C.E.74 Mar プロローグ


C.E.74 16 Mar

Scene コアスプレンダー/アークエンジェル

『───レイ…?』

「はい…いないんです。もどってこないんです。機体も…パーツすら見つからなくて。こっちではもう戦闘中行方不明MIAってことになって」

コアスプレンダーの通信コンソールにあるスピーカーの向こう側で長い沈黙がおりる。
シンは震える声を抑えるために、やはり長い沈黙を要した。

「──判ってるんです。たぶんメサイアに…議長のところにいって……それで………。それ、はっきりさせたいだけで…」

モニターはオフにしているので相手の表情は判らない。
だが、今話しているその人はいつもことばが少なかった。
ふたりのあいだに長い沈黙があっても、いつもどおりだとも思う。

「でも。おれが最後に見たのは…あの人を追っていったところだったんで。……もしかしたら…その…何か……」

『………うん…』

また、長い沈黙。

「…あの…。嘘はつかないでください。本当のことだけ、いってください。…もう…五日も経ってるし」

シンは、もう一度心を決める。

「覚悟はできてますから。どういう事実でも」

* * * * * * * * * *

ひっそりとしたアークエンジェル艦橋の通信席に、アスランはひとり座っていた。
今のこの状況で、こちらへ連絡をしてくることはかなりの苦労を要したであろう。ひょっとしたらまた何か無茶でもしたかもしれない。営巣入りになるようなことをしていなければいいが、とアスランは思った。
しかし、それだけ彼にとって重要なのだ。

このことは。

───レイの最期を、確認することは。

「…判った」

* * * * * * * * * *

『──おれも直接は見てない。だが、キラからそのときのことは聞いてる』

静かに、回線の向こうは話しはじめた。
シンは息を飲み、そのことばを待つ。

『確かにレイは──崩壊していくメサイアに、いた』

──ああ、やはり、と思いながらも、シンは衝撃に身体を震わせる。
唇を噛みしめて、滲んでくる涙をぐっとこらえた。
落ちつくのに、またかなりの沈黙が必要だった。

「…それ、で…最期は………どんな…」

『斃れた議長──デュランダル、と…グラディス艦長と一緒に見たのが最後だった、と』

レイは議長を慕っていた。
絶大な信頼をよせていることは、その言動から知っていたけれども、何か深い、シンの知らない結びつきがあるのではないか、といつも感じていた。
だから、議長の傍へ……。

『…自分でデュランダルを撃ち……泣いていた……と…』

今度は、予想もしなかったことばの衝撃が身を包んだ。
───レイが、議長…を?

『…最後は…自分で変えていく未来を…選んだのだと…』

* * * * * * * * * *

息を飲む音が聞こえて、長い沈黙が続いていた。
やはり、ここまで話すべきではなかっただろうか。
……真実を望んだのは、彼のほうだったけれども。

『……でも…』

声が震えている。

『…でもレイは死んだッ……!』

「………そうだな…」

叫ぶように嘆く彼に、何故、自分はこんなに静かに応えることしかできないのだろうか。

アカデミーからの仲だといっていた。
それならば、自分とニコルのようなものだ。
ニコルも自分の傍らにいて、よき理解者であろうとしてくれていた。
アスランは通りすぎた悲しみを、思いおこす。

「……でも…」

* * * * * * * * * *

『自分が望む明日が……欲しかったんだろう……』

───その、一言。

何故この人がそれをいうのか。
何故知っているのか。

シンは目を見開き、目の前にいない人間に問いつめる視線をなげかけた。

──いや、判るのだろう。この人ならば。
おまえは本当は何が欲しかったんだ、と。
かつていわれ続けたことばを思い出す。

自分が欲しかったもの。
それは失って、ぜったいにもどらないものだった。
それは戦っても手に入らないものだった。

じゃあ、どうすればいいのか。
最後の最後まで、迷い続けた自分。

あの日、レイはいった。

───未来はおまえが守れ…。

自分には未来がないから、おまえが、と。

だのに、レイは最期に拒んでいた。受け容れることを、やめて。
自分が欲しい明日が、欲しいのだ、と。
デュランダルに告げたのだ。
そうして自分にも示したのか。その最期に。
ぜったいにもどらないものを、おまえはとりもどしてみせろ、と。

