C.E.75 27 Mar

Scene メンデル〜ザフト駐留基地

「フラガ、…さん」
自分を呼んだ少年はおそらく「少佐」と階級で呼称しようとし、一瞬詰まった。
スムーズに「フラガさん」とその口から出てくるまではもう少しかかりそうだなとムウは苦笑する。この状況で、もう少し打ち解けてくれもいいんじゃないのかと思うが、目上の者に対しての態度はとてもはっきりとしていた。気安い質のムウには「窮屈じゃないか」と思うこともあるが、キラによればこれが彼の“ふつう”だから気兼ねしなくていいと最初にアドバイスをもらった。
キラの幼い頃からの親友だという彼は、そのキラとはだいぶ様子が違っていた。自分自身をよくもわるくも律していて、おまけに絵に描いたように真面目だ。いや、真面目すぎた。誠実で真面目だからこそ、自軍の長である父親の行いが納得できないのだろう。割り切ることができないあたり、コーディネイターといえども年相応の少年としかムウにはみえない。
とはいえ、プラントでは彼はすでに成人年齢だ。責任の重さというものは十分に学んでいるだろう。ましてや軍にも志願したのだから学ばずとも識っているはずだ。いまのこの状況は──自軍から離脱した者らで集っているような状況は、望んだこととはいえ、真面目な彼の責任感を思うとだいぶ神経に負担だろうな、と同情する。
「よう。マリューか?」
ムウは“ここ”へ、ストライクできた。その位置までは特定できるから、ムウが気にしていたこの場所にいるだろうとあたりをつけた彼女が、アスランをわざわざ呼びによこしたのだろう。
「はい。端末もっていないですよね? 何度かコールしたそうです。心配、しています」
「あー、そっか。忘れてた、すまん」
ムウと、今やってきたアスランがいるここは、寂れた遺伝子研究所の一棟にあるユーレン・ヒビキのオフィスだった部屋だ。
ユーレンの研究内容なぞそもそもが門外漢であるし、そこにある研究資料を読んでも解ることは少ない。が、父親のクローンだと自称してきた存在の確かな証をその目にいくつかでも焼きつけなければ、到底起きた出来事を飲み込むことができない。ただなんとなく、そうした未練がましい疑念がムウの足をそこへと運ばせていた。
目の前にいる少年は彼の部下だったというから、彼の人となりを近くで見てきたのだろう。それをあえて訊く気はないが、“ここ”にある出来事にはアスランにも、いろいろな意味で深く関わっていることなのだとムウは思った。
『アスランくん?』
ザザッという雑音とともにアスランがもつ通信機からマリューの声が聞こえてきた。アスランがマイクをオンにする。
「はい、ラミアス艦長」
『彼はいた?』
「ええ。ここにいます」
アスランは少しゆるんだ表情でムウをちらりと見た。それへ頷き返す。
───まぁでも少しは、この子もおれに気を許すつもりはありそうだよな?
その育ちのことも考えれば、感情を押し殺すかなり読みにくい型だろうというのが第一印象だったが、実はちょっとした揺さぶりに弱く、殺しきれない気持ちがぼろぼろとこぼれだしてくるような子なのだと、もう気がついている。愛情が深く庇護したい者のために、本当に一歩おとなにすすんでしまっただけという感があった。
『そう。じゃあ、頼んでおいて申し訳ないんだけど、またすぐにもどってくれる?』
通信機の向こうのマリューの声がほんの少し硬かった。
「かまいません。何かありましたか」
アスランもそれを感じたのかそう返すと、キラくんが──とマリューがいいかけた。見ていたアスランの表情がすっと消える。
『…あなたを呼んでいるの。行ってあげてくれる。ムウも一緒にもどって』
アスランが判りましたと返事をする横で、ムウも「ラジャー」と返す。艦との通信をそうして切ると、アスランが促すようにムウを見る。
「なぁ、アスラン、今じゃなくていいんだが」
その場を動きながらムウはアスランに頼みごとをした。何も、もっと打ち解けてほしくてそうするわけではない。この頼みごとをするには、いまも聞いたとおりキラとの関係を考えると彼が適任だと思うからだ。
「今度もう一度、ここへ一緒にきちゃくれまいか」
アスランは「え?」とかすかに声にもらしてムウを注視した。
「……ここさ。ものがそのまま残っていすぎるっていうか…。その、キラのこと」
ムウとの関わりとともにラウ・ル・クルーゼが示した、キラの出生。
「いや、やつのいったこともまだ半信半疑なところがあるし。だから一応証拠を調べてから、な。…おれたちでちゃんと処分しておいたほうがいいんじゃないか、って思ってるんだが………どうだ?」
ことの重大性というのはまだよく飲み込めていなかったが、キラの両親、ヤマト夫妻がおそらくこれまでひた隠しにしてきたことが、これ以上誰かに知られるのは単純にまずい、と感じていた。
これが人目に触れることで、この先キラの人生にどういう影響を与えるか判らない。コーディネイターとしては成人扱いの年齢だろうが、関係ない。機動兵器の操縦技術が自分よりどんなに優れているとしても。ムウにとってキラは守ってやるべき対象なのだ。そしてこのアスランは、キラをそうしてずっと守ってきた人間のひとりだ。
「…ぜひ、手伝わせてください」
アスランは静かにそう返答した。


