しかし、去り際の背中にキラが追い打ちをかけた。
「…なんで怒ってんのアスラン」
「怒ってないべつに!」

閉じた部屋のドアを見つめながら、「怒ってるじゃないか…」とキラは口の中でつぶやいた。


C.E.74 11 Jun

Scene オーブ首長会議事堂・会議室

オーブ連合首長国とプラントのあいだでは3月27日に停戦の合意がなされたが、このあとには休戦を定めるための平和条約の締結が控えていた。さらには、条約に合わせて軍事同盟を結ぶことをカガリが決断したため、ウズミの理念を撤回するのかとの反発で、政局はおおいに混乱していた。
しかし、カガリはウズミの抱いた志まで翻したつもりはなかった。実際のところは、中立国としながらもこの数年戦場となることを避け得なかった現実がある。ことばだけがひとり歩きしている理念の根底を見極め、現実におこってしまうことを含んだうえで、国民の平和のために尽くせる手段の幅を広げようとしているだけなのだ。そのためにこれまで対立の多かったサハク家とも結び、国内での矛盾や対立を消化することも始めている。
正しい手段が常にあるとは、カガリも思ってはいない。だが今は、自分が信じる道を選びとり突き進まねば国民もついてこないであろうし、オーブの軍事力を狙う諸外国にまたもやつけいる隙を与えることになると考えていた。

そんな思いの勢いを表すごとく、カガリは会議室への通路を二名の随員を従えて足早に進んでいた。アスランもカガリの隣に並んで歩いている。今からおこなわれる会議は、揉めると判っていることが議題にあるので少しだけ気が重い。カガリはつぶやきにそれを漏らした。
「厄介なのはやはりフリーダムとジャスティスの処分についてだろうな」
三年前の課題だが、盗用機体を元に開発されたこれらの置き位置は、オーブとプラント双方にとって微妙な問題だった。
「そうだな。おれとキラ個人が関わっていかざるを得ない問題だ……」
アスランも沈鬱な表情をしていた。彼自身だけのことであればこうも低い声でこぼさないだろうに、とカガリは思う。彼女としてはふたりともが大事なので、悩みも二倍だな、と心の中で唸る。
それを振り切り、自分自身も鼓舞するかのように、きつい口調でアスランにいう。
「だが、国としては。軍人とはいえ個人に依存する内容を飲むわけにはいかない。しかし、国内にそれを利用しようと考える者も、いることはいる。スケープゴートを強いるような意見は全部はね返せ」
「……判っている」
───とはいっても、こうしたかけひきは苦手だ。
カガリがちらりと横目で見ると、アスランからはそんな苦手意識が苦い顔となって表れていたが、筋の通った理屈はよく捏ねるし、目上相手にも引けを取らず頑固を貫くし、何より“くそ”真面目な態度が取り柄のこの男には心配していなかった。彼の真摯な姿勢は頭の固い老人たちにはうけがいいだろうと予想していた。
随行員が先に立ち、訪れた会議室のドアを開ける。中にはすでにこれからおこなう平和条約策定委員会の委員たちと首長らが揃っていた。
アスランをともなったカガリが入室すると、案の定、議場内の面々が一瞬ざわめく。アスランはさきほどの渋面のかけらもない涼しい顔をして、空いている席のひとつに着いた。
「今回からザラ准将にも同席いただくことを許可いただきたい。ご存知の通り今までオブザーバとして意見を頂戴していたが、今度の条約締結と軍事同盟の検討に、彼の意見を参考程度にとどめることはできない。委員会で実際に発言していただくためにザラ准将の委員会入りを推薦する」
カガリは座らないまま、凛々しくもよく通る声で第一声に発言した。すると、議場内はまたもやざわめく。
「……国内の反発がでることはお考えにならないので?」
首長のひとりがほんの少しだけ控えめに訊ねる。
「では訊くが。あなたがたは今までの彼の働きに対して、ナチュラル排斥者の血縁としかいまだに見ることができないと、そうおっしゃるのか」
「そうではありません…ただ国民感情の…」
「真摯に国のためにおこなっていることに対して、なおでてくる根拠のない風聞を払拭する責務は国にあると思うが違うか」
カガリは努めて声を荒げず冷静に反撃する。彼らのこの反応は想定済みだ。
「個人感情でわたしが彼を擁護していると見ている者がいることも知っている。だがわたしとしてみればいいかげんに個人感情抜きで国政にあたれぬのかと申し上げたい!」
後半はやや強い口調でいうと、その場にいる誰もが何も次のことばを告げることはなかった。
カガリは「まだ何かあるならいえ」といいたげにゆっくりと彼らに視線を送り、誰も自分に目を合わせないことを確認するとやっと席に着いた。
「委員長、挙手でザラ准将委員就任の決をとってくれ。今日の会議はそれからだ」
満場一致であったことはいうまでもない。


