ゴシップ


C.E.75 24 May

Scene デーベライナー・第五デッキラウンジ

不穏当……いや、どちらかといえば色めき立つ“噂”といったほうがこの場合、的を射ているか。
デーベライナーでその噂が出はじめたごく最初にもれ聞いたときは「どこでもヒマなやつはいるもんだな」などと、シンは右から左に聞き流していた。しかし娯楽も少ない狭い艦内のこと、気がつけばそれは段階を経て尾ひれもつき、シンが黙って見過ごすことができないくらいの騒ぎとなっていた。
半分は余計な世話だと理解しつつ、ひとこといっておかなければいずれ自分にとばっちりがくるのではなかろうか、と嫌な予感があったことも事実だった。

噂というのはとかくその本人の耳には入らないことが多い。とくにアスランはそういったことに鈍感だ。
どうしようか迷いつつも、その視線の先にひとりで歩くアスランを見つけてしまった。彼がひとりでいることはめずらしい。話をするのに最良な偶然の好機に逡巡しながら、シンはその後ろについてしばらく歩いた。
「アスラン…」
「なんだ、シン」
連なり歩く艦内のなか、シンは意を決してそっと背後からアスランに話しかけた。アスランはわざわざ足を止めて、シンを振り返り見る。
「……知らないって、まぁ予想はついてるんですけど…」
シンの前置きに訝しげな視線をよこしてくる。やっぱりこの人は知らない、とシンは確信した。
「…噂のことは耳に入ってます?」
「噂?」
「…あんたの噂」
「………………」
関心のかけらもないという無表情を見せて、シンに向けていた顔を正面にもどし再び歩き始める。
「知らないし、興味もない」
小さなため息混じりでありつつもアスランは丁寧にその気持ちを答えた。だが、数歩進めたところでぴたりと足を止め、再びシンを振り返った。
「───が、そんなものがあったとしても、それはキラにはいうなよ」
「…なんで」
「…………面白がるに決まってるからだ」
「………………」
アスランとキラは反応が真逆になることが多い。彼のいうことは確かにもっともだと思い、キラが面白がってしまったらどうなるかを思って、シンは少しばかりうんざりとした。その内容に隊長のテンションがあがろうとさがろうと、どちらにしても面倒だ。それを考えても、やはり目の前の副官の耳には、先に入れておいたほうがいい、と思う。
「……とりあえず、どういう内容なのかくらい、あんたは知っといたほうがいいと思うんだけど」
シンの思惑をよそに、どうでもいい、といい置いて、アスランは本当にためらいもなく先へいってしまった。ここでひとこと、「隊長も関わってますけど」といえばアスランの耳も向いたであろうに、シンはまだアスランの扱い方をよく判っていなかった。

