C.E.74 May ヒドゥンポテンシャル


C.E.74 2 May

Scene モルゲンレーテ地下施設・エリカの執務室

──モルゲンレーテ本社地下工場。オノゴロ島軍港北部に隠された兵器開発施設。その内部に入ることができるのはモルゲンレーテ社員でも限られた者だけで、外部の人間はとくに容易に足を踏み入れることはできず、さらにはその存在すら知れるものではない。
三年前の大戦中には技術協力などで数度訪れたことがあったが、キラがこの場所へ足を運ぶのはそれ以来、ということになる。
「わざわざきてもらって、すみません閣下」
モビルスーツ開発の上級主任者を務めるエリカ・シモンズが笑顔と握手をキラに差し出した。それに同じもので応え、キラは「いえ、お疲れさまです」と労った。
「開発もだいぶ軌道に乗ってきたんですよ」
オペレーション・フューリーから状況が落ちつかず、進行中の開発のほとんどが遅延続きだった。停戦から二ヶ月、やっと順調に進み出しその遅れも取りもどしつつあるのだという。モルゲンレーテの職員は本当に優秀だと思う。

キラは今日、その開発状況の視察にやってきたのだった。事前にエリカと通信したときには「ついでのお願いもあります」といわれている。
「実は、ちょっと噂を小耳に挟んだので」
エリカのそのひとことに、キラは「しょうがないなぁ」といいながらいたずらっぽい笑みを浮かべる。
持ってきましたよ、とデータメディアをひとつポケットから取り出しエリカに渡した。
「やだ、ご存知でした?」
「タイミングがよすぎましたから。お願いをいわれたときの」
キラは笑いながら返す。エリカは受け取ったメディアを早速手元の端末にロードし、中のファイルを確認すると、「かなり混沌としてますね」と苦笑いする。整理整頓は苦手で、とキラは恥ずかしそうに笑ってごまかし、そのかわりにと自分で内容を要約をする。
「三年以上もまえのものですし、遊びでやったものですし。そんなに使えるものはありませんよ。あとでぼくがちゃんと見ますから、その中から流用できそうなサブプログラムとか…役に立ちそうなものがあれば、また整理して…ちょっと手も加えて、お渡しします」
「それは大変ありがたいわ。でも、これもこのままいただいてもいいかしら。面白いですよ、“完全なオリジナルのMSOS”なんて」

キラがエリカに渡したデータの中身は、カレッジ時代のちょっとした趣味の結果だ。
ごくふつうに工学部の学生として、モビルスーツの機能と、とくにそのオペレーションシステムに興味をもった。この頃、その存在が知れているのはザフト製のみであったし、ましてや一般の学生にはその設計も仕様ももちろん手に入れることは叶わなかったので、“想像”で、オリジナルOSを組んだことがあったのだ。
当時民間で(ちょっとだけ“裏技”も使い)手に入るだけの機体の性能や外観などから、内部の構成を想定し、それらを動かすにはどういうオペレーションシステムであれば可能になるかを遊びで考えた。自分で一から組み立てたものの、それをのせるための機体までは作りようがないので、本当に動くのかどうかすら判らない。
そんな、本当に戯れにしてつくったものの存在を思い出したのは、メサイア攻防戦のまえにコペルニクスへいったときだった。
コロニーに住んでいたときは、大切なデータは身近なヘリオポリス内のストレージセンターのほかに、年に数回、引っ越すまえに契約してあった月のセンターにも保存することを心がけていた。コロニーに住むことは星に住むことよりも危険の率が高いこともあり、おおむね誰もが同じようにしている。だが実際には、コロニーは最上の安全対策が施されているので、あのような惨事に遭遇でもしなければ杞憂ともいえるリスク対策だ。
コペルニクスで、そういえばと当時のバックアップを思い出し、保存してあったデータを取り出してみた。今の家へ越すときに中身を確認し、数々の懐かしい痕跡の中から、このオリジナルOSのデータを見つけたのだった。
視察の予定を組んだとき、たまたまモルゲンレーテから工廠に出向していた技術者と息抜きでその話をした直後でもあったので、耳聡いエリカからのお願いの内容はすぐに察した。