C.E.74 13 Jun

Scene カグヤ島・宇宙港VIPラウンジ

その日はふたつの用事で、アスランとカガリはカグヤ島を訪れていた。
ひとつはこのカグヤの宇宙港で、プラント大使ラクス・クラインを歓迎するためだが、もうひとつは私用である。数日後はカガリの父、ウズミ・ナラ・アスハの命日だ。ラクスの来訪で当日ゆっくりと墓前に立つことができないので、ふたりは事前の墓参りをしたのだった。
「お父様は、怒って、いるかな」
慰霊碑のまえで、カガリがぽつりという。
ギルバート・デュランダルの標的が自国に向けられることを予想していたこともあったが、メサイア攻防戦をまえに彼女は、結果的に「国防のみに徹することなく」とオーブが新たに進む道を示し行動した。ウズミが提唱した理念は「他国の争いに介入せず」だ。カガリの決めたことを「いらぬ正義感」という者もいる。だが、戦渦拡大に繋がるような世界間の争いを事前に諌める力があれば、それはオーブ国民を護ることにもなるのだ。長い道のりであろうが、無茶であろうが、カガリは全世界における政治力、影響力を、このオーブに持たせたいのだった。父、ウズミと根底の思いは同じだと信じてはいるが、それでも先の見えない未来がある限り不安はつのる。
「カガリのことは、ちゃんと見守っていてくださるさ」
アスランは静かにそう彼女へ語りかけたが、それが慰めになったかどうかは定かではない。カガリは、慰霊碑のまえでそれ以上のことばを発しなかった。

ふたりは午後になってからラクスを宇宙港で出迎えた。向こうでは大変だろう?と声をかけるカガリに、「毎日が充実して楽しいですわ」とラクスは相変わらずの笑顔で答えた。アスランとも笑顔で挨拶を交わすと、カガリの秘書官がVIPルームへの移動を促した。
ラクスの初日第一のスケジュールはオーブ代表首長カガリとの会談だ。アスランも同席することになっていた。
「聞いてると思うが、アスランが平和条約策定委員会に正式に委員として名前を連ねることになった」
「ええ…だってまだ委員じゃなかったことが不思議なくらい、すでにいろいろと貢献されていて」
「初めからこうなることは判ってたくせに、こいつがぐずぐずと委員会入りを拒んでてな」
早速話題はおれか、と思いながらアスランは無駄と知りつつ反抗を試みる。
「しかし、おれの名前があまり表に出るのは問題が…」
すると予想通りに、カガリが何度いえば判るんだ、と怒りだした。
「動いた分だけ名前を出せ! おまえが何をやっているのかプラントにも地球にも、見せればいいんだ。そうすればぐだぐだと父親の名前を聞かされずにすむ!」
自分以上にそのことを気にしているカガリの励まし(?)は充分に効果がある。思えば、今ここに集っている三人が三人とも知名度の高すぎる親の名を背負っている。
いい過ぎたと思ったのか、カガリが軽く咳払いをして「……ことばがわるくてすまないが」といった。
「いつまでも“アスラン・ザラ”ではなく“パトリック・ザラの息子”でいいのかおまえは」
「もう…判ったよ。だから委員にもなっただろう」
いいから早く実のある話を進めろ、とアスランは投げ出した。