その頃キラは、第五デッキのラウンジで女性クルー三人に囲まれてお茶を飲んでいるところだった。このフロアは一般兵が日常生活を過ごすエリアなのだが、キラはよく訪れる。指揮系統の人間には別に専用エリアもあるが、もとより人の上に立っている自覚があまりないキラにとっては、そういった区分けのあること自体が不満だ。
中隊規模の戦艦部隊においてはましてや指揮系統の人間自体が少なく、キラはむしろそうしたことに自分が差別されているような寂しさを感じたりもする。アスランは「おまえが何を感じようが斯くあるべくしてそうなっている」などといってとりつく島もないが、軍の規範がどうあれ自分が進んでここへ足を運べばそれですむとも思い、実際にキラはそうしている。
そこへ、その気持ちを理解しない様子を纏った唐変木がやってくる。
「キラ、ひとりで勝手にうろつくなといってるだろう」
どうせ携帯端末の発信で、アスランにはキラの居場所などすぐに知れる。不満を表して彼の顔を見あげると、アスランはキラの端末を目の前に差し出した。
「…ベッドに放り投げてあった」
「……あ。いけね…」
えへへ、とごまかし笑いをしてそれを受け取る。そこで気がつくと、同じテーブルに座っていた女性兵らはいつのまにか席を離れて、三メートルほど先の壁際に移動していた。
「あれ、どうしたの? 外す必要ないんだけど」
「いくぞ、キラ」
アスランに掴まれた肩をうっとおしげに払い、まだ休憩中なんだから、とぼやく。再度、彼女たちのほうへ振り向くと、微妙な笑顔を返されて、遠慮します、といわれてしまった。
「もう、アスランのせいだからね! 彼女たちに気を遣わせて!」
肩を怒らせて立ちあがるとアスランはすぐに動いて、ラウンジの外へ促すようにキラの背中に手を添えた。その顔は「当然だ」ともいいたげだ。
何も、上官に遠慮しろと堅苦しいことをアスランはいっているわけではない。その証拠に、ふたり揃ってこのラウンジで休憩をとることはよくあったし、そういうときはアスラン自身が積極的になって一般兵を交え話しこむこともよくあった。真面目さでもって線引きはきっちりとするが、元より差別意識のあるような人ではない。
つまり彼は、ラウンジに入ってすぐ目に入った光景に妬いたのだ。
キラにはそれがすぐに判り、ラウンジを出る間際に「おとなげない」とひとことこっそり耳打ちしてやった。アスランは気まずそうにちらりと一度キラを見たが、そのあとはいつものようにキラの斜め背後に控えつき従う形をとった。

ラウンジのドアを数メートル離れると、開け放たれたままのそこから急にどよめきがわくのが聞こえた。
「……なんだろ…」
「…さぁな」
興味をひいてもどりかけるキラの腕をアスランが掴む。
「もういいだろ。休憩時間は終わりだ」
確かにあともう数分も残ってはいない。キラは後ろ髪をひかれながら第五デッキをあとにした。


C.E.75 27 May

Scene デーベライナー・指揮官室

その数日後。軍事ステーションに碇泊していたデーベライナーの元へラクス・クラインが訪れた。
ラクスはこうしてときおり戦艦や部隊を訪ねて、殺伐としたその場の雰囲気を一掃していく。戦うために戦うような気持ちに陥ることにならないよう、彼女自身の存在をもってそれを知らしめているのだろう。
それでも、平和の使者は彼らの士気を侮辱することのないよう地味に訪れて地味に去っていく。彼女の雰囲気そのものが戦場にそぐわない、はてしなく柔らかいものであるため、まったく目立たずということはもちろんなかったが。
もとよりヤマト隊にはラクスの訪問も必要ではないくらい、どこかのんびりとした空気がある。それはひとえに隊長であるキラのせいともいえるが、この艦の役目が戦うことだけではないことも、その理由としてあるかもしれない。
「でもラクスがきてくれるとね、雰囲気変わるよ、やっぱり」
なにより、キラ自身の心がほっと息を吐く。ゆるやかな位置でふわふわと揺れるような彼女の感情は、いつでもキラにとって安定剤になった。本当に同じ年頃なのかと疑うほどに心のバランスがとれている。老成しているかのような穏やかさだ。
キラは彼女の手をとって無重力のバランスを整えつつ、ドッキングハッチから艦内へと誘導した。
「ありがとう、キラ」
ほんわりとしたラクスの笑顔は、それだけでキラとその周囲をまろやかにする。
───が。その日はどこか違った空気を周りから感じ、キラは首を傾げた。
「どうかしたか、キラ?」
今日はめずらしく、イザークとディアッカも艦内までついてきていた。足を止めたキラを訝しんでディアッカが声をかけてくる。
「ん、いや。なんでもないよ」
キラは、そういえば、と思いあたることがあり、とりあえずその場は知らぬ顔をした。