三年前、ストライクのOSを瞬時に把握し調整するという離れ業を成し遂げたのも、この経験が助けになったといえる。
「だとしても驚異的なことであるとは、ご自身で自覚されています?」
過去にも何度かいわれたエリカの問いをキラは受け流す。
「専門のプログラミングを訓練したコーディネイターであれば、そんなに驚くほどのことじゃないですよ」
それはエリカももちろん知っていた。だが、ふつうのコーディネイターと違っているのは、彼がものの数分で、戦闘をおこないながらそれをこなしたという事実だ。モルゲンレーテに所属する数人のコーディネイターや、あのザフトからきた彼にも確認したことがあるが、「その状況にならないと判らないが、たぶんできないだろう」とのことだ。

「准将は、“SEED”をご存知ですか?」

───あなたは、SEEDを持つ者。
キラはマルキオからその単語を初めて聞かされた。そして、戦争から離れていた時期に興味が沸き、ライブラリなどからその意味を調べあげていた。
その因子による能力は、とくに極限状態に発露するケースが多く、戦争中の覚醒者が多かったという。しかしこれは本人の意思に関係なく発現するものでもあり、本人に自覚のないケースが多い。現在の研究では、潜在数のほうが多数を占めると見ている。そのような状況で発現時の研究データは乏しく、確認できていることといえば、反射速度などの飛躍的な向上、直感力…これは透視や先読みに近い超感覚の発現などのいくつかが挙げられた。
それらの概要を知って、キラには確かに思い当たるものがあったのだ。いつかバルトフェルドに“狂戦士のような”と評された自分の戦闘能力。突然やってきた、感覚がどこまでもクリアになっていく状態が、それだというのなら。
「……知っています。シモンズ主任の仰りたいことも、判ります」
「…そうでしょうね。それで、どうされるおつもりなんですか?」
エリカはキラの心を見透かしているかのようにいった。
「──何か、させたいんですか?」
質問されたことをごまかすために、苦笑しながら質問で返す。キラには思うところがあったが、今の段階でエリカにそれを打ち明けるつもりはなく、また、他人がSEEDについてどう考えているのかには興味があった。
「いいえ。でも、万人が持つものではないものを知って、何もせずにいられるのかと思っただけです」
わたしには縁のない話なので、とエリカは笑顔でつけ加えた。キラは笑みを返しただけで、それ以上を語ることはしなかった。


C.E.74 5 May

Scene ヤラファス島〜オノゴロ島・移動ヘリ

三十分にも満たないことではあるが、オーブ本島とオノゴロ島のあいだを移動するヘリの中がアスランの休息時間になりつつあった。本当はそんな隙間にも仕事で考えなくてはならないこともあるのだが、そこまで根を詰めるといつか倒れてしまう。自身の体力と精神力にはそれなりに自信はあったが、今は自分も重要な位置にある人間であることも判ってはいるので、これも仕事のうち、と休息は決めたルールで取るように心がけている。

今はその移動のあいまに、キラから受け取った月のバックアップデータを整理している。それは懐かしい思い出を拾いあげる作業でもあるので自然と心が和んだ。当時の自分の拙いプログラムや課題に使った設計書、主に勉強に使ったり作ったりしたデータがファイルの数でいえば多かったが、その容量の半分を占めているのは写真データのほうだった。
そして、そのデータのまたほとんどは、キラと一緒に写った自分のものか、キラの写真だ。
ごまかしようもなく、この頃から自分はキラを好きだったのだと思う。
アスランは、それを心の奥深くに押し隠し見ないふりをするようになったきっかけをはっきりと覚えている。
第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦に突入する少しまえのこと、メンデルで過ごしていたときにふいに訪れた、あの衝動を受け入れたあとのことだった。