「………ううッ……」

涙が、あふれる。

* * * * * * * * * *

『──ウ…ッ………レイ………レ……イ…ィ………』

片耳にあてたインカムから嗚咽が響く。
かけることばはもうない。
目の前にいれば、その震えているであろう肩を抱いてやることもできるけれど。

不器用な自分を悔しく思いながら、アスランはシンの涙に沈黙で、いつまでも寄り添っていた。

───コズミック・イラ74年、3月11日。
メサイア陥落を受け、プラントはオーブ連合首長国からの停戦の呼びかけに応じた。

それからの数日は、生存者の確認と救出、機密機体の回収などであわただしく過ぎた。わずかになった戦後処理のため、少しばかりの艦を残し、アークエンジェルが地球へ降りたのは、停戦協定締結の27日と同日のことだった。


C.E.74 29 Mar

Scene オノゴロ島軍港・ドック

「わたしを准将に、ですか? それは…いくらなんでも…」
キサカの話にアスランは狼狽した。実をいえば今の“一佐”の立場もオーブにあっては若干もてあまし気味だ。野戦任官のつもりであったから、降格はあっても昇進があるなど、少しも考えてはいなかった。

多少強い風を正面から受けて、眉をひそめる。気持ちの表現と相俟った。

決戦前にもらった今の階級は、アスランがザフトから預かっていた“FAITH”の権限を見る限り相当だろう、とキサカがいったのを、渋々ながら戴いたものだった。
プラントと違ってあまり能力主義の浸透していないオーブで、幅をあけて年上ばかりの将官が居並ぶ中に入っていくことはどうにも気が引けた。実際に特務隊、 FAITHであった期間は短く、いくつかの作戦の立案と大隊規模の指揮しかやってはいない。オーブの戦歴ある勇士と肩をならべるに至らないだろう、とアスランは思う。
キサカが笑って「遠慮することはあるまい」というので、何故自分の気持ちが通じないのかと肩を落とす。
「…これはカガリ…代表の意志ですか」
軍人の心情に理解があるとも思えないこの措置に、ついアスランはそう訊ねた。
「勧めたのはわたしでね」
意外な返答が返る。

風が強いから、とキサカに促され、ふたりはドックの外通路(ふだんは非常用にしか使われない)から、ムラサメを見下ろす位置にあるキャットウォークへともどった。
「このオーブでは、将官クラスは平時も護衛がつく」
意味ありげにキサカが続けると、アスランは今から告げられるであろう意図を予感した。キサカは以前から、その問題についてアスランに配慮を続けていてくれたからだ。
「きみらをブルーコスモスから護らねばならないのでね。都合がいいのだよ」
“アスラン・ザラ”の名前は、ブルーコスモス主義者の過激派の一部にとっていまだに暗殺のターゲットだ。それだけ父、パトリック・ザラがおこなった、また、おこなおうとした虐殺行為は非道の一語につきるのだ。そのおこないを止めようとした息子にまでも、あの血をひいているのだ、と叫ぶほどに。

「だいたい、きみのこれまでのオーブへの貢献を鑑みればこのくらいは当然戴いていいものではないかね?」
分不相応を繰り返すアスランに、キサカはそれに見合う働きがあったと讃える。これもキサカの本心だ。
「とくにきみには───その立場を考えればこれからの仕事のほうが大変だと思うが? …いろいろとな」
一佐の地位をもらうと同時に、アスランは思うところがあり“アレックス・ディノ”の偽名も捨てた。そして、アスラン・ザラという立場にたてば、それだけ周りへの影響力が強くなる。自分たちが目指すことのために、名を利用することも必要だと思ったのだ。──リスクを考慮しても。
「それもあってのことだよ。ぜひとも受けてくれたまえ」
キサカは笑顔を残して去っていった。アスランはそれを目で追い、ドックのなかで静かにたたずむムラサメの中にその姿が消えるまで見つめていた。


