C.E.74 Apr カーム


C.E.74 3 Apr

Scene オーブ内閣府官邸・代表首長執務室

「ラクスの決めたことには、ぼくは異論ないよ」

キラの即答にカガリはうっと息を詰まらせた。
平和へと邁進する国のスタートをあらわすようなうららかな日差しが、オーブ代表首長執務室の広い窓からあふれている。
そんなさわやかな朝の光を受けながら、代表首長である彼女の顔は少し曇っていた。キラのそのはっきりした態度が不満だったのだ。
「なにカガリ? 止めて欲しいとか?」
ラクスが決めた、ラクス自身のこれからのことについてふたりは話していた。
いやそうじゃない、とカガリは返す。
「彼女は本来プラントに在るべき人だったし、そのプラントからの要請ということであれば歓迎すべきだ」
オーブ連合首長国、プラント間での停戦協定締結から、今日で約三週間。そのプラントから、ラクス・クラインの帰還を請う申し出があったのはつい昨日のことだ。それなのに、かのラクス・クラインは昨日のうちに要請を容れることを決め、今朝ほどカガリにそう連絡してきたのだった。
自身のことをあまりにあっさりと決めたラクスにも驚いたが、その内容を告げてこれもまたあっさりとうなずいている血を分けた弟に、カガリは拍子抜けともなんともいい難いものを感じている。
「おまえはどうもあっさりしてるなと思って」
素直にそのままの感想を述べると、キラは不思議そうな顔を向けた。だが、こちらの気持ちは察しているように思えて、カガリはキラのことばを待った。
「だって決めたから、ラクスとは。ぼくたちができることをやっていくってことを、さ。カガリだってそう決めて、そうしているでしょ」
最後の決戦へと向かうべく月への出発を控えたあの日。ヤキン・ドゥーエ戦役から「三隻同盟」と呼ばれ、共に闘った仲間たち。その面々がそれぞれに、さまざまな形で胸に誓った。これからの世界をどうすればいいのか、という漠然とした理想だけを抱えたまま。ただ進むしかないことを目の前の現実として突きつけられ、それでもなお、と。
カガリも新しく決意したこと、改めて誓ったこと、いろいろなことを胸に刻んだけれども、慌てることなく目前から着実に、丁寧に進めていくのだ、と思った。そのために、それを阻むデュランダルを、まずは止めるのだと決意した。それが成って、新しく見えてきた次へと進むべき道。カガリは迷うことなく進んでいる。
同じように見えたのであろう、ラクスの次の道。それはまったく理解をしている。
だが、今少し漏れてしまった不満はそのことではない。
「それは、そうだ。そのために自分自身を犠牲にすることになっても、と。…だが、」
不満を続けて明かそうとしたカガリに、くすりと笑みをこぼしてキラは遮った。
「自分はそうするけれど、ぼくたちにはそんなことをして欲しくないとか、いいださないでよね」
「…キラ…!」
図星を指されて、カガリは叱るような声をつい弟に向けてしまった。
───すべきことのため、愛する人と距離を置く。
決断のひとつとして下した、ひとりの人間としてのしあわせ。
それは、泣き喚きたいほどの堪え難い苦しみを伴った。それだけにカガリは、キラとラクスも同じ痛みを得るつもりか、と。それを容れてしまうのか、と。そう考えてしまうのだ。
「でも本当に大丈夫だから。ぼくは」
だが、淡々と自信をもって告げる弟の瞳には、嘘は見えない。
自分らのように向き合わない想いではない、はずだ。お互いが相手を指し示しているようなのに、何故こんなに淡泊でいられるのかが判らない。

確かに、キラとラクスのふたりが愛を約束していると聞いた覚えはない。以前、ラクスへあからさまに「おまえたち、いったいどうなんだ?」と訊ねたこともあったが、「キラとわたくしは、そのままキラとわたくしですわ」と曖昧に返されてしまった。だが、さきほどのキラのいい様や、ふだんのふたりの仲睦まじい様子を見れば、それは間違いないのだろうと思ってしまう。
でも、双子とはいえ感情のレベルでは、たいそうベクトルの違うこの弟の本当の気持ちは、いまだに理解ができない。
「…判った…そのことば信じる」
仕方がないのでとりあえず話を切り上げた。閣議の時間がそろそろせまっている。いずれあらためて、今度はキラから本心を聞き出そうと企みつつカガリは腰をあげた。
赤い絨毯の続く廊下をいこうとしたカガリにキラがまって、と声をかける。
「なんだ、キラ?」
時間が押しているので足を進めるまま聞く姿勢をとると、「そういうふうに心配するならぼくもちょっと聞いておくけど」と、少しいい難そうにためらいながらもはっきりと訊いてきた。
「アスランのことはどうするつもりなの」

───逆襲、されたなぁ……。

告げぬままの決意を察したキラもラクスも、当のアスランも、これまで誰ひとりとして自分に訊ねてくるようなことをしなかったことには、少しほっとしていたのに。さきほどの会話で、自分で蓋を開けてしまったようだ。
カガリは、仕方がないよな、と諦めた。