ラクスは先週、アスランとの婚約解消を公けの場に表した。
メディア各所で大きく話題となり、ラクスがその理由を詳しく述べなかったこともあって、プラント内はかなり騒然としたらしい。艦内生活のせいで、キラと張本人のアスランはどこか遠いもののように流れてくるニュースを見るだけだったが、彼らの婚約をアイドル視していた人々からはそれなりに興味をひいたのであろうし、デーベライナーの中にもそういったクルーがいるだろうことは想像がつく。
今日は婚約解消後の元カップルが顔を合わせるのだと思えば、それは周囲も気になるのは仕方がないことのように思えた。
───これだから有名人は面倒だよね。
キラは他人ごとのように心の中でつぶやくのだった。

「よう。こんなところでおこもりか」
扉を開けるなり告げた軽口にアスランが苦笑をもらす。第三デッキにある指揮官室に、彼はいた。何故かシンをつき合わせている。
「おまえこそ、彼女に付き添わなくていいのかディアッカ」
「イザークがいるだろ?」
ディアッカは室内に招かれて、入口すぐ近くにあるソファに腰をかけた。
この指揮官室にくるのはこれで二度目だが、見慣れない様子にぐるりと視線をまわす。ボルテールと違いデーベライナーの指揮官室は執務室と寝室が分けられており、執務室側にはきちんとソファなどの調度品もある。数ヶ月から続く艦上生活を思えば、その内装はあたりまえの配慮でもあるのだが、精神的な酷使にもよく耐えるコーディネイターの艦といえば、そういうことはなおざりにされることがこれまではふつうだった。だが、ここ一〜二年に新造される戦艦はいずれもデーベライナーと同じになっている。ディアッカはこっそりとボルテールが沈んでくれないかと物騒な考えをめぐらせた。

シンが執務室脇の簡易キッチンで淹れたコーヒーをふたつ持ってきた。アスランもデスクを離れてディアッカの向かいへ座ると、シンに「おまえも休め」と声をかける。シンは自分の分のコーヒーも持ってきたが、ソファのほうへはこずに見たときから座っていたサイドデスクに落ちついた。
「世間の状況くらいおれだって把握してる。彼女が帰るまで、おれは姿を見せないほうがいいだろう」
部屋にこもっている理由を告げたアスランに、シンが遠慮なく「それを忠告したのはおれですけどね」といった。忠告した手前もあって、アスランの退屈しのぎにつき合っているのだともいう。アスランはシンへ背中を向けたままだったが、その顔は穏やかに苦笑していた。めずらしい顔を見たな、とディアッカは思う。どうやらいい関係を続けているらしい。
しかし、そのディアッカの感心をぶちこわす端緒をシンが開いた。
「この人、なんも把握なんかしてませんよ。艦内の噂だって耳に入れようともしやしないんだから。自分のことなのに」
ディアッカはアスランの噂と聞いて途端に興味が湧く。渋い顔をするアスランを置いて聞かせろとシンにねだった。が、シンはさっきの勢いはどこへやら、今度はいいにくそうに何故だかもじもじとしている。
「なんだよ、早く教えろよ」
「……その…だから…」
「…どうでもいいことだろ…」
「うるせーな。おまえは黙ってろ。早くいえシン」
迷惑そうにするアスランを止めてシンを急かすが、困ったように噂の本人に視線を泳がせている。そのアスランはディアッカのほうを向いているので、シンからその表情を窺えないことが余計に戸惑わせているのかもしれない。
「まぁいいから。こっちは噂にされることなんか慣れてんだ。アカデミーのときから。な、おい?」
「………………」
アスランはじろりとこちらを睨んでくるがかまいはしない。シンに気軽になれと促すとようやく声を発した。らしくもなく、囁くような小声だったが。
「…その……アスランが………を…買ってるって」
「あ? 聞こえねー。何?! 買ってる?」
「ゴム」
「ゴム?!」
最後の問いかけは、アスランと声が揃った。
「備品購入リストの…ゴムの欄に、アスランのコードで個数が記入してあったって…話が…」
「は?!」
アスランの怒声とともにぶわっはははははとディアッカは大爆笑する。そのあまりの内容にたまらず足をばたばたとさせて、勢いあまって床にころげそうになったがなんとか堪えた。