あの頃、アスランは父親との決別に打ちのめされ、キラはメンデルで知った自分の出生の意味に混乱していた。とくにキラは何日も浮上することなく、誰もがかわるがわる彼を支えたが、最終的にはずっとアスランの傍にいて、その手を求めてきた。
思えばあのときは誰もがつらい状態にあって、カガリとラクスもその父親を亡くしたばかりであったし、彼女らに甘え続けることはキラにとって申し訳ない気持ちがあったのだと思う。それに、自分に対しては子供の頃の「甘え慣れた相手」でもあっただろうから、アスランはそのキラの選択を当然のように思っていた。

そうして頼られることによって自制して、キラがもっと寄りかかることができるように、と自身も無理をしていたのかもしれない。

キラがたびたび夢にうなされ真夜中に飛び起きるため、アスランはキラを同じベッドに誘って眠ることが多くなっていた。その日も何ということもなく同じベッドにもぐりこんだが、眠りにつくまでのあいだ話題にしたことが、よくなかった。
アスランがプラントへいき、離ればなれになってからお互いにどれほど辛く寂しい思いをしていたかの確認などを、してしまったから。
その切なさがついに限界にきて、気がつけば互いの肌で熱を分け合うありさまとなっていた。

「まもなくです」

随員の声がかかり、アスランは現実へ引きもどされた。端末をアタッシェケースにしまい、気持ちを切り替える。

あの衝動はそのあとのキラのひとことで、二度と訪れることはなかった。
───でたらめばかり、いって。
キラは昔からそうだ。自分を混乱させて、振り回して───。

けれど、今はもうはっきりと、自分自身の気持ちなど判っている。
否定をすることなど、できるはずのない。キラを想う気持ちを。


C.E.74 18 May

Scene オノゴロ島軍港・アークエンジェル

あまりにもその場所にそぐわない歓声と歌声が響く。
ここアークエンジェルの格納庫の一画には、会議用の広いテーブルがいくつか置かれ、そのうえにはパーティ用の準備がすっかりできあがっていた。その中でも中央にあるテーブルには、直径五十センチは越えていそうなバースディケーキがどっかりと場所を占めている。真っ白なデコレーションケーキの真ん中にはチョコレートとイチゴのソースで、「Happy Birthday Cagalli & Kira !!」と書かれていた。
「ありがとうみんな。今日は無礼講だからうんと楽しんでくれ!」
キラとカガリで肩を組みながらケーキのうえに並んだろうそくの火を吹き消すと、彼女は大声でその場に集った仲間たちにそう告げた。
今日、5月18日はふたりの誕生日だ。誕生日といえど通常とまったく変わらない一日を過ごしたが、その終わりにこうして「仲間」と呼べる人たちが自分たちのために集まってくれたこと、祝ってくれること、それらの思いに、疲れは一気に吹き飛んだ。
そして、自分と同様に心から喜んでいるカガリを見て、キラは嬉しかった。停戦してから、疲れも見せず頑張り続けているカガリを頼もしく誇りに思っていたけれど、肩書きを置いて微笑む姿を見ることもずっとなかったのだから。
「なんだかんだと七十人はきちゃったかしらね」
「おおむね三隻の元クルーですけどね」
傍にいたマリューと会話する。その横にはムウが立ち、さらにはさきほどからその人数に面食らった表情をしているバルトフェルドもいた。
アスランは、いつものようにキラの隣にいる。
「これでもあんまり集めないでっていってたんだけどね…」
「はは、このふたりの誕生会でよくこの人数でおさまったってところでしょ」
ムウが少し呆れた声でこぼすと、バルトフェルドが苦笑しながらフォローした。
「それにしても、ほんとにここ使ってよかったのかしら? わたし冗談のつもりだったんだけど…」
アークエンジェルでバースディパーティをしようといったのは、マリューの提案だった。
「カガリがいるんだから、それはもう何でもありなんじゃないマリューさん。そもそもカガリがいった条件に合うとこっていったら、ここしか思いつかないし…」
キラのことばに、「条件?」とアスランが訊く。
「緊急時すぐ動けるように軍施設内のどこか、でもさわいでても誰にも怒られない閉鎖された場所。で、食事が用意できる…でしょ。それから酔いつぶれた人がでてもテキトーに休ませられるところがあって…」
「なるほど」
アスランはさきほどから極端に口数が少ない。こういう場ではそこにいる人が多ければ多いほど無口が進行する。人が多いとみずから口を開かずとも誰かがしゃべってくれているので、彼は聞き役に徹するのが常だった。