キラは、キラこそが長らく納得できずにいたことを訊ねたのだ。先の戦争で、カガリの中で変わったものがある。それは理解しているけれども、そこにアスランとの別離がなぜ含まれているのかが判らなかった。
キラの問いかけに、カガリは一瞬うろたえた表情を見せたが、次には困ったものを見るような顔になっていった。
「……どうするって、おまえに任せるよ」
訊ねた自分に振られて、キラが目を点にする。
「任せるって、そうじゃなくて。指輪、はずしちゃって、」
任せるって何だ?と思いながら、キラはアスランの気持ちを代弁しようとする。親友でもある彼があの指輪を購入したときのことをキラは知っている。ふたりの政治的背景はどうあれ、「そのつもり」で買ったのだということも。若干の逡巡を残していたアスランを鼓舞して背を押したのは、ほかならぬキラだったのだから。
「アスランがそれをカガリに贈った気持ちを考えたら……」
そういいかけるとカガリが急にぴたり、と足を止めた。
今日、今までの真剣な話の中でもいちばんの真剣な姉の眼差しを、キラは捕らえた。多少ながらその強い視線にうろたえていると、やはり真剣な声音でキラ、と呼ばれた。
「わたしは今でもアスランを愛している」
改めて本人の口からはっきりいわれると心が少しずきりとする。ひとりを除いては、誰にもその気持ちを隠しているキラは、こっそりと胸のうちで「判ってる。ぼくもだよ」と応えた。
そんな心を知るはずもないカガリは、真剣そのままな決意をキラに告げた。
「でも、この身は国に捧ぐと決めたんだ。まえからそう思ってそうしていたつもりだったけど、覚悟が足りなかったことをこの戦争で痛いほど感じた」
それも知っている。それを改めて告げさせて、キラは彼女の痛みを思い少し後悔する。
「許される状況があれば……あいつと一緒になりたいとは、ほんとは、まぁちょっと思うけど。未練だな」
堪えるような顔で視線を落としたカガリを見て、今度は多いに後悔した。
でも、アスランのために、きちんと聞いておきたいことでもあったから。
やはり、どんなにかわいいと、大切だと思う相手に対しても、比べれば彼のほうを優先してしまう自分の正直さには、なかばうんざりする。
「でもそれがないことも理解してる」
すっと視線をあげてきっぱりといいきった彼女のことばに、キラはえっ、となった。
いっそいさぎよい諦めだが、そこまできっぱりとするほど望みのないことではないじゃないか、と思う。今すぐは政治的な事情がふたりの壁になっているけれども、かつてのナチュラル排斥主義者の息子とナチュラルとコーディネイターの融和を掲げる国の代表の結びつきは、対外的にもそんなにわるいことのようには思えない。カガリの決意は、今この現状だからなのだと思っていたキラは、彼女の本当に終わってしまった、ともとれるいい方を疑問に思った。
「…そんな、カガリ…?」
すると、さらに凛々しいともいえる眼差しをキラのほうにキッとむけてきて「それに」と続ける。
「肝心のあいつの目がどこをむいてるのか、おまえ知っているのか?」
知っている、もちろん。この世界をどうするか。漠然とした理想をどうやって実現していくのか。彼、アスランの目はいつも遠い先を見ている。
でも今は「そういうこと」を置いた、感情の話をしていたのではなかったか。キラがとまどって沈黙していると、その様子に気がついたふうもなくカガリが続ける。
「この二年、すごく愛されてたよ。指輪をくれたことも、すごく真剣だったってことはちゃんと判ってる。嘘とかごまかしとかできるほど器用じゃないからなあいつは。…くそ真面目だし」
「……………」
「そのうえあいつは莫迦だから。莫迦で不器用だから、自分がいまだに判ってないんだ。二年もかけてまだ…!」
やはりカガリは感情の話をしているのか。──いや、でも。キラは頭の中が混乱して相槌すらうてない。そうこうしているうちにカガリはキラの肩にぽんと手を置きこういった。
「だから頼んだぞキラ。大変だろうけどな」
「あの…カガリ…?」
いいたいことの真意を汲み取れないまま呆然としたキラを置きざりに、カガリは「じゃあまたな」と、笑顔を残し踵を返した。まっすぐに何かを目指すように、しっかりと歩いて去っていくカガリの背中を見つめ、そんなこといわれても、とキラは考える。

月へあがるまえに、アスランは指輪を外したカガリを見て、見ている方向は同じなのだとつぶやいた。だから今は、と。ふたりの決意は同じなのだろうと思う。
それでもお互いに大切なら、傍に在りながら共に進めばいいことだと思うのに。
───ぼくは、貪欲だから。
いくらでも彼の傍にいようと思っている。
カガリもアスランも、どうしてがまんするのか。
どうしてがまんなんてできるのか。

キラには判らなかった。


C.E.74 3 Apr

Scene オーブ軍本部・棟内通路

内閣府官邸から、移動ヘリを使いオーブ軍本部へもどったキラはアスランを探す。
停戦間もなく落ちつかない軍のなかで、アスランはさらに落ちつかない位置で職務をこなしている。アスランとキラも含め、先の戦場で宇宙軍第二宇宙艦隊所属だった面々は、停戦後改めて正式な所属を通達するといわれたものの、いまだ辞令はないので軍内でなんとも中途半端なままだ。
アスランはそんな状態のまま、各所のこぼれた仕事を雑務係のように端から片づけていた。今日その日、何を手伝っているかも判らないので、この広い軍棟内で探すのは骨が折れる。
それでもあたりをつけて彷徨っていると、求める姿を見つけることができた。陸海空軍、宇宙軍、本部それぞれの棟を分岐する広い十字路だ。残る一通路は総合エントランスとラウンジなどに繋がる。
本部側への通路、つまりキラが進んできた方向に顔を向けて立ち、ムウ・ラ・フラガと話をしているところだった。ふたりともに和やかな雰囲気はないのでどうやら仕事のことで立ち話をしているようだ。
キラがアスランの姿を認めるのとほぼ同時に、アスランもこちらに気がつく。途端に難しげな顔を緩めて優しい微笑みをこぼし、「キラ」と呼んだ。その一連の流れは昔からまったく同じでキラは苦笑した。嬉しそうな彼の様子に、キラはいつも心が温かくなる。
「アスラン、ムウさん」
ふたりに声をかけながら近づくと、ムウは「じゃあおれはこれで」といった。ムウもアスラン同様あちこちに借り出され忙しくしているので、用件以外に話をする気はないようだ。ふだんの彼の話好きを思えば、キラは一瞬戸惑ってしまう。「じゃ、失礼しますよ准将殿!」と、いつも見る軽い調子で挨拶され、それはすぐになくなったが。
その一瞬の戸惑いのためにわずかに遅れた敬礼をムウに返して見送ると、キラはアスランを振り返った。
「ごめん、話の途中だったかな」
「いや、終わったところだった。カガリのところにいってたんじゃなかったのか、キラは」
告げた覚えはないのに、アスランはこちらの予定を把握しているらしい。自分のほうが忙しいくせに、まめな性格だなとキラは思う。
「いってきたよ。それでちょっとアスランにも報告」
その一言にアスランはまた小さい笑顔をこぼした。オーブに降りてからこんなふうにアスランの笑顔をよく見る。子供の頃と同じように。
「おれオフィスにもどるんだけど。こっち歩きながらでもいい?」
仮で与えられた執務室がある本部のほうを指しながらアスランはいった。キラの返事を待たずに足はもう指した方向へ歩き始めている。慌ててアスランから半歩ばかり遅れ後を追う。ムウ同様一分一秒が惜しいとでもいうようだ。この忙殺されている状態でよくにこにこと笑うものだと関心するが、同時に忙しいといえども今の状況にはひと心地ついているともとれた。
キラはその笑顔になごんで今から告げる内容を少し軽くなったと感じ、ラクスが、と話をきりだした。