C.E.74 29 Mar

Scene オノゴロ島軍港・施設内ロビー

キサカとの話をアスランから聞くと、キラは“仲間が増えた”嬉しさを含めた声で「昇進おめでとう」といった。実は、分不相応を感じているのはキラも同様で、今後を思ってひとりでいたたまれなかったのだ。首長などの上層部にある数人は、キラとカガリが血縁関係にある事実を知っているので、妙な贔屓があるのではないかとの疑いの目を向けられることもある。それはある意味事実でもあったけれど、それを振りかざすつもりなどは、もちろんのことまったくない。それを誤解するなということも無理があるのは承知しているが、親よりも歳が上になる人物からの嫉妬にはまったく辟易とした。
想像していたよりオーブ内部の隠れたところでは、こういった愚にもつかない嫉妬や派閥意識などが横行していて、アスランもカガリの私設秘書兼ボディガードをしていたあいだ、その空気に慣れるのにずいぶん苦労をしたらしい(当然、さまざまな事情でアスランへの風あたりが強かったからだ)。
───敵になるのは、何も命を狙うものばかりとは限らないよな…。
いつかアスランがこぼしていたことを思い出す。若いふたりが立ち回るには、まだまだ経験を要する話だった。
「…キラおまえ…、軍事教練ちゃんとうけろよ?」
唐突にアスランがそういいだしたのでキラは眉間に皺をよせて聞き返す。
「なに突然」
「准将が銃を撃つのもろくに慣れてないんじゃ立つ瀬ないだろう。自覚があるのか判らないけど…おまえこれから正規の軍人としてやっていくんだろ?」
「うん」
ここへきてあらためて聞いてくるなんて、本当にアスランは真面目だと思う。
「うんて……緊張感に欠けるよキラは」
「……なんで怒ってるの」
「べつに怒ってない」
そういって、ふたりが座っていたロビーのソファからたちあがると、飲料缶の販売機のほうへ歩いていった。
久しぶりに小言めいたことをいわれたので「アスランだ…」とキラはつぶやいた。
何がいい?というのでカフェオレを注文すると、「こんな甘ったるいもの」といいながらもアスランはホットのカフェオレを奢ってくれた。

「キサカ一佐からの伝言があって。これからの生活拠点なんだけどな」
そもそも、アスランがキサカと話しにいったのはこのことだった。昇進の話はついでに出たのだ。
「護衛の都合もあってできれば将官用の官舎に移ってもらいたいそうだが、キラにはご家族がいるだろう?」
「…うん」
「今ファミリー向けの空きがないそうなんだ。だから軍の外ではあるけど専用の居住エリアに限られるって。ほかにも護衛のための条件がいくつかあるそうだ」
護衛は勝手についてきて護ってくれる便利なものではない。護られる側にもそれなりの態勢が必要になってくる。護られる代価は、プライバシーと自由といえた。
「ハルマさんの仕事のご都合もあるだろう? 最悪の場合一緒には…」
「父さん今、軍施設の仕事してるよ。通う場所が一緒だから不都合なにもないと思う」
それならよかった、とほっとした笑顔でアスランはいった。
「せっかくなんだから家族と生活したいだろう、キラ」
それが本心か、とキラは思う。アスランにはもう、誰も…家族がいないから、キラにはその時間──家族と過ごすことを大切にしてもらいたいと考えているのに違いない。アスランの痛みと優しさを感じて、キラは切なさに包まれる。
「そういうアスランは、どうする?」
「おれは官舎に入るよ。ていうよりもそこしかないから」
以前のようにカガリについて官邸内で寝起きすることはもう無理だし、かといって、キラたちが最近まで過ごしていたアスハ家別邸も、親族のキラが出ていくのに、彼が世話になるわけにもいなかいということだ。カガリは気にしないだろうに、とキラは思う。しかし──。
「うちにくれば?」
「──は?」
そう提案すると、心底驚いたようにアスランがキラを見て止まった。
「護衛のこと考えても、一緒だと都合いいんじゃないの?」
「え…え?」
「アスランは……家族みたいなものだし」
「……………」
この申し出は予想もしていなかったようだ。でもキラにとっては、戦いが終わってオーブにもどったらぜったいにそうしよう、と決めていたことのひとつなのだ。
「…嬉しい、けど…。そんなわけには…」
ためらう理由が判らない。どうして、と訊くと、「どうしてって…」と口の中でごにょごにょ何かいっている。
「母さんたちもそうしろっていうに決まってる。今更遠慮するの変じゃない、子供のときさんざんうちで寝泊まりしてただろ?」
立て続けに押せば、眉尻が下がりいっそう困ったような顔になった。
自分はぜったいに譲る気がないのだから、アスランはもっと潔く決めればいいのに、と傍観者のごとく感想を、キラはこっそり思っていた。