「キラおめでと〜〜」
ミリアリア・ハウとサイ・アーガイルがばたばたとキラの傍まで駆け寄ってきた。
「ミリィ、サイ。ありがと」
キラをふたりに強奪され、途端に所在なくなったアスランのところへは、メイリン・ホークが寄ってきた。
メイリンは実はさきほどからそのタイミングを窺っていた。アスランは気がつきもしないが、キラとアスランが並んでいるときには、メイリンは彼らの傍にいかないようにしている。それは以前、ザフトから飛び出しアークエンジェルに匿われていたころに、ミリアリアにいわれたことが習慣になり残っているのだった。
ふたりは基本的によく並んでいるので、なかなかアスランと話す機会を得られない。仕事中とは違う席で、アスランにもう一度礼をいいたい、とメイリンは考えていた。
仕事には慣れたか、とアスランが訊いてくる。
「はい。簡単な事務処理だけですから」
「きみの力を発揮できる場所じゃなくて申し訳ないんだけど」
おっとりしているように見えて、ミネルバのブリッジクルーで情報学のエキスパートだ。いくらなんでも事務職はもったいない。
「まさか軍のお仕事を紹介していただけると思ってませんでしたから」
「きみをプラントに帰す動きもとっているから。あくまでオーブは“仮住まい”だろ。それらの事情を考慮してカガリが決めたことだ」
そういいながらも、その決定に助言したのはアスランだということをメイリンは知っている。
「はい、本当に。わたしのようなものにまで細かく考えてくださって。おまけにプライベートなパーティにも誘っていただいて」
ほんとに嬉しいです、とメイリンは微笑んで「本当に、ありがとうございます、いろいろなこと」といった。
───本心では不安もあるだろうに。
メイリンのこれからのことは、まだ明確ではない。できる限り尽力しなくては、とメイリンの笑顔を見ながらアスランは思った。


「それにしてもサイがオーブ軍にいるとは思わなかった」
キラがそのことを知ったのは、実は今日この日だ。サイは第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦からオーブにもどったあとカレッジに入学し直し、情報処理関連の勉強を積んでからオーブ軍に志願した。半年前のことだったらしい。彼の所属は宇宙軍の通信技術局だ。
ミリアリアもやはり退役することなく、統合軍の統合本部広報局に勤務している。それぞれの分野で、彼らも「できること」を進めているのだ。
「また前線で一緒に仕事することはないでしょうけど」
「うん、それでいいよ。ていうかもう誰も前線にいくようなことになんか、ならなければいいことなんだけどね」
亡くしたともだちを思い、痛みを滲ませた表情を微かに表してキラはいった。
「そのために頑張ってるんだなキラは」
キラが何もかも、背負っていこうとしていることをサイもミリアリアも知っている。彼はそんなことないよ、といつも否定するけれども。

思えば、ヘリオポリスのカレッジにいたときから彼はそうなのだ。
ヘリオポリスはオーブ領のコロニーだった。コロニーといえば自然とコーディネイターの人口比率があがるが、それでもオーブ国民からなるその市民は、ナチュラルのほうがその数の多くを占めていた。
その中にあって、ヘリオポリスのカレッジは若く柔軟な思考を持つ若者たちが集っていたのでゆるい雰囲気があり、差別的な諍いを見ることもまったくといっていいほどなかった。自分たちもキラとの違いなどほとんど気にすることもなく、だからこそ仲のよい友人を続けていたと思う。
だがキラは、コーディネイターである自分が相応する負荷を受けようとする節があった。
ミリアリアは何度彼に、そのままではいつかキラが保たなくなる、と説教したかしれない。結果としてヤキン・ドゥーエ戦役では過重に耐えきれず、つぶれる寸前にまでなったこともある。
だが、こうして気がついてみるとキラは相変わらずなのだ。これは自身がナチュラルの中にあってコーディネイターだから、という気負いではなく、性格なのだ。だとすれば、止まることもないだろう。
友としては、せめてその重荷が軽くなるよう手を貸しながら見守るしかない。
「良いほうにいったり悪いほうにいったり。いろいろだけど。でも、ぼくにもできることは、やっぱりあるんだよね」
諦めたような口ぶりで明るくいうキラの見えない心の奥を思って、サイとミリアリアは「いつでも助けるよ」と心の中で誓う。
「サイの話をきかせてよ」
「会うの自体久しぶりだからな。全部話せるかな」
「ここ朝まで貸し切りだからいいよ。全部話して!」
嬉しそうに瞳を輝かせるキラの笑顔は、誕生日プレゼントを受け取ったそれとまったく同じものだった。