「プラントから帰還要請きてるって聞いた?」

アスランは目を瞠り一瞬足を止め「聞いてない」とぼそりといった。ことばを終えるとまた歩きだす。ふたりはそのまま沈黙し三十メートルほど歩き続けた。アスランは沈黙でキラの話の先を促している。
「いろいろ条件というか…双方の、」
それを察して口を開きはじめると、何かに気がついたアスランがすまない、といってキラの話を止めた。
「アマギ三佐」
前方から歩いてくるアマギにアスランが声をかける。彼は先の戦争の功績で一尉から三佐に昇進していた。アマギはふたりの姿を認めると、丁寧に「ザラ准将、ヤマト准将」と呼んで敬礼する。
「タケミカヅチの乗員名簿と戦死者リストが合わないようなんですが…」
「…ああ…それは、思い当たるものがあります。以前報告したはずなんですが」
アスランは手元の携行式端末機器を手早く操作し、リストをアマギに指し示す。データを読みながらアマギは応答していた。
キラにはまったく関わりのない話だったので、ぼんやりと傍でふたりのやりとりを観察する。

…妙な違和感がアスランにあった。

「そうですか判りました。すみません、今頃こんなチェックが回ってきて」
アスランのやりとりを切りあげる声に気がついて、キラははっと逸れていた注意をふたりにもどす。
「といいますか、何故海軍のリストを? …閣下は宇宙軍ですよね?」
「皆仕事が多いので手伝ってるだけです。それにわたしはまだ正式な所属が決定していないので」
そうでしたか、ご苦労をおかけします、とアマギはまた丁寧に礼をいい敬礼した。アマギに見送られながら再び歩きはじめる。
「あれ、アスラン辞令きてなかったんだ」
「ああ。……?」
目顔で「そうだけど、なんで?」と訊ねられ、キラはさきほど記憶したことを告げる。
「統合軍統合本部戦略開発局、だと思うけど」
「え、なんでおまえが?」
「フライングしていいのかな。カガリの机の上にあったリスト見ちゃったんだけどそこにそう」
見たままのことをいうと、アスランがため息をついた。
「…キラ……見ちゃった、って……だめだろうそれ…」
「でもカガリべつに隠してなかったから」
アスランは渋い顔をして、また深く嘆息する。おまえら姉弟は…などとぶつぶついいながら歩き、進むほどに増えてきた士官や下士官とすれ違うたびに、アスランは慣れた仕草で答礼する。キラは甦ったさきほどの違和感に、また無口になってしまう。
急に黙ってしまったキラを振り返り、アスランは「それで?」といった。キラが自分の思考に入り込みぽかんとしているのを見て何かをいいかけ、さらに何かを思い直したように「キラは今時間あるのか?」と訊ねてきた。
「あるよ」
「じゃあ、執務室でちゃんと聞く。通路はここから人が多くなるし、それ、ちょっと歩きながら聞く話じゃないだろ」
キラは違和感にひっかかりながらも、気を取り直しアスランについて彼の執務室へと一緒に向かった。


C.E.74 3 Apr

Scene オーブ軍本部・アスランの執務室

アスランに充てがわれた部屋は所属が決定するまでの仮といいながら、ふつうに高官用執務室のようだった。工廠に詰めることの多い今のキラには、その側にある事務室風の部屋が充てられている。仮とはいえ差別のあることにずるいなぁなどと少し子供っぽいことをキラは思った。
デスクの背後は大きめの窓、隣には別室もある。国土の狭いオーブにあっては、たとえば大西洋連邦ほどの広さ充分なオフィスは望めないが、それでもゆとりのあるほうといえる。おそらく正式な辞令が降りても、アスランは引き続きこの部屋を使うことになるのだろう。これ幸いと、すでにさまざまな資料や書類を積みはじめている。
アスランは自分のデスクにつき、キラにはドアを入って右手に据えてある三人掛けのソファを勧めたが、キラは従わない。アスランにデスクまでついてきて行儀わるくその机に腰掛けた。

キラがカガリのところで得てきた情報をひととおり聞いたアスランは深いため息をついた。だが、さして沈欝な表情はしていない。前向きな内容として捉えているようだ。
「エターナルの返還要請はまぁ順当として…。ラクスの地位は普通に最高評議会議員じゃだめなのか?…平和大使ってなんだ、それ?」
ラクス帰還にあたってプラント国内での地位をそのように提示されているとのことだ。
「それ、実はラクスからの申し出だって」
聞けば打診は昨日のことだというのに、ラクスはもうプラントで動くための心算を何か進めているようだった。
「評議会の枠組みとはべつのシステムをつくってプラントの流れを見守ろうとしてるんじゃないのかな。あるいは多少のコントロールとか?」
ラクスの計算を素直に予想してみると、アスランは苦笑をこぼした。
「さすがに彼女を議長にするほどプラントも莫迦ではないし、ただの議員であればその発言力もたかがしれてるから、ということかな」
プラントへもどるのであれば権力を持てなければ意味がない。カリスマ歌姫としての人気だけではやはり政治は動かせないものだ。
「プラントの政治機構はまだ日が浅いうえに合理性を追及する国だから、まったくといっていいほど複雑なところがない。それだけに最高評議会と議長のパワーバランスがわるいというのは事実だが。評議会とはべつの政治圧力をかけるとなると…だいぶ混乱するぞ、プラントは」
「…判っててやるんだろうけどね」
アスランは難しい顔になって、うん、と頷いた。
「それで…。それはもう決定なのか?」
「そう。出発は20日」
「え、今月?」
もう二週間ほどしかない。
「平和条約の調整役を任されるから、急ぐんだって」
そうか、とつぶやいて、アスランはラクスがプラントへ渡ったあとのことをもうあれこれと考えはじめている。真面目に思考するその横顔を見て、キラの心の中でさきほどから感じていた違和感がまたもや甦る。
アスランの沈思を邪魔することなく黙ったままで、違和感の元を探ろうとその顔を見つめていたら、気がついたアスランが「どうした、キラ?」と訊ねてきた。
どうもしないと答え、キラは諦めてアスランの執務室を辞した。


C.E.74 5 Apr

Scene オーブ内閣府官邸・代表首長執務室

オーブ全軍の大規模異動の辞令がこの日降った。決定まではまさに神業ともいうべき猛スピードだった。
戦後混乱の時期にあって、何をのんびりも考えることなどできない。さらにいえば、使えるべき人材をしかるべき場所へ早く充てがえば、それだけ混乱が早く片づくというもの。続く紛争で、軍内の人員の適性などが表面にでていたことも助けになったが、あとはカガリの決断のよさがこの偉業を成し遂げた。
いわゆる「三隻同盟」として名を連ねた面々の多くは、オーブ統合軍統合本部で平時の軍務に就くことになった。統合軍は、実質これまで軍全体の中心にあった本土防衛軍に代わり、今後の中核となる。統合本部は幕僚機関としての役割に併せて、その構成人員に相当数のタスクフォース要員が含まれ、戦時には艦隊などに再編される。もちろん、アスランやキラたちもその中に含まれていた。