「フラガ一佐」
その声が、思い出していた過去と重なった。彼は状況とはいえ相変わらず堅苦しくムウを階級で呼称している。そういえばあの頃は、結局ちゃんとさん付けで呼べるようになってくれたんだったっけ?と振り返る。考えと一緒にその体をくるりと反転させた。モビルスーツ格納庫の入り口にアスランが真っ直ぐな姿勢で立ってこちらを見ている。
「どうかしましたか」
「いや、見てたんだよ。ストライクフリーダムを、な」
庫内で駆動音を響かせる機体から視線を外し、ムウは片手に触れていた壁を押してアスランの立つ場所へと進んだ。入り口の縁を使って無重力に流れる体を止め磁場のある床に足をおろし、彼の横に並んで立つ。そこからもう一度フリーダムを見上げた。
「このカラーリングは初めて見たなぁ。電圧配分はどうなってるんだ?」
「以前と同じですよ。素材や電荷量に関係なく装甲面の発色を百パーセント制御できるようにしたんです」
VPS装甲がアクティブモードのフリーダムは、白と濃灰のツートーンになっていた。一部アクセントに赤も入っているが、全体的に白い面が増やされてザフトでいう“隊長機”のイメージが強くなった。聞けば、アスランが開発を主導した新機能で、ここでのテストが終わればオーブ軍にも技術が共有されるとのことだ。彼自身が乗るインフィニットジャスティスの色はどう変えるのか訊いたところ、それはいまのままでと素っ気なかった。おそらく頓着がないか、今の紅が気に入っているのだろう。
彼の説明を聞き終えてもそのままフリーダムに目を遣り続けるムウに、アスランは「心残りがありますか」といった。これは機体ではなく、機体の中にいるキラのことをいっている。
「本当はキラの様子を見にきたんでしょう」
「はは…まぁ、そうなんだけど。おまえさんも、ここでどうしてるかと思ってさ」
ムウは再開発計画の視察を口実にして二日ほどまえにこのメンデルへ来たが、もうあと一時間後にはアプリリウスへもどるシャトルに乗らなければならなかった。
「なんだろうなぁ、親心みたいなもんだと思ってくれよ。余計な心配とは思わずに」
そんなふうには思いません、とアスランは柔らかく微笑んだ。以前から落ち着いた子ではあったが、この頃はさらに余裕まで感じさせる。そんな笑顔だった。
「適当な用事つくって来たはいいけど、なーんか適当だったはずがさぁ…なんやかんや時間とられちまって。結局あんまり、きみらといる時間つくれなかったな」
「機会がまだいくらでもあるでしょう…」
でも───と、アスランが続ける。
「そのまえにキラをオーブにもどすかもしれません。気が付かれたんでしょう」
「…まあな……」
安定しきったアスランに対して、キラの様子は“おかしかった”。身近な者が気にして見ていたら気づく程度のもので、場合によってはムウも見過ごしたかもしれない。そのくらいの小さな違和だ。
会話するぶんにはいつもどおりだ。それに、アスランがいつも傍にいることも気づかせるまで時間がかかる要因だったとは思う。だがほんの二、三度、キラがひとりでいる状況に出くわしたとき──虚空を見るあの表情に。
「…覚えがあるんだよ。まえの戦争でな」
出会ってから──マーシャル諸島でキラが消息を断つまでのあいだ。戦争に巻き込まれた子供の重圧なのだろうから、この様子はあたりまえだと軽々に見過ごしていた。その実は彼がもっと重い板挟みにあって、幼馴染のこのアスランと戦っていたのだと。キラは誰にも何もいわず、ひとりで耐えようとしていた。その頃の微かな仄暗さが、どうしてかいまのキラとだぶって見える。
「おれはあいつに信頼されるような人間に、なれてなかったんだなぁ…」