「プラントの情勢はどうだ? もう目に見えた混乱はないように報道されてはいるが」
ギルバート・デュランダルによるロゴス打倒の政見放送で明けた、コズミック・イラ74年。それからメサイア陥落の3月まで怒濤のような動きと紛争に翻弄され続け、ヤノアリウス、ディセンベル数区の崩壊もあり、プラント国民は疲弊しきっていた。
──さらに2月、世界が混乱する最中にデュランダルが突如掲げた「デスティニー・プラン」。
公表の当初は、それまでの混乱操作と巧みなプロパガンダにより、プラント内と地球各国で受け入れ方向に進むかと思われていた。だが、メサイア陥落前後から地球の“コーディネイター研究者”をはじめとする識者、さらにはプラント国内からも遺伝学者らの考察により、プランそのものが虚飾にあふれた論理で実践されようとしていた事実が判明した。
そもそも、マーシャンについての研究報告(遺伝子上の調整を加えてもなお、必ずしも設計──遺伝子情報どおりとはならない結果となる事実)や、メンデルでキラ・ヤマトが創出された経緯を知っていたにも関わらず、デュランダルがなぜ破綻したプランを強制的に実行しようとしていたのか、その真意は今となっては定かではない。
こうして、打ち上げられたまま消えたものに狂信的な支持者が各所で擾乱を起こし、プラン再開を声高に叫ぶこともあった。時が経ち、管理社会と選択のない未来は、かつてのキラたちの思い同様に決して歓迎できるものではないという感情が徐々に広まり、一時期の熱狂は何だったのかといえるほどに、一部を除きプランの支持者も消えていくことになった。
「確かに沈静化しつつはありますわ。でもプラントに対する、国外へ広がってしまった波紋のほうが気なりますわね…」
沈鬱な表情でラクスは答えた。「打倒ロゴス」の気運には盛りあがりもあったものの、終わってみれば結局プラントは暫定政権を除けば二代続けて大量破壊兵器を持ち出すトップを据えていたのだ。デスティニー・プランの悪評も拍車をかけた。コーディネイター排斥を掲げるブルーコスモスの動きは、その最大のバックであるロゴスを失った今も健在で、各所で対コーディネイターテロやアジテーションを続けている。

とくに気になるのは、ブルーコスモスで構成される国際的勢力組織が次々と台頭し始めていることだ。
今までのような地球連合や各国の内部に隠れた存在であることも厄介極まりなかったが、“勢力”として目の前に現れても、それはまた世界を二分する流れへと動く気配を感じる。
終わりの見えないその先に、三人は押し黙った。

「とにかく今は。我々の平和条約だ。このオーブがなんとか、緩衝剤になってみせるから」
カガリの決意は堅い。たとえ負のループが待つ未来でも、それは変わらない。いつか断ち切るのだ、自分たちの手で。


C.E.74 19 Jun

Scene オノゴロ島・戦没者慰霊塔

さいわい、この日は快晴だった。アスランは愛車のロードスターを走らせて待ち合わせの場所へ向かった。途中、オーブ軍の官舎でメイリン・ホークを拾って。
センター街の端にある駐車場に車を停め、目的のカフェまでは歩いていく。駐車場からは十分ほどの距離だ。たどりつくと小ぶりのオープンカフェは賑わっていた。なんでも、オノゴロ島でかなり人気の店だとか。わざわざプラントで事前にそんな情報を仕入れ、その店を待ち合わせに指定してきたルナマリアに、女性のこういった手回しのよさはにはかなわない、とアスランは真面目に心から感心した。
外側の目につきやすい席に待ち合わせ相手のシン・アスカとルナマリア・ホークは座っていた。すでに仕事で何度も顔を合わせていたので、そこでは簡単に挨拶を交わすだけにすると、予約してあったレストランへ向かうことにした。