アスランは正式に統合軍統合本部戦略開発局の所属になった。戦略において機動兵器や艦艇などを活用するための俯瞰した検討、およびそれに付帯した戦術の精査や検討を広くおこなう部署だ。プラントでのハイレベル教育に、ごく個人的な趣味が付随したメカニック知識の幅広さと深さ、そして機動兵器パイロットとして前線で目にしてきた経験が、この位置で大きく役に立つ。他に作戦部や技術開発局からも必要といわれ、銃、ナイフの白兵技術の強さから、教育士官としての要望も高かった。
プラントの軍アカデミー主席卒業は伊達ではない。それでなくとも、オーブ内にあってコーディネイターとして公に活動している人間はそう多くはない。軍に限らずどこへいこうとも引っ張りだことなろう。それは同じくコーディネイターを公言するキラやバルトフェルドも同様だが、トータルバランスとしていちばん役に立ちそうといえばアスランに目がいく。
そのポジションはどうやら幼少時から同じで、キラからは「器用貧乏」と過去に称された。要するに“いると便利なヤツ”だ。キラには何か思うところがあったのか、オーブにいる以上それは宿命だから、ともいわれたことがある。
今日もこうして軍ではなく内閣府官邸に呼び出され、目の前にいるふたりを見れば、軍事だけではなく政治的職務も押しつけられるであろう未来は想像に難くない。軍人であり政治家でもあった父の存在を思い出し、できる限り父とは遠くありたい自分にとっては嫌な流れだ、と眉間に皴がよってしまうのも無理からぬと思った。

そんなふうに、さきほどから憮然とした表情をしたアスランをまえに、カガリとラクスは気にするふうでもなく、ラクスのプラント帰還について打ち合わせをすすめている。
「それで、本当に決定なのですかラクス」
「はい」
あらためてアスランが彼女の意志を確認すれば、彼女らしい迷いのない即答がやってくる。それに沈黙を返せばカガリが「なんだ、もしかしておまえももどりたいのか」という。
「…何いってるんだよ…」
もどりたいとかもどりたくないとか、そういうことをいう立場ではない。
「プラントでわたくしを必要とされているのでしたら、それはお手伝いをしようと思います。それにプラントからカガリさんをお手伝いすることができますし、とてもよいことに思いますわ」
ラクスはいつものようにのんびりとしたトーンで、話をもどして真意を話す。それを受けてカガリはラクスへ向いた。
「申し訳ないがわたしはそれは期待している。これからオーブとプラントの関係はすごく動くだろう。同盟のこともあるし、大国と肩を並べて、プラントにとって重要な位置を占める国であるとの認識だ。……アスラン」
急に名を呼ばれ、え?とカガリを見た。
「しばらくおまえには政治向きの仕事も手伝ってもらいたい」
予想していたとおりのことばがきた。できれば自分はプラントからは離れた位置にいたほうがいいと思っていたのだが…。
「おもに平和条約の策定だが、とにかくプラントのことを教えてもらいたいし」
「……おれが、か?」
「ラクスはプラントへあがってしまうし、おまえ以外にいないだろ」
「……バルトフェルド一佐、とか…」
「おまえがいいといっているんだ」
「……………」
無駄と知りつつ少しの抵抗を試みてみる。──状況を見て、確かに自分なんだろう、とは、思うが。
「早速ですけれども、アスランにはわたくしのプラント帰還の調整をしていただきたいの」
「辞令ついでの用件とは…そういう話か…」
待ちかねたようにいったラクスのことばに、アスランはじろりとカガリを睨んだ。カガリはおどけた仕草で両手を広げあげてみせる。
「こういうお仕事は苦手でしょうか?」
不機嫌を隠さないアスランに、ラクスは心配そうに訊ねてきた。
「…いいえ…苦手とか…。ただ…政治向きのことは…。おれは考えすぎるきらいがあるので適格とは思いません」
ノリ気がないのででてくることばの歯切れがわるい。
「キラみたいにろくに考えないほうがだめだろう」
かわいがってる弟に容赦ないことをいってるなと思いつつ、心のうちではとうに諦めている。アスランなら大丈夫ですわ、と、ラクスにも優しくいわれ、覚悟を決めた。
「世界をどうにかしたい、国を護りたいと思うなら、今の戦場はそこにしかないだろ」
と追い討ちをかけるカガリに、「判ってる、尽力します」といって席を立った。


C.E.74 5 Apr

Scene オーブ軍本部・本部棟食堂

オノゴロ島に位置するオーブ軍本部は、陸海空宙統合の五軍がそれぞれ棟に別れている。通常「本部」といえば軍事の中心に位置するこのオノゴロ島軍棟施設全体をさすこともあるが、その中でも、統合軍(旧国土防衛軍)の入る棟のことも意味する。
それぞれの棟の中に各施設が配置されているので、今キラが足を踏み入れたこの食堂も本部の食堂であり、おおむね統合軍に所属する軍人と軍属しか利用しない。
広い食堂の一画には将官専用の場所もあったが、キラはそこで食事をしたことがない。本部の将官といえばアスラン以外に知る者がいないし、何より年齢がかなり上の人間ばかりだ。そこに自分が混ざるのもおかしいような気がして、今日も一般兵や下級士官などに交じって日替わりランチのトレイを手にしていた。

座る場所を探していると、その先から「おっ、准将閣下!」と明るいムウ・ラ・フラガの声が届く。ムウは四人席にひとりで座っていた。おいでおいでと手招きをしている。閣下と呼びながら、その態度は相変わらず気安い。
「やめてくださいよ、ムウさんまでそんな呼び方」
誘われてムウの正面の席に座りながら、名ばかりの准将をもてあます心境がこぼれる。
「え、な〜にいってんの! 勤務中はちゃんとしないとね。規律をきっちりと守ってこそ軍よ?」
「そういうあなたはかなーりゆるゆるですけどね?」
ムウのもっともな(しかし、あくまで軽い物言いだ)理屈に茶々をいれるのは、帰国後まもなくムウの籍に入ったマリュー・ラミアスだ。いや、正確にはマリュー・フラガである。彼女もオーブ軍に入隊した時点で“マリア・ベルネス”の偽名を使ってはいなかった。
キラのすぐ後でトレイを取っていたらしい。マリューはキラの隣に座った。
「これからよろしくね、ヤマト准将」
今日の辞令で、キラとマリューは同じ統合軍統合本部技術開発局となった。それを知ってムウはいいなぁとこぼす。
「ムウさんはアスランと同じでしょ」
「そう戦略開発。でも彼は戦略やるしこっちは機動兵器戦術だ。やる仕事はいろいろ違うな。顔合わせることもそんなにないぞ、多分」
それでも同じ局であれば、自分よりアスランと顔を合わす機会は多いのではないかと思う。ちょっとうらやましいと思うと同時に、こちらはマリューと一緒なのだからムウも同じことを思っているのではないかと想像してこっそり笑った。