C.E.74 29 Mar

Scene オノゴロ島軍港・アークエンジェル

停戦後オーブに帰還してからも、キラとアスランはアークエンジェルでそのまま寝起きして過ごしていた。明確な理由などないが、どこもかしこも落ちつかず、昼夜を問わず軍やカガリから呼び出されるこの状況では、家族のいる仮住まい──アスハ家別邸へもどったところで迷惑にもなる。この数ヶ月はこの艦で過ごしていたからそれなりに持ち込んでいるものもあったし、きちんとした住まいが定まるまではへたに動かないほうがいいだろうと考えた。
……要するに、“めんどくさかった”のだ。
さきほどのアスランの話では、思ったよりも早く軍が住む家を手配してくれるようだ。
それならば、とキラは荷物の整理を始めた。目に見えてかさばるものは本や服くらいのもので、実際そんなにものがあるわけではない。整理するのは主に、各所で落としてきたデータの類いだ。OS開発に便利なツール、プラントやロゴス、地球連合などの相対していた組織の情報、単なる趣味と暇つぶし、さまざまなものがキラの個人端末にダウンロードされていた。かなりの量なので、おおざっぱにではあるけれども、不要なものを整理しつつ外部ストレージに移した。

“Copernicus”と記されたディレクトリを目にして、一瞬キラの手が止まる。これはアスランのデータだ。

月にはキラやアスランが幼少時に利用していたデータストレージセンターがあった。キラはヘリオポリスに移ってからも通信衛星を経由して引き続き利用することがあったが、アスランはプラントへあがってからまったく使っていなかったらしい。
コペルニクスに立ち寄った折りにそんな話になり、思い出したついでだから、とアスランは置きっぱなしのデータをダウンロードしていた。それはすべて五年以上もまえの、ふたりが思い出を共有していたころの数々だ。
あとでもらうからとりあえずおまえのところに落としておいて、と頼まれたままになっていた。
───これはデータメディアに入れてあげよう。
アスランは気にしないだろうが、キラはその中身を覗き見ることもなくディレクトリごとフラッシュメモリに移した。


キラは、アスランに恋をしていた。

その気持ちにはっきりと気がついたのは、長いつきあいのことを思えばごく最近だ。
今思えば子供のときから、自覚のないまま恋し続けていたように思う。
最初で最後の“特別なともだち”。恋人のように運命的な存在。他に代わるものなどこの世界には存在しないと思い知るまでに、この長い年月が必要だったのだろう。
もちろん彼に対して、そんなやわらかな気持ちばかりがあったわけではない。自分自身のジレンマを理解してもらえないことの苛立ち。あれほど共にいて、誰よりも自分を知っていたはずの彼が、判ってくれようとしないことへの、憤り。トールの死が引き金になって、殺意まで覚えた。そして、その後の絶望───。
ぎくしゃくとしながらも、再び訪れた信頼……。
あの頃から自分の恋心に気がつくまで、ずっと地に足がついていなかったように思う。
前大戦後には自閉して、一時期はアスランに会うことを拒みたい気持ちになったときもあった。それなのに今は、心の中は暖かで豊かな、優しく凪いだ恋情だけが残っている。
───アスランには誰よりもしあわせになってもらいたい。
そのために自分が彼にしてあげられることは、何ひとつないけれど。何故ならアスランは、アスランがしあわせになるためにキラが何かをすることなど、少しも望んではいないのだから。
───ぼくがしあわせになることが、唯一ぼくにできる、アスランのしあわせ。
キラのことをいつもいちばんに考えてくれる優しい幼馴染みの、それが望みであることを、キラはよく判っていた。