元々プラントでは、戦艦暮らしが長くなる隊においてその方面…夜の事情に関してかなり緩く、むしろ推奨する空気がある。もちろん、周囲への配慮と節度があればという話だが、プラント国民の第一の使命が次世代の繁栄なのだからそれも当然といえば当然のことだ。
たとえば、兵同士でカップルがいる場合、軍へそれを申告すれば優先的に同じ隊へと配属される。事実、シンは別に申告などしたわけではなかったが、どこかからもれたものか、恋人のルナマリアとは戦後常に同じ隊へとまわされていた。
艦の生活用品にもその手のものはひととおり揃えることのできる寛容さで、コンドームの購入申請など鼻紙の申請レベルの気安さだ。
もちろん、プライベートなことではあるので、生活用品の購入は番号のみで管理され、購入歴はふつうには目のつく場所にあるものではない。担当官がその内容をもらすはずもないから、誰かがこっそりとアスランの番号を調べて、申請リストを覗いたということなのだろう。
「あ、ありえねーっつの、この堅物が! それだけに面白すぎるって!」
アスランは爆笑を続けるディアッカを果てしなく迷惑そうな顔で見ていた。
「…そ、それで、どうなのよ、実際?」
笑いで息を切らせながらディアッカが不躾に質問すると、アスランはしごく真面目に「買ってない」と予想どおりの返事を返してきた。が、それに予想外の返事をしたのはシンだ。
「え?! 買ってないんすか?!」
「は?」
またもやアスランと声が揃ってしまったことに嫌な思いをしながらも、シンのその反応を訝しむ。当のシンは、しまったといわんばかりに口を自分の手でふさいでいるところだった。
「どういう意味だ、シン? こいつ、まさか艦内に彼女とかいるわけ?」
指をさした先のアスランはシンを睨んでいた。
「…シン…おまえまさか、知ってるのか?」
「知ってるも何も…キスしてたじゃないっすか」
「はァ?!」
これで三度目か、と心の端にひっかかりながらも、シンのいった衝撃発言のインパクトにディアッカは暫時固まる。
そのときアスランが、がっと立ち上がりどかどかとシンのほうへと詰め寄っていった。シンはたじろぎながらも彼の勢いに逃げず、席を立ち迎えたことだけはあとで褒めてやろう、などと固まりながらも考えた。
「あ…っ、あのときか! やっぱり見てたのかおまえ!」
「見えてましたよ! つか、事故でしょ。責められるいわれはないですよ! あんなとこでしてるほうもわるいし!!」
「どこでしてたの?」
ことばを差し挟むとふたりにじろりと睨まれてしまった。
しかし、アスランはすぐに深いため息とともに勢いを消して項垂れ、消沈したようにシンを上目遣いに見た。
「…………何もいわなかったから…気がついてなかったものだと……」
「節度ある人間ならああいうときは見なかったふりをするもんでしょ」
どうやらこのままだとアスランの反省でこの流れは終了しそうだ。ディアッカとしてはアスランとキスをしていたという相手のほうが気になってくる。
「おれも知ってる子?」
今度の言には、ふたりともかなり微妙な視線でこちらを振り返った。
「───おまえには、関係ない」
「ふーん…」
「シン、こいつに、いうなよ?」
あとでシンを問い詰めればいいと思っていた先を挫かれて、ディアッカはしまったと思う。が、ほかにも知っていそうな人間を当たればすむこと、とその場はおとなしく引き下がることにした。