しばらく三人で雑談を交わしたあと、キラは先日感じたアスランの違和感を思い出し、ふたりにも訊ねることにした。
「ムウさん、こっち降りてからアスランとは何度か話してますよね。こないだも一緒にいたし…」
「ああ、ここしばらくはな。所属が決まるまでふたりして手が足りないところまわってた感じだから」
笑顔を消して訊ねてきたキラにムウは少し心配な顔になって、「ん、なんかある?」といった。
「なんかアスラン、様子が変わったかなと思って」
「……………」
ムウとマリューは、ぽかんと黙して顔を見合わせる。
「それって具体的に、どう?」
「…なんか、どう…っていうか、う〜ん…」
キラとしてはささやかな違和感を感じるだけのことなので、どうといわれてもいえることがない。頭をひねるキラに、ふいに何か思い当たったのかマリューが「あ」と小さくいった。
「なんかあるマリュー?」
「ええ、なんとなく。それ要するにアスランくんが軍人してるってことじゃなくて?」
「え?」「は?」と、キラとムウが同時に声をあげる。
「だって…。降りてからっていうとアークエンジェルにいたときと今とってことでしょ? それだったらそこしか変わってる…というか変えてる、のほうが正しいかしらね。それしかないんじゃないかしら」
「…それ…軍人してるって…」
マリューのいうところが判らずキラはいい澱む。
「ふつうにしてみればオーブ軍の中にあってアスランくんはふつうに軍人してるように見えるけど。アークエンジェルで見てたときは確かに全然違ったわね。素のままだったんだと思うわよ、あそこは軍隊じゃなかったんだから」
それは確かに、と思う。キラ自身は地球連合軍に所属していた間も軍隊にいるという実感からは少し距離のあるところにいたように思うので、その切り替えまでは想像ができない。
「そのままオーブ軍に組み込まれたときも変わらなかったけれど、軍本部で務めだしてさすがに気を引き締めた、とか?」
さすがにマリューはこういった心の動きに勘がいい。彼女の分析はするりとキラの中におさまってしまった。
「なんとなく、納得してきました。なんだかこの頃アスランに違和感を感じてたんですけど、アスラン自身に不自然な感じがしてなくて」
「まぁ、おまえとはプライベートのつきあいのほうが長いわけだから、そりゃ違和感だろうな」
ムウがその理由を代弁する。
「でも確かに…。切り替えるにしても極端な感じはするわね。ほらだってこの人は勤務中でもこんなだから。…比べちゃいけなかったかしら」
からかうような視線をムウにむけてマリューはくすくすと笑う。おーい、とムウが否定ではないつっこみをいれているがそれを無視して、呆れたようなニュアンスが少しこもった声で「アスランくん、ほんとに真面目なんだわね」といった。
「おれだって真面目です」「あらそう?」などという円満な新婚夫婦のやりとりを楽しく見つめていると、
「キラくん、大丈夫?」
と、マリューが話をこちらにもどしてきた。
「え? あ、はい……」
「よく知ってるはずの友達のべつの顔を見て驚いちゃった?」
「え……いや、あの」
その通りなのだろうが、ことばに組み立てられそう聞かされると、なんだか気恥ずかしさがこみあげてくる。そのうえ、「はぁ〜若いなぁ、きみはいいよねーそういうところ」などと、ムウが大仰に関心してくるので、キラはその若さをまるだしに「ムウさん、からかわないでください!」とついムキになってしまった。


C.E.74 5 Apr

Scene オーブ軍本部・本部棟正面口

その日もキラは定刻で仕事を終了した。軍の教育を受けているアスラン、ムウらと違い、自分は軍人としてはまだ勉強すべきことのほうが多く、今の混沌とした軍の仕事を手伝えるほどには機転もでず、あまり助けにならない。すぐにでも本領を発揮できる開発のほうは、今は停戦直後ということもあってそれほどやるべきことがない。
だが、今はその状況に甘えるままにしている。長い緊張状態を堪えつづける自信があまりもてないだけに、いざというときその身を全力で投じることができるよう休めるときは休むということだ。以前、アスランに似たようなことをいって、彼に休みを強いたことがある。次に文句をいわれないためにアスランの手本になるつもりもあった。

今日は初めて気がついたアスランの一面について、もう少し消化したい気持ちがあった。だが結局、この一日はまるまる彼の声を聞くことすらなかった。
それを残念に思いながら軍施設の正面入口を抜けると、たった今未練に感じていた人物の声が、自分の名前を呼んだ。
声のする方へ目を向けると、そこで誰かを待ってる様子のアスランが破顔して手を振っていた。デートの待ち合わせで彼氏を見つけた女子学生のごとく印象に、キラは「うわ…なにあれ、恥ずかしい」と小声でもらした。
こんなふうに、油断すると思わぬところで無邪気な様子を見せるので、キラはまいったな、と思う。やめてくれ、とも。何故ならそのひとつひとつが自分の彼に向く想いに拍車をかけていくように思えるからだ。オーブにもどってからというもの思考に余裕があるせいか、アスランに向く自分の気持ちがうまく抑えられない。
さすがに、本当の女学生のように手を振りながら駆け寄ってくるようなことまではしてこないので、キラは自分からアスランの待っている場所まで歩いていく。そうして近づきながら、彼が待っていたのが自分以外の誰かでは、などとは疑いもしない。
「アスラン、もう帰れるの?」
「ああ、やっと所属が決まったから、とりあえず今日は。明日からまた忙しそうなんだけど…」
交わした少しの会話で、やはりアスランは自分を待っていたと確認する。
「アスラン」
「ん?」
「今からふたりで食事、しようか」
「うん、いいな。久しぶりにキラとゆっくり話したいし」
キラが誘わなくても、アスランは誘うつもりで待っていたのだろう。
「うん。ぼくも確認したいことがあるしね」
いつもの彼と“軍人”を演出する彼の違いを、食事しながらじっくりと観察するつもりだ。
なんのことだと訝しむアスランには内緒、と秘密を告げて返し、追及を躱すために今夜のお店はきみが決めてねと目の前の課題を押しつけた。