C.E.74 18 May

Scene オノゴロ島軍港・アークエンジェル

もうまもなく、日付を越える。ベッドに据えられている時計を見てアスランは深く息を吐く。
それなりに楽しんだけれど、集った人が多すぎて疲れてもいた。あまり大人数の中で入れ替わり立ち替わり話し相手を変えていると、話題へ思考が追いつかなくなる。そこにいる人が増えれば増えるほど、アスランは煩わしさを覚えて面倒になった。しかし、誰にでも真摯な態度を崩さない彼には、そこで適当に流すこともできず、結局は自分に無理を強いて余計な疲れに見舞われるのだった。
アークエンジェルの中の、かつて自分たちが使っていた士官室のベッドに仰向けになり、もう今日はこのままここで休んでしまうかと考える。まだ眠くはなかったが、かといってそういうときの習慣にしている読書をしようにも、そのための本が手元にない。すでに動くこと自体が億劫になっていたので、早く眠くならないだろうかと考える。
そんなことをぼんやりと思いながら目を閉じていると、ドアの開く音がした。
「やっぱりここにいた」
「……キラ…?」
今夜のメインキャストがここにくるとは思ってもいなかったので、アスランはびっくりして起きあがった。
「あ、ごめん寝てた?」
「いや。…それよりおまえが抜けるにはまだ早い時間なんじゃないか?」
もう一度時計を目にしていう。
「カガリなんてキサカさんに呼ばれてとうに抜けちゃってるよ」
だったらなおさら…、とアスランは苦笑した。
「みんな自由に楽しんでるし。いいんじゃないもう。久しぶりにお酒たくさん飲んだから疲れちゃった」
いいながらキラはアスランの横にきて同じベッドのうえに寝転がった。
「もう休むか?」
生返事をするキラの顔を見おろすと、頬が少し赤い。あまり顔に出るほうじゃないことは知っているので、めずらしいなとアスランは思う。きっと今夜のことが嬉しかったのだろう。
そこではたと思い出して、自身のポケットを探ると一個のデータキューブを取り出しキラに渡した。
「アスラン……。もしかしてプレゼント?」
がばりと起き上がり、無言で差し出されたそれに目を丸くしている。アスランはやはり黙ったまま頷いた。キラの次の台詞を期待して、その顔が少し緩む。
「…何がはいってるの?」
丁寧に両手でキューブを受け取ると、そのままではその中身が見えるはずもないのにじっと視線を落としている。
「コペルニクスの頃の写真、ふたりで撮ったやつ全部」
「………え…?」
「ヘリオポリスで全部なくなったっていってただろ。おれが持ってたのは月にバックアップしてたから。それでこのあいだ…ちょっと整理して」
キラがいつだかフラッシュメモリに移したデータに、収まっていたもの。
「もっと早く思い出すべきだったんだけど。バックアップそのものをずっと忘れてたからな…」
そうだったよね、とキラは笑った。今は息つく暇もなく忙しくなっているアスランには、たったこれだけのものを準備する時間すら貴重だった。それを知っていたキラは、「ごめん、きみからもらえるとか、ぜんぜん思ってなくて」と、少しばつのわるそうな顔をしていった。
「誕生日プレゼントにするほどの内容じゃないよな。でも何か、渡したくて」
キラへの思いをつのらせている今、その彼の生まれた日に何もできないのは嫌だった。
「ありがとう、嬉しいよ」
アスランは心からの笑顔とそのことばに少し照れながら、日付越えてごめんな、といった。時計はいつのまにか0時を過ぎていた。