C.E.75 28 May

Scene デーベライナー・食堂

「な……っ…何故こいつがまたここにいるんだ?!」
アスランが「こいつ」と指した男は、士官専用の食堂で出されたランチプレートに舌鼓をうっているところ…らしかった。
「なんでって、さっき乗艦許可出したよ? 用事あるっていうから」
呆然としていたアスランを振り返ってキラがにこやかに告げる。アスランはそんな彼を、声を荒げて叱った。
「…おまえな…。昨日の今日で、こいつのその用事がなんなのか、考えたのか?!」
キラはアスランの剣幕にしゅんとなって俯く。ゆうべの折檻がまだ効力を持っているようだ。シンが“知っている”ということをアスランに教えなかったことで、アスランは昨日の夜かなりしつこくキラを責めた。
べつに仲間内に自分たちの関係を知られることは、やぶさかではない。問題はキラがそれに気がつきながら自分に知らせないことなのだ。いつだかフラガ夫妻にも突然からかわれて、アスランはいたたまれない思いをしたことがあった。彼らに知らせたならそれで、アスランにもひとことそういっておいて欲しかったのだ。
そして、ディアッカもそれは例外ではない。ただ、この状況と流れにおいては、彼に明かすことにかなりの抵抗がある。

「まぁ待てよアスラン、おれは今日はな、お姫様の名代なんだぜ? 追い返したりしてみろよ、どうなるかしらねーぞ」
ヘビとカエルになっていたアスランとキラに割って入ったのは、その問題のディアッカだった。
彼の不埒な目的などとうに知っている。そんなことのために今日もこのデーベライナーを訪れるなど、上官のイザークが許可を出すはずがない。そこへラクスに手を回したということか。しかし。
「名代だと?」
「そうそう」
ディアッカは信じられないことにラクスへ正直に目的を告げ、そのラクスから、
「アスランの想い人なんて、わたくしも気になりますわね。ぜひ探ってきてくださいませね、わたくしの代わりに」
……と、後押しされてきたのだという。
───……ラクス…ッ…知っているのに、何故っ…!
何故もない。彼女は完璧に面白がっているのだ。いや、もしかしたら、結婚を固辞したアスランに腹を立てているのかもしれない。その仕返しが始まったのだとしたら、これは少し考えなければならなかった。
「きみって遊ばれやすいよね……」
「……おまえがいうのか、それを…」
いったい誰のためにこんな目にあっているというのか、と呑気な感想をもらしたキラを再び睨む。だがキラはラクスが絡んできたと知って少し強気になったようだ。今度はアスランに気圧されることなく、笑顔を返してきた。