C.E.74 15 Apr

Scene ヤマト家・キッチン

オーブ軍本部のほど近くに、軍に所属する人間や家族などが住まうための専用居住区画がある。各所に監視カメラが設置されていたり、区画の出入りには入退チェックがあるなど、多少の面倒はあるが、その分治安の保障がなされている。区画内には、大型のショッピングセンターや子供たちの通う学校、病院、娯楽施設などもあるので、そこから出ることなく通常の生活を送ることができる。
ヤマト家の新居はそのエリア内にあるファミリー向けの一軒家に決まっていた。今日はその引っ越しだ。
とはいっても、このところ逃げ隠れの仮住まい生活が続いていたため、家族の誰もが運ぶべき荷物をほとんど持たない。片づけは早く終わりそうだった。
「あ、それはおれが…」
一階のキッチンでカリダが自身の身長より高い棚の上に重い荷をあげようとしているのを見て、アスランが慌てて手を出す。カリダはアスランに礼をいって、男手が多くて助かるわ、と喜んだ。
「とくにアスランくんはキラと違ってよく働いてくれるもの」
「いえ、お邪魔する以上、便利に使ってくれていいですから」
先月出されたキラの提案を数日かけて逡巡したのち、アスランはありがたく受けることにした。今日からはアスランも一緒にこの家でヤマト家と寝食を共にする。
「何いってるの。国の大事な仕事をしていく人はそんなこと考えちゃダメよ。国のことだけ考えていればいいの」
社交辞令ではなく、本気で家のことも手伝おうと考えていたアスランは、逆にやるなと説教されてしまった。
「そうだよアスラン。母さんにはうんと甘えてればいいよ」
流しで洗いものにハマっていたキラが横から口を出す。そのいいようが恥ずかしくて、キラ!とアスランは叱咤した。そうよ甘えて欲しいわ、とカリダまでが笑顔ながらも真面目にいうので、がっくり肩を落として返事をする。
「…そういうトシでもないですから」
「あらそう? キラなんかまだ甘えてばっかりいるわよ。アスランくんより五ヶ月お兄ちゃんなのにね」
幼少時のキラの口癖をもちだしてからかう。今度はキラが恥ずかしそうに「ちょっと嘘いわないでよ、甘えてないよ」と声を大きくした。
「でもねぇ本当に、本当の家族だと思ってね?」
カリダはあらたまってアスランにいう。小さい頃から家族同然のようにしてもらっていたこの家族に、あらためてそのひとりとして迎えられるのは、なんだか実家に帰省したような懐かしさと照れくささがあった。

ふいに、テーブルに置いたヴィジオから流れるワールドニュースが耳に飛び込んできた。聞き馴染んだ国名が出たからだ。
『──プラント最高評議会はタッド・エルスマン氏を新議長に迎え、オーブ連合首長国との平和条約締結にむけて調整をすすめることを発表しました。エルスマン氏は71年でプラント最高評議会議員を退いていましたが、当時の経歴と現在の中立派の代表的立場である事実などで選考委員会から推薦され、昨日の総選挙にて国民の信任を得ました。氏は応用生体工学等の専門家でもあるため、プラントの緊急課題である後世代コーディネイターの問題についても、科学的知見からの具体的対策を期待する声が国民からあがっています』
プラントの大きな動きのニュースに、三人ともが手を止めてその内容に注意した。
「エルスマン?」
聞き覚えのある名前にキラがアスランのほうへと顔を向ける。アスランは頷き返して「そう、ディアッカの」といった。
「知ってる方なの?」
カリダはディアッカを知らない。
「………ザフトで、同じ隊だったやつの父上です。話をしたことはないですが」
ディアッカと自分の関係をひとことで何と表そうか一瞬迷った。彼とは信頼関係があるが、「ともだち」とは言い難い微妙な“仲間”だった。
「アスランくんの周りはいつも大変なのね」
カリダのいう“大変”の意味はよく判らなかったが、自身の周りといわれても実感がない。プラントのことは、アスランにとってはもうテレビの向こう側のような世界だ。祖国には違いないのだろうが、郷愁めいたものは欠けていて、愛国心でザフトに志願した自分のことさえも他人のことのように遠く感じられた。
愛想を尽かしたとか、そういったことでは決してない。
今目の前にあるものが、大事すぎて、大きすぎて、霞んでしまうのだった。


C.E.74 15 Apr

Scene ヤマト家・キラの部屋

キラは、ヘリオポリスの崩壊で家に置いていた大切なものをさまざまに無くしてから、物に執着しない癖が身についてしまった、という。
雑多なものは確かになくなったが、引っ越すまえの数日のあいだに、キラは戦史や戦術学などの軍事用教本をかなりの量で揃えていた。もともと注意力が散漫なところがあるので、一冊ずつ読みすすめるのではなく、五〜六冊を気の向いたときに気の向いただけ巡回して読んでいるらしい。そんなことで内容が混ざらずにきちんと頭に入るのかと思うが、キラにとってはこのやり方がベストであるようだ。
そんな扱いとなっている本たちを棚にしまいながら、キラは家族の過去を少しばかりアスランに教えた。

「母さんは本気でいってるからね、あれ。…実際、三年前なんか、アスランを養子にすることまで考えてたよ」
まったく初耳のことだったのでアスランは心から驚く。おかげでベッドに腰かけながらぱらぱらと捲っていた雑誌を取り落とすところだった。
「オーブは法律上18歳で成人だからね。こっちで生活する以上、それまでは保護が必要だからって。結局いろんな事情でキサカさんが後見人になってすんじゃったけど」
プラントでは成人年齢が早く、15歳ともなれば自活を始めている者も多い。そんな感覚とは無縁なナチュラルのヤマト夫婦にとっては、三年前、16歳のアスランは、まだ頼りなく支えるべき子供に見えていたのだろう。
「それにアスランも、さすがにそれは嫌じゃないかなと思ったから、ぼくは引き止めたんだ」
「そんな、嫌なんてことはないけど……」
夫妻の気持ちを思って少し口ごもりながら、アスランはあらためて考える。
ヤマト家の養子に入るということは、気持ちの上ではどうあれザラ家と決別するということだ。戦犯である父を誇りに思うことなどないが、それでも実の親であることは真実で、自分は彼とレノアの息子として育った。いわれて確かに、それを捨てることには抵抗感があった。
「ありがとう、キラ」
先に察して気を回してくれていたキラに礼をいう。キラは本棚に向いて片づけの手を休めず、アスランには背中を向けたまま無言を返したが、そんなのいいよ、と返事をしているのが伝わった。
こんなささやかな、気持ちが通じてることのひとつを確認するだけで、アスランはほっと安心する。ついこのあいだまで何故理解しあえないのかと、苛々と過ごした日々が幻に変わるような気がしてくる。