「アスラン楽しんだ?」
それからつらつらとふたりでそのまま話し込んでから、ふいにキラはそう訊いた。
「え?」
「けっこう早くに席外したでしょ。ちゃんとチェックしてたんだから」
「……………」
ミリアリアたちに攫われてからあと、キラは次々とあちこちで呼ばれてアスランのところへはもどれなかった。そのあいだもずっと視界の端にアスランを入れて、しばらくは彼自身もいろいろな人と話をしている様子を見ていたが、気がつくとずっと佇んでいた場所からいなくなっていた。周りにいた人に訊いても空気のように消えてしまった彼のことは気がつかず、キラに問われてから「そういえばいない」とつぶやく始末だった。
「アスランてけっこう人見知りするんだよね。こういうときもあんまり溶け込まないし」
「……途中でめんどくさく、なってしまって…」
キラの指摘に本音をこぼす。ぼくとはよく何時間でも話してるんだから同じように話せばいいのに、とキラは返した。
「キラと同じように話すなんてできないよ…誰にも」
「誰にも? ───カガリにも?」
「一緒にいた時間が違う。共有してる思い出の数が…違うだろ……」
───思い出だけが話題じゃないのに。
ぼんやりとした視線を落として静かに告げてくる相手を、キラは訝しむ。たとえそれが本音だとしても、アスランはふだんそんなことを明かす人ではない。もっと…───前向きな思考の切り替えを、するはずだ。
「思い出がある分だけおまえのことを知ってるってことだよ」
それはそうだろうと思う。とくに自分たちは兄弟のようにいつも一緒にいたのだから。
「知ってるってことは、何を考えてて…何を話したいと思ってるかとか。何を話したら喜ぶかとか…逆に避けたほうがいい話題はとか」
「それ、他の人ともめんどくさがらず話をたくさんしないと、いつまでもそんなふうに判らないってことだよ?」
そのことばにアスランは考えるように少し間を置いて、ごろりとベッドに寝転んだ。
「うん。いいんだ」
「いいの?」
「キラがいればいい」
「……………」
「キラがいるから。…いいんだ」

キラは返答に困った。

「兄離れしない弟をもった気分…」
大仰にため息をついてみせながらそう告げれば、「ああそれ、昔おれがいつもキラにそう思ってた」とアスランはいった。
つい笑いがこぼれるが、次の瞬間には、どうも沈んだ様子がちらちらと見えることが心配になる。
「アスラン、どうしたの。どうか、したの?」
思い切って訊いてみるが、無言を返してくる。
「疲れてるんじゃないの」
「……大丈夫だ…」
疲れていないはずはないと思うし、アスランの「大丈夫だ」はアテにならないこともよく知っている。
下手をするとこの幼馴染みは、自分にすら何もいわないままどこかへ突き進んでいることがあるので、キラは細心の注意を払って見ていなくてはならない。
このところのどこか、微かに思い悩んでいるような様子には気がついている。こちらから訊ねればその多くは明かすのに、大丈夫、何でもないを繰り返すことが増えているような気がする。
「……………」
自分が力になれないことに胸が締めつけれられた。
その切ない気持ちに、久しぶりに、涙腺まで緩んでくる。本当に涙を落としたりは、もちろんできないけれど。
横たわるアスランの隣に身体を寄せて、キラはそっとその額にくちづけをした。
それから目を合わせると、アスランはほんの少し驚いた顔でキラを見あげている。
「昔ぼくが落ち込んでると、アスランはこうやって慰めてくれた」
他の意味がないことを知らしめるように、昔話に乗せた。
「変だね…キスされるだけなのに。なんで安心できるんだろうね…」
「……………」
唇にかかわらず、その身体のどこかが触れ合うだけで慰めになることをふたりは知っている。それはほかの誰よりも、今目の前にいる互いからしか得られないことも。
「不思議だけど、アスランも同じならいい」
そうして得られる安心も、胸を締めつけるこの切なさも。告げることのできない哀しみがキラを襲う。
キラは自分から目を逸らして震えそうになる睫をごまかそうとした。ほんの三十センチほどの距離にあるアスランからの視線をどうにか避けたいとも思うのに、身体はそこから離れたくないといっている。