「うわぁっ」

そのとき素っ頓狂な叫びが背後で聞こえた。今はふつうにランチタイムだ。食事にきたのであろう、シンだ。
「お、シン。メシだろ? こっちにこいよ、一緒に食おうぜ」
「…う………あ……」
「どうしたの、シン? ディアッカさんが呼んでくれてるのに」
シンと一緒にきたルナマリアがシンの背中をぽんと押した。その勢いで一歩ぱたりと食堂に入り、よたよたとそのままディアッカのほうへ向かう。
アスランの横をおそるおそるという様子で通りすがろうとしたとき、
「ひとことでもしゃべったなら、覚悟をしておけよ」
と釘を刺すと、びくりと身体を震わせてその場で立ち止まった。
「アスラン、やめなよ。かわいそうに」
本当にシンに同情しているらしいまなざしでアスランを見上げて、キラは柔かくこちらを諌めた。
「キラ。ちょっと」
「へ?」
人のいない食堂の端のほうへキラをひっぱり、こっそりと話す。
「どうするつもりなんだ、おまえ」
「え。どうするって…どうしようね?」
昨日の一騒ぎのあと、シンからあらためて艦内に広がっていたという“噂”の内容をすべてアスランは訊いていた。
細かな尾ひれ羽ひれが山ほどあったようだが、ごく単純な流れだけを追えば、まずコンドームを購入しているのだからアスランには恋人がいるのだということ。あれだけヤマト隊長に張りついていて、その恋人にあう時間がどこにあるのかという下世話な想像。そして、実はその隊長が恋人なんじゃないのかという疑いが、現在浮上中なのだということだった。
噂の端緒は事実ではなかったが、至ったところが事実になっていた。
「……婚約発表?」
訊ねる声音でキラが小首を傾げた。
「え?」
「まえにアスランいったじゃない。ラクスと婚約破棄したんだから、いいんじゃない、今度は」
「…でも…しかし…」
確かにキラ愛しさの勢いでそんなことを自分からいった覚えがある。だが、あの頃と今では状況が少し違う。キラはこの隊の隊長で、自分はその護衛と、副官としての立場もある。この関係でさらに恋人だなどとは、あんまりなうえに隊の士気にも関わるのではないか、とアスランは難しく考える。
戸惑いにいい淀んでいると、目の前のキラがみるみる不機嫌を露にしてきた。
「なんだよ、自分でいったくせに。もう嫌なんだ、ぼくと婚約するのが?」
「違う!」
ここだけはきっぱりといっておかなければならない。人目があるから抱きしめはしないが、代わりに真剣と愛情を込めた瞳でキラを見つめる。
「あのー……」
そこへ突然割り入ってきた勇者はシンだった。
「やばい感じです。やめたほうが……」
「………………」
気がつくと、食堂にいる全員がアスランとキラに注目している。キラは迷子の犬のような顔つきになった。
「シン、どうしよう?」
「…おれに訊かないでください」
「……もどろう、とにかく」
アスランはずかずかとディアッカのいるテーブルに向かった。
「キラ!」
部屋の隅で動かないままになっているキラを呼ぶ。キラはのろのろと近づいてき、シンがそのあとに従った。
とにかく、いつもと同じにしていればいい。そして、目の前の男は早いところ追い返し、折りをみてきちんとキラとの関係を話そう、と考えた。つまりことなかれ的対応だ。
「…それで恋人っていうのは、パイロットだったりするわけ? まさかあの子かな。オーブ出身の、あのカタそうな子。硬いところはおまえと似合いだけどな」
給仕にキラと自分のオーダーを伝えているあいだ、ディアッカはずけずけと独りごとを続けていた。アスランの隣に座ったキラは所在なくしていて、さらにディアッカの右隣に座ったシンも腰が落ちつかない様子でいる。拷問のようだが、耐えるしかない。
「キラ。このあとはフリーダムとジャスティスの運用テストだったな」
予定になかった予定を告げて、食事が終わればおまえをかまっている時間などない、と暗にディアッカに伝える。シンさえ黙らせておけば、あとは事実を噂でしか知らない人間ばかりだ。その中で何を聞こうが、真実は闇の中だろう。
「キラはもちろん、知ってるんだろ? アスランのカノジョ」
「え」
予想どおり、ディアッカは矛先をキラに変えてきた。
「おれが何でもキラに話してると思うな、ディアッカ」
「…話してくれて、ないの?」
キラは「どうして」と、信じたくないものを見るまなざしをアスランに向けてきた。
そこで何故おまえは反応する?!…と、アスランは心の中で叫ぶ。
「……話してるだろ」
「でもいま…」
「黙って食べろ」