「そういえばラクスだけどさ。20日はもう発っちゃうでしょ」
キラが静かな空気を割った。
「そのまえにみんなで壮行会しない? ラクス、一日くらいは空けられるっていってるから」
ここでキラのいう「みんな」とは、マルキオの元で過ごした面々やアークエンジェルの仲間のことだ。アスランは快く同意した。まったく精力的に積極的に自身を動かしていくラクスには正直に頭がさがる。心から彼女の旅立ちを賛辞したいアスランにとっては、この提案を断る理由がない。
だが、
「……寂しくなるね。ラクスがプラントにいっちゃうと」
と、ぽつりといった声を聞けば、ふだんは心の奥に隠れているみにくい部分が少しうずく。同意を求めてこぼれたこのキラのことばにはあえて返事をしなかった。
これは子供っぽい、ひとりよがりの小さな嫉妬だ。こんな狭量なことではだめだと思いながらも、距離を受け入れるふたりの気持ちだけが気になっていた。
「おまえ……」
「──ん?」
寂しさを漂わせたままの彼に、アスランは緊張しながらも切り出す。
「ラクスとはいいのか?」
瞠目してキラは彼を見た。
「めったに会えなくなるんだぞ」
見開いた目をそのまま瞬かせてから、ふいに表情を崩してキラは笑った。
「そうだけど、でも仕方ないんじゃないの?」
ともすればごく軽い印象の返答に戸惑う。もう少し深刻な様子を想像しただけに、心を測りかねてアスランはしばらく黙って彼を見つめることになった。
「? …なに、アスラン」
当然、それを気にした問いかけがやってくる。意味ありげな視線を送ったまま会話を終わらせるわけにもいかず、竦む心をなんとかごまかしながら、今度ははっきりと訊いた。
「好きなんだろ、ラクスが」
「好きだよ」
率直に訊いた質問に、率直な返答がもどってきた。
自分で訊いておきながら心が少し、傷つく。
───訊かなくても判っていることを、わざわざいわせて、おれは…。
後悔に視線を落としたアスランを見つめながら、キラがことばを繋いだ。
「うーん。……好きっていうか…敬愛してるって、そんな感じ」
考えるように自分の気持ちの説明を始める彼に、アスランは意図を掴めず顔をあげる。
「いつでも理解してくれて力をくれて、だから大切にしてそれを返したい。大事な人だよ」
「……………」
それは愛情を告白しているようにも聞こえる。
「傍にいれば心が安らぐし。実際隠棲してた二年のあいだ、ぼくはすごく癒されたんだ」
それはアスランも目にしていることなのでよく知っている。これ以上、惚気たようなキラの発言を聞くのは少しばかり耐えられなくなってきた。

「でも、ぼくたちべつにつきあってるわけじゃないから」

「───は?」

予想に反したことをさらりと告げられ、アスランは暫時思考が停止した。
「そういう意味でいったんでしょアスラン」
「……そうだけど…つきあってない?」
「つきあってないよ?」
まだいっている意味がよく理解できていない。
「なにその顔」
停止した思考がまるっきり判るアスランの顔を、キラは揶揄した。
「いや…おれはてっきり、その…」
のろつきながらも思考が動き出した。
「少なくともぼくはその気ないし」
「……………」
アスランにとっては意識せずいちばん聞きたかったことをキラがいう。わずか気分が浮上しつつも、予想外には違いなく、彼はまだうろたえていた。
「でも、ラクスは違うんじゃないか」
「どうかな? 判らないけど。でもそれは、ラクスのことであってぼくの気持ちではない話だから。考えてもしょうがないんじゃないかな」
「─────」
キラはときどきこうして冷たい印象を落とす。それはヤキン・ドゥーエ戦役で負った心の傷の名残だとアスランは理解している。
「敬愛している女性にたいして少し冷たいんじゃないか、キラ」
「どうして? ラクスだって知ってるよ。ぼくがそう思ってるってこと」
「……………」
アスランは何度目か判らない沈黙を返した。よく判らないけれど、キラはなんだかさっきからにこにこと笑いながら話している。
やはり、キラとラクスに関しては、理解しきれない部分がほとんどだ……。
「……ふたりがそれで、いいなら、いい」
この話題の終わりを告げると、キラはまだ笑顔のまま「心配してくれてありがとうアスラン」といった。思いもしないことで礼をいわれ、アスランとしては嫉妬心から訊いた話なので、少し後ろめたい。
「いや、心配っていうか…まぁ…」
「きみとカガリ、変なところで似てるよ」
何が?という視線を向ければ、キラは「同じこと、カガリからも心配された」といった。
「だからぼく、お返しにアスランのことどうするのって、訊いてやったんだよ」

どうするも何もない。
ふらふらとする自分に見切りをつけて、彼女はひとりで前に進んでしまったのだ。──アスランはそう理解している。カガリから何をいわれたわけではなかった。ただ、自分が気がつくより先に、彼女は知っていたのだ、と今になれば思う。
「カガリが、どう返事をしたか知らないが、」
彼女は本当のことをいうまい。自分の身勝手に原因があることを知ったら、彼女の血を分けたこの弟は自分を許すのだろうか。
「もう、終わってることだから」
自分ではっきりとそういって、あらためて受け入れる。どのような形でも失恋は痛みを伴った。カガリとは、いい関係を続けることができただろうに、と思う。
苦い思いに沈んだアスランに、キラは哀しそうな眼差しを向けていた。それに気がつき、慌てて取り繕うことばを探す。
「………キラ…っ、」
「──判ったよ、アスラン。余計なこといって、ごめん」
キラに先を越され、アスランは不器用に立ち回ってばかりいる自分の腑甲斐なさにため息を吐いた。
「謝ることじゃない。それこそ心配かけて。ごめんな、キラ」
俯いたキラの頭に手をやり軽く髪を撫でる。それは子供の頃からの慣れた動きだった。そして、こんなふうにお互いを心配して空回りし合うことも、昔からよくあったことだったな、と思う。

キラからそっと手を離しながら、アスランはこの関係をどうしようか、と考えた。
さまざまな出来事がふたりの関係を変えてしまい、今少しずつ取りもどそうとしている。それでも、コペルニクスで一緒に過ごしたときとまったく同じに、もどれるはずはなかった。少なくとも、アスランの心の奥にある想いは深みを増してしまい、今更淡いものにはできない。
キラは視線をあげてアスランを見た。撫でられた髪に自分の手をあて、少し照れくさそうにしている。そのキラに薄く微笑みを返しながら、心の中で問いかけた。
───キラは、どうしたい?
彼女のものではない心を知ってアスランは戸惑う。目の前の手を伸ばせば届く距離が切なくなってくる。
もしも、どうしようもなくその身体を抱きしめてしまいたい、とキラに告げたなら。もしくはそうしてしまったら。その奥深くにある気持ちが通じて重なるのではないかと、自分勝手な予感に包まれる。

いつになったら、この呪縛から逃れることができるようになるだろうか。

でもそれは、これから毎日少しずつでも考えていけばいい。同じ家に住まうのであれば、彼の顔を見ながらそうする時間もたくさんあるのだろう。今までもさんざん時間をかけてきたのだ。キラから離れない、と心に決めておけば、あとは互いの持つ時間が何かをまた変えていくだろうと思う。望む方向にも、望まない方向にも。
いずれにしても、最後にキラが笑っているのであれば、どのような結果でもアスランはかまわないと思っていた。