思い悩むことのすべてとはいわないまでも、明かして相談してくれていたのなら。昔と重ねて、あとで悔やむようなことになるのが嫌だった。だが、彼を重くする何かを明かす相手はキラ本人が決めることだ。選ばれないもどかしさと苛立ちと、それでも何かをしたいという焦燥感と、結局ムウはここへ来たときと同じ気持ちのまま帰ることになってしまった。
「そういうことでは、ないでしょう。あれはキラ自身の問題です。昔は…あんなふうに抱え込むようなやつじゃなかった」
意外にも同じ気持ちでいるらしいアスランのことばに、ムウは驚く。
「……きみにも何もいわないのか、あいつは」
「ロマン・ジェリンスキの件がだいぶ堪えてるということぐらいです。といっても、今キラの周囲にある問題はそれだけなので」
つまりは、相談もなにも、近くにいるから判っている程度のことなのだとアスランはいっている。ふたりで考えているというロマンへの対応策などは、アスランがカガリへのホットラインで報告をしているとは聞いていて、“キラがひとりで抱えている”ような状況ではないことが明らかだ。
「……一応聞いとくが、夜のほうはどうなんだ?」
「─────」
ムウの突然の振りに、アスランから息を飲む気配がした。さきほどからふたりは目の前に立つフリーダムを眺めながら話し、あまり互いの顔を見てはいなかったが、ムウは気を遣って殊更にいまはアスランを見ないでいてやろうと思った。
「………とくに何も」
彼はからかいのネタではないと理解はしたのか、無視したりはぐらかすことはせず、だがことばを選びに選んだかのように返答をよこした。
キラの過去について、ムウはフレイ・アルスターとの“仲”のことを思い起こしていたのだ。ひらたくいってしまえば友人のガールフレンドを寝取ってしまったわけだ。兵士が肉体的手段でストレス管理を行うのはめずらしいこととはいえない。ただ、彼の性格とも思えないそんな行為をしてしまうほどに彼女を必要とした状況は、やはりそれなりに彼が異常に陥っていたといえるだろう。
うまく隠そうとはしているようだが、そんな頃の雰囲気をわずかでも感じさせる今のキラが、同じフィジカルな手段に頼っていることは十分に想像できる。アスランがフレイのことをどこまで知っているか定かではないからそのまま訊くこともできないが、遠回しに訊くこともできない話ではあった。
「直球すぎてわるかったな。いや、なんか様子が判りやすいとこだと思ってさ……ちゃんとしてるんだろ、きみら」
「…これ以上その話をする気はありません」
頑ななアスランがムウには相当な奥手にみえて異なる心配が過ぎったが、「何もない」というのであれば、おそらく大丈夫なのだと思うしかなかった。
ムウはやれやれと頭をかき、それでもアスランとこの場でした会話で彼自身の様子には問題がないことは飲み込めた。
「おまえさんのことも心配だったっていうのはさ。ほら、ちょっとまえにおれに聞いてきたことが、こないだキラがマリューに聞いてきたこととなんだか符号して、」
「はい。通信記録は見ました」
知っている、とすぐに口を挟んだアスランの顔をまじまじと見つめた。ログに残ることは了承済みだと本人もいっていたが、まさか本当に監視をしていたとは。
「おい…おまえさ……、アスラン」
「キラは承知です。……それから、彼を庇っていうんじゃありませんが、キラはああみえて抱え込んだり隠したりしないように、努力してるんです」
下手には違いないがとそのあとにアスランは付け足して、「だからそれ以上のことは暴きようがない」と、諦めているかのようにいった。ことばのうえだけでは。
「ただ、いまはキラの傍にいて、何があっても即応できるようにしています。キラが思い悩むような火種は検討がつくし、可能な限りそれを消すこともしてきました」
滔々と続けたアスランはそれから「フラガさん」と、ムウを呼んだ。