それから食事をしているあいだも、今慰霊塔へ向かっているこの道すがらも、シンはことば少なに、それでも何かをいいたげに、アスランから離れない距離にいる。
ホーク姉妹が自分たちだけに通じる話で盛り上がり、先へいくのを見ながらふたりで並んで歩いていると、ふいにシンが声をだした。
「あの……。こないだはありがとうございました。……レイのこと…」
シンはこのひとことがずっといいたかったのだろう。ふてくされたような態度でこちらを見もせずに礼をいうその様子は相変わらずで、アスランからはつい笑みがこぼれた。
「…いや」
シンがこちらを見ないので、アスランも再びまえをいくふたりに視線をもどした。そのほうが話しやすいのか、シンがその様子を察して次のことばを続ける。
「レイって…家族もいないんで。おれたちしかあいつのこと泣いてやれないっていうか」
レイの、その素性については、いくらかアスランは把握していた。
過去自分の上官だった男、また戦火を拡大した罪を負うとされる男ラウ・ル・クルーゼと同じ、アル・ダ・フラガのクローンだということを。クルーゼにもレイにも近くにいた自分が、何故それに気がつけなかったのかと思うこともあるが、今となってはどうすることもできない。それに、気づけたところで、レイにどんなことばを、自分はかけてやることができたというのだろうか。

シンとレイがどれほど近い存在であったのかは判らないが、シンの様子を見ればレイを理解したい相手としていたことは窺い知れる。だがその理解に生い立ちが…遺伝子上の刻印が、何の役に立つだろう。
彼の素性など、シンにはどうでもいいことなのかもしれない。ただ、それだけに。
「……つらいな…」
失ったものはぜったいにもどりはしない。シンもアスランも身に染みて知っていること。失うまえにそれに気がついたとしても、止められないこともある。
「そういうの…もうほんとに終わりにしたいんです」
アスランのつぶやきから数分もかけて、シンが応えた。
「でも…終われない。皆が望んでいるのに。なんででしょうね」
誰もが思う疑問。
「それでもおれ、軍人辞めませんよ」
だから、今もザフトにいる。
「同じ選択をするんだな。同じ理由かどうかは知らないが」
「………………」
誰と、とはひとこともいわない。それでもシンには通じているのか、何も訊ねなかった。
「余計なことかもしれないが、心配だな」
「え?」
「シンは強いから」
そのひとことでやっとシンはアスランを見た。
アスランも視線を合わせて静かに微笑むと、どうしてかシンと重なるキラのことを思った。