C.E.74 19 Apr

Scene ヤラファス島・カウリホテル

ラクスのプラント出立に向けた壮行会は、カガリの手配でヤラファス島にあるホテルで催された。
それにはいくつかの理由があった。ラクスとアスランのスケジュールに空き時間をつくるため、内閣府官邸の近くが都合としてよかったこと、また、ラクスを迎えるにあたりプラントからザフト、ジュール隊が到着し、昨日から宿泊していることなどがあった。もちろん、イザークとディアッカもこのイベントに引っ張りだされている。
ホテルといってもこじんまりとした立食パーティ用の一室で、集っている面々も気心の知れたものばかりだ。改まった服装でかしこまっているでもなく、それどころかマルキオの元で暮らしている孤児たちがばたばたと走り回り騒いでいる始末だった。
「カガリがこられなくて残念だったね」
キラは自分の隣で楽しそうにしているラクスに話しかける。
「はい。でも、カガリさんとはこのところお仕事でずっと一緒で。その合間にお仕事抜きのお話もたくさんできましたから」
だからしばらくお会いできなくても充電してあります、とラクスはこぼれる笑顔でいった。
それに応えてキラも笑顔を返すが、明日で離ればなれになってしまうことに少しだけ憂いが滲んでいる。
プラントから迎えに訪れているように、今後イザークの隊がラクスの護衛を務めるという話だが、正直なところ、キラはイザーク自身のことをよく知らない。三年前の大戦のあとに少し話をしたことがあるだけだ。ラクスにしても同様だろう。
過去に確執はあったものの、アスランとディアッカから話を聞いて、信頼に足る人物であることはよく判っている。それにプラントには、彼女に味方する者らが数多く政府や軍部にいることも判ってはいる。けれども、彼女にとって人として心を許せる者がはたしてどのくらいいるのだろうか、と思う。
出会ってから今まで、ラクスがキラにしてくれたように心の慰めが必要なときは誰にでもある。キラとラクスはそういう意味でお互いを支え合いながらこの数年を乗り越えてきた。
今になって一緒についていきたいとか、やっぱりいかないでとか、いろいろと思いがよぎるが、それが心のうちにことばという形になるほどには強くはない。ラクスが心を決めてから、キラも心に決めたことなのだから。だから、ぼんやりとした寂しさを感じる以外には、心からの喜びでラクスを見送る気持ちで今日を楽しんでいた。

キラは思い出して、さきほどから足りないと思うものを探して、室内に首を巡らせた。自分たちのいるテーブルから離れた壁際に立つ人物に視線を止めると、「こっちにくれば」と合図を送る。彼は首を軽くふって、その隣にいるイザークとディアッカを見て「こいつらの相手をしてるから」と目でいう。キラは残念、という微笑を返してアスランから視線を離した。

「ラクス様は、射撃、護身術の類いは…」
イザークはさきほどから、ラクスのプライバシーに踏み込まない程度の個人的情報をアスランから仕入れている。それを参考に今後の護衛プランを考えるつもりでいるようだ。
「いや、何も。──“様”はやめろとさっきいわれてなかったか」
「人前でそれはまずい。癖になってはいかん。そういうことだ」
彼のきっぱりとした判断にアスランは苦笑する。
イザークとラクスの話をしたことはほとんどなかった。いつだったかディアッカから、彼は「歌姫ラクス」のファンだということは聞いたことがあった。そのときアスランは興味もなく聞き流していたが、わずかにでも彼にはラクスに味方する気持ちがあることを知り、今に至ってそっと安心することとなった。個人的ファン心理は抜きにしても、アスラン以上に真面目である彼のことだから、最高の護衛任務についてくれるだろう。それでも自由奔放な部分もある彼女のこと、あまりがちがちに護衛されては双方の衝突にもなりかねない懸念もあるが、今もうひとり並んでラクスに視線を送っているこのディアッカが、うまくバランスをとってくれるに違いない。
イザークは彼にとって重要な質問に、“何も”と軽く返事をしたために、「要人であるにもかかわらず、何故護身術すら身につけさせないのだ」とがみがみ文句をいっている。それもそうだな、と思ったままをアスランがいうと、彼は目くじらをたててさらに文句を追加していた。

まもなく、マルキオとムウに声をかけられて、イザークはアスランとディアッカから離れた。
アスランはできる限りの協力をとラクスのことを語り続けていたので、だいぶ口が疲れていた。手にしたままだったワインを最後まであおると、ディアッカがいつの間にか取りにいっていた次のグラスを差し出した。
「ありがとう」
いや、と返すとディアッカはアスランが視線を向けていた先の話をはじめた。ラクス、ではなく、その隣にいるキラのことを。
「親父はあいつのことをいろいろ知っているぜ」

───出生のことをいっているのだろう。

ディアッカの父、タッド・エルスマンはつい先日、プラント最高評議会議長に就任した。タッドは基礎医学、臨床医学、生化学、分子生物学、応用生体工学の専門家だ。プラントが今後は、軍事的な強化を置いて次世代コーディネイターに関わる課題に取り組んでいく姿勢を表明したようなものだった。事実、三世代目の出生率の極端な低さは、早急に解決しなければならない問題となっている。
その政策をすすめる舵取りに抜擢された新議長の専門分野を見れば、メンデルに関わった時期もあったことは想像に難くない。

ディアッカにキラの出生のことを話したことはなかったが、以前からすべて知ってはいたようだ。メンデルで違法な実験もなされていた事実や、三年前にそのメンデルで「何かあったらしい」ムウとキラのこと、キラの突出した能力を目前に見たことなどで、思うところがあったのだろう。彼なりにプラントで調べたことがあったらしい。
もちろん彼に他意はなく、その結果で何をするつもりでもなく、また他人に話すつもりはないことをアスランは充分に理解していた。
「もっとも気になってるのは生まれのほうじゃなくてSEEDのほうみたいだけどな」
「“シード”…?」
耳慣れないことばにアスランは首を傾げた。どこかで聞いた記憶はあるが、その内容まではすぐに思い出せない。
「コズミック・イラの時代でやっと現れた、人類の次なる進化の可能性…っていえばいいのかな。まぁ、生まれも関係あるかもしんねーけどな」
「──それがキラに、何が…」
いいかけてから、アスランは一年以上もまえに、そのことばと意味について教えてもらったことを思い出していた。
「変なものばっかり背負ってるなぁ、あいつ。助けてやれよ?」
「いわれるまでもないさ…」
ディアッカはそれ以上その話を続けなかった。ならばそれは、“とりあえず耳に入れておけ”という程度のことなのだろう。
しかし、アスランはこれを警告と受け取る。アスランが考えていなかったことで、キラが何かに巻き込まれるかもしれない──との…。