不穏な空気を背負ったまま、ただ黙々と食事を続けた。シンと一緒にきたはずのルナマリアはひとつ離れた席にいて、こちらの様子を窺っている。食堂内の人数はそう多くはないが、その場の全員が固唾を飲んでこちらを見守っているようだった。
「…ディアッカさ、なんでそんなに知りたいんだよ、アスランの恋人のこと」
キラが突然沈黙を破った。このまま気まずさをやり過ごせば、ここから逃げ出せたかもしれないというのに。
「知りたいだろうがふつうは。こいつ、昔から浮いた話はひとつも出てこなかったんだぜ? まぁ、婚約者がいたからってのもあるけどな」
それは事実ではある。ラクスへの手前もあったから、アカデミーからその手のことに隙を見せたことはなかった。そして、しばらく音信不通になっていたから、ディアッカはオーブでそれなりに知られていたカガリとのことを知らない。
「知ってどうするんだよ。…からかうの?」
いくぶん低くなった声音でキラは続けてディアッカに訊ねた。彼は不機嫌になっているのだった。よせばいいのに、と思うが、八つ当たりにディアッカに絡みだしたのだ。
「え? そういわれるとな。えっと…そうそう、祝福してやるよ。心から」
「祝福?」
「そう、こいつも人並みに、キラ以外の人間が好きになれるんだなって」
「………………」
沈黙のなか、がちゃりとフォークを取り落としたのはアスランだった。
キラは瞠目してディアッカを見つめる。
「ディアッカ、知ってんの?」
「え、知ってるさ。見てりゃ判ることだろ」
な、と横にいるシンに同意を求める。シンはおろおろと視線を泳がせた。
アスランはもうことばも出ない。人目をはばかるとか、節度を保つとか、態度にあふれてしまうキラを想う気持ちを必死に押し隠し、それなりに努力をしてきたはずだった。護衛だ副官だととりつくろってキラの傍にいて、それさえも端から見て判る人間には判っているということなのだろう。噂になってしまうほどなのだから。
アスランは取り落としたフォークをきちりと揃えて置くと、大きなため息を吐いた。
隣のキラを見れば、彼もあまりすすんでいないようだが、もう食べる気分ではないのだろう。フォークを手に持ってはいるものの、それを動かす気配は少しもなかった。
「もういい。キラ、いこうか」
静かに立ち上がり、キラの肩に手を添えて促す。キラは素直に従って一緒に立ち上がった。
「おい、食後のコーヒーくらい飲んでいけよ。キラもさ。くちなおしくちなおし。な?」
真剣にアスランを落ち込ませたことに気がついたのか、ディアッカが宥める方向に口調を変えてきた。これで今日は彼もこれ以上かまいかけてくることはないだろう。だが、しかし。
「くちなおし、か」
打ちのめされて開き直ったあとのアスランは、いつでも男の本領を発揮した。
「おれなら、コーヒーよりこっちだ」
「……えっ…」
キラの肩に添えていた手をそのままぐいと掴むと、反対の手でその腰を抱き寄せ、アスランはキラにくちづけをした。
部屋の数カ所で女性クルーの雄叫びが聞こえる。
触れ合わせるだけのものではなくしっかりと舌を挿し入れて、呆気にとられたままのキラの歯列を割り口内をぐるりとひと舐めし、最後に脱力している薄い舌に絡めて、吸って、離れた。
周りを見ると、面白いくらいに皆が口をぽっかりと開けてこちらを見ている。その様子が本当におかしくてアスランは少し笑った。
「ほら、キラ。いくぞ」
放心したままのキラをひっぱって、食堂をあとにする。
いっそ清々しく、アスランはすっかり気持ちが軽くなっていた。
「ア…アスラン…」
心を少しとりもどしたキラが戸惑う声でアスランを呼ぶ。
「…おれとしては、もうこのまま籍を入れてもいいんだけど」
微笑みかけてそう告げれば、キラの頬に赤みがさす。
「……な…っ…、あの…」
「それにはオーブにもどらないとならないしな。とりあえず婚約でいいよな」
わるノリは徹底すべきだし、本心はできれば隠さないほうがいい。噂などというものは真実が判ればその収束は早く、そしてたいてい、事実はすぐに飽きる。キラの立場を考えもするが、彼が嫌がるのであればどうとでもごまかす方法はある。だが、キラにその様子はなく、ただ「まいったな、もう」などとつぶやいて照れているだけだ。
「莫迦だな、きみって…」
「そうだな、本当に」
まだ休憩時間は終わっていない。あたりはばかることなく、アスランはキラの手をぎゅっと握った。同じように握り返してくる手のぬくもりに、よりいっそうの力を込めた。愛しさをともに。

─End─