「シンは強いから。敵を多く倒すだろう?」
シンはアカデミーで「敵は倒すべき」なのだと教わった。モビルスーツパイロットにとっての倒す敵は機動兵器や戦艦だ。生々しい殺人は実際の目には見え難く、それだけにその意味からはわざと遠ざけた教育を受ける。
それでも今は、その目の前の「敵」の中に何があるかなど充分に判っている。
───その中に、ステラを見たのだから。
「殺した分だけ憎しみが生まれて。その憎しみがまた人を殺す。過去にはキラとおれもそれを理由に、殺し合いをしたことがある」
「………?!」
シンはそういえば、と思い出した。フリーダムのパイロットはかつては地球連合軍にいたということを。ヤキン・ドゥーエ戦役での明らかなザフトの敵対勢力だ。
「おれは戦友を、あいつは学友を、互いに殺されて。怒りにまかせて互いに剣をむけた。幸いなことにふたりとも…いま生きては、いるが…」
アスランは何故だか、「幸いなことに」といいながら、後半をとてもつらいことのようにいった。
「どちらかが死んでいれば、また誰かが仇を討ちたいと思っただろうに」
その連鎖を自分たちで断ち切って、共に立ったということなのだろう。シンはふたりの、そのまえの繋がりなどは知りもせず、アスランから語られる前大戦の経緯を聞いていた。
「そんな憎しみの連鎖を知っていながら、それを自らの手で生むことの覚悟も含めてまた剣をとるのだといった。…それをすべて背負うというんだ、あいつは」
知らなければその重荷は目に見えない。重くもない。でも知ってしまった今は。
「耐えていくのはどれほどつらいことなのか。強くて、戦いに勝てるということは…そういうことなんだと」
アスランはことばを一度きって、足下に視線を投げた。
「おれがもっとうまく、それをきみに伝えることができていたなら」
そんな重荷がある自分たちと同じ道を歩まずに済んだかも…と思ってでもいるのだろうか?
───もし、そうなら。
シンは率直にアスランを変な人だと思った。この人はいつも、こんなだった。
「いいえ。あなたはずっといってたと思いますそういうこと。おれが耳を塞いでただけです」
聞かなかったのは自分の意思だ。それなのに、何故それをまだ後悔するのか。こういうのが優しさなのだとしたら、アスランこそが、その重荷に耐えられずいつか壊れてしまうのではないかとシンは思う。
「だから、今そんなふうに…自分がわるかったみたいに、あなたが考えることないです」
アスランは黙って聞いていた。
『力を手にしたそのときから、今度は自分が、誰かを泣かせる者となる』
以前にいわれたこと。アスラン自身が泣かし、泣かされたすえにでてきたことばだったということだけが、あのときのシンには判っていなかった。
シンは戦争からあと、アスランにいわれたことを少しずつ反芻している。いまだに、いい返してやりたいこともいくつかある。自分が思い直したこともいくつか。だのに、傍にいない人間にはその先のことばをもらうことも、自分が伝えることもできないのだということに、いつも苛々としていた。
それが今傍にあって、もうこの人にそんな自分とのことを振り返らずにいて欲しいという、素直な心が生まれている。
「おれのことも心配しなくていいです。……覚悟がありますから」
───自分にだってもう、今、何を護りたいのかが、判っている。
レイを失ったと判っても変わらなかった、覚悟がある…。


今日最後の目的地である慰霊碑のまえにつくと、全員がほぼ無言になった。途中で仕入れた花束をメイリンが手向ける。
シンはじっと慰霊碑に視線を落とし、無感動な表情でいた。だが、心の中は悲しみに包まれていることをアスランは知っている。喜びや怒りなどの感情はよく表にだすけれども、悲しみの感情だけは、ひっそりとその胸のなかにだけしまいこむ。それは、大切なものを失くした者の特有の強がりだった。
背後の光景に目を向けると、ブレイク・ザ・ワールドで受けた高波の痕跡はすっかり消えて、きれいな花々が咲き乱れていた。海に沈む夕焼けを受けて、花壇全体にオレンジ色のフィルターがかかっている。物悲しい雰囲気が強調されて、きれいだけれども、見ていたくはない、とアスランは思う。

そのとき、その向こうから、トリィの声が聞こえたような気がして目をやった。
その声を同じに聞いたメイリンははっきりと、シンとルナマリアは「何の“音”?」といいたげに、同時に振り返る。その方向からはキラとラクスが歩いてくるところだった。
「………キラ……」
アスランが声をかけると、シンが一瞬それに反応した。
「きてたの、アスラン」
「……ああ」
オフ日は同じだったので今日ラクスもここへ訪れることは予見していたが、まさかかち合うことまで、アスランは想像していなかった。それはキラも同様だったようだ。少なからず、驚いた表情があった。
今度は、ラクスがその慰霊碑に花束を添える。そしてふたりは慰霊碑に向かい、静かに祈っていた。
ルナマリアは、おそらく初めて見る顔──キラが気になっているようだ。シンもじっとキラの顔を見つめている。彼にはいっておかなくてはならないだろう。
「シン、彼が…キラだ」
急に紹介されてシンはぽかんとしている。
「キラ・ヤマト。フリーダムのパイロットだ」
はっと息を飲む気配は、ルナマリアから飛んできた。シンは動揺することなくもう一度キラをじっと見た。“シン”とアスランが呼びかけたので、キラにもその相手が誰だか判ってはいるだろう。キラには何度となくシンの話をしていたので、やはり驚くそぶりもなくその目を見返している。
ふと、キラが手を差し出した。その手を見てシンがとまどっている。
「だめかな」
シンはまた視線をあげて、キラを見た。無言のままその手をとる。
「…会ったこと…ありますね。ここで」
「うん、そうだね」
意外な会話に、アスランは驚く。
「おんなじ…こんな夕焼けのときだったよね」
キラは微かに首を傾げて、シンの心を優しく覗くかのようにいった。相手がかつて自身に憎しみを向け刃を振りおろした者だなどと、少しも考えていないかのような表情だった。
「でも。…おれの気持ちは、あのときと同じじゃない…です」
そのときのふたりの会話がどういうもので、彼らがどういう思いを抱いていたかなど、アスランには判らない。だが、それぞれに変化を見たふたりがこうしてふたたび邂逅することは、未来の何かを予見しているかのような感覚があった。
シンの応えにキラは、そう、とだけいって、静かにつないだ手を離した。