「あのときこのメンデルで、あなたとここで得た秘密を処分した。…あの日からずっと、そうしています」
「……………」

──ああ、そういうことか──本当に、彼は。
「感謝しているんです、あのときおれに付き合わせてくれたことを。あの時点ではおれは、あなたにとってただの他人だったと思います。キラのためだったかもしれませんが、それでも。──関わらせてくれて、ありがとうございます」
ムウは目の前の青年の想いに打たれていた。彼はキラのために一歩おとなに進んだだけではなかったのだ。あの日を境に、男にさせてしまっていたのだ、と。ムウはいま知った。
「…おれは、さ。知らなかったよ。もう、ほんとに任せてていいんだな…」
唐突なムウのものいいに、アスランは少しだけ困った顔をした。
「キラは相変わらず心配だよ。でも、何があってもおまえさんが守る気でいるんだな。だから任せるよ」
頼んだぜ、とアスランの肩を叩く。彼はまだ少し釈然としていないようだが、頼まれたことには素直に「判りました」と返事をしていた。

それからしばらくそのままアスランと雑談を交わしていると、フリーダムの駆動音が変わり機体がディアクティブモードになった。中にいるキラが、なんらかの作業を終わらせたのだろう。まもなくふたりが見守るところから彼が顔を覗かせた。
「ムウさん!そろそろ時間ですよね!?」
いわれて時間を確認すれば、確かに出発の準備をするべき刻限となっていた。時計を見ているあいだにコックピットから降りてこちらへ近づいていたキラに、アスランが手を伸ばして受け止める。
「勢いをつけすぎだぞ、キラ!」
距離に対して蹴った力の強さに文句をいい、それでも手を差し出すアスランの慥かさに感心も呆れもした。呆れるとはつまり、アスランが止めると知ったうえで蹴ったキラを、それをまた知っていながら手を差し出す甘やかしのことだ。仲を知っているから気になるだけなのかもしれないが、人前での近すぎる距離感がムウは心配になった。
「おいこら、きみたち。ここ隊の規律はどうなってんの。出向先で困るよ、そんなの」
キラはなにをいわれたのか理解していない顔をみせていたが、その横でアスランは苦笑いをする。
「キラはちゃんとやってますよ。大丈夫です」
いや、おまえも含んでの苦言なのだが、とムウは思ったが、時間がないと仕方なくとりあえず置き、そのまま見送りについてくる様子のふたりを伴って格納庫をあとにした。

歩きながら、ムウは用意してきたデータメディアを制服のポケットから取り出しアスランに手渡す。メンデルへ行くといったらキサカが託してきたものだ。
「時間があれば直接報告しとこうと思ってたんだが、ちょいとばたばたになったからな。あとで見といてくれ。エヴァグリン関連の最新情報だ」
「……………」
キラが押し黙って表情を変える。ムウはその反応を気にしてアスランにそっと視線を送ると、彼もこちらを見てすぐに逸らせた。
「簡単にいっておくと、どうもエヴァグリン疑いのテロはもう証拠がでそうにないってことでな。内偵とかいろいろ進めてるうちに、どうやら“本当に”エヴァグリンは指示していないかもしれん、と」
「───じゃあ、一体誰だと…」
アスランが難しい顔をしてつぶやく。
「疑いがかかった所以は無視もできない。つまり、エヴァグリンであってエヴァグリンでないものだろうさ」
───ロマン・ジェリンスキ。
彼と組織が繋がっている確たる証拠もこれまでにあがらなかった。だが、ユニウスワンでロマン自身が関わっていることをにおわせている。ムウは足を止めて、同時に止まったふたりを見て続けた。
「ヘッカーリングはシロだ。彼は一連のテロ事件に対して組織内で少しでも関わったと思しき人間たちを切り始めてる。今までのような体面を気にした尻尾切りとも違う。…どうやら本当に、疎ましく思っているようなんだ…」
エヴァグリンとその周辺でなにが起きているのか、はっきりと判ることはなかった。だが、確実になにかが起きて、事態が動こうとしている気配がある。ムウはそんな予兆めいたことを告げてその場を去った。

───そして、その晩。
メンデルはハイペリオンの強襲を受けることになったのだ。