───このままだと、泣いて、しまう。

ふいに、アスランの左手が伸びてきてキラの右頬に添えられた。合わせたくない視線をもどされて戸惑うが、逆らうことはしない。がまんしているのを気づかれたくなかったので。そうするともう片方の手があがり後頭部の髪へ差し込まれ、優しく、押された。アスランのほうへ。
互いの鼻先が触れた。影で深い色になったアスランの瞳の翠がきれいで、キラはそのまま目が離せなくなる。さらに顔を引き寄せられて、唇と唇が触れ合った。二度小さく啄まれ、キラの頭を抑えていた力がなくなり、その手は絡んだ髪を梳くようにして離れた。
キラが少し身体を起こしてアスランの顔を見ると、アスランもどこか泣きそうな表情だった。それなのに、優しく、柔らかく、微笑んでもいた。
「おでこじゃちょっと足りなかった」
アスランはいいわけをしてから、ごめん、といった。
「ありがとう、キラ」
今度は身体ごと優しく背中を抱きこまれ、母親が子供をあやすようにぽんぽんと叩かれる。
「……うん…アスラン…」
キラはいつのまにか自分が慰められるほうになっていることに少し笑った。
自分が泣き出しそうな気配など、アスランにはぜったいにごまかすことなどできないんだ、と今更ながらに実感していた。


C.E.74 20 May

Scene オーブ陸軍オノゴロ駐屯地

レドニル・キサカはオーブ陸軍オノゴロ駐屯地の一室で携帯式の通信機器を操作していた。この駐屯地はオーブ本部から北東部の徒歩圏内に位置し、本部内の陸軍棟を実質玄関口としている。キサカはふだん、内閣府官邸にほど近いヤラファス駐屯地にいることが多いが、今日はエリカ・シモンズからこの通信機を受け取るためにオノゴロ島まできていた。
「また潜入任務ですの?」
エリカが訊ねるがキサカは笑みを返すのみでそうとも違うともいわない。もちろんエリカも返事を期待しての質問ではなかった。
事実は一週間後に東ユーラシア連邦への潜入が控えており、その準備をしている。エリカが持参したのは、最新式の通信機で、暗号化アルゴリズムの強化と伝送そのものを隠す(ごまかすといったニュアンスが近いか)特殊な技術が使われているものだ。

受け取った機器をひととおり試し、機能に満足したキサカは、エリカを出口まで送ろうとドアノブに手をかけた。
「ついでのご報告というわけではありませんけど」
それを引き止めるようにエリカが告げる。
「また何か問題でも発生しましたか」
キサカは代表首長のカガリに近い人物ということもあり、モルゲンレーテ内での困り事をいちばんに相談されることが多い。エリカは彼の思い違いに「そうではありません」と笑顔ながらにいった。
「ヤマト准将がユーラシア西側難民のとある研究者と、コンタクトがとれないかといってきましたので…」
「何?」
「確かにそういう学者がいる、と教えたのはわたしですけれども。伝手があるわけではないのでお断りしましたよ?」
キサカは難しい顔をして、そうか、といった。
「……みずから“SEED”研究に関わっていく心積もりがあるようです。自身のこととはいえ、あまり無防備に動かれてはよろしくないんじゃないかしらね。もちろん当人にも警告しましたよ」
プラントとの紛争を片付けようという今、次から次へと新たな動きが起こる。キサカがこれから動こうとしている東ユーラシア連邦の任務は、実はキラ・ヤマトにも関わることだった。
───あまり勝手に動いて欲しくないのだが。
一度キラとも腰を据えて相談せねばなるまい、とキサカは思う。

「ありがとう、シモンズ主任。教えてくれてよかった」
ドアをまえにした立ち話はそこで終わった。