C.E.74 30 Jun

Scene ヤマト家・アスランの部屋

時間は深夜の2時をまわっていた。階下で玄関のドアが開く音が聞こえ、キラははっとなる。真夜中に家の中に入ってきた人物は、音を立てないよう静かに階段をのぼってきた。いつもと違う歩き方をしようと、キラにはそれが誰だか判る。
自分の部屋のまえを通り過ぎようとするタイミングで、キラはそっとドアをあけた。
「お帰りアスラン」
「キラ……ただいま。起きてたのか」
アスランはいかにも驚いた顔で「こんな遅くまで」といった。こんな遅くに帰ってきた人にいわれたくない。
「ちょっと仕事してて」
「…またおまえは……軍の仕事の持ち出しは犯罪だぞ…」
呆れるというよりは、疲れが滲み出た力のない様子でアスランがいう。
ラクスがプラントにもどった20日、その日からアスランは家に帰ることがなかった。宇宙港で一緒に彼女を見送ったとき、しばらく自分の食事は用意しなくていいと母上に伝えてくれといわれ、理由を訊ねればカガリがそれに応答し、
「ラクスが何をしにきたと思ってるんだ。仕事を落としにきたんだぞ? わたしやアスランたちは当分カンヅメだ!」
と怒鳴っていた。
そのあいだ、軍にもろくに顔を出さなかったので、アスランを見るのはものすごく久しぶりだ。
「持ち出してないってば。仕事って感じでもないよ」
「…そうか…?」
いってることの整合性が取れてないぞ、と思いつつも、アスランはそれに突っ込む元気もない。不審げな顔と声をよこすだけにして、自室に向かった。
その背中に「そっちいっていい?」とキラが声をかける。
「ああ、いいよ」
どんなに疲れていても、キラに返す笑顔は優しい。
だが、今日のその様子はひどく艶めいても見えて、キラは切なさと一緒に鼓動の跳ねも感じた。

自室に入るとアスランはどっさりとベッドに腰をおろした。
「疲れてる?」
見れば判ることだが会話の切り出しとしてはこんなものだろう。
「……ん…さすがにちょっと疲れたかな…」
「こんな時間だから今日もあっちに泊まるかと思った」
「明日オフもらったから…無理やりもどった」
そ…よかった、と返してキラはアスランの様子を窺う。このところ──ラクスが訪れるその少しまえあたりから、彼の不機嫌が続いていた。理由は判らない。自分がまた何かしたかなとも思ったが。ただ、自身の不機嫌を自覚しているらしいアスランが、その態度をキラにすまないと思っている節もあったので、仕事上の何かなんだろうと自分の中で勝手に落ち着けていた。
一方のアスランは「やきもちが抑えられませんでした」とはいえないので、このままなしくずしにしようと考えていた。さすがに、仕事しか考えられない状況が続き、頭はすっかり冷めていた。
「……ラクスはどんな様子だった?」
彼女がプラントへ帰ってからまる一週間は経過していたが、今更こんなことをキラに訊くほど、ふたりで話す時間もなかったと痛感する。
「アスラン仕事で毎日会ってたでしょ?」
「ああ…でもほんとに仕事の話しかできなかった」
アスランは両肘を膝にたてかけて掌を顔のまえで祈るようにあわせ、そこに額を押しあてじっと目を閉じている。そのまま寝入ってしまいそうだ。キラはひとことだけ報告して、もう退散しようと思った。
「プラントでのこといろいろ聞いたよ。イザークがすごい親切にしてくれるんだって」
「………イザーク、ね…」といってアスランは何故か苦笑した。いろいろと個性的な人物らしく、イザークのことを話すときはアスランが苦笑を漏らしていることが多い。今もまた過去の何かを思い出しているのかもしれない。
「じゃあ、アスラン。ゆっくり休んで」
おやすみ、と踵を返すとふいにアスランが「キラ」、と手を掴んだ。
振り返ると、いつも通りになく視線を落としたままでこちらを見ない。
「どうしたのアスラン」
いらえもない。握った手をじっと見つめたまま動きもしなくなってしまったアスランを、さすがに仕事だけではない疲労があるのだと思い、キラはその横に座って肩を寄せてみた。
「アスラン?」
顔を覗き込むと、とらえたままの手を何だかもそもそと撫でてみたり握ってみたり、何の思考もない様子で弄った。…だのに、表情はわりとふつうにしている。
こういうときのアスランはたぶん、目の前のキラを置いてきぼりにひとり考えに没頭している。
───何があったんだろう。
愚痴がいいたい雰囲気でもなさそうなので、キラもしばらく黙ってアスランのしたいようにさせる。
まさしく今、アスランはいじいじとひとりの考えに没頭していた。つまらない嫉妬心で何日もキラにそっけない態度をとり、あげくそのまま仕事に忙殺され、キラの顔を見ることもできなくなって。
疲れが溜まるごとに後悔が押し寄せて…。
キラに対して空回りをし続ける自分に呆れるあまり、キラ自身にとてつもなく慰めてもらいたい気分に、落ち込んでいた。

───どうしよう…キラにキスしたい…。

二度目のザフト脱走から、アスランは何度かはずみのようにキラにくちづけをしている。その度に彼がどう思っているのかは知らないが、今日ははっきりと自分にキラへの恋慕がつのっていることが判っているので“それはまずい”ような気がしている。
「甘えたい? アスラン」
「え…」
堪えるのに一生懸命で、一瞬いわれたことばが理解できず惚けていると、その隙にぐいっとキラに頭を抱き寄せられた。
「ぼくたち家族なんだから」
「……………」
その顔を見れば、キラは楽しそうに笑っている。
「いつでも“お兄ちゃん”に甘えていいよ」
してやったりと嬉しそうな笑顔のキラに、ついにアスランも吹き出した。
「…莫迦いうな…!」
表情の緩んだアスランの頭を、キラがふざけて子供にするように撫でる。やめろよ、と笑いつついって彼の腕を引きはがすと、アスランはようやく少し、元気が出てきた。

「……キラが久しぶりだなぁと思って」
「ん? …そうだね…。少なくとも十日くらいはまともに話してなかったかな」
キラが考えに泳がせた視線をアスランにもどすと、さきほども見た疲れと艶を含んだ優しい微笑みを湛えて…彼はキラを見つめている。
「アスラン…?」
また途切れたことばを不審に思って顔を近づけると、そのまま彼も顔を寄せてきて、静かに唇を重ねた。
そのぬくもりが伝わるまもなく離れると、すいとアスランは立ち上がった。ワードローブを開けて上着を脱ぎハンガーにかける。それがあまりに何気ないそぶりで、くちづけと思われたものは顔を動かした勢いでかすっただけのことのように錯覚する。だが、間違いなくそうではない証拠に、離れる瞬間、アスランはキラの唇を微かに吸った。その音も耳に、届いたように思う。
背を向けたまま着替えを続けるその顔はキラから見えないが、「もう寝る。おやすみ。キラももう寝ろよ」といった声は、疲れの消えたいつもの声だった。
「うん、おやすみ」
最後まで表情を確認できないまま、キラはアスランの部屋から出て、そのドアを